最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/02/2008

選挙向けのポスターって…


ここまでストレートだとわらっちゃうしかないので、ノーコメント…。

おまけ↓

(c)photo by Leon Cakoff.

お口直し↓



JR北鎌倉駅前の円覚寺は今週いっぱいくらいが紅葉の盛りです。



それだけに観光客で大変なにぎわい、カメラの砲列でもあるんですけどね。

スケッチにいそしむ人も。

そういえば禅寺なんです。坊さんはあまり見かけませなんだが。

11/29/2008

裁判員を辞退するコツ


最高裁判所が裁判員候補名簿に載った人への通知と調査票を昨日発送したそうだ。この調査票に記入した後で今度は実際の裁判になったら改めて呼び出しがかかり、ってのもえらく手間のかかる話で、郵送と事務経費だけでも税金が…なんてつい考えてしまうのだが、世論調査などだとえらく評判の悪いこの制度、裁判所も神経を尖らせてるからこそ、ここまでバカ丁寧にやるんでしょう。

世論調査だと過半数が消極的、というわけで辞退の理由もずいぶん寛容に認める方向で、「本人がいないと支障が出る」という辞退理由にはナンバーワン・ホステスでも当てはまるんだとか。確かに法の目から見て職業に貴賤はないのだから、そのホステスがいなければ店の営業が成り立たないのなら、辞退を許され…って夜の仕事で裁判は日中だから大丈夫じゃないんですか、とか言われたらどうするんだろう?

辞退する理由はいろいろ認められるらしいが、どうしてもやりたくないのならまず確実に採用されないやり方もある。「死刑制度絶対反対」「自分は絶対に死刑に反対する」と面接で主張すること。代用監獄制度などなど、日本の刑事手続きで指摘される様々な問題、刑法上はやっちゃいけないはずなのに実態は自白偏重であることとかに対して、強い懸念を表明して「公正な裁判などそんな状況ではあり得ない」と言うこと。

あとは裁判官の性格にもよるが、過去何年間かのどうにも疑問の残る判決を列挙して「裁判官は信用できない」「非常識」と断言すること。

まあこれは一種の論理倒錯にはなるんですが、つまり極端にいえば裁判官が「信用できない」「非常識」だから市民の裁判員で常識を裁判所の判断に取り込みましょう、というのが制度の趣旨なのですから、「現状では公正な裁判などそんな状況ではあり得ない」と言うくらい極端に疑り深い人がいてこそ意味があるのだけれど、果たしてそういう裁判員に裁判官が耐えられるかといえば、やはりそれは人情ということになってしまう。あとは裁判官の人格に任せるということになってしまうのだが、とはいえこれはもともと裁判所よりの人間ばかりが裁判員になるという危険性をはらむ制度ではないか? すでに裁判所と検察、あるいは警察とまで癒着というか、そういう偏った判断がしばしば指摘されるなかで、公平な裁判員制度を維持できるのか?

あるいは逆に、極度な厳罰主義を主張して「こんな犯人は絶対に死刑だ!」と叫んだら、いかに検察・国家権力べったりの裁判官でもさすがに採用しないでしょうが。

逆に言えば、裁判員になりたかったら、面接でよほど猫をかぶらなければいけないのかも知れない。なんて軽口はともかく、この裁判員の選定プロセスも、制度上の大きな問題ではないだろうか? 裁判員制度導入の現実的な理由のひとつが、裁判の結果がしばしば「非常識」で市民感覚からかけ離れていること、とくに検察と裁判官の癒着とまでは言わないが、同じ法務省の所属だし人事交流もあるしで、刑事裁判の判断があまりに検察よりになりがちなことだとされる。日弁連では日本の有罪率が異常に高いこと、とくに検察の立証が充分とはいえないのに恣意的な有罪判決が少なくないことを挙げている。ならば裁判所に選任が一元化される裁判員で本当にいいのか?

