最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

7/17/2017

「テロ等」と言いつつテロ防止にはまるで役に立たない「共謀罪」は、なんのために強行採決されたのか?



まず先の国会の初期の議論なので忘れている人も多いかもしれないが、テロ防止ならすでに「予備罪」で、テロ計画を事前に察知して計画段階で摘発・処罰する法整備は既にあったことを確認しておく。

政府と金田法務大臣が当初挙げたテロ事件のシミュレーション(地下鉄サリン事件や9.11テロに酷似)を事前に摘発するには現行の予備罪や銃刀法、爆発物の取り締まりで十分だし、逆に「テロ等準備罪」は使えないケースもあることが、民進党の指摘で明らかになっていた。

さてその政府の主張した通称「テロ等準備罪」、改正組織犯罪処罰法がこの7月11日をもって施行され、さっそく外務省は国連薬物犯罪事務所に対して国際組織犯罪防止条約の締結手続きを終えた


国連薬物犯罪事務所(UNDOC)が同条約を所管する事務方なのだから当然の、形式的な「歓迎」コミュニケを出したことを持って、安倍政権は「国連が『テロ等準備罪』を認めてくれた」的な虚偽プロパガンダに徹したいようだが、あくまで条約の締結を「歓迎」しただけで日本の国内法制にはなんの言及もないので騙されないように。 
だいたい国連の事務方には基本、加盟国の主権の範疇である国内法の評価なぞ権限がない。それが出来るのは人権理事会や安保理事会等だけだ。
人権理事会の特別報告者(プライバシー権担当)のジョセフ・カナタチ・マルタ大教授が指摘した懸念はまったくそのままで、政府は未だに返答していないが、このままでは当然、人権理事会の次回の日本への勧告で問題にされるだろう。 
人権理事会の決議は安倍が恐怖する「国連の総意」なので念のため。


「共謀罪は危険だと言うが、国際組織犯罪防止条約に加盟している国は既にみんな同じような法律があるから加盟しているのではないか?」という疑問が出て来るかも知れない。

確かにたとえば、アメリカには連邦法に「共謀」の概念が大昔からある。

だがこれはそもそもテロを対象にできる法概念ではないし、政府転覆を企むような思想犯・政治犯を「共謀」とみなすものでもない。

だいたい国際組織犯罪防止条約は、そんな国内法の整備はまったく求めていない。

「内面を裁く」とも言われる、政治・思想弾圧の危険性を含むような「共謀」を法体系に持ち込んだのは、日本だけなのだ。

そもそもこの条約では、対応した国内法の整備に当たってテロなどの政治的な動機を適用範囲に含めてはならないと定められている。当時はムバラク独裁下でイスラム原理主義のテロに悩まされていたエジプトがテロを含めるよう提案して激しい反対に遭っているが、その理由は明白だ。「非民主的な国では、政府に対する批判や抗議、反対運動を『犯罪』とみなす傾向がある」からだ。

ところが日本政府はまず「テロ防止のため」と言いつつ、民進党に「役に立たない、現行法で十分」と指摘されると、立法の目的を今度は国際組織犯罪防止条約の締結に変えてしまった。


テロなど政治・思想が動機の犯罪には適用してはならない、とされているのだから「テロ等準備」はおかしいはずだが、安倍首相はこの条約締結を持って「テロ対策の国際連携」と、相変わらず世界の非常識のトンデモ総理っぷりが凄い。


繰り返しになるが、国際組織犯罪防止条約ではテロを対象としてはならないのは「非民主的な国では政府に対する批判や抗議、反対運動を犯罪とみなす傾向がある」からなのだが、「こんな人達に負けるわけにはいかないんです」という安倍政権が共謀罪にこだわるのは、まさにそんな「非民主的な国」の動機にしか見えない。 
国会では野党議員に「共謀罪で逮捕してやるぞ」という野次も与党席から飛んだ。


同法の施行に合わせて、広域指定暴力団の山口組が内部向けに解説と警戒のポイントを示した文書を配布したのだそうだ。

曰く「トップを含め、根こそぎ摘発、有罪にしようというもの」、国際組織犯罪防止条約が求めているのはそこなので、山口組はまさに当事者だけに、この解説もしっかり正確なものだ。

山口組がさらに鋭いのが、銃刀法違反容疑で組員が逮捕され例を挙げて「警察に殺人目的とでっち上げられ、他の組員、幹部、さらには親分クラスが共謀罪に問われるケースも起こりえる」と指摘していることだ。そこで「冤罪に巻き込まれないよう、弁護士ノートを差し入れ、取り調べでのやり取りを細かくメモすることが肝要」と構成員に呼びかけている。

