最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

9/17/2016

蓮舫氏の「二重国籍」という、そもそも存在しない「問題」は無知な差別主義者の偽善でしかない




民進党の新代表に蓮舫氏が決まったのは、悪いことではない。

代表選挙中から普天間基地の辺野古移設を推進すると言ってみたり、就任後は冷静な危機管理がまったくできない前首相の野田氏(パニック心理の幼稚な意地に取り憑かれ、勝てる体制すらできていないのに解散総選挙に走った愚の骨頂)をいきなり幹事長に任命するなど、確かにやっていることや言っていることに疑問は多々ある。

しかしそれでも、女性が日本の最大野党の党首、それも日台混血で自ら自分のナショナリティ(註:法的な「国籍 citizenship」ではなくアイデンティティ意識としての「民族籍 nationality」、両者はまったく別次元の問題)をその二つの国だと、さらに時には中国も含めて堂々と公言して来た人が総理大臣になるかも知れない、というのは日本社会の現代の時代に合わせた進歩であり、性格が実は途方もなく男勝りだと噂されようが、自らが女性らしい美しさセクシーさを持った政治家であることを堂々と提示し続ける蓮舫氏は、日本のジェンダー・ポリティクスの歪みを解消するという点でも、「ガラスの天井破り」に大いに挑戦して頂きたい。

また性差別との誹りをあえて覚悟していえば、あくまで一般論として脳化学・脳生理学の観点から科学的知見を援用するなら、民主主義社会の現実的な政治的決断には男性よりも女性の方が適している。

たとえば北朝鮮が確信犯的チキンレースを仕掛けて来ていることへの対応について、日米韓の三国は「男ってバカよね」の典型パターンに陥っている。男性原理の愚かさなりの狡猾さでいえば、申し訳ないが北朝鮮の三代目の方が二枚も三枚も上手だ。


とはいえ確かに韓国の現大統領は、同国初の女性政治指導者だ。 
大変に困ったことなのだが、パク・クネ氏の場合は脳科学的な特性よりも大日本帝国陸軍に教育・訓練された将軍の独裁者の娘という社会的に刷り込まれた人格の方が、彼女の中では勝っている、その意味で男性以上に男性的愚かさの典型になっていると言えるが、それでも「昭和の妖怪」の孫なんぞよりはなんぼかマシ、であろう。


しかし民進党の代表選挙はそれでも、まことに残念な顛末になってしまった。

誰が新代表になったかの問題ではない。それなら最初から蓮舫氏で確実と言われていた、予想通りの結果でしかない。

そんななかであえて前原・玉木両氏が立候補したのは、無選挙でなんの議論もなく代表選出になるのはよくないから、ちゃんと党内議論を深めてそれをアピールするという狙いだったはずだ。

なのにそうした党の将来を考えるよりも、「蓮舫氏の二重国籍疑惑」なるデッチあげの荒唐無稽で無知丸出しのデマが最大の注目点になってしまったのが、この代表選だった。

そもそも産經新聞がそんなことを記者会見で訊き始めたのも、呼応してネット・メディアやネット上のJ-NSC(自民党ネットサポーターズ・クラブ)辺りが騒ぎ始めたのも、民進党の新代表選挙の効果それ自体を妨害するための「さる筋」(後述する)の策謀であることくらい、民進党側でも気づいていておかしくないはずだ。

なのにその手にみすみす乗ってしまうようで、どう肥大化した巨大与党に対抗できるのだろう?

蓮舫氏が気色ばんで「質問の意味が分からない」と応じたのは、人種差別の攻撃に晒された当事者の当然の反応だったとしても、党本体やとくに他の候補者二名こそが「それは人種差別ではないか?」とはっきり反問するべきだったし、法的にそんな問題が存在しえないこともちゃんと説明できないようでは、政治家、立法府の一員としてまことに心もとない。

一方で、大手メディアで社説などでもこのような質問を思いつく(というかでっち上げる)こと自体が人種差別に基づくものではないか(しかも日本の国籍の扱いに関して恐るべき無知)、と批判するところがひとつもなかったのも、あまりに「民度が低い」と言わざるを得ない。

傍目には客観的に一目瞭然の人種差別でしかないことを、「差別じゃない」と言い張る集団自己欺瞞に陥っている日本社会はまことに気持ち悪いのだが、蓮舫氏の「二重国籍」が云々という人たちは、まずせめて日本の単一国籍主義の法運用の常識くらい踏まえてからモノを言って欲しい。

日本の法律では日本国籍を取得することが他国籍の放棄の意思を意味する宣言でもあることが法文に明記されているし、それは現実的にも合理的な判断でもある(単一国籍主義が現実に照らして不合理である、という議論はその通りだが)。

国籍の取得(帰化)について、国籍法第5条第一項ではその要件のひとつの、他国籍の扱いと日本の原則である単一国籍主義について


五 国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと。(国籍法第五条一項五号)

としている。あくまで「日本の国籍の取得によつて」という因果関係で、その結果として「その国籍を失う【べき】」としか書いていない。つまり他国籍を事前に放棄しなければ日本国籍を取得できないというのは完全な誤りであり、国籍の取得と同時に他国籍が消滅するという立場だし、それは当然でもある。事前に他国籍を放棄してしまえばその人物は一時的に無国籍状態になるし、その後で日本の国籍の取得を許可されなければ一生無国籍だ。そんな無茶苦茶なことを日本の国籍法はさすがに要求はしていない。

しかもこの単一国籍という要件については、さらに同条文の第2項で

(法務大臣は)外国人がその意思にかかわらずその国籍を失うことができない場合において、日本国民との親族関係又は境遇につき特別の事情があると認めるときは、その者が前項第5号に掲げる条件を備えないときでも、帰化を許可することができる(国籍法第五条二項)

…と但し書きがついている。

つまり国籍の放棄はあくまで他の国籍を放棄する本人の意思の表明だけが必要で、他国の国籍は日本の国籍の取得によってその国籍を失う「べき」としか書かれていないことからも、蓮舫氏のような場合でも実際にその手続きが済んでいたかどうかが問題ではないことは明白だ。