一方で、アメリカの陪審制と違って裁判官と裁判員市民の合議制なので、ただでさえ裁判官が判断を主導しがち(つまり裁判官は「プロ」であり、判例など挙げてを説得されれば市民はそれに従ってしまう)なのに、そのうえ裁判員選定の段階で裁判官が自分の気に入らない人間を排除できるシステムになっている。これだと検察側に判断が偏重しがちだと指摘される有罪判決の多さに、ただ一般市民の参加が形式的な「いいわけ」として正当化に利用されることになりかねない。

また裁判員参加の裁判が殺人、傷害、危険運転致死罪などに限られ、国家賠償訴訟や贈収賄が対象になっていないのも解せない。つまり一般市民が裁くのに参加できるのは、一般市民が犯した(かもしれない;推定無罪原則で、合理的な疑いを排除して確定できるまでは『犯した」と断言はしてはいけない)犯罪に限られ、国家や権力者を裁くことはないというのでは、市民の司法参加としてはあまりに国家や権力者にとってご都合主義じゃないか。

参加したがる市民が少なくて不人気の新制度であるがための妥協の数々も、ここまでやってしまうとちょっと危険だ。拘束期間はそんなに長くないとアピールするために、平均して三日しかかからないと法務省では言っているのだが、こと裁判員裁判の対象となるいわゆる重大犯罪、たとえば殺人だと、動機を含めて複雑な事情が絡んで来ている場合が多い。

このブログでは元厚生次官宅連続襲撃事件を数日にわたってとりあげたが、さてこの事件にしたってたった3日、三回程度の評議で、この犯罪の特質を理解して量刑まで決められるのか? 考慮すべきことはずいぶんありますよ。たとえば僕自身が疑っている可能性を裁判員が指摘したとき、その要請で精神鑑定はやってくれるのか? やったとしたら三日では決して済まないだろうし。まあ二人殺したから自動的に死刑、っていうんであれば3日どこか3時間で済むんでしょうが、だったら裁判員制度なんてそもそも要らないわけだし。

裁判を短期間で済ませるために公判前手続きが行われて論点が整理されることになるのだが、これが公正に行われるものなのかも疑問が残らないわけではないし。

折しも死刑制度廃止の世界の趨勢に逆らうかのように、日本では厳罰化をマスコミがあまり節操があるとは言いがたい単純な感情論で求める流れが強く、世論の8割が死刑制度を支持していることになっている。たった3日、三回程度の評議なら、感情論が勝って死刑判決が乱発されるかも知れないが、近代法治主義国家としてそれでいいのかといえば、司法への市民参加が実質上の市民リンチになってしまうとしたらそれは極めて危険なことだ。

だが一方で、マスコミが「死刑です! 死刑です!」と興奮して報道し、刑が軽ければ全紙・全テレビががっかりしたような批判的論調に染まる風潮を国民が支持してるんだとしたら、裁判員になることを躊躇する風潮、「他人を裁きたくない」から辞退したいというのは、自分が不特定多数の「社会」の一部である限りには死刑を喜ぶのに、自分が個人として裁判に関わるのは嫌だというのでは、あまりに無責任で身勝手な話ではないかとも思う。

とりあえず死刑判決に限っては、多数決でなく全員一致でないかぎりは出せないという法改正はしてほしい…って、数ヶ月前に国会で話題になったはずだが、どうなったんだろう? やっぱりこれが通らない限り、裁判員にはなりたくないのは正直なところだ。

いくら一審だけで再審で覆る可能性があるとはいえ、死刑ほど取り返しのつかない判決まで多数決というのは…。しかも裁判官が評議を主導する可能性が高い…。しかも世の中の流れは無節操なまでに「死刑にしろ!」。しかも裁判官の考え方は基本的に検察よりで、立証が多少不確かでも、被告が犯行を否認していると「反省してない」で厳罰って、もし本当に無実で、自白は代用監獄で強制されたものだったら、どうするんだ?

元警察官僚の亀井静香代議士が、「ほとんどは代用監獄で拘禁反応が出て精神的にボロボロになったところで自白調書に署名する」とテレビで言ってたんだぞ。

11/27/2008

「バールは鉄アレイより重いから、バールで身体を鍛えている」

あまり気持ちのいい話ではないので、写真は相殺するため? 東京都心から一時間圏内で恐らくもっとも美しい場所

元厚生次官宅連続襲撃事件で、最初に政府高官がそう思い込んでしまった手前どうしても「テロ」と言い張りたい警察などの思い込みの最後のよりどころだった容疑者の収入源(無職なのに家賃滞納もない、などなど)は、ネットを使った株のデイトレードだったらしい。テロ組織説の根拠だった情報源、なぜあの二人の元次官を狙い、住所まで特定したのかも、元はネット情報だったのだろうし、国会図書館で調べたと供述しているわけで、犯罪のあり方というのも急激に変化している。

