昨日はアテネ・フランセ文化センターのクリス・フジワラによるアメリカ映画連続講義で、数年ぶりにロバート・クレイマーの『ルート・ワン/USA』を見ることができた。
恐ろしく美しい映画であるのはもちろん、僕にとって個人的にも親分(笑)であったことも含めてもっとも影響の大きかった映画作家の、恐らく最高傑作だというのに、4時間半におよぶこの大作が今回はとても疲れる映画であったことは正直に認めるしかない。5月から撮り続けて来た大阪での即興長編劇映画で身体的にも精神的にも疲労困憊で、撮影を一時休止するしかなくなったほど、疲れが溜っていることもある。山形映画祭に行ったら少し寒かったせいか風邪気味になったのがその後とんでもなく長引く風邪になって帰京後にぶっ倒れ、未だに咳き込んでは喘息みたいな呼吸困難になる症状がぜんぜん抜けないから体力的にキツかった、というのはもちろんある。
だが、それ以上に気がつけばまもなくロバート自身の十周忌(1999年11月10日没)、そしてこの『ルート・ワン/USA』がちょうど20年前の映画であること、そこに写っているアメリカという国の姿に、もはや耐えられないほどウンザリしてしまっていることが大きい。
二人の主人公のうち画面に見えている方のドク(ポール・マクアイザック、ちなみにもう一人の「見えない」主人公はキャメラを持っているロバート本人)が、10数年ぶりに戻って来たアメリカについて「なにも変わっていない。同じ内戦がいまだにずっと繰り返されている」と述懐するのだが、その20年後のアメリカは、オバマ大統領の出現でチェンジを始めたように見えて、やはりなにも変わっていないし、同じ内戦が未だに繰り返されているし、強いて言えば「テキ」側がもっと醜悪でもっと極端にそのぶざまさを曝け出していて、それが激化しているのかも知れないという程度だ。
言い換えれば、20年前の方がまだマシだったとすら思えてしまう。またインターネットなどのコミュニケーション技術だけは発達したおかげで、アメリカの本当にどうしようもない部分の意見とかが直に見えてしまうからますますそう思うのかも知れないが…。
自国の戦争や虐殺行為よりも「妊娠中絶」と「同性婚」は「神に反する」云々かんぬん、『ルート・ワン』の時代にはパット・ロバートソンを大統領候補として支持する教会のミーティングで南アフリカの反アパルトヘイト闘争を「黒人と黒人の争いが本当の問題だ」「共産主義の影響が」と笑っちゃうような議論が大真面目で論じられていたりするのだが、現代のアメリカでは「オバマはケニア人でアメリカ人ではない」「バラク・フセイン・オバマはイスラム教徒だ」「オバマはアメリカを社会主義国家にしようとしている」とか。
オバマ政権のどこが社会主義なのか、もう少し社会民主主義に舵を切らないとアメリカが崩壊するだろうとハタ目には心配になるほどだが、いやまったく、イラクとアフガンでベトナム戦争の過ちを繰り返していることにも端的に現れているように、あの国の愚かさの部分はまったく変わっていないか、ますます酷くなっている。もうその現実を見ること自体がウンザリして来てしまうのだ。
『ルート1』の音楽を即興で創り出したミュージシャンたち、バール・フィリップス、ミシェル・ペトルチアーニ、ピエール・ファーヴル、ジョン・シャーマン
だが今日の久々のブログの本題はこの「アメリカにうんざり」話ではない。
『ルート・ワン』が20年後の今でも日本語字幕入りのプリントが日本にあって上映できる(ちなみに20年経ったとは思えないほど、保存状態はとてもいい)のは、これが1989年、20年前の第一回山形国際ドキュメンタリー映画祭のコンペ出品作品だったからだ。
それから20年の、今年の第11回の山形映画祭の「ニュー・ドックス・ジャパン」部門に『フェンス 第一部 失楽園/第二部 断絶された地層』を出品したのだが、いささか個人的な恨み節というか自慢話の自己満足になりかねない話ではあるけれど、台風一過で遅れに遅れた新幹線でなんとか山形に行ったその晩に、さる映画祭関係者に「本当は藤原さんの映画はコンペに入れるべきだったんですけどね」と言われた。その時にはあまり意味が分からずに、お世辞としてありがたく拝聴していたのだが、映画祭が本格的に始まってみてその人が言いたかったことがよく分かって来た気がする。
