最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

10/12/2014

アスベスト訴訟の最高裁判決は「勝訴」なのか?



大阪府泉南市のアスベスト被害をめぐる訴訟で、最高裁での「勝訴」「国の責任を認める」判決が大きく報道された。大きく…いや、日本で使われた石綿の量と、アスベストの健康被害問題の広がりからすれば、もっと大々的に報道されたっていいことのはずだが、一方で「勝訴」と手放しに喜んでいいものなのだろうか?

最高裁の判決文 
第一陣原告に対して http://www.asbestos-osaka1.sakura.ne.jp/kataseru/20141009-1-hanketu.pdf 
第二陣原告に対して http://www.asbestos-osaka1.sakura.ne.jp/kataseru/20141009-2-hanketu.pdf

原一男監督が7年前から、この訴訟の原告団を追う新作のドキュメンタリー映画を撮影している。最高裁判決をめぐる原告・弁護団の活動を撮るための臨時のスタッフとして、判決公判の9日と翌10日の2日間手伝うことになり、原告の皆さんとも行動を共にさせて頂いた。

入廷前、弁護団長にインタビューする原一男監督
最高裁の南門前で待っていると、公判開始からほんの数分でいわゆる「旗出し」、今回の場合は「勝訴」という文字が書かれた幕を、法廷から駆け出して来た若い弁護士さんが大きく広げる。すぐに周囲は沸き立ち、支援の宣伝カーからは万歳三唱が呼びかけられた。

その喜びの声を、首都圏の建設現場のアスベスト被害者と思われる人たちが、なんとも感無量の顔で見つめていたのが、心に突き刺さった。




「勝った」としても、この人たちにとってそれは単純な喜びになるはずがない。一生懸命に働いて来たが故に自分の身に起こってしまった不幸を、噛み締める瞬間でもあった。

泉南訴訟の影の立役者である、地元で被害者の掘り起こしに尽力した世話役の男性が、万歳の声を背景にインタビューに応じていた。

泉南の人たちはアスベストの被害者・犠牲者になったが、それだけではない。石綿加工を地場産業として一生懸命に働いて来て、陰ながら日本の経済産業の発展を支えたのが、この町の歴史でもある。だがそれを誇ることは、その代償のあまりもの悲劇がこの町の人たちにだけ振りかかってしまった現実からすれば、今はとても難しいだろう。その町の、人々の歴史を取り戻すことが、これからの大きな課題にもなるのかも知れない。

判決を待ちながら、この男性はずっとすでに亡くなった14人の原告の写真と名前を記した横断幕を見つめていた。彼の説得に応じて原告になったのは、被害者のなかでもごく一部に過ぎない。インタビューで彼は、「私たちはあまりにも多くの人たちを見殺しにしてしまった」と呟いた。




それでもまあ、勝ったのだろうし、とりあえずはよかった、と思って衆議院第一会館で行われる記者会見に向かったところで、原告の代表の一人で、ご両親を石綿肺と肺がんで亡くされた南さんと出会った。入廷される前にもすでにお話していたので挨拶して、「おめでとうございます」と声をかけたのだが…。


南さんは「それが違うのよ。私たちは門前払いにされたの」と仰るのだ。

「え?そうなんですか?」切々と真相を、冷静に、しかし率直に語られる南さんを、この時撮影しておけばよかった。原さんすみません。

これが自分の映画だったら、撮らなかったスタッフに怒鳴り散らしているかも知れない。だがそれは記録映画の監督として、明らかにやってはいけないことだろうし、だから自分のように未熟ではない原さんは、決してその様には振る舞わない。 
どんなに対等な関係性を演出しても(そして原さんはそういう現場を徹底して、この映画では作っていると思う)、映画の現場ならそうした現場なりの権力関係が自動的に派生する。監督は決して民主的な存在にはなり得ない。いわば独裁権限を持っている監督がこういう時に強権的に振る舞えば(そんな「つもり」はなくとも、結果としてそう見えてしまえば)、自分がいない場でそういう撮り損ねた事実があったこと自体を、スタッフが報告してくれなくなる。 
監督が知るべきことを知らないというのは、スタッフの感情の尊重以前の問題で、どう考えたって作品のプラスにはならない。そして我々はあくまで、映画を作っているのだ。

