最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

10/22/2012

龍安寺の石庭を見る “正しい順番” について


所用で京都に行って来たついでに、(実はこれまで機会がなく、初めて)龍安寺の石庭を訪ねたのだが、観光客の入り口である庫裏から、方丈に入って石庭に面したところで写真を撮ると、なにかおかしいのである。

いや写真を撮るまでもなく、見るだけでなにかおかしいのだが、写真を撮ろうとすると、手持ちだとうっかり、このように微妙に斜めになるというか、水平が取りにくくて困る。

さらに近寄ってみると、やっぱりおかしい。



この写真で右手に見える、つまり庫裏から直接方丈縁側に出た際に、石庭のいちばん奥に見える土塀が、どこか変に見えている。

写真を撮る時には普通、この壁に合せて水平をとろうとしてしまうので、なんとも混乱してしまうのである。


ここまで近寄るとさすがに、なにがおかしかったのかは一目瞭然…でもなくこのアングルだと逆に返って自然に見えてしまうかも知れないが、上の二枚の写真と比べて下さい。

そう、土塀の上部が、水平ではない、斜めになっているのだ。

下の写真のように座敷の方向から見た際(つまり観光客向けの順路で最初に見るのと90度違うアングルになった際)に、視野の奥に向かって遠近感が誇張されているのである。



この写真では、斜めになっている壁は画面の右側外。よく見るとこの塀も右に向かって低くなっている。

ちなみに、今では石庭を見終わった拝観客が出て行く、方丈の庫裏から見て奥側の縁側で、振り返ってみるとこのように見える。


まだ紅葉していないので緑のかえでの向こうに真っ白な石庭が見える、これがもう少しすると色鮮やかな紅葉の彼方に、石庭が見えることになる。

そしてその時には、視野に入った右側の塀が、視野の奥に向かって低くなっている、つまり遠近感が誇張されているので、白い石庭がより広がりを持って体感出来るのだ。

今の龍安寺さんが指定している順路だと、庫裏にあがると右手にお土産屋があり、その向こうに縦長の長方形に伸びる石庭を見ることになるわけだが…


…とたんに「あれ、奥の塀がなにか変じゃないか」「ああ、斜めになってるんだ。なぜなんだろ?」とまでは考えるにせよ、意味が分からなくなってしまう。

しかも実は、砂利の敷き詰められた地面も、この写真の左手前側に向かって、ほんの微妙にだが、低くなっている。

これを逆から、つまり庫裏の反対側から見れば、遠近感が強調されるはずが、いきなりこちらから見ると(意識はしない程度であるにせよ)水平感覚がおかしい、不安定な気分になる。

この庭の設計上、正しい導線ではないのだ。

正しくは、お土産屋の前を通り過ぎたあと、奥に見える石庭の方にすぐに行きたい欲望を抑えて、右に曲がって方丈の緑あふれる裏庭に進んで…

…気を落ち着けたところでさらに右に曲がって縁側を進み…

…その向こうに石庭が垣間見えるところから石庭に進むように、この瞑想空間は設計されているのである。


そこで目に入るのがまずこの手前の三つの石…と言っても一瞬、二つに見えるかも知れないが、中央の大きな石の向こう、手前の平らな石のちょうど反対側に、同じ様に平らな石があるので、三つ、その奥にはさらに(ほぼ同じ高さの)石が二つある。ここで見えている石は、合計5個だ。

座敷の中央の前辺りの縁側に進むと、右手のグループの石はもう2個しか見えない。その奥に2個のグループ、その左に3個の石のグループ。



龍安寺の石庭には、合計15の石が配されている。だがどの位置からも、15の石を全部見ることはできない。

誇張遠近法の使い方から推論できる正しい導線に従って、あえてぐるりと方丈の裏を廻って、逆側の縁側から入っていくと、見える石、見えない石の関係も、すんなり頭に入って来る。


さらに左に目をやると、この写真で中央に見える、庭の奥の壁の前に横長の石が1個と、そのそばに小さな石が1個で、ここまでで計10個。左奥には2個しか見えない。

それがもう少し先に進んで、いちばん奥のグループに近づくと、ひとつに見えた石が実は2個に分かれていて、その反対側にも砂に埋め込まれたような平たい石がもう1個あることが分かる。

でもこれでは、合計まだ14個だ。

ところが、方丈の縁側を歩き切って、庫裏に抜ける前にもう一度石庭の方に振り返ると、今度はさきほど手前に見えた石は隠れてしまう代わりに、その反対側で1個独立した石になっていることが、分かる。

これで合計15個。

石が15個配置されていると言われて、数えてみようとすることで、人間の視野と言うものがいかに限定されたものであるか、いかに我々が見ているようで実はなにも見ていないかが、具体的に理解できるように、この庭は設計されているのである。


あ、この角度だと、今度は2個あるはずの、塀の前の石が、1個に見えてしまう!

禅宗の瞑想というと、なにか浮世離れしたといっては失礼だが、抽象的でよく分からないものだというイメージを我々はなんとなく持ってしまっている。

石庭にしてもなにか抽象化された世界のなかに森羅万象が組み込まれている、それを読み解くようなイマジネーションの世界だけが瞑想なのだと、思い込みがちだ。

むろん瞑想には究極、そういう面はあるのだろう。いずれ「悟り」に到達すべきものなのだし。

でも一方で、龍安寺の石庭に凝縮された瞑想の思想は、石の数という極めて具体的なものを出発点とするように、周到に設計されているのだ。

庫裏から入ったときにすぐに向こうに目に入る石庭にすぐには行かず、あえて緑あふれる裏庭を通ってから方丈の石庭に入る動線も、心をシンプルな状態に落ち着けるための、極めて具体的な知恵なのだろう。

いやはや、すごい導線と視線の計算、建築家の才覚である。


だが通常の観光コースで最初に見るこの位置からだと、奥の土塀の遠近感が誇張された土塀の仕掛けがかなりよく分かる…というよりも、このアングルからでは、ただ変なだけだ。

逆の順番で見ていけば、後になって最初に見た時に感じた空間の広がりが、実は遠近感を操作したものであることが分かって、納得できるはずなのだが。


…というわけで、今の龍安寺さんには、先人の知恵を鑑みて、もうちょっと順路を工夫して頂けないものかなぁ、と思う次第である。

ところで、昼間に行くと庫裏の前はこんなに人だかり、というくらい、それは世界遺産であり国の特別名勝なんだからお客も多いわけで、朝の8時から開いているので、なるべく朝早めに行くことをお薦めする次第です。

こちらの、龍安寺前まで直行できるJRの路線バスは、なぜか観光案内やルート検索であまり出て来ないが、いちばん手軽 http://www.nishinihonjrbus.co.jp/other_bus/takao-keihoku_information.html


東京から深夜バスなら朝7時前について、京都駅前のカフェで朝飯食べて、龍安寺前まで、と行くと完璧ですね。今度はそうしようっと(…と、最後はえらく貧乏臭い話ですみません)。