地元だけでなく日本各地からも集まった若いボランティア(久々に再会した畏友ハルトムート・ビトムスキーにアテンドしてたドイツ語ができる女の子が、日本語が関西弁なのにびっくりしたとか)が熱心に働いていたり、2003年まで映画祭のメイン・スタッフだった小野聖子・アーロン・ジェロー夫妻のご子息イアン君もボランティアで客の呼び込みをやっていたり、予算が制約されているのならそれで手作りで映画祭を盛り上げようと言う熱意が手書きの上映告知看板などでそこかしこに感じられるにも関わらず、なんだか盛り上がらずに中途半端で、あまり興奮しない映画祭になってしまっているのだ。
2001年審査員作品、ハルトムート・ビトムスキー『B52』(抜粋)
いろんな意味でこの映画祭の役割は曲がり角に来ているのは確かだ。20年前にまだデジタルビデオなる便利な映画作りの道具が登場する前(山形のコンペで初のDV作品は、97年のジョン・ジョストの傑作『ロンドン・スケッチ』)、映画作りの手段がないアジアの映画作家を応援するというわけで始まったアジアの若手プログラム、「アジア千波万波」は、アジアの映画とくにドキュメンタリーが今では世界のドキュメンタリー映画の台風の目となり、山形でも中国の王兵(ワン・ビン)とかタイのアピチャッポン・ウィーラーセタクンらがコンペ部門で高く評価され続けている今、ほとんど役割を失っている。というか、必然的に「誰でも映画が撮れる時代にアジアでも映画を撮ってますけど、ビデオなのも含めて映画として中途半端」な感じの、そこまでの才能や情熱があるわけではないプログラムにしかなり得ないだろう。今や「アジア映画」を保護育成するのでなく、世界レベルで評価するのがほとんど当然の時代なのだから…と思ったら今年のコンペは、ものの見事にアジア映画がほとんど入ってない。
いやそれよりも問題なのは、コンペだけでなくアジア部門でも、かつて山形を世界でも有数のスリリングな映画祭にしていたような映画、ドキュメンタリーについての既成概念をゆさぶり、映画とはなにかという問いをぶつけて来る、たとえば『ルート・ワン』や『ロンドン・スケッチ』のような、「映画とはなにか」を豪速球で問うて来る野心作や、ドキュメンタリーにおけるインタビューの意味を再定義することで「事実」そのものの信憑性を覆し続けるエロール・モリス、いつも同じ方法論のようでいていつも驚愕する他はない映画的知性と完成度にみなぎっていて、だからいつも新鮮なフレデリック・ワイズマンの新作であるとかに匹敵するような映画が、まるで意図的に排除されているとしか思えないのだ。『パリ・オペラ座のすべて』の日本公開が決まってるからと言って、山形で先行上映したっていいじゃないか。いや、山形のプログラムが変に保守化して来たことに気付いているせいか、ワイズマンは『州議会』も山形に出品する前に日本で上映できるようにしてしまっていた。逆にかつて『コメディ・フランセーズ 演じられた愛』が山形への出品をきっかけに劇場公開になったのとはすっかり様相が変わり、もはや山形なんて関係なくワイズマンのこの新作はヒットしているようだが…。
1999年コンペ出品のワイズマンの傑作『メイン州ベルファスト』
現代映画である以上、完成された方法論を見せつけるワイズマンの映画ですら(…というかワイズマンの場合その方法論それ自体が)、「映画とはなにか」という問いを必然的に浮上させることになる。とくに「現実にキャメラを向け、切り取る」というお約束があるドキュメンタリーにおいては、我々の世界におけるリアリティとはなにか、リアリティとは現代においてどのように認識され、それを映画という必然的にフィクショナルな再構成を含むメディアで表象するとはどういうことなのかを、映画を作ろうとする以上常に意識しなければならない−−90年代において山形映画祭はそうした現代映画の最前線の映画祭であり続けていた。
ところが今年の山形映画祭では、アジア部門では王兵やアピチャッポン・ウィーラーセタクン、あるいはジャ・ジャンクーがすでにやって来たような新たな映画のフォルムにおける挑戦の焼き直し(その模倣をやればヨーロッパの批評家中心にウケることを、中国や東南アジアの若手はしたたかに見抜いている)か、今さらなにをと言わんばかりに、手持ちのビデオキャメラでただ対象をおっかければいいみたいな安易な「情熱」だけの映画か、現代アートの駄目なビデオインスレーションめいた一発ネタ的で本質的な創造の意思が欠如したような作品がほとんどだし、コンペに至っては…。もしかして今年の山形に選考に関わった人々は、ヨーロッパや北米大陸が未だに世界の「最先端」であってアジアや日本が世界映画の発展途上国であるかのような植民地主義的幻想に,未だに足を引っ張られているのだろうか?