記者会見が始まったときには、僕たちはこの本当の結果の意味を知っていたので、原さんのメインキャメラが弁護団の説明を撮っているあいだ、第二キャメラはこの南さんたち、いわば「門前払い」にされた人たちを中心に狙うことが出来た。

記者会見中の原告、岡田さん、南さん、川崎さん
弁護団の方は、この国の司法や行政や社会の仕組みの枠内でしか、こう言う場では語ることが出来ない。今後の他のアスベスト訴訟の追い風にするためにも、メディアに「国の責任が認められた」としっかり書かせるためには、どうしてもこれは「勝訴」だという論調でまず記者に理解させる必要がある。その文脈では原告のことも「喜びの声」としてメディアが報道したがる以上は配慮しなければ、事情をよく理解していないしする気もない記者たちやデスクは、今回の判決自体をあまり大きく取り上げないかも知れない。

支援の運動への配慮もある。訴えが認められた原告のことを無視するのも、それはそれでおかしい話になる。

だがその結果、南さんたちの受けた不公平は、なかなか明言には至らないことになってしまう。

判決を待つ原一男
泉南のアスベスト問題は、まったく解決はしていないし、最高裁は決して、公正で納得できる判断など出してはいない。

生存している原告8人のうち(原告団のうち14人がすでに鬼籍に入った)実際に訴えが認められたのは4人だ。たとえば遺族原告の代表を務めて来た南さん、岡田さん、佐藤美代子さんの訴えは認められなかったし、賠償額の算定のためのテクニカルな処理が主たるものとはいえ、第一陣の審理は大阪高裁に差し戻しになった。

南さんのご両親は農家で、石綿工場労働者としてアスベスト粉塵を吸われたのではない。一時は田畑が、稲もかぼちゃも工場から飛んで出たアスベスト粉塵で真っ白になるほどだったのが泉南の風景だったそうだ。町中に中小の石綿工場がある以外はまだまだ農家も多かったいわゆる「田舎町」には、最盛期にはアスベスト粉塵が工場の内外を問わず飛散していたのだ。

だが建設や工場の労働者の被害ばかりがクロースアップされるなかで、泉南ではアスベストは労災被害だけでなく公害でもあったこと、南さんのような被害者の存在は、報道などでずっと無視されがちだっただけでなく、裁判でも無視され審理すらロクにされていない。

工場の建物の中だろうが外だろうが、同じアスベスト粉塵を吸って同じように肺を犯され、同じ病気で苦しみ同じように亡くなった人たちがいる。それでも政府の仕組みでは工場内の、労働環境の整備は厚生労働省の管轄であるのに対し、南さんのようないわゆる近隣暴露は「公害」であり、つまり環境省マターだ。

…と、こんな理屈で納得する方が実はおかしいのは、言うまでもない。

実際に受けた被害になんの変わりもないのに、三権分立で行政府とは独立しているはずの裁判所が結局、国の行政管理の不作為をその行政府内の管轄の区分けの都合に従って判断し、近隣地域のアスベスト粉塵による汚染の度合いが分からないが(データも写真も残っていないのは、調べなかった行政の責任じゃないのか?)、外なんだから工場内ほどの汚染はなかっただろうという、その実確たる根拠がなにもない憶測を持ち出して後付けのへ理屈で原告だけでなく、その背後に控える膨大な被害者を門前払いにしたのだ。

工場内の被害なら常勤の労働者だけに限定される。雇用名簿を調べれば被害者の把握は容易だし数も少なくて済む。

その人たちが工場内で働く労働環境についての国の行政権の不作為による加害責任(いや本当に「不作為」なのか?それ自体が疑わしいことは、最高裁になっても踏み込まれなかった。ちなみに60年近く前の水俣病でも、同じ構図があった)も、アスベストの危険性が医学的な定説として細かく確定してから国が規制法を審議し始める期間に限定され、それ以降は「不作為」つまりやるべきことをやらなかった責任から除外されてしまったのが、今回の最高裁判決だ。

そこでハネられたのが、やはり原告の共同代表を務めて来た佐藤美代子さんの亡くなった夫だ。

1958年から1971年までは認めるがそれ以前から働いて人については、国にアスベストが危険だと認める十分な情報がなかったし、それ以降は法律を作ることで責任は果たしたのだから法律を守らなかった事業主・雇用主の責任だ、という理屈なのだろうが、1958年以前だったらアスベストが危険でなかったわけでもあるまいし、その前は調べもしなかった、法律が出来てもしっかり運用するよう厳正に対処しなかった行政に、責任はないのだろうか?