もちろんこんな違法捜査を、国際組織犯罪防止条約は求めていない。

しかし日本で制定された通称「テロ等準備罪」の改正組織犯罪処罰法、和製「共謀罪」の場合、法文はずいぶんと曖昧だし、その杜撰さに輪をかけるように政府が国会で言い続けて来た解釈では取り締まり側にとっての抜け道だらけなので、違法捜査を一見合法にみせることすら可能になってしまう。

逆に言えば、まずこの一点だけでもこの法はヤバ過ぎる法で、近代法治の原則に反している。



そもそもこの和製「共謀罪」は、条約の締結に必要だったり、たとえばアメリカの連邦法にあってFBIが組織犯罪捜査の重要な根拠にしてきた「共謀」とは、かなり似て非なるものだ。

国際組織犯罪防止条約が求めているのは、山口組が警戒している「トップを含め」というよりもそのトップ、つまり最大の受益者の犯罪性こそが標的で、その立証により幅を持たせるのがアメリカ連邦法などにある「共謀」だ。

日本の既存法ならば「共同正犯」が理論上は成立するかも知れないが立証が難しいことや、「共同正犯」の枠内では難しい追及でも、「共謀」では立証が可能になる。実行犯のトカゲの尻尾切りを許さないための法整備とも言えるはずだが、しかし日本では、たとえば既存の暴力団捜査では、その「トップ」よりもいわば「下っ端」に厳罰を求める傾向が強い。

「3月、組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)などの罪に問われた指定暴力団工藤会(北九州市)の元組員に判決が出た。銃撃を実行した仲間をバイクで送迎したなどとして、懲役18年8カ月(控訴中)となった。元組員は「銃撃計画は知らなかった」と主張したが、裁判所は10年以上の組員歴などをもとに「認識していた」と認定した」 
溝口敦(ジャーナリスト)、朝日新聞2017年5月16日

そして「テロ等準備罪」の国会審議でも、法務省や法務大臣の答弁は、むしろこの「下っ端」だったり、いわゆる一般人と接点があったりする部分での処罰を匂わせる中身に、なぜか終始していた。

「一般人には適用しない」というのも、「一般人」が暴力団構成員であるとかカルト信仰集団であるとかと接点を持つはずがない、という強引な前提しか根拠がなく、一方では市民運動などが「犯罪者集団に一変する」場合もある、と言う。



こんな議論は国際組織犯罪防止条約(TOC条約、イタリアのシチリア島のパレルモで締結されたので「パレルモ条約」とも呼ばれる)で求められていることと、なんの関係もないどころか、真逆でさえある。

組織化された犯罪オペレーションが国境をまたいだ場合でも各国の相互連携で摘発を可能にするのが国際組織犯罪防止条約の主旨で、主な狙いはマネーロンダリングや人身売買、薬物売買や組織的横領、インサイダー取引などだ。高度かつ複雑に組織化されネットワーク化され、個別には表面上は犯罪に見えないものを中心に処罰取り締まりを可能にするのが、この条約のはずだ。

この条約が出来て日本で「共謀罪」が議論され始めた時から、警戒されて来たのは近代法治の大原則に反して「内面を裁く」法になりかねない、ということだった。

これでは自民党内部からも反対が多く、三度も廃案になって来たのも当然なのだが、しかし国際組織犯罪防止条約はもちろん、プライバシーまでをも捜査対象にして「内面を裁く」ことなど求めていない。「内面」が関わるのは「金儲け」であるとか「利益を得る」、「商売を廻す」といった、一目瞭然のレベル止まりの話であって、「治安維持法」のように思想信条を犯罪と強引に結びつけるようなことは慎重に忌避されている。


同条約も、たとえばアメリカ連邦法の「共謀」も、そんな曖昧な「内面」を共謀の根拠にはできないようになっている。極めて具体的に「誰が最大の利益を得ているのか」が共謀の構図のなかで想定され、立証され事実認定もされ得る動機だ。

たとえば国際的な組織売春ネットワークで、ロシアやエストニアのどこかで誘拐されたり騙された女性が、東京の六本木で働かされていたとする。

六本木の店は摘発されても、その女の子が実は詐欺や誘拐の被害者とは知らなかったと言い張り、また誘拐しろ、騙せと直接指示していた証拠なり証言がなければ、売春でもっとも利益を得ていて、またそうした女性を“発注”し続けていた側について、誘拐なり詐欺の共同正犯を立証するのは難しい。

だがこうした売春婦の供給が組織化されネットワーク化されて継続的にその店が利益を得ていれば、誘拐や詐欺についても「共謀」は立証でき、真の主犯が処罰できることになる。

いや今時、誘拐したり騙したりなんて組織売春では実際にはほとんどない、と言われればその通りだ。現実にこうした国際的な組織売春で犯罪的な人権侵害が問われるのは、麻薬づけにしたり、虐待することで従順になるように「仕込んで」から売春をやらせ、パスポートを「預かる」として逃げ出せないようにする手口が一般的だ。

だからこそ、麻薬の依存症を「自己責任」扱いにしたりして被害者が逆に処罰されるのを防いだり、経営者が直接手を下していない虐待についてもちゃんと処罰するには、確かに「共謀」概念は有益になる。

システマティックにこういう経営・管理が常態化していれば「知らなかった」「現場が勝手にやった」「麻薬は本人が勝ってにやったこと」といった言い逃れは出来なくなるのが、本来の「共謀」のはずだった。


今ここで誘拐や詐欺をあえて例にしたのは、戦前戦時中の日本軍の慰安婦制度が、「共謀」が認められるかどうかの違いの、極めて具体的な喩えになるからだ。

日本政府は河野談話の時点での公文書調査で、暴力的な強制連行や武力の威圧、詐欺などを用いた意志に反する強制を命じた記録は発見できなかったとしていて(ちゃんと探せば証拠は出て来るに決まっているが、見つからないように調べてるんだからしょうがない)、これは第一次安倍政権で「閣議決定」されている。

直接の命令書がないからといって強制連行がなかったという証拠にはならない(というと安倍晋三は『悪魔の証明だ』と稚拙な詭弁を弄するのだろうが)のだが、「命令していないのに現場の勝手な判断で」とか、詐欺については「女衒業者が勝手に」と言い逃れが出来なくもないのが、「共同正犯」の限界になりがちだ。

もちろん政府や国家権力の行使、とくに軍組織の行動については、一般の「疑わしきは罰せず」よりも遥かに厳しい原則が適用される(証拠隠滅が自在になる権限があるのだから当然)し、行政組織・政府の責任は首謀者個々人が通常の刑法で処罰されるかどうかとは別次元の問題(軍事裁判なら処罰可能)だが、関わった軍人や政府関係者の個々人の犯罪としても、こんな現実離れした言い訳を許容して真の主犯・犯罪首謀者が見逃されてトカゲの尻尾切りになってしまうのは、法の運用としておかしい、とは確かに言える。

なにしろ強制連行、つまり武力・暴力の脅しで無理矢理慰安婦を募集したことに限っても、1937年以降終戦までの8年間は、軍・警察が慰安婦募集への「立ち会い」を命じられているし、東南アジアや中国大陸の最前線では兵士による「現地調達」も行われているのだ。そこには軍の組織的な意志があり、その組織が機能することで暴力の威嚇による強制があったのも、被害者証言から明らかだ。

そもそも「慰安婦になる女を連れて来い」とだけ命じられ手段の指示は出ていなくとも、武装した軍部隊なんだから当然威嚇・威圧・脅迫による強制には自動的になるし、暴力の直接行使も含めて、こうして8年も慰安婦の供給が維持されているのに、「現場が勝手に」「知らなかった」と、この制度の最大の受益者である軍組織が言い逃れを続け、だから日本国家に「罪はない」というのでは、明らかにおかしい。

そんなのは政治が法体系に対して責任を追う法治国家ではない。


たとえばこのような広告は、軍や政府、朝鮮総督府がそれぞれバラバラに動いていたとでも無理矢理に考えない限りは、「慰安婦は高給の売春婦で強制なんてなかった証拠だ」と言い張ることはできない。

この場合の最大の受益者は軍組織であり、兵士に命令も、業者に強制もできる権限があるのだから、「いや知らなかった、現場が勝手にやったこと」では済まさないのが本来の「共謀 conspiracy」の法的概念だ。

むろん政府組織ともなればさすがにそんな言い訳は通用しないが、組織構成自体が隠蔽されている組織的な犯罪行為の場合、「共謀」の概念を捜査と立証に導入できることには、確かに有効性はある。

アメリカの連邦法にある刑事罰の「共謀」は、このような人身売買や組織的詐欺横領、麻薬密売、組織的な横領や、最近ではインサイダー取引などの摘発で、とくに日本の刑法でいう「共同正犯」のような考え方では真の主犯つまり「いちばん利益を得る者」の立証が難しいケースの捜査や立件、処罰に使われている。

 映画『ゴッドファーザーPART II』
コルレオーネ・ファミリーの共謀の疑いが上院の聴聞会で審議される

逆に言えばそういう犯罪的手段を一部に含んで機能している金儲けのシステムでもない限り、「共謀」があったとする立証は難しい。逆に言えば日本版の共謀罪で主張された「テロを未然に防止したい」というような場合には、「共謀」の概念はまともな法治国家では、まず現実的に使えないはずだ。

ビッグデータを人工知能で活用してメールやSNS上の通信などを監視することはできなくはないが、ならば「一般人」も含めて監視対象にしなければ意味がなくなる。

ここでも、テロ事件に「共謀」を当てはめるには相当に無理があることが分かる。

テロ事件の政治的・社会的なインパクトは法的に特定できるほど明確なものではないし、なのに無理矢理に動機を決めつけることは戦略上・安全保障体制としておよそ有益なことではない。

なによりもテロは要するに「一発勝負」だ。一回限りの、一回しか使われないスキームについて組織化された構造を事前に特定・立証なんてまず限りなく不可能に近いし、もちろんアメリカ連邦法の「共謀」は「内面を裁く」法として、思想信条に関わるものとして使われてもいない(そもそも連邦憲法違反になる)。

国際組織犯罪防止条約で求められたものは、日本の国会でさんざん議論に時間が費やされた(浪費された)「犯罪者集団」と「一般人」を区別というか差別するものでもなく、ましてや「治安維持法」的なものでもまったくなかったはずだ。

アメリカ連邦法の「共謀」はこういうものではまったくない

では日本政府はなぜ、あたかもそういう誤解をわざと招くような議論を続け、「そういうものではないので安心して下さい」を具体例を挙げて説明することをまったく怠りというかむしろ意識的に避けて来たのだろうか?

なぜ法文も、共謀の定義と立証のハードルを明確にしていないのだろう?

このままではおよそ非現実的な犯罪計画の設定ですら、文字通り「話し合っただけで有罪」になりかねない。

かつては自民党の重鎮が「居酒屋で上司を殴ってやると言い合ってるくらいでは逮捕しないから安心して」とか言いながら、なぜ逮捕されないで済むのかの説明はまったくなかったし、今回は「準備行為」がなければと構成要件のハードルをあげたように見せかけながら、その「準備行為」の定義が曖昧過ぎてかえって危険視される(「ビールとお弁当を持って行けば花見で地図と双眼鏡を持っていればテロの下見で準備行為」なる珍答弁もあった)ようなやり方に終始している。なぜなのだろうか?

なぜ国連人権理事会の特別報告者から「プライバシー保護の規定と歯止めのシステムはどうなってるのか?」と訊かれただけで、妙にヒステリックな感情的反発で抗議なんてしながら、いつまで経っても回答も、公式の英訳も提出しないままなのだろうか?



政府が「テロ対策」だなんて噓をつかずに、たとえば女の子を暴力で誘拐して麻薬漬けにして心身を支配して売春をさせる組織があっても、売春をやらせていちばん金を儲けている首謀者が誘拐しろと命令していなければその罪は問われないで済んでしまうのが現行の「共同正犯」だから、というような、本来の国際組織犯罪防止条約で求められていることをちゃんと説明していれば、基本線では納得されただろうし、そこでプライバシー侵害などをどう防止するのかについても、まともな議論が出来たはずだ。

なお日本には既に暴力団対策法があり、組織的犯罪集団との経済取引を禁じる条項が、昨今ではどんな契約書でも(不動産売買でも、携帯電話でも)明記されている。国連TOC条約への加盟条件はこの暴対法があれば、ないし若干の改正で、十分に満たされるのではないか?

なのになぜ、近代法治主義ではそもそも無理な「内面を裁く」法律だと思わせようとしたり、法的になんの意味もない「一般人には適用されない」論を延々と繰り返したのか?

「共謀罪」が最初に議題になったときからこれは奇妙だったし、安倍政権の国会強行突破のやり方に至っては、まったく不可解な乱暴さとしか言いようがない。



この新法が施行された今、警察の幹部は「現場ではほとんど使えない」と取材に対して漏らしている

それはそうだろう。

共謀罪の概念がアメリカなどにあったり国際組織犯罪防止条約で求められたりするのは、日本政府が主張して来たような「犯罪を未然に共謀段階で取り締まるため」ではないし、そんなことは現実の警察捜査のシステムではまず無理だ。

まして一発勝負のテロの防止で「共謀」が立証できるレベルの情報収集を未遂の、事前の段階で達成するなんてのは現実には限りなく不可能に近い。

ただし実際の法文があらゆるポイントが曖昧なザル法なので、山口組が銃刀法違反を「警察に殺人目的とでっち上げられ、他の組員、幹部、さらには親分クラスが共謀罪に問われるケースも起こりえる」と危惧していることが、政治運動や社会運動、市民運動についても起こることは危惧される。 
それこそツイッターでの呼びかけに応じていわゆる「反韓デモ」に抗議したり、安保法制の強行採決に反対して国会前に行って知り合ったどうしが、その後お花見に言ったら、「ビールとお弁当を持っていたらお花見、地図と双眼鏡ならテロの下見」との言いがかりで逮捕され得ることすら、法務大臣が国会で明言してしまっている。

アメリカで連邦法に基づく捜査を行うFBIでも、立証し摘発して来たのはほとんどの場合、既遂の犯罪や犯罪性のある取引やオペレーションが継続的に行われているケースで、動機も要は「金儲け」などのはっきりした利害関係が立証可能だからだ。

『ウルフ・オブ・ウォールストリート』では「共謀」がFBIによる違法取引検挙の切り札に

国際組織犯罪防止条約がこの概念の導入を求めているのも、国境を越えたマネーロンダリングや薬物密輸、人身売買、組織的横領、インサイダー取引などなどへの対応だ。ならば日本でもカジノ法が出来たので、日本のIRでの賭博の上がりをシチリアとアメリカ本土に本拠があるマフィアがピンハネしているような状況を取り締まるためには、この条約の締結と「共謀」概念の慎重な適用は、確かに必要になるのかもしれない。

では安倍政権は、カジノ法の強行採決を受け、日本のカジノが犯罪の温床になることを抑止しようと、立法を急いだとでも言うのだろうか?それだったらまだ法の必要性にも一定の具体的な説得力が出ただろうし、法文にも犯罪性のない日常生活を除外し組織的犯罪行為のみを捜査対象にする線引きがしっかり書き込めたはずだ。

ところが和製「共謀罪」は、そういう抑制の効いた法論理になっていない。

だから逆に言うと動機の立証があやふや過ぎて、警察の現場ではどう使ったらいいのか分からなくなってしまう。

政府が説明しているようなことだと「動機の共有をする複数人による共謀」なので、「それぞれに、様々な段階で金儲け」になっている組織犯罪には使いにくかったり、どう立証できるかが分からず、ならば現行法では違法捜査になる(たとえばGPS捜査に関する最高裁判決の判例)手段を使わなければならなくなったりする。通信傍受法も大幅に改正して権限を拡大しなければ、政府・自民党が求めているような「共謀」の立証はできないだろう。

なぜ、日本政府は「犯罪防止のために内面を裁く法律」みたいな、思想犯の逮捕処罰を匂わせるような「誤解」をわざと放置したあげく、ついには「テロ防止」とまで言い出したのか?

単に世論を騙して通し易くするとか、熱烈支持層が「中核派はテロ組織の犯罪集団で、民進党の議員には中核派との付き合いが学生時代にあったヤツがいるから、これで民進党は全員逮捕だザマーミロ」とツイッターかなにかで言い合っているネトウヨ層を満足させるため、というだけでもないように思われる。



なぜ政府がわざと「誤解」を招くようなことを言い続けて来たのかと言えば、それが「誤解」ではなく自民党の一部が本音でそういう治安維持法的なものを求めているか、それが適わないなら、せめてそういう「誤解」を蔓延させて国民に圧力をかける意図があるのではないか?

つまり安倍政権は一連の強引な国会対応で、「国際的な組織犯罪ネットワーク(あくまでマフィア的なもので政治集団は除く)への対応」ではなく「第二の治安維持法」のように、わざと見せたがったのではないか?

金田法務大臣が固執した「一般人には適用しない」というナンセンス(そもそも「一般人」なんて法的に定義しようがない)も、国民を萎縮させつつ、その差別意識を煽動しようとしているのではないか?


安倍にしてみれば、いわば「こんな人達」に対する脅迫、威嚇として、あたかも政治弾圧も可能に見えそうな法として共謀罪を成立させたかったから、わざと「テロ対策」と噓も言ったのではないか?

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