2001年コンペティション作品、アピチャッポン・ウィーラセタクン
『真昼の不思議な物体』
「世界のドキュメンタリーの最先端」ねぇ…。最近の傾向としてヨーロッパやカナダを中心にテレビ局がドキュメンタリー映画製作の重要なスポンサーになっているのだが、だからってこのコンペティションの選考はいったいなんなのか? どうせテレビのドキュメンタリーやるんだったら「NHKスペシャル」の方がまだ、ちゃんと丁寧にリサーチして真面目に作ってるじゃん(というかコンペ出品の一本はもともと、NHKにしては粗製濫造感の強かったハイビジョン特集の合作番組だし)、と言いたくなるような作品だらけではないか。
これでは山形国際ドキュメンタリー「映画」祭には見えない、「国際ドキュメンタリー番組祭」じゃないか、とあえて言ってしまいたくもなるほど、テレビ的なフォーマットの作品の数々は、うちでテレビで見る分にはうっとうしいほど下品な音楽の使い方でもそう気にならないだろうが映画館で2時間凝視するには退屈すぎる。
99年コンペ出品、エロール・モリス『死神博士の栄光と没落』
どうしてこうなるのか、その内幕事情はさっぱり分からないが、いったいあの90年代のとんがった、コンペは世界映画の最先端を行き、アジア部門は未来を先取りしていたようなプログラミングは、いったいどうなってしまったのか? どんなに「熱意」で頑張っても、映画祭のクオリティは出品作品と、その選考の背後に映画祭側が匂わせる、その映画祭の個性、というかほとんどその映画祭の映画哲学と呼んでも差し支えないものによって決まる。それは表層的で杓子定規な「選考基準」などで言語化したりできるものではなく、ディレクターと選考委員の個性と感性と知性によってこそ、映画祭の価値は決まるのだ。その山形映画祭を山形映画祭たらしめていた価値を、今年の山形はほとんど見失ってしまっているように見える。なるほど確かに、こういう山形だったら、『フェンス』のような映画がコンペだとかに入ることはあり得ない。出来不出来はともかく、これが山形映画祭がもっとも輝いていた時代の精神を引き継ごうとし、実際に山形をエキサイティングにしたワイズマンとかクレイマー、ジョストであるとかソクーロフ、エロール・モリス、21世紀に入って王兵とかペドロ・コスタであるとかに刺激され、吸収されたものを相当に反映していることもかなりあからさまな映画で、なおかつ徹底して「アジア的」、というか東アジア的な映画であるからこそ、ああいうコンペだとかではおよそ場違いな映画にしかなり得ないだろう。
2001年コンペ出品作 ペドロ・コスタ『ヴァンダの部屋』
実をいえば昨年の正月にすでに、飯塚俊男さんの『映画の都ふたたび』の東京上映にかこつけて、山形国際ドキュメンタリー映画祭の今後についていささかの危惧をこのブログで書いているのだが、その時に想定した以上にとんだ曲がり角での失速が起ってしまった気がどうしてもしてしまう。では20年間にわたって山形の文化政策としてドキュメンタリー映画祭をやって来た意味はいったいどこにあるのか? こういっては山形市民に失礼ながらあえて言おう、結局は保守的な田舎者が田舎者であることから一歩も出られず、「国際映画祭をやるということ」の意味を勘違いしたまま20年が経ってしまったのではないか?