南さんと共に最初から代表を務めて来た岡田陽子さんは、自らも重症の石綿肺になってしまい、常時酸素吸入が必要だ。だが労働者だったご両親については国の加害が認められたもの、自分の被害は認められなかった。

佐藤さん、岡田さん、南さん
当時は満足な託児施設がなく、共働きのお母さんが働いているあいだ工場の敷地内で子守りされ、アスベスト粉塵を吸った結果が今の不自由な身体だ。看護師の仕事も酸素吸入が必要なほど病状が悪化して続けられなくなった。それでもこれは国家賠償の対象ではない、とされた。

なぜなのかよく分からない。職場に子どもを連れて来ていたのはお母さんなのだから国はそんなこと想定する義務はない、とでも言うのだろうか?

いや実際、だからこそ岡田さんのお母さんの人生はあまりに辛いものだったことだろう。「知らなかったから責任はない」では済まされるはずもなく、娘さんのために自分を責め続けて亡くなられたに違いない。

なのに国の方は「知らなかったから責任はない」で済まされている。なにかおかしくないか?

たとえば毎日新聞の社会面は、この岡田さんを中心に報道している。

http://mainichi.jp/shimen/news/20141010ddm041040106000c.html

しかし見出しは「両親に『勝ったよ』」、記事では「安堵の表情を見せた」とあり、無理矢理笑顔の写真を掲載してポジティブなムードの演出に終始している。その写真でお隣に写っている南さんら、環境被害の原告が無視されたこともまったく触れていない。

それに実際には、記者会見のあいだじゅう、岡田さんは気丈に振る舞おうと務めながらも、やはり沈んだ顔をされていた。


わざわざ笑顔の写真を出すこと自体、それが報道なのだろうか?

恣意的なプロパガンダではないのか?

プロパガンダといえば、名目だけは「勝訴」が報道を駆け巡っても、アスベストの医学的な危険性が確定してから国が規制法を作るまでのほんの十数年間の、労働の現場での環境についてしか、国の責任を認めていないのが今回の判決の中身だ。

その責任の範囲を決める理屈が、一見合理的に説明されているようにも判決文を鵜呑みにすればできなくもないが、考えれば考えるほどに被害に遭った側ではなく、一方的に被害を与えた側、加害者となる国側だけの理屈、行政の視点、その論理の都合で考えて、それでも「これは無責任」と言える範疇だけしか国の責任の有無を判断していない。

勝訴となった被害者についても、石綿肺について被害事実は認めているものの、肺がんについては曖昧だ。

確かに「がん」は厳密にはその原因をひとつに特定できない病気ではあるのだけれど、石綿が原因だとは特定できないと言うのは、逆にいえば石綿ががんの原因ではないと断言することも不可能なはずだ。科学的な立場とは、本来そう言うものだ。言い換えればこの最高裁判決は、まったく科学的ではない。

肺がんなら代表的な例がたばこであるなど、他にもいろいろ発がん要因は確かにある。とはいえ石綿肺で苦しんで来た人が肺がんで亡くなったときに「いやでもたばこを吸ってたでしょう?」「排気ガス」「ストレス」等々を挙げて「国の責任でないかも」と言うのは、あまりに一方的で科学を無視したへ理屈でしかない。

同じようなことは、たとえば福島第一原発事故の被災地域で今後見つかるであろう甲状腺がん患者にも言える(甲状腺がんは4〜5年経たないと発見できるレベルまで大きくならないし、小さい段階では免疫でがん細胞が死滅する場合も多いと考えられている)。

