明日から11日までイギリスのシェフィールドという街で開かれるドキュメンタリー映画祭 Sheffield Doc/Fest に行く。『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事(英語の題名は Cinema Is about Documenting Lives; the works and times of Noriaki Tsuchimoto) 』のインターナショナル・プレミア。6月にすでに渋谷のユーロスペースで劇場公開は行っているし(まったく客は入りませなんだが…)、先月の山形国際ドキュメンタリー映画祭では映画祭のクロージング作品として上映、これから“海外ドサ廻り”が始まるわけだが、さてどういう評判になるのやら…。タイアップ本(?)の発売が遅れてしまったので、国内の地方上映は来年になるらしい。
ここで評判になればその地方上映も、少しは客の入りが…と期待しつつ、ぜんぜん国内では報道されないのよね、どうせ…(というのは昨年のあいだずっと『ぼくらはもう帰れない』をあちこちで上映したときに体験済みで、今や海外での方がたぶん有名になってるんじゃないか? 韓国ではブロードバンドのテレビでけっこう人気らしいしけど、国内公開は僕が無精、かつお金がかかり過ぎるので未定)。
モノが映画監督(それも巨匠)についてのドキュメンタリーなので、映画ファンの関心しか呼ばないであろう題材なのがちとつらいところなのだが、渋谷での公開でも案の定いわゆる映画ファン中心のごく少数の観客しか動員できなかったものの、いわゆる「映画ファン」ではない観客の方が反応がよかったりするので、どう広げるかがたぶん宣伝の問題なんだろうなぁ。「映画ファン」から広げるという意味では必ずしもないのかも知れず…。
だいたいこの映画は、映画が世界のなかで人々に対してもっている役割については自分に出来る限り忠実であろうとしたが、いわゆる「映画ファン」にはまったくおもねていない、その意味ではひどく無愛想な映画になっている。土本典昭の直接の関係者、たとえばともに映画を作って来たスタッフの人々や友人の方々には好評だが、いわゆる土本のファン、はっきり言えば「土本典昭の映画を見ているワタシ」に自己満足できている人々には、むしろ不愉快ですらあるだろう。土本の映画といえばまず水俣病問題なのだが、水俣病の患者さんたちに同情して加害企業のチッソに怒りを感じる自分に酔うような自称シンパの人々には、耐え難いかもしれない。実を言えば土本自身がすでに30年前から、ただ「弱者の側に立つ」とか言った薄っぺらな考えではとてもではないが撮れない題材であることを自覚していたし、彼の映画を見ればそのことは確実に刻印されているのだが、30年以上を経てその自作を再考察する土本、水俣を再訪してかつて自作の対象であった人々の話を聞く土本は、必然的に自分が彼らにとって「他者」でしかあり得ないことを自覚するしかない。間接的にではあるが、土本が撮ったような記録が当事者にとっては苦痛にもなってしまうことすら、当事者から土本に向かって突きつけられる(それを言ってもらえるだけ、土本と彼らの信頼関係が濃密だということでもある)。
「他者」だからこそ、土本自身が彼らを「理解している」などと軽々には言えないからこそ、土本自身がその限界をはっきり自覚しているからこそ、土本は水俣で何本かの傑作を撮った。と同時に、以来30年以上水俣にこだわりながらも、ある時期以降は彼にとって水俣が撮ろうとしても撮れない対象になってしまったことに、この映画では触れようというつもりはなかったのだが、結果として70年代の傑作群と現代のあいだに、土本の苦渋に満ちた述懐以外に“なにもないこと”、その空白がかえって「撮れなかったこと」を指し示してしまってもいるし、結果として「なぜ撮れなかったのか」にも、この映画は触れてしまっているのかも知れない。
そろそろ半年経っているから時効なのだろうから言ってしまうが、公開時に出た批評のほとんどが、作った側からすれば「どこからそういう批評が出て来るねん?」と呆れてしまう内容だった。本来なら監督が言うことでもないのだけれど、僕自身が元批評屋なのでその視点で言っても、「ありえないでしょ、こんなの」というものが非常に多い。たとえばナゼか現代の水俣で撮ったシーンがあることにまるで気づいていないとしか思えない論評とか…。構造的に何度も何度も土本が撮った30年前の水俣と現代を比較するようになっているのに、その上土本自身が水俣という地域社会の変遷にもはっきりと言及しているはずだ。そこをヌキにして「土本が撮った水俣に較べて魅力がない」とか言われたって困りますよ。ドキュメンタリーはまず目の前にある現実をきちんと映像に記録することが出発点なのだから。まだ漁業の生活が残っていた水俣と、それがほとんどなくなりつつある現代の水俣では、違っていて当たり前じゃありませんか。
