…と言って、この秋に公開予定の、100歳のときの『ブロンド少女は過激に美しく Singularidades de uma Rapariga Loura』(2009)は、すでに彼の最新作では、ない。
なんという人なんだまったく。
現役最高齢なだけでなく、現代の映画作家たちのなかでもっとも旺盛な創作活動を続けている一人。
マノエル・デ・オリヴィラ 『ブロンド少女は過激に美しく』(2009) 予告編
いやまあなんというか…。あり得ないくらいに凄い、とんでもなく知性と気品にあふれながら、とほうもなく意地悪で人を食った、恐ろしく野蛮な映画であるという以外に、形容が今のところ思いつかない。
100歳過ぎると人間、いよいよ怖いものなんてなにもなくなるということか…。
以前に巨匠に「どうやったらあなたのようなシンプルな映画を作れるようになるのでしょう?」と訊いたことがある。
巨匠は一言、「それにはいろいろ経験が必要なのだよ」だって(苦笑)。
ところが話はこれでは終わらない。同席していた夫人のイザベルが、「マノエルの場合はね、いろいろな経験というのはね、棒高跳びでポルトガル代表になって、カーレースをやって、曲芸飛行を学んで、ワイナリーを経営し、それとね…」
「分かりました。つまり貴族だからこそ、というわけですね。ふん、どうせ僕はプロレタリアートだもん」とスネてしまい、巨匠は大爆笑…。
今回の映画も、「テーマはなんですか?」と訊ねたら、ニヤっと笑って「西洋文明の没落だよ。お前はなんでいつも同じことを訊くんだ?」と言われるんだろうなぁ…。
しかし巨匠がどの映画でもそう語るのも、あながちシャレではないのかも知れない。2002年の『家宝 O PRINCÍPIO DA INCERTEZA』には、二人の女優のあいだでこういうやりとりがあった。
レオノール・バルダック:あなたはまだ、文明の最初の段階にも達してないわ。
レオノール・シルヴェイラ:なに、文明の最初の段階って?
レオノール・バルダック:善意よ。
マノエル・デ・オリヴィラ 『家宝』(2002)
我々の文明は、その最初の段階に達することもないまま、没落に向かっているのかもしれない…。
いずれにしても確かなのは、1873年の原作小説の、時代設定以外はまったく忠実な映画化であるらしいこの新作『ブロンド少女は過激に美しく』がとてつもなく現代映画の最先端、現代という時代をあっぱれなまでに見せてしまっている映画であるということは、機械文明がどれだけ発達しようが、我々の精神の文明はまったくどこにも行っていない、ということなのかも知れない。
*配給はフランス映画社、TOHOシネマズ・シャンテにて今秋公開
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