最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/09/2012

イラン・イスラム共和国の首都、テヘラン訪問

私事で恐縮だが(といって、blogなんだから私事だろうに)、今年はずいぶん国際映画祭ドサ廻りをやって来ている。

先月はイランのテヘランに12日間、タイのバンコクに5日間行っていた。

テヘランには、イラン国際ドキュメンタリー映画祭、通称“シネマ・ヴェリテ”で、『無人地帯』を上映するだけでなく、国際コンペティションの審査員も兼ねて招待されたのだが、考えてみればイランの核兵器開発はたぶんに眉唾とはいえ、民生用の核開発、原子力利用なら国策で進めている国である。


映画祭の主催は政府の映画機関のひとつであるDEFC(ドキュメンタリー実験映画センター)。どっちにしろ政府公認の「オフィシャル」なものしか、原則あり得ない体制である(まあ「原則」ということは、この国の場合どこにも増して、例外がいくらでもあるわけなのだが)。僕を審査員として招待するのは、福島原発事故を扱った、反原発的な文脈にある映画を招待上映するための大義名分、というか官僚的なエクスキューズでもあったのだろう。

こちらはこの新作が映画祭をいろいろ廻るのを利用して、いろんな国を見てやろうと言う心づもりでもある。ことテヘランに行けるなんてチャンスは滅多にない上に、イランといえば1950年代に黒澤、溝口、小津らの日本映画が世界の映画祭に紹介されて衝撃を与えたように、1990年代の国際映画シーンに突然登場して、その独自の文化に根ざした映画が席巻した国でもある。自分はそれをリアルタイムに体験した世代、アッバス・キアロスタミ、モフセン・マフマルバフ、アボルファズル・ジャリリといった、若い頃に憧れた巨匠や鬼才映画作家たちの国に行けるのだから、とてもありがたいわけだが、とはいえ話はそう簡単ではなかった。

アフマディネジャド政権は、ジャファール・パナヒを逮捕・自宅軟禁状態にしているのを始め、マフマルバフですら国内で活動できなくなってロンドンに事実上亡命。イランでの立場を狡猾に担保して来たアッバス・キアロスタミでさえ「今のイラン国内では映画は撮れない」と言って近作2本はイタリア(『トスカーナの贋作』)と日本(傑作『ライク・サムワン・イン・ラブ』)で撮影している。イラン領内に居続けることが困難になってイラクとトルコのクルディスタン地域に移ったバフマン・ゴバディは、最近兄が逮捕されたそうだ。

ジャファール・パナヒ、『これは映画ではない』予告編

自国を代表するような映画人たちを弾圧しているイランの現政権に抗議するため、政府機関の主催するこの映画祭について、『無人地帯』の国際配給会社ドック&フィルムでは、パナヒらへの連帯の意志を込めてボイコットすることを基本方針にしていた。

とはいえそこは、国際配給権を持っているとはいえ、作家に理解のある会社だ。監督がそれでも行きたいといえば、監督の意志を尊重してくれた。

また僕の方でも自分のルートで、内外の旧知のイラン映画人たちにアドバイスを求めたところ「なぜ行かない?」「なぜ来ないんだ?現実を見るべきだろう?DEFCは良心的な機関だから心配するな」と揃って言われた。

DFEC(ドキュメンタリー実験映画センターの本部)

また国際世論の批判を集めるイラン政府といったって、敵視の急先鋒はイラク戦争が行き詰まったジョージ・ブッシュJr政権が、イランには核兵器開発疑惑があると騒ぎ出したアメリカ、その疑惑を理由に対イラン戦争もちらつかせることで、どうにもつれないオバマ政権の支援を取り付けたい瀬戸際外交の真っ最中のイスラエルのネタニヤフ政権だったりする。そっちの流れの味方というのは、これはアフマディネジャド政権よりももっとやりたくない。

というわけで、イラン入りである。

これがビザをとるだけでもひと騒動で、政府機関の招待でもあるんだからとたかをくくっていたら、ホメイニ空港で取得すればいい、いややはり日本の大使館で、とたらい回しのすったもんだで、結局は出発三時間前に駆け込みで発行…となると途端にビザが出るのだからやはり政府機関の招待だなぁ…と、よくも悪くもお役所仕事である。

そしてこの時から、イランという国の今が、実はどんな社会なのか、なんとなく分かり始めて来た。

世間では、1979年のイスラム革命でパーレビ王朝を倒した後のイランは、イスラム主義の宗教国家とされている。大統領はいるものの、国家元首であり最高指導者は大アヤトラ、議会や大統領は最高意思決定機関ではない。21世紀に入りイスラム主義が「イスラム原理主義」と呼ばれテロリストと同一視されるような欧米主導の国際世論のなか、イランと言えば国民揃ってヒズボラみたいに思われているか、先述のように自国の誇る国際的な映画作家ですら弾圧する強権全体主義国家に見える。