また生まれながらにして(両親のどちらかが日本国籍でないため)多重国籍の場合は22歳までに国籍の選択が義務づけられているが、その条文は

(多重国籍を持つ者の国籍の確定は)日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣誓(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする(国籍法第14条2項) 

となっている。

この法文の読み方が分からない人に念のため言っておくと(「宣誓」する相手が誰なのか、目的語が書いていないから混乱する人はいるのかも知れないが)、第16条には「選択の宣誓をした日本国民は」つまり選択を済ませた(過去形、つまり他国籍の抹消手続きはこの選択の前提条件ではない)者は、「外国の国籍の離脱に努めなければならない」とある。

ここまで書かれればさすがに誰でも分かるはずだが、14条でいう「選択の宣誓」は国籍の離脱の相手国政府に対して国籍離脱の手続き行うことはまったく意味していない。この条文が日本国とその政府に対して日本国籍の選択を表明することをイコール他国籍の放棄とみなしているのは国籍法第5条と同様で、また法の下の平等という法治主義の大原則から、そうでないとおかしい。

宣誓する相手の目的語が書かれていないのは「日本という国家(主権者たる国民の総体とその代表者としての政府)」に対してであるのが自明だからで、その他国政府で国籍離脱の手続きを取ることは「選択の宣誓」後にやることで、しかもあくまで「努力義務」でしかない。

「外国の国籍の離脱に努めなければならない」つまり「努力義務」、そして五条一項五号の「失うべき」論、要するに法的にはやらなかったからと言って咎められることではなく、第五条の第二項で本人の意思だけを要件としていることとも一致する。

法律なのだから、ここで不平等があっては法体系が崩壊することも、言うまでもない。

蓮舫氏の場合も、本人の意思にも認識にも反して台湾の戸籍が残っていたのは、この五条第二項規定に該当する事例でしかない。台湾のパスポートを申請・更新でもし続けて来たか、台湾にビザなし渡航の期限を超えて長期滞在したり、就労でもしていない限り、台湾籍放棄に関して「その意思」は明確だ。

つまり日本の法律上なんの問題もなく、蓮舫氏の国籍は日本であり、日本国籍である以上は単一国籍と日本国はみなす、ということにしからないし、こうして日本国が日本国民だと認識している蓮舫氏の国籍について、適用されるのは当然ながら日本の国籍法のみだ。

台湾つまり中華民国を日本が正式に承認していないことから、適用されるのが中華民国法ではなく中華人民共和国の法ではないか云々という議論が出て来ているようだが、国籍に関してはまったく関係しない。適用されるのは日本の法律だけだ。

外交関係をややこしくすることになるので蓮舫氏は言わなかったが、17歳の日本国籍取得時に父親が台湾の代表部で台湾戸籍の除籍手続き(=国籍離脱手続き)をやったはずなのに台湾戸籍が残っていたのは、実際には彼女の記憶違いでは恐らくない。

台湾側が手続きをやらなかった(それも意図的にだった)可能性が高いのは、そんなものは公然の秘密であって、とやかく言わないのは台湾政府を無益に傷つけてもしょうがないから、彼女は「記憶違いかも知れない」とその部分のみ謝っただけだ。自分個人の事情で重要な隣国との関係を悪化させないよう「泥をかぶる」のは、政治家としてまったく正しい判断だ。

逆に言えば、この「二重国籍」問題をでっち上げて騒ぐ人たちが日台関係を悪化させてしまいかねない事態を作り出してしまったなかで、蓮舫氏は自分の「記憶違い」ということにしてそのダメージを最低限に抑えている。

台湾側の手続きの瑕疵と言っても、台湾政府が国籍の離脱手続きに非協力的になるのは、そもそも当然のことだ。

国籍を放棄するということは台湾政府に国民としての保護やサービスを求めないという意味にしかならず、そのサービスを「要らない」と言ってる元国民のためにわざわざ面倒な事務手続きを進めてやる義務もインセンティヴも、台湾政府のお役人にはない。

しかも日本の法律が明記している義務はあくまで本人の他国籍放棄の意思だけなのだから、仮に蓮舫氏の父が台湾の通商代表部(当時は名称が違っていたはずだが)に娘の国籍放棄を申請して受理されなかったのだとしても日本の法律上の「努力義務」は完全に満たしているし、しかも未成年だった蓮舫氏が父を信用していて当たり前でもある以上、あらゆる観点からみて彼女に法的な責任はまったく派生しない。

台湾政府にしてみれば、本人が「自分は国籍を放棄した」と思っているし現にそう宣言しているのなら、国民としての権利や保護を今後求めるはずがなく、わざわざ戸籍を抹消する手続きを進めなくとも実務上なにも困らない。万が一蓮舫氏が国籍に基づく国民の権利の保護を要請して来たら「あなたは日本の政治家、つまり日本国籍を選択しているのだから台湾国籍は放棄しているはずだ」と突っぱねるだけだ。

実務上必要もないのに、わざわざそんな面倒な除籍の手続きなどやらないのが当たり前であって、台湾側の瑕疵であり怠慢と理屈の上ではなるにしても、目くじらを立てるほどのミスでもなんでもない。戸籍の記述が実態とかけ離れていても、この場合は特段誰も困らないのだから。

しかも国籍離脱の手続きを進める立場の在外公館からすれば、自国の国籍の放棄を求める在外邦人はいわば「非国民」「裏切り者」である。窓口の担当係官が非協力的なのはむしろ当然だ。

こと台湾には特殊な事情がある。

正式には中華民国で、分断国家状態の中華人民共和国と国民をいわば取り合っている関係になることから、中華民国籍を中華人民共和国籍に切り替える国民を出さないために、国籍離脱手続きを実際にはやらない、申請者に難癖をつけて追い返す、というのも、こと国民党独裁の軍政下では常態化していたし、その「伝統」は今でもそう変わらないらしい。

たとえば、国籍離脱を申請するときには、台湾のパスポートを失効させる手続きが必要なので、それを持参しなければならないのは当然だ。

だが今でも通商代表部ではこれを盾にとって有効なパスポートがなければ手続きを受け付けないとして、それがない場合には数万円払って新たなパスポートを作れと言われるらしい。もちろんただの嫌がらせで、理詰めで抗議すれば向こうは引き下がらざるを得ないが、それでも蓮舫氏が改めて離脱申請をした今回の場合ですら、失効したパスポートは提出が要求され、探すのが大変だったという。

