最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

1/01/2014

あけまして・おめでとう・ございます



あけましておめでとうございます。



本年もよろしくお願い致します。



今年はまず、2月1日より、2012年の映画『無人地帯』(撮影は2011年の春)を、やっと日本で公開します(配給:シグロ www.cine.co.jp)。



まずは東京、渋谷のユーロスペース(www.eurospace.co.jp)からですが、この映画は東京よりも地方で見て頂くことが肝心な作品だと思っており、順次全国に広げて行ければ、というわけでご協力をお願いできれば幸いです。




こと関東より西では、どうしても地理的に遠く離れてしまっている震災被災地、福島県で実はなにが起こったのか、もうそろそろ3年前の記録になってしまいますが、ぜひ見て少しでも本当はどうだったのか、この災害が本当はどんな意味を持ち、そこに直面された人々になにが起こっているのかを考える、その入り口くらいは知って頂く機会としても、いささかの気負いも感じながら、これを生かさねばならならないだろう、と思っています。



この大事件の被害当事者がこの3年間、こうも東京という中心、他ならぬこの原発の電気の恩恵をずっと受けて来た東京に、なぜか無視されないがしろにされ、都合のいいときだけ利用され、実際にはなにが問題で、なにに困っているのかがまるで伝えられていない、ただ安易なお涙頂戴だけが蔓延するあまり「被災者」の映像に皆さんがいささかうんざりし、「被災地」のことも忘れがちになっているのも無理はないのかも知れません。



双葉郡の人口は8万、飯舘村、南相馬市、他の福島県内を合わせても、たった10数万人しかこの事故の実際の被害者はいないのかも知れません。

それは1億数千万人もいる日本人の、たった0.1%前後かも知れません。



しかしそれは私たちや皆さんと同じ国の住人であり、本来なら困ったときにはお互い様程度のことでいいから、まずはちゃんと忘れずにくらいはいるべきだと、実は誰もが思っていることでしょうし、少なくとも首都圏にいれば、これは僕たちが潤沢な電気に恵まれて来たことの結果でもあること、日本各地の電力会社がそれぞれに同じ構造を抱えてもいることも、ごまかし様がありません

「こうすればいい」などという答えはそう簡単に出るはずもありませんが、だからって考え続けることを放棄するわけにはいかない、そのような普通のお考えを持っている普通に良心的な皆さんには、この映画は(入場料のぶんくらいは)納得して頂けると思っています。



お涙頂戴も、偉そうに説教することも、同情を買うことも、この映画にはまったくないことは言うまでもありません。



結論めいたことも、「解決策」もありません。原発事故とは元々、それを支える我々の文明と科学技術の限界からして「よく分からない」ものであるからです(そんなものに手を出してしまってよかったのかどうかが、実は大きな問題でもある)。その「分からない」ことにどう向き合うのか、分かっていることと分からないことをどう峻別して行けばいいのか、そろそろ3年が経とうとする今になっても、まだなにも始まっていない、始めるべきところで未だに始めようともしていないのが、残念な現実です。



出演してもらった人たちに年賀状を出す、その宛先に「応急仮設住宅」と書かなければならないのは、これが三回目になります。

仮設住宅は本来「応急」であり、法的には二年の年限を持って「とりあえず」住む場所を提供し、復興の第一歩となるものだったはず。しかし二年という法的期限は、既に昨年はじめには延長が決まっています。それが仮設から先どうするのかを、決めるべき立場にある人々がなにも決めていない、ひたすら先延ばしで決定をする責任から回避しているからであることは、やはり厳しく非難せざるを得ません。

またこんなことになるとは、僕たちにとってまったくの想定外であり、それ以上にこうはなって欲しくなかったことですが、なにも本質的に変わっていない、残念ながらこのなにも本質的には変わらない現状の結果、僕たちの2年前の映画は今でもアクチュアルな現状報告としての意味を持ってしまってもいることにもなります。

昨年の年賀状には、あえて「少しでも希望の持てる年になりますように」と書きました。今年もまさか同じことを書くのは間抜けですが、書かざるを得ないのが現実です。その上で「頑張って下さい」と、その人々が「頑張れる」状態にすらなっていないのが現実でも、そう言うほかはない。

しかもこれは、「5年後に放射線の量を見て決める」が毎年のようにそこから五年後で先延ばしになる福島県の避難地域だけでなく、宮城県や岩手県、あるいは福島でもいわき市や南相馬市の津波被災地も同様なのだそうです。