どうも「国際」とか「海外」に強烈なコンプレックスを持ち続けている日本国の、そのなかでの地方都市というか田舎となると、「国際映画祭」とは世界のいろんなことが日本の片田舎にいる自分達に紹介される場なのだと思い込んでいはしないか? 田舎田舎といい加減失礼ながら、それってすさまじい田舎者根性、「世界の素晴らしいものをフィリピンの貧しい民に紹介する」と外遊しまくったイメルダ・マルコスのお土産外交並にダサい話だ。
山形で国際ドキュメンタリー映画祭、それも90年代から21世紀の初頭にかけてやって来たこととは、「山形から世界に文化を発信する」行為であったはずだし、現にとてもスリリングにそうなっていた。山形映画祭は今後もそういう映画祭でなければならないはずだし、それが山形の人々の誇りにもなり、明治以降の中央集権のなかで単なる片田舎に貶められてしまって来たアイデンティティの回復の一翼を担うことにもなり得たはずだ。だが悲しいかな、肝心の山形の人々がそういう「田舎者からの脱却」の意思、日本文化の東京中心の権力構造をひっくり返すような意思なんてまるで持とうともしないまま、20年が過ぎてしまったのではないか?
2003年のグランプリ作品、王兵『鉄西区』
一方で山形映画祭に行くことを「自分は映画通である」というステータスにして来た観客の側にも、問題は大きい。20年やっていて彼らが山形映画祭の観客の主流であり続けて来たのなら、別に山形が自民党の支持基盤の東北地方の農業地帯だから保守的なだけでこうなってしまうわけではあるまい。そこに通ってる観客もまた20年のあいだに山形詣でが惰性になり、感性が鈍化して保守化し、山形で「映画とはなにか」という先鋭的な問いにエキサイトしていた時代をすっかり忘れてしまってはいないか?
自作のことを持ち出すのは自己満足みたいで恐縮なのだが、『フェンス』はある一定世代以上の日本人にとって常識だとしてもたとえば僕の世代だって普通は知らないようなことを、あえて「当たり前の前提」として説明は一切しない映画にしてあるのだが(映画とは説明のためのメディアではないはずだと頑固かつ純粋主義で思い込んでいるもので…)、初の国内上映であった山形では、むしろ山形の一般市民であろうお客さんの方が適確に映画の構成とか仕掛けを見抜いていたし、とくに若いお客さんの反応が、映画をちゃんと見て自分なりの理解(見る人によっていろいろ考えられるようにあえてしている、こちらの「メッセージ」は表立っては主張しないのが僕の映画の常なので)をしてそれなりに評価してくれていた。
その一方で、20年間やってる惰性になるとわざわざ通ってる観客(というかセミプロ、プロ観客)まで感性が鈍化してくるのか、いわば「常連」さんたちからのまあいろいろ間の抜けた「批判」はけっこう聞かされたた。たとえば池子基地で戦後間もなくあった爆発事故について、「土本の弟子なんだから新聞記事を引用すべき」だとか、調べなかっただろうとか(唖然)。誰が土本の弟子なのか知りませんが、池子問題については逗子市が音頭をとってすでに分厚い網羅的な資料集を発行していて、そういう記事も簡単に見つかるのだが、この映画がそもそも大文字の歴史の政治性の偽善にむかって個人の記憶の人間性で立ち向かおうとしている映画だと気付いてもいないとか、お笑いにもならない。
藤原敏史『フェンス 第二部 断絶された地層』
なんで僕が土本典昭の真似をしなきゃいけないんだか、意味が分からん。土本を尊敬するにせよ映画についての考え方において必ずしも影響を受けているわけではない、むしろ意見が違ったりするからこそ、あえて土本が自分のポートレイト・ドキュメンタリーの演出に僕を推薦したことも気がつかないんだろうか? そういえば死んだとたんに土本を神格化するかのような空気が蔓延するのも、ちょっと気持ち悪く、『フェンス』の撮影監督・大津幸四郎と「我々はお呼びじゃないみたいだね」と隠れてたりしてたわけだが。
あとこれも土本の真似をしろってことなんだろうけれど、地図を入れろとかって、米軍基地が柵の向こうに垣間見えるものでしかない、「見えない」ものなのがキモだというのに、地図でなんとなく分かったつもりにされてたまるもんか。それこそ個人の記憶、個人の体験なんだから地べたを動くだけの人間の視点だけで、フェンスの向こうに隠されて見えない風景をこそ、意図的に撮っているというのに。
