最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/29/2013

フランス映画社の功罪


フランス映画社が事務所の家賃未払いを巡って差し押さえに遭っており、危機的な状態にあるらしいことが報道されていた。


日刊ゲンダイの報道 
http://gendai.net/articles/view/newsx/146824

ジャン=リュック・ゴダールの『ゴダール・ソーシャリズム』が確か最後の配給作品になるのだろうか? 社長の柴田駿さんには、最近はお会いする度にマノエル・デ・オリヴェイラの『アンジェリカの神秘』はいつ見せてもらえるのか、などとせっついて顔をしかめられたり、年賀状には『メトロポリス』の完全版の劇場公開も控えていると書かれていたりしていたが、作品は持っているらしいながら長らく目立った活動がなく、テオ・アンゲロプロスの遺作となった『第三の翼』も日本配給権は当然柴田さんが獲得していたのが、今年の東京国際映画祭で『エレニの帰郷』という邦題で上映された時には、配給は東映が、と告知されている。

アンゲロプロスの映画で一本だけ、最後の一本のみ日本で「BOWシリーズ」というフランス映画社のレーベルがつかないことになると知って、なにか妙な気分だったし、その告知を読んだ時点で、このようなことになるかも知れない予想も、正直に言えばなくはなかった。


公私ともに親しかったテオが撮影中の交通事故で急逝し、一時は柴田さん川喜多さんが支え叱咤することで映画を作り続けた大島渚も長かった闘病の末に、もうこの世の人ではない。

あっというまに時が経ち、気がつけば時代はまったく変わっている。


僕らの世代にとってはまず『ベルリン天使の詩』の大ヒットでミニシアター文化を作り上げた最大の立役者/功労者が、柴田駿さんと妻の川喜多和子さんの率いるフランス映画社、「名作を世界から運ぶ」と銘打ったBOWシリーズという認識になるが、この作品で日本で大人気監督になったヴィム・ヴェンダースだけでなくゴダール、アンゲロプロス、侯孝賢の『恋々風塵』や『非情城市』、それにオリヴェイラ…新作の吸血鬼映画が公開中のジム・ジャームッシュも最初に日本に持って来たのはフランス映画社だし、アンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』も柴田さんと川喜多さんご夫妻が紹介してくれたからこそ僕が日本で見られて、衝撃どころかワンシーンワンシーンが無意識レベルで刻印されたほどの映画であり(『無人地帯』にはそっくりなシーンがかなりある)、柴田さんが『運命』を『炎のアンダルシア』の題名で日本で公開してくれたからこそユーセフ・シャヒーンにも会うことが出来、ルノワールの『黄金の馬車』も『ゲームの規則』も、柴田さんがリバイバルや日本初公開をした古典だ。


今度やっと公開する拙作『無人地帯』は、僕の場合は『ノスタルジア』と『サクリファイス』から見始めたタルコフスキーの絶大な影響がある映画だったり、シャヒーンには「若者は映画評なんてやってないで映画を作れ」と言われたり、僕の映画のスタイルが長廻しを多用していることにアンゲロプロスの映画を見て来たことが関わってないはずもなく(『ぼくらはもう帰れない』では自嘲的なギャグにまでしてしまった)、もちろん『黄金の馬車』もあるし等々、考えてみればフランス映画社なしには僕はここにいない。柴田さん、川喜多さんとこの会社が紹介してくれた映画は、それを見て来た僕たちにとって大切な宝であり、数々の大きな影響を与えてくれた、学ばせてもらった存在である。


いやそれ以前に、60年代に日本の若い映画作家たち、大島渚や吉田喜重の映画を積極的に海外に紹介したのもSHIBATA ORGANIZATIONつまりフランス映画社だ。70年代には創造社を解散し、映画作りなんて経済的に見合わないことはもうやめようとすら思っていたという大島さんに「復活」のチャンス、つまりフランス資本で『愛のコリーダ』『愛の亡霊』を撮らせたのも、柴田さんと川喜多さんである。


もうどれだけ、このご夫妻、この会社のおかげで見ることが出来た、いやフランス映画社なしには存在しなかったかも知れない映画の影響下に自分があるのか、分からなくなるほどだ。

柴田駿さんに最近お会いするのはなぜかお葬式が多く、もっとも最近だと1月の大島渚監督の葬儀だった。実はこのご葬儀の事務方を取り仕切っていたのが柴田さんと、フランス映画社のOB、OGの皆さんだったらしい。その大島渚監督の野辺の送りが、フランス映画社の最後の大きな仕事になるのだろうか?


600万という滞納額は僕なんかにとってはかなりの額だが、記事を読む限り未払い額よりも、それを口実にこのビルからフランス映画社を立ち退かせようという(寿司チェーンの飲食店ビルに一軒だけ映画配給会社というのも座りが悪いのか)ことなのかも知れないし、東和財閥の創業者一族の末裔でもあり、川喜多映画記念映画財団という遺産継承組織もあるのだから、この額を払えないだけで、ということでもないようにも思える。


とにかく記事だけではどういうことかさっぱり分からないのだが、確かなことはフランス映画社がもう間もなくなくなる、柴田駿さんが、もしかしたらご自分の意思なのかも知れないが、長年の活動に終止符を打ち、店じまいされるであろう日が近づいていることだろう。

確か柴田さんは昭和15年生まれ、妻の和子さんを亡くされてもう20年だかになるのだったか、引退を考えられていても、隠棲されるのだとしても、今まで本当にありがとうございました、どうぞご自由に余生をお送りください、という以外になく、一抹の寂しさとともにひとつの時代の終わりの象徴を噛み締めるだけだ。

なのに敢えて「功罪」と題名に書いたのは、この日刊ゲンダイの記事にも関わる「大きな誤解」があるからである。

あたかもフランス映画社が「フランス映画」を日本に紹介して来た会社のように書かれているし、社名からそう思われても無理もないのだが、上記のざっと挙げてみた、同社が作品を配給してきた監督名だけ見ても、ゴダールは実はスイス人とはいえフランス映画でいいとしても、ヴェンダースはドイツ、ジャームッシュはアメリカ、マノエル・デ・オリヴェイラ監督はポルトガルの大巨匠だし(こないだの誕生日で105歳だって)、侯孝賢は台湾映画の代表的作家(家系は中国本土)、タルコフスキーはロシア人で、もちろんテオ・アンゲロプロスはギリシャ人だ。

オーストラリアのフェミニスト映画作家、ジェーン・カンピオンだってフランス映画社が第二作『エンジェル・アット・マイ・テーブル』をまず取り上げ、カンヌ映画祭でグランプリをとった『ピアノ・レッスン』を日本でも大ヒットさせ、僕がいちばん好きな『ある貴婦人の肖像』も柴田さん配給だった。

社名は「フランス映画」でも、実はちっとも「フランス映画」ではなかった。シャヒーンなんてエジプト映画ですよ。柳町光男監督が台湾で撮った『旅するパオジャンフー』というすてきな映画も、BOWシリーズの映画になった。


柴田さんはご存知のはずだが、僕は実はこの「フランス映画社」という社名が大っ嫌いで、つまり僕にとっては国内でこの社名を名乗ったこと(国際的にはSHIBATA ORGANISATION, INC.である)がこの会社の「功罪」の「罪」の方なのである。

結果から言えば、柴田さんと川喜多さんが国籍に関わらずあちこちの国から「傑作を世界からはこんで」くれたことが、世間的には「フランス映画」というスノッブな高踏文化趣味のレッテルに無理矢理くくられることになってしまった気が、今でもしてならない。

実際には柴田さん、川喜多さんにはそんなつもりはまったくなかったのだろう、優れた映画が好きで紹介する責務、優れた作家たちの仕事を親しみを持って擁護しただけなのだとしても、ただこの社名だけで「おフランス」的な教養主義の植民地主義を発散しているように思えてしまうのだ。

そういえばもう一つのミニシアター文化立役者の雄、ユーロスペースは、90年代にサミュエル・フラー監督を日本に招いたとき、サムが「映画会社にしてはずいぶん野心的な名前だ」と冗談にしていた。ユーロつまりヨーロッパである。実際にはイラン映画なんかも紹介し、アッバス・キアロスタミが日本で撮った最新作は同社の製作だ。




その社名が与える誤った印象が、例えばこのブログの前々項で触れたような、今に至る日本のアーティスティックな映画の受容における植民地根性的なスノビズムのゆがみと脆弱さに行き着いてしまっている気もしないでもない。

ちなみに『無人地帯』が日仏合作なのは、原発事故パニックというかお祭り騒ぎの日本国内にいては冷静に編集が出来なかった、信頼する友人で一緒に仕事がしたかった編集者がたまたまフランス人だったし音楽を頼みたかったバール・フィリップスも南仏在住、そして日本に住むフランス人のヴァレリー=アンヌが製作を引き受けて、フランスのプロデューサーのドゥニ・フリードマンを巻き込んだから、ということだけが理由だ。僕自身はフランスを「高級文化のブランド」とはまったく思っていない、むしろなまじ小学校がフランスだったので、変な国くらいにしか感じない。