福一事故の場合、放射能もれの被曝データからして、原発事故から4〜5年後に甲状腺がんの発見が増加する(つまり福一事故の被曝原因のがんが見つかる)ことはあまり考えられない。 
それでも絶対に人口に対してこれまで分かっている発症率に準ずる一定の比率に相当する患者は確実に見つかる(検査技術の向上と徹底した調査で、確実に早期発見できる)し、統計学的には目立った増加が見られなければ「原発事故要因と特定できる甲状腺がん発生はなく、福島県に住み続けてもとくに危険は、まずない」と断言していい一方で(風評の予防のためにむしろ積極的にそう言うべきでもある)、しかし個々の患者の実際の発症について、放射性ヨウ素を原因から排除するのも、決して科学的な態度ではない。 
だからメディアは、甲状腺がん患者が出た場合には国と東電が責任を持つことをルール化すべきだと言うべき、反原発運動もそう主張すべきだと既にこのブログでも指摘しているが、無論これまで実際にやられて来たことと言えばまったく真逆、被災者をダシにお祭り騒ぎの正義ごっこに耽溺しただけだ。 
これだけの科学技術立国の現代日本でありながら、政府もメディアも反対運動も、揃って科学というものに対するつき合い方を心得ていないように思える。 
科学を真剣に考えることは、実際に自分が直面した悲劇を理解するために科学を必要としている被害者たちだけに押し付けられているのではないか? 
統計的には原発事故由来とは考えにくい、と言われたって甲状腺がんが子どもに見つかれば、親御さんはもの凄く苦しみ自分を責め続けるだろうし、実際に科学的にその可能性を完全に排除はできないのだ。

福一事故の場合、免疫学的・統計学的には原発事故由来の甲状腺がんの発生は恐らくないとまだ判断できるが、アスベスト訴訟の場合は肺がんの原因で真っ先に考えられのが何なのかははっきりしているし、こと岡田さんの石綿肺の場合、他に考えられる理由はないのに、「いや国が責任を負うのは労働者の就業環境だけですから」「たまたま吸ってしまったことまで国の責任と言われても」とでも言うのだろうか?

これが三権分立の、司法権が行政権から分離独立している国の裁判所が出す判断だろうか、と首を傾げたくなる。

よく考えれば「原告」つまり被害者の「言い分を認めて」なぞまったくいない最高裁の判断なのだ。判決の論理的な枠組み自体が、一方的に行政府の理屈の範疇にしかなっていない。

司法権もまたあくまで主権者たる国民が裁判所に付託しているだけのはずだが…。小学校で習うことだぞ?

行政府の考える、行政の都合上に過ぎない、行政権の執行者の主体的主観によって構成された論理に、司法が従う必然はどこにもないし、むしろそうであっては困る。

事実としての被害はどんな立場だろうが、労働者であろうと周辺住民であろうとアスベスト粉塵を吸い込み、それが肺組織に突き刺さって破壊され、重い病になった、という医学的な現実だけが公正客観であり、それが等しく救済されるのが公平のはずだ。

なのに最高裁の判断は、南さんたちや岡田さん、そして多くの亡くなった原告、さらには訴えることすら出来ず亡くなった多くの泉南市民が無視されたことに同情する以前に、理屈が、筋が通っていない。

これで日本は公明正大で公平な社会、法治国家だと言えるのだろうか?

法治国家とは本来、最高裁が司法の最高権威だから従いましょう、ということではない。

最高裁は司法の最高権威であればこそ、誤った判断を下してはならないという義務を負っているのだ。そうでなければ国家が国家たり得る権威すら保てないはずなのに、判決を歓迎する素振りの報道ですら、「気の毒」以前に「不公平で、公正とは言えない」という観点に、ほとんど踏み込んでくれない。

ましてこの判決が、アスベスト被害者のあいだに救済される者と救済されない者を差別し、分断を作り出しかねないことに、報道は変に遠慮しているのかまったく触れていない。

原告や被害者が実際にそうやって分断や反目を始めるかどうかなどとまったく無関係に(そしてこの原告団ならそうはなるまい、と信じる)、判決自体がそれを狙っている、そう誘導するようにわざとやっているとしか、僕には思えないのだが。