だからこそ、「たぶん実態は必ずしもそんなものではあるまい」という嗅覚が働かなければ、こっちだって映画を作るという稼業を、とっくの昔に返上してるだろう。

空港というのは普通、入るときにセキュリティ・チェックがあるものだが、ホメイニ空港では国際線の出口で手荷物のX線検査があるから珍しい。

酒類の持ち込みを防ぐためだ。

イスラム法が法律の基本になっている国なので酒の持ち込み自体が禁止…ところが、たとえばイラン古典文学を代表する詩人ハフェーズの作には、ワインの酔いと官能への言及がそこらじゅうにあるわけで、古典なんだから発禁になるわけもなく、ペルシャ細密画を挿絵にした豪華本がごく普通に、それもけっこう安価に入手できるし、英語、フランス語、ドイツ語などへの対訳本もある。

だいたい、イランでは本はさほど高くない。むしろ経済水準に関わらず教養は身につけられるようにと、安めにすることが政策なのだそうだ。

テヘランが他の現代都市と大きく異なっているのは、教養レベルの高さだ。

今時町中の本屋に行って、その入り口近辺の平積みやショーウィンドウに、ペルシャ文学だけでなく、シェイクスピアの全集だのドストエフスキーだの、ベケットまで並んでいる国も珍しいだろう。

大統領が「同性愛者はいない」と言ったはずの国の洋書売り場…

アメリカ映画は輸入できないしされてないはずが、『ヒッチコック/トリュフォー』のペルシャ語版まで、日本のように書店の隅っこの映画書コーナーではなくて、目立つところにディスプレイされていた。

映画関係者と話せば、一緒に審査員を務めた映画大学の教授のアフマド・ジャローミ先生の、黒澤明の映画への深い造詣だとか、いくら僕が黒澤ファンではないとは言え、日本人でもかなわないくらいだ。ヨーロッパ映画でもアメリカ映画でも、映画史の教養に圧倒された。しかもとても理知的な紳士で、映画についても、政治についても、世界ついても、問題意識がとてもシャープだ。


今さら別に驚くようなことでもないが、テヘランは高層ビルも高速道路もショッピングモールもある普通の現代都市だ。中心街の建物には60年代70年代の様式のコンクリ打ちっぱなしが多く、いささか殺風景な印象はある。

考えてみたら当然の話だが、革命で政治体制が変わったからといって、町並みまでまるごと変わるわけもない。

とはいえ宿泊先の、いかにも60年代テイストなエンゲラーブ(ペルシャ語で革命、ないし反乱)という名のホテルが革命前の建物なのはすぐ分かったものの、元の名前がロイヤル・ガーデン・ホテルであったことがレストランの食器のロゴで分かった時には、驚いてさすがに笑ったけれど。


エンゲラーブはテヘランで外国人が泊まる数少ないホテルでもあり、宴会場では毎晩のように結婚式がある。参列する女性はそろって全身黒いチャドル姿だ。「やっぱり宗教の国なのかな」と思えば、よくみればチャドルの裾から花嫁なら白いぜいたくなレース生地、他の女性たちも色とりどりなスカートがはみ出ていたりする。宴会場のドアを閉めてしまえば、そこはプライベート空間…というのがテヘラン流。

街のショーウィンドウでは、明らかに戒律違反のはずのノースリーブの豪華なドレスも並んでいる。女性たちがこれを着用するのはプライベート・パーティー。パブリックな空間でなければ、ある意味なにをやってもいいのだ。販売が禁止されているアルコールですら、闇ルートでかなり流通しているらしい。

スンニ派のイスラム教徒が多い国では、トルコのように政治は世俗制でも、モスクは重要な役割を持っていた。モスクの前にはお年寄りが集まって世間話に興じていたり、戸は開かれていて、中ではしばしば祈る人も見かけ、門前では物売りが市場みたいに集まっていたり、街や村の生活の一部になっていることが多い。

ところがシーア派イスラム主義を政治社会体制として掲げるイラン・イスラム共和国の首都テヘランのモスクには、あまり人影がないし周囲に普通に人が集まっているわけでもない。イマームの姿をした男性もたまに見かけるものの、普通の日常において実践されている宗教といえば、女性は髪を隠し手首足首まで肌の露出が許されないという戒律だけかも知れない。

だいたいこれだって「宗教」の形式というより、女性蔑視のマチズモの抑圧だろう。

実のところ、これほど宗教性が感じられない社会というのも、欧米でもよほどの大都市でないとあまり見かけない。お祈りの時間にはコーランの朗読が流れるのも録音された音がスピーカーでだし、街の騒音の一部でしかないくらいで誰も気に留めていない。


