最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

2/03/2018

貴乃花にいったいなんの「改革」を期待するの?



さっぱり理解できないのだが、今週の最大の国内ニュースは相撲協会の理事選挙と貴乃花が出馬して落選したことらしい。

通常国会が始まっていて茂木大臣の稚拙で杜撰すぎる「線香と衆院手帳」公職選挙法違反と、豪快過ぎる法の抜け道へ理屈の言い訳が炸裂し(加計学園からの迂回献金の手口を自白した上で「違法じゃない」と言い張った下村博文よりもっと凄い)、森友学園スキャンダルでは先代の理財局長の国会答弁がまるで虚偽だったことを財務省の新しい理財局長が告白してしまい(やっぱり記録は残ってたじゃんか)、経産省のスパコン補助金詐欺への安倍政権の関与疑惑もあり、その詐欺企業の顧問に居座っている安倍オトモダチ・ジャーナリスト山口敬之の準強姦事件を政権が警察にもみ消させた疑惑も質問され、首相が答弁でしどろもどろになってヒステリーを起こしてあり得ないデタラメを言い張ったというのに、TV報道でニュースになったのはほぼ、茂木の線香の話だけだ。

だいたい、この山口敬之の準強姦事件(というか逮捕状の名目が準強姦なだけで捜査当局の狙いは睡眠薬レイプの極めて悪質な強姦)に至っては被害者の伊藤詩織さんが記者会見まで開き著書で訴えていても、事件自体がまったく電波に乗って来ていない。 
アメリカではセクハラ被害を受けた女性達が #MeToo と声を上げたことが大きなうねりになっていて、映画賞の授賞式でも連帯が表明された、というニュースは報道しているのに、である。

家計消費の動向でエンゲル係数が上がっている、という国会での野党の指摘に対する、総理大臣の「食生活の変化」という珍答弁だけでも、第一次安倍政権や麻生政権の時代だったらワイドショーが大騒ぎになっていたレベルの失言だが、ニュースがひたすら相撲協会の理事選一色なのは、なんとも奇妙だ。

表面の事象だけで見ても、スピン・コントロール報道としか見えない。

犯罪捜査の常道ではある行為や不自然な事態の発生でもっとも利益を得るのは誰かを元に被疑者の絞り込みを進めるものだが、ちなみに貴乃花側に首相官邸が働きかけられる人脈パイプは極右カルト人脈まで含めていろいろあるのも当然で、また首相官邸がメディアに裏でも表でもさまざまな圧力を掛け続けているのが現政権の特徴であることも一応指摘しておく。

いやなにが不自然といって、はっきり言ってほとんどの国民になんの関係もない相撲協会の理事選挙がいかにも大問題かのように誇張されるのは不思議だし、貴乃花が負けるのが分かっていながら「投票にしなければいけない」とか言って立候補したのも、この話題を出来る限り大きくして、いわば「ワイドショー独占」状態を作り出すため(イコール国会のことが極力報道されないようにするため)じゃないか、とすら思えて来る。

いやなにせ、貴乃花がなぜ出馬したのか、動機がさっぱり理解不能な上に、その理解不能さをずいぶんとバイアスのかかった報道姿勢がうやむやに誤摩化しているのも異常だ。

客観的な事実だけ見れば、貴乃花は自分がリーダー格の一門の親方衆が一生懸命「馬鹿なことは止めろ」と制止しているのに、みんなは一門で立てることに決めて一本化した候補の阿武松親方に投票すればいいと言い放って「孤高」を気取った身勝手を貫き、投票日の前日にも一門の親方衆が3時間もかけて立候補の取り下げを説得しようとしても頑として耳を貸さず、そこまで我を張るからにはなにか勝算の腹案でもあったのかと思えば、逆に一門の内部にすらすっかり愛想をつかされたようで、阿武松にも投票しなかった親方が2人も出たという、あまりに無様な結果だった。

なんとか当選した阿武松が貴乃花を「友人であり仲間だから、一生懸命仕事をさせて頂く」という妙に奥歯にモノでも挟まって前後が文脈的につながっていない不思議なコメントが、なんとも意味深に響く。

ところがもっと驚くことがある。

日馬富士の暴行事件の発覚以来、かわいい弟子のはずの貴ノ岩が被害者なのに自分が勝手に被害者ぶって、肝心の負傷した弟子はまったくないがしろでロクに病院にすら行かせないでおいて「マスコミが殺到していて行けない」と言い訳にならない言い訳をしてみたり(相撲の親方なら弟子の身体がいちばん心配で、治療が最優先のはず)、貴ノ岩の事情聴取にも応じず(真相を明らかにしたいならすぐに応じて、聴取に自分も立ち会えばよかったはず)、もうひとりの愛弟子のはずの貴景勝のめでたい三役昇進会見はなんと親方がサボタージュして1人で会見をやらせ、表向きはひたすらマスコミ相手にダンマリを決め込むかと思えば、裏ではこの騒動の報道をなんとか長引かせようとあの手この手の姑息なやり方でリーク情報を小出しにしてひたすら混乱を助長させ…奇行であるだけでなくおよそ相撲の親方としての職業倫理に反するような態度しかとって来なかった貴乃花が、理事選で勝つだろうし勝つべきだと思っていたマスコミ関係者や街頭インタビユーを受けた一般市民が大勢いる。むしろそっちの方が圧倒多数派の貴乃花全面支持で、この結果を嘆いたり驚いたり相撲協会の悪口に熱中しているのだ。

その一方で、貴乃花の無責任極まりない奇行にひたすら振り回されながらも、現状の相撲協会として出来る限りの良識的な対応はやって来て(むろん問題がないわけではないが、後述するようなこの団体の特異な性格からすれば、ここまでやるだけでも相当に大変だ)、協会というか相撲界の体質を少しでも変えようと地道に努力して来た八角親方が、ひたすら悪者扱いなのも不気味だ。

だいたい理事長として対応については最高責任者にはなる八角でも、一連の不祥事についてまったく当事者ではない。いやそもそも、「相撲協会で不祥事が相次ぎ」ではないだろうに。不祥事が起こり続けているのは個々の力士と立行司、そのそれぞれが所属している部屋であり、つまり「相撲界」の不祥事だ。

「協会の隠蔽体質」だから貴乃花を支持? いったいなにを言っているのだろう。

日馬富士の暴行事件と、先月発覚した2014年に春日野部屋で起きていた深刻な暴行傷害事件、いずれも公表が遅れた最大の原因であり、つまり隠蔽の責任者というか主犯は、どう考えても貴乃花だ。

春日野部屋で2014年に起きていた暴行傷害事件(すでに加害者は有罪判決を受け引退)も、春日野親方は協会に報告はしていた。では隠蔽したのは誰か? 当時は危機管理部長として担当の最大の責任者だった貴乃花であり、理事長だった北の湖だ。

ちなみに当時、その貴乃花とタッグを組んでいた危機管理委員会担当の顧問(春日野が直接報告した相手)は、裏金と横領で協会を解任され、訴訟も起こされているが、北の湖に取り入ってずいぶん協会のダークサイドを牛耳っていたらしいこの人物を、八角が解任しようとしたらた猛反対したのが貴乃花だ。

2017年10月26日深夜に起きたという、日馬富士が貴ノ岩を殴って怪我をさせた事件が、11月に入っての九州場所3日目まで隠蔽されて来たのは、巡業部長として現場の直接責任者だった貴乃花がちゃんと対応せず、協会への報告も怠って来たからだ。報告を受けておらず事件を把握していない協会執行部が対応できるはずがない。

「弟子が被害者」と言うのならなおのこと、協会への報告を怠って鳥取県警に被害届を出しただけというのも不可解だが(そんなに弟子が傷害を受けたのが腹立たしいなら、協会にも厳正な処分を求めるのが筋、それを黙っているだけでなく噓をついて隠しておいて、なにをやってるんだ?)、貴乃花から報告を受けていない協会側が事件を隠すもなにも、鳥取県警も公表の判断をしていなかった以上、貴乃花以外にマスコミに訴えて事件を公的に明らかにできた立場の人間はいない。それをやらなかった、つまり何重もの意味でこの事件を隠蔽したのは貴乃花だ。

「貴乃花親方は協会に隠蔽されるのを恐れた」とか、いったいどういう荒唐無稽な憶測・忖度の貴乃花美化なのか? まず報告していないでおいて「協会が隠蔽」とは意味不明だが(隠蔽する事実をそもそも把握していない)、もし協会が隠蔽しようとしたのなら、貴乃花本人が協会に無断でマスコミに言えばよかったことだろうに、三週間も経ってから関係者を通してスポーツ紙にリークしたことだけ。最初からやり方がいかにも姑息で不正直だった。

マスコミの皆さんはまったく滑稽だ。個々の不祥事それ自体は「相撲協会の体質」の問題ではなく、事件を起こした力士なり行司の個々人であり、それぞれが所属する部屋の体質の問題であって、協会の体質ではなく相撲界の体質であり、日馬富士事件をめぐっては人種差別の排外主義も露骨であり、それを「伝統」だ「日本の文化」だと言って守りたがっているのが貴乃花だ。

協会の体質で問題なのは、実際の権力はそれぞれの部屋や一門が握り、その部屋の問題に協会が厳しい態度で臨めるだけガバナンスが行き届いていない、執行部にそんな権限・権力がないことだ。

既存の相撲界のこうした体質について、八角体制ではいろいろ頑張ってはいてもまだまだ監督不行き届きの部分が多過ぎる(というか、執行部にはそこまで口出しができない)のは確かだが、その監督不行き届きの最たるものが「貴乃花の造反」だろうに。

そんななかでも、たとえば宮城野部屋所属の立行司のセクハラ問題は、報告があってすぐにマスコミに公表したのが八角の執行部ではないか。

いったいどこに「隠蔽体質」があるのかと言えば、各部屋はごく自然な反応として、その内部の事件や所属する人間の起こした問題は出来る限り隠そうとする。

力士も行司も相撲協会に雇用されているというのは形ばかりのことで実際には各部屋にそれぞれが所属し、部屋と親方が一門を形成し、その上にほとんど形ばかりで乗っかっているのが「相撲協会」でしかないのが、公益法人化してもほとんど変わっていない実態だ。しかも貴乃花が一生懸命に煽動してマスコミがそこに無節操に乗っかって来たように、部屋や一門どうしでの主導権争い・勢力争いの派閥抗争的なものがあれば、協会として各部屋の内情に口を出すことはますますタブーのようになって行く。

こうしたそれぞれの一門や部屋の事情に忖度することよりも、情報公開と透明化をなんとか押し通す姿勢を貫こうとしているのは、このセクハラの件を見ても明らかに八角の執行部だ。日馬富士事件でも真相を協会が把握するのには貴ノ岩の事情聴取が当然必要なのに、妨害し続けたのも貴乃花だ。

春日野部屋の障害事件は北の湖体制下で、貴乃花が北の湖と共に不祥事の隠蔽に尽力して来ていたし、それも彼の場合は部屋や一門の体面というより、相撲界全体を独自の精神論で美化したいがためという、更なる動機がある。

日馬富士の暴行事件を何週間も経ってからマスコミにリークできた者は貴乃花とその周辺以外にはいないが、この時も当初の報道はわざと高校の恩師との食事会ではなく「モンゴル会」という誤った情報で報じられ、意図的に日馬富士や白鵬らモンゴル勢を貶めようという意図がミエミエだった。一方では巡業部長の貴乃花がことあるごとにモンゴル出身力士を仲間はずれ扱いして来たこともそれなりに有名な話だ。


相撲協会は別に隠していないからスポーツ紙には出るが、テレビや一般報道はひたすらもみ消しというか無視に走って来た。 
巡業の移動バスが貴乃花の命令で、白鵬を置き去りに出発してしまったといういかにも子供っぽい珍事は、この事件の発覚のだいぶまえにスポーツ紙などでは報道されていたが、テレビがこの事件に触れるとなぜか白鵬が悪者にされている。 
普通の先進国なら、逆に「人種差別だ」と非難囂々になっておかしくない一件だった。


だいたい、部屋こそが相撲界のなかの権力の主体で、協会の実態は部屋と一門の集合体、執行部はその微妙なバランスの上に乗っかっているだけ、というこの業界の体質をあまりにあからさまに象徴しているのが、マスコミの皆さんが大騒ぎして票読み分析に熱中して来た「理事選挙」ではないか。

まさにあなた方が報道している通りなら、一門ごとに投票先が予め決まっている出来レースの形だけの「選挙」でしかないわけで、そこで貴乃花が立候補したら投票になるから貴乃花は偉いって? そういうのを普通の世間では「ガス抜きの誤摩化し」という。

しかもそうした一門の内部でさえ話し合いや合意形成がちゃんと出来ずにリーダー格の親方の独裁的な専横というか身勝手がもっともまかり通っているのが、他ならぬ貴乃花一門だ。

公益法人化した相撲協会ではすべての力士は協会が雇用する形にし、各部屋と協会が力士の養成契約を結ぶことで少しでも透明性を確保し、部屋の内部の暴力沙汰などで力士の権利を守る体制を作ろうとして来てはいた。ところがその契約を拒否し続けて来たのが貴乃花部屋だ。

弟子には他の部屋との交流を禁じ、自分への帰属意識を押し付け続けている。個々の部屋が協会のガバナンスを拒否していては、部屋の内部で親方が独善的な独裁を敷くことも避けられない。そうした体質が、暴力事件などの不祥事の温床になって来たのが相撲界の問題で、貴乃花部屋こそがそうした歪んだ体質の問題がもっとも極端な部屋ではないか。

いったいどんな「改革」を、こんな貴乃花に期待しているのだろう?

投票日の前日に貴乃花がブログを更新すると、そこに「改革にかける思い」を勝手に忖度して想像たくましくするのも結構だが、あんな見え透いた美辞麗句でなにが言いたいのか分からない薄っぺらなものを、よくもまあ「所信表明」扱いできるものだ。

貴乃花はそこで「公益法人は誰のためなのか」と思わせぶりに言っているが、貴乃花はなぜはっきりと、自分はなにが「公益」だと思っているのかを言わないのだろう?

部外者ではなく相撲の世界の内部にいる親方衆や力士の誰が、今さら貴乃花のいう「改革」や、その主張する「日本文化」としての「相撲」、「角道」とやらの精神論を本気で信じられるかといえば、いかに伝説の元・平成最強横綱(朝青龍と白鵬に抜かれているが)で、力士としてはほとんどカミのような存在だった過去という強烈なカリスマ性があっても、今や相当に難しいだろう。

貴乃花がこれまで、審判部長や巡業部長という、部屋の利害を超えて透明性を徹底させ、全力士を公平に扱わなければいけない要職にありながら、部屋や一門どうしの確執ですらなく自分の好き嫌いだけでモンゴル出身力士を露骨に冷遇して来たのも、そのモンゴル出身力士をそれこそ我が子のように大事にして来た師匠の親方たちには、ただの人種差別にしか見えまい。

そんなレイシズム丸出しで嫌悪して来たモンゴル人横綱の1人、日馬富士を攻撃できる土俵外乱闘の好機と見れば、口先だけ「親方にとって弟子は我が子同然」と主張しながら、その肝心の「我が子同然」の弟子もモンゴル人だから病院にも行かせず、力士としての将来を潰そうとして来たのも貴乃花だし、被害者として協会にしっかり自分の被害を証言することも邪魔し続けた。

自分がさんざんマスコミの好奇心を煽っておきながら、そのマスコミを言い訳に身体こそがいちばん大事なはずの弟子(と言って、貴乃花にとってはしょせん「外国人は取らない」方針を両親が亡くなっているみなしごだからおめこぼし対象にしただけ)を病院にも行かせず、窓を目張りしたプレハブの宿舎の薄暗く不健康な環境に軟禁状態(当然、その前にはマスコミが殺到して常時待機になる)にして精神的にも追い詰めて、番付降格どころか処罰対象になるのは分かっているのに診断書すら出さなかった。

これでは貴ノ岩に親心を感じて守ろうとしているのが協会執行部で、貴乃花が「親方は親も同然」というのなら、まるでDV児童虐待加害者の鬼親ではないか。


もともと「相撲は日本の文化」の「角道」だから外国人力士は取らない、と公言していたのが貴乃花で、貴ノ岩は両親が亡くなっているので例外というのも「親心」の「温情」というより、モンゴルに家族がいないからいわば「日本人化」の洗脳ができると思い込んでいるのも貴乃花だ。貴ノ岩が日本史…というか戦国時代の上杉謙信(ナゼか貴乃花の憧れ)について一生懸命に貴景勝に教わっている姿も目撃されている。 
それは日本の歴史も勉強はしてもらった方がいいとはいえ、なんで戦国時代なんだか。大相撲は江戸時代の発祥だろうに。 
…というか、貴乃花部屋の「愛弟子」になるのには自分のアイデンティティである「モンゴル」を否定しなきゃいけないって、それ普通に心理学や精神医学では「虐待」、政治学や社会学では「人種差別」「植民地主義」と言います。


普通に相撲の伝統をほどほどに守って来た普通の親方たちからすれば、「ちょっとついていけない」と思うであろうことはまだまだある。

まず相撲部屋は確かに家族同然、弟子は親方にとって我が子同然なのが、現代の日本ではいささか時代錯誤で若い子たちには敬遠されるであろう相撲の伝統だ。それでもだからこそ、親方とその妻の「おかみさん」は部屋で弟子達と同居して、10代の入門したての新弟子にとって文字通り親代わりにならなければいけないはずだ。

しかし貴乃花部屋は、そうではない。父の二子山親方(先代貴乃花)から引き継いだ中野区の自宅兼部屋はなぜか引き払い、自分とアナウンサー出身の美人妻は品川区のマンションでセレブ生活を満喫し、江東区の貴乃花部屋はいかにもみすぼらしい。

十両にあがった新弟子が会見で、喜びのあまりに思わず漏らしてしまったのだが、昇進が決まったときに親方がわざわざ「部屋に来て報せてくれた」のが嬉しかったのだという。なんなんだそれは?そんな相撲部屋があっていいはずがない。

だいたい親方の名跡として「貴乃花親方」を新設し、部屋も「貴乃花部屋」で所属力士の四股名に自分の「貴」を通り字にした独特の、親方の自意識過剰な自己ブランド化アピールが露骨なのも、およそ相撲の、そして日本の伝統に反する。まず父の部屋を引き継いだのだから「藤島」か、父が叔父から継いだ「二子山」の由緒ある名を継ぐのが「日本の文化」や「伝統」を守る普通の姿勢のはずだし、自分の名前を弟子に押し付けるか普通?