こんなことはまったく褒められた話ではないにせよ、台湾の国際法的に不安定な地位ゆえの国策と、事実上の在外公館である通商代表部の立場としては、それなりに合理的なものではある。例えば、台湾には徴兵制があり、軍の最大の存在理由は名目上、中国本土への対抗だ。だから日本の政府や政治家がことさら口出しすることは、正式国交こそないとはいえ実際には重要な隣国である台湾とのデリケートな関係を考えれば、避けるべきものでしかない。

だから蓮舫氏は、実は自分の記憶に自信があっても(ただし父親がいい加減にあしらわれ追い返されていて、そのことを察しても黙っていたということならあり得る)、あえて「記憶違い」という些細なことの謝罪で済ますことで、このバカげた国内バッシングが国際問題になることを避けたに過ぎない。

繰り返すが、蓮舫氏が自分の「記憶違い」だけを謝罪したのは、政治家として明らかに評価されるべき「大人の対応」だった。

どっちにしろ、国籍離脱届けをどう扱うかは台湾政府の勝手であり主権の範疇、他国がとやかく言うことではない。またブラジルのように国家の存立理念の観点から、国籍離脱という手続き自体が法的に存在しない国もある。

だから日本の単一国籍主義は、日本国籍の選択が日本政府に対して「他の国籍は放棄します」という宣言も同時に意味し(「選択の宣言」)、国籍取得の場合は「失うべき」だけであって本人の意思確認だけが必須の要件であることを法文で明記して、日本の法律上は自動消滅したとみなすことにしている。

また逆に言えば、そういう法律になっていなければ、相手国が日本政府と日本国民への嫌がらせとしてその手続きを進めない、というシチュエーションすら可能になってしまうし、単一国籍の建前自体が崩壊してしまう。


それくらい無理があって非現実的なのだから単一国籍主義なんて止めればいいだろう、多重国籍のなにが問題なんだ、と言われれば、まったくその通りではある。 
多重国籍を認めないという日本の方針は、逆に言えばこうでもしなければ維持できないものでしかないのだ。


しかも蓮舫氏は10年以上前から日本の国会議員だ。閣僚も務めた経験がある。

つまり高校三年生での(17歳か18歳かで「言うことがコロコロ変わる」と難癖をつける人は、本当に日本人なのか疑いたくなる)国籍取得の時だけでなく、何度も(就任のたびに)「自分は日本国籍=他国籍は放棄した」と宣言していることになるし、その厳然たる事実は台湾政府ももちろん認識している。

だから蓮舫氏が台湾国籍保有者としての権利や保護を台湾政府に求めても、台湾政府がそれを認めるわけがない。

無知で非常識な人たちだけが、「二重国籍問題」を騒いでいるだけだ。

「証拠を出せ」などと言うに至っては、蓮舫氏が立候補するたびに戸籍謄本は選挙管理委員会に提出している。その戸籍謄本がなによりもの証拠だ。国籍の選択の宣誓について瑕疵があれば、立候補はできていないはずだし、国籍の取得の場合であればその手続きを済ましていなければ、そもそも日本の戸籍は存在しない。

蓮舫氏の場合は母親が日本人だったので出生時の国籍法では日本国籍はなく、台湾と日本の二重国籍になったこと自体が、1985年の国籍法改正で母親のみが日本人の場合でも日本国籍が発生するとされたことの、遡行による。

つまり出生時にはなかった日本の戸籍は国籍選択の届け出と宣言がない限り作られることはなく、戸籍自体が存在していないことになり、日本の公職の選挙に立候補できていなかったはずだ。

蓮舫氏が立候補に当たり戸籍謄本を提出していること自体が、日本の戸籍が存在している、つまり国籍選択の手続きを済ましていることの明白な証拠であり、個人情報に当たる戸籍の開示で「証明しろ」などという主張自体がそもそも馬鹿げている。

まったく、ナンセンスもほどほどにして欲しい。

その結果、日台両国間の暗黙の了解でデリケート過ぎて触れないようにして来たことまで、顕在化させてしまったのがこのバカ騒ぎである。

まったく「国益」を考えていないこの愚鈍で無意味な似非「論争」でしかないのだが、こんなものを誰が仕掛けたのかと言えば、産経新聞が騒ぎ出す前に、蓮舫氏の台湾での戸籍がどうなっていたのかを台湾政府に問い合わせた人間がいたとしても、まったく驚かない。

台湾政府のコネのあるジャーナリストの人はぜひ調べてもらいたいところだが、だいたい「内閣情報調査室」と相場は決まっている。

ただこのような日本の国籍法のまっとうな運用について、一点だけ厄介な問題がある。

国籍の取得を持って他国籍の放棄の宣言とみなす、逆に他国籍の国籍保有を明示すれば日本国籍は放棄したことになる、という日本の単一国籍主義の大原則を破った過去があるのが、他ならぬ日本の法務省なのだ。

ペルーの大統領だったアルベルト・フジモリが失脚し、その在任中の独裁的な犯罪行為が明らかになったとき、日系人であるフジモリ氏は日本に亡命を求めた。

ところが日本政府は戦後に亡命を受け入れた前例がないことから事なかれ主義に徹して亡命は断り、かといって日系人であるフジモリ氏を追い返すことは民族感情から許されず、そこでフジモリ氏が当然ながらもうないと思っていた日本国籍(だから亡命を求めたのだが)を、わざわざその一族の出身地である熊本県の古い(なんと毛筆の!)戸籍を調べ上げて「戸籍が生きている=国籍がある」と言ってしまったのだ。

フジモリ氏の日本戸籍(つまり国籍)が「残って」いたのも、手続き上の瑕疵で書類が実態を反映していない状態になっていたに過ぎない。

大統領として国会で、全ペルー国民に向かって就任を宣誓した時点でフジモリ氏は明らかにペルー国籍の選択・保有を宣言していることにしかならず、日本の国籍法では日本国籍を放棄したとみなすはずで、現に氏が失脚するまではそうみなして来たし、だからわざわざ亡命を求めたはずなのに、日本の法務省が唐突に法律をねじ曲げて、本来なら国籍法に基づき剥奪されているべき国籍の有効性を認めてしまったのだ。

とはいえ、だから蓮舫氏も云々、というのは法治主義の意味も分かっていないことになる。

国家政府の都合で法律をねじ曲げたことが個人の権利を侵害するのは、法治主義の国家では絶対にあってはならないことだし、逆に日本政府がアルベルト・フジモリ氏がずっと二重国籍だったと認めて日本国内での居住を許可してしまった瞬間、多重国籍を認めて来なかった(重国籍の場合の国籍選択を22歳までに済まさなければ違法になる)日本の単一国籍主義はすでに崩壊している。

いまさら蓮舫氏の国籍を云々する議論自体が、法の下の平等に反していることになるのだが、日本人の多くがそもそも、この程度の「法治主義」の基本すら分かっていないのではないか?

