東日本大震災からもう2年と10ヶ月、そろそろ3年になる。そして神戸の震災からだとまもなく19年、同じ年に東京では地下鉄サリン事件があった。
現代の神戸市・中央区中山手通り。 左手の区画は震災で家が壊れたまま空き地になっている。 |
終戦から50年目にあたる年に、この二つのいわば黙示録的にも思える、戦後日本社会にとって決定的だったはずの事件が起きた時には、その偶然の持ち得る意味を誰もが少しは考えたかも知れないが、1945年8月15日の意味が安倍晋三政権のニッポンで今や忘れられかけようとしているのと同様、この1995年のふたつの出来事の意味だって、そこを深く考えるよりも、地下鉄サリン事件ならばオウムを悪魔視するだけで、日本人の総体はそれを忘れてしまうことを選んだのかも知れない。
東日本大震災後に、平田、菊池などのオウム事件の指名手配逃亡犯だった人たちが相次いで逮捕された。
平田容疑者は自首だったし、菊池直子容疑者も夫の親族に密告されてもことさら抵抗も逃亡もしなかったのは、この人たちはまだなにか、今度の震災の意味を自分なりに考えていたのかも知れない。
最近、どういう場であったかは敢えて言うまいが(というか腹が立つし恥さらしなので言いたくもないが)、比較的近しい場で、とんでもない発言を聞いてしまった。
「東北の震災がなんだ、たいしたことはない。神戸は大変だった」
…と言うのである。それも既に東京で暮らしていたので直接被災者ではないとはいえ(津波被災地が政府がなにも決めないので放置されているままの)石巻の出身の人がいる前で、だ。
神戸だって大変だったのはその通りだよ。それでも死者数でも、地震それ自体の規模で比較したって…なんてことすら言うまい。比較すること自体がおかしい、間違っているのだから。
だいたい「震災が大変だ」ではなく「政府がなにも決めないから放置されているのは大変」って話ですよ…?
どういう卓袱台返しになってない卓袱台返しなんだよ。歴史修正主義すら論理的に成立していない安倍晋三内閣(「安重根は日本が死刑にしたから犯罪者なんだ!」自己撞着引きこもり政権)顔負けじゃんか。
東電本店とか経産省とか電力関連の関係者が、原発被災者のいる場で「自分たちは大変だったんだ、頑張ったんだ」そして「俺たちが日本を救ったんだ、なのにサヨクなメディアが」とぶつぶつ言うらしい、とこれも本ブログ前項の通りだが、また似たような話でもあろう。
この2年と数ヶ月のあいだ「被災地以外」の日本を覆っているうわべだけの「絆」「頑張ろう日本」といった連呼の裏で、被災地はお涙頂戴のエンタテインメントの題材にされ、その裏返しとして巻き起こっているのは凄まじく殺伐とした嫉妬なのではないか、とあらためて思い知らされる。
果たして1995年の震災の時の日本は、こんなにひどかったろうか? いやまだここまで劣化はしていなかったと思うが…。
「神戸の方がよかった」的な比較じゃないですよ、念のため。
2011年以降の日本では、「出来ることをやらなければならない」と言ったかけ声の同調圧力の裏で、同情され、支援されているように見える被災者への嫉妬が渦巻くかのように、「大変なのは被災者だけじゃない」という恨み言が、社会の表層やメディアでは見えないところで、延々と蠢いている(いやまあネットだとかで匿名でおおっぴらに言う者なら、すでにいっぱいいるわけだが)。
その一方で、では今回の被災者がそんなにいい目に遭っているとか、優遇でもされているのかと言えば、無論そんなわけもない。たとえば、本来なら仮設住宅は2年で終わるべき、次の段階に移るべきだし、現に神戸の震災ではそうだった。というか今の仮設住宅は神戸の震災がモデルケースで、だから法律で2年のはずだったのが、現状は仮設暮らしのまま多くの被災者が、家族やご近所の人の三回目の命日を迎えようとしている。
可燃性の瓦礫の焼却処理が、人口が少なくゴミ焼却場がそんなにはないところでは間に合わないから「広域処理」…となると全国で猛反対が起こった。一方で受け入れを支持する人たちも「放射能のリスクはみんなで分かち合い」…って?