そもそも70を過ぎた映画作家が過去の自分の作品について語れば、ほとんど自動的に記憶について、過去について、自分の歴史をどう見るのかについての映画になってしまうし、そのことに作っている側はまったく抵抗してないし、抵抗しても無駄だし。主人公が記録映画作家でこの映画自体が記録映画なのだから、記録と記憶の相違もこれまたほとんど自動的に映画の構造にならざるを得ないし、そのことにもこちらはまったく抵抗してもおらず、むしろ身を任せている。その方が確実に、神のような天才記録映画作家・土本典昭という神話を捏造するよりも映画としておもしろいし(だいたい映画は「生きものの記録」であるとタイトルに明記しているんだから、この映画が土本という“生きもの”、土本典昭という生き方を記録したものになるのだって、自明でしょう?)。その結果、土本自身も元々はその一部であった60年代70年代のいわゆる「運動」の限界や挫折や過ちが浮かび上がって来るにしたって、土本自身が「運動」マインドにとどまったままでは『ある機関助士』や『路上』といった傑作は作れても、水俣シリーズという日本ドキュメンタリーの金字塔には到達できたはずもなく、76になって「人間って凄いことができるんだなぁ」と素直に圧倒され感嘆できるからこそああいう映画が作れたのだし、だいたい60年代70年代のいわゆる「運動」が限界をさらけ出し挫折し、過ちを犯し破綻し自滅したという自己批判くらい、60超えたオジさんたちがその程度の人間的成熟にも到達できずに、どうするつもりなんだろう?
もうひとつ、いかに土本が偉大で人間的に魅力にあふれ、説得力のある人であっても、その土本ですら叶わない説得力と人間的魅力をもった人々がこの映画に、それぞれに土本の登場場面に較べれば短いシーンでしかないにしても、登場していることを、なぜ無視するのだろう? 言うまでもなく、土本の映画の主人公たちであった水俣病の当事者の人々だ。どう見てもそうなってるでしょう、この映画では。だって映画である以上、そこを誤摩化すことは本来できないし、だからこそやるべきではないし。そのまま撮るだけ、彼らの発言のおいしいところを編集するだけでも、緒方正人氏とか小崎家の人々は、それこそオートマティックに映画的に光り輝き、説得力満点になってしまうのだから。だってあれだけの苦しみや被害を体験した人々があそこまでしっかり「生き続けている」ことそれ自体が、すでに凄く“エラい”ことでしょう。自身が患者である緒方正人氏に「わたしもチッソだったという自己認識」、加害の側と被害の側を区別すること自体が論理的に破綻していると言われれば、「この人は本当に凄い」と思う以外に反論のしようがないし。
以上のことは、いわゆる「映画ファン」や、「運動マインド」から抜けきれない…というよりそこに自身のアイデンティティや存在意義があると思い込んで自惚れたい人々にとっては、気づきたくないことなのかも知れない。まあ少なくとも、ごく基礎的な精神分析理論をあてはめれば、だから気がつかないのだ、という結論には簡単に到達できる。だから文句があるならフロイト大先生に言って頂きたい。だいたい、そうやって自分自身から逃げてどうするんですか?
土本ほどの偉業を達成した映画監督であっても、映画監督であるということは決してそんなに“偉い”ことでも、“正しい”ことでもないはずだ。「運動」にしたってこの社会を少しでもよくする方向に貢献できていなければ、ただの自己満足じゃないですか、そんなの。それどころか「支援」したはずの様々な社会問題の当事者たちに、むしろ迷惑をかけた運動だっていっぱいあったのだから(そういえば明日は、その多大な迷惑をかけられズタズタにされた三里塚に作られた空港から、飛行機にのるわけだが)。
今まで上映した限りにおいて、むしろ「映画に詳しい」とかをいばってなどいないいわゆる「普通の人」の感想の方がはるかに適確だったのは、その人々が「映画に関わっているワタシ」に自己陶酔なぞぜんぜんしないで、まともに生活しているからなのかも知れない。とくに女性の反応が凄く、作った本人がまるで気がついていないことまで指摘されまくりなのは、作った「カントク」としては少々反省しなければならないことなのだが、一方で映画、というか表現行為全般が本来そうあるべきなのだとも思う。しかしラストで引用した『水俣 患者さんとその世界』で患者がチッソの社長に詰め寄るシーンの、「わたしの気持ちが分かるか!」という絶叫が、観客である自分に言われたような気がしたと言われたときには、ほとんどゾッとしました。いやそんなことぜんぜん考えてすらいませんでしたが、言われてみれば、「分かります」と言うこと自体がとんでもない傲慢なのだろう。
11/06/2007
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