最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

1/01/2009

謹賀新年



あけましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。本年もよろしくご指導・ご鞭撻・ご支援のほど、よろしくお願いできましたら幸いです。

2008年には二年越しの企画だったドキュメンタリー新作『フェンス』が11月にやっと完成し、英国のシェフィールド・ドキュメンタリー祭 でワールドプレミアを済ませて参りました。神奈川県逗子市の旧・池子弾薬庫、現在の池子米軍住宅をめぐる映画です。

製作のきっかけは2006年に逗子市の委託で短編作品を作ったことですが、短編ではとても収まりきらない主題・題材だったたけに長編ドユメンタリーとして取り組んでみるとどんどんと話は膨らみ、二部構成といういささか変わったフォーマットで、合計167分という大作になってしまいました。

撮影に大津幸四郎氏、音響監督に久保田幸雄氏、それに安岡卓治プロデューサーをはじめ、ぜいたく過ぎるほどの最高のスタッフの布陣で、ドキュメンタリー映画でやりたいと思っていたこと、現代映画としてのドキュメンタリーはこうあらなければならないだろうと思っていたこと、日本の近現代史について考えていたことを、やりたい放題にやった映画です。上映や公開で敬遠されそうな規模になってしまってさあこれからが大変ですが、今年中には日本国内で上映できればと思っていますので、その折にはぜひご覧いただけましたら幸いです。

またさすがにこの規模では上映にいろいろ困難がありそうなので、二部構成の完全版とは別に、2時間弱程度の公開バージョンを再編集することが新年の最初の仕事になります。

完全版は主に映画祭や、ヨーロッパで二回に分けてのテレビ放映(現在交渉中)などで、見せて行くことになると思います。

世界初上映のシェフィールドでは、巨匠・大津幸四郎撮影の映像が切り取った逗子市池子と旧・柏原の、日本の風景と人々の美しさは、大変な好感を持って受け入れられました。今年は上映がもっと他の国にも広がっていけばいいのですが。

この映画に映っているような日本が、いずれは消えてしまうであることを考えるにつけ、そして最初はほとんど偶然に舞い込んで来たこの企画に感謝せずにはいられません。なによりも日本海軍の弾薬庫建設のために故郷を後にし、今は米軍兵の住宅になっているその土地に戻ることが許されない旧・池子村、旧・柏原村の旧住民の皆さんにお会いでき、そのお話を記録することができたことは大変な幸運でした。そこから出来上がったのは基地問題を超えてある種の日本人論、日本社会論になっているかも知れない映画であり、個人的には大げさに言えばある意味で、半分は海外育ちの自分自身と “日本” との和解として位置づけられる映画かも知れません。

思いのほか時間のかかってしまった『フェンス』が出来上がり、『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』と本作と、過去と歴史をめぐるドキュメンタリーが続いて来ましたが、この年末より今度は現代日本を扱うフィクション作品の脚本を2本、並行して書き始めています。一本は現代といってももう13年前の地下鉄サリン事件をモデルに大都市の無差別テロ事件を体験した人々を描こうとする群像劇、もう一本は6月の秋葉原無差別殺傷事件をモデルにしたストーリーを構想しています。

2006年にベルリン国際映画祭で初上映して以来海外ではそこそこに評価を得て来た『ぼくらはもう帰れない』は、7月に横浜の「黄金町映画祭」で日本では初めて上映いたしました。現在の日本の配給・興行の難しい状況は、自力で劇場公開するにも自己資金でどうこう出来る余裕もなく、さてどうしたものかと困ったものです。この映画を完成させる際にご支援頂きました皆様には、非力をお詫び申し上げざるを得ない次第です。その上に今度はそれ以上に公開が難しそうなドキュメンタリーの大作を作ってしまったのですから我ながら凝りないというかなんというか…。

2007年に東京で公開が始まった『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』は、昨年中は名古屋、京都、神戸、大分などで地方公開が始まりました(…らしいです。監督にはまるで報告がないので…)。ですがその一方でこの映画の主人公であり、深く敬愛していた土本典昭監督が6月に享年79歳で亡くなられたのは大変に悲しく、また今でも寂しさに耐えなければならないことです。しかし晩年に人間として円熟の頂点に達していたその時期に映画で撮らせて頂いた、怖じけづいているこちらを撮るように励まして下さった土本監督に心から感謝しつつ、先に進まなければならないのでしょう。でないと草葉の陰から叱られそうな…。