結局、僕がそのなかで映画を作っていることも含めて、日本のいわばアーティスティックな映画は、「文化大国フランス」先進文明のヨーロッパというような虚構のイメージに支えられた植民地主義的な文脈で存在し、消費され、今や多重の危機的状況にある。

折しも今年には、堤清二氏も亡くなった。

今思えば、堤さんがセゾン・グループを擁して立ち上げた、「セゾン文化」とも呼ばれた新しい日本の消費文化のあり方は、バブルのあだ花だったようにも見えるのだが、あの時代には確かに、単なる成金趣味ではない「文化的な消費生活」を受け取り、映画にしても、ちょっと背伸びかも知れないにせよ、なにかよりおもしろい、美しいものに「高級感」も含めて受容しようという空気があったし、フランス映画社も、セゾン・グループの映画事業部門シネ・セゾン(映画の配給も行い、映画館も経営していた)も、確かにいい映画、本当におもしろい映画を紹介していた。

「豊かさ」ということについて、なにか金銭を超えた付加価値を見る、成金趣味を超えたなにかがこの時代の文化には確かにあった。ブランド品でもただ「有名ブランド」でなく、良質な作りとデザイナーの個性に価値を見いだす流行のなかで、三宅一生、川久保玲、そして山本耀司らが(パリ・コレクションでの評価からの“逆輸入”的な受容でもあったにせよ)一世を風靡した。

今そのセゾン文化的なもので残っているのは、無印良品だけなのかもしれない。 

「無印」の本来のコンセプトこそが、セゾン文化的なものの本質だったと思う。ただのバブル的な消費、お金を使うことではない、豊かな生活を夢見ると同時にシンプルななにか、「本質的な価値」を考えることが、バブルの中の日本では確かに始まっていたのだが、しかしそれも含めて、バブルの崩壊とともに消えてしまったことになる。

よい映画、芸術表現としての映画を見る観客がどんどん減って行く危機、そして高踏文化趣味のイメージだけが残って、映画が見られてもそのインパクトが去勢されている、シネフィルの趣味的な自我の維持に貢献はしても、どんなにいい映画でも深いところにはどんどん響かなくなって来ている危機が、今の日本にはある(日本だけではない、フランスでもそうだ)。そしてよい映画自体が減って来ているし、作りにくくなって来ている。

フランス映画の凋落、こと日本のマーケットで売れるようなフランス映画がどんどん減っていることがフランス映画社が今のような現状に陥った理由であるかのように言う向きもあるが、それはまったく違う。元からフランス映画社は決してフランス映画の配給会社ではなかったし、80〜90年代にはフランス映画の配給作品が実はほとんどない(フランス資本は入っていても)。むしろ作家性の強い、芸術的な作品が「フランス」というブランドで受容されて来たのが、日本人がそういった「文化大国フランス」に憧れて背伸びすることをあまりしなくなったのが現代なのだ、と言うべきだろう。

一方で作家との個人的な信頼関係に根ざした柴田さんの商売のやり方が、インターナショナル・セールス・エージェント、各国の映画を引き受けて世界各地に売りつけて行くことが専門のビジネスの台頭する今の世界の映画業界に合わなくなったことが、この凋落に結びついたとは言えるだろう。アンゲロプロスは自分の映画の権利の一部を必ず自分で保有していたので、親友でもあった柴田さんの会社が日本で配給してくれることを信頼して任せていた。その契約は5年であるとか年期を区切ったものではなく、20年前でも30年近く前の映画でも、だからフランス映画社がまだテオの映画の日本での権利を管理して来た。だが現代に作られる優れた、アーティスティックな映画ですら、ほとんどはそういう扱いではない。作家ではなくインターナショナル・セールス・エージェントが、極めてビジネスライクに業務をこなし、契約していく。

柴田駿さんがやって来たような、作家と作品を大事にする、ちょっと貴族的でもある優雅なやり方では、現代の爛熟した資本主義化の浸透した映画の世界では、通用しなくなったということなのだろう。今やカンヌ映画祭なんて、ダニエル・シュミットが『カンヌ映画通り』で皮肉ったどころではない、一皮むけば猛然たる金とビジネスのジャングルだ。

それはかなり残念なことだとも、僕は思う。いやかなり怖いことですらある。そんな寂しさとどうにもならない不安も覚えながら、これからフランス映画社と柴田駿さんが “消えて” 行くのを遠くから見つめることになるのだろう。


ひとつ残念なことがある。柴田駿さんが時にとてもややこしい人であることは僕だって承知している。幸か不幸か、巷に噂される恐怖物語に(なんだかんだで柴田さんが有能で、実績も重ねて来られ、人脈も凄いことへの嫉妬も含めた誇張も相当にあるのだろうが)僕自身は接したことがないが、これだけのことを成し遂げた人なのだから強烈な、ものすごくわがままで偏屈で、変人であった面もなかったはずはないとは思う。

だがそれも含めての柴田さんであり、そこまで強烈な個性があるからこそ出来たお仕事なのではないだろうか?

