最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

1/20/2008

飯塚俊男さんの『映画の都、ふたたび』

昨日、飯塚俊男さんの『映画の都、ふたたび』をやっと拝見し、引き続き行われた「山形国際ドキュメンタリー映画祭はどこへ行くのか」というシンポジウムにも立ち会った。正直言うと、このプログラムの立て方はちょっともったいなかった気がする。飯塚さんが自分のデビュー作であった『映画の都』と、その対象であった山形国際ドキュメンタリー映画祭に熱い思いがあるのはよく分かるし、表層上は映画祭の危機を撮った映画であるのだから、映画祭の未来を語るのも一見必然的な流れには見える。でもあまりに予定調和過ぎるし、実は映画をその対象の枠内に押し込めて、映画を映画として見させない仕掛けになってしまってはいなかったか?

そろそろ4本目が完成する僕の長編のフィルモグラフィのうち、一本は劇映画のメイキングであり、もう一本はドキュメンタリー映画監督の肖像、どっちも「映画について」のドキュメンタリー映画だ。テレビ用の作品だとさらに3本、やはり映画や映画監督がらみのドキュメンタリーがあるのだから「お前が言うな」と言われそうだが、はっきり言えば「映画についての映画」というのはまずつまらない。映画への愛情とか熱意とかを画面の前面に押し出された日には「勝手にしろ」と言いたくなる。だいたい好きでなきゃできない、というか「好きだ」とか「愛」とかの上っ面の美辞麗句を超えられないようではいい映画なんてできないだろうし、自分の愛だのを観客に共有するように強いるのは手前勝手すぎて、ほとんどポルノグラフィめいた猥褻さにさえ陥りかねない。本気で映画への愛についての映画をやって成功させた人は、ゴダールくらいしかいないかも知れない(『映画史』)。あとはアルトマンの『タナー・オン・タナー』(『タナー'88』の続編)かな? そのどちらの天才も、「映画への愛」に対して、いつも以上に厳しく冷徹な目線を向けている。

飯塚さんの映画は、決して映画についての映画に留まっていないし、実を言えば「映画についての映画」なのは表面上そうであるだけだ。そもそもこれは映画祭という組織運営についての映画であり、それがただ「映画祭への熱意」などだけでは済まないことをはっきりと映し出している。旧県庁の時計塔の整備から始まることで「時」をまず印象づけるこの映画は、18年前の第一回映画祭を撮った『映画の都』の、未使用ラッシュも含めた抜粋を織り交ぜながら、映画はそこに流れた10数年の歳月を見逃しはしない。皮肉にも10回を数える映画祭で、立ち上げの時と現在の危機の時の主人公たちがほとんど同じであることに、彼らにとっても10数年の歳月が流れたことが胸に沁みる。その歳月で彼らがどう変わったのか、変わらないのかは、見ていて正直辛くなるものでもあった。

『映画の都、ふたたび』を映画祭についての映画として見るのなら、興味を持つのは映画祭関係者だけだろうし、「人ごとではない」と身につまされる程度の映画で終わってしまうかもしれない。実際、上映会に集まっていたのはそういう人がほとんどだったのだろうが、そういう映画としてだけ見るのはとてもつまらなく、もったいなく思える。まず日本のドキュメンタリーとしてなによりもこの映画がおもしろいのは、地方自治体の職員、いわばお役人が堂々と発言している数少ない、もしかしたら初めての映画だということだ。なにしろ自治体職員も官僚も、まず取材に応じてくれませんし、内輪の会議なんて撮らせませんから。まして内輪の会議で彼らがどういうことを言い、どう行動するか、そのドラマチックさの迫真性はそんじょそこらの劇映画が足下に及ぶところではない。

それも役人VS役人ではなく、映画祭のスタッフである嘱託職員はいわば民間人で、その彼らが、役人と向き合う会議なのだ。当事者は大変だろうが、映画としてはスリリングで怖く、そして映画的に抜群に面白い。、もちろん台詞の内容自体は、ほとんど重要ではない。言葉のカードを用いて民間人を吊るし上げ、潰すことで自分たちの「偉さ」を再確認せずにはいられないその姿が、映画には浮かび上がる。人間は与えられた状況のなかで自分の役割を演じることでサバイバルし、あるいは自分に与えられた状況のなかで自分を誇示し権力を振るうことで自己アイデンティティを再確認する。こと日本人の組織に属することを第一に考えてしまう国民性、それがどれほど残酷なことにもなりうるかが、これほどリアルに撮られた映画も珍しい。リアルなのは当たり前か。ドキュメタリーなんだから。