報道は未だに最高裁に水戸黄門的なものを期待し、責任を問われる行政はいわば悪代官、その罪が明るみになって虐げられた善良な民が喜んだ的な物語をここに読み込もうとしていて、だから岡田さん自身が救済されていなくても見出しは「両親に『勝ったよ』」となり、笑顔の写真を一生懸命探すが「笑って下さい」で撮った写真を選んだのかも知れない。 
だが大岡政談の南町奉行越前守自体が作りごとだし(実際の大岡忠相は裁判官よりは有能な行政官だった)、水戸中納言徳川光圀の全国漫遊もフィクションでしかない以前に、最高裁の判事たちですら、今の日本ではいわばただの官僚だ。そしてこと、この判決では、彼らまでもが官僚的に過ぎる、国家の権力構造の内輪での保身を「真実」に優先させてしまったように思える。
果たして三宅坂、永田町と霞が関のトライアングルの内輪だけで、裁判が「真理」や「真実」を明らかにすることに到達し得るのかといえば、そんなことありえるはずもないなんて、子どもにだって分かる話だが。

この判決には行政府への配慮が垣間見えることは、弁護団から記者会見でも指摘があった。

行政への配慮、すなわち国の法的な直接責任をなるべく軽減する事実認定とその解釈に徹して、裁判所の命ずる救済を少なくしているのは、永田町と霞が関が「政治決断」を下せる範囲を少しでも広くとろうとしている、と好意的に解釈も出来るし、また実際この種の健康被害について国の責任を争う裁判では被害者のうち原告になっているのはごく一部であり、真の解決には政治決断が必要にもなる。

C型肝炎訴訟では、判決後に原告団と面会して約束をしたはずの舛添厚労大臣(当時)がなんと官邸の裏口から逃げるというトンデモな展開があり、福田康夫総理大臣が政治決断を下したのだが、思えば厚労省から相当な抵抗があったから舛添さんが逃げたのであり、福田さんがあの決断が出来たのはひとえに福田さんが人としてまともだったおかげだったのかも知れない。 
だとしたら今の総理大臣は…なんと安倍晋三氏ではないか…。なんともまたタイミングが悪い

それでも原告と弁護団の記者会見が始まったのとほぼ並行して、塩崎厚労大臣が会見し、謝罪したというニュースが記者会見会場に飛び込んで来たときには「おぉ」というどよめきが起こった。あの場では誰もが、早期で前向きな政治決断への期待を抱いたことだろう。

だがフタを開けてみれば塩崎大臣の会見内容は、国の責任が直接に認められた原告に対してのみの謝罪という、「え?それなんのための謝罪なの?」という内容でしかなかった。いやそんな謝罪ならわざわざやる必要がないから、まったく想定すらしていなかった。

裁判所が責任と罪を認めたケースのみ「ごめんなさい」って、被害者ではなく裁判所の「権威」だけを向いた、言う通りに神妙にします、と言うだけの、口だけの「謝罪」でしかない。だいたい「謝れ」と法に命令されたことなのだから、わざわざ言うのはまったく無意味ではないか。 
しかも文書化した談話は報道陣には配られたものの厚労省のホームページには載せないという。 
なんじゃそりゃ?  
今の政権、安倍内閣のやることというのは、とにかく世間の常識、社会の当たり前の前提をつねにすっ飛ばしているので、想定の範囲外で驚かされてしまうことばかりだ。

原告と弁護団は6時半からの約束で厚労省に向かったのだが、まず驚いたのは「部屋の準備が出来ていない」とかで、原告が廊下で待たされたこと。

言うまでもないが、これは健康被害について国の責任を問う裁判だ。つまり原告は病人か、その遺族である。しかも実際に岡田さんのように、常時酸素吸入が必要な方がいるのに、廊下で待たせるのか?

押し問答の末なんとか部屋には入れたのが、「部屋の準備」もなにも、ただの会議室である。だいたい、なにを準備していたのだろう? 「準備」してたはずが誰も出て来なかったぞ?