10/15/2012

ジャック・ドゥミーとロマンチシズム〜『都会のひと部屋』

『都会のひと部屋』ドミニク・サンダ

承前。ジャック・ドゥミーの映画では、しばしばロマン主義的な意味での「究極の愛」が大きな役割を演ずる。

日本語で言えば「赤い糸」、「運命の人」、プラトン的な神話で言えば「この世界の始まりに分かれてしまった自分の片割れ(それと再会することで人間は元の完全な形を取り戻す)」という意味でのロマン主義的な恋愛神話のことだ。

『シェルブールの雨傘』ではジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドゥヌーヴ)は「あなたなしには生きていけない」と繰り返し(が、実際には恋人の出征後、別の男と結婚してしまう)、『ロシュフォールの恋人たち』の双子の姉妹(ドゥヌーヴと、、姉のフランソワーズ・ドルレアック)は「運命の人」を探し、それぞれに映画のラストでその出会いを果たす。


結ばれるべくして結ばれる二人というモティーフは、ハリウッド映画の物語の基本構造(いわゆる“ボーイ・ミーツ・ガール”)でもあり、こと『ロシュフォール』のエンディングはそのパロディであると同時にオマージュとしてさらりと受け止め易く、この映画が大変な人気作となった理由でもあるが、よく見ればドゥミーの視点にはかなり皮肉も入り込んでいる。

まさに「運命の人」神話のダークサイドとも言うべき、ローラという踊り子が殺された事件の犯人の話が、トゲというよりはワサビのようにちらちらと言及されては、しかし笑い話のように流されて行く。


ドゥヌーヴと彼女の運命の人であるジャック・ペランのすれ違いに至っては、まるで冗談のようなフィックスのワンショットで処理されているし、最後の肝心の出会いのはずのシーンは、驚くほど呆気ない。

 『ロシュフォールの恋人たち』ラストにおけるすれ違いと出会い

結局、この二人が同じショットで同時に画面に現れることは一度もなく、同じショットに出て来てもすれ違うだけだ。

この「運命の人」神話に必ずしも大真面目には取り組まない流し方が、かえってこの映画を商業的に成功させたのかも知れない。

「あなたなしには生きていけない」ということは、愛が直接に死に結びつくわけでもあり、その実かなり重いものでもあるのだ。

ほどよくやっている分にはとても甘味に見えるのだが、徹底してしまうと、それはれはシュールレアリズムが「狂気の愛」として称揚した「愛」と「性」のことでもあるのだ。

…つまり本気でやれば、こういう映画になるわけだ。

 ルイス・ブニュエル『黄金時代』

…というのはいささか冗談にしても…

『ロシュフォールの恋人たち』における “踊り子ローラの惨殺事件” という、グロテスクでシュールレアリスティックな、台詞でしか言及されないエピソードは、ドゥミーの初長編『ローラ』への言及であると共に、マックス・オフュルスの遺作となった『歴史は女で作られる』のモデルである実在のファム・ファタール、バイエルン国王ルートヴィヒ一世が老いらくの恋で身を滅ぼしそうになったローラ・モンテス(エリザベス・ギルバート、ランズフェルド伯爵夫人)も想起させる。

 マックス・オフュルス『歴史は女で作られる』再公開予告編

ファム・ファタール、「運命の女」、究極の恋愛は死と隣り合わせであり、身の破滅をも厭わない話にもなりかねない。


こうなるとロマンチックな恋愛映画として暢気にも見ていられない。

ドゥミーが敬愛したオフュルスの遺作(『ローラ』はオフュルスに献呈されている)は、バイエルン王を本当に愛し、それを失って抜け殻となった、死ぬに死ねないローラ(マルティーヌ・キャロル)の回想として、しかも自らを見せ物にしたサーカスの出し物として描かれる。


案の定というべきか、『歴史は女で作られる』は公開当時、惨憺たる興行に終わった。映画はズタズタにカットされ、本来の構造に復元されたのは製作後50年近く経った21世紀に入ってからだ。

『シェルブールの雨傘』だって、もしジュヌヴィエーヴとギーの恋が本当に「運命の恋」であり、彼女が本当に「あなたなしには生きていけない」を地で行く物語だったら、とてもではないが受け入れられない話になっていたかもしれない。

『シェルブールの雨傘』と同じ「あなたなしには生きていけない」という台詞(というか歌詞)が繰り返されるドゥミーの映画が、『都会のひと部屋』でもある。

そして『シュルブールの雨傘』とは異なり、「あなたなしには生きていけない」という言葉は、この映画では本当に実践されるのだ。

それも一人ではない、様々な人物によって。

主人公フランソワ・ギルボー(リシャール・ベリ)には、元々ヴィオレット(ファビエンヌ・ギュイヨン)という恋人がいて、彼女は心から彼を愛していることを繰り返すが、「あなたなしには死んでしまう」とまでは、さすがに言わない。

 ヴィオレットとギルボー

いわば常識的な恋愛であり、彼女は彼の子供を身ごもり、これで彼も結婚の決心をするはずだと思う…

…というか、常識的な恋愛映画ではそうなるし、それが実現しない悲劇に観客が涙するのが『シェルブールの雨傘』であり、恋人を待ち続けるのが『ローラ』だ。

『ローラ』アヌーク・エメ

ところが『都会のひと部屋』では、最初からどうもそういう「純愛」の話にはならない雰囲気が漂う。

ヴィオレット、スミレの花、ないし紫色という意味の名前の彼女が、本当に紫の服しか着ていないというのはほとんど悪い冗談スレスレの記号化であり、およそこれが成就すべき、映画がその主題とすべき恋愛には見えない。

一方で、このヴィオレットとのデートの前のシーンで、まず間借り先である女男爵/大佐夫人(ダニエル・ダリュー)のアパルトマンを出たギルボーは、通りで夫人の娘エディット(ドミニク・サンダ)とすれ違っている…というか、ほんの数秒の差で、二人はこの時に同じショットのなかで登場するが、同じ場に同時に居合わせることはない。

メロドラマの定番でありドゥミーお得意の、「すれ違い」のモティーフだ。

母を訪ねたエディットは、そこでギルボーの鳥打ち帽を見つけ、鏡の前でかぶってみる。

「運命の恋」に向けたドゥミーの演出は、すでにヴィオレットのシーンの前に始まっているのだ。

だから物語上の、常識的な恋愛のロジックがいかに「妊娠した、気だてのいい娘」の恋愛の成就をモラル的に規定しようとしようが、映画の演出のロジックはそれを裏切るように、最初から仕組まれているのだ。

 エディットとギルボーの出会い

エディットは既に結婚しているのだが、その夫でテレビ販売店経営者のエドモン(ミシェル・ピコリ)は、こちらの方は「私にはお前しかいない」「お前がいなければ死んでしまう」をさんざん繰り返す人物だ。