いやまあ、見ていてあまり気持ちのいいものではないにせよ、映画による日本人論、現代日本社会論としてとにかく秀逸だ。だからこれを「映画祭についての映画」としてだけ見るのは、あまりにもったいない。もっと凄いのは2007年4月を持って市役所から独立し、NPOつまり民間になった映画祭事務局のなかに、市役所的なパワーゲームの論理が伝染していく怖さだ。市役所側に会計監査の不備をネタにいじめられ、反省の弁を述べながら感極まって涙を流すというお約束どおりにやらなければならない“儀式”を捉えた会議シーンは飯塚さんがこの映画で撮ったなかでも最高の瞬間のひとつだが、その屈辱まで味あわされた彼女が結局クビを切られる(嘘だろ!)、それも引導を渡すのはNPO側だという、その会議をあえて字幕で処理し、その理由を明確にはしないという判断と、夜中に窓越しに、事務所にポツンと座った彼女を撮ったロングショットは、本当に凄いし見事に映画的で、恐ろしく残酷だ。

社会的にも、いわゆる「民営化」に、どれだけ机上の空論とは異なったドロドロの現実があるか、とても勉強になる。一方で思い出したのが、昨年大騒ぎになった安倍総理大臣の辞任劇だ。ほんの一年前にあそこまで持ち上げていた「戦後生まれの若い首相」をよってたかって引きずりおろした自民党は、そりゃ安倍さん自身が無能過ぎたのがいちばん悪いとはいえ、ちょっと見ていて気持ちのいいものではなかった。もうちょっとやりようがあったんじゃないか。

その彼女の去った実行委員会事務局は、一見平和を取り戻したように見える。だがここまでものごとをこじらせてしまった結果の亀裂は、もはや補完しようもなくそこにある(安倍辞任のあと、自民党がバラバラになっているように)。彼女のことは象徴的な一事件に過ぎず、さまざまな亀裂が、この映画祭のために集まった人たちのコミュニティを切り裂いているであろうことは、新事務所のシーンの妙に居心地が悪かったり、不安定だったりするキャメラワークににじみ出ているし、民間NPOになったとたんに、逆に映画祭が官僚化して組織保全で硬直化してしまうとう矛盾。

それでも映画祭は開催されなければいけないのだが、この2007年の空気感は、10数年前の『映画の都』の映像のなかのそれとは、なにかが決定的に違っている。そこに『映画の都』から、89年の映画祭で来日したジョン・ジョスト監督のインタビューが挿入される。ジョストはそこで,アメリカ人に決定的に欠如していて日本社会にはある美徳を語っている。日本人は互いを思いやり、共同体を大事にする、という。その日本的コミュニティのしなやかさは、2007年の飯塚さんのキャメラが一生懸命探しても、もはやどこにも、空気感のなかにさえ存在していない。我々は過去10数年に日本社会がどれだけ野蛮化し、日本人が人としての本来の力を失ってしまったかを見せつけられ、唖然とするしかない。ほとんど同じ人たちが、10数年の時を経ただけで、本人たは変わらずいい人たちに見えるのに、そこに失われたものは決定的だ。

飯塚さんが、あるいは見ている僕自身が、過去を美化し過ぎているのかもしれない。それにしたって30代半ばのいわば大人とはいえ、年齢的にはいちばん若く、今後も成長していく可能性を秘めた女性を、ここまで孤独に追い込みいじめる場所に、もはやジョストの言っていたような美徳なんて信じようがなくなる。それも「いじめている」という自覚も、悪意も、たぶん当事者たちにはないのだ。むしろ申し訳ないと思っている風情さえ、飯塚さんの映像は映している。その彼女もまた、この一件で本来持っていた誠実さや純粋さをどこかで失ってしまったようにも見えた。

飯塚さんは元々はNPO化という「映画祭の危機」を耳にして、映画祭を守るためにこの映画を撮り始めたのだろう。だがドキュメンタリーのキャメラという機械が捉えたのは、原因がどこにあったにせよ、映画祭を中心にしたしなやかなコミュニティが結局は自己崩壊していく姿だった。そして飯塚さんはそれを、やたらと悪い面をあげつらったり悪役を作ったりはせず、あくまで対象への愛情を失わず、かといってお涙ちょうだいに持ち込みかねないところをギリギリでセーブし、非常に優れたドキュメンタリー映画を作り上げたと思う。この映画に出て来るお役人さんたちだって、決して悪い人たちには見えない。ただ共同体としての機能を失って冷たい制度となった組織のなかで、きちんと自分たちの役割を演じているようにしか見えない。

