「俺は1958年にナザレで生まれた。その時、父は牢屋に入っていた。4歳のとき面会に行ったのを憶えている。しばらくはナザレの共産党事務所に住んでいたが、ハイファに引っ越した」
「六日間戦争が始まり、エジプト軍がイスラエルの軍艦を撃沈したので、暴行されて腕を折られた。それからチェコスロヴァキアだ。父が党を代表して派遣された」
「1968年から1972年の、ソ連軍の侵攻の2ケ月前までチェコスロヴァキアにいて。それからモスクワ、ドイツ、ハンガリー、トルコ、イタリアを転々として、イスラエルに戻ったら、軍に顔を蹴られ殴られ、『汚いアラブ野郎』と」
アモス・ギタイ『エステル』のジュリアーノ(文章は彼が語る自身の生い立ち)
ユダヤ人の母と、パレスティナ人の父を持ち、「俺はハーフじゃないよ。100%イスラエル人で100%パレスティナ人だ」と豪語していた俳優、演出家、映画作家で和平運動家のジュリアーノ・メールが、パレスティナ自治区のジェニンの彼自身がディレクターを務めていた「自由劇場」の前で、暗殺された。
黒い覆面をかぶった暗殺団に、運転していた車が銃撃されたのだ。
<ハーレツの記事>
<アルジャジーラの記事>
ジュリアーノについて、なにを言おうにも、今は言葉が見つからない。彼は和平と自由のために戦う映画人であり、戦う演劇人だった。2004年からジェニンに構えた「自由劇場」で、パレスティナ社会の右傾化・宗教保守化に抗するラディカルな舞台も立て続けに発表していた。
とても気性が激しい人だが、とほうもなく子煩悩で、愛情深い男でもあった。
アモス・ギタイ『ベルリン・エルサレム』
「ジュリアーノのようなラディカルな人間は、自分の肉体を使って憎しみの溝を超える橋になる。ジュリアーノの場合、それは本物だった。常人を越えた大きさを持った男だった」−アモス・ギタイ
"There are people like Juliano, who are radical people, try with their own bodies to serve as a bridge over the gorges of hate. And in Juliano's case its real, he is a larger than life" -Amos Gitai, from haaretz
母はユダヤ人、父はキリスト教家庭出身のパレスティナ人で、パレスティナ共産党の幹部として東欧諸国を渡り歩いた。
多重のディアスポラを抱えた、引き裂かれたアイデンティティを持った芸術家でもあったからこそ、その心は、激しくも純粋だったのだろう。だから彼は、闘い続けたのだ。
アモス・ギタイ『ケドマ』
憎しみを超えようとする肉体…僕もちょっとだけ「共演」したアモス・ギタイの『ケドマ』では、ジュールはあえて、イスラエル独立運動ゲリラのリーダーを演じていた。『ベルリン・エルサレム』でも攻撃的なキブツ運動家の役。そういうことが平気で出来る男だった。
藤原敏史『インディペンデンス アモス・ギタイの映画「ケドマ」をめぐって』のジュール
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