一昨年には佐藤真監督が帰らぬ人となり、9月に追悼特集で講演を依頼されてあらためて佐藤さんの不在の重さを噛み締めることになり、昨年には映画批評をやっていた頃にお世話になった市川崑監督も亡くなられ、学生時代の恩師で元MGMのメーキャップ部門チーフのウィリアム・タトル氏も天寿をまっとうされました。また2005年にミュンヘンの映画祭でご一緒させて頂いた市川準監督の突然の訃報には愕然といたしました。ロバート・アルトマン監督、エドワード・ヤン監督、僕を映画批評デビューさせて下さった編集者の田畑裕美さんと、思えば『フェンス』を製作していた二年間に身近であったり親しくして頂き、多くを教えてもらった大先輩や師が何人も鬼籍に入られたことになります。

私生活の方では、10月にアパートの階下の部屋から出火し、軽度の一酸化炭素中毒と気管の炎症で入院いたしました。幸い屋内にはほとんど被害はなかったものの、ベランダがすっかり延焼してエアコンや給湯が二ヶ月以上使えなくなるなど、映画の完成時期と重なって大変な騒ぎになってしまいました。その折にご心配頂いた方々には改めてお礼申し上げます。

世間に目を転じればもっと大変なことになっていて、いいニュースはアメリカで黒人大統領が誕生することくらいしか思いつかないほどです。『フェンス』の撮影開始時には当時の安倍首相にあやかって「この映画のテーマは『美しい国、日本』だ」と冗談を言っていたものですが、出演者のお一人の「今の福田さんのお父さんの頃に」と言っていた “今の福田さん” も過去の人になり、いったいどうなっているのやら。いろいろと大変な西暦2008年でしたが、新しい2009年は皆様にとっても世の中にとっても災い転じて福となす、実りの多い年となることを心よりお祈り申し上げて、新年のご挨拶とさせて頂きます。

2009年元旦

12/27/2008

ハロルド・ピンター死去

1930年生まれだから、78歳ですね…。

        『召使』 監督ジョゼフ・ロ−ジー

ゴダール、ワイズマン、クリント・イーストウッド、故・黒木和雄と同い年だったんだ。それにしても訃報が多い今日この頃…。

12/24/2008

映画批評状況の鈍感

うちの実家は、父が現役時分には某一部上場企業でそれなりの立場だったせいだろうが、日経新聞をとっている。たまたま実家に戻ったら、新聞は年末総括のシーズンで、日経夕刊の最終面の文化欄では今年の映画ベストスリーを何人かの映画欄執筆者があげている。

読んでいてちょっと唖然とした。作品の選択のことではなく、評言にである。

たとえば「あさま山荘事件」を「再現」したつもりの映画について「万人がこれを見て自分の戦後史の再確認を迫られる」。イヤミで言ってるんだとしたら高級すぎて逆に伝わらないんだけど…。つまり、未だに自分たちの失敗を総括もできず、勘違いを反省も再確認できていないで自己正当化を繰り返すだけの世代を戦後史が創り出してしまっていることにおいて、戦後史に蔓延する無責任さと強度の小児的自己愛くらいは、確認できるんだろうね。

数人の評者の合計では最高点になっていたのがニコラ・フィリベール監督の『かつて、ノルマンディーで』なのは棄てたもんじゃないと思ったら、評を読んでさらに唖然とする。二人の評者が挙げているのだが、どちらもが30年前に撮られた劇映画の現場を再訪したということに触れただけ、その歳月の意味を云々としか書いていない。

2008年の日本でこの映画を見ているのにこの反応って、いったいなんなんだ?

映画を見た人なら当然分かることとして、30年の歳月云々については映画の前提の枠組みではあるが、その30年の経過についてはせいぜい頭の15分くらいで紹介されるだけ、それ以上の意味をこの映画はとくになにかしようとはしていないし、主題からしてそんなことは不可能に近い。

なぜって30年の歳月と同時に、その30年前に撮られた劇映画がさらにその過去の、19世紀に起った事件の映画化で、30年前の劇映画もそのきっかけになったミッシェル・フーコー編纂の本も、そして30年後のこのドキュメンタリーも、すべてその事件という過去とその事件の記録との関わりにおいて成立するように、映画が意図的に構成されているのだ。

その19世紀に起きた一家惨殺事件について、二人の評者はまったくなんにも反応していない。この2008年の日本で公開された映画だと言うのに。フランス革命後でもいっこうに平等なんて実現はしていないノルマンディーの片田舎で、貧農の息子が一家を惨殺した「理由なき大量殺人」事件ですよ。動機の解明はまったくできないまま、フランス革命で実施されたはずの近代法規の原則、責任能力とか精神鑑定だとかを結果としてまったく無視する形で、惨殺事件があり旅に出た容疑者が逮捕され、王政復古の政府の超法規的な意向で処刑された経緯を、映画的な表現としては難しいのを覚悟で、事件や裁判のドキュメンテーションとドゥルーズの論考を丹念に紹介しながら、もちろん最初からそうなるのは分かっていると言えばその通りに、やはり理解する術もないというその強烈な不条理が、静かに語られる映画なのだ。

その構造のなかでは30年の歳月も、事件以来百数十年の歳月も、当然ながら普通の三十年とはまったく異なった位相を示すはずだ。出演者の時間であるだけでなく、これは少なくとも社会の時間を包摂し、演じられた時間、演技を通して再現された時間を考察させる映画だ。まあ『かつて、ノルマンディーで』がその点ではいささか理屈っぽい予定調和に収まってしまうというか、やはり理解不能でしかないなにかに狼狽えることから逃げるように、行方不明の30年前の主演男優捜しに収斂してしまうおとなしい映画にも見えるように構成されているのは(よくも悪くも)否めないにしても、だからってそこを無視します、普通?