もっとも、この事件にすわ「テロ」だと浮き足立った、というか「テロとの戦争」に興奮しちゃったらしいのは、政府それも麻生総理にごく近い官邸あたり(副官房長官とか)だったそうな。そうこうしているうちにインドで本当の政治テロ事件が起きて邦人の死者が出ても、「テロは許しがたい」と口にする以外に対応がほとんどできてない日本政府である。

先日も小泉毅容疑者を精神鑑定をすべきと書いたので、いわゆる厳罰主義のミギっぽい人々には怒られそうだ。このブログが炎上していないのは単に読者が少ないからってことなんでしょう(笑)。でもそうやって怒るとしたら刑事裁判や刑法が分かってないわけで、アスペルガーとか高機能自閉症は心神耗弱だとかの問題ではありませんから、責任能力には関係がありません。量刑とか刑罰の問題でなく、動機や犯行にいたる経緯、個々の行動の理由をちゃんと把握するためには、「テロだ」などの先入観を棄てて犯人側の心の動きや行動パターンを考えるために必要だ、というだけの話である。強いて言えば動機の形成に関して若干の情状酌量の余地はあり得るかも知れませんが、そんなことを言い始める段階では今はまだないし(それは動機などがある程度、裁判に耐えうるだけ解明されてから初めてでてくる話のはず)、重罪にしたいから都合の悪い話は排除するっていうんじゃ、法治国家の名が泣きます。法治国家における刑事罰はあくまで「自己責任」です。復讐の感情論じゃありません。

一方で自分はヒダリっぽいと思っている人々からは、いわゆる「障害」を抱える人への偏見を助長するのでけしからんと怒られるかも知れませんが、容疑者がアスペルガーとか高機能自閉症などを抱えているとしても(その可能性があるから精神鑑定したほうがいいって言う話ですよ、あくまで。完全に誤解してヒステリックに怒る人もいるんでしょうが、鑑定結果で「問題なし」ならそれはそれで鑑定した結果です)、そういう障害があるから犯罪者になるなんて、誰も一言も言ってません。そう誤解した人がいたとしたら、そういう誤解をするような短絡的な発想こそが、この種の障害に対する偏見を蔓延させているのだとはっきり言っておきたい。

今回の事件について秋葉原事件の加藤智大容疑者との類似を指摘する人もいて、確かに根本的な動機は共通性があると言えるだろう。ただし加藤容疑者は特に障害のようなものはないという精神鑑定が出ているし、実際にそうなのだろうと僕も思う(というか検察が早々に精神鑑定を依頼したという報道には「意味が分からん」と思った)。少なくとも今現在知られていたり推測されている精神の障害を思わせる行動は加藤容疑者にはない。むしろいわゆる健常者の病理というか、そういう動機と行動のパターンで、強いて言えば犯行のやり方が、ナイフを靴下に差し込んでいただけだったとか(そりゃ走れば落ちるよ)、幼稚すぎることが気になるくらいだが、それって人生経験からきちんと学んでないか、現実的な経験が足りないっていうこと、むしろ教育の問題でしょう。

少々強引に比較するなら加藤容疑者の場合の作業着をとり上げられたと誤解したことにあたるものが、小泉毅容疑者の場合は34年前の記憶が精神の構造の特殊性によって引き金になったのだろう。だとすれば、たとえばアスペルガーならば34年前のことが今の行動の直接な引き金になるのも、“理不尽” に見えるかも知れないが本人のなかではなんら異常なことにはならない。ただものごとの記憶の仕方や時間の受け取り方の感覚に特徴的なものがあるという可能性だ。

いずれにせよ殺意が心の中に起るかことそのものについては、発達障害には直接的な関係はない。アスペルガーでもやさしくて思いやりの強い人もいれば、いわゆる「健常者」で性格がねじまがって自分本位で意地の悪いヤツや、暴力的なヤツもいくらでもいる。ここでいわゆる発達障害がからむ可能性があるのは、まず34年前の犬の復讐が出て来ることに関してで、「不可解だ(だから裏があって組織犯罪のはずだ)」と言うのなら「そんなに不可解ではない(だから小泉毅容疑者の単独犯行でじゅうぶん辻褄は合う)」というためだけの話だ。