ここで逆に気付くのだが、マスコミや一般社会の妙な貴乃花びいきは、彼が美男の人気横綱だった時の「貴乃花」をそのまま名乗っていることも大きい。敵役にされている八角親方が、昭和後期の大横綱・千代の富士の弟弟子で、腰痛とヒザの怪我に苦しみながら実直に頑張って、派手なスター性はなくともそれなりに世間の共感を得た横綱・北勝海だったことは、この一連の相撲協会バッシング報道に熱中しているマスコミ関係者の大多数の頭の中ではまったくつながっていないのだろう。

対照的にその人々の頭の中で、貴乃花親方は相変わらず即イコール、あの美しかった平成を代表する横綱・貴乃花のままだ。

逆に言えば現役当時は横綱で相撲界の表の主役でも、だからこそ引退して親方になれば、名前を変えて裏方に廻って現役力士を支えるというのが相撲界の伝統なのに、貴乃花はそこにまったく反している。

貴乃花は例のブログ更新で「誰のための公益法人なのか」と偉そうに中身のないことを言っているが、日本の文化と伝統の常識で考えれば、相撲取りとその相撲を楽しむお客さん(=国民)のために決まっている。だが貴乃花の行動や言動を見ていれば、彼にはまったくその意識がない。現役の力士を支えるのではなく、平成前半の大横綱で国民的スターだった自分こそが主役という意識があまりにも露骨だ。


そんな貴乃花を身近に、同じ相撲の業界のなかで見ていれば、今回の一連の不祥事における行動は、いかにかつての希代の天才力士で大横綱で現役時代を知っている元力士(つまり多くの親方たち)にとっては神のようなカリスマでも、さすがにもうついて行けないレベルの異常な自意識過剰に見えて来るだろう。


一般の街頭インタビューでも、まともなことを言う人もたまにはいた。「改革、改革というけれどなにをどう改革したいのか分からないから信用できない」とはまさにその通りで、改革の中身についてなにも言っていない貴乃花に「相撲界を改革してくれる」を勝手に期待する方がおかしい。

いやブログに書いているじゃないか、と言い張るシンパもいるかも知れないが、「公益法人」だから「公益」と繰り返しただけで、その「公益」がなんなのかがさっぱり分からないのがあの文章だ。そんなあやふやで意味不明な話で「改革」とか言われても、信用する方がおかしい。

しかも貴乃花にとっての「公益」がなんなのかは、これまでの彼の言動からすれば簡単に分かることだ。なのにマスコミがそこには言及せずに、妙な「改革」の期待を貴乃花に寄せ続けるよう視聴者を煽っているのは、この人達もひどい二枚舌の隠蔽体質の噓つきなのではないかと疑いたくなる。

いやだって、貴乃花にとっての相撲の「公益」性とは、極右カルトの「國體(国体)」でしょ?

九州場所の打ち上げで、貴乃花が「國體を支えて行く大相撲」と発言したことなどは、マスコミでも音声を入手して報道していたではないか。ワイドショーによっては貴ノ花が明治的国粋主義の(教育勅語の相撲版めいた)「角道の精華」を信奉していると報じていた番組もあるし、「相撲は神事」だとカルト的な信仰告白なら貴乃花が随所でしていることはマスコミだって十分に承知の上だろうに、なにを誤摩化しているのだろう?

ちなみにこんな文面なんだそうで、昔は新弟子の相撲教習所で暗唱させてたんだそうな。

技を磨き心を練る 春又秋 
文を学び武を振い 両つ(ふたつ)ながら兼ね修む 
阿吽の呼吸 君知るや否や 
角道の精華 八州に輝く

まあ読んで字の如くの内容というか、まったくたいした内容はないというか「君知るや否や」辺りはさっぱり意味不明だし、「八州」は一応は日本列島を意味して使われることもあったがずいぶん旧い表現で、大相撲が成立した江戸時代なら「八州」はふつう、関八州(武蔵、相模、上野、下野、安房、上総、下総、常陸の八つの国)を指す。

まあ要するに「強いだけじゃダメだよ」的な精神論はいいのだが「文武両道」って相撲取りに「武」はいかにも場違い、というくらいの感想しか浮かばず、まあこれ自体はかなりどうでもいい薄っぺらで月並みなお説教に過ぎない。

ただそれが、貴乃花はこれを受けて、こんなことまでメールに書いてるんですよ? それも安倍さんの極右人脈でもある暴力団関係者の、元は真言宗らしいがカルト単一宗派の自称「法主」宛に。

国家安泰を目指す角界でなくてはならず“角道の精華”陛下のお言葉をこの胸に国体を担う団体として組織の役割を明確にして参ります。 
角道の精華とは、入門してから半年間相撲教習所で学びますが力士学徒の教室の上に掲げられております陛下からの賜りしの訓です、力と美しさそれに素手と素足と己と闘う術を錬磨し国士として力人として陛下の御守護をいたすこと力士そこに天命ありと心得ております。
(AERAの記事より抜粋) 

あちこち日本語が文法的におかしいのはともかく、まずどうも「“角道の精華”陛下のお言葉を」というのはこれが相撲界が明治天皇から賜った言葉だと言いたいらしいが(それでその貴乃花的読解が教育勅語&軍人勅諭めいているのだろうが)、そんな根拠は見当たらないし、まあたぶん噓でしょう。

それにこれを読んだってどこにも相撲の力士に「陛下のご守護」なんて頼んるように読めませんし誰も頼んでません。それは伝統的に武士の仕事だっていう。

国芳 頼光大江山入之図 嘉永6(1853)年
国芳 大物浦平家の亡霊 嘉永3(1851)年

日本の相撲はこと江戸時代に興行化されてからは世界的にもかなり特殊な格闘技で、まったく戦闘訓練とはかけ離れています。取り組む力士同士と行司の3者、さらに理想としては観客まで含めて息が合わなければ試合が始まらないなんていうのは、およそ「敵を倒す」競技ではありません。

北斎 鬼面山谷五郎 出羽海金蔵 江戸時代18世紀
北斎漫画より

これは「和」つまり協調性と共感能力が前提で神を楽しませることを言い訳に人間が楽しみコミュニティの結束を強める機能を持つ、いかにも日本的な「お祭り」です。

国貞(三代豊国)一陽来復酉の市 万延元(1860)年
役者に大工に芸者など当代一の人気者たちの中には力士も

唯物論的な歴史学の見地では相撲は見せ物興行以外のなにものでもないが、文化人類学と宗教学から言えば、ある意味では貴乃花の言うように「相撲は神事」である面は確かにあり、だからこそ「横綱は神」にも見えるのは、分からないではない。

岩手県・黒石寺の蘇民祭(無形民俗文化財)

ただしより厳密には、日本のカミ信仰で「神事」というのは要するにお祭りであって、大相撲はその典型だ。

勝川春好 江戸三幅対 谷風 六代目市川団十郎 扇屋花扇

祭礼だからこそ “異形” の者たち(つまり日常から逸脱した姿や身体を持つ存在)に力士がなるのであり、こう言うと現代の価値観では差別的に思われかねないが、それこそが本来の日本の伝統でもあった。


キリスト教世界では人間は神の創造物なのでもっとも均整の取れた標準的かつ理想的な肉体が善とされ(まあここは、元々はキリスト教よりも実はギリシャ思想)、だから奇形や異形は悪魔にもつながる「悪」なのだが、もともと「悪魔」などの「悪」の宗教表象の概念がない日本では、異形であることはそれだけ神に近い、ないし神を宿す可能性を持つ神聖なものとみなすのが精神的な伝統だった。

二代鳥居清倍 惶弓勢源氏 目黒不動明王 市川海老蔵 市川團十郎 中村傳九良 18世紀

相撲がその宗教的・文化的な文脈にあるという意味では確かに「神事」というか「お祭り」であり、その意味では大相撲と並行して江戸時代に発達した歌舞伎にも通じる。

言い換えれば「横綱が神」というのは、団十郎に正月の舞台で睨まれると厄払いで一年を健康で暮らせる、というような意味でだ。

国貞 七代目市川団十郎の文覚と五代目松本幸四郎の不動明王 19世紀

「横綱=神」なのではなく、横綱は神が宿る特別な肉体で、だから「横綱」という名称の語源の通り、その腹には大きなしめ縄が巻かれる。

上野東照宮 樹齢600年の楠のご神木

貴乃花が上杉謙信に憧れて自分を毘沙門天の化身と思い込んでいるのは、宗教学や文化人類学の見地から見ても、さすがにちょっとイタい勘違いでしかなく(ちなみに歴史学的に言えば、上杉謙信は時代錯誤な権威主義者の相当にイタい戦国武将で、天下に覇を唱えるのに失敗したのは人望を得られない独りよがりな権威主義人格の自業自得)、横綱の腹にしめ縄が巻かれるところのカミというのは、毘沙門天(四天王の多聞天)のような仏教の護法神というよりは、日本古来の「ご神木」的な自然神だろう。

国貞 八代目市川団十郎の揚巻の助六 万延元(1860)年
正月にこの目で睨まれると一年を健康に暮らせるらしい

こうした本来の精神的伝統は、明治以降の近代化つまりは西洋化・西洋模倣のなかで敵視され蔑視されるようになり、日本的で東洋的なものを日本人自身が「野蛮」「迷信」として排除されて来た。相撲興行の専門館を建てるときに「国技館」という名称を思いついたのも、相撲が下賎で野蛮な見せ物で外国人に見られたら恥ずかしい的な意識が蔓延していたのをなんとか払拭するためだった。

国貞 五代目市川団十郎の景清 文久3(1863)年

で、「陛下の御守護」ですか…。いやまあ、たとえば崩御した天皇の遺骸に触れたり運んだりできるのが八瀬童子だけという伝統みたいな意味では、その息を合わせたぶつかり合い自体が祭礼となる宗教的な異形の肉体である力士にも、天皇に関わる霊的な意味性を持たせられないこともないかも知れないが…。


つまり…これまた差別になりかねないので非常に言いにくいことではあるが、八瀬童子は最澄が比叡山を開く際に従った鬼の子孫と伝承され、そういう「先祖は人間外(人間以上)」の由来から、江戸時代の身分制度ではもちろん、いわゆる「えた・ひにん」階級である。 
相撲の力士ももちろん、歌舞伎役者や人形浄瑠璃と同様、江戸時代なら「えた・ひにん」だったのは、こうした興行が非日常(ハレ)の、人間的日常からの逸脱である祭礼の意味を持っていたからだ。 
いや「穢多(えた)」の呼称はともかく「非人」は必ずしも悪い意味では本来なく、八瀬童子が「鬼の子孫」であるように、人間を超えている規格外という意味で「人でない」、神聖で霊的な特殊性を示す意味もあり、この階級が墓守や葬儀などの祭礼と死に関わる職種を独占していたのも、そうした天皇にもつながる特殊な宗教性があってのことでもあった。  
いわばその「元祖」とも言える平安時代の有名な陰陽師でその後神格化・伝説化された安倍晴明も、母は狐の化身だったという伝承がある。 
相阿弥(伝)「竜吟庭」大徳寺塔頭・龍源院 方丈
室町時代 永正14(1517)年 北面庭園 
江戸時代の「ひにん」は系譜的には少なくともこうした平安時代にさかのぼり、室町時代なら「同朋衆」で足利将軍の側近だった。足利義満が寵愛した観阿弥・世阿弥親子が能楽を作り出し、禅と書院造り、茶の湯など、今につながる日本文化の美学の起源といえる義政を支えたのが相阿弥だ。
相阿弥 瀟湘八景図 大徳寺大仙院 室町時代16世紀
「被差別部落」として単なる賤民扱いされるようになったのは、明治以降の近代のことだ。 
能楽は寺社のお祭りで奉納上演された猿楽の発展形で主人公のシテは非業の死を遂げた亡霊で、こうした「死者の語る真相」という演劇形式は後の浄瑠璃や歌舞伎にも引き継がれている。 
伝・相阿弥作庭 京都・青蓮院門跡の庭
「門跡」とつく寺院は親王・内親王が住職を務めた寺
相阿弥が水墨画だけでなく造園や建築でも義政を支えられたのは、土地の特性や地霊に関する特殊な能力があったとも考えられる。 
中世なら「阿弥陀仏」の「阿弥」という称号で呼ばれ、近世なら「大夫」、必ずしも蔑視され低く見られていただけではない。
神田明神の別院である平将門首塚(東京・大手町)
鎌倉時代の徳治2(1307)年に将門の怨霊は「蓮阿弥陀仏」として神格化された


「横綱」に綱、つまりしめ縄が巻かれるのは土俵で取り組む時以外の場でその腹の中に宿るカミが解放されては大変なことになるからだ。

黒石寺 蘇民祭

貴乃花がそういう歴史的な本質まで分かって力士を天皇に関わる特別な存在だと思っているのなら「陛下を御守護」も分からんではないが、それでも、いかに「戦国乱世」で実権を失った足利将軍家の復興を目指したのが上杉謙信とはいえ、武家に憧れて毘沙門天気取りはなんなんだ、ということにはなる。

上杉謙信こと長尾景虎 山形県米沢市上杉神社蔵
元は関東管領・上杉氏の家臣の家系で、その主家が滅亡すると上杉を
名乗ることを室町幕府に認められ、当時は北条家が支配していた関八
州に侵攻。一時は多くの国衆を従え、幕府により関東管領に任命され、
鶴岡八幡宮で就任式を行う。だが帰りの行列で協力者だった国衆にい
かにも傲慢で非礼な態度を取って一気に支持を失い、越後に撤退

貴乃花が「陛下を御守護」というのはどういう意味で守るつもりなのかもさっぱり分からないし、本人もまるであやふやなのだろうが、「カミが腹に宿る肉体」というかお祭り系「異形」身体の力士が「守護」できるとしたら、今でも成田山新勝寺の節分会なら相撲の横綱と歌舞伎の団十郎(団十郎がいないときには海老蔵、この家の屋号「成田屋」は新勝寺にちなむ)が豆をまいて「福はうち」と声を張り上げるような意味での「御守護」であり、そこで「陛下を」が出て来るのもなんともおかしい。

守っているとしたらそれは天皇ではなく、天皇の民つまり一般庶民の安寧のはずだ。

運慶 毘沙門天立像 鎌倉時代・文治2(1186)年 静岡・願成就院蔵 国宝

祭礼で邪気を払い怨霊を鎮めるというのは、武士が武力で「守護」(つまりは殺生、殺人)とはぜんぜん次元が違う話なのに、上杉謙信に憧れて自分も毘沙門天のつもりというのも…。越後の武将・長尾景虎は主家の関東管領・上杉家が滅びるとその姓をもらって上杉を名乗り、「謙信」は仏教の法名だが、自分を毘沙門天の化身とみなしていたらしく、それで貴乃花も毘沙門天を気取っているわけだが、まず毘沙門天ならば天皇とか神道に関わる日本のカミではなく仏教の護法神、四天王の多聞天で元はヒンドゥー神のヴァイシュラヴァナ神だ。

園城寺(三井寺)南院 毘沙門堂 元和2(1616)年頃

仏教の護法神を日本的な「国體」云々の神事で持ち出すにはかなり場違いだが、そこはまあお勉強ができない、お勉強もしていないのに妙に難しい言葉を使いたがる貴乃花ならではのご愛嬌ではある。

「日本の伝統」ナショナリズムを「角道」とやらに仮託するのも、貴乃花はあまりに伝統や文化を知らなさ過ぎて、どこぞで「精進」が「神事の精神」などと言っていたのも、いかにもお勉強もせず基礎教養がないご愛嬌だ。

「精進」は仏教用語、仏教のお坊さんの修行のことですよ。

多聞天(毘沙門天)東大寺戒壇院の塑像四天王
天平勝宝7(755)年 毘沙門天は四天王としては多聞天になる
戒壇院四天王の持国天

それに横綱は、横綱である間だけはカミが宿る肉体であっても、勝てなくなって引退するというのはつまり、カミがその肉体から離れてしまったということだ。

だから引退した横綱は「ただの人」に戻って名前も変えて、人の親・親代わりの親方として弟子を育てる裏方に廻るというのが「相撲は神事」というか「祭事」だからこその伝統であって、今でも自分が神だと思い込んでその「貴乃花」というカミ的な名を自分のブランド化して振る舞っている貴乃花は、明らかに日本の伝統に反している。

それに「貴乃花」という名前がブランド化しているのは、稀勢の里以前では最後の日本人横綱だったからというのが結局はいちばん大きい。その後の相撲界はといえば先々場所の優勝はモンゴル出身の白鵬の通算40回優勝大記録で、先場所はグルジア(ジョージア)出身の栃ノ心で…要は外国人力士の活躍で辛うじて人気を保っているのが今の相撲であることが気に入らないからこそ、「日本の文化」「相撲は(日本の)神事」などを呪文のように唱えているのが貴乃花だ。

唐の様式をそのまま踏襲した兜跋毘沙門天 平安時代9〜11世紀 石山寺毘沙門堂

せめてマスコミの皆さんは、自分達もそういう薄っぺらなナショナリズム(裏返せば人種差別の排他主義)で貴乃花に共感していることくらい、正直に言ってみてはどうか?