もちろん触れるにはデリケートな話題なのは分かる。短い年間総括にとてもおさまる内容ではないだろう。でもそうは言っても、よりによってこのニッポンの2008年だったというのに、事件の中身にはまったく触れないまま、「一人一人にとって30年の歳月には意味がある」とかって、いったいどういう神経で書けるのか…。人に人生において30年の歳月に意味があるのは、そもそも当然のことだろうに。そんなこと今更映画や映画批評にお説教されても困りますがな(汗)。

僕はこういうふうに褒められたことないけど、もし『かつて、ノルマンディーで』のような映画を作ってこういう褒められ方したら、「自分はいったいなんのためにこの映画を作ったんだ?」って逆に絶望して、それこそ映画評論家宅を狙った連続テロ事件でも始めちゃうかもしれない。これだったらまだ無視された方がマシ。無視してくれてありがとう、と言いたいくらいだ(まあ別の「30年、40年の歳月」は慇懃無礼に無視した「批評」が大半でしたが--案の定、こちらの予想通りに)。

だって不可解で犯人の動機の真相なんてわかるはずもない事件と分かっていてあえて映画で取り組もうとしたこと、30年前に劇映画で取り込んだ監督とその助監督で今度は自分が取り組もうとしたその意思を、「それは無意味だよ。まあ30年の歳月ごしに作ったからそれは偉いねぇ」とバカにされたみたいにしか思えないじゃんか。だったら我々が映画なんて儲かりもしないギャンブル稼業をやって、ピエール・リヴィエール事件なんて厄介なものに取り組む意味って、どこにあるんだよ?

いや我々映画を作ってる側の感情なんて、まだたいした問題ではない。もっとも腹立たしいのは、今年にあの映画をこの国で見たごく普通の観客が、当然この国の今そこにある現実を当然反射させる知性と感受性を持っているのに、映画評論家という肩書きのある人々がその観客/読者を愚弄しきっていること。まして「日本経済新聞」、社会経験も豊富なはずの、いわば大人の読者を想定した記事のはずですぜ。

そりゃ映画の観客が減るのも当たり前でしょう。っていうか、それって「映画」を馬鹿にした態度以外のなにものでもないようにも、思えて来る。


ドキュメンタリー『靖国』騒動でも、芸術文化振興基金の選考審査員だったであろう批評家だとかは、誰も名乗り出なかった。一応守秘義務があるといっても、それは選考時の癒着を防ぐという目的で、毎年メンバーは変わるはずだから『靖国』を選んだメンバーが職を解かれた後で自分の見解を表明したって問題はないはずなのに。プロデューサーとか実作に関わる立場ならともかく、批評家たるものとしてなんだかあまりに無責任すぎませんか? 他人様、お客様、読者や観客に、そして社会に対して自分の作品とか自分の言葉で向き合うって、まして他人の作品を切り口に不特定多数の読者に対して何かを論ずるって、もっと厳粛なことではなくてはならないのでは、ありませんか?

12/19/2008

ブッシュ大統領と靴

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けっこうクセになるかも知れませんぜ(笑)。

って本当はこの程度では済まない怒りでもおかしくないのが、ついこういう風にギャグにされてしまう、ギャグにしかならないってのがなんとも…。

オリヴァー・ストーンがこんな映画も作っちゃってますが、日本ではいつ見られるんだろ? 父親へのコンプレックスという、極めてオリヴァー・ストーン映画的なこだわり丸出しの解釈をしてるみたいで、直球勝負なだけに意外と最高傑作かもしれない?

それにしてもブッシュ政権のいう「テロとの戦争」における「Shock and Awe (衝撃と畏怖 )」戦略って、テロリズムの定義そのものじゃんか。

12/17/2008

あのピーター・フォークが…


ちまたではロス市警のコロンボ警部補で有名な、映画ファンにとってはジョン・カサヴェテスの映画や『ベルリン天使の詩』が印象深い名優ピーター・フォークが、アルツハイマー病なのだそうです…。もう80過ぎで、盟友カサヴェテスが亡くなってもうそろそろ20年、という感じですから、しょうがないか。


ベルリン天使の詩』だって気がつけば20年前の映画だし…。勘定してみて驚くけど。