というか、『フェンス』という映画自体を「見えない」こと(米軍基地が機密によって見えないだけでなく、だいたい過去についての映画であり、過去である以上現在においては見ることができないし、その過去の個人個人の体験については記憶しかない)と「語れないこと」(たとえば戦後間もなく、黒人の工兵部隊が配置された池子で、地元住民にどんな被害があったのかは、誰も直接には語らないし、語れることでもない)をこそ、そのフォルムと構造・構成の基本に置いているのは、あからさまなのに。そこで「映画で見せること、語ることとはどう言うことなのか?」という問いを必然的に内包した作りになっているのは、それこそ「見りゃ分かるだろう」レベルの話だと思うのだが…。
20年間やってるとわざわざ通ってる観客(というかセミプロ、プロ観客)まで感性が鈍化してるのだとしたらそれも危惧すべき問題だ。自分の映画のことだと自分の作り手の思い込みで話が歪んでしまうし自己満足になりかねないので、コンペ作品で「これなら山形でやって当然だ」と思わせてくれたたった二本の作品を例にあげてみよう。
アヴィ・モグラビ『Z32』
まずアヴィ・モグラビの『Z32』で主人公とその婚約者の顔が常に凝ったデジタル処理で隠蔽されているのが、現代のメディアで多用されるモザイク匿名処理のパロディであることすら気付かないとか。
ハルトムート・ビトムスキー『塵 - ダスト』
ビトムスキーの極めてパーソナルながら、それだけに突き詰められた傑作である『塵ーダスト』が、人間の営みとその文明の虚しさをこそつきつけている、その哲学的なレベルがあることにすら、まず考えが及ばないとか…。
どっちも皮肉と逆説たっぷりなことくらいは、好き嫌いに関わらず最低限気がつくべきだろうし、その皮肉がイヤだから嫌いだというのなら分かるのだが、笑いすら起らないんですからいったい映画の何を見てるんだか、というのが今年の山形映画祭の全体的雰囲気を象徴しているように思えたわけである。
それにしても「映画とはなにか」と同時に「アメリカとはなにか」を先鋭的に問い続けてその本質をみごとにえぐった『ルート・ワン』の20年後、山形国際ドキュメンタリー映画祭のグランプリが、チョムスキーなどのインテリが新自由主義を批判するインタビューをただ繋げただけ、現代の北米大陸を代表するインテリたちが書いている言葉ほどには人間的には魅力的でなないことを確認させて頂きながら「本にしてくれた方がよかった」程度の、さしたる知的・感性的な突き詰め方もなければ映画にした意味がよく分からない映画に与えられるとは…。
これだけ書いてしまったら当分出入り禁止かな、といってどうせ二年後の次回の映画祭までにドキュメンタリー新作を仕上げるなんてことはまずあり得ないので、あえて山形国際ドキュメンタリー映画祭の今後のためにも、厳しいことを書きまくった次第です。
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それは山形市民というよりは東京都民だって同じことで日本人全体に染みわたる田舎者意識というのか、ハリウッド映画の監督に「ミナサンアリガトウ」って言わせて喜んでるようなギブミーチョコレートの時代から全く変わらない気分があるんじゃないかという気がしますね。なので辺境にいて国際的な文物が見られるからっていうよりは、世界中のえらい人たちが自分たちの存在に注視してくれて嬉しい!っていう感激の方が強いんじゃないかと思います。やっぱ自らの手で民主主義を勝ち取ってないだけに主体者としての意識がないっていうか、なんでもかんでもやってもらう側、サービスされる側って意識なんじゃないですかね。そのくせ自分では何もしてないくせに分け前が少ないと怒り出したりとかね。こんな田舎者根性、奴隷根性を後生大事に守ってるうちは世界を収斂する文化的事業なんか仕切れる訳がないですよ。
返信削除> やっぱ自らの手で民主主義を勝ち取ってないだけに主体者としての意識がないっていうか、なんでもかんでもやってもらう側、サービスされる側って意識なんじゃないですかね。
返信削除それ逆じゃないですか? 当然ながら受けるべきサービス、つまりは近代において国家が存在する意義として国民に提供しなければいけない最低限のことですらやろうとしなかった長期政権をやっと政権交代させたのは、ごく最近の話ですから、「サービスされる側」ではなく「『権威』には文句も言わずに従順に従う側」なんでしょ。
政権交代までしたのに、日本の安全保障に寄与どころか現実には地元民に危険と危害ばかり与えている基地を、「県外移設」を主張した候補者が全員沖縄選挙区で当選してるのに、それでも新政権の防衛大臣があんなこと言って、外務大臣ですら「嘉手納統合」ですからね。