そして十分遅れでやって来たのは、アスベスト問題の担当部署の人間ではなかった。言うことはただひとつ、「判決を精査するまではなにも言えない」「関係省庁との協議もこれから」だけだ。

(原一男作品のラッシュではなく、私物のデジカメで撮影した、当日の模様)

子どもの遣いじゃあるまいし…。

では担当者に会わなければ、という話に当然になるが、一部が差し戻しになっている関係上「係争上の案件で当事者に会わせることは出来ない」の一点張り。とにかくそれでは話にならないから、担当者にそう言って来い、と追い返すしかなく、そして戻って来てもまた同じ話。

それが三回も繰り返され、とにかく翌日10時にまた来るから、それまでに少しは検討するように、で散会になったのは午後9時だった。

そして翌日10時にはまた別の、やはり同じ労働基準管理局の、石綿対策のまた別の隣の課の室長が来たのだが、当然ながらこれまた同じ話である。

たまたま我々はその背後のポジションだったのでふと見れば、手元にはなんと「対応マニュアル」だけはしっかり準備されていたのだが、そこで想定されている質問や要求と、原告と弁護団の言い分がまったく異なっているのが、なんとも虚しくて滑稽ですらあった。 
原告が普通の庶民だからと「もの凄く有能なエリート」を自認する官僚の皆さんは、ちょっと相手を小馬鹿にし過ぎている、見くびっていたのではないだろうか?想定のトップは「大臣に会いたい」という要求への対応が書かれていた。 
弁護団はプロだし、原告も7年も8年もやって来た人たちだ。今さらそんな子どもっぽいことを言うはずもなく(えらい大臣サマがすべて解決してくれる、なんて水戸黄門幻想や、有名人の大臣に会えて嬉しい、じゃあるまいし)、筋を通して理路整然と、国の責任の所在をはっきりさせるためにもまず謝るべきは謝り、責任ある立場のものがまず具体的な事情を聞くことを要求しているのだから、話が噛み合ない。

それでもこの二人めの室長さんは、歳上でもあるせいか少しはものが分かっていたのだろうか? すぐに使えないと分かった想定問答マニュアルを盗み見ることもなく、押し問答は20分強で終わり、1時間近くも戻って来ないのでどうしたのかと思えば、大臣官房の総務課長との面会を決めて戻って来たのは評価したい(ちなみにマニュアルには僕が盗み見た限りでは書いてない内容だし、実際にえらく時間がかかっていたし、戻って来た時には表情がまるで違っていた)。

午後になった面会では、基本的にその課長が原告ひとりひとりの話をひたすら聞くことに徹したのは、少しは前向きに動き始めたと信じたいところだ。

いやこれくらいは信じられなければ、この日本国の国民であることが絶望的になるし、恥ずかしくもなる

一時間近く待たされているあいだの原告の皆さん
いずれにしても、分かったことが二つある。

まず10月9日にこの裁判の判決が出ることは、判決内容までは分からなくとも政治日程には組み込まれているはずなのに、安倍政権では厚労省でも官邸でも、なんの準備もしていなかった、ということ。

そして厚労省では相手を見くびってタカをくくってでもいたのか、相手を怒らせるような対応しか出来なかったということ。

原さんに言わせれば「いやそんな藤原が言うような策略なんてなにもなく、なにも考えていないで、ものすごく間抜けなだけじゃないのか?」である。

もうひとつは、官邸や厚労省だけでなく、最高裁まで含めて日本という国家の「権力」の在り方が、これだけの大国の権力とは思えないほど姑息でせせこましく「ちっせえ」、そして狡いんだか単に間が抜けているんだかよく分からないが、もの凄く小さなスケールで邪悪だと言うことだ。

判決翌日、厚労省に向かう前に、原告は総理官邸から大通りを挟んだ向かい側、記者会館の前の街頭で訴えを行った。午前中の面会のあとも厚労省の昼休みと重なる時間帯に、厚労省前でやはり街宣行動をやった。そこでちょっと驚いたことがある。

通勤途中や、昼食に出かける国家公務員である人たちのほとんどは、泉南アスベスト訴訟の原告、つまりアスベスト被害の犠牲者である人たちを、一生懸命に無視して、冷酷さと敵意すら必死で演じていた。

ビラを受け取る人はほとんどいない。厚労省前でビラを受け取った数少ない心ある人も、原さんのキャメラの前をそのビラで顔を隠して通り過ぎて行く。

アピールを背景に佐藤美代子さんのインタビューを撮っていたら、急いでいるフリをして僕たちにぶつかってくる人までいた。

話は前後するが、官邸前ではアスベスト訴訟の前に、特定秘密保護法に反対するアピールが行われていた。こちらを官僚・国家公務員が無視するのはまだ分かる。思想や考え方の違いの範疇で、賛成しないという選択肢はあるはずだ。

だがアスベスト訴訟の場合は、限定的とはいえ最高裁が行政の不作為の結果の被害者で、国に責任があると認めた人たちだし、それ以前に加害者が誰であろうともの凄く大きな被害を受け、人生をめちゃめちゃにされた人たちだ。

そんな国民に起こったあまりもの不幸を無視し、冷酷な態度をとろうというのは、いったいどういう神経なのだろう?