ひどい目に遭った人だっているのは分かる。だがフランス映画社がこのような状態になった時に、やたらと柴田駿さんに関するいやな噂が耳に入って来るのはどうにもいたたまれない。だいたい、世界の映画業界はどんどんビジネス・ライクになって行くのに、これでは逆行して内輪主義で陰湿で退化している話になりかねない。

個人的な好き嫌いはあって当然だし、あれほど個性の強い人なんだから馬が合わない人だって幾らでもいていい、それが個人と個人の話なら。だが落ち目になったのをいいことに、柴田さんに冷たくする、業界まとめて柴田さんの陰口で盛り上がるとか叩くとかになりそうなのだとしたら、それはやっぱり違うと思いたい。

だいたい、いい映画なんて強烈な個性がなければ作れない以上は、扱えるものでもないと思う。そういう強烈な個性の持ち主が力を持っているときは黙っていて、恨みだか欲求不満を溜め込んで、落ち目になったら仲間はずれで袋だたきとか、そんなのは、なんというか…「映画的」じゃない。

優れた映画の作り手や、それを本気で支える人たちは、差別的であってはならない。映画とはそういうものではなく、そんな人間の矮小さを超越したものを目指さなければならない。だが差別をしないということは、別にやさしいとか思いやりがあるとか、弱者がどうこう、というものではない。

大島渚だって意地悪な人だった。でも陰湿ないじめみたいなことは絶対にやらない人だったと思う。僕の場合も含めて多くの若者、若い男の子が、堂々と、公然といじめられましたが、それも愛情たっぷりに。それは僕なら僕を叱り飛ばし挑発して、より僕が自由になれるための刺激として、大島さんがやっていたことだ。この人は出会って、ちょっと気に入った若造には、ことごとく同じような刺激と挑発をやっていやのではないかと、亡くなった今になってなんとなく分かって来た。

一方で柴田駿さんが本当はなにを考えていた人なのか、よく考えてみたらたまに食事をごちそうしてもらったりしたことを思い出しても、実はぜんぜん分からないのである。僕の場合はそれはそれでぜんぜん構わないし(部下として仕事されて来た人は大変だったろうけど)、なによりもいろんな映画を見せて下さったことに感謝があるだけだ。

あと何度かごちそうしていただいた、築地のお店の海鮮丼は本当に美味しかったです。

3 件のコメント:

  1. はじめまして。映画関連をサーフしていてたどり着きました。
    私が小学生くらいの頃は、フランス映画というと、アラン・ドロンが出ているヤクザ映画や、メロドラマや、コメディなど通俗的な作品が多く、資本がハリウッドにくらべるとしょぼいせいもあって、白人が出てるのに観た感じが日本のプログラムピクチャーみたいなものが多かったのです。
    気がつくと、フランス映画はアート系みたいものばかりしか入ってこないようになりましたが、現地では今でも大衆的な娯楽作品も多いのでしょうね。もっとも、それが日本で昔みたいに客が入るのかといったら、もうそれはなさそうですが。

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    1. 今日本で公開されるフランス映画は、むしろ大衆的な娯楽作品のなかでちょっと高級な部類、がほとんどですよ。なおフランスの普通のコメディ映画は、外国人がみてもたいがいちっともおもしろくないので(フランス人が見ておもしろいかどうかも疑問ですが)、国外に輸出されることはほとんどありません。

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    2. あといわゆるアート系の映画は、フランスでも昨今かなり厳しいです。本来、しっかりした助成金などの体制はそうしたフランス映画のいわゆる「作家主義」の伝統を守ることが目的で作られた文化政策だったのですが、制度自体の問題点と、政治の問題で、そうした映画はどんどん通りにくくなって来ています。不思議なことに昨年社会党が政権に復帰したのに、むしろサルコジ政権の時よりもさらに出にくくなっています(のでそのCNC助成をアテにしている僕も困っています・とくに合作にお金が出にくくなっている)

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