> やっぱ自らの手で民主主義を勝ち取ってないだけに主体者としての意識がないっていうか、
…ってそれを言うならアメリカ様の属国なんでしょう、意識として結局。
> こんな田舎者根性、奴隷根性を後生大事に守ってるうちは世界を収斂する文化的事業なんか仕切れる訳がないですよ。
ところが前回を持ってディレクター(公式名称は「東京事務局長」)が交代するまでは、とくに90年代はまさに世界の最先端をやって来たわけで。
> ハリウッド映画の監督に「ミナサンアリガトウ」って言わせて喜んでるような
日本に来たらそれくらいの日本語は覚えるのが当たり前でしょう。まあ社交辞令で喜んであげるくらいの余裕はないと、なにしろ文明の進化度においては世界で最先端の先進国であることは紛れもない現実なわけで(よくも悪くも)。
映画のことはよく分からないので、映画祭の詳しい事情には立ち入ることができませんが、おそらく最初の事務局長の方がたいへんな気概と実力をお持ちの方だったのではないですか。それで平均的な日本人に交代したときに日本人の平均的な仕事に落ち付いてしまったということではないでしょうか。このエントリを拝読しての印象になってしまいますけど。
返信削除で、話が逆になっているとのご指摘がどういう意味なのかまだ理解できかねているのですが、フランスでは国民こそが主権を握っているべきなんだと、それを目的とした革命が起こっているわけですよね。アメリカではイギリスからの独立戦争、イギリスでは名誉革命ですか、それにロシアや中国でも共産革命という形で、それぞれの歴史上に国民が主権を求めてそれを勝ち取るという象徴的な過去を背負っているわけです。もちろん日本をフランスと比較してどうこうというつもりはないですし(というよりフランスのそれ自体が世界史のなかでも特異すぎるので比較してもあまり意味はないと思います)、それにフランス国民にしたって全員参加というわけでもないし、だいいち現代の人びとにとっちゃ何世代もの過去のできごとにすぎませんが、しかしそれでも現在のフランス国民には、この社会の主権者が自分たちであるのは前世代の国民が主権を取るために行動を起こしたからだ、という少なくとも建前上の意識はあるわけです。ところが日本にはそれが全くない。一応、日本の近代化は明治維新に始まるとされてはいるのですが、これも権力機構の内紛にすぎませんし、維新後の自由民権運動は頓挫、大正デモクラシーは口だけの流行に終わっています。むしろ国民主権を日本にもたらしたという点では、敗戦の事実の方がよほど大きい。みずからが勝ち取ってこその「主権」なのに、それを連合国からありがたく頂戴するという情けなく倒錯的なことが、60年後の今なお続いているという状況があるわけです。日本人にはあの時みずから主権を勝ち取ったんだと振り返ることのできる記憶、体験の蓄積がない。そのくせ自国を民主主義国家だと思い違いをしている(主権を勝ち取るための行動を一切起こしてないのにどうして民主主義なんてことが言えるのか?)。その点があらゆる面でいろいろと影を落としているように見えるんですね。私は一人の私人としての日本人に愛着はありますが、国政(のみならず、さまざまな社会的活動)の主権者としては全く信用していません。藤原先生は日本を文明国の一角とお考えでいらっしゃるようですが、私は前近代の文明国(メソポタミア文明とかインダス文明とかそういうレベル)ではあっても、近代の文明国にはなりえていないと思うんですよ。その前提となるべき国民主権が成立していないというわけです。
なので、そういった状況を克服するためには、日本人がみずからの主権を求めて革命を起こすしかないと思うんですが、現在の日本国家が曲がりなりにも民主主義の体裁を採っている以上、その名目も立たないし、そもそも国民にその意識が醸成されないですよね。未だに「権利を主張する前に義務を果たせ」などと語義矛盾の馬鹿げた主張が大手を振って横行していて(権利に先立つ義務があるとすればそれは誰に対する義務なのでしょうか?そいつがこの国の真の主権者です。国民ではありません)、それをおかしいと思う人が圧倒的に少ないのがこの日本の実状です。といっても、みずからの意志を持つことが主体性ですから、他人が要請したりするのは適切でありませんし、そのような性質のものではありません。だからといって現状を見過ごしにしてよいものかとも思うわけです。なので私としては、この国の現実は民主主義ではないのだぞ、国家の主権者は国民ではないのだぞと宣伝して、あとは国民がその気になってくれるのを待つしかないんですよね。ほかにもっといい方法があればぜひ採用したいと思いますが。