先進国でもよほどの大都会以外では、教会はそこらじゅうにあるし信仰はまだまだ生活に根付いている。日本人は自分達を無信仰無宗教だと思っているが、その日本でだってよく見れば随所にお寺や神社だけでなく、小さな祠やお堂や石仏などもそこらじゅうにあるし、お供えなどがちゃんと置かれている。

そういう感覚が、テヘランには一切ない。

金曜日にも誰もモスクに行かないみたいで、むしろ休日に郊外に遊びに行く車で道路が渋滞する。

いったいこの国のどこが、「危険なイスラム原理主義の国」なんだろうか?

渋滞と言えば、大都市、とくに昨今の発展途上国の交通事情はたいがい、自動車の増加に道路整備が追いつかずに大変な混雑だが、テヘランの渋滞はとりわけすさまじい。しかも運転はかなり無茶で荒っぽい。


どうも自動車に乗ると乱暴な人種に豹変するらしいイラン人は、しかし車の外ではむしろもの静かで節度ある民族文化で、横断歩道を渡るときの滅茶苦茶さ以外では、街を歩く姿も整然とした感じだ。いささか殺風景で、バラバラの建築様式が混在して破綻して見える町並みも、細部を見れば繊細な気配りが行き届いていて、第三世界の大都市だとたいていはおなじみの、雑然としたごちゃぎちゃな印象は意外とない。

また建物の外側が殺風景だったり醜悪にごてごてしていたりしても、対照的に屋内にはしばしば、洗練されて心地よい、シャレた空間が作られていたりする。


街に落書きが少ないのは政治体制の抑圧もあるのだろうが、代わりに壁画が多い。壁に騙し絵が描かれていたりもして、別にメッセージ性があるものばかりというわけではない。


無論、一方でこんな反米壁画が一面に描かれていたりもするのだが…。


…といって、本気でイラン人が反米で、米国への憎しみに凝り固まっているわけでは、もちろんない。「反米」のポーズはむしろ、国内向けのものだ。その一方で、イラン人はアメリカ政府が自分達を敵視していることはむろん知っているし、現にアメリカを中心とする経済制裁がイラン経済を破壊しようとしていることは、決して快く思っているわけもないのも当然だ。

パーレビ王朝時代のアメリカ大使館は今でも保存されて抗議の対象となるいわば一種の逆偶像で、このような落書きもどきの絵が壁に描かれている。


また見るからにロシア構成主義プロパガンダの影響が強い壁画も見かけた--とはいえ、これらはいずれも、イランの人々の気持ちを反映したものではなく、あくまでただの形式に過ぎないし、そういう意味で本気にすべきでもない。


イスラム文化で抽象的図像が発達したのは、偶像崇拝が厳禁されているからだという話は、スンニ派にしか当てはまらないのだろうか?イランの装飾文字やタイルの抽象パターンもまた美しいものだが、どこが偶像崇拝禁止なんだろうかと呆れるくらいに、アヤトラの肖像や殉教者の絵が、町中の壁を彩っている。

法律で、公的な空間には大アヤトラの肖像を飾ることが義務づけられている。店舗でも、ホテルのロビーでも、事務所でも、映画館や劇場でも、現代美術館ですら。


街路でも屋内でもそこらじゅうにアヤトラがいるのは外国人には最初、とても気になるところだが、数日もいれば「まあ、そんなものか」と慣れてしまう。あまりにそこらじゅうにアヤトラがいると、アヤトラの価値が安売り状態、イメージのデフレーションとか言いたくなってくる。


イランが宗教独裁国家だというのは、国際社会のまったくの誤解だと思う。

確かにイスラム主義を標榜しているが、「イスラム主義」を「社会主義」に置き換えれば、国旗を偏重してそこらじゅうにずらりと並べ、そこらじゅうに指導者の絵を描くのは、文革時代の中国共産党そっくりだ。映画祭の閉会式のようなオフィシャルなセレモニーの出し物も、旗を振る群舞だとか、まさに中国共産党風だった。

国旗の背後には、「殉教者」を讃える壁画

社会に根付いた支配体制も、秘密警察の役割が大きいアラブ独裁国家よりは、官僚的な組織の杓子定規で人々をがんじがらめにする官僚国家のそれだ。

招待先が一応国家機関だったり、僕にイランで映画を撮らせようと思った友人がいたりで、いろいろとつき合って来て、イランの社会機関や組織がどう動くのか比較的分かり易かったのは、自分が普段から硬直した官僚国家・ニッポンに慣れているからでもある。責任逃れのいいわけが延々と続くことにどう対処したらいいんだろう、というような官僚的なパワーゲームのやり方も、制度で決まってることとのつき合い方やそれをうまく避けるやり方も、日本人にはけっこうなじみ深い。