いやだからそれ、放射能関係ないから。
あなた達、ヒーローぶらないでいいから。
福島県の瓦礫じゃないから。
宮城や岩手の沿岸部方向に放射性物質を多量に含んだ風はまず行ってないから(それでも低線量の部類とはいえ被爆が危惧されるのは、西北方向、飯舘村〜福島中通り方面だから)。
「絆」なんて、実態はそんなもんである。テレビで見るのはいいが、リアルに、モノとして、迫って来られるのは拒否し忌み嫌ったのが、21世紀のこの国だった。
政府が補助金をつけてなんとか解決…と言ったところで、なぜ地元で処理施設を増設しないのか、その本当の理由は決して口にされなかった。実は補助金や輸送費も含めればそっちの方が安上がりだったかも知れないし、早かったかも知れない。だが瓦礫処理が終わった焼却設備は確実に余剰施設になるだろう(だから「雇用になる」なんて安易に言わないで欲しい)。
地元は実はそれが怖かったのだ。なぜなら、首都圏のゴミを押し付けられるのが目に見えているから。首都圏のゴミ処理だけが、被災地の主要産業なんて話になりかねない。
そしてこの中央集権の国の「中央」が、とりたてて意識するわけでもなくそういうことを押し付けるのを、たとえば東北地方は既にいやというほど体験して来ている。それはもう、明治時代から、戦時中も、日本の近代史のなかで一貫して。
いやほんと、「絆」なんてそんなものでしかなかった。なのに、なにを焼きもちを妬いているのだろう?
6年半後の東京オリンピックは、被災地の復興を応援するためなのだそうだ。おいおい、2020年は震災から数えれば9年後だ。聖火ランナーが被災地を駆け抜けるとかいう構想は、その9年後も瓦礫の山と更地しかない被災地でも想像しているようにしか聞こえない。スポーツで被災地の子どもを励ますって…震災当時小学生の子どもが、そろそろ成人する頃です、それ。
サリン事件や神戸の震災に、芸術表現の分野でほんとうに切り込んだのは、おそらく村上春樹だけだ(短編小説集「神の子どもたちはみな踊る」とインタビュー集「アンダーグラウンド」)。その春樹さんが東日本大震災についてはとくになにも書いていないのは、実は作品として上梓するにはまだ早すぎる、彼にとっては十分に考えるべき時間がまだまだ必要だからかも知れないとも思うし(僕だってドキュメンタリーでなければ、翌年2月には映画をベルリン映画祭で発表なんて出来ていない)、なかなか物語を紡ぎだすには難しい現状が続いているからなのかも知れない。
むしろ天変地異が人間スケールの「物語」を超えている以上に、この震災は社会全体の「大いなる物語」を産む能力を超えてしまっていたか、その能力を日本全体がバブル後の20年のあいだに既に失っていたことを、曝け出してしまった。
なにしろあろうことか、被災地のほとんどで、まだ将来のことがなにも決まっていない。つまり「なにも変わりそうにない」。
「戻れるかどうか分からない」のは、実は原発被災地だけではない。津波被災地の多くでも「なにも変わらない現実」は、なにか変わる契機さえ見えないのなら、物語を作るのにはなかなか難しいだろう。
未だに津波を食らった町や村に、巨大防波堤を作るかどうか、自民党の環境部会でも揉めている。それがマスコミで話題になったのだって、単に首相夫人の安倍昭恵さんが出席して「それはおかしいと思う」と発言したから、つまり首相がらみのちょっと微笑ましいゴシップねたとして、だった。
自分で言えば話題になる、と計算していた昭恵さんは、案外とたいしたものである。彼女がそうでもしなければ、みんな忘れていただろう。
参考まで:安倍昭恵さんインタビュー(朝日新聞)
http://news.asahi.com/c/aduXawa3oDpg88ai
そして肝腎の被災地では、たいていの人が「ばかばかしい。今度津波があったら逃げるからそれでいいべ」というくらいに思っている(ということを、東京のマスコミは報じたがらない)。とはいえ地盤沈下もあるので、それなりの大規模土木工事は必要かも知れない。「ではどうするのか」が決まらないまま、戻ることも出来ないし諦めることも出来ない(これも東京のマスコミは報じない)。
いや政府の側では、なにも決めなければいずれ諦めるか、高齢化も進んでいるのだし、はっきり言えばどんどん亡くなって行くだろう、とタカをくくっているのだし、東京の大手マスコミだって結局は一蓮托生なのだろう。
「絆」「絆」の連呼の裏の実態がこれだ。
口先だけ「頑張ろう」「被災地を思って」が連呼されたくらいで、そんなに嫉妬しないで下さい。
報道が集中して同情モードに染まったくらいで、自分たちが無視されたなんて思わないで下さい。
その報道だってあなた達の安易なセンチメンタリズムにおもねるためにも、えらく歪んでいたのだし。
ただでさえ実態は大変なのに、過去の生活を失ったまま未来がなにも決まらない宙づり状態なのに、メディアの見せる被災者イメージ相手にそんな歪んだ思いまで押し付けてどうする?