ところで先日、「問答有用」掲示板などでたびたび投稿をされていた、とほほさんが亡くなられました。直接お会いしたことはないのですが、やはりどこか寂しいものは感じてしまいます。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=6570;id=sikousakugo
ちなみに「自らの手で民主主義を勝ち取ってない」ってのは戦後のフィクションに過ぎないことでして、明治中期以降の自由民権運動から大正デモクラシーと、それなりの普通選挙民主政は昭和初期には日本で制度として確立していたし、それは「民衆」ではないにせよ日本のリベラルな知識人層が勝ち取って進めて来たものではあったわけで。
返信削除「軍国主義」が戦前の日本を支配してたというのもまた戦後のフィクションに過ぎず、それなりの普通選挙民主政のなかで結局はああなっちゃったのが真相でしょう。
> ところが日本にはそれが全くない。一応、日本の近代化は明治維新に始まるとされてはいるのですが、これも権力機構の内紛にすぎませんし、維新後の自由民権運動は頓挫、大正デモクラシーは口だけの流行に終わっています。むしろ国民主権を日本にもたらしたという点では、敗戦の事実の方がよほど大きい
返信削除それこそが戦後が創り出した巨大なフィクションであるとしか思えないんですよね。維新後の自由民権運動は頓挫なんてしておらず、その中心人物の一人は首相にもなってるしテロ事件にあって片足義足になっても自分の政治的意思を貫いたし、昭和に入れば軍部によるクーデタ未遂はあっても鎮圧されているし、昭和天皇は天皇機関説信奉者だったし、一方で大政翼賛会政権は国民の圧倒的支持を受けて政権とってるし、民主的な政体がなし崩しになったのだって軍部を中心に日本のかなりのパーセンテージの支持を受けてのことです。
でも「民主主義は戦後に(アメリカから)与えられた」というフィクション、逆に言えば戦前には国民に発言権がなかった、と言わなければ、戦争責任が、他国に対することはもちろん、自分たち自身の苦しみも含めて、全部自分たち自身に返って来ざるを得ないんでしょう。だから「自分たちで民主主義を勝ち取ったわけではない」というフィクションでその後ろめたさを覆い隠しても来たし、その国民が政治的主体性を握ってしまうことへの潜在的な恐怖感が、自民党政権その実官僚支配を容認させて来た、ってのが実態にいちばん近い解釈でしょうね。
> そういった状況を克服するためには、日本人がみずからの主権を求めて革命を起こすしかないと思うんですが
それよりも本当はなぜあの戦争が起ったかを含めて、自国の歴史をちゃんと学習すると共に、「戦後民主主義」(その実官僚支配)という欺瞞によってうやむやにされている「国民の責任」と「個々人の責任」という意識を取り戻すことの方が先決でしょうよ。
「革命もどき」なら全共闘世代がやって見事に失敗したし、後の世代はみんなその後の彼らのいわば被害に遭って来てそれでも黙ってしまうしかなかったわけで。んでもって全共闘世代がなぜ失敗したかは今となってはあまりにも明白で、彼らは戦時中の指導者や今でも「大東亜戦争は正しかった」と言ってる一部の困ったチャンたち以上に、責任感、自己責任という概念がまるで欠如しているから。
同時代の世界の左派革命勢力にとって基本文献だったマルクーゼとか、あるいはハンナ・アーレントとか、日本の全共闘はそれを読んだ瞬間自分たちの責任の観念が問われ、自己批判を強要されてしまうような思想なだけに、そっから逃げ続けてロクに読みませんでしたからね。そして「天皇の戦争責任」を追求する連中もまた、天皇の責任を国民の免罪符にでもなるかのように論理をすり替える無責任バカばっかだし。
だから同時代の若い世代の左派革命勢力はヨーロッパでもアメリカでもそれなりの遺産は残せたけど、全共闘世代が残したのは自己満足の偽善と自慢、いいかげんな自己正当化でそれ以下の世代を徹底的に幻滅させただけ。
ちなみに国家にサービスを要求して自分達はなにもしないことにかけては、政府に不満だけは言い続けることに関しては、ストライキが国民的娯楽になってるフランスの方が日本よりもずっと凄いですよ。