なんでも短絡に結びつけては行けない。ある特定の個性や人格、資質を持った人(つまり、どんな人でも、ということにしかならない)がある特定の外的な刺激を受けたときに、その結果としてどういう行動に結びつくかは、レッテルを貼って分類したり一般論にしたりする話ではない。それこそ論理倒錯もいいところで、そんなもん人それぞれのケースバイケースでしかない。人格形成や行動において先天的資質と後天的な環境要因がどこでどう絡んでどのような結果をもたらすのか、それが特定できるほど現在の人類の科学は進歩していないし、どんなに進歩しても実のところぜったいに解明も特定も完全にはできない。たった一人の人間であっても、その人生に起こったすべての事実を把握してその影響を分析するということ自体が、ありえないことなのだから。

いわゆる「発達障害」は現在では「先天的」な脳の機能の欠陥と考えるのが大勢で、医学的には確かに障害と定義づけるべきことなのだろうし、実際問題として自閉症と診断されるようなレベルになれば実際に生活を営むのに困難も多々出て来て、特別な訓練やリハビリ、薬物などの医学的処置による治療は必要になるのだろうから確かに「障害」と認識されるべきことにはなる。

ただし現在の「障害」ということ自体に医学的には大雑把に言って二通りの定義付けがあって、一方では日常生活などに支障がある、文字通り「障害」になるということでそれはしかるべきサポートが行われるためにも必要なことなのだろうが、もう一方では「健康」「健常」を想定することでそこに当てはまらないことを「障害」となるわけで、後者に関しては「じゃあ『健康』ってなんなのよ?」という疑問が当然出て来る。

身体の問題だってじゃあ完全に健康な人なんて、30年以上生きていればそんな人はいるはずもないし、それはいわゆる精神的、ないし脳の機能における「障害」だって、鬱病などの後天的な精神障害でも同じことだろう。「発達障害」のように先天的と推測されることでも、知能の障害を含まないレベルにおいては、「個性」とどこで線引きするのかといえば、日常生活などに支障があるという漠然とした話に持って行くしかないのではないか。別に日常生活に支障がなければ、「個性だから」で放っておいていい話なのだし、たとえば「絶対音感」とか「写真的記憶」と俗にいわれるように、逆に才能に結びつくことだってある。

生前にはこういう「障害」が医学的に認識されていなかったが、グレン・グールドの「奇行」がいわゆるアスペルガーの特徴にかなり一致するのは、よく言われることだが、だからってグールドに「日常生活に支障」があったとは思えないし。ちなみに僕自身、一回騙されてその種の問診のふりをした、実は「グールドの特徴集」だった問診チェックリストを受けました。ほぼ百発百中(笑)。ちなみに発達障害の診察の初歩的な問診チェックリストは7割くらいだったっけ、「別に生活の支障があって困ってるようには見えない」で以後突っ込んだ診察は「必要ない」そうです。いや困ってるんですが、無意識の声の聞き分けができずに空港で呼び出されてもまったく聞こえないとか、季節の変わり目だと体温の調整とかどれだけ厚着すべきかが分からなくなるとか、編集の最終段階になると気がついたら徹夜していることがしょっちゅうだとか…

犯罪の背景に公汎性発達障害などが指摘されると、偏見に基づく差別を招かないようにということで、「◯◯の人がみんな犯罪者になるわけではない」「ちゃんと生活している人もたくさんいる」という言い方が、いわばいいわけのようにされるのだが、まあ一応その通りではあるのだけれど、なんだか見当違いの論理倒錯、わざわざ言う必要がないどころか、かえって誤解を招くだけのような気がする。むしろはっきりと、「議論のレベルが違うだけの幼稚な誤解」「関係ないんだからそういう議論がおかしい」と言ったほうがいい。

小泉毅容疑者に話を戻せば、そうした「障害」とされるものの傾向が疑われるのは、34年前の保健所のことが彼の頭の中では現在に元厚生次官をターゲットにした理由づけになることと(保健所が厚生省の所轄であり、その役人のトップは厚生事務次官なのだから、筋は通っている)、元次官を特定して住所を調べ上げ、あれだけの犯罪を成し遂げる卓越した能力の部分で(あいまいな「常識」よりも「論理」なのでなにかを成し遂げることについての行動も合理的)、彼の精神や論理の立て方の構造の特殊性が関わっているのが主な理由だ。だから精神鑑定をやった方が、実行行為の各段階における動機は説明し易いというだけの話だ。


こうなって来るとこれが「医学」の問題なのかも不明確になって来るが、実際のところ「医学」の問題では本当はないのだろう。要は我々が自分とは異なることについてどれだけの寛容さを持って他者を受け入れられるのか、社会全体とそれを構成する一人一人の意識の問題であると同時に、自分自身についての自己認識の問題なのだろう。

もっと言えば、他人の精神や論理の構造が単に自分たち「健常者」の「常識」と違うからといって、そのこと自体が「異様」で「理不尽」で「不可解」とみなす傾向があり過ぎるから、精神鑑定をやった方がいいという話になるわけでもある。自分はそう考えないことでも、他人がそう考えたのなら「そういうのもあり得る」と思えて、その相手の論理から推測できないのなら、近代法治における刑事罰なんて本来は出来なくなります(「殺意」など内面を認定しなければいけないところに近代法治の、「現代」から見た限界がある、とも言えなくはありませんが)。殺人が悪いのはあったり前のことだが、そのこと以外で容疑者の行動が「異様だ」と倫理的なレッテルを強引に貼付けてモンスター化するのは、それは極端な話ファシズムというか全体主義でしょう。「テロだとしたら絶対に許せない」とかの理屈の方が、僕からみればよほど倒錯してみえる。ブッシュ政権のまき散らした雰囲気に流されているだけのまったくの非合理でしょう、それは。「日常生活に支障」で言えば、そっちの方がよほど重大な支障がある。

容疑者は出頭前に家財をリサイクルショップで処分したそうで、そのなかにはバール(重さ約20キロ)もあって「鉄アレイより重いバールで体を鍛えている」と話したという。いわゆる “常識” で考えたら奇異な話に思えるかも知れないし、これをもって「反社会的な性格」を示唆するなどと言い出す人もいるかも知れないが、純粋に論理的に(字義通りに)考えれば実はまったくまっとうな話だ。鉄アレイ製造業者は困るかも知れないけれど、要は重いモノを動かすことで身体を鍛えるのだから、バールの方が重いならその方が合理的だよね、そう言われてみれば

付記するなら彼が人間関係でことごとく失敗して来ているのは、この手の「障害」がいわゆる「空気が読めない」ところ、無意識のうちに周囲の人間の反応を察知して順応するような能力に問題があるとされることと、恐らく関係がある。そうしたの障害は孤独な立場に追いつめられる可能性を高めることにはなるが、障害それ自体が孤独な、あるいは反社会的な人格、攻撃的な人格を意味するわけではまったくない。

いわゆる健常者だって社会から疎外されて敵意を持って扱われれば、社会全般に対して殺意を抱くのはまったく同じことだ。小泉毅容疑者について「アスペルガー症候群などの可能性がある」と言っているのは、あくまでその殺意を彼がどこに向けたのか、自分のなかでどういう理屈付けをして正当化しているの論理パターンと、具体的な犯行のやり方の特徴を理解するためにはそう考えられる可能性が高い、と言っているだけだ(というか、そうした障害の「特徴」とされるなかでも代表的なものにほとんどが合致する)。たとえばマスコミで「理不尽」「理解できない」「不可解」と言っている評価が、「いや別に、『特殊』かもしれませんが『理解できない』ことはまったくありませんよ」という意味でしかない。だから精神鑑定してみればいいじゃない。精神鑑定は量刑や責任能力の問題だけにしか用いない、なんて法律はないんだし、真実を明らかに、というのであれば、単独犯なら動機の醸成と犯人の心理は「真実」の重要な一部なのだから−−ということ自体が近代主義の限界であって、たとえば「現代映画」であればそこに批判的でもあるのではあるが。

アスペルガーなどを抱えた人間の方が無意識に「空気を読む」能力に欠けているから孤独な立場に追いつめられて反社会的になる可能性が高いというのは、「空気を読め」を強制して多数派が「自分と同じ」であることを少数派に強制する社会の側の狭量さの問題の方が、よっぽど大きいんじゃないか。民主主義が最終的に多数決をとるというのは、多数派の都合やわがままが「正しい」と言う意味ではまったくないのは、いまさら言うまでもない。9/11以降「テロ」という言葉に絶対悪みたいな印象がついてまわる「常識」が世界に蔓延していようが、悪なのは他人様を殺すという行為であってその動機に含まれる政治的主張まで含めて「悪」とみなすのは倒錯であることになんの変わりもない。倒錯どころか権力側の悪質なプロパガンダだよ、そんなの。