『都会のひと部屋』ミシェル・ピコリ

一方で性的に不能であり、そして病的に嫉妬深い。

彼の店は全面緑色の内装であり、そして緑のスーツに赤毛。こちらの色彩の図式性は、あたかもまるで狂ったような水準にまで高められている。

 エドモンの死

病的な独占欲、嫉妬深さ、しかしエドモンにとってエディットが「お前なしには死んでしまう」運命的な存在であることも確かだ。

なにしろ港湾労働者のストのデモ隊と警官隊の衝突から始まる映画だけに、階級の問題もここに深い影を落としている。

 冒頭、大聖堂前のデモ

ギルボーの同僚で親友のダンビエル(ジャン=フランソワ・ステヴナン)は、デモについて「正義はもう信じらない。だが友情と連帯は信じる」と言う。

その連帯と友情から、ダンビエルはギルボーが結果として、彼が夫婦で親しくしているヴィオレット(彼のシャツもまた紫色だ)を裏切ってしまうことすら、労働者階級の友情として、受け入れる。

一方、エディットの夫エドモンは成金のブルジョワであり、エディットが彼と結婚したのは金目当てであることを、映画の冒頭に母である女男爵/大佐夫人が明言する。

彼女は彼女で、貴族階級に生まれ、「軍人と結婚することで爵位と幻想を失った」と歌う。


明らかに、結果として愛のない結婚に終わった未亡人であり、そして階級違いの結婚でブルジョワになったことを、おもしろくは思っていない。

その夫はインドシナ戦争ですでに戦死しているだけでなく、彼女は放蕩に育った息子を自損の交通事故で失い、その記憶に囚われたアパルトマンで、夫の遺した年金だけでは息子の借金が払い切れないため、間借り人をとることになったのだ。

 ブルジョワへの軽蔑を歌うダニエル・ダリュー

そこで同居することになったのが労働者階級のフランソワ・ギルボー、という階級構造になる。

夫人はこの階級の差異に戸惑いながらも、彼にある種の親しみを感じていることを隠さない。「私とあなたは住む世界が違うけれど、友達になれないわけではないわ」。

最初はギルボーがデモの先頭に立っていたことをなじって「この家にアナーキストを置くわけにはいかない」というのも、近所の手前の、ブルジョワの体面でしかないことが、すぐに明らかになる(その体面もまた、彼女には重要であり、だから葛藤もあるにせよ)。


彼女は成金ブルジョワである娘の夫よりも明らかに遥かに親しみを持ってギルボーに接っするし、酔っぱらった末に「ブルジョワなぞ富に腐敗して滅びればいい。あなた達(労働者)は自分たちの生存のために闘っている」と心情を告白する。

フランソワ・ギルボーのモデルは、ドゥミー自身の父親だ。ロワール河畔の田舎町からナントに出て来て、最初は間借り人であり、その家主が元は貴族で軍人の未亡人だった。 
フランス映画のヌーヴェルヴァーグの映画作家達で、労働者階級出身は、ジャック・ドゥミーだけである。裕福ではなく私生児だったとはいえ、トリュフォーでさえ貴族階級の血を引く没落ブルジョワだ。

そんな元貴族の血統のエディットと、金属加工の労働者であるギルボーが恋に落ちることは、階級を縦断するドラマだ。

しかも背景となるのは1955年のナントの大ストライキである。フランス社会を分断する階級差の重みは、否応なく社会的な圧力としてのしかかる。

ダニエル・ダリューを筆頭に、それぞれの人物は、自らが属する階級のなかで喘いでいる(彼女に至っては、「ラングロワ大佐夫人」あるいは「女男爵」と、階級記号でしか呼ばれない)。

だが『都会のひと部屋』で重要なのは、いったん出会ってしまえば、エディットもギルボーも、その階級をまったく気にしていない。

階級を意に介する瞬間がまるでない、階級は呆気なく超越されてしまうのだ。

エディットはタロット占いで冶金工と大恋愛をすると出ても、相手が階級違いの労働者だと言われても全く気にしていないし、フランソワはエディットが女男爵/大佐夫人だと分かってもなんの気負いもない。

家主である母親とは、階級の違いでぶつかることもあったのに、エディットについては、まったくなにもない。

だから『都会のひと部屋』は「階級違いの恋愛」をめぐるドラマツルギーの展開はまったく取らない、というよりも小気味いいまでにその想定される筋立てを無視している。

これは階級のドラマであって階級のドラマではない。階級のドラマを無視することでこそ、ドゥミーは徹底した反階級制の、彼なりの革命的な映画を作ろうとしたのかも知れない。


エディットは夫エドモンが吝嗇で、しかも彼女を籠の鳥同然に家に閉じ込めていたため、着るものがなく、毛皮のコートの下は全裸という、これまた狂気じみた出で立ちで登場する。

一方ギルボーは、茶色の革のジャンパーをほとんど常に着ている。

毛皮のコートと革のジャンパー、一見異なった階級を表象するかに見える記号性が、二人が出会った瞬間にまったく異なった意味付けを帯びるのがドゥミーの演出だ。

どちらも素材は動物の革であり、そしてほぼ同じ色合いである。二人の姿はどんどん相似形となっていくのだ。

女男爵/大佐夫人は、ギルボーが玄関のドアをバタンと閉めることに文句をつける。その癖は、二人が恋に落ちると、彼女に伝染する。

台詞(というより歌詞)でも、「君はなんと美しい」「あなたはなんと美しいの」と言ったように、フランス語では形容詞の男性形と女性形が違うだけで、しばしばまったく同じ言葉を、二人がお互いに繰り返す。

エディットとギルボーは、まるで双子だ。

あるいは、プラトン的な神話の、世界の始まりに分かれてしまったお互いの片割れがその相手であるかのように、あたかも二人が揃って完全な姿に戻るかのように。

この運命としか言い様がない、強烈な結び着きを前には、例えばヴィオレットが妊娠しているといった世俗の義務や責任も、まったく意味を持たない。

現にエディットは「あなたとギルボーのあいだに過去になにがあろうが、私のしったことではないわ」とすら断言する。

そして通俗的に期待されるドラマ展開をあざ笑うかのように、母の女男爵/大佐夫人をはじめ、周囲の人間は結局のところ、二人の強烈な結合に、最初は形だけ抵抗を示すものの、結局はすぐに受け入れてしまうのである。

あたかも運命だけが二人を導き、運命によって二人は愛し合うかのようだ。

その宿命論的な構図は、タロット占いによって予め暗示されている。

そしてデモ隊と機動隊の衝突と言う、もうひとつの巨大な、社会的な運命の歯車のなかで、ジャック・ドゥミーの運命の愛のドラマはクライマックスを迎える。

最初のデモは火曜日、そして二度目のデモは木曜日。『都会のひと部屋』は濃厚な運命観、宿命論の空気を漂わせながら、わずか48時間ですべてが凝縮され、決着する。

 『都会のひと部屋』全編

まさにこれは、壮大なオペラとしての映画なのだ。究極の、運命の愛を前に、社会も、常識も、通俗的な倫理も、一切が無力になる。そして死によって、愛は勝利する。

これこそがジャック・ドゥミーの夢見た「革命の映画」「映画の革命」なのかも知れない。

そして人々はそれを、親しい愛情と連帯と友情で受け入れ、最後はただ畏怖を込めて見守るだけだ。

母親ですら、娘が自ら命を絶とうとするとき、「馬鹿な真似はやめて」と口では言うものの、止めはしない…

10/08/2012

社会派映画作家としてのジャック・ドゥミー


Romantic love、「ロマンチックな愛」と訳してしまうと、今では別の意味でとらえられてしまいそうなので、「ロマン主義的な愛」と言うべきかも知れない。「あなたなしには生きて行けない」、愛し合うことが生きることに不可欠、生のもっとも根幹であり、故にその愛が死に至るものにもなる、という考え方である。

『シェルブールの雨傘』でカトリーヌ・ドゥヌーヴ演ずるジュヌヴィエーブは、召集令状を受け取った恋人に「あなたなしには死んでしまう」と歌い続ける。

『シェルブールの雨傘』別れ

これこそ普通の意味で「ロマンチックな愛」として甘味な涙の名シーンとなり、この映画は世界的なヒット作になったわけだ。

むろん実際にはジュヌヴィエーヴは恋人の帰りを待たずに、その子供を自分の子として育てようと申し出たダイヤモンド商ロラン・カサール(マルク・ミシェル)とあっさりと結婚してしまう。

この映画の撮影中の題名は「不貞、あるいはシェルブールの雨傘」だった。

「ロマンチックな映画」(その実ドゥミーにとっては反戦映画であった)として大成功を納めたこの傑作は、その実「ロマンチックな愛」の不可能性を描き出した映画なのである。

ジュヌヴィエーヴの夫となるカサールは、ドゥミーの処女作『ローラ』の主人公である。

彼が恋心を抱く幼なじみのセシル(アヌーク・エメ)は米水兵相手のクラブの踊り子で、芸名はローラ。

彼女は妊娠を告げたとたんに去った恋人を愛し続けており、カサールは最後には諦めて旅に出る。

一方、セシルは財産を築いて帰って来た恋人と再会し、結ばれる。

『ローラ』セシルとアメリカの水兵フランキー

かといって彼女が「恋人に貞節を守って来た」わけでは決してなく、しかし生活のために身体を売っているわけでもないのが、この映画におけるドゥミーの女性像の先進性だろう。

またそれは究極の、世俗の倫理観などは超越した「ロマンチックな愛」の表現でもあったのかも知れないが、ドウミーはその後、富豪となったはずの恋人と渡米したセシル/ローラのその後を、映画化している。

『モデル・ショップ』(1969)抜粋

ここで見せられるのは、「ロマンチックな愛の実現」だったはずのその後の、痛ましい幻滅である。

ラジオ放送で度々明示されるように、舞台はベトナム戦争中のアメリカだ。

戦争から戻ったものの恋人のもとには戻れない自分を抱えた主人公(「2001年宇宙の旅」のゲイリー・ロックウッド。ドゥミー自身は当時無名のハリソン・フォードを希望していた)は、やはり「居場所がない」空気感を漂わせた、今はストリッパーとなったローラ/セシルと、心の交流がない故の心の交流を感じる。

ローラ/セシルのその後の、「ロマンチックな愛」の崩壊の残滓としての人生は、戦争すら目に見えないものとなった人間性の喪失した時代における、愛の不毛、愛の再生すら不可能になった寂寥だ。

『モデル・ショップ』ラストシーン

この映画の終わりに、男に残されたのは「人間は試すことだけはいつでもできる」とひたすら繰り返すことしかない。

ここで一点、あまり指摘されないドゥミー映画に一貫する特徴も指摘しておくべきだろう。

『シェルブールの雨傘』は、アルジェリア戦争の「銃後」のフランスをめぐる物語だ。ジュヌヴィエーヴが信じたはずのロマンチックな愛が崩壊するのは、戦争によってだ。

『ローラ』が映し出すのは、第二次大戦後の、実態は「アメリカ軍の占領下」だったフランスの心象風景である。ここで登場人物たちが「愛」と思い込んでいるものは、戦争によって失われた過去のイノセンスへの憧れでしかない。

『モデル・ショップ』は、ヴェトナム戦争の「銃後」としてのアメリカを強烈に意識した作品である。

ドイツの有名な童話を(英語で)映画化した『ハメルンの笛吹き』では、一方に疫病に対してまったく無力な教会の抑圧的権力と、もう一方に疫病の根絶を研究しようとしたユダヤ人の老錬金術師や、疫病の蔓延する土地を見て来た(教会からは蔑視対象の)旅芸人の一座がある、差別と抑圧を強烈に意識した政治性の強い構図が採用されている。

『ハメルンの笛吹き』(1972)全編

ドゥミー映画はミュージカルが多く、華やかな色彩の洗練された現代風の、いささかキッチュ趣味も交えた様式美が賞賛されがちだ。

それはおよそ「リアリズム」とは、かけ離れたものに見える。

そのせいかまったく無視されがちなのだが、ジャック・ドゥミーの映画は常に明確な社会への眼差しを内包し、純真過ぎるほどの政治意識が明確に、彼の独特のやり方で、反映されたものでもあるのだ。

ドゥミーがその映画で繰り返して来た構図は、社会のさまざまな形での抑圧と、そこに押しつぶされる個人たちの愛や自由の希求、その挫折・幻滅、敗北の悲しみ、そこに徹底して寄り添い、時に冷酷に突き放し全体を見せるものでもある(だから彼の映画は、ほぼ常にフルショットで終わる)。

「社会派映画作家としてのジャック・ドゥミー」と言うと、驚くかも知れない。

だが「ロマンチックなミュージカル映画作家」と一見相反するように見えて、その実ドゥミー映画の本質の核をなしているのは、それがロマンチックな社会派映画であり、それを音楽と華麗で現代的な映像美にのせて演出すること、そのものなのだ。

いわば「政治映画」の文体そのものを革命しようとしていたのが、ジャック・ドゥミーなのかも知れない。

『ベルサイユのばら』(1979)

完全な「注文仕事」とはいえ、日本の人気漫画『ベルサイユのばら』をドゥミーが映画化した際も、結局彼の作家的な関心がもっとも集中したのは、どうみても映画の後半の革命の描写である。

『ベルサイユのばら』革命のシーン

このシーンの演出に明白なように、ドゥミー映画における華やかな色彩の使用は、実はドラマチックな意味づけを伴ったものでもある。

『ハメルンの笛吹き』でも同様だが、色彩は社会階級や「善/悪」に応じて、明確に使い分けられてもいる。

また一見、華やかな様式美に見えるドゥミー映画のスタイルが、あくまで現実の延長として構築されたものでもあることも、『ベルサイユのばら』には如実に現れている。

実のところ、この映画のセットも衣装も、常連の美術監督のベルナール・エヴァンによる極めて綿密な時代考証を踏まえているのだ。

『シェルブールの雨傘』
ベルナール・エヴァンによる主人公の部屋のスケッチ


人気作の『ロバと王女』にしても、一見無邪気なファンタジーに見えるが、その実、シャルル・ペローの童話に様々な現実の、現代のディテールを組み込むその突飛さこそが、おもしろおかしいのだ。

『ロバと王女』、妖精が「近親相姦はダメよ」と諭すシーン

なおこの映画は、シャンボール城(世界遺産)を含めた各所でロケーション撮影されているが、ドゥミーが当初構想した、ベルナール・エヴァンによる美術プランは、高価過ぎたためプロデューサーに却下されている。
これは実現しなかった映画のひつとだが、ロシア革命を背景にしたミユージカル・ドラマ『アヌーシュカ』という企画にも、晩年のドゥミーは相当な精力を注ぎ込んでいた。

旧共産圏の崩壊が起こっていた時代のことである。

『都会のひと部屋』(1982)全編

1982年の『都会のひと部屋』は、そんなドゥミー作品のなかで、未だにもっとも無視されがちな映画だ。

しかしナントの美術学校以来の友人で、主要作品のほとんどで美術監督を務めた、ドゥミーにとってもっとも重要な創造上のパートナーと言えるベルナール・エヴァンによれば、「ジャックのやりたかったことがもっとも完璧に視覚化された作品」である。

またしばしば港町を舞台に選んでいるドゥミーの映画だが、ドゥミー自身の出身地ナントが舞台であるのは、『ローラ』と、この映画だけだ。

『シェルブールの雨傘』で一瞬だけ回想で挿入される、ナント名所のパッサージュ・ポムレイ。ここにはドゥミーが通ったナントのシネマテークもあった。

『都会のひと部屋』のパッサージュ・ポムレイ


『都会のひと部屋』。エディット(ドミニク・サンダ)の夫エドモン(ミシェル・ピコリ)の経営するテレビ販売店は、パッサージュ・ポムレイに設定されている。

『都会のひと部屋』がなぜドゥミーのフィルモグラフィで無視されがちなのだろうか? 

公開当時には、商業的に完全な失敗で、その後のドゥミーは創作の自由がかなり制約されることになる(『アヌーシュカ』は実現出来ず、『パーキング』は人気歌手を主演に採用してもなお予算を削られエヴァンの美術デザインを採用出来ず、イヴ・モンタンの主演ということで『想い出のマルセイユ』が辛うじて実現し、遺作に)。

音楽がミシェル・ルグランではないから、という説明もないわけではないのだが、でも映画の評価なんだから…(それにミシェル・コロンビエの重厚な現代オペラとしてのスコアは、この映画にはむしろ極めて適確だ)。

恐らくもっとも簡単な説明は、まずいきなり冒頭シーンが、「ジャック・ドゥミーの映画」と言われたときに観客も批評家もまったく予想せず、当然期待もしていないような映像だったからではないか?

『都会のひと部屋』冒頭シーン。ナント大聖堂前。

あまりにも見事な、美しいシーンである(そして同じ光景は映画のクライマックスで繰り返され、いわばこの映画の様式的な枠組みとなっている)。

同種のシーンとしてこれほどの純粋さ、美しさ、様式美に到達したものといえば、『戦艦ポチョムキン』くらいしか思いつかない程だ。

と同時に、この見事な労働オペラ演出が、1980年代の観客にとってまったく意表をつくものであったのも、また事実であろう。80年代は、トリュフォーを筆頭に、ヌーヴェルヴァーグの、ドゥミーの同世代作家達が、フランス映画のいわば「王道」の地位を獲得した時代でもある。

「作家主義」の公式化は、一方で個人的な、しばしば自伝性の強い内容で、言い換えれば普通の「個」の生活のドラマの、ストーリーの流れよりは個々のシーンの繊細さの描写に、評価されるべきフランス映画の主題性が矮小化されたことも意味する。

それに対して、『都会のひと部屋』は冒頭からいきなり、壮大すぎるし、物語の構図の大きさも同時に提示されている。

『都会のひと部屋』労働者たち

どうみても「個人映画」の規模ではないどころか、大作オペラの風格である−−言い換えれば、これは時代錯誤にも見えただろう。

デモの場面から、舞台はその光景を自宅から見下ろしていた元女男爵の大佐夫人(ダニエル・ダリュー)に切り替わる。そこにデモのリーダーの一人であった間借り人の男ギルボー(リシャール・ベリ)が帰って来る。

大佐夫人は、デモにギルボーが参加していたことをなじる。「アナーキストを家に置くわけにはいかないわ」

男が間借りしているのは、結婚した彼女の娘エディットの部屋だ。「金目当てにテレビ商人と結婚した」と、大佐夫人(元女男爵、つまり貴族出身)は成金ブルジョワへの軽蔑を隠さない。

労働者階級、ブルジョワジー、貴族。冒頭5分足らずで、ドゥミーは一気に、このドラマの階級的な構図を提示してしまう。

1980年、フランスでは新しい大統領フランソワ・ミッテランの社会党政権が始まる。 
60年代に隆盛を極めた戦後ブルジョワジーの勃興は、ここに終わったのだと、フランス人たちは思っていただろう(そして実際、今のフランスに「ブルジョワ階級」というべきものは、まあ、もうないよね)。 
そんな時代なのに、『都会のひと部屋』は、ある意味であまりに古典的とも言える階級闘争構図をドラマの基盤にしているとも見えただろう。 
この映画がオペラである以上、背景図式を単純化するのは当然の美的選択のはずなのだが、とはいえドゥミーがここで見事な手際で紹介した構図は、60年代70年代の政治映画の潮流から見れば、あまりに図式的で幼稚にも見えてしまうかも知れない。

実はこれはただ冒頭の提示部に過ぎず、決して映画自体がそんなに単純ではないのだが。

『都会のひと部屋』は社会派映画ではあるとしても、極めて抽象化されたそれであり、決して「階級闘争」を直接描こうとしたものでは、まったくないのだが。

これは『シェルブールの雨傘』がドゥミーにとっては「反戦映画」に他ならなかったことにも共通する。

ドゥミーが注目したのは戦争によって直接命が奪われ、生活が破壊されることではなかった。

ロマン主義者が人間のもっとも純粋なあり方として称揚した「愛」が、現代の戦争によっていかに不可能なものとなってしまったのか。

『シェルブールの雨傘』は直接の戦争の被害がないかに見える「銃後」にも、人生そのものを破壊される悲劇があったこと…いや、それが悲劇にすらなり得ない苦いものであることを描いた映画でもある…

−−というか、ドゥミー自身にとっては、それこそが本質だったはずだ(本人が「これは反戦映画である」と度々繰り返している)。

ある意味でその「対局」にあるファンタジーが『ロシュフォールの恋人たち』だ。 
ブラトンに遡る「純愛」の伝説、世界には大昔に離ればなれになった自分の分身に近い「愛の対象」がいて、それと運命の出会いをすることこそが究極の恋愛である、という神話性が、このドゥミー作品でも最もファンが多いであろう映画の、プロットの基本である。 
『ロシュフォールの恋人たち』 ほとんど冗談のような出会いの連続

なおよく見れば、ドゥミーの演出は必ずしもその神話を全面肯定してはいない。むしろかなり皮肉な、距離を置かせる要素は、たびたび介入しているのではあるが…。


だが『シェルブールの雨傘』が実は戦争を告発する映画であると意識した観客はあまりいないであろうのと同様に、いやむしろ真逆の構図として、ジャック・ドゥミーが「階級闘争」を冒頭に押し出した映画が、拒絶されるのは、ある意味当然だったのかも知れない。

とはいえこの表現が「時代錯誤」に見られたであろう製作当時から30年後、今見直すと、この冒頭の10分間だけでも、あまりに見事な映画演出の集中力であることに、感嘆せざるを得ない。


…っていうか、あまりにも一瞬一瞬、すべて「ドゥミー印」ではないか…。



10/04/2012

トルコで『無人地帯』を上映して来ました

前項でも触れた通り、トルコの地中海岸に近いアダナ市で、『無人地帯』を上映して来た。

市行政の主催で、映画祭のポスターには市長をあしらったものも多く、そしてトルコにはそこらじゅうに、共和国の建国の祖であるアタトゥルクの肖像が飾ってある社会でもある。

そんな映画祭なので、宿泊先はアダナでたぶん最も高価なのであろうヒルトン・ホテル。

大変名誉ある、歓迎されまくりの「国外からの賓客」扱いである。

その高級ホテルから、通りを挟んだ反対側が、クルド人やシーア派も多いというスラムなのだから驚く。


このホテルはトルコの工業系財閥のサバンジが、繊維工場の跡に建てたものなのだそうで、だからどちらかといえば貧しい地域にあるのも分からなくもないとはいえ、目眩がするような格差が目の前にある。

アダナ地方は、かつては地中海沿岸でも有数の綿花の産地だった。

今はヒルトン・ホテルになっている工場も、その綿花生産を前提にしていたのだろう。

だが過去10数年のあいだに、綿花の生産は経済的に割が合わないために縮小が続き、工場も廃止され、そしてそこに国際フランチャイズの豪華ホテルが建っているわけだ。


こうして経済発展を続け、軽工業から重工業へと舵を切ったトルコは、現在、原子力発電所の建設を計画している。

その立地のひとつがこのアダナ市の近郊なわけで、ここで上映できることの意味は大きいだろう。

この5年くらいで、アダナの人口は2倍だか3倍に膨れ上がったそうだ。

新たな生活や仕事を求めて、田園地帯から都市に移動して行くことは、この国でも起こっている。あまりに急激な都市の人口増加に、インフラ整備もなかなか追いついていない。

中心部の旧市街から少し外れると、高層アパートが立ち並ぶ、その構造は、日本に比べれば湿気があまりないこの地域とはいっても、エアコン、つまり潤沢な電力供給が確実に必要だろう。



一方で、そんなモールのすぐ側に、スラムが広がっていたりする。

映画祭での上映後の質疑応答でも、アダナ郊外の原発計画のことは話題になった。

福島の原発事故を経た日本人として言えることは、「原発が出来るともの凄く便利になるように思えるかも知れない。でもだからこそ始めてしまえば、絶対に止められないことをよく考えた方がいい」だった。

原発の安定電力供給に依存した社会システムにしてしまうと、そう簡単に変えられないまでに生活がそこに浸り切ってしまうのだ。

たとえば、日本は典型的な24時間型の先進国である。これは深夜の電力が安いことの結果でもある。 
日本の深夜電力が安いのは、原発の存在を前提にしているわけで、原発はコンスタントに同じ量の電力を出力し続けることしか出来ず、電気が溜められない以上、その生産された電気は割引してでも使ってもらわなければならない。 
その割引の電気料金で成立しているのが、たとえば東京や大阪のような大都市ではもう生活に不可欠になっている24時間営業のコンビニであり、そのコンビニのある便利さを前提にしている我々の生活だ。 
昨年の震災と原発事故発生の後、ほとんどの原子炉が停止していても、この営業形態を変えようという話は出て来ていない。 
「原発をすぐ止めろ」と主張する人たちですら、原発による安定電力供給を前提にした24時間型の社会を変える話はしない。 
テレビの深夜番組、24時間放送も、どれだけ視聴率が稼げているか怪しくとも、止める話はない。 
昼間の、夏場なら電力消費ピークになる1時から3時代だって、見る人は少ないんだから止めていいじゃないか、有益な節電アピールになるじゃないか、と思えるのだが。

現在、日本では関西電力の大飯原発の3号4号炉以外の原子炉は、まだ停止している。「それでも電気は足りているじゃないか」と言うのは、停電が実際には起こっていないので、一見説得力がある。

…というのも、我々の生活に直接影響がないからだ。

これは日本企業の独特の倫理観とでも言うべきだろうか、「一般のお客様」には絶対に迷惑をかけないことだけは、驚くほど徹底している。

だから渋谷や新宿にでも行けばネオンは煌煌と輝いているし、昼間でも商業施設内は冷房で寒いくらいだ。

一般家庭の節電努力に至っては、統計を細かく取るのも大変なのだろうけど、効果が公表すらされていない。東京電力から来る「お願い」は、「節電のお願い」よりも「料金値上げのお願い」の方が印象が強い。

実は火力発電を大量に増設し、従来の火力発電所も合せてフル稼働させているからだ。

首都圏では誰も気にもしないが、福島浜通りに行けば、広野町の火力発電所(福島第一からほぼ20Km)はフル稼働中だ。 
東京電力管内で昨夏も今夏も停電を免れたのは、もの凄いスピードで火力発電ぶんを増加させたことがひとつには大きい。 
ただ化石燃料を燃やす以上、発電の直接コストは上がる。 
原子力のように間接コストを帳簿上安く見せかけるようなことは出来ないので、帳簿上、目に見えて上昇するわけで、値上げに関しては現代の資本主義の理論では「やむを得ない」として受け入れる他ない。 
かといって、じゃあ電気代が高いからお財布を気にして節電を、というインセンティブが働いているとも思えない。 
そりゃ不便だし、現代の気密性の高い建築では、夏場はひたすら暑いのだから、仕方がないのだが…。

もう一点、停電が起きない大きな理由、電気が一見足りているように見える理由は、製造業を中心に、大規模需要口に厳しい節電義務を課しているからだ。

製造業の現場−−これも我々「一般のお客様」の目には触れないところだ。

昨年も今年も、10%とか15%とかの相当に厳しい節電義務を、製造業は乗り切って来た。

そのおかげで我々は「電気は足りているではないか」という幻想を抱けるのだが、このやり方ははっきりいえば、二、三年の我慢を前提に、とりあえ急場しのぎで、多分に無理のある我慢を耐えていることでしかない。

この程度の「節電計画」や「代替エネルギー政策」も準備していない、ということは、政府やこの国を左右する力を持っている者達が、原発事故へのリアクションは二、三年の一過性のものであって、国民世論もすぐに忘れるだろう、それまでの辛抱だ、としか思っていないことを示してもいるだろう。

そしてその政府の読みも間違っていないだろう、残念ながらそう思う他はない。

コンビニの営業形態を考えるとか、テレビの放映時間とか、直接に生活を左右するわけでは実はないものを変えることですら、我々「一般のお客様」たち自身が考えもしないで、しかし問われれば機械的に「いや、原発はやっぱりやめるべきですよ」と口だけは言う。 
経済産業省が一般意見を公募したのだって、こういう現実が前提にあってのことだろう。その結果を受けた2030年には原発ゼロというのも、閣議決定や国会での議論を経るわけでもなく、つまりなんの拘束力もないままのアドバルーンでしかない。 
野田首相は「党が決めたことですから」と目指すフリをしてみたり、その数日後には撤回したり、とまるで一貫性がない(それにしたって話を変えるにはあまりに早過ぎると思うが)。

政府の無責任を責めるのは簡単だ。

だが本当は、我々の社会の、我々「一般のお客様」自身が、2030年までに原発をどうやったら止められるのかなんてなにも考えていない以前に、考えたくないのではないか。

製造業が2、3年辛抱すれば、あとはなし崩しで元に戻して行くことを、我々自身が潜在的に期待していないと、果たして言いきれるだろうか?

こと都市部では、我々は原子力の電気がある生活に、すっかり慣れ切ってしまっている。それを変えたくないから、慣れ切ってしまっていることにすら無自覚であろうとばかり頑張っている。


だからこそ、原子力に手を出す前に、トルコであるとか、あるいは11月にはイランとタイでの映画祭での上映が控えているのだが、発展途上国の人たちはもう一度真剣に考えた方がいい。

始めてしまっては手遅れだから、いったん原発に依存してしまった社会は、そう簡単には変えられないのだから。

…と理屈では言えるものの、目の前にスラムと冷暖房完備のモールや高級ホテルが隣接しているような現実や、インフラ整備の遅れを見てしまうと、それでも原発に手を出すのはやめた方がいい、とはなかなか言えない気分にもなるのである。

「この貧しさを見ても、それでも万が一の原発事故のことを語るのか?」と言われて、反論出来るだろうか?

でも、こうして悩むべき課題を突き付けられるからこそ、『無人地帯』という映画を作ってよかったとも思うのだ。

率直に言えば、この映画に出て来る福島浜通りや、あるいは飯舘村の人々、農村であるとか漁師の人々と比べて、原発の電気の恩恵に40年間浴し続けた我々東京の人間は、より幸福だったと言えるのだろうかと、考え始めるのだ。

物質的に我々は豊かになった。それは間違いない。

だが心の問題はどうだろう?



アダナの旧市街も、どちらかと言えば貧困層が多い地域だ。たぶん我々が参加している映画祭などには、ほとんどなんの縁もない。

だがそこで働いている子どもたちでさえ、人懐っこくて親切で愛嬌がよい。明らかに兼ね持ちそうな外人が写真を撮ると、むしろ喜んで写ってくれたりする。


果たして日本の今の子どもたちより「不幸」だとは、断言は出来ないと、思うのである。

もちろんトルコの人々、あるいはこれから行くイランにせよタイにせよ、あるいは8月に行ったブラジルでも、お隣の中国でも、その国の人々が「豊かさ」を求めるのは、それ自体は正しいことだ。

だが果たして我々のような「先進国」がその「豊かさ」の唯一のお手本なのかと言えば、それは絶対に違うと思う。


10/03/2012

テオ・アンゲロプロスのこと

今年の1月に急な事故で亡くなったテオ・アンゲロプロスについて、夫人であり製作も手がけて来たフィービー・エコノモプロスにたまたま会う機会があり、やっと真相を詳しく知ることができた。

トルコ第3だか第4くらいの都市、シリア国境にも近いアダナ市で行われたアルティン・コザ映画祭に『無人地帯』が招待されたのだが、同映画祭ではアンゲロプロスの追悼として『霧の中の風景』もフィービー夫人の立ち会いで上映されていたのだ。

なにしろゲスト対応がいい…というよりも映画そっちのけで海外ゲストは連日観光に連れて行ってもらえるという不思議な映画祭で、地中海まで海水浴に行くツアーの最中に、親しく話を聞いたわけなのだが、ところでフィービー夫人の髪型は、『永遠と一日』のヒロインにそっくりである…というか地中海岸のレストランのテラスで食事、となるとほとんどこの映画のワンシーンにすら見えて来てしまう。


実は「テオはあの映画があまり好きではなかった」という。

マルチェロ・マストロヤンニが元々は『蜂の旅人』と『こうのとり、たちずさんで』に出ているあいだにギリシャ語をほぼマスターしてしまったことが前提にあって書かれた企画なのが、マストロヤンニに末期がんが見つかり、出演が出来なかったこともあるのだろう(なおマストロヤンニは亡くなる直前まで舞台でイタリア全国を回り、アンゲロプロス夫妻もその最後の方の公演を見に行ったという)。

ブルーノ・ガンツはギリシャ語が出来ず、その声は吹き替え、ところが主人公の詩人の述懐がナレーションとして重要な意味を持つ映画なので、というのもあったことはあった。

だがフィービ夫人が言うには、決定的に大きな理由は「あまりに私的な映画過ぎたから、気に入らなかったのではないか」だという。ヒロインが妻である彼女にそっくりであることも、この映画が私的な作品であることを強く示唆している。

『永遠と一日』は「死」をめぐる映画である。

『永遠と一日』時空を超えるバスの場面

これ以前のアンゲロプロス作品にも「老い」が重要な主題として起ち上がって来る作品はあった。まさにマストロヤンニ主演の2作品がそうであり、『シテール島への船出』もまたそうだ。

だが「テオはそれまで、死と言うものを直接体験したことがなかったから、想像がつかなかった」のだとフィービー夫人はいう。

それが『ユリシーズの瞳』の撮影中、サラエヴォの映画博物館館長役で出演していたジャン=マリア・ヴォロンテが急死するという出来事があった。それもホテルの浴室で、浴槽のなかで亡くなっていたのを最初に見つけたのは、アンゲロプロス本人だった。「あの時に初めて、テオは『人が死ぬ』とはどういうことなのかを理解したのよ。それは大変なショックだった」。

「アンゲロプロスは必ずしも、他人の痛みについて直感的な理解があった人ではなかった」とも彼女はいう。それがジャン=マリア・ヴォロンテの死は、死体を見ること自体、初めてだったという。

『蜂の旅人』

映画祭で追悼上映された『霧の中の風景』についても、思いもよらぬ逸話を教わった。

「テオは子供に寝物語を聞かせるのが苦手だったのよ」。

二人の娘さんが幼かったとき、彼はそもそもおとぎ話をあまり知らない上に、勝手に話を変えてしまうのだそうだ。「子供はいつも同じ話を聞きたがるのに、彼は同じ話が出来なかった」。

そこで一念発起して、子供のための、子供が主人公の物語を作ろうとしてトニーノ・グエッラに相談して出来上がったのが『霧の中の風景』の姉と弟の物語なのだという。

しかしラストがあまりに悲しいので、子供が泣いてしまう。そこであのラストシーンが付け加えられたのだとか。

『霧の中の風景』ラストシーン

そしてそのアンゲロプロスの未完の遺作となった『もうひとつの海』と、その撮影中の彼自身の死のことである。

「残念ながら、これがどんな映画になったのだろうか、他人が想像するのは難しい」という。

撮影は三週間目に入っていたが、正味にして10分ぶん程度しか素材はないという。「アンゲロプロスはこの映画で実験を繰り返していた」その実験のために、この三週間のほとんどが費やされたという。

メインのセットになったのは、主人公の住居である、海岸に建つガラス張りの邸宅だった。

壁面がほとんどなくガラスで囲まれた空間には、多重に反射・映り込みがあり、それを含めて二重三重のガラス越しに撮影してみたり、海を行く船が遠景に見えたり…

「最初はイタリア人俳優(トニ・セルヴィーノ)のスケジュールのことがプレッシャーだった。しかしある日、彼はそのことを心配するのをやめて、実験を始めた」のだという。

撮影に用いたのはアリフレックス社のALEXA、デジタル撮影だ。デジタルではフィルム撮影と質感や映り方が微妙に違う。とくにガラス面の反射の見え方に、アンゲロプロスは興味を持ったのだという。今残っているラッシュのほとんどはその実験の断片であり、部外者が見て意味が分かるものではない、とフィービー夫人は言う。

「ワンシーンだけ、典型的なアンゲロプロスと言っていい、曇天の屋外の長廻しのシーンがあったわ。しかしそれは、テオが亡くなった直後、機材を返却する際に助手が誤って消去してしまったの。『リハーサルだと思っていた』らしいわ。これが残っていれば、まだ公表しても意味があったと思うのだけれど」。

それが問題の、アンゲロプロスが非業の死を遂げた撮影でもあった。

報道されたのは、撮影現場に向かうため道路を渡っていた際にオートバイに刎ねられたということだけ。どんな状況なのかさっぱり分からない。

実は、これは6車線の高速道路を挟んだシーンだった。一方にはクレーンに載せたキャメラがあり、道路の反対側に俳優たちがいて演技をする。

監督がいるのは基本、キャメラがある側だが、演出指示を出すために頻繁に往復していた、その度に高速道路を徒歩で渡っていたのである。「もちろん一人では危険だから、若いスタッフが誰か必ず付き添うことにしていた」。

なにしろアンゲロプロス自身が、道路を通行止めにしたりはせず、本物の交通を利用してそのひっきりなしに車がリアルに行き交う道路越しに撮影することを望んだのだというのだから、これはもうやむを得ない。

事故が起きたのは、インターンの若者が付き添った時だったという。若者の方が途中で転んでしまい、先に歩いていたアンゲロプロスはそれに気づいて立ち止まったのだという。

高速道路と言えども、前に人が立っているのを見れば避けることは出来る。みだりに慌てずに立ち止まるのは普通なら、正しい判断だ。

ところが日没の前後のことであり、しかもオートバイを運転していた非番の警官は、どうも道路脇に置かれた撮影用のクレーンに気をとられてしまっていたらしい。取り調べの証言では、記憶は定かではなかった。

妻であり、長いあいだ彼の映画のプロデューサーも努めて来たフィービー・エコノモプロスが、今悔やんでも悔やみ切れないのは、その時彼女が撮影現場にはいなかったことだ。到着したのは、事故の20分後のことだったという。



「アンゲロプロスは必ずしも、他人の痛みについて直感的な理解があった人ではなかった」ということについて、もうひとつ逸話がある。

カンヌ映画祭60周年記念の短編オムニバス『それぞれのシネマ』で、アンゲロプロス編はジャンヌ・モローが映画館に亡きマルチェロ・マストロヤンニの面影を探す詩的な一遍となったが、これは当初の構想ではなかった。

実は日本で撮影し、それも大島渚の『儀式』の上映に若者たちが集まり、上映後に大島がその前に現れるという構想だったのだ。

    
Theo Angelopoulos - Trois minutes 『それぞれのシネマ』テオ・アンゲロプロス編「三分間」

大島が二度目の脳溢血の発作で倒れていたことは、アンゲロプロスも知っていた。撮影当日まで、彼は大島に会うこともできず、車椅子の大島を妻の小山明子が押して出て来る、という動きが決められていただけだった。

ちょっと考えれば、大島が人前に出られるような状態では必ずしもないことも、想像が及んだはずだろう。事前に会えないというだけで、これはやめた方がいいかも知れないと思ったはずだ。

だがアンゲロプロスはそのことを、まったく考えてすらいなかったのだという。それだけに、その大島の姿も、彼には大変なショックだった。

『こうのとり、たちずさんで』

それにしても、アンゲロプロスにとって盟友でもあった大島渚が倒れてもう10年以上、映画を撮るどころか、大島渚として何かを語ることも難しい状態のまま、大島はそろそろ生誕80年を迎える。

それに比べて、アンゲロプロスは、『こうのとり、たちずさんで』以降の最大の野心作であり、新境地を切り開いた可能性の高い新作の撮影の真っ最中に、唐突に亡くなったわけである。

まさに現役の映画作家として、その創造のエネルギーのみなぎった最中に。それは映画作家にとって、もっとも望むべき死に方ではないか、とすら思える。

「その方がテオの死に方として、幸福だったのかも知れない、と考えることもあるわ。でも私には、まだ彼がいないという現実すら受け入れられない。マストロヤンニもいないし、そしてテオの死からしばらくして、トニーノ・グエッラも亡くなってしまった」

今、フィービー・エコノモプロスは亡き夫の全作品のきちんとした回顧上映のために、痛んだフィルムは新しいプリントを作り直すなどの仕事に追われている。

ギリシャの経済危機のなか、決して楽な仕事ではない。