一般市民なら「関心がない」はあっていいだろう。だがあなた方は国家公務員のはずだ。

国民の生活を守るのがあなた達の最大の責務であり、そのために大きな権力や権限を与えられている。仮に直接の瑕疵や責任はなくとも、この被害者の存在自体が、国家の行政の失敗や、至らない部分があることの証明ではないのか?

このような不幸を少しでもなくすことが、あなた達の仕事ではないのか?

…っていうかこの人たちは馬鹿で恐ろしく世間知らずなのだろう、と率直に思う。 
少なくともこんな公の場でそんな態度に出ること自体、自分達の印象をもの凄く悪くすることにしかならない、とすら気づけないのだろうか? ポーズだけでも神妙にしていれば、まだ世論だって少しは官僚批判を和らげるだろう、少しはなにかが違っただろうに。

厚労省に限らず霞が関の慣例なのだろうが、直接に応対するキャリア官僚のそばには、ノンキャリアの、たいがいはベテランで歳上の人が着くことになっている。ただ隣に黙って座っているだけで、無表情に徹し、なにも言わない。判決当日の晩と、翌日の二回の面談で、三人のキャリア組が原告と会ったのだが、「おつき」のノンキャリアは、ずっと同じ人だった。

判決翌日の午後の、総務課長との面談に向かう際、原告や我々取材陣を案内するのも、この人の担当だった。それが驚くことに、にこやかで礼儀正しく心配りも行き届き、とても「いい人」だったのだ。酸素ボンベを常に引っぱっている岡田さんへの態度は、とりわけ丁寧だった。

総務課長との面談のあと、岡田さんがこの人を捕まえて、「さっきは『そこの隣の人!』とか言ってしまってごめんなさい」と謝っていた。

言われた方は恐縮するばかりである。仕事とはいえ自分の態度が責められてもしょうがないものであることは、本人も分かっているに違いない。またここで「どうしても謝らないと私の気が済まないから」という岡田さんも、とても立派な人だった。

岡田さんと息子さん
アスベストの問題は「日本の産業発展の犠牲になった」という定型句がよく使われる。

だが決して忘れてはならないのは、被害者の人たちは「犠牲になった」だけではなく、真面目に働いて出来る限り誠実に生きようとして、この国の発展を支えた功労者でもあったことだ。

泉南はアスベストが地場産業でもあった場所だけに被害が大きく、アスベストは労災だけでなく公害の問題にもなったのだが、それは泉南のアスベスト産業もまた今もあるこの国の豊かさを支えた、という意味でもある。

原告の皆さんはそんな「日本の庶民」でもある。

実はとても辛い内容の、名目だけが「勝訴」だった判決と、霞が関や永田町で見かけた、この国の権力を左右する人たちの冷たさ、あるいは人間的な不自由さの一方で、そして街頭で訴える皆さんのお話の内容のあまりに過酷な辛さにも関わらず、原告の皆さんはそれでも明るい「関西のおばちゃん」である。

とてもチャーミングで、朗らかで、そして根っから真面目な人たちであり、とてもしなやかで、普通に賢い人たちでもあった。

福島浜通りや飯舘村で自分の映画を撮っていたのと同様に、これだからドキュメンタリーはやめられない、と思わせる、人間の真の強さを学べる契機や喜びが、この2日間にも度々あった。

官邸前で佐藤さんのスピーチを撮りながら、原一男監督は涙を流していた。


厚労省前でその佐藤さんのインタビューを撮りながら、敗訴した悔しさを語れない佐藤さんの涙に原さんも泣き、マイクを持っていた僕にしきりに「なあ、藤原、君もそう思うだろう」と相づちまで求めて、なんとか佐藤さんを励まそうとしていた。

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