木造毘沙門天立像 平安時代12世紀

貴乃花やそのシンパは、「精進料理」という日本の文化すら知らないようだが、そんな日本の常識も抜け落ちているのに「稽古は精進」とか「神事の精神」とか言いたがり妙に四字熟語を連発したがるばかりなんだから、まあ日本人の基本的常識がないのはいかにも安倍晋三の時代のなんちゃって極右っぽい。

木造毘沙門天立像 応保2年(1162)頃
旧中川寺十輪院持仏堂所在
上の写真の像の胎内にあったお札

もっとも、ここでちょっと貴乃花を弁護してあげるなら、前近代の日本では神仏習合が当たり前で、明治維新の神仏分離で強引に分けられるまでは、神社のカミガミは仏教の一部として信仰されていた。


四天王のうち 多聞天(毘沙門天)14世紀 鎌倉時代
中世以降 日本風の兜をかぶった形が一般化する
同じく多聞天 仁和寺観音堂 江戸時代 寛永21(1644)年

出雲系のカミで最重要のオオクニヌシノミコトなら、元はヒンドゥー教のシヴァ神の変容態のひとつである大黒天と同一視されて来たのが日本のカミ信仰の伝統だし、密教の「本地垂迹」説で日本のカミガミは仏と仏教の神々が日本と日本人のために姿を変えたもの、ときちんと教義化もされて来ている。

快兼 大黒天立像 東大寺伝来 南北朝時代・貞和3年(1347)
インドでは戦闘神・破壊神だった大黒天が
日本で豊穣神に変わる過程の像とみなされる
弁財天十五童子像 室町時代15世紀
弁財天は元はインドの水神のサラスヴァーティ
弁財天坐像 鎌倉時代14世紀
日本化する過程で日本の水神の宇賀神を
冠のように頭に載せた造形が定着した

仏教が伝来してすぐに、それまで日本にあったアニミズム的なカミガミの信仰は仏教に取り込まれたのだろうし、仏教の信仰の一部となることでこそ発展して来たのだ。

国貞(三代豊国) 七福神 江戸時代19世紀
恵比寿天以外はすべてインドや中国の神々 
范道生 布袋尊 江戸時代 寛文4(1664)年 宇治・黄檗山萬福禅寺 天王殿
布袋は禅宗では弥勒菩薩の化身とみなされる
葛飾北斎によるお正月の七福神パロディ
弁財天の宇賀神と毘沙門天の宝塔が鏡餅のように床の間に置かれている
広重 名所雪月花・井の頭の池弁財天の社雪の景 江戸時代19世紀

今につながる大相撲の発祥も両国の回向院と深川の八幡大菩薩(ちなみに応神天皇の神格化とされるが元は九州の宇佐地方の農業神で、「菩薩」の称号で仏教の僧の形で表象されるのが普通。なお宇佐八幡宮は江戸時代までは正式には「弥勒寺」だった)の奉納興行なのだから、「相撲は神事」で「稽古は精進」でも、ぐるっと廻って結果論としては、そう間違っているわけではない(それでも「精進」は「神事」でなく仏教の修行ですけどね)。

仏教伝来前の日本の宗教的造形
埴輪「盛装女子」古墳時代6世紀 重文
仏教伝来前の日本の宗教的造形 埴輪・桂甲の武人 6世紀
仏教伝来後 多聞天(四天王のうち)
法隆寺金堂 飛鳥時代7世紀 国宝
観音菩薩立像 飛鳥時代 7世紀
和歌山・熊野の那智山出土
弥勒菩薩半跏像 朝鮮三国時代6ないし7世紀
法隆寺献納宝物 重要文化財
木造如来立像 法隆寺献納宝物 飛鳥時代7世紀 重文
日本のクスノキ製でなんらかのご神木と思われる
中宮寺門跡本尊 如意輪観音半跏思惟像 飛鳥時代7世紀 国宝
半跏思惟ポーズの菩薩像は朝鮮三国時代の流行が
日本にも取り入れられたもので、この像には一方で
寄せ木造りの技術など日本独自の特徴も見られる
半跏思惟像は通常は弥勒菩薩を表すが聖徳太子の生き写し
との伝承から その本地仏の如意輪観音として伝来している
明治21年の文化財調査写真 撮影 小川一真
菩薩立像 飛鳥時代7世紀
神木を使った像の可能性がある
銅造釈迦如来倚像 白鳳時代7世紀 深大寺蔵 国宝
銅造月光菩薩 興福寺東金堂 白鳳時代7世紀 国宝
十一面観音立像 唐7世紀(渡来仏)重要文化財
日本では産出しない堅い黒檀製一木造りのシャープな造形(壇像)
藤原不比等の長男・武智麻呂が唐から持ち帰ったとの伝承

明治の廃仏毀釈まで奈良の談山神社に伝来した
塑造十二神将立像 奈良時代8世紀 木造薬師如来坐像 平安時代初期 新薬師寺金堂 国宝
奈良時代には塑造や乾漆の仏を削り出すではなく造形が容易な仏像が多かった
薬師如来像はカヤ製で腕と手などを除きほぼ一木造り
伝 聖武天皇書写 賢愚経 奈良時代8世紀 通称「大聖武」国宝
日光菩薩 高山寺伝来(薬師三尊の脇侍)奈良時代8世紀 重文
おがくずを漆で煉ったペーストを盛り上げて行く乾漆像は
塑像と同じような自由な造形が可能で奈良時代に流行した 
木心乾漆釈迦如来坐像 8世紀 奈良時代 西大寺蔵 重文
金銅如来坐像 奈良〜平安時代初期 8世紀
神奈川県・松蔭寺蔵
虚空蔵菩薩立像 醍醐寺蔵 平安時代9世紀 国宝
堅いカヤの一木造りの檀像 日本では黒檀が
産出しないのでカヤやサクラで代用された
不動明王立像 平安時代11世紀
硬いサクラ材を彫ったシャープな造形
天王立像 平安時代10〜11世紀
京都府亀岡市・大宮神社伝来

なぜ弥生時代にまで遡るのであろう日本のカミガミの信仰(ちなみに縄文時代の信仰体系は明らかに、地母神信仰があったりしてそれ以降の信仰とは別物)がこうもすみやかに、さしたる大きな問題もなく仏教の一部に取り込まれてしまったのかと言えば、昨年の大回顧展でブームになった運慶の仏像でも見れば答えは簡単だ。

運慶 大日如来坐像 安元2(1776)年 奈良県・円成寺 国宝
2年がかりで製作され、独立した仏師としての運慶のデビュー作と考えられる

伝・運慶作 木造多聞天立像(毘沙門天) 興福寺南円堂四天王 鎌倉時代13世紀初頭
乾漆不空羂索観音立像 塑像日光菩薩・月光菩薩 天平17(747)年
東大寺法華堂(三月堂) 
木芯乾漆千手観世音菩薩立像 奈良時代8世紀 奈良・唐招提寺金堂

乾漆千手観世音菩薩 奈良時代8世紀 大阪・葛井寺
虚空蔵菩薩立像(壇像) 醍醐寺蔵 平安時代9世紀
壇像では木の生地を残し彩色や漆、金箔などは施されない

薬師如来坐像 平安時代 浄瑠璃寺蔵

それこそ貴乃花が憧れる毘沙門天、つまり多聞天を含む四天王の造形でも見れば一目瞭然だろう。エキゾチックで異形でカッコいいから、大昔の日本人にとってはこうした外国から来た神仏のほうが、よりカミっぽく見えたのだ。

男神坐像 平安時代・11世紀 京都・大将軍八神社蔵
仏像の影響で神像も作られるようになったが分かり易いカッコ良さでは…
広目天立像 平安時代11世紀 浄瑠璃寺蔵(東京国立博物館寄託)
不動明王立像 平安時代11世紀
十六羅漢図 迦諾迦伐蹉尊者 11世紀 平安時代 国宝
装飾法華経「久能寺経」 勧持品 平安時代12世紀
待賢門院(鳥羽天皇皇后)を中心とした貴族皇族による写経
平安時代には貴族がこのような豪華な写経を寺社に納めることが流行した
平清盛 平頼盛 紺紙金字法華経 承安元(1171)年
慶算 毘沙門天立像 鎌倉時代 文永8(1271) 年
快慶 僧形八幡坐像 鎌倉時代 建仁元(1201)年 国宝
八幡神は元は九州・宇佐地方の農耕神だったらしいが後に第15代応神天皇の
神格化とされ軍神として崇拝された 通常「八幡大菩薩」の尊号で仏教の僧侶の
姿で表象される なお宇佐八幡宮は明治以前は正式には「弥勒寺」だった
この像は元は東大寺の鎮守社・手向山八幡宮の本尊(現在は東大寺に帰属)
善円 童形文殊菩薩立像 鎌倉時代13世紀
春日大社若宮の本地仏で廃仏毀釈に伴い流出したと考えられている
快慶 文殊菩薩騎獅子像 建仁3(1203)年 奈良県・安倍文殊院 
文殊菩薩 鎌倉時代13世紀
快慶 弥勒菩薩坐像 建久3(1192)年 醍醐寺三宝院

運宗 長谷寺式十一面観音 天文7(1538)年 奈良・長谷寺
高さ10mを超える木造では全国最大
この再建前の長谷寺本尊は同じ大きさで快慶の作だった
釈迦三尊 南北朝〜室町時代 14〜15世紀

散脂大将 仁和寺観音堂 観音二十八部衆のうち 江戸時代

それに仏教伝来以前の日本の信仰には理論的な体系や序列などがほとんどなかったと思われる。いずれにせよ「古事記」以前の文献がなにも残っていないので推論の根拠すらほとんどないのが実情だが、その「古事記」の記述からも、体系化された信仰を読み取ることはかなり難しい。

康円 愛染明王 文永12(1275)年 京都・神護寺蔵

羅漢図 室町時代15世紀
釈迦の弟子である羅漢を通して「修行」の姿を描くが
江戸時代代には神通力を持つように描かれる作例が増えて行く
日蓮宗の熱心な信者だった北斎が描いた日蓮上人
七面大明神応現図 弘化4年(1847) 茨城・妙光寺蔵

一応は太陽神であるアマテラスが最高神とはいえ、もっとも中心的な神話が「天の岩戸」、要するにヘソを曲げて隠れてしまった太陽を呼び戻すためのお祭り騒ぎ(ストリップ?)なのだから、それこそが「神事」であって、貴乃花の言うような「精進」とはあまりに縁がなさそうだ。



むしろなんとなく「異形」で人間を超越すると感じるものが日本人にとっての元々の「カミ」だったのであり、他ならぬ相撲こそ、そう言った古代アニミズムの文化的DNAが残存した文化だとも言える。

国芳 弁慶梵鐘引き上げ 天保15(1844)年

そもそも今もある神社などを手がかりに日本のカミ信仰の大元を辿ってみても、山が神域であると同時にご神体だったり(弥生時代以降、日本には地母神信仰の形跡はないが山岳信仰はものすごく盛んになる)、島がご神体だったり(宗像大社)、巨岩がご神体だったり、滝がカミだったり、要するに人間の生活圏の外の自然と、その中でもより大きかったり並外れていて人間を超越したものに、超自然的ななにかを見て畏怖する自然神信仰の色彩が強い。

福島県飯舘村 比曾、愛宕神社 映画『無人地帯』(藤原敏史監督)より
『無人地帯』より楢葉町の広尾町との町境近くの太田農神社
奈良・春日大社の本殿横 聖なる山である御蓋山を拝む浮雲峰遙拝所
広島県 厳島神社 要するに宮島そのものがご神体
山口蓬春 三熊野那智の御山 大正15(1926)年
要するに那智の滝が熊野那智大社と青願渡寺のご神体

「横綱」つまり人を超えたとしか思えないほど強い力士の腹に神が宿ると考えて、だからそこにしめ縄を張るというのも、こういう発想から来ている。

日光東照宮 奥宮(徳川家康墓所)の神木・叶え杉

早い話が自然がその力を完全に解放してしまえば、川の神が暴れれば洪水だし、地震もあるし、霊峰・富士が大噴火すればその火山灰だけでも太陽光が遮られて大飢饉が起こるのが常だった。

吉田神社 京都市左京区
今出川通りからは広大な吉田山を通って境内に至る

カミがその人間の及ばない力を全面的に解放してしまうと「荒ぶるカミ」となって大変なことになるから、しめ縄を張ったり鳥居で結界を切ったり、神社の本殿を塀や垣で何重にも囲み、その神社を森で囲んでそのなかに穏やかに留まって欲しい、というのが根底にある信仰の構造があり、「神事」つまり「お祭り」とはそのカミの力を時々一部だけ解放して、その開放感をカミを信仰する人達と共有する瞬間になるのが、日本でいう「神事」つまりは「お祭り」だ。

吉田神社末社 竹中稲荷 奥の院
斎場所大元宮 現在の社殿は安土桃山時代 慶長16(1601)年 豊臣秀頼の造営
塀(結界)に囲まれた本殿
吉田神社末社 菓祖神社 お菓子づくりの神様

相撲の「横綱」でも、その腹に宿るカミは土俵での取り組み以外ではしめ縄つまり「横綱」で縛っておかないと、みだりに解放され力を全面的に発散されては、それこそ大変なこと(暴力沙汰とか)になる。

岩手県・黒石寺 蘇民祭

縄文人はいわゆる日本人とかなり別民族と思われるが、その縄文時代の土偶には地母神信仰が見られるのに、日本人の起源である弥生時代以降は地母神信仰がなく太陽神が女性で、そして山岳信仰が盛んになったのも、恐らくはこういう非日常的の大きさの、異形なものへの畏怖が理由なのだろう。

またカミが山であり島であり滝や巨木だからこそ、カミを人造物で表象しようとする発想がなく、神は “見えないが感じる” ものでしかなく、今日の神社でも神が宿る本殿の扉は閉ざされているのが常だ。

賀茂別雷社(上賀茂神社)唐門より権殿 文久3(1863)年
同 本殿側

本殿に入るどころか本殿を見ることすら出来ない神社も珍しくなく、ご神体も鏡だったりする。つまり日本古来のカミは「見えない」神なのだ。

現存最古の神社建築・宇治上神社本殿 平安時代12世紀
山麓に建てられた三つの祠の覆い屋の造りになっている
本殿の内部にこのような祠が三つ並ぶ入れ子構造
山の裾野の斜面を利用して建てられていることが分かる
山の裾野に建てられた宇治上神社
正面から見ると本殿を完全に隠す形の拝殿は鎌倉時代13世紀の寝殿造り
斜面を利用して建てられた流れ造りの本殿 平安時代
春日大社 中門より本殿第三殿 式年造替中でまだカミが戻っていないので
本殿前に入れるが 遷座の儀式が終わるとほぼ完全に立ち入り禁止になる
本殿を囲む回廊には興福寺の僧侶が読経するスペースがある
京都御所 紫宸殿と承明門 安政5(1855)年
日光二荒山神社 拝殿 正保2(1646)年
本殿を直視させない拝殿の中も簾や幕で何層にも区切られている
複数の簾の奥に見えるのが本殿の正面
御所 清涼殿
獅子で守護された天皇の御座所 奥のとばりの内は昼寝などができる休息所

そんな漠然と「人を超えたもの」をカミとして来た古代日本に、理論と体系が目に見えてはっきりしていて、しかもそれが仏画や仏像で視覚化されている仏教が伝来したことはさぞ大きかったことだろう。

加茂御祖社(下鴨神社)東御本宮 拝殿に囲まれ直視はできない
現在の社殿は寛永5(1628)年の式年造替のもの 徳川家光の造営

「神仏習合」は仏教の伝来とほとんど同時期に起こったと考えた方が自然であり、さらには平安時代に密教の、曼荼羅で体系化された世界観が空海によって唐から導入されると、日本のカミガミも「本地垂迹説」によって、日本に合わせて仏が姿を変えた「権現」として仏教理論で本格的に体系的に位置づけられた。

東寺両界曼荼羅 胎蔵界 平安時代9世紀
装飾法華経 第一巻(浅草寺経)平安時代11世紀
玄証 十六善神図像 平安時代 治承3(1179)年
仏像や仏画で守るべき様々な仏の描写上の特徴
を示すこうした手本を「白描」という
木造不動明王坐像 平安時代12世紀 京都・曼殊院門跡
法華経(久能寺経) 安楽行品 平安時代12世紀
五菩薩五大尊図像 高山寺旧蔵 鎌倉時代 13世紀
学問の寺として発展した高山寺にはこうした白描画が多数伝わった
尊勝曼荼羅 鎌倉時代13世紀 護国寺蔵
「五菩薩五大尊図像」より 不動明王と八大童子
こういう細かな定義や理論付けが元々日本のアニミズムにはなかったぶん
そういう知的な部分を満たす仏教は「カッコ良い」ものだったのでは?
不動明王八大童子 鎌倉時代13世紀 園城寺(三井寺)伝来
上の白描で指示された約束事を踏襲している
不動明王二童子像 矜羯羅童子と制吒迦童子
鎌倉~南北朝時代13~14世紀 東京・恵明寺蔵
運慶 八大童子のうち制吒迦童子
高野山金剛峯寺 建久8(1197)年 国宝
不動明王 鎌倉時代14世紀
不動明王 仁和寺観音堂 江戸時代 寛永21(1644)年
降三世明王 仁和寺はほとんどの伽藍が応仁の乱で焼失後 徳川家光により再建
運慶・快慶 金剛力士 阿形 東大寺南大門
同 吽形

日本のカミガミへの信仰(いわゆる「神道」)は仏教の論理に取り込まれて理論化され、神社には神宮寺が設けられてそのカミの本体である仏の像(本地仏)が祀られ、逆に寺院にはその地の地霊を抑えるために強い神が迎えられたり(鎮守)、地霊であった地元神を寺院の守り神として祀る社が作られるのも常だった。

日光東照宮 薬師堂(本地堂)寛永13(1636)年
こうした神宮寺は明治の神仏判然令で破壊され 残っているのは極めて稀
日光東照宮自体が日光山輪王寺(日光三所権現)の一部
日光男体山そのものをカミとして祀る二荒山神社 拝殿
男体山は観音菩薩の「権現」としても信仰され 輪王寺の
本堂・三仏堂の千手観音も男体山を表すものとも言われている
輪王寺と二荒山神社は本来一体で境内も分けられていなかった
本堂の三仏堂は元々は今の二荒山神社の境内にあった

山岳信仰も強い日本人の本来の信仰では、寺と神社に根本的な区別はなく、むしろ神聖な場所だからそこに社や寺が造られたと考えた方が合理的な説明がつく。

二荒山神社 神門は近代に輪王寺との区分けを明確にするために建てられたもの

またその神社では、神社独特の(寺院とは異なった)建築様式が発達するものの、そこには仏教の、つまり中国やアジアからもたらされた意匠も取り込まれるのが常だった。たとえば阿吽の狛犬や獅子は、仏教寺院の二天門や仁王門の阿吽の力士像に呼応するし、そもそも狛犬も獅子も龍もゾウも麒麟も鳳凰も、仏教の一部として中国から伝わったエキゾチックな霊獣だ。

加茂別雷社本殿 壁に描かれた獅子
下鴨神社 拝殿より西御本宮 寛永5(1628)年の式年造替
同じく東御本宮
下鴨神社摂社・河合神社 本殿
三社権現(現 浅草神社)拝殿・本殿 慶安2(1649)年 鳳凰も中国の霊獣
根津権現(根津神社) 拝殿 宝永3(1706)年 仏教の獅子と象、卍紋
京都・今宮神社 本殿 明治35(1902)年再建
湯島天満宮 拝殿より本殿 平成7(1995)年再建

近現代の「神道」の、伊勢神宮・天照大神を中心とする序列体系化は、こうした仏教による体系化を徹底して排除しようとした(神仏判然令・神仏分離)明治以降の政治的なフィクションでしかない。

鎌倉五山筆頭の建長寺 奥の院の半僧坊権現

京都の八坂神社(祇園感神院)や鎌倉の江ノ島辯財天のように、もともと仏教の護法神が祭神だったのに明治時代に強引に変えられた社も多い。


僧形八幡神影向図 鎌倉時代 仁和寺蔵

江ノ島辯財天の現在の祭神のなかには、なんと弁財天(元はインドの水の女神サラスヴァーティ)がいない。八坂神社は本来は牛頭大王が祭神だが、スサノヲノミコトに変えられている(元々「本地垂迹」で同一視はされていた)。


広重 京都名所之内・祇園社雪中 19世紀
鳥居には「感神院」と書かれている
祇園感神院(現「八坂神社」)本殿 承応3(1654)年 徳川家綱の造営
一説には元は興福寺か比叡山の末寺、つまり寺院だった可能性がある

さらに明治政府は、古事記・日本書紀に記述がないような、人格化されていない自然神や地域の鎮守、山や川などのカミガミを祀った社も強引に廃止し、同時に多くの鎮守の森が伐採され土地が政府に没収されて農地として売り払われた。この政策の理由は「西洋の教会は森になんて囲まれていない」から、だそうだ。

春日大社の回廊がねじれているのは神域である山を切り崩して造成はできないから
加茂別雷社(上賀茂神社)境内・橋殿 文久3(1863)年式年造替

元々人間世界の外の、人を超えたもの、とくに大自然に、カミを感じていたのが日本人なのに、である。

那智参詣曼荼羅図 室町時代15〜16世紀 熊野那智大社蔵
下部つまり南には 南方の海にあるとされる観音浄土の普陀落山に向かう舟

いやむしろ、そうした日本の信仰文化や伝統が、キリスト教の統一的で理論化された世界観の西洋先進国の価値観では「野蛮」に見えるのでは、と思い込んで自らの文化を棄て去ったのが、明治の日本だった(なのにその明治天皇に「賜った」詐称の「角道の精華」とか言われても…)。

地蔵菩薩立像 平安時代12世紀 奈良・長谷寺蔵
運慶 地蔵菩薩坐像 鎌倉時代 京都・六波羅蜜寺蔵
善円 地蔵菩薩立像 薬師寺 延応2(1240)年

第二次大戦の惨敗に至るまで、こうしたいびつで人工的な、はっきり言えば政治的な都合の歪んだ産物でしかないカルトが、数十年間に渡って日本人に押し付けられて来た結果、元々の伝統や文化が(大相撲など、無意識にそれが感じられる特異例を除けば)すっかり忘れられてしまっているのが実情だ。

観音二十八部衆のうち 難陀竜王 仁和寺観音堂 寛永21(1644)年
不動明王 広目天 増長天 帝釈天 仁和寺観音堂 寛永21(1644)年

仏教によって日本の信仰文化にもたらされたような序列・体系化が、日本人の国民性にその実しっくり来るものだったことをよく表しているのが、他ならぬ大相撲の「番付」ではないか。

千手観音 四天王 観音二十八部衆 仁和寺観音堂 寛永21(1644)年
南面する観音堂内陣の東側(東京国立博物館での再現)
同じく西側 なお仁和寺は宇多法皇創建の門跡寺院筆頭で
天皇家を守護するもっとも重要な祈願寺

もともと大相撲から始まった「番付」だが、江戸時代中後期には歌舞伎役者から料理から温泉から、それこそ巡礼・参拝の物見遊山の寺社仏閣まで、なんでも東西にわけて大関、関脇、小結、前頭などの順位をつけて番付化されている。

安政6(1859)年の御料理番付
歌舞伎役者を格付けした芝居番付

逆に言えば仏教や、とくに密教の曼荼羅のような視覚化・序列化は、日本人にとって外来のカッコいい理論なのでありがたみもあるだけでなく、かえってその感性にもしっくり来るものだったから、すぐに受け入れられたのだろう。

両界曼荼羅 胎蔵界 鎌倉時代14世紀 東京国立博物館 重要文化財

たとえば胎蔵界曼荼羅で中央の如来部の仏たちが大きく、その変容・転生が外側に向かって進めば進むほど小さく描かれるのは、番付にも引き継がれている視覚情報の序列体系化だ。

日蓮宗で大曼荼羅ご本尊として用いられる法華曼荼羅 鎌倉時代 13世紀
右上に東方守護の持国天 左上に北の毘沙門天(多聞天)

右下に広目天 左下に増長天  鎌倉・妙本寺蔵
焔魔(閻魔)天曼荼羅 鎌倉時代13世紀
法華曼荼羅 鎌倉時代 13世紀 
両界曼荼羅 金剛界 鎌倉時代14世紀 東京国立博物館蔵 重文

方位、とくに東西を左右に分けるのも、元は中国的な世界観で、北に王宮があって君子が南面する唐の長安に倣った平城京や平安京の都市計画(今でも京都は烏丸通を堺に西が右京・東が左京)にも見られるものだ。

御所紫宸殿 幕末の動乱期の安政2(1855)年の再建なので
以後3回 明治・大正・昭和の即位式でしか使われていない

前の左右に右近の桜・左近の橘

方位は仏教的にも大きな意味があった。例えば奈良の興福寺には今は薬師如来を祀り東方にある薬師瑠璃光浄土を表す東金堂だけが現存するが、再建中の中金堂を挟んでその向かい側にあった西金堂には阿弥陀如来が安置され、西方阿弥陀浄土(極楽浄土)を表していたはずだ。観音菩薩ならばその普陀落山は南にあるとされた。

興福寺 東金堂 応永22(1415)年再建
東金堂内 薬師如来(室町時代) 文殊菩薩(鎌倉時代) 日光菩薩(白鵬時代) 
東金堂の本尊だった薬師如来の頭部(国宝 山田寺仏頭)
白鳳時代7世紀 室町時代の火災で焼損し頭部だけが残り
新たに作られた本尊の基壇内に納められていた
浄瑠璃寺 浄土庭園の東岸に薬師如来を安置する三重塔 薬師瑠璃光浄土を表す
西方阿弥陀浄土を表す西岸に九体阿弥陀堂(本堂)嘉承2(1107)年
山越阿弥陀図 禅林寺(永観堂)蔵 平安時代末〜鎌倉時代 12〜13世紀)
宇治平等院 阿弥陀堂 天喜元(1053)年 宇治川の西岸に東を面して立つ
西方極楽浄土を表す(ちなみに「鳳凰堂」は江戸時代以降の通称)
西方阿弥陀浄土を描いた当麻曼荼羅図 (部分)  鎌倉時代14世紀
阿弥陀堂の中心に安置された阿弥陀如来坐像(定朝作)
向こう岸から顔が拝めるようになっている

また仏教はインド起源、つまり日本から見て西にあり、経典を求めて西に旅した唐の僧侶・玄奘三蔵は日本でも信仰対象になり、明朝の伝奇小説「西遊記」も人気がある。

快慶 文殊菩薩および従者立像 建仁3(1203)年 奈良・安倍文殊院
いわゆる「渡来文殊」を表す

知恵を象徴する文殊菩薩が西方から叡智を伝えにやって来ると言う渡来文殊の伝承もずいぶん人気があった。

康円 文殊菩薩騎獅像および侍者立像 奈良・興福寺伝来 文永10(1273)年
文殊菩薩はこうした陣容で西方からやって来るとされる

つまり若乃花・貴乃花兄弟を最後に、西方(西方浄土?)から来たモンゴル人横綱が相撲ファンには大人気で、横綱審議委員会やマスコミがいかに苦情を言おうが朝青龍や白鵬に相撲ファンが「カミ」を感じて来ているのも、日本人の文化的DNAからすれば自然なことでしかない。

范道生 十八羅漢像のうち 羅睺羅尊者 寛文4(1664)年 黄檗産萬福寺
萬福寺は徳川家綱が明から渡来した高僧隠元隆琦のために造営した禅宗寺院
建築様式は当時の明風を踏襲し仏像を手がけた范道生は長崎在住の中国人
この像はあらゆる人間の心の内には仏性があるという禅宗の教えを表す

もともと遠くから来た、エキゾチックでより自分達の日常からかけ離れた「異形」に「カミ」を感じるのは、日本人として当たり前のことでしかない。よくも悪くも、それこそが「日本の伝統」だ。

運慶 弥勒如来坐像・無著菩薩立像 興福寺北円堂 建暦2(1212)年

1/19/2018

スポーツの政治利用は許せない?


北朝鮮が新年早々に平昌冬期オリンピックへの参加を表明して以来、がぜん日本のメディアやネット世論で「スポーツの政治利用は」云々という言葉が飛び交っている。

まずそういうことを言うのなら、安倍総理大臣と2020年東京オリンピックの露骨な政治利用についても同じことを言わなければみっともないダブスタにしかなるまい。

たとえば「オリンピックを開催できないと言っても過言ではない」と言い張って「テロ等準備罪」を国会で強行採決したのはなんだったのか?

もちろん「スポーツの政治利用」以前に、共謀罪はオリンピックの開催とまったく関係がない。そもそも国際組織犯罪防止条約の批准のために共謀罪の導入が必要だと言うのなら、この条約はテロ対策を想定していないし、テロなど政治犯を対象とすることが厳格に禁じられているのだから安倍首相の主張そのものがただの噓でしかなかったことの方が大問題だ。

だがだからこそ、スポーツの政治利用が本来なら成立しないことで政府にスポーツの政治利用を許してしまった日本の世論はなんなんだ、という話にしかならないのに、今さらなにを、ただ韓国の悪口を言いたいためだけに、見え透いた二枚舌を始めているのだろう?

さらには2020年のオリンピックの年に合わせて改正した憲法を施行して「新しい日本がここから始まる」とか言っているのも安倍首相だ。

しかも安倍首相は、今度は韓国政府が2015年末のいわゆる慰安婦合意を批判したことにヘソを曲げて開会式に行かないなどと言っているのも、五輪の成功のためには安倍にも出席して欲しいという韓国政府の足下を見て妥協を迫っているつもりである以上(そんな御都合主義な展開になるわけがないにせよ)は、この点でも日本の現政府による悪質なスポーツの政治利用こそが責められなければ、とんだダブスタにしかならない。

だいたい、オリンピックは常に政治利用されて来た。代表選手に「日の丸を背負って」などとメディアが言わせ続けているのは国威発揚の政治利用の典型だし、金メダリストに国民栄誉賞を与えるのも政権人気取りの露骨な政治利用だ。

オリンピック憲章は実は国ごとのメダルの数を競うことを禁じていて、各国のオリンピック委員会はメダル数集計を公表してはいけないことになっている。それでも「日本のメダルは◯◯個」とメディアが熱狂しているのも、露骨なスポーツの政治利用以外のなにものでもない。

2016年のリオ・オリンピックは葛藤を乗り越えての多民族の共存と環境保護、さらには自然と人間の共存という、明確に政治的なテーマをコンセプトとして掲げていて、それはブラジルの歴史を象徴的に表現した開会式でも明確に示されていた。

フェルナンド・メレイエス演出 2016年リオデジャネイロ・オリンピック開会式


浅田真央がフィギュアスケートの歴史を変えた天才であるのは間違いないが、彼女がきっかけでこのスポーツが日本でブームになったのは、同じ年生まれで一ヶ月しか誕生日が違わないキム・ヨナという韓国人のライバルがいたのでマスコミが騒いだからでもある。これは本当に彼女のスケートに感動する人にとってはまったくどうでもいいことでしかなかったが、しかしそれでも浅田真央の天才が、戦後日本をずっと蝕み続けている韓国嫌い朝鮮民族差別の下らない政治プロパガンダに政治利用されてしまっていたのもまた、残念な現実だった。

この2人がお互いを高め合うことでフィギュアスケートの女子シングルの歴史が変わった、その絶頂となったヴァンクーヴァー冬期オリンピックのシーズンなぞ、2人のライバル関係を政治利用していたオジサンたちは、実はキム・ヨナの分かり易いお色気ショーの『007』方が遥かにお気に召していたらしく、浅田真央のプログラムの凄さが理解できないまま「キム・ヨナみたいな大人の女性らしさがなくては勝てない」などと鼻の下を伸ばしているくだらないコメンテーターもうじゃうじゃいた。いやだから、あれを「大人の女性の色気」とか言ってる時点で、オジサンたちは政治的にダメダメなのだが。

またまったく別の次元で、その2009-20010シーズンの浅田真央の特にフリースケーティングは極めて政治的だ。こういう表現をフィギュアスケートでやったこともまた彼女の天才であり、それがフィギュアの表現の革命となったのもまた、優れて政治的な意味を含んでのことだ。

 浅田真央 ラフマニノフ作曲「モスクワの鐘」 ヴァンクーヴァー五輪フリー


もちろんこの演技はまず息を呑み圧倒されるべきもので、いちいち政治的なものだと意識して見るのも野暮な話ではあるが、しかし「これは政治的だ」と言われても気がつかないとしたら、それはそれでひどく鈍感だろう。

あえて野暮を承知で言っておけば、当時の浅田のコーチで、この曲を女子フィギュアでやることが夢で、振り付けも手がけたタチアナ・タラソワは、このプログラムを「世界平和のメッセージだ。真央にはそのメッセージを届けられる強さがある」と言っている。あとは出だしの、両手で自分の頬を激しく打つ仕草を見れば、これがある強固かつ普遍的な政治的主張を持った表現であることは自明だろう。

エフゲニー・キーシン ラフマニノフ「プレリュード ハ短調 作品3 第二番」


一部の…ではなく残念ながら多くの日本人が「日韓対決」という下らない政治利用でこれを消費していたのとはまったく無関係な別次元の話で、この年のキム・ヨナがスケートとして保守的な優等生なプログラムを選んだだけでなく、そこで極めて保守的なジェンダー役割に植民地主義的な価値観をまぶした女性像(というか、要するにアジア人の小悪魔娼婦イメージ)に徹して金メダルを狙ったことの、浅田真央の激しい挑戦との鮮烈なコントラストがまた、フィギュアスケートという競技の枠組みを超えた優れて政治的な「対決」をあのオリンピックのリンクに生み出していた。

今年のオリンピックの日本女子フィギュアのエース宮原知子もまた、あえて極めて豪速球かつ変化球な政治的なプログラムをぶつけて来ている。

なにしろショートプログラムはハリウッド映画『Memoirs of a Geisha(日本語題「SAYURI」)』で、フリースケーティグはあのオペラ『蝶々夫人』、つまり西洋の植民地主義的女性蔑視丸出しの「フジヤマ・ゲイシャ」な日本ファンタジーとして書かれた音楽をあえて使って、それを「女性の強さ」の表現に読み替えて見せるのだから、変化球であると同時に分かり易い過ぎるほどの豪速球な政治性だ。

それがまた、これまで「ミス・パーフェクト」「練習の虫」としてばかり褒められて来た彼女にとって、とてもパーソナルな葛藤を反映した自己イメージの克服でもあるからこそ、いっそう政治性かつ革命性を帯びた表現になっている。

宮原知子 プッチーニ作曲『蝶々夫人』2017年日本選手権フリー


技術とともに芸術性を競う採点競技のフィギュアスケートが、その芸術性において時に鋭い政治的表現力を持つのは「スポーツ」としては例外ではあろうが、そうでなくともスポーツというのは元々、よくも悪くも政治性を持って受容されるものであり、ナショナル・チームを編成して競い合う国際大会となれば特にそうだ。野球のナショナル・チームが「サムライ・ジャパン」でサッカーのナショナル・チームが「サムライ・ブルー」、エンブレムが八咫烏の平成ニッポンが、いまさら「スポーツの政治利用が」と言い出すこと自体が滑稽だ。戦後のオリンピック憲章に「政治利用」を禁じる条項が書き込まれたのは、1936年のベルリン・オリンピックがまさにこうした国威発揚の政治利用に露骨に利用されたことへの反省に基づいている。

そもそも19世紀のヨーロッパでスポーツの振興が始まったのは、産業革命の結果で過酷な労働環境に置かれた労働者が虐待的な状況下で病気も増えたアンチテーゼで、太陽を浴びてのびのびと身体を使いより健康になろう、という運動であった一方で、国民国家の成立で身体的に強健な国民が徴兵制の普及と国民皆兵的なイデオロギーのなかで「健全な精神は健全な肉体に宿る」が称揚された、近代オリンピックもその文脈のなかで産まれたものであり、これをもっとも露骨に、しかも人種主義の優生思想と結びつけてプロパガンダに利用したのがナチスだった。

『民族の祭典』『美の祭典』1936-37年

その一方でオリンピックが「平和の祭典」で、クーベルタン男爵が近代オリンピックを始めたのが植民地主義の最終局面で列強間の競争や紛争が絶えなかった時代に、古代ギリシャでオリンピックの開催期間中は戦争状態の都市国家どうしでも停戦するという国際ルールがあったことを前提にした、つまりオリンピックそのものがまた別の次元で平和と全人類の和解という政治性を持った政治的なイヴェントだ。

さらに戦後のオリンピックでは合わせて開催されるパラリンピックがより重要性がましている。スポーツの振興が健康増進の肯定的メッセージを必然的に伴う一方で、その「健康」理念自体がファシズムに陥りかねない危険性のアンチテーゼであると同時に、こと近年のパラリンピックは障がい者の「見える化」で社会のバリアフリー化の必要を意識させる優れて政治的なメッセージ性を発信している。東京都が猪瀬知事の時代にオリンピック招致に熱中したのも、そもそもが超高齢化社会を目前にしてのパラリンピックが都市インフラのバリアフリー化を進める最適のキャンペーンだったからでもある。