僕自身はその2007年の映画祭には作品ゲストとして参加しただけでから、実際の内情はぜんぜん分からないし、それは一応は知人ではある当事者たちの問題だから僕が口出しすべきことでもないだろう。憶測するに、当事者からすればいろいろ不満もある作品かも知れない(「こんなもんじゃなかった」とか「あの人のいいところだけ見せている」とか)。まったく内情を知らない僕ですら映画祭の中身をほとんど作っているように見える東京事務局、この10数年山形国際ドキュメタリー映画祭の質を維持し、世界でもっともおもしろい映画祭のひとつにしてきたディレクターの矢野和之さんがまったく出てこないのは気になった。なにしろ映画祭の期間中には矢野さんが今回で辞めるという憶測や噂が飛び交い、僕自身がテレビの取材に応じて「映画祭は優れたディレクターなしには成り立たない」と言っていたのだから。もっとも、この映画が映し出していることが現実なのであれば、矢野和之さんの10数年間の功績を心から讃える同時に、「本当にご苦労様でした。もうやめた方がいいかも知れませんね」とも正直思ってしまった。10数年も映画祭を続けて来た、それもドキュメンタリー映画祭を続けて来た結果がこうなるのなら、それはちょっと虚しい気もする。ドキュメンタリーは本来、どんなに残酷な映画でもその根底には人間への信頼があり、その信頼をこそ優れた映画は、究極的には伝えているはずなのだから。

でもまあ、故・佐藤真さんが繰り返し指摘していたように、映画として完成されたとき、ドキュメンタリーは現実にキャメラを向けていても作家の視線と思考を通して構築されたフィクションなのだ。だから山形国際ドキュメタリー映画祭がこれまでの功績をきちんと引き継いで継続することを願うのとはまったく別次元のこととして、この『映画の都、ふたたび』は日本における共同体の美徳の崩壊を見事に表現した作品として絶賛したいと思う。そして、だからこそ「映画祭なんて興味ない」と言わずに、というよりも映画祭のことは忘れて、日本人なら見るべき映画だと思うし、日本社会を知りたい人にはぜひみてほしい傑作だと思う。

とはいえ、本当の内情については知らないし口出ししないと言いつつ、気になったことが一つある。山形国際ドキュメタリー映画祭の危機的な状況、NPO化というのは、てっきり財政的な問題なのだろうと思っていた。それはそれで、我々には困ることだとはいえ、公金であり市民の税金なのだから、たとえば市議会で問題にでもなれば、文化というものが地域共同体のアイデンティティにとってどれだけ重要なのかでも論ずる以外に、「人はパンのみにて生きるにあらず」とでも強弁する以外に、どうしようもない。だが『映画の都、ふたたび』を見ても、その後のシンポジウムを聞いても、実はぜんぜんそういうことではないみたいなのだ。そのどういう政治の力学が働いているのかがまったく見えてこないところが、飯塚さんの映画のもっとも怖いところなのかも知れない。

とにかく映画では全く出てこないし、シンポジウムでもなんだか奥歯にものの挟まったような感じで避けられているので判断しようもないのだが、東京事務局の役割縮小というのも、行政の組織上はいわば外注業者扱いで、財政逼迫のなかでかつ映画祭がNPO化すれば、外注の外注という形式上の問題を巧く処理できないとか、地方分権の流れのなかで文化の東京一極集中を解消すべきという政治的な正当性の流れからも、東京の事務局が実質上作っている映画祭というのも建前上は…といった問題は想定して来た(し、それはそれでまっとうな議論ではある)。だからこそこの10数年、矢野和之さんと一緒に映画祭を作って来た山形の人たちが、もっと矢野和之さんを自分たちの大切な仲間として認識できないのか、東京に拠点があっても、映画祭を通じて山形の文化を育てて来たのは矢野さんじゃないかとか、仮に引退するにしたって「映画のプロだから」と上辺だけ持ち上げておいてその実外注業者扱いというのもないだろうし、「東京はプロだから」と20年やっていながらの残酷な甘えというのもちょっと怖い。その精神を引き継ぐのもまたコミュニティ、共同体の役割ではないか、それも優れた映画を信じることで結ばれたコミュニティなのだから、とか…いやその共同体が自己崩壊していることを映したのが、この映画なのか。とにかく怖いものを見てしまったなあ。その怖さが表面化するのでなく、じんわりとにじみ出て来るのが凄い。

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