
震災から14年後にやっと本格的に訪ねた神戸の写真(スライドショーはこちら)です。あまりに変わってしまっていて、「確かここだよな」とは思うものの、確証が持てない。今は通りの向かい側に店を移した(以前は祖父母の邸宅の倉を借りていた)おじさんの天ぷら屋さんを見つけてやっと、「あそこですよね」「そうやで」と判明した次第。

おじさんは三つ歳下の従兄弟である父のことを、今でも「尊信ちゃん」と呼ぶ。
子どもの頃からスーパー優等生で、祖父母の期待を一身に背負って東京の大学に行き、一部上場企業、それも港町神戸では大変なステータスになる大手船舶会社に入り、重役に子会社の会長までやった父のことを「昔からお勉強ができたから」と敬意を隠さない。
いやその父が定年で身体も悪いので一日中なかば引きこもり的に本を読んでるだけで困ったもんだと話したら、「いや尊信ちゃんは偉いなぁ、昔から勉強熱心だったからなぁ」というわけなのだが、今でも元気に現役で、おいしいてんぷらを揚げているいるおじさんとどっちが偉いのか、息子にはよく分からなくもなってくる。
少なくとも、こうなるとおじさんたちの老後にもなってない老後の方が、人生は楽しんでいそうだ。

もっとも、こんなこと書いているとおじさんからは「やっぱりお父さんにそっくりやな。難しいこと考えるもんや」と言われてしまうのかもしれないけど(汗)。まったくの無駄かも知れない考えなのに。

別に震災後とか最近越して来た人でもなく、たしかに僕が子供だったころ、20年30年前からあった店、何十年とこの中山手に住んでいる人たちのはずなのに、壊れてしまった街と一緒に、その記憶までなくなってしまったのだろうか。
あるいは地震であまりに変わってしまった街、なくなってしまった風景のことは、忘れないと生きていけないのだろうか。
記憶とは、そういうものなのかも知れない。



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