「そこに住んでいいのか」、住むとしたらどのような津波対策が現実的に必要なのかも、なにも決めようとすらしていないからです。



一方で、とくに東北の、震災被災地の皆さんには、この映画だけはいろいろと納得して頂けるだろうと密かに自信はあります。

もはや人の目に見られることは当分ないであろう、浜通りの豊かで美しい春を、原発事故の結果様々な理由で失われてしまった「ふるさと」の姿の映像をちゃんと残すことが、20km圏内に入れてもらうときに福島県警の若いお巡りさんに伝えた “我々がこの映画を作る理由” でした。

「地震で道路が壊れているし、事故があっても警察は助けに行けないので運転には十分に気をつけて。じゃあがんばって下さい」と言って入れてくれたそのお巡りさんの期待に、少しはちゃんと答えられている映画が出来たとは、少し自負しております。



と同時に、この映画は日本でこそちゃんと見せなければならないのに、被災地以外の日本にこそこの現実を少しでも伝えなければならないのに、2年も時間がかかってしまったことはお恥ずかしい次第であると同時に、2年も3年も経てばこの映画は、まずはただの映画として見られる「作品」となるはずだったのが、現状は本当になにも変わっていない、だから3年前の春の記録のはずが、現状報告として未だに有効であることに、さすがに想定していなかった空恐ろしさを感じてもいます。





昨年には既に続編の『…そして、春』の撮影も終わっており、今年中にはなんとか完成しなければなりません。『無人地帯』とはまたまったく異なった映画、「日本の百姓は実は凄い」映画になります。



『…そして、春』より

他にも5年がかりになってしまった、大阪で撮影した脚本なしの完全即興のフィクション映画『ほんの少しだけでも愛を』の編集がバンコクで、タイの編集マン、リー・チャタメティクールの手で進んでいます。

僕がこれまで作って来た映画は、距離を置いてみればどれも「日本人とは何者であるのか」を巡る問題の変奏曲として出来上がっているものだとは自覚していますが、この大阪の映画は「アジア的なるものの復権(と復讐)」を目指す映画のつもりで作って来た作品ですが、気がつけば二度目に倒れられる前のほんの数ヶ月、大島渚監督から学んだことが無意識に多々現れていることに、大島さんが昨年1月に亡くなられる直前にやっと気づかされました。大島監督への献辞のタイトルをデザインしたその日に、大島さんの訃報が伝えられたのは、不思議な偶然ではあります。

大島さんのお通夜で、助監督で出演者でもあった足立正夫監督が「誰が大島の星を継ぐのか」と言われました。僕が継ぐようなものではまったくないものの、大島渚という映画作家と大島さんという人に与えられたことの意味がよくやく分かるようになって来たのかも知れません。

また大島という人は、そんな「星」の欠片を実はあちこちに、ばらまかれて逝かれた人でもあったような気がします。





昨年一年間は「日本がどんどんおかしくなっていく」ことが、決定的になった年だったのかも知れません。

ただそこで安倍晋三閣下のトンデモに文句を言うことに慣れっこになってしまうわけにもいかないし、実は明治維新以降この国が「アジア的なるもの」をどんどん去勢し、名誉白人に憧れて「アジア的なるもの」を自ら差別し排除して来たことの当然の帰結が、この安倍政権であるのかも知れない。

安倍氏が山口、長州の系譜であることは偶然かも知れませんが、明治維新からして日本自身が日本に仕掛けた植民地的な侵略戦争であり、その行き着く先が安倍晋三閣下の表象する空虚なる現代の日本であるのなら、その過ちの出発点を見直すことでしか「取り戻す」ことは出来ないのではないのか、とも思います。


吉田喜重『夢のシネマ 東京の夢』



吉田喜重監督が、映画が実は西洋の植民地主義から産まれた、植民地主義的な発明品であるという宿命を喝破していました。ですが、だからこそ「映画」というメディアが産まれたときから抱えているこの 問題をひっくり返すことこそ、僕たちがやるべき新しい表現なのかも知れませんし、またそれこそが、ジル・ドゥルーズが書いていたように、映画が世界への信頼を取り戻す道筋となるために、僕たちがとるべき道にも思えます。





…と言ったところでえらく漠然とした話になってしまいましたが、とりあえず新年の抱負として、他にも日系ブラジル移民のドキュメンタリー、さる巨匠の未撮影の脚本など、他の企画もなんとか実現すべく、とにかく頑張るしかありません…

…と、あえて大見栄を切って自分にハードルを課す一方で、皆さんの応援、ご指導、ご鞭撻、今年もよろしくお願い致す次第です。



2014年元旦



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