いやそもそも、「国籍」の法的な意味が分かっていないのではないか?

法的には国籍とはあくまで、国家がその個々人を自国民として認識して、生命財産の安全を保護し国民の権利(たとえば自由に居住し労働する権利、参政権)を保証すること、国家と国民個々人の契約の一種である。

言い換えれば、「蓮舫は台湾国籍を持っているのを隠していた」「嘘を言っている」と言い張ることもまったくのナンセンスでしかないのだ。

公言もできない「国籍」を持っていたところでその権利を行使もできないのだからなんの役にも立たず、そもそもそんな面倒なことをわざわざやる理由が皆無ではないか。

なのに「隠している」「嘘」「知っていたはずだ」と言い張るのは、要は「お前は本当は中国人」イコール「お前は本当の日本人ではないことを隠している」と言い張っていることでしかないし、「二重国籍」疑惑、つまり蓮舫氏がちゃんと台湾国籍を放棄しているのかどうかをあげつらうこと自体が、「お前は中国人なのか日本人なのかはっきりしろ」イコール「中国人であることを棄てなければ認めない」と、無神経で差別意識丸出しの踏み絵を突きつけていることでしかない。

これが人種差別以外のなにものでもないこと以前に、そもそも蓮舫氏についてはナンセンスだ。

彼女は自分が日本人ではあってもルーツが台湾と日本の両国であり、父方の親族とのつながりが深いことをまったく隠していないどころか、自分の個性、セールスポイントとして強調すらして来た。

今回の騒動でも、父に日本と台湾どちらの国籍を選ぶか訊かれた時に、日本国籍を選ぶメリットは日本での参政権と被選挙権があると教わった、だから日本国籍を選んだ、とはっきり言っている。

どちらのメリットを選ぶかで国籍を決めたこと自体に、感情的な反発を覚える人もいるのかも知れないが、法的な意味では国籍とはその程度の意味しかないし、国際的にもそれが当たり前だ。

蓮舫氏でもケンブリッジ飛鳥選手でもベイカー茉秋選手でもサニブラウン・ハキーム選手でも、日本でずっと育ち日本に住み続ける気なら、日本国籍を選択した方が便利だし、政治に興味があるなら参政権は当然確保するし、オリンピックに出場するなら日本国籍の方が有利だ。

また蓮舫氏でもケンブリッジ選手でも、台湾やジャマイカのパスポートよりも日本のパスポートの方がビザなし渡航できる国が多くビザの発行要件も低い。先進超大国である日本のパスポートは世界でもっとも「強い」パスポートのひとつなのだ。ならば日本国籍を選択して当たり前であろう。

また日本の政治家になった蓮舫氏が、台湾に行けば自分のルーツは台湾だと語り、中国に行けば自分の漢民族の血統を強調するのも、政治家として当たり前だ。アメリカのケネディ家の人々もアイルランドに行けばケネディのアイルランドのルーツを強調する。

政治家が外国に行けば自国を代表する立場になる。友好親善を深め自分が代表する国のイメージをあげるためには、これは当然やるべきことであって、そんなところで「蓮舫は自分を台湾人だと言っているから反日なのだ」とか言い張るような愚かで無知な人々は、日本の外交や安全保障に口出しする資格なぞそもそもない。

そんな愚かな「意見」ですらない幼稚な言いがかりが幅を利かせるのなら、日本の民度はあまりに低い平和ボケということになる。

逆に日本国籍を喪失している日系アメリカ人や日系ブラジル人や、ペルー大統領になったアルベルト・フジモリが、だからと言って民族的に「日本人」でないわけではないし、それをどう捉え自分のアイデンティティのなかに落とし込むのかは、個々人の勝手でしかなく、まして日本人の両親の下に日本で産まれたから自動的に日本人であることを漠然と受け入れて来ただけのいわゆる普通の「日本人」には、そもそも理解できることではなく、よって口出しできることでもない。

そして国際法上、国籍の選択はその要件を満たす限りにおいて、あくまで個人の自由意志が尊重されるのも言うまでもない。

この場合の自由意志とは、もちろん自身がその国家に所属すると自認していることを論理的に証明できる合理的なものでなければならない。むろん、ただ「ボクそう思うんです」ではお話しにならないし、現にそんないい加減さで国籍を取得する者もいないのだが、そんなことすら分かっていない人が他人様の「国籍」を云々しているのだからいい加減にして欲しい。

蓮舫氏なら蓮舫氏で、これも本人が明言していることだが、ルーツとしての台湾にいかに強い意識を持っていようが、産まれたのも育ったのも日本で台湾の言葉もできかった。

中国に留学して北京漢話はできるようになったが、それでも第三外国語であって、およそ母語ではない。

それでも「私は日本人であるよりも台湾人だ」という意識を持つことも余人が立ち入れない個人の内面の問題だが、合理的に考えれば「日本にルーツを持つ台湾人」よりは「台湾にルーツを持つ日本人」という自己認識になるのが実際だろうし、蓮舫氏のようないわゆる「混血」の当事者は、そうしたことに自分で向き合い考え抜くことが立場上の必然だ。