…というか、基本、日本とほとんど変わらない。

テヘランの国立映画博物館

映画祭ゲストがテヘランの映画博物館に行った時のことだ。90年代から世界の映画祭を席巻したイラン映画を讃える一室があり、キアロスタミ、ジャリリ、マフマルバフをはじめ、巨匠達ごとに映画祭のトロフィーやポスター、写真などの記念品が展示ケースに並べられていた。なかにはアフマディネジャド政権が自宅軟禁状態にしているジャファール・パナヒのコーナーもある。

マフマルバフ一家のコーナー

外国人ゲストのなかには、「彼は逮捕されているじゃないの!」と抗議の声をここぞとばかりに上げる者もいた。とたんに博物館ガイドの通訳をしていた、案内役の映画祭の人物が「私は公務員だからその件はコメント出来ない」と、いかにもな官僚的対応。

まあ、こんなのはどっちもどっち、なのである。

いかにもな官僚答弁も「もっとうまく言い訳できないものかね」と呆れるとはいえ、ここで「言論と表現の自由」を叫んで、パナヒの展示を続ける博物館を「偽善だ」となじろうとする外国人の方も、よく分かってないで見当違いな抗議をしているのだし、そこには “中近東のイスラムの国” をまとめて、薄っぺらに、ここは非民主的な野蛮国なんだと思いたい植民地主義まで透けて見える。

むしろ、イラン人から見れば、パナヒが逮捕されているだけでなく、マフマルバフだって半ば国外追放か亡命に近く、彼らに身近だった俳優が映画出演を出来なくなっているような現状があっても、映画博物館は「わが国家の映画史の栄光を讃える」名目で、彼らのコーナーをちゃんと、あえて残しているのである。

ある種の“勇気”が必要なことでもある一方で、縦割り行政だから可能なことでもある。映画人を弾圧する司法当局と、博物館を運営する文化当局は、まったくの別組織で相互間の意思統一などがないし、大きな問題がなければお互いの活動に口を挟むこともない-官僚社会の賢い生き延び方だ。

DEFCの本部でも、当然アヤトラ像の掲示は義務づけ…

イラン社会の権力と支配のあり方は中国共産党に似ているし、強固な官僚機構ががんじがらめにしているお役人社会という点では日本人にとってむしろなじみ深い。ただ中国はどうか知らないが、日本とはまったく違う点もひとつあった。

イランで会って話をしたほとんどの人たちが、自分達の社会や政治体制が問題だらけであることをちゃんと意識しているし、その場その場や言葉遣いさえわきまえれば、こちらの批判的な意見にもオープンに応じるし、自分たちでも厳しい意見を隠さないことだ。

これは日本とむしろ真逆だろう。日本人の多くは、自分達の社会に本質的な問題があることすらあまり意識したがらないし、その問題を明確化して意識し分析する気はほとんどないし、批判的な見解を持つことすら自身に禁じ、かつその自らに課した禁忌にほとんど無自覚だ。


だから逆に不思議でもある。自分達の問題に意識的・自覚的であるだけでなく、イランの人々は基本的に教養水準が高く、勉強熱心でもある。今時の世界では珍しく、世界の文学の名作や古典がちゃんと読まれ続けているであろうことは、先述の通りだ。

これだけ知的で教育水準も決して低くない国、国民の教養レベルを高めるために政策的に書籍の値段も低めに抑えられてい来たような国で、なぜ今のような、誰もが不満を感じ、問題も理解している政権が、維持され得るのだろうか?

ふと思いついたことがあって、訊ねてみた。

「今のイランが宗教国家ではなく官僚主義国家であることはよく分かったんだけど、革命前も実はそうだったんじゃないか?」

「そう言われてみれば、その通りだ」

「指導者は変わっても、実際に支配しているのは同じ人間たちだったりしない?」

「革命があったんだからさすがに同じ人間たちとは言えないけれど、同じような人間たちなのは確かだね」

やっぱりそうだったのか…。このことなぞは、第二次大戦の敗戦で「民主主義国家に生まれ変わった」はずの、実は戦前と変わらない官僚国家・日本の戦後の実態と、とてもよく似ているわけだ。

もうひとつ、さるイラン人映画監督の自宅で、酒の上(といって、瓶を見れば「エタノール」というラベル…薬品扱いなのでこれは違法ではない!)で言われたことが印象に残っている。

「この街では、あらゆることが不可能だけど、あらゆることが可能なんだよ」

これは日本とは逆だなぁ…。

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