篠崎誠監督『あれから』予告編
神戸の震災とは異なり、東日本大震災をテーマにした劇映画はかなり作られたが、篠崎誠監督の『あれから』という傑出した例外と、実は密かに震災と原発事故を受けた映画である黒沢清監督の『リアル〜完全なる首長竜の日』を除いて(ちなみに日本で最初にクビナガリュウが発見されたのは、当時福島県双葉郡なので「フタバスズキリュウ」という名前がついた)、「物語を作りようがない天変地異」に直面していることにすら気づかなかった結果…まあ、なんというか…なかなか大変なことになっていますね…。
ディザスター・ムービー作りたいなら、作ればいいじゃんかよ。そうすると「不謹慎」とか言われるのが怖いだけなんだろうけど。
神戸の町並みは、震災で確かにえらく変わってしまった。
いや実は震災がなくたって、それなりの大都市だし、10数年経てばかなり変わっていただろうが、その前の神戸を知っている人からすれば悔しいのは分からないではない。山の手の方の古い、かつては上品だった住宅地の中には、建て直しが出来ないまま、更地や駐車場になっている場所もある。
神戸港に至っては、復興計画の失敗で(国際物流の変化に対応するのではなく、「元に戻す」計画だった)港湾としての地位が下落してしまった。なのに東北太平洋岸の漁港でも、その経験から学習することなく、漁業従事者の高齢化などを考慮した整理もうまくいかず、どう「元に戻す」かで莫大な費用の問題も含めて揉めていて、結果として動かない。それを見て神戸の震災やその後の経緯を知っている人が苛立つのは分かる。
いやそういう漁港でも、「俺たち平均年齢65だべ?5年かけて建て直すってなんだ?」と皆さんおっしゃってましたよ。ただ足下を見られて見捨てられるのが分かっているから、自分たちからは「もういい」とはなかなか言えないだけです。
日本の政府は今までだって、そこまで冷酷でもあったのです。
だがだからって、嫉妬心丸出しに東北の被災地と神戸を比較するか、普通?
そんな空虚な幻想でしかない比較をして、なんの意味があるのかも分からない。
なにが嬉しいのかも分からない。
いや神戸出身の人がそんなこと言うのなら、こちらも敢えて言わしてもらおう。
神戸の震災で最大の被災地となったのは長田地区だが、ここの復興計画がメチャクチャであることに関して、このけったいな比較を言った人物を含めたその他の神戸市民や神戸市出身者は、知らんぷりはしているが、まったく無関係で無責任というわけには行くまい。
長田地区は震災当時、「世界最大の靴のゴム底の産地」と紹介された。
関西圏の出身か、親戚などを通じて関わりがある人ならすぐ意味が分かる “暗号” である。つまり長田は、いわゆる被差別部落地域だった。
まもなく完成予定『ほんの少しだけでも愛を』より
真偽のほどは不明だが、だから消防車が行かないので火災が広がったという噂もまことしやかに流れていたし、たぶんこのけったいな比較を言った人物を含めたその他の神戸市民や神戸市出身者は、実はみんながそう思ったことだろう。正直に、神戸市関係者以外を相手に、それを口にする人は(「あんなとこヨツとチョンしかおらんさかい」)もの凄く稀だったろうが。
神戸の震災について映画だとかが、ドキュメンタリーも含めて、ほとんど作られなかったのはこのせいだ。一応、長田地区を追ったドキュメンタリー “らしき” ものは作られたが、肝腎の問題には触れていない(いやまあ、見事にカットしたもんだ、器用に隠したもんだとは思う)。
それは元々、差別に耐えて来た土地である。東京や横浜から行ったなにも知らない学生ボランティアが途方に暮れたなどと言う話を正直に語ってしまえば、差別を助長することにもなりかねないから作るに作れなかったのだろうが、一方で「なぜそうなるのか」を深く考えようともしなかった作り手が多かったことも確かだろうし、結局は「部落解放同盟からのクレームが怖いから上映出来なくなる」で逃げた、とも言える。
いやこれもけっこうひどい話なんですよ、実態は。
「部落解放同盟からのクレームが」ではなく、解放同盟などと話をする際のこちら側の態度が無自覚に差別的だから相手を怒らせてしまっただけ、という例だってこの業界では相当にあることは、指摘しておいた方がいい。
もう一度繰り返しておく。そもそも比較すること自体がおかしいし、嫉妬のために比較するような問題ではない。
一方で、東北の被災地の場合にあった「比較」は逆だ。「大変なのは自分たちだけではない」「あそこはもっと大変なんだ」「ここは大丈夫だから、もっと大変なところを」、救援に来た自衛隊や米兵、取材に来た者たちに「こんな遠くまでご苦労様です、まずはお茶でも」。
こんど公開する『無人地帯』に出演してくれた人や福島県内での反応でいちばん大きかったのは、それぞれに双葉郡の人は「いわきの津波被災地も大変だ」「飯舘村も気の毒だ」、いわきの人は「原発避難のなにが大変なのかよく分かった」、飯舘村なら…と、自分たち以外の人々への気遣いだった。
だがそれでも「東北の震災がなんだ、神戸は」と言うのなら、「おたくの中央区や東灘区がなんだ、長田は大変だったんだぞ」とあえて言ってやろうとくらい、つい思ってしまう(不毛な売り言葉に買い言葉だとは承知しつつも)。いやこの場合は、実は比較ですらない。長田が最大の被害を受け、復興もムチャクチャにされてしまったことに、たとえば中央区と言った神戸市の他の多くの地域も、直接とまでは言えないにせよ、責任がないとは言えないのだ。
神戸の震災自体は天災だ。それ自体についての反省は、せいぜいが「ここは地震がない」と思ってかなり無防備だったこと、で済むだろう。
だがそこで人間の社会の断絶が浮き彫りになったとき、戦後50年の節目にそれまで放置してきたことに気がつき、なにかを考え、なにかをやらなければならなかったはずだ。
だが神戸では誰もその意思を持たなかったのか?
長田の「復興」は地元を追い出すことに利用され、それは隠されたままだ。あれから19年経っても、恐らくは誰も口にしないだろう。
言うまでもなく、こんな比較や嫉妬自体があまりに不毛だ。
「神戸は大変だった」とか言いながら長田のことは知っているのに知らないフリをするなんてもっと不毛だ。
天皇夫妻は分かっているからそれは丁寧に慰問をしたが、それだけで終わって、美智子さんの手向けた花束が永久保存されるだけがその記憶ならば、それも不毛だ。
震災が「どっちが大変か」とか「あそこはうちより優遇されている」とかの比較と嫉妬の話題になってしまうこと自体、どうかしている。
まるで「どっちがより大変な被害者か」で競争しているみたいな話になっている一方で、三つのプレートがぶつかりあっている日本列島が地震国であることすら、忘れているんじゃないか?
櫛の歯が抜け落ちたように、家が建て直されないままの区画が残る中央区中山手通り。 ここはかつて閑静な住宅街と商店街だった。 |
そんな世界の認識、人間の限界を受け入れることを拒絶するかのように、ひたすら「自分は被害者だ」と言えばなにか正当化されるような勘違いがはびこっているように思えてならない。そしてそれがいつの間にか、日本社会の主流のディスコースになっているように見える。だから “より凄い、より大変な被害者”を目指して競い合っている。
でもそんな「大変さ較べ」だったら長田が圧勝でしょうよ。「東北の震災がなんだ、神戸は」なんて言ってるおっさんたちは、「ヨツに負けた」なんてのは絶対に許容出来ないんでしょうけどね。
いや瓦礫処理のために焼却場を建てて「雇用を」と言って都会のゴミを押し付けたり、福島浜通りなら原発の次に今度は核廃棄物処理場を押し付けるなら、その扱いは関西圏におけるいわゆる被差別部落とほぼ「同じこと」にすらなってしまう。
そしてこんな「うちだって(あるいは、うちの方が)大変なんだ」較べは、上辺だけの児戯にも似たゲームに過ぎず、長田のように本当にいちばん大変だったところは結局は無視される。
そしてよく見れば、そうやってあたかも「どっちがより大変な被害者か」で競争したがっているかのように見える人たちは、実はたいした被害を受けていなかったりする。そりゃそうだ。被害当事者にはたいがい、そんな余裕はない。
これは差別問題とかいわゆる「差別反対」の運動とかにも共通する話だ。「反対」の運動や「支援者」は、たいがいいわゆる被差別者を語るときに、やたら女子供を持ち出して「弱者」イメージを強調する。なぜなのだろう?そしてその弱者を「支援」することで「同化」し、そのことで自己正当化を計れると思っている。その発想自体が差別的だとも気づかずに。
いやまず、その女性や子ども達が仮に怖い思いをしているとしたって、それは「あなた達」が怖い思いをしてるんじゃないから。あなた達はただの傍観者だから。
それにたぶん、その女性や子ども達だって、あなた達ほどには怖がってないから。
だいたい、ずっと差別に耐えて来た人たちは、あなた達みたいにただ「怖い」だけじゃ済まない、屈辱感も含めてもっと複雑な感情を持っているから。
あなた達と違って、それをちゃんと受け止めなきゃ、生きて来れてないから。
別に彼ら、「弱者」じゃないから。たぶんマジョリティに甘えているあなた達より、実は遥かに強いから。
村上春樹の『アンダーグラウンド』で、春樹さんのインタビューに応じた、サリン事件を体験した人たちは、みな強い、もの凄く強い。強い人だから取材に応じられたという面もあるのだろうが、本当の意味で「人として」強い。そしてみんなただの庶民、いわゆる平均的な日本人だが、高貴だ。
あの事件から日本社会の全体としてはなにも学ばず、ただオウムを悪魔視して終わるか、せいぜいがそのオウムをただ糾弾しただけの日本社会も実はファシストでオウムっぽくないか、という程度の問題意識止まりで終わってしまったとしても、それを体験した人々、生き抜いた人々は、確実になにかを学んでいるのかも知れない。
いや少なくとも、それが『アンダーグラウンド』を読む素直な感想だ。
あの連休の谷間の早春の朝、多くの人がなんの脈絡もなく、ほんの偶然で、あの恐怖に巻き込まれた。
それは個々人の人生において、アトランダムなことでしかない。
“たまたま” その日は休みを取らず出社した
“たまたま” いつもとは違う路線に乗った
“たまたま” 普段は乗らない車両に、連休の谷間で座れたからそこにいた
だが「理由」や「因果応報」が見当たらなくとも、それが起こってしまったのなら、「そこからどう自分は生きるのか」が問われる。そしてこんなに壮絶な、ひどい体験ですら、そこからでも、人間は変わることもできる。
精神科医の皆さんには、鬱病の回復期の患者さんにぜひお薦めして欲しい本だとすら思う。
危機に直面し、ありのままの自分に気づいたとき、人間は真に強くなれるのかも知れない。理不尽を鬱病になるほどちゃんと受け止められるからこそ、次の一歩が実はそこに隠れているのかも知れない。
ちなみに神戸というのはなかなかしたたかな土地柄だから、「弱者」のふりをした方が現実面で、物質的に得られる物が多い、という計算づくなところはあったかも知れない。
それはそれで、他人がいちいち上から目線で責めるような話ではないし、だからといって神戸の出身者が「東北の連中はいい子ぶっている」とか言いだすとしたら、これはこれでまったくおかしい。いちいち比較しないでいいじゃんか。
ちなみに「神戸の震災」について作られた唯一の、これはすばらしい傑作である映画は、震災の前に撮られている。相米慎二監督の『夏の庭 The Friends』だ。どういう意味で「神戸の震災について」の映画なのかは、見れば、そして神戸を知っていれば分かります。とりあえずトア・ロードと三宮周辺が写るだけでも、「ああ」と思うでしょう。
現代の、まったく変わってしまったトア・ロード |
一方で東日本大震災の場合、被災地はある意味「昔からの日本」でもあった。
それは「他人の前で涙など見せるのははしたない」、「自分が大変でも、もっと大変な他人がいることを考える」という倫理観が保たれ、かつ「天変地異にはしょせん、人間はかなわない」「起こってしまったことを嘆いたり他人を責めても始まらない」という “百姓の国” の価値観が、保ち続けられた土地でもあった。
そしてなによりも、現に多くの人が強かった。だが結果としてこの国の社会の不思議なゆがみは、“強い” 被災者に「弱者・被害者」気取りの “そこ以外” の日本が、妙に甘えてみたり嫉妬してみたりすることで終わっていないか?
そして今や、いかに “強かった” 被災者も、どんどん疲れ切ってしまっている…。
現代人の集合的な悪意や無神経・無関心、無自覚な人間中心主義どころか自己中心主義は、天変地異、大津波や放射能よりも怖いのかも知れない。
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