民族籍、民族アイデンティティとは、決して「○○の国が好き」とか、「ボクそう思うんだ」と言い張る程度の、安直な話ではない。

むしろこと蓮舫氏やケンブリッジ選手、ベイカー選手のような「混血」が日本で育った場合なら、真逆にすらなり得る。

蓮舫氏の代表選出を通して、日本におけるいわゆる混血児の置かれた状況をレポートした英BBCによれば、日本の出生数のうちいわゆる混血になるのは2〜3%と報じている。2014年で3.4%だという。

こんな統計データすら、我々はまず知らされていないし、意識したこともない。

BBCのレポートは、日本の芸能界で「ハーフ」がもてはやされていることに言及しつつ、しかし片親が白人でなければ「バイ菌」などと呼ばれることが多い現実も包み隠さず述べている。

こうした体験を「ハーフ」の人たちが日本人向けのテレビ番組で率直に語ることはめったにない。

日本人視聴者に需要がない(というか受容する能力がない)とみなすメディア側が排除している面ももちろんあるし、それ以前に自分達がいわゆる「日本人」に嫌われいっそうの差別に晒されることを恐れて、当人たちもなかなか言えない。

同じことはたとえば、原爆を扱ったドキュメンタリーなどでも指摘できる。海外のテレビ局が参加した番組や国際共同製作の映画では、被爆者たちは自分たちが戦後晒された凄惨な差別の実態も包み隠さず語るが、今日の日本ではまずめったに聞かれない話だ。

言い換えれば我々いわゆる普通の「日本人」は、最近は少しは増えてはいても出生比率でも2〜3%でしかない、圧倒的な少数者になる、たとえば蓮舫氏のような立場の人たちのことをほとんど知らない。

自分の「国籍」とはなにかを考える必要もないから、日本国籍の扱いに関するテクニカルなことがらもなにも理解していないし、この下らないだけでなく下劣なバッシングの煽動が始まるまでは、関心すら持って来なかった。

知らない、自分に理解する能力がなく理解できる条件も整っていないことについては、少しは謙虚になって、他人の置かれた立場になって最大限想像してみるのが、まともな人間のやることのはずだろう。だとしたらこの「二重国籍」騒動というか虚報がかくも大騒ぎになり、警鐘を鳴らす公人や大手メディアすらほとんどいない今の日本社会は、もはや「まともな人たちの社会」ではない。

逆にそうした混血の、産まれた時に多重国籍になった人たちの立場から考えれば、自分が外国人だという認識であればまだ、こんな差別丸出しのナンセンスに晒されても、自分にとって「外国人」と思える「日本人」を「ジャップって馬鹿だな、分かってないんだな」とでも考えれば心の整理はつく。

だが産まれてずっと日本で育っていれば自分はやはり日本人になるのだし、その自分がその一員であるはずの民族から「完全な日本人じゃない」「バイ菌」などと差別され、排除されることほど、深く傷つくことはない。

片親が外国人のいわゆる「混血」の日本人が、憎悪すら含む複雑な感情を、自分は日本人だという意識が強ければ強いほど持つのが、むしろ当然なのだ。

親のどちらかの国籍が違っていたり、さまざまな事情で日本国籍を取得したり、在日コリアンであるとかの人たちに向かって、「あなたの国籍状況はどうなっていますか」とか、それが総理大臣を目指す必須の要件であるかのように訊き出そうとするのは、冷静に考えれば「あなた本当は日本人じゃないですよね(完全な日本人じゃなきゃ資格がない)」と人種差別意識を丸出しにした下品さで相手を問いつめていることにしかならない。

こんな単純なことにすら気づけない人たちが、いったいなにを言っているのか?

正直、神経を疑う、正気なのか、呆れる他はない。

8/24/2016

水俣病発生から60年、未だ抜け落ちている政治の責任


NHKのクローズアップ現代プラスが、水俣病についての新事実、加害側企業チッソの内部文書をスクープした。チッソの久我正一副社長(2008年没)の、1977年〜78年の政府との折衝に関する生々しいメモだ。この時期に水俣病をめぐって起こった二つのことに(誰もが疑っていたように)やはり因果関係があったことが、このメモの発見で立証された。

●ひとつは政府によるチッソ救済のための公的資金投入の決定。

もうひとつが1978年の環境庁通達により、水俣病の認定基準が複数の症状が見られなければ絶対に認められなくなったこと(実際には、72〜3年頃にはすでに現場ではこういう運用が支配的になっていた)。

この二つの決定は直接の因果関係にあり、政治が深く関わっていたことが久我メモで立証された。

政府はこれまで、認定基準の厳格化については「医学的知見が深まったことで」と説明して来た。もちろん誰が考えたって、これがチッソが補償金として支出する金額を抑えようとする目的なのではないかとまず思うだろう。さらに厳密に言えば、77年から78年の時期以降、チッソを通して患者に補償金として支払われる国の出資を減らすため(国が既に国費によるチッソ救済を決めていたので)と疑われて当然なのだが、それが今回やっと政府が言い逃れできないように立証されただけでなく、政府の資金によるチッソ救済が決まった舞台裏も明らかになった。

水俣病といえば言うまでもなく、土本典明による日本ドキュメンタリー映画史の金字塔、『水俣 患者さんとその世界』から始まる17本の映画でも、深く切り込んで記録されてきた事件だ。しかし1977から78年の水俣は、その土本典明の水俣シリーズも撮影されていない時期だ。

土本典明「水俣 患者さんとその世界」1971年

ちなみにメモの主、久我副社長は土本の『水俣一揆』で島田社長の横にいつもいる「悪番頭」キャラの人だ。『患者さんとその世界』のクライマックスに登場する江頭社長も島田氏もメインバンクの第一勧銀からの出向で、チッソ内部からの叩き上げで実務を(その後ろ暗い部分まで)掌握し続けていたのが久我氏だったと考えても、間違いはないだろう。

「水俣一揆」中央の背中が島田社長、左が久我副社長
机に座るのは患者の川本輝夫氏

その久我氏は、患者への補償金負担がチッソの経営を圧迫し、倒産も視野に入る危機的な状況の中、政府に働きかけていた。

そこで久我氏に紹介されて国費の注入によるチッソ救済の枠組みを作るように動いたのは、意外な人物だった。当時は財務官僚から参議院議員になったばかりの、藤井裕久・元財務大臣である。