分かり易いたとえでを言ってしまおう。鉄アレイではなく重い鉄製バールで身体を鍛えているという話をされたとき、あなたならどう思うのか? 「おかしい、気持ち悪い」と思うのか、そういう発想がある種の「障害」の特徴と言われて「病気ならしょうがない」と思うのか(ちなみに現実の日本語の使われ方において、「精神障害」の「障害」は「病気」の言い換え語にしかなってない)、素直に「それも一理あるよね、おもしろい」と思えるのか。大部分の人は一番目に凝り固まって「異様だ、気持ち悪い」という。ならばまだ二番目で納得してもらえるほうがまだマシという程度の問題でしかない。もちろん本当は、いちばん人間的にまっとうなのはこの三番目だ。

もちろんその理屈には理屈で受け入れながら、自分では鉄アレイを使っていていっこうに構わない。そう思えば二番目みたいな中途半端な考え方に留まる必要性なんて、実はほとんどない。ま、それが出来ないのが「健常者」の思い込みの限界なんでしょうけどね。

つまり「健常者」は自分の精神構造の枠内に囚われてそこしか見えない、自己を客観視できず他者に対して盲目なのだとしたら、それこそ「健常」ってなんなのよ、ということになる。

11/25/2008

メンツと発想の限界(警察の場合)

「すわ年金テロ」と連日新聞紙面とテレビ報道を独占し、政府高官が「テロだとしたら許せない」と口走り(そうじゃなくて政治テロだろうがいかなる理由があろうが、殺人は許せないんだろうが)、首相が「よく知らネェけど」とのたまわった厚生元次官夫妻連続殺傷事件は、犯人出頭で一応の解決となった。

もっとも警視庁および埼玉県警にとっても、政府にとっても、なかなか「一件落着」にはならない話だ。指紋は採取できず足跡から靴底は特定できても大量生産・大量流通品なので犯人特定には結びつかず、おおがかりな聞き込みをかけても、都市およびその近郊の住宅密集区域だというのに目撃情報は乏しく、埼玉の件は殺害翌日まで事件自体が発覚せず、ずさんなまでに乱暴な犯行に見えるわりには手がかりがなくて新聞には「長引くかもしれない」という担当刑事の不安も報道されていた、その晩に、まさに人を食ったように、警察の鼻をまんまと明かしたように本人が、それも堂々と桜田門の警視庁にいきなり出頭したのだ。警察のメンツ丸つぶれ、犯人にいいように右往左往させられた挙げ句、「ホラ、お前らじゃ俺は捕まえられんから、出て来てやったぞ」と思いっきり馬鹿にされたような格好になってしまった。彼はわざわざ「年金テロなんて関係ない」とも、供述で明言してしまっているらしいのだから、ますます警察も政府高官も当て外れ、メンツ丸つぶれである。それはもちろん、「年金テロ」と報じ続けたマスコミも同様だが。

警察幹部OBがあたかも予測していたかのようにテレビでは偉そうに言っているが、連休中の夜遅くに出頭されたので大慌てになっている様はしっかり報道に映っているし、小泉毅容疑者が住民票を持参していたという誤報までリークしてしまい、公式記者発表でわざわざ否定しなければならなかったほどである。産經新聞にでた警視庁元幹部のコメントでは「報道を見て逃げられないと観念したのではないか」と言っているが、実際に報道されていたのは(つまり警察がマスコミに発表していた内容は)犯人は自分に結びつく手がかりをほとんど残していないどころか、「年金テロ」説が警察当局・関係者や政府首脳の見解で、佐々淳行氏なんて「僕なら社会保険庁で懲戒免職された人間のアリバイを調べる」と言い切ってたほど。それには違和感があると疑問を呈していたのは、一部の作家やジャーナリストが主だった。

報道によれば容疑者は動機として少年時代に犬を保健所で処分された、彼の立場からすれば「(家族を)殺された」ことの積年の恨みを挙げているという。警察はこの動機を「信用できない」と言っており、報道でも「理解できない」とあたかも裏があるはずだという態度は共通し、コメントしている警察OBのなかには彼の動機の供述は嘘だと決めつけて公安部がかならず何か見つけるはずだとまで言っている者までいる。まるであくまでも当初想定した組織犯罪、思想的テロでないと当局の沽券にかかわる、絶対にそうだと思い込みたいと意地を張ってるみたいにも見えて来るが、果たしてどうなのだろうか? もちろん今後の取り調べを待つべきだとは言っても、今のところ組織性の匂いは、まったくしないのだが。もちろん念のためにそっちの捜査もするべきだろうが、一方で動機を解明したいのなら早くやった方がいいのは精神鑑定だ。

夜10時少し前の出頭だったわりには、容疑者の父親はもちろん、住んでいるアパートの大家さん、近所の住人まで翌日の朝刊に間に合うようにインタビューされているのだが、そこから見えてる来る小泉毅という人物像は、少なくとも論理的な推論として決して「理解できなく」も「不可解」でもないし、犬を殺されたからという動機も、確かに常識的には突飛に見え、意表を突かれたことではあるにしても、そう言われてみれば十分にあり得る話でしかない。

それどころか今分かっている限りのことから判断するだけなら、現代の犯罪心理学からすれば非常に明解な説明はとりあえずついてしまうのに、警察OB、それも捜査一課だとかの関係者が思いついてもいないとしたら、あまりにも間が抜けている。

もちろん、誤解や偏見を招きかねないからうかつにおおやけに口にすべきでない推論だと判断しているのかも知れないのだが、だからってなにも強硬に組織犯罪・思想テロ説を主張する必要もないはずだ。まさかカムフラージュってこともないだろうし。となるとやっぱり気がついてないのか?

とりあえず分かっていること、報道されているころから動機を推論するのなら、最近は教育問題であるとか、あるいは青少年の “不可解" な凶暴な犯罪、たとえば親殺し事件でいささか使われ過ぎで偏見を呼び起こすほど繰り返されているタームを考えざるを得ない事件だ。容疑者が46歳だからといってそれを思いつかないとしたら、医学的に言えば年齢が高いぶん環境要因が複合的に絡んで来ているから特定は難しくなるにしても「よくなる」とは限らないし、そう推論すべき兆候はすでにさんざん報道されている。子どもの頃は明るく活発な子だった。高校生のころから数学に抜群の才能を発揮していた。だが大学ではなぜか留年を繰り返し8年を経て中退、その後はコンピューター関係に就職するも「人間関係」に失敗して退職。職を転々としながら常に人間関係で失敗し、10年間は親とも連絡をとっていない。出頭時にもまるで罪悪感のそぶりもみせず、テレビに映った連行される姿も堂々としている。これだけ揃えばとりあえず高機能自閉症、なんらかの発達障害、とくにアスペルガー症候群を疑って精神科医に診察か鑑定を依頼する条件は、すでに揃っている。

警察は46歳無職という容疑者の経歴に偏見を持って、彼の知能を過小評価しているのだろうか? OBなどが「厚生行政に詳しくなければ分からないはずだ」とか繰り返し、だから背後に思想的なテロ組織がいるはずだと言い張っているのだが(んでもって「公安部」って、発想があまりに安易に思想弾圧的で、戦前の特高の時代からぜんぜんメンタリティが変わってないのだろう)、小泉容疑者の犯行に必要な程度の情報は、厚生行政、厚労省の諸問題を論じているサイトをネットの使い方に長けた人間が調べ上げれば出て来るはずだ。とくに年金問題批判の議論はネット上にはあふれているし、だから年金行政の中枢にいた二人の次官経験者、それも現在の基礎年金制度作成にこの特定の二人を名指しで批判しているサイトだってあるだろう。報道によれば合計10名ほどのターゲットも考えていたことが分かったそうだが、今現在、「官僚は悪いやつら」、とくに犬を殺した保健所への恨みで厚生官僚を狙うのなら、被害に遭ったお二人は、真っ先に住所まで含めて出て来るだろうし、それだけの理由でこの順番になるのも、別に理解できないことではない。

あるいはいわゆる小泉改革が結果として日本社会にずいぶんとダメージを与えてしまったことへの怒り(容疑者がいわばフリーターか、派遣労働に近い立場にあったこともあり得るし)も影響しているとすれば、小泉が厚生大臣を二度勤めていることと、「犬を殺された」保健所を所管する厚生省と結びつけて、いずれも小泉厚生大臣の次官だった二人を狙うというのだって、論理の飛躍に見えるかもしれないがアスペルガーの特徴のひとつはそういう言葉の「字義通り性」に基づいた発想と論理の展開だというのも、とくに犯罪心理学では注目されていることのはずだ。