アパルトヘイトが終わった南アフリカでネルソン・マンデラが大統領になった時、「黒人の復讐」に怯え特権を失ったことに恨みつらみも激しい旧支配者層の白人と、政治的平等は獲得できても経済的には圧倒的に不利なままだった圧倒多数の黒人のあいだで、国は分断されていた。マンデラはそこであえて、南アフリカでは白人のスポーツだったラグビーのワールド・カップが自国で開催されることに目を付けて、ラグビーのナショナル・チームのキャプテンのフランソワ・ピナール(もちろん白人)に優勝するように密かに命じた。それもレギュラーに黒人選手が1人しかいなかったのを「黒人を増やせ」とも言わず、代わりに白人だらけのナショナル・チームが黒人の貧民街というかせいぜいキャンプとしか呼びようがないほど貧しい場所に行って、黒人の子供たち相手にラグビー教室をやらせて、その光景を全国ニュースでテレビに流したりしたのだ。

これは俳優のモーガン・フリーマンが映画化を企画し、クリント・イーストウッド監督によって映画化されている。

C.イーストウッド監督『インビクタス』2010年

もちろん現実がこの映画ほど巧く行ったわけでもないが、それでもマンデラによるスポーツの政治利用が、分断していた国民の統合に大きな意味を持ったことは確かだ。そしてこれを「政治利用だ、許せない」と言い出す者はさすがにいまい。

1995年ワールドカップ決勝戦 南アフリカ対ニュージーランド 国歌斉唱

もちろん北朝鮮・金正恩政権が、オリンピック参加を表明するタイミングのあざといまでに巧みな計算まで含めて、このチャンスを外交的に徹底的に利用しているのは言うまでもない。韓国の右派が「これでは平昌オリンピックではなく平壌オリンピックだ」と文句を言いたくなる気持ちも分からなくはない。

だが分断国家となった民族の和解がオリンピックそれ自体の持つ政治性とぴったり合ったテーマであることに異論の余地はない以上、「韓国が日本やアメリカとの連携を乱している」などと言い出すのはあまりにはしたない…というか、最低限の国際常識すら欠如している。

確かに女子アイスホッケーの南北合同チームとまで来ると、いきなり本来出場権のなかった北の選手と一緒にプレーしなくてはならなくなった韓国チームの選手は、チームワークを作り上げるだけの練習時間も与えられないまま大会に臨まなければならなくなったし、5人だか7人だかだけ参加する北の選手も大変ではあろう。しかも大統領には「人気がない競技に注目が集まる」と言われ、首相には「どうせメダルの見込みもないし」と言われっぱなしなのはさすがにかわいそうで、大統領も首相も、もうちょっと言いようがあるんじゃないか、とは思う。 
しかししょせんは、他所の国の話だ。日本のマスコミがなぜこうも事細かに報じたがるのかには、別の意図(はっきり言えば人種差別)があからさまだ。 
スポーツ選手が「これでは選手がベストが出せない」と同情することを除けば、日本人がとやかく言うことではない(それにメダルの見込みがないのは現実)し、そもそもオリピックに女子アイスホッケーがあることすら知らなかったような人達がなにを言ってるんだ、としかなるまい。

北朝鮮が見事に平昌オリンピックを外交に利用してみせているのは、金正恩の狡猾な外交手腕がそれだけ傑出していて、そのマニピュレーションに日本などの敵対国が翻弄されているだけのことだ。文句を言っているヒマがあるのなら、日本ももう少しは国際的な大義名分で通用しそうなオリンピックの政治利用法とか、多少はマシな外交的狡猾さを身につけるためのお手本としてしっかり研究でもした方がいい。

なにしろ反北朝鮮で「世界の結束」を呼びかけているつもりの日本は、そこで他国を巻き込めるだけのまっとうな大義名分のひとつも提示できていない。

バルト3国を訪問して「北朝鮮包囲網で各国の賛同を得た」かのように日本の報道を通して政府は吹聴しているが、どうとでも取れる一般論を口にしてリップサービスで賛成してもらっただけ、オリンピックを機に南北朝戦の関係が少しでも良好になれば、それが「核問題」の解決につながることを期待している国際世論から、日本だけが浮きまくっている。

まあもちろん、安倍政権が「核問題」の解決をまったく望んでいないのだから当たり前ではある。なにしろこの解決には最終的に米朝直接交渉以外の手段はないし、そこで北朝鮮の核保有をアメリカが制約しようとするのなら、今やその北朝鮮も核弾頭やミサイルを持っている以上、アメリカもまた朝鮮半島で使える核武装をある程度は削減すること以外に妥結はあり得ない。

それこそ「朝鮮半島の非核化」を言うのなら、アメリカが北朝鮮に向けている核ミサイルや、沖縄に密かに(半ば公然の秘密として)配備されてそこからいつでも韓国に持ち込める核兵器もまた全廃しなければ、「非核化」にはならない。朝鮮半島が「非核化」されるなら、日本の「核の傘」は放棄しなければ「非核化」にならない。だから朝鮮半島の非核化を北朝鮮の非核化にスリ替えているのが安倍政権だが、こんな誤摩化しは日本国内でしか通用しない。

…っていうか、それにしても2020年東京オリンピックの準備は、もう少しなんとかなりませんかね? 国際的な「平和の祭典」であることも無視し、世界中から選手が集まって来ることもそっちのけで、エンブレム選びでもマスコット選びでも、コンセプトはバカの一つ覚えで「日本の伝統」なのだそうだ。開会式・閉会式は安倍さんが大好きな『永遠の0』の監督さんだそうだが、まさか特攻隊賛美なんてやらかすんじゃなかろうか? 「維新の志士」を美化するチャンバラごっこでも始められたりとか、そもそも外国人には意味が分からないひどく退屈な独りよがりな「蝶々夫人」的エキゾチシズムの羅列でもやられそうで気が気でない。

だいたいネーム・バリューからしても、2008年北京はかつての天才・張芸謀、2012年ロンドンはダニー・ボイル(『トレイン・スポッティング』『ザ・ビーチ』)、2016年リオはフェルナンド・メレイエス(『シティ・オブ・ゴッド』)と国際的な知名度からも納得する人選だが、『ALWAYS 三丁目の夕陽』と『永遠の0』は安倍さんの趣味だけで、そもそも日本国内しかマーケットとして想定していない映画の監督というのも…これでは「政治利用」どころか私物化だ。

数年前には「音楽の政治利用は」という文句が富士ロック・フェスティバルに殺到して、そもそもロックは政治的なものだろうに「純粋に音楽を楽しみたい」などとロック世代がえらくズッコケていたこともあったが、一方で昨今の「紅白歌合戦」でも見れば、あまりにストレートな政治的メッセージ性がそのまま歌詞になっていて、またそのメッセージというのが全部同じ安直な自己肯定で聴き手を慰めているのが不気味なほどだ。

日本のポピュラー音楽におけるこうした露骨に退行的で反動的な政治的逃避の傾向の元を辿っていくと、価値観の多様性を歌って大ヒットした『世界にひとつだけの花』に行き着く(この歌は同性愛者であることが暴露されてしまった作詞作曲の槇原敬之個人にとって、極めて重要な政治的ステートメントでもあった)のだろうが、それぞれにバケツのなかでピンと胸を張っている花たちが「みんながオンリーワン」でありだからこそ「ナンバーワン」だったのが、いつのまにか聴き手それぞれが、胸を張らなくてもいいから今のままでいいよ、と言われて承認欲求を満足させていればいい堂々回りと言うのは、それはそれで立派な政治性だ(と言うか、あまり「立派」でもないが)。

「◯◯の政治利用は」と文句を言う人達こそが、スポーツでも音楽でも映画でも、歴史教育でも、それを安易な自己肯定=現政権肯定のメッセージという政治性に利用しているだけで、そこに疑義を提起されるのが気に入らないだけではないか?

1/16/2018

伊藤博文は “農民” だったから、明治維新は身分に関係なくて「志」?(安倍首相おなじみフェイクニュース)


今年は明治維新から150周年になるが、安倍晋三首相の新年の記者会見の全文をたまたま見ていて、ちょっとびっくりしてしまった。明治維新は「武士、農民、町民、それまでの地位や立場に関係なく、志を持った人々が全国各地で立ち上がり、明治国家建設の大きな原動力となった」のだという。


安倍首相年頭記者会見(全文と動画)
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2018/0104kaiken.html

冗談も休み休み言って欲しい。1867年から68年(慶応3年から4年・明治元年)の政権交替は、要するに徳川幕府から薩長の下級武士の維新政府へと権力が移ったことで、確かに武士階級のなかでは最上位とほぼ最下位で身分がひっくり返った革命にはなるが、しょせんはその武士階級のなかの話だ。

武家以外の身分の参加といえば、公家の岩倉具視が権力の中枢についたが、農民町民の「参加」があったとしたら、大政奉還の前後に「ええじゃないか」音頭ブームが広がった程度のことだ。

今村昌平監督「ええじゃないか」1981年

あるいは武家階級以外の身分からの「明治維新」への支持であれば、官軍の東征の先鋒になったのが相楽総三ら「赤報隊」で、年貢を半減するという明治天皇の勅令を吹聴して廻るのが主な任務だった。これは確かに街道筋の農民にすぐに広まったわけで、そういう意味では新政府への支持は一応広がったように見えた。

ただし西郷隆盛が実質指揮する新政府軍は、年貢半減の噂があまりに広がり庶民に本気で信じられてしまうと、相楽総三らを「偽官軍」と断じて、デマを振りまいたとして処刑してしまった。

 岡本喜八監督「赤毛」1960年

要するに、武家以外の身分の関わりで言えば、農民から見れば武士が自分たちを騙しただけなのが明治維新だった。

それどころかこの赤報隊、大政奉還と王政復古クーデタがあった慶応3(1867)年の後半には、江戸市中で強盗や放火、辻斬りなどのテロ行為でさんざん江戸の一般市民の命を危険に晒していた。江戸町奉行所の役人がこうした殺人犯を追跡すると、逃げ込んだ先は薩摩屋敷だ。江戸市民の命を危険に晒す犯罪行為に怒った幕臣たちがついにこの薩摩屋敷を攻撃して焼き討ちにしたと報せを受けた、京都にいた西郷隆盛は、「これで倒幕の大義名分が立つ」と喜んだとも言われている。

そして翌慶応4年の3月には、新政府軍は人口100万超を誇った江戸の町民を犠牲にしてまで江戸城総攻撃もやる気だった。なんとかこれを食い止めたのが2人の将軍未亡人、篤姫と和宮だ。和宮が官軍の名目上の上層部だった幼なじみの公家衆や元婚約者の有栖川宮を説得し、島津斉彬の養女・篤姫がかつて自分の婚礼を担当した西郷を説得したのだ。

それにこうして江戸庶民の生命が危険に晒されたずっと以前から、幕末政局の舞台になった京都では、市中で殺人を繰り返して天皇のお膝元の住民の命を脅かし続けたのが薩長の倒幕派だ。

長州藩などは禁門の変を鎮圧されると、腹いせの放火で京都の中心街を焼け野原にしている。

つまり「明治維新」は武家階級のなかの権力闘争で農民や町民にとって頭の上を通り過ぎて行っただけの「革命」に過ぎなかったどことでは済まない。新たな国家の権力を確保しようと争っていた「明治維新」勢力は、自分たち武家以外の農民や町人の命なんてなんとも思っておらず、平気で騙したり殺したりしていたのだ。

そんなテロリストの新興勢力の突き上げを食らった幕府が、政治権力を独占した統治する側の責任感から、他の身分の生命・生活を守ろうと腐心していたのが幕末の「明治維新」政局の実態だ。

ところが安倍さんは全身分が、身分に関わりなく「志を持った」結果が明治維新だという。その根拠は、

「初代内閣総理大臣の伊藤博文は、もともとは農家の出身であります」

なのだそうだ。

記者会見でこんなこと叫んで、よくもまあ記者さんたちから失笑が漏れなかったものだ。

まったく報道がないのも不可解で、10年前だったらあまりに無知非常識な「総理の失言」がおおいにワイドショーを賑わせていたんじゃないか?

「明治維新」についてはなにしろその後戦前までは、現体制・政権の正当化そのものだったので徹底的に美化されて来て、「維新の志士」が今で言えばテロリスト、長州が京都を焼け野原にしたこともあまり知られておらず、戦後もこの歴史を客観的に検証して一般に報せる努力はほとんど行われないままだが、それでも「伊藤博文は農民だった」はさすがに誰が聞いてもびっくりするような話だ。

普通に人名事典やWikipediaでも調べてみても、無論ちゃんと「武士」と書いてある。要するに下級武士の出身(実家は足軽)で、それ以上の伊藤の出身についてなんて歴史的に重要ではないのでほとんど誰も知らないし、興味も持って来ていない。

青年時代の伊藤俊輔(のちの博文)

そのまったく知られていない史実を言えば、確かに長州藩士で足軽身分の家の出の伊藤俊輔(のちの博文)は、今の山口県光市あたりで産まれたときは農民の子だった。幼名は利助で父は林十蔵という(ちなみに江戸時代には名字を公式に認められていたのは武士以上だったが、ほとんどの庶民に名字はあった)。

林家は貧しくここでは食べて行けなかったのか、やがて萩に移っている。江戸時代の後期には農民の子でも寺子屋などで教育を受けるのが当たり前で、こと教育熱心な気風があった萩で、利助が私塾に通い始めたところ、勉強がとてもよくできたという。林家はこの利助の才覚を見込まれたのと、なにしろ貧しかったもので、一家がまるごと長州藩の中間の養子になり、その中間が今度は足軽の伊藤家の養子になった。林十蔵は足軽の伊藤重蔵になり、息子の利助は12歳から武士階級で、武士として元服して俊輔を名乗った。

つまり伊藤俊輔、のちの博文はどこからみても武士階級の長州藩士だから「維新の志士」として活躍しただけで、12歳までは農民階級だったなんてわざわざ言及されることがめったにないのも、強調するような意味もないし、そもそも歴史を理解する上でまるで重要なことでもない。

強いて言うなら、むしろ勉強ができたので見込まれて武家の養子になったというのは、江戸時代の身分制度が実際にはそんなに厳格なものでもなかったという、現代人があまりよく分かっていない当時の社会のあり方を示す逸話だろう。

確かに身分・職業は原則として世襲だったのが前近代の日本だが、それだけでは才能がなかったりその職業に向かない跡取りでは家業が傾くことにもなりかねない。だからこの貧農の林家→武士の伊藤家のケースのように、養子がとても多かったのだ。


ところが安倍さんの頭の中では、たまたま伊藤が12歳までは農民の身分だった一事だけで、明治維新は「武士、農民、町民、それまでの地位や立場に関係なく、志を持った人々が全国各地で」となってしまうらしい。

史実はまったく逆だ。戊辰戦争で最大の激戦となったのが会津若松城の攻防戦でのことだ。会津武士は新政府軍の猛攻相手によく戦った一方で、東北への進軍を指揮した板垣退助は会津領に入ったとき、善政で知られた会津松平家なのに、武家以外はあっけなく新政府軍に服従して協力的だったことにショックを覚え、それが後に国民の政治参加を謳った自由民権運動を旗揚げする大きな動機になった。 
江戸時代に徳川家が推奨した上からの善政は一定の成果を上げていて、250年以上平和も実現したし、そのなかで日本人はそれなりに幸福だったので、自分たちは自分たちの職業や地域社会の生活に意識が向き、上に立つ人はしっかりやってくれているのだから自分達が国の行く末に関わろうという意識は、恐らく希薄だったのだろう。

だいたい「全国各地」って…?幕末・維新を取り上げたドラマや時代劇映画でも、舞台はひたすら京都だけなのも、まともな常識がある日本人なら誰でも知っている。

大名家が京都に入ること自体が墓参や寺社参拝など以外の目的ではタブー視されていたのが江戸時代で(武家全体の天皇への忠誠は、武家の棟梁の徳川家が代表していたので、大名が天皇と直接接触するのは謀反の疑いになる)、幕末期でも京都にいたのはごくごく一部の雄藩と、京都と天皇を守る任務を持っていた幕閣だけだ。

要するに、京都と薩長土肥や松平春嶽の福井藩などの一部雄藩を除けば「志を持った人々が全国各地で」どころかまるで逆、ほとんどの地方は「明治維新」にまったく関わっていない。京都の宮中でどんどん暴走して行く倒幕派を傍観するしかなく、気がつけば戊辰戦争に巻き込まれただけだ。

この総理、歴史に限ったことでもないが、とにかく自分に都合のいいことだけを取り上げて、その切り貼りだけで世界観を作ってしまうらしい。この演説も批判されたら「伊藤博文が農民出身なのは事実だ!」と言い張るのだろうが、これってフェイクニュースの典型的な詭弁ですよ。

それにしたって武家の養子で跡継ぎになってるんだから武士以外のなにものでもない伊藤博文が、産まれは百姓だったから「農民が明治維新で志を持って活躍」になるとは、安倍さんの歴史修正主義趣味も、こうなるとただのギャグにしかなってない。

1/10/2018

負け惜しみも程々に…(あまりに見苦しい日本外交と政権忖度メディア)



韓国と北朝鮮のあいだで、北朝鮮の平昌オリンピック参加に向けた交渉が始まったことに、日本政府がえらくご機嫌斜めらしい。

政府だけならまだしょうがないが(安倍さんと熱烈支持層の思惑が外れて悔しいのは分からないではないが)、マスコミ報道まで同調しているのはさすがに呆れる。そんなことより、わずか一週間前には「新年早々に北朝鮮がミサイルを発射する兆候」を騒いでいたことはどう言い訳するのだろう? 案の定、完全な誤報になったではないか。

今度は「北朝鮮は韓国とアメリカや日本のあいだにクサビを打ち込むつもりで、韓国は騙されているんだ」と言わんばかりの報道というのも、自分達こそ見事に騙されたこと(「米国メディア」に踊らされてまたミサイル発射があると騒いだ空振り報道)の負け惜しみにも見えるというか、言ってることがコロコロ変わる無責任報道もみっともなさ過ぎはしないか? 北朝鮮外交が打ち出す狡猾なあの手この手の巧妙さもあるにしても、あまりに分析的な冷静さに欠如している。

恐らく昨年暮れに米メディアが「ミサイル発射の兆候」を報じたのは、無根拠なわけもあるまい。北朝鮮側がわざとそう報道させるような動きをこれ見よがしにやって見せて、アメリカ側が見事に引っかかっただけだ。金正恩は新年に平昌オリンピックへの参加を表明するサプライズ効果を高めるために、わざと真逆のことをその前に報道させるように、いわば「騙した」のだろう。 
まあ引っかかる方が間抜け過ぎるわけなのは言うまでもないが。

もちろんオリンピックは「平和の祭典」だ。そのオリンピックが偶発的な軍事衝突がいつ起こるとも分からない環境で行われるなんてあってはならないわけで、韓国だけでなくIOCも北朝鮮の参加を切望しているのも当たり前だ。

対話が続いている間は少なくとも偶発的な開戦のリスクは低下するわけで、安倍さんはなにを「対話のための対話は意味がない」などと勘違いしているのだろう? それともオリンピック開催中に当の開催国が戦争に巻き込まれることでも期待していたのだろうか?

意表をつかれたドナルド・トランプは休日に思わず不満をツイートしてしまったが、そのトランプでさえウィークデーに入って仕事モードになれば歓迎を表明し(外交常識としてこれは歓迎するしかない)、北朝鮮が自ら妥協したようにも見えることを自分が圧力をかけてきたお陰だと言うに留めた。まあこれも苦し紛れな言い訳ではあるが、アメリカ国民にとっても日本国民にとっても、オリンピックが名実ともに「平和の祭典」になるのはまず無条件に喜ばしいことだ。

ましてこの南北対話の再開でアメリカも突然の軍事攻撃などはできなくなり、当分は北朝鮮のミサイル演習も核実験もないのが確実になっただけでも、少しは安心していい朗報ではないか。アメリカが韓国に圧力をかけて会談を潰そうとすれば、国際社会で孤立するのはアメリカだ。

まあトランプ本人は「オリンピックは平和の祭典」に巧くつけ込まれ、先手を打たれて梯子を外された交渉当事者として「してやられた」と悔しい限りではあろう。北と韓国のあいだで米韓合同軍事演習の無期延期みたいな話が出て来かねず、そうなったら韓国も文在寅政権ならむしろ賛同し、アメリカは演習ができなくなるかも知れない。それでもここは「大人の対応」に徹しないことには、結局アメリカ政府は戦争をやりたがっているだけじゃないか、と国際社会からも国民からも批判が殺到しかねない。ましてトランプは北朝鮮をただ敵視するだけで、言いがかりをつけて滅ぼしたがっているのだ、とでも思われるか言いがかりをつけられるだけでも外交的な大惨敗になるし、北朝鮮に巧妙にそこまで持ち込んでしまったのだ。

韓国の国民にしてみれば、リベラル派の文在寅を支持しているのにアメリカの勝手で戦争に巻き込まれるなんてたまったものではないし、元々右派政権や軍の対米従属が支持されて来ているわけでもない(朝鮮戦争でアメリカに「守ってもらった」高齢者ならともかく、とりわけ若い世代にとっては「うちの国は本当に独立国なのか?」としか思えず、屈辱的でしかない)。

どうもここが日本では理解されにくいらしいが、どの国でも自分の政府がアメリカが超大国であるというだけで言いなりになっている姿(それもその大統領は人種差別主義の白人至上主義者に支持されているドナルド・トランプ)には、大なり小なり不満があって当たり前だ。 
まして自国主催のオリンピックの最中に、アメリカの勝手な戦争に巻き込まれるなんて、民族への侮辱以外のなにものでもない。

もちろん交渉初日からトントン拍子で様々なことが決まったのを見ても(というか、正月の訓示で金正恩が五輪参加に言及した時点で分かりきったことだが)、北朝鮮が実は最初から平昌五輪に参加するつもりで、公表するタイミングでどう有効な外交交渉カードに使えるのかが、北朝鮮の政府内で慎重に考え抜かれて来たのは間違いないだろう。

まただからこそ、北側の代表は上機嫌で「記者さんたちも興味津々のようだし、いっそこのまま記者に公開で会談しましょうか?」と提案するほど落ち着き払っていたのだろう。一方の韓国側は、同盟国のアメリカへの配慮や、日本や中国との兼ね合いがあるのでさすがにすべて公開するのは二の足を踏むしかなかったが、これも北側に一本取られた格好だ。

「国際社会が北朝鮮を非難している」と日本のマスコミが言いたがるのはかなりの部分、日本国内でしか通用しない誤解だ。ハタ目にはしょせんこれは北朝鮮とアメリカの私闘バトルに過ぎず、北の核開発をアメリカが批判するのも客観的には「どっちもどっち」でしかない。北朝鮮が常にアメリカによる圧倒的な核攻撃のリスクに晒されていて、アメリカがそれを北朝鮮に対する「核抑止力」だと主張するなら、アメリカがその核攻撃能力をみだりに使えないようにするために北朝鮮がアメリカに届くICBMに核弾頭を搭載しようとするのもまた「核抑止力」でしかない。

国連安全保障理事会が「国際社会」を代表しているわけでもまったくなく、非難や制裁が決議されるのは、核武装を独占できる特権を守りたい常任理事五大国に安保理が牛耳られているからに過ぎず、その常任理事国が今の国連では核兵器禁止条約をボイコットしようとして孤立している。とりわけ核兵器禁止条約について同盟国に圧力をかけて反対させたアメリカの横暴に、それでも超大国なので文句も言えず、しぶしぶ付き合わされただけなのが安保理の制裁決議だ。

しかもオバマのアメリカならともかく今はエルサレム帰属問題への反対決議に人道援助の打ち切りで脅しをかけたようなトランプのアメリカだ。折しも政権の内幕暴露本「Fire and Fury」がベストセラーになったアメリカ国民にさえ信頼されていない。

そして「核・ミサイル問題」が北朝鮮とアメリカのどっちもどっちの「私闘」に過ぎないことを、南北会談で北側は、核武装はひたすらアメリカだけを狙ったもので、同朋を核で狙うなんてやるわけがない、と強調してみせた。記者会見では「核問題は南北間の交渉の対象ではない」とも述べたし、双方合意の共同宣言では「南北間の問題は同じ民族どうしで解決する」とも書かれている。

交渉の開始時に北側が、いっそ会談すべてを記者に公開すればどうかと提案したことに、日本のメディアは驚いたフリをしているが、驚くことなどなにもない。この交渉で北朝鮮に隠し立てすることはなにもないのだ。核武装はアメリカの核の脅威に対抗するためで、そこに裏も表もなにもない、まったくそのまんまでしかない。

北朝鮮政府がプライドにかけて吐露できない本音があるとすれば、実のところアメリカの核兵器で殲滅される脅威さえなくなり、韓国の政府が右派政権になって対米従属に徹して北を敵視することや、やはり対米従属しか能がない日本政府が国民の一部の在日朝鮮人差別を公然と支持するような態度を取ることもなくなって、国力の差はあっても対等の主権国家どうしの最低限の礼儀が守られた関係さえ築ければ、わざわざ大金のかかる核開発なんてやりたくもないし、うちは貧しい国なのだから本来ならもっと金を使いたいところはある、というリアリティだけだ。

日本のメディアは北朝鮮が韓国に五輪参加の旅費を要求するに違いないとか言っているが、選手や役員は選手村に泊まる権利があるのになにを言っているのか? 移動は板門店かどこかで38度線を超える陸路の方が政治的アピールは大きくなるし、経費も安い。むしろ韓国側が融和のアピールのために招待などの扱いにしたいわけで、それを「国連の制裁決議を守れ」と言って日米が圧力をかけるなら、国際的に白い目で見られるのはその日米の方だ。

「南北の問題は民族どうしの対話と交渉で」と言う共同宣言も、日本政府や日本のメディアは大いに不満で「国際社会を無視している」などとひどくトンチンカンなことを言っているが、これも現代の国際秩序の基本哲学からして当然のことで、反論の余地はない。国際連合憲章の基本は、民族自決権だ。ひとつの民族の内部の問題に他国はそもそも口を出す権限がないのが、現代の国際秩序の根本原理だ。

まして南北朝鮮が分断しているのは、世界史的には他国の都合に振り回されて来た結果の、日本の植民地支配と冷戦の遺物以外のなにものでもない。大日本帝国陸軍が植民地を守ろうともせずに敗走し、アメリカとソ連の都合で分断されてしまったのが朝鮮民族の悲劇であり、それを克服できるのが朝鮮民族の主体性だけなのは、その通りなのだ。アメリカを射程に納めるICBMの開発はしょせんアメリカの問題で、韓国の問題ではないのもその通りで、韓国にはここでアメリカへの配慮を見せて自国が半植民地の属国でしかないことを曝け出すなんて選択肢はない。

まだ韓国(や日本)が核兵器禁止条約に参加して、核兵器開発そのものを批判できるのなら話は変わって来るが、どちらも同盟国(宗主国?)アメリカへの配慮から投票を棄権している。ましてアメリカの「核の傘」の「抑止力」に期待しているというのなら、北朝鮮に完膚なきまでにやり込められてしまうだけだ。

一言でいえばまたもや北朝鮮の外交的圧勝で、しかも今回は韓国もまたまったく敗北はしていない。韓国には韓国の安全保障があり、北朝鮮のICBMの開発はアメリカの安全保障問題であって直接に韓国の安全保障には関係がない(韓国相手にICBMを使う必要はないし、同民族・同朋というだけでなく放射能汚染の問題もあるのだから韓国に核攻撃はまずやらない)という理屈でメンツは保たれているし、そもそも韓国側には核について北に妥協を迫れるカードはなかった。それがあるのはアメリカだけ、北が交渉できる相手は最初からアメリカしかいない。


とりあえず金正恩にとっては、朝鮮戦争が国際法上ではまだ「休戦状態」であることは変えなければ国の将来がないわけで、そのために使える外交カードが核とミサイル以外に見当たらないような状況に追い込んだのは彼が権力を継承してからの、例えば拉致問題の再調査の申し出をうやむやに誤摩化した日本の安倍政権や、韓国の右派政権、李明博と、とりわけ金正日への代替わり時点の政権担当者だった朴槿恵の対米従属・北敵視政策だった。北朝鮮から見れば韓国の右派はなぜ人種差別丸出しの植民地主義に与するのかとしか見えず、韓国ではその朴槿恵はすでに失脚して判決を待つ被告人の身であり、右派政権の過去の軍事独裁時代から本質的に変わっていない権力私物化体質の刷新を掲げて当選したのが、今の在文寅大統領だ。

ちなみにその韓国右派の源流であり腐敗体質・権力私物化の源泉でもある軍事独裁政権を支えた後ろ盾がアメリカだった過去も、韓国国民は忘れていない。共同宣言に「南北間の問題は同じ民族どうしで解決する」明記されたのには、こうした歴史的背景もあるのは見落とすべきではないだろう。北朝鮮から見れば南北の分断を固定化させたのはなによりもアメリカの陰謀であり、他の要因もあるにせよ、韓国を冷戦の極東における最前線にしようとしたアメリカの意向こそが南北分断の最大の原因であり続けて来ているのも、客観的に見れば確かにその通りなのだ。

いやソ連はどうなんだ、金日成の後ろ盾だったのはソ連ではないかと言うのなら、そんな国はもう四半世紀以上前になくなっている。アメリカの自由主義が共産主義に勝ったと言うのなら、勝って世界の覇者となった側に一定の責任があるのは当たり前だ。 
ヨーロッパで鉄のカーテンは崩れたのに朝鮮半島は分断されたままだったのはなぜか? はっきり言えば当時はまだヨーロッパ出身移民の子孫が中心の白人国家だったアメリカでは、極東アジアの朝鮮半島に関心がほとんどなかったことと、西ヨーロッパが曲がりなりにも民主主義国家だったのに対し、韓国は永らくアメリカの傀儡的な軍事独裁政権で、冷戦の終末期にやっと民主化が始まったばかりだったからだ(ちなみに韓国の民主化を「自由と人権」を常に大義名分にしたがるアメリカが支援したわけでもない)。

北朝鮮からみれば、韓国の政権が自分達を敵視する対米従属の右派ならまだしも、同じ民族の同朋が「平和の祭典」を開催するから祝福し、参加したいというのもこれまた当たり前で、これまた北朝鮮には隠し立てするところはなにもなく、「いっそこのまま記者の皆さんの前で公開で会談を」という提案を北朝鮮側ができたのも当然だ。むろん実を言えばたった2人、フィギュアのペアが一組だけの参加なのはいささか肩すかしではあるが、たったそれだけのことをこれだけ有効な外交カードに使いこなす(しかもオリンピックが民族の名誉だから協力したいこと自体は噓ではない)だけ、北朝鮮の外交は頭がいい、自国の交渉カードで国際的になにが通用してどう使えば有効なのかを考え抜いている、というだけのことでしかない。

逆に言えば、かつて1988年のソウル五輪の前に北朝鮮がテロ行為を繰り返したことを上げて「北朝鮮がオリンピックを妨害するはずだ」と思い込んで来た側が馬鹿を見ただけで、当時は冷戦の東西対決の末期だったわけで、今では状況がぜんぜん違う。むしろそんな時代錯誤な偏見に凝り固まった側のはっきり言えば頭の悪さが、あっけなく北朝鮮に裏をかかれただけだ。

日本のメディアの論調は北朝鮮がオリンピックを利用して韓国をアメリカや日本から分断しようとしていて、騙されている韓国はけしからんと言わんばかりだが、まさに「バカも休み休み言え」の典型だ。

軍事同盟はあっても、アメリカも韓国も日本もそれぞれに、国益も立場も異なっている。こと北朝鮮が今回の交渉で明言したように、核とミサイルの開発の標的はアメリカであって同朋にそんなものは向けない、というのであれば尚更のことだが、ぞもそも現在の懸案はアメリカに届くICBMの開発を許すかどうかで、トランプ支持者の求めるアメリカ・ファーストで言えば韓国や日本を犠牲にしてでも北朝鮮にそのミサイルの開発は許すな、という極論にすらなりかねないことにまったく危機感がない日本外交はどうかしている。

逆に言えば日本だって、日本列島を射程に納める中短距離ミサイルなら300発以上はすでに実戦配備されているのだ。韓国だけでなく日本にとっても、ICBMの開発は実はその安全保障にはなんの関係もない。なのにアメリカに届くミサイルを阻止するための軍事行動の報復攻撃で日本に核を搭載した中短距離ミサイル(これはとっくに実戦配備されている)が飛ぶことでも望んでいるとしか思えないのが、「韓国がアメリカや日本から分断される、韓国は騙されている」と言いたがっているガラパゴス安倍政権のニッポンだ。


それどころか「日米韓の結束」を自らぶち壊しにしたがっているとしか見えないのが日本政府だ。

南北会談と同日に、韓国外務省が2年前のいわゆる慰安婦問題「日韓合意」についての結論を発表した。この日程についてまで日本政府は疑心暗鬼に陥っているが、調査報告を昨年公表している以上は、南北会談とほぼ同時になったのは基本的に偶然の一致に過ぎない(強いていえば、北朝鮮が見計らったタイミングがそこも含めてだった可能性はあるが)。

この結論は極めて分かり易いものだが、日本のメディアは一生懸命に「分かりにくい」と印象操作に徹している。まず問題はあっても国家間合意なので、一応破棄はしない。慰安婦制度の被害者の皆さんの「癒し」と「和解」ならば、彼女たちが韓国国民ならばそれは韓国政府の責任なので、日本が拠出した10億円は要りません。「不可逆的な合意」はあるのでこれ以上韓国から日本にとやかくは言わないが、被害者が納得できる謝罪に務める義務が日本政府にあるのは、当然分かっていますよね、と言うこの上なくシンプルかつ当たり前のものだ。

要するに日本が、というか安倍政権が韓国に「ちゃんと謝ろうね。そしたら許してあげるから」と言われただけのことで、わざわざ「自発的で心のこもった謝罪」と言われたのがカチンと来るのは、気持ちは分からないでもない(他人から「自発的に」と言われるのは本来は矛盾していて、子供を叱るときくらいしか用いられない上から目線レトリックだ)が、これも自業自得だ。2015年の日韓合意の公表された3項目の第1は、安倍首相が「心からのお詫び」を表明することだったはずだが、日本側によればその義務は岸田外相がその文言を共同会見で読み上げただけで済んだことになっているらしい。

いったいどこが「心から」なのかそもそも理解不能だし、日本国内ではこれが合意内容の第1だったことすら無視されている。

だいたい子供の喧嘩の仲裁じゃあるまいし、一回謝ったからもう水に流してお互いに言いっこなしにしましょう、なんていうのが死亡者や事実上殺害された者も多い深刻な人権侵害で通用するわけがないだろうに、いったいなにをもって「最終的」と日本政府は言っているのか?

政府高官(と新聞で書かれるということは、菅義偉官房長官かその副長官のこと)は「一度行うと『次はこれ』『次はこれ』と要求される。そうならないために合意に『不可逆的』と盛り込んだ」と言い訳しているらしいが、今さらバレている噓になぜ固執して国民を騙そうとしているのだろう?

「不可逆的」はすでに韓国外務省の調査報告でも事実関係が確認されているが、韓国側が日本に要求したことで日本側が「盛り込んだ」ものではない。つまり河野談話による謝罪が日本政府の公式見解で、2015年末にも安倍首相が「心からのお詫び」を表明したことが「不可逆的」だと言質を取られたわけで、つまりは、もうこれはひっくり返しませんよね、「ただの売春婦」だの「でっち上げ」だのの暴論は今後は一切言いませんよね、しっかり反省してその反省を翻すことはありませんよね、という再確認でしかなく、日本政府が国内向けに印象づけようとしているような「10億円払ったんだから今後は慰安婦の『慰』の字も言うな、国民にも言わせるな」なんて意味には最初からなろうはずもない。

河野外相は韓国外務省の発表にさっそく「抗議」をしたそうだが、その中身は「さらなる措置を求められることはまったく受け入れられない」だというのだからトンチンカンな言いがかりもほどほどにして欲しい。そんな「さらなる措置」なんてまったく要求されていないどころか、日本政府の「措置」のつもりだった10億円も「要りません」と言われただけだ。

日本政府には抗議する理由なんてどこにもない。安倍首相が「心からのお詫び」を表明するのが合意の中身なのだから、「自発的で心のこもった謝罪」が期待されるのは理の当然だ。これ以外に韓国外務省は日本政府になにも求めておらず、10億円も「要らない」と言っているのに、なにが「さらなる措置を求められること」になるのか? だいたい安倍自身が「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」がいたと認めている(戦後70周年談話)ではないか。確かにこの受動態の一文の主体は曖昧だが、まさか「日本軍の被害者のことではない」、戦後の占領下での米軍のレイプ被害者のことだとでも、いきなり言い出すのだろうか?



いくら安倍だってまさか「お詫び」はするが「謝罪」ではない、という意味不明な詭弁でも始まるのか、というのはさすがにないとは思うが、朝鮮民族は儒教の伝統があり、敬老精神が文化の重要な一部になっている。韓国が北朝鮮に、その高齢の、それも戦時性暴力の被害者をこうも侮辱して植民地支配についてなんの反省もない日本の言いなりになるのか、と言われれば…というか言われる前から、韓国政府は沽券にかけても、安倍の「お詫び」ないし「謝罪」をうやむやにする態度を許容できるわけがないし、国際社会にも支持されない。

これでは対北朝鮮の「連携」が必要なときに、自国の身勝手どころか総理大臣の個人的な趣味だけで日韓を分断させているのは、一方的に日本側ではないか。それどころか安倍の訪米時に慰安婦制度被害者に対する不誠実な態度を批判したのはアメリカでも特に与党共和党だし、#MeToo というセクハラ被害者女性の告発が大きなうねりになっているのに、安倍はセクハラ疑惑がささやかれ性差別主義者だと批判されているトランプとなら「個人的な信頼関係」が築けるとでも思っているのだろうか?


それに韓国外務省は要するに、10億円なんてどうでもいいので自発的な謝罪を、と言っているのだ。はっきり言ってしまえば日本にとってはタダで済むことでもある。安倍さんとネット上の熱烈支持層が悔しがって前後の見境のつかない興奮状態に陥ること以外に、日本国民にとってなにも損をすることはない。

1/05/2018

新年早々、北朝鮮の「打ち上げ花火」(は多分ない)


新年あけましておめでとうございます…

広重 名所江戸百景 霞かせき 安政4(1857)年

…と始まった新年のニュースでさっそく、米メディアが北朝鮮がまもなく大陸間弾道ミサイルの発射実験を行う可能性を報じたと騒いでいる。「めでたさ」本来とは別の意味でのいかにもオメデタイ話にうんざりするが、まずそろそろ、いい加減学習してもいいのではないか?

昨2017年中に17回ミサイルが発射されたなかで、なにかの記念日に合わせてミサイルが発射されるのではないか、というメディアや識者の “予測” は、ことごとく外れている。

記念日に合わせての発射だったのは、アメリカの独立記念日のお祝いだとアメリカ合衆国本来の国是でありその独立戦争の正義にわざと言及して痛烈な皮肉を飛ばした時と(確かに超大国の力任せに北朝鮮のような小国を押さえつけるのは、アメリカそれ自体が体現するはずの理想への裏切りになる)、帝国主義時代の日本による朝鮮半島侵略が完成された1910年の日韓併合の記念日に合わせての発射だけだ。この時には北朝鮮政府がその旨を明言して自国に向けられた非難を今の日本の歴史無視・歴史修正主義批判へと、鮮やかにひっくり返してみせた。

この後者については、日本メディアは懸命に言及を避けているが、そんな国内引きこもり的な独りよがりでは、かえって北朝鮮に一定の正当性を与えてしまうだけだ。 
過去の日本が東アジアと世界の平和に挑戦し乱そうとした加害国であることは変えようがないし、しかも当時の日本は、今の朝鮮労働党体制どころではない軍国主義国家だった。北朝鮮はその直接被害国だ。 
その反省を前提にしない限り、日本がどう北朝鮮を非難しようが、返す刀で「お前が言うな」と国際的に認識されておしまいなのだ。 
逆に言えば、毎年の終戦記念日などで口先だけでいいから反省を明言して、現代の民主主義国家日本はかつての侵略国家日本とは違うと明示さえし続けていれば、それだけで(はっきり言えばタダで)済むことなのに、なぜそんな簡単なことが出来ないのだろう? 

どうせ報道されたとたんに結果として虚報になる(つまり大きなニュースに既になっているのだからわざわざやらない)公算が高い以上はまったく重要性のない、それも別に独自取材でもなく外国の同業他社の受け売りで、新年早々にこの大騒ぎとは、いかにも志が低くて幸先が悪い上に、頭の悪さとヒステリックな妙な共感性依存体質ばかりをなにもわざわざさらけ出すこともあるまいに。

北斎 富嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図 19世紀

これまでミサイル発射がある度に、日本政府はまったく意味がないJ-アラート(弾道ミサイルが日本の「上空」ではなく「日本の上の人工衛星より高い宇宙空間」を通過するときは慣性の法則で地球の引力と拮抗する力で放物線を描いて移動しているので、日本に落ちて来るわけがない)をわざわざ発令したり、小学生に昔懐かしい防災頭巾をかぶらせて避難訓練をさせたりして危機感を煽ろうとする一方で、発射の度に「事前に察知していた」と強弁もして来た。

むろん世界最強のアメリカの軍事衛星偵察システムがあるのだから、ある程度の監視は可能だし、そこで得られた情報は日本政府も直前にもらうことが出来る。だが北側から見ればミサイル演習や実験の準備まではしても、本当に発射するかどうかは、あくまでその時々の状況とその状況から産まれる戦略的効果による。

つまり北朝鮮の一挙手一投足がここまで注目を集めているからこそ、ますます外交的に最もインパクトのある時を狙って戦略的に考え抜くのが当然なわけだし、逆に言えば一般メディアまでが「発射の兆候」を把握しているのなら、そのタイミングで撃ったところであまり(というか、普通ならまったく)意味がない。

つまり米メディアの報道にわざわざ正月のトップ・ニュースにする価値は、それが報じられたとたんにまったくなくなってしまうし、どっちにしろまかり間違って米朝開戦となるとしてもそれはアメリカが仕掛ける場合のみで、北がいきなり先制攻撃なんて絶対にあり得ないというのに、よくもまあ無意味なニュース報道で空騒ぎの火に油を注ぐものだ。

広重 名所江戸百景 山下町日比谷外さくら田 安政4(1857)年

いや、もっとはっきり言えば、北朝鮮はすでに移動式の発射台などの技術を持っているのだから、本気で駆使すればアメリカの軍事衛星偵察システムからさえ兆候を隠すことも理論上は可能なはずだ。なのにたかが米メディアが「発射の兆候」を報道できるというのは、むしろ北朝鮮がそう報道するように仕向けている(つまり、わざと発射準備に見えるような動きをした)可能性も、排除しない方がいいのではないか?

つまりは金正恩がわざと蒔いた餌にあっけなく飛びついて、赤子の手をひねるようにいいように弄ばれているだけなのではないか?

英一蝶 大井川富士図 江戸時代17世紀

なんと言っても核とミサイル開発は、金正恩政権にとって日本やアメリカや韓国が自国に注目するように仕向ける最も効果的なカードになっている。しかもそのカードの有効性は、他ならぬ日米韓の3国や中国が証明し続けてくれているに等しい。

核兵器はその存在自体が道徳的に(つまり少なくとも建前としては)絶対悪であるだけでなく、実務の問題でもたいがいの核保有国にとって核兵力の維持は、とっくに大国なのにいまさら大国気取りの虚勢を張りたがる自己満足以外には、なんの役にも立たない冷戦期の惰性でしかなく、壮大な税金の無駄に過ぎない。
 
オバマが核廃絶を訴えたのも、核兵力の維持にかかる膨大な国費が財政上無視できない負担になっているという現実をなんとか変える狙いもあった。結局は絵に描いた餅で、オバマ政権下にアメリカの核軍備は更新され続けるどころか増強さえされてしまったし、最後の切り札だった核兵器使用を人道上の罪として謝罪することも、その人道犯罪の被害国であるはずの日本に(なぜか)阻止されてしまったのだが。 
だがこの北朝鮮の核武装計画の場合、確かに「核保有」は外交的に極めて効力のあるカードとしてちゃんと利用は出来ている。

北朝鮮にとっては国民生活を犠牲にして膨大な資金を注ぎ込まなければならない核開発だが(だから金正恩は就任当時、父が進めていた核開発ではなく国内産業の育成に予算を向けようとしてもいたが、諸外国に無視され続けるなかで方針の転換を余儀なくされた)、周辺諸国が大人げない対応をし続ける限り、決して「ただの無駄」にはなっていない。

むしろ代替わりの直後に韓国や日本に対して関係改善を働きかける比較的まともな外交姿勢に方針を転換しようとしても(韓国にはお互いの罵倒を止めようと提案し、日本には拉致問題の再謝罪と再調査を申し出て、第二次大戦の日本人戦争遺族を中朝国境地域への墓参に招待もした)単に無視されただけだった以上、核とミサイルというカード以外に、金正恩が国際社会のなかで中国の属国状態と偏見で見られ続けることから抜け出して、北朝鮮の未来を切り開けるカードは、他になかったとすら言える。

言い換えれば、現代の国際社会に国連憲章に謳われているような理想を少しでも尊重する姿勢があれば、金正恩政権は核やミサイルの開発ではなく他のもっと建設的な分野に国費と国力を注ぐことも出来たし、現に金正恩自身が最初はそういう改革をやるつもりだった。だが例えば拉致問題を再び謝罪して今度はしっかり調べると申し出ても、単に無視されただけで日朝関係も北朝鮮の地位も、なにも改善しなかった。

それが核とミサイルをちらつかせるだけで、周辺の諸大国は金正恩の一挙手一投足にひたすら注目する。オバマ政権はまだ「戦略的忍耐」と称してとにかくなんでもひたすら無視を決め込んだので、北がどんな騒ぎを起こそうにも不発に終わったのが、ちゃんと反応して積極的に関わろうとするトランプ政権なら、米朝交渉に引きずり出せる可能性も相当に高い。

歌麿 合惚色の五節句・正月 18世紀

冷静に、客観的に見れば、たとえば日本政府が対米従属に徹しつつ「圧力」一辺倒を口角泡を飛ばし叫びつつ、その裏で恐らくはあの手この手でアメリカ政府に働きかけて強硬姿勢に誘導すらして来たであろう(ワシントンでロビー攻勢に専念して来たとしても驚くに値しない)この数ヶ月の結果は、なんと周辺のどの国に較べても吹いて飛ぶような国力しかない、経済的・産業的にもあまりに遅れた貧しい小国でしかないはずの北朝鮮の、日本も含めた周辺諸国に対する圧巻の外交的勝利の連続になっている。

逆にこと日本の国益という観点で言えば、なんの戦略性も出口戦略もなかった「圧力」方針は、金正恩政権に着々と核弾頭と弾道ミサイルの技術開発を進めて完成に近づける時間稼ぎをみすみす許しただけだった。

いわば安倍政権がこそが、北朝鮮の目標達成に貢献して来たとすら言えてしまえそうだ。

日本から至近に核武装国が出来てしまうこと自体は、もちろん日本の安全保障にとって決してプラスではない。そんな明らかに国益に反する状況を日本政府自身がみすみす自らの無策で招いてしまっただけが「最大限の圧力」の結果だし、日朝関係の日本にとっての大懸案であるはずの拉致問題も、「圧力」を叫ぶだけで交渉パイプを自ら潰してしまっている現状では、ますます解決の見込みも遠のくしかない。

北斎 太夫の書初め 文化4(1807)年

もっとも、国民の利益ではなく政府というか安倍政権の利益から言えば、拉致は決して解決してはいけないし、被害者家族はひたすら「気の毒な人々」であり続けてもらわなければ利用価値がなくなるのも確かだ。しかも本気で解明・解決をしようとすれば、その過程で安倍政権が決定的に不利になる事実が次々と明らかになってしまう(要はなにもせず、むしろ解決を妨害し、被害者家族を選挙等にひたすら利用しつつ、その被害者家族にさえ圧力もかけて黙らせようとして来ただけなのが安倍晋三とその周囲)のが実情だ。

北朝鮮の核武装が現実化しつつあることですら、安倍政権にとっては日本の安全保障は実はどうでもよく、国内的に防衛予算の増大させたり憲法9条を改正するには確かな追い風として政権の求心力を高める効果だけを狙っているとしか思えないし、現にその効果だけは上がっている。

外交的には大惨敗としか言いようがない安倍政権の動きだが(トランプ来日でアメリカ製最新兵器の購入をあっけなく飲んでしまうなんて、あまりにみっともないし)、これが外交も安全保障も実はどうでもよく、「国難」を煽るだけ煽って政権基盤を固めようと意図したコップの中の嵐的な陰謀だったとしたら、驚くに値することは何もないのかも知れない。

渓斎英泉 書き初め美人 19世紀

さて一方の北朝鮮・金正恩政権はといえば、新年早々のミサイル発射の「可能性」に興奮していた日米をあざ笑い、その梯子を外すかのようなサプライズの新年の訓示を発表した。

まず金正恩は「核戦力の完成」を宣言し、アメリカ大統領の有名な核のボタン(大統領がどこに行くのでも携帯用の発信装置がついて行くことになっているらしい)をあてこすって、アメリカに撃ち返せる「核のボタン」は「いつでも私の仕事場の机の上にある」と述べた。

トランプはさっそく「私の机の上にも核のボタンはあるし、こっちの方が強力だ」と大人げないツイートで言い返して、またもや金正恩の計算通りに乗せられたわけだが、普通に読めばこの発言の外交的メッセージは、要するに核開発はもう「完成」したのだから北としてはこれ以上の核やミサイル発射による威嚇・挑発はやらないでもいいのだが、米韓日の側はどうするつもりなのか、とボールを投げた内容になっている。

ならばアメリカだって返すべきボールが何なのかも、それ以外の対応があり得ないことも百も承知なのに、それでは「リトル・ロケットマンの言いなり」になってしまうのが、トランプにはやはりよほどシャクに触ったのだろうか。

歌川豊春 新板浮繪七福神寶舟湊入之圖 18世紀

もちろん、ここで周辺諸国が判断を間違えさえしなければ(ただしそれは、北朝鮮の狙った通り、にもなってしまう)、この核とミサイル問題は完全な「解決」とまでは行かなくとも、偶発的な戦争が起こりかねないようなヒートアップした危機は回避されるのだし、現にトランプ政権もすぐに態度を翻すことになった。

なんと言っても北朝鮮がこれ以上、核実験やミサイル演習を続けなくなる可能性だけでも安全保障上の成果は大きい。

…というか、本音で言えば金正恩だって、これ以上核やミサイルに国費を注ぎ込み続けるのはできれば止めにしたい。その必要さえなければ、同じ資金を国内の産業整備やインフラ事業に注ぎ込めれば、それに越したことはないのだ。 
 だからこそ北朝鮮は足下を見られないように、その本音はわざと隠して来た。アメリカのメディアが新年早々にミサイルを発射する観測を報じたのも、だからこその陽動作戦だった(わざとそう見られるかのような動きをさせた)可能性すら否定はできない。
要は自国がアメリカにいつアメリカの核攻撃で全滅するか分からない、というようなリスクを排除するのと、中国が今後は露骨な属国扱いはしないこと、あとは日本が差別意識丸出しの侮蔑的な態度を今後は控えることさえ実現できれば、あえて大金を注ぎ込んでこうした敵対姿勢を続ける理由なんて、そもそも北朝鮮にはないのだ。


魚屋北渓 三升福禄壽・布袋 19世紀

この新年の訓示で本当に重要だったのはもちろん、北朝鮮がこれまで沈黙を通して来た韓国・平昌で開催される冬期オリンピック(1988年のソウルの夏期オリンピックについで2度目の朝鮮民族が主催しホストになる大会)について、祝福・歓迎する姿勢を明確にし、参加の意志も示したサプライズだ。

つまりは年末にアメリカのメディアがミサイル発射の兆候を報道した、つまりはアメリカのメディアが報道できるほどあからさまに北朝鮮がミサイルの発射を準備しているかのような動きを見せたのは、やはりこのサプライズ効果を高めるための陽動作戦というか、要するにアメリカのメディアも日本のメディアも騙され引っかかって踊らされただけだったのだろう。

韓国政府には当然ながら、これに応じて南北対話を始める以外の選択肢はない。さっそく文在寅大統領が歓迎の意を表明すると、北側はすぐに板門店の南北ホットラインも復活させ、高官レベルの会談の準備まであっというまに始まった。

日本のメディアは米朝対立がより激しくなってくれなくては困る安倍政権(北朝鮮のお陰で支持率がなんとか維持されているのが、「国難」を標榜してうやむやにできて来た森友・加計学園疑惑も再燃するし、政権に近いペジー・コンピューティングの助成金詐欺事件にリニア新幹線談合など、より巨額な「オトモダチ優遇」疑惑も山積している)を必死で忖度するように、これが北朝鮮による米韓の結束にクサビを打ち込む陰謀で、乗ってしまう文在寅は愚かだ、と言わんばかりの論調を取っているが、馬鹿も休み休み言って欲しい。

国際平和と正義の観点からして、韓国政府には北朝鮮のオリンピック参加の意向を歓迎する以外の対応はそもそも出来ないし、アメリカだってそこには反対できないのだ。

産経系の極右夕刊フジなどは「アメリカが韓国に激怒」とか、今度は米韓戦争が始まるみたいな妙な期待に染まっているが、米韓にクサビどころか韓国を使ってアメリカを交渉に引きずり出すことも可能なのが、北朝鮮の外交戦略だ。

この流れに抵抗すれば、それこそ「韓国は平和の祭典を主催するのに戦争をやりたがっているのか?」と思われるだけだし、そもそも戦争をやりたがっているのは日本であって、韓国では一部の狂った右派はともかく、文在寅は「愛国心」と彼が言う時にはそれは朝鮮民族の総体が対象で、性急な半島統一は当分は不可能でも南北朝鮮は融和すべきだ、というのが信念だし、圧倒多数の国民は、何十万人か、運が悪ければ何百万もの犠牲が避けられない対北朝鮮戦争が現実の選択肢になれば絶対に反対する。

国貞(三代豊国) 七福神 19世紀

逆に言えば、これもまたもや、金正恩のまだ30を過ぎたばかりの若さとは思えない老獪な外交手腕を示す、相手国の都合や利害や行動原理を考え抜いた上で戦略的にタイミングを見計らった一手だった。

つまりはまたもや、北の計算通りの、圧倒的な外交的勝利だ。

なにしろ米韓両国のあいだでは、「北朝鮮は参加しないだろう」という前提で、平昌オリンピック前とその期間中は米韓軍事演習は延期する、という合意の形成が昨年暮れから既に進んで来ていた。

この合意が検討され始めた時点では、北朝鮮は五輪への参加についてなにも言わず、国際オリンピック委員会からの参加の意向確認にも(恐らくはわざと)なにも返事をしていない。そこで米国や韓国の右派や日本では「北朝鮮は国際平和に反して挑発的な態度を取り続けるに違いない」「オリンピックを妨害するためにテロ事件を起こす」などとレッテル貼りに耽溺し、その対比で自らはオリンピックに参加し協力する国際社会の側だという格好を演出するプロパガンダで、北に対する道徳的な優位を(主に国内向けに)示そうとすらしていた。

金正恩はその自惚れのスキに見事につけ込んで、米韓(とくにアメリカ)の鼻を明かしてみせたわけだ。

作者不詳 江戸の正月 天保8(1837)年

アメリカにしてみれば、いかに北朝鮮に逆転されて主導権を握られ、金正恩の狙った通りの結果になるのが悔しくとも、今さら米韓軍事演習の延期を撤回するわけにはいかない。国防総省もさっそく米韓軍事演習をパラリンピックの終了までは延期すると早々に発表した。悔し紛れに北朝鮮の五輪参加を評価するのではなく、大会開催中は軍事演習による交通の制限などを避けるため、という言い訳を付け加えてはいるが、演習を少なくとも延期はしなければ平和の祭典オリンピックをアメリカが妨害した、という形になってしまうのは、いかに「アメリカ・ファースト」のトランプでもそんな状態に自らを追い込むわけには行かない。

つまり事態が北のペースに乗せられて進展することはアメリカも避けようがないし、北朝鮮はアメリカをその立場に追い込む計算で情報の出し方をコントロールして来ていたのだろう。

北斎 七福神 文化6(1809)年

次の焦点はもちろん、合同演習が今のところ「延期」であるのを「中止」するようにと北朝鮮が要求して来るかどうか(というか、これはほぼ確実にこう言って来るだろう)、そしてその要求に米韓がどう応えるかだ。

韓国の右派と、それ以上に日本は、強硬に反対するだろう(両者ともアメリカべったりの対米依存であると同時に、自分たちの憎悪の対象をアメリカが撃滅してくれることで自分たちの権威権力が担保されるのだと、あらぬ期待を抱いている)が、文在寅政権は「無期延期」か、年内は見送るくらいまでは本気で検討するだろう。もともと米韓合同軍事演習は、文在寅にしてみれば断る理由も見当たらないのでアメリカや国内右派に合わせるしかなくやって来たことに過ぎないのが、これで平和の祭典のオリンピックが断る大義名分になったのだ。

そしてアメリカに対しても、これを機に米朝対話を本格的に始めるように、という圧力が国際的にかかることにもなる。逆に言えば、このまま米韓合同軍事演習をアメリカが強行してしまうなら、世界の平和を乱す悪者になって国際的に白い目を向けられるのは、北朝鮮ではなくアメリカなのだ。

しかも米韓合同演習をただ「延期」するだけで、オリンピック後にはまた米朝対決を再開するという態度をアメリカが取るのなら、北朝鮮の態度が「ならば結構、そのあいだもこちらは黙々と核とミサイルの開発を続ける」となるだけだ。つまりは「延期」だけに留めてしまえば、米本土に直接攻撃が可能な弾道ミサイルをいよいよ本当に完成させるためのさらなる時間稼ぎを2ヶ月以上も、北朝鮮にみすみす与えることにしかならない。

北斎 見立て大黒・弁天・恵比寿 江戸時代18世紀

NHKがわざわざアメリカでも世論調査をやって脅威と感じる者が8割と報道しているが、アメリカ国内的に北朝鮮の核問題が「脅威」であるのは、単に金正恩政権が、というわけではないし、現にNHKの質問項目もなんのことはない、あくまで「米朝戦争が起こること」を脅威として感じるかどうかだった。

「なにしろこっちの大統領もトランプだし」「トランプのことだから非常識で愚かなことをやってしまうのではないか」という不安も含めて脅威を感じているのがアメリカ国民であって、しかもアメリカが深く関わり続けている中近東情勢に安定の気配がまったく見えない(むしろトランプが新たな混乱を招いてしまっている)なかで、今度は東アジアで戦争など無謀でしかない上に、理論上はアメリカ本土全体を射程に収める火星15号ミサイルも、北朝鮮はすでに持っている以上は、米本土の大都市とそこに住むアメリカ国民の声明すら危険に晒すことになる。そんな軍事行動に賛成できるのは、アメリカ国民のなかでもごく一部の、世界を知らず根深いコンプレックスに囚われている人々だけだ。

だいたい日本が期待しているような「北朝鮮はけしからん、やっつけてしまえ」などという積極的な世論は、アメリカにはほとんどない(というかそもそも北朝鮮なんてどうでもいいし、朝鮮半島がどこにあるのかもよく知らない)。

北斎 宝船の七福神 19世紀

アメリカが東アジア外交でもっとも重視しなければならない相手国は当然ながら中国であり、トランプにとって幸いなことに、習近平もそこを深く理解してトランプ個人との信頼関係をしっかり構築して来た(それに有能な豪腕政治家の習近平は、トランプにとって個人的に敬意も抱くし話も合う相手なのは、安倍とは大違いだ)が、その裏では中国政府にとっても、今の北朝鮮は最大のアキレス腱のひとつになってしまっている。

なにしろ父の金正日の時までは事実上の属国だったのが、息子の金正恩はまったく言うことを聞かないどころか、むしろわざとことごとく北京の意向に反対し、「図体がでかいだけの間抜けな周辺諸国」とまで痛烈に罵倒して、徹底的に馬鹿にして来ている。大国としての立場とアイデンティティを鮮明にしつつあるのが今の中国なのに、その盟主を気取る習近平がたかが北朝鮮すら従わせられないという現実が明らかになってしまえば国家の沽券に大いに関わり、チベットや新疆ウイグル自治区の独立運動などを勢いづけてしまうだけでも大変なリスクだ。

ここはなんとしても米中が連携して北朝鮮をねじ伏せなければいけないのだが、北京にとってさらに厄介なのが、その国際的な手段には経済制裁しかないことだ。

今の中国の国民は経済発展こそが国のためであり自分達国民のためだと考えている。北朝鮮との付き合いが現に金儲けになっていて、それが今後の商売の上でも重要だと考えれば、政府の命令になぞ従わないし(というか中国国民はそもそも、自国政府をそんなに信用もしていないし権威も感じていない)、ましてアメリカの言いなりになぞもっとなるわけがない。国民の本音レベルでは一歩間違えれば「政府はなにを馬鹿なことを言っているのか」としか思われなくなる経済制裁への参加は、北京政府も実効性が元々担保できないのが実情で、とはいえこうも反抗的な北朝鮮に対する国際的な制裁に参加しないのは中南海の沽券に関わるので、だましだまし参加するしかない。

その上北朝鮮と国境を接し、もっとも関係が深い旧満州はもともと漢民族の土地ではなく、満州族、モンゴル人、朝鮮族など少数民族が多く北京政府への不満も不信も元から強い。政府の都合にそう従順に従ってくれる人々ではないのだから、その不満を長引かせるわけにはいかない。

つまり習近平にしてみれば、今のところはできるだけトランプに歩調を合わせはするが、協力するから早く金正恩とカタをつけてくれ、というのが本音だ。

窪俊満 七草 19世紀

ロシアのプーチンにとっては、とにかくウクライナ問題以降の経済制裁を主導するアメリカの権威を失墜させ、「アメリカ側」の陣営を瓦解させることが重要な外交目標なので(そのアメリカのヘゲモニーを破壊しなければ、ロシアは二流国扱いのままになる)、北朝鮮問題がどちらに転ぼうが、それをアメリカの愚かさや不道徳さをあげつらう手段に用いるに決まっている。

魚屋北溪 七草売り 19世紀

北朝鮮はつまり、国際的にも米国内的にも「トランプいいかげんにしろ」という声の方がいつでも沸き上がりかねないタイミングを見計らって、平昌オリンピックへの参加の意向を明らかにしていたことになる。

しかもとたんに急ピッチで話を進めることが出来ていると言うことは、一ヶ月前になって突然オリンピックに参加することになったかっこうの選手たちのトレーニングも含めて、海外に察知されないように万端の準備を重ね、あとはこの五輪カードを切る最良のタイミングを考え抜いて来た策謀だったのだろう。

金正恩は元々、代替わりの直後には韓国の、38度線からたいして離れていない平昌でのオリンピック開催が決まったのを見込んで、38度線のすぐ北にスキー場を建設させている。つまり共同開催も視野に入れていたわけで、右派系の(というか軍事独裁者・朴正煕の娘である)朴槿恵の敵視政策で断念していた。日本もまた朴槿恵以上に北朝鮮を敵視するというか、差別意識丸出しの安倍政権なわけで、この2国が金正日から金正恩への代替わりが関係改善のチャンスだったことを見逃していなければ、そもそも今の核・ミサイル危機は起こっていない。

オバマ政権も韓国と日本を無視するわけには行かないから、「戦略的忍耐」つまり「なにもしないこと」以上の対応は出来なかった。現状を冷静に見れば、要するに米日韓の3国にはそのツケが突きつけられているのだ。

魚屋北溪 三十六禽続・犬 19世紀

朝鮮半島は南北合わせた全体で見ても、人口の面でも面積でも小国でしかない。歴史的にもはっきり言ってしまえばほとんどの場合、中華帝国にひたすら付き従う朝貢国・衛星国でしかなかった。

それでも現代の韓国は経済発展と、東アジア・東南アジア圏を中心に世界に向けた文化輸出政策を民主化後の国が強力に後押しして来たことで、かなりの国際的なプレゼンスを獲得しているが、もう一方の北朝鮮は、大国が主導する国際政治の枠組みのなかで、こう言っては悪いが吹いて飛ぶような存在感しかない国だ。

その北朝鮮がこれだけの国際政治上の注目を集めるよう巧妙に立ち回り、「綱渡り」「瀬戸際外交」と大国のメディアがいかにムキになって揶揄し貶めようとしようが、しっかり自らの地位と発言力と国益を確保し、国内でいかに深刻な貧困や食糧不足や政治弾圧などの問題を抱えながらも、外交的には連戦連勝を重ねて来ているのだ。

しかもその指導者はまだ30を過ぎたばかりの若者のはずが、その外交は老獪で狡猾極まりなく、しかも大胆で、しっかりと計算どおりの結果も出している。

金正恩の政治能力が高いからだ言われれば、ドナルド・トランプや元側近のスティーヴ・バノンですらそう認めている通りなのだろうが、それ以上に日本が(曲がりなりにも大国だというのに)あまりに無能にして非常識でプライドのかけらもなく、あまりに情けなさ過ぎはしないだろうか。

広重 名所江戸百景 高輪うしまち 安政4(1857)年

他に使えるカードが他にないから核とミサイル、という選択は、もちろん倫理的には大いに問題だ。こと唯一の戦争被爆国である日本の国民としては許せないのはその通りだ。

しかし日本がそれを言うのなら、自らがアメリカの「核の傘」が必要だなどとはそれこそ建前だけでも絶対に言ってはいけないダブルスタンダードにしかならず、日米安保があるからと言って、そこまで卑屈になって自国民の被爆者をあからさまに裏切り侮蔑してまで媚を売る必要はない。

日本列島にとって「北朝鮮の核武装は脅威」なのもその通りだが、それを言うならアメリカが在日米軍基地、とくに沖縄という足がかりを持っていて、いつでも北朝鮮の全土を壊滅できるだけの核攻撃が可能な体制を維持している(日本政府への通告義務がないので、現状で沖縄の核弾薬庫に再び核弾頭が持ち込まれているのは十分にあり得る、というか当然持ち込んでいると考えるのがまともな軍事安全保障上の思考)ことも、日本国民ならば許してはならないはずだ。

礒田湖龍斎 水仙に群狗 18世紀

それに北朝鮮が本来なら持っていた、外交上の他の「使えるカード」として、日本相手なら拉致問題の再謝罪と再調査を申し出て来たのは北朝鮮だし、その当時には安倍政権下で在日朝鮮人や朝鮮総連に対する露骨に人種差別的な言動が政権の熱烈支持層から出て来ていたり、政策面や司法の動きでもそうした人種差別が補完されていた(たとえば朝鮮学校の高校無償化からの除外、たとえば朝鮮総連本部ビルの差し押さえ)こともあえて直接明言はせずに、日本政府に在日朝鮮人の人権の保護を今後もしっかりお願いする程度の言い方で済まして来ていたのを、不誠実さ丸出しに無視して、新たな拉致被害者救出の可能性すら潰して来たのは、安倍政権の日本政府だ。

浄瑠璃寺十二神将像 戌神 鎌倉時代13世紀

あえて極論を言うならば、今の北朝鮮をめぐる国際状況を作り出したのは、国内引きこもりで外交を国内向けの、それも自分の熱烈支持層(これがまたまったくロクでもない人々で、普通の日本人なら「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言いたくなるような、人格がぶっ壊れたとしか思えない不道徳な差別主義者の噓つき集団)へのアピールと、とってつけたようなうわべだけの自慢と言い訳の手段としかみなして来なかった安倍政権の、呆れるまでの非常識に彩られた外交無能ぶりにも大きな原因があることを、たとえば日本の大手メディアなども、そろそろはっきり言うべきではないのか? 

北朝鮮が本当に「脅威」で「国難」があるのなら、それを少しでも解消・緩和に導くことこそが本来なら日本国民の利益、つまりは日本の本当の国益のはずだ。

しかしだからこそ、トランプのアメリカが北朝鮮を殲滅でもしてくれることに淡い期待だか夢だかを抱いている安倍が総理大臣でいる限り、平和裏で解決できる問題でもあえてぶち壊しにして「集団的自衛権」を行使したくてウズウズしている安倍が邪魔するのだろう。

円山応挙 朝顔狗子図杉戸 天明4(1784)年

日本は経済的にも文化的にも、そして実のところ軍事力においても立派に、世界屈指の大国だ。だから(アメリカ以外の)世界中の国々は日本に最大限の配慮を欠かさないというのに、日本政府はなぜこうも外交がヘタクソで外交的惨敗を続けるばかりで、自国の利益がどこにあるのかすらロクに把握できていない外交上の奇行を繰り返すのだろう?

そんな情けない大国の日本と比較したとき、北朝鮮の外交は、その国自体は偏見で見られ続けているし実際に時代錯誤な独裁国家ではあり、国力の規模としても吹いて飛ぶような小国でしかないからこそ、自国のカードとして使える強みとその効果・効力を冷静に評価して、もっとも有効なタイミングでそのカードを切る深い戦略性で一貫していることは否定のしようがない。

相手を小国だと見くびって、日本人(それに中国人もそうだが)ならば差別対象である朝鮮民族だからという偏見に染まったまま、優越感の自己満足に耽溺しようとし続けた結果、もはや日本の国内ではムキになって差別意識に満ちた罵倒を共有してかりそめの優越感と集団ヒステリー状態に浸ることしか出来なくなっている。

なんと言っても安倍政権のうわべだけ強行路線の実態は、ひたすらアメリカ頼り、それも国務省のスタッフも未だロクに揃えられず外交不全状態が続くトランプ政権に依存するだけで、トランプが金正恩をやっつけてくれることに淡い期待を抱いているだけ(で、トランプ自身はそもそも、そんなことやる気ゼロ)の空虚な強がりでしかないのは、あまりに情けない。


その日本にとってはますますおもしろくないことだろうが、このまま平昌オリンピックを成功に導くことができれば、現状の北朝鮮危機…というか米朝危機は、それなりの解消に向かって行く可能性は多いにある。

まず韓国の現政権はそのつもりだし、そろそろ収束に持ち込むことは北朝鮮にとってだけでなくアメリカにとっても、そしてむろん中国にとっても、共通した利害なのだ。

そしてその流れにはロシアも乗るであろことも目に見えている(なにしろアメリカが妥協する、という結論に表向きはなるのだから)。

…というか、日本の国民にとってだって、そうならなくては困るはずだ。

在日朝鮮人をどうしても差別し続けたいからその正当化のためには北朝鮮は「悪」でなくては困るなんて人はごくごく一部しか、実際の日本国にはいないはずなのだ。

円山応瑞 狗子図 18世紀

もちろん安倍政権の「圧力!圧力!」のバカのひとつ覚えの結果、ICBMはまだ実用段階では実はない(金正恩はあえて「完成された」と明言したが、要するに「ここで止めてもいいですよ」というジェスチャー)にせよ、北朝鮮が核弾頭を持ち、日本列島を射程に収めるミサイルならとっくに実用段階になっている現状は、それはそれで非常に困った問題だ。

だがこれを「日本は核兵器を持っていないのに北朝鮮が核武装なんて悔しい」という劣等感と罪悪感の裏返しとしての差別意識から来る歪んだ欲望を満たしたいだけの、およそ現実離れしまくった願望とスリ替えてはなるまい。

日本こそがうまく立ち回って米朝交渉を速やかに始めさせていればまだ結果は違ったろうが、もはや現実問題として北が核武装を手にしている以上、解決の構図は北朝鮮とアメリカの間の対話というのは、双方の核軍縮交渉にしかなりようがないのだ。

アメリカが認めようが認めまいが北朝鮮は現に核武装してしまっているし、しかも日本が核拡散防止条約で核兵器の保有を認められた五大国の核武装を支持し、この条約違反のインドの核政策にすら協力し、自国の安全保障にアメリカの「核の傘」が必須だと裏でこっそりの本音ならまだしも公言してしまっている以上、北朝鮮に核武装それ自体の放棄を迫ることなんて、現代の世界秩序が主権国家の平等と公平性を一応の基礎としている以上は筋が通らない。よほど札ビラを切って援助ばらまきを押しつけでもしなければ(まあこれが安倍の言う「地球儀を俯瞰する外交」の唯一の手段なのだが)誰も賛同してくれないような無理な相談でしかないことに、そろそろ日本国民は気付いた方がいい。

もちろん日本がここで核兵器禁止条約の発効に積極的に動き出し(ヒロシマ、ナガサキの被爆国なんだから当然のこととして、本来なら期待されていたこと)、日本とその周辺の東アジア地域そのものの非核化を主導し始めるようなことがあれば、つまり「唯一の戦争核被爆国」という最強の外交カードを巧く使いこなせるようになれば、話はまったく違って来るのだが…。

広重 薔薇に狗子 19世紀