後に藤井さんは1993年にその自民党を離党、小沢一郎氏らとともに新生党を立ち上げ、細川護煕内閣で財務大臣を務めた。細川政権が倒れた後も自由党と民主党の幹事長、民主党の最高顧問を歴任、テレビ討論などで財務省の内輪の論理にも批判的に言及するなど、経済政策を中心に実直な正論を展開し、日本の政治家としては数少ない良心的な実直さを見せて来た人物で、2009年の政権交代への道筋を固めた1人でもある(鳩山由紀夫内閣で再び財務大臣になるが、健康を損ね辞任)。

今は「生活の党」の小沢氏のモットーとなっている「国民の生活が第一」というのは、藤井さんの信念でもあった。

その藤井裕久さんが、久我副社長のメモで名指しされていた。

今回インタビューにも誠実に答えてすべてを「その通りです。間違いありません」と認めたのは、いかにも藤井さんらしい態度ではあった。とはいえ、そんな藤井さんが政治家に転身した直後に、こんな後ろ暗い、いわば「汚い仕事」に関わっていたのは、驚きでもある。

だが藤井さんがこの「汚い仕事」に力を尽くした理由である、患者に補償金が支払われ続けるためには、チッソを潰すわけにはいかないという現実もまたもちろん、ちょっと考えれば誰でも気づくことだ。その補償金なしには、多くが漁民であった患者たちは身体の自由も、肝心の漁場である水俣の豊かな海もチッソの汚染水に奪われ、極貧に追い込まれかねない。

水俣病事件について忘れられがちな視点は、公害の被害がただ加害企業を断罪する「正義」だけでは終わらない厳しい現実だ。水俣市自体が日本の高度成長のなかでその経済をチッソに依存せざるを得ない企業城下町であり、そのチッソが破産すれば企業責任は有限責任なので、補償金も支払われなくなる。

「汚い仕事」とはいえそれだけで藤井さんに幻滅するわけではない。むしろ「生活が第一」であれば、働くことが出来なくなった患者たちへの補償にこそ、万全が尽くされなければならない。藤井さんの、つまりは小沢一郎氏たちの「国民の生活こそ第一」の原点は、もしかしたら実は水俣にあったのかも知れない。

補償金の負担でチッソが倒産すれば、水俣は様々な意味でドン底に追い込まれ、死の町にすらなっていたかも知れない。当然ながら、藤井氏のところには水俣からのチッソを守って欲しいという嘆願もあった。

とはいえ、チッソを救済するための公的資金投入を、「あんなひどい会社はつぶれて当然だ」と思っていた世論相手に正当化する工作がいかに大掛かりだったのか、政府が直接に動いてまで水俣市民にチッソ擁護の世論を作り出そうとしていたというのは、さすがに驚く。藤井さんは「騒ぎを起こすいう言い方は好きではないが、その通りです」と認める。

だがその世論形成の結果、水俣で補償を受け取った患者への風当たりや差別が激しくなることまでは、政府でも考えていなかったようだ。ここはぜひ、もっと藤井さんに訊きたいところだ。結果を知れば当たり前の展開ではある。しかし事前に思いついたかどうか?思いつかなかった、気づかなかったことに責任はないのか?

藤井さんはNHKの取材に率直に応えていたが、もっと突っ込んで話を聴かなければならないことは多い。それは藤井さん個人の問題ではなく、公害の救済がただ「正義」を通すだけで済む問題ではなく、現代の社会の構造それ自体の欠陥に深く切り込まなければならない課題であり、水俣病発見から60年経った今でも思想的・理念的な大枠すらまったく未解決のままだからでもある。

今の藤井さんであれば、その責任から逃げるようなことはないだろう。

そして77年から78年の藤井さんは、ある意味で誰よりも公害問題の複雑さと根の深さを考えていた(考えざるを得なかった)人でもあるのかも知れない。その立場にいなければ「チッソはけしからん」で済むかもしれない。多くの国民は当然そう考えただろうし、だから藤井さんが国会でチッソの責任を追及する質問をすれば、政治家としての地位は築けたはずだ。だがそうやって悪徳企業のチッソを倒産に追い込めば、患者の受け取るはずだった補償金はいわば不良債権、判決も賠償命令も紙くず同然になる。

とはいえ、その藤井さんでさえ、自分が決めた国によるチッソ救済の結果として、自分が救おうとしたはずの多くの患者がかえって救われなくなった(2万人以上の未認定患者が今も苦しんでいる)ことは認めようとしなかった。

ここも藤井さんをもっと問いつめなければならないことだ。

久我メモには政府内部の恐ろしい言葉も残されている。患者への補償のための国費投入を「ザルに水を注ぐようなものだ」と言い切っているのだ。当時は藤井さんもその党員だった自民党も、福田内閣も、そういう立場からの認定基準の厳格化を追認している。チッソへの配慮のためにすでに不当な厳格さで運用され始めていた認定基準は、今度は国の財政、つまりは国民の財産を守るために絶対的なものとされた。

政府が支援することでチッソは倒産せずに補償金を払い続けることができるようになったが、その結果、患者とチッソの対立する利害の関係性のなかで、政府が完全にチッソ側になったというか、患者への補償が国の財政と国民の利害に反する構図になってしまった。チッソを患者の要求から守ることは政府の財政を守ること、つまりはあろうことか国民の財産を守ることとなってしまったのだ。

だからこそ藤井さんにはもうひとつ、どうしても問わなければいけないことがある。

患者のためには政府がチッソを支援するしかない、という藤井さんの決断は根本的には良心的なものだったが、それでもひとつ大きな問題意識の自覚が抜け落ちていはしないか?

なぜ水俣病被害がここまで広がり、患者が増え、国費を投入しても救済し切れないからといって患者数そのものを減らそうとする(つまり患者を切り捨てた)結果になったのか、そのそもそもの原因は、どこにあったのか?