そしてなによりも、アスペルガーは確かに社会性が低くて人間関係で失敗することが多いから出世する可能性は低いかも知れないが、知的能力にはまったく関係ないどころか極めて優秀な人間が多い。んでもって、お父さんのインタビューを見る限り、小泉毅容疑者は知的能力、とくに数学的、論理的能力は傑出しているらしい。46歳の容疑者の社会的地位の低さから彼の能力を過小評価して、だから「組織的なはずだ」「思想テロ」の背景があるはずだと思い込んで単独犯の可能性を排除するのは、少なくとも警察の捜査としてあまりに稚拙だ。最初に「思想テロだ」「組織が動いている」と思い込んだ警察当局のメンツを保ちたい心理が、彼らの目を閉ざしているとしたら、そりゃ捜査を担当する立場としてあまりに頼りない。

もちろんアスペルガーなどの発達障害をすぐに犯罪と結びつけるのは原因と結果を混同した論理的倒錯に基づく偏見に過ぎない。だがそうした精神構造の特性を理解もせず、ただ偏見だと言われるのを恐れて、このような特徴的な犯行パターンの場合にそれを考えないのも、同じくらい論理的に倒錯した偏見だと言わざるを得まい。

11/20/2008

いいかげん…すでに飽きて来てるけど…

吉田茂の出来の悪い孫はホント、なんとかならないものか。昨日は全国知事会で医師不足という緊急事態の問題について…

医者の確保をとの話だが、自分で病院を経営しているから言う訳じゃないけど、大変ですよ。はっきり言って、最も社会的常識がかなり欠落している人が多い。ものすごく価値判断が違うから。それはそれで、そういう方をどうするかという話を真剣にやらないと。全然違う、すごく違う。

…これでかつての自民党の有力支持団体、日本医師会の自民党離れは決定的でしょうね。医師免許を持ってる中山元外務大臣(通称お茶の水博士)、やはりお医者でもありお医者の息子でもある武見さんなどの自民党議員や、やはり医師である公明党の坂口さん(元厚生大臣)だとかは、どう反応すればいいんでしょう。“自民党をぶっ壊す” 確信犯の自爆行為だとでも思わなければ、説明がつきません。

しかもぶらさがり記者会見での釈明?はこんな感じ…

お医者さんになったおれの友達もいっぱいいるんだけれど、何となく意見が全然、普段からおれとは波長の合わないのが多いな

(この「釈明」部分がなぜかテレビのニュースでは使われていないのは、やっぱりテレビは政府許認可の免許事業だから?)

…そりゃあなたと波長の合う人は、世の中そんなにいないでしょう。なにしろ昨日に続いて今日は、幼稚園のPTA全国大会とやらに招かれ、PTAつまり「ペアレンツ・アンド・ティーチャーズ・アソシエイション」、「親と教師の連合」なのに、「子どもよりも後ろにくっついている親が大変」「子どもよりも母親にしつけが必要」と言っちゃったとか。漢字が読めないどころか言葉も知らないらしい、68歳にもなるのに。

麻生サンの話だけではあまりに不快になるので、写真はまったく関係なく英国シェフィールドの風景いろいろ、です。

閑話休題。ここまで壮大に読み間違えに失言がオンパレードだと今更ここまで突っ込む気もしなくなるのだが、元厚生次官宅連続襲撃殺傷事件について、わざわざ異例の午前中のぶらさがり会見を官邸側の呼びかけでやりながら

二つの関係が明確になった段階において、これはテロとみなして断固たる処置をとる。ただ、今の段階では単なる傷害か何とかって決まっていないんだろ。よく知らねえけど


…だそうです。「単なる傷害」でなく、人が二人死んでる殺人事件です、総理。「決まってないんだろ」ってのも変で、「判明していない」「警察がまだ断定してない」だけで、事件はすでに起ってるんですからこれから「決まる」ことじゃありません。「よく知らねえけど」っていう言葉遣いに至っては…。

総理がこれなんで比較問題であまり気にされてませんが、舛添厚労相の発言だってかなりおかしい。「テロだとしたら断固許せない」って、テロだろうがなんだろうが、動機がなんであれ殺人は許せないんでしょうが。

人の命をなんだと思ってるんだ? それに幸い命に別状はなかったものの、中野の事件では襲われたのは72歳のおばあさんである。大変にお気の毒であると同時に、フツーの日本人の感覚からいってとりわけ許せない類いの犯罪じゃないか。政治家がそんな基本的な倫理観も欠如していてどうするんだ?