言うまでもなくその最大の原因は、厚生省の内部では原因がチッソのメチル水銀だと分かっていて勧告も出ていながら、政府が「政治的判断」で原因の公式認定を遅らせたことだ。水俣の患者たちが、自分たちの「奇病」の原因が自分たちの食べた魚で、それがチッソの廃水に汚染されていたせいだったと知ったのは、公式発見の1956年から12年も経った1968年のことだ。

だから政府もまた患者の支援と補償に力を尽くさねばならないのは、単に政府として国民の生活を守る義務があるだけではない。水俣病の患者がこれだけ増えてしまった大きな責任と罪は、政府にこそあったのだ。

その時には、高度成長を支える優良企業、日本のトップクラスの化学工業企業だったチッソを守るのが政府にとって優先事項だったのであろうことも、想像に難くない。政府はだからこそ原因の究明をわざと先延ばしにしたのだろうが、この「未必の故意」状態の先送りのタイムラグのあいだに水俣でなにが起きていたのかは、土本が克明に証言として記録している。

『医学としての水俣病・第一部』の冒頭で渡辺さんが証言しているように、水俣病の症状がでた患者は、精を付けるためにかえって魚を食べる量を増やしていたりする。考えてみれば当たり前のことだ。「魚が原因」とは誰も教えてくれなかったのだから、漁民であればまず魚を食べて栄養をつけようとする。その結果、かえって患者はより多くの毒性の有機水銀を体内に取り込んでいた。

ほっておけば健康回復のために魚をより一生懸命食べるだろう、このような当たり前の想像力すら東京の役所にいる人たちはなかなか持てていないことは、今も変わらない。たとえば福島第一原発事故でも、まったく同じ問題が露呈している。

その想像力を持てなかったことそれ自体が、中央官庁や政治家の、巨大で罪深い能力の欠如であることから、我々も政治家も目を逸らしてはならない。「仕方がない」では済まされない。せめて「能力がなかった」ことの罪は反省しなければならないはずだ。

既に述べた通り、77年から78年の時期に水俣で起きていた重大な変化は、土本の水俣シリーズでは撮影されていない。そして土本の仕事があまりに偉大すぎるため、『不知火海』つまり70年代半ば以降の水俣は、かえって日本のドキュメンタリー映画史から抜け落ちた状態になってしまった。77年から78年に実は起きていた大きな動き(政府側の巻き返し)も、土本の映画がないのでなかなか知られない水俣病の歴史の一頁になっている。

『不知火海』が撮られたとき、患者達の社会的・政治的な戦いは一応は収束し、映画は「生きることの闘い」というか、水俣病との闘いとはすなわちいかに患者が人間らしく生きられるのかであるという問題設定に、映画の関心が明らかに移行している。

だがその数年後、土本が水俣を撮り続けられなくなった時に、患者たちはまず自分たちの健康な生活を奪った加害企業であるチッソを許すことができるのかという葛藤に追い込まれ、補償金を得たことが単に嫉妬されるだけでなく、チッソを苦しめているのだという差別攻撃まで、他ならぬ故郷の水俣から受けることになる。

ただでさえ結婚などで差別されるのを恐れて認定の申請すらできなかった患者たちはますます追いつめられ、その後に待っていたのは申請しても認められるのは10%以下という、国がこっそり設定していた高いハードルであり、その正体は日本の現代政治が自らを雁字搦めにしていた深い闇だった。

『不知火海』を頂点とすることで、土本の映画はなによりも患者たちの人間性の回復のための作品となったし、その患者と直接対峙することになった会社の側の立場までは、土本は『水俣一揆』ではっきりと映画に刻み込んでいる。しかし政治を直接に問うことまではやっていないし、当時の自主製作のドキュメンタリー映画にはその手段もなかなかなかったし、だいたい政府も自民党の政治家も、現役だった当時では絶対に取材に応じなかった。

しかし水俣病事件それ自体は企業の責任だとしても、その背後には大きな政治の流れが一貫して関与しており、政治の責任こそが重大だ。それがどんな関与だったのか、政府がなにを考えていたのかは撮られていないので、この事件を映画的に考えるときにどうしても抜け落ちがちだ。

逆に言えば、今水俣についての映画を作るのなら、今回はっきり因果関係が立証された国によるチッソ救済(これが患者のためにも必要だったことは、僕も認めざるを得ない。土本も認めていた)と、その結果としての認定基準の不当な厳格化の問題こそ、取り上げられるべきではないだろうか。

そして政府側の人間として藤井裕久・元参議院議員にもぜひとも映画に出て、もっと深く語ってもらわねければなるまい。

土本の水俣シリーズに限らず、日本のドキュメンタリーはこれまで、なかなか政治家の側、権力の側それ自体の問題に切り込むことが出来て来なかったし、政治の側でも映画に出ようなどとは思わなかっただろう。

今の藤井裕久氏であれば、その日本の戦後政治の根源的な問題をこそ語ることに、応じてくれるはずだとも思う。

公式発見から60年、水俣病事件は終わっていない。2万にもおよぶ未認定患者がいて、政治決着はなされたものの極めて不完全なままだ。裁判所も認定基準のおかしさを指摘する判決を出しているが、まだ確定・決着はしていない。いや、現行の認定基準の厳しさが政府のいう「医学的知見」ではなく患者への補償を続ける財源の不安から来た財政的ベースの判断に過ぎなかったことが立証された今、政治決着は白紙に戻し、そもそも政府の不作為によって多くの人が水俣病になった責任も含め、改めて問い直されなければならない。

しかも奪われた人生を取り戻すためのその時間は、ほとんど残されていない。

そのあいだに、当時3歳だった第一号患者の田中実子さんは、63歳になった。土本典明の映画には、まだ少女の姿だった田中さんが何度も写っている。その妹をずっと介護し続けていた姉の下田さんは、自身も中学生の頃から手のしびれなどの症状が出ていたが、差別を恐れて認定申請はしなかったという。やっと認定を受けようと思ったのは1978年以降で、10%にも満たない認定率では、認められるはずもなかった。

妹が重度の水俣病患者である。水俣病が食中毒である以上、同じ食生活で育って来た下田さんの症状が、水俣病でないわけがないはずだ。

これは土本が『医学としての水俣病』の、とりわけ第三部で指摘したことでもある----具体的な症状だけがベースの認定基準は、そもそも科学的ではない。

その下田さんは今回明らかになった経緯を知らされ、NHKのカメラの前でこう呟いていた。「人間的でない」「煩悩(熊本方言では「他の人間への執着」転じて「思いやり」の意味になる)が欠けちょる」。

今回のクローズアップ現代では使われていなかったが、おなじくNHKのETV特集では別の下田さんの深い言葉があった。ずっと面倒を見て来た妹よりも自分が寿命を迎えてしまうことの不安を語りながら、下田さんはその妹の実子さんを「生き甲斐」と呼んだ。

水俣では、まだまだ記録の映画が作られるべきだし、チッソ救済のための世論形成の内幕と厳格化された認定基準が生み出した深い亀裂は、映画が一本作られるべきテーマだと思う。

それは単に水俣病の歴史で抜け落ちている重要な一頁を埋めるためだけではない。私たちの戦後日本の社会と文明のあり方そのものに含まれる矛盾と限界が、ここに現れているからだ。

8/17/2016

「靖国神社」問題の最終的解決策


想定を遥かに超えた茶番に呆れる他はない。

例年8月15日に靖国参拝することをいわば公約にして来た稲田朋美議員が8月の内閣改造で防衛大臣になったとたん、その8月15日前後に海外出張で逃げ出すというのもバカげているが、それを「知恵」と評価するコメンテーターもいたりするのは呆れてものが言えない。

こんな不誠実さの表明で姑息さを世界に晒すくらいなら、まだ堂々と靖国神社に参拝した方が防衛大臣にふさわしかった。

公人としての立場上行けない、というのなら国会議員であっても同じことのはずだし、大臣という出世とポストのためには信念も曲げるなら、彼女が毎年参拝して敬意を表して来たはずの戦死者にも失礼なら、出張の名目はジブチに派遣された自衛隊の激励だという、これでは自衛隊を統括する立場の防衛大臣としてダシにされた自衛官に失礼千万だ。

もちろん多くの自衛官は「大臣のため」でなく「国民のため」に任務に当たっていると信じたいが、とはいえ上に立つものがこれで命がけ(かつ有事には殺人も含む)任務を負った組織がちゃんとまとまって動けるとも思えず、自分のポストの保身のためにみすみす士気を下げるようなことをやっているだけでも、防衛大臣はとっとと更迭するのが筋だ。

そもそも、安倍政権がそんなに靖国神社を参拝したいのなら、国を代表する政権として外交上まず通すべき筋がある。

解決策その1)外交問題になるのが不満なら、サンフランシスコ講和条約の破棄と東京裁判の無効を公式に宣言すればいい(できるならね)

もちろん靖国神社は戦前戦時中には軍国主義思想を支えたイデオロギー装置だったし、運営組織はその思想性を維持したまま現在も存続し、侵略戦争を美化する価値観を唱え続けてはいる。そのこと自体も旧日本軍に侵略されたり敵対関係にあった国々の反発を買う可能性は大であるにせよ、日本国が憲法上思想信条の自由を保証し、国際社会もその価値観を共有していて、現在の靖国神社が一宗教法人である以上、外交上問題になる(諸外国政府が問題にできる)のは、日本の公人がA級戦犯が祀られた神社を参拝する、つまり日本政府がA級戦犯を崇拝することが、異論の余地なく国際公約違反になることだけだ。

日本はサンフランシスコ講和条約の調印によって主権と独立を回復して国際社会に復帰しており、同条約には東京裁判(極東国際軍事法廷)の判決の遵守が明記されている。その判決で日本に侵略戦争を始めさせた張本人としてA級戦犯が断罪されている以上は、日本政府やその公人がその人物を再評価し、まして崇拝することは、この講和条約に違反することになる。

それでもどうしても靖国神社に行ってA級戦犯を崇拝したいのなら、安倍政権はまずサンフランシスコ講和条約の破棄と、極東国際軍事法廷の無効を宣言すべきだ。

外交問題としての靖国神社の問題は、単純にただこれだけしかない。

日本国内の一宗教法人の信仰や思想を諸外国の政府が云々すべきことではないし、日本政府にも弾圧する権限がないからだ。だからって公人が支持していいものではないのは言うまでもなく、思想的におかしい以上は公然と批判はするべきだ。この二つの別次元の問題を恣意的に混同して「心の問題」「私的参拝」などと言っているのがおかしい。

極東国際軍事法廷の判決を不当だと言うのなら、国としてそう言うべきだ。不当だと言えないのなら、日本という国家の公職にある以上は靖国神社に行ってはならない。

どうしても個人的な「心の問題」、私的な「思い」で行くのなら、メディアにわざわざ参拝の予定を伝えて取材を期待するなんてもっての他だ。こっそり個人で行けばいいし、記帳はしても神社側に絶対に公表はしないようお願いすればいい。

講和条約の破棄と極東国際軍事法廷の無効を明言する度胸もないのに靖国神社に行きたい、その正当化の理屈として東京裁判は勝者が敗者を裁いたのだから不公平だ、と言い張るのは本末転倒だ。

勝者が敗者を裁くのは不公平だと主張するのなら、国の公式な立場である以上は意見が合いそうな学者の発言をどれだけ引っぱって来ようが意味がない。不公平だと言うのなら公式に東京裁判の無効を宣言しサンフランシスコ講和条約破棄すべきだし、それが出来ないのならそんな発言をする権利などない。

あの人たちは国家の矜持と責任というものをなんと心得ているのだろうか?恥知らずな冒涜も甚だしい。

こんな単純な理屈すら誤摩化されているのが靖国神社をめぐる疑似「論争」だ。そして稲田朋美氏のような誤摩化しがまかり通るようでは、軍国主義の復活以前に日本政府はその不誠実さによって国際的信用を失うし、そんな稚拙な二枚舌を政府が用いるようでは日本国内における政治と法の制定・運用の公平性にすら疑念が生じる。つまり国家が国家でなくなる。

解決策その2)A級戦犯を靖国神社の祭神から外すしかない。そもそも祀られる資格がない

以前には、日本遺族会の会長であった自民党幹事長の古賀誠氏が、遺族会の意思を代表してA級戦犯の分祀を提案したことがあるし、そのA級戦犯のなかでも広田弘毅と東郷茂徳の遺族は文官であった彼らが靖国に祀られることに反対との意思を表明して来た。なぜ靖国神社側がこうした遺族の声に誠実に答えないのか、宗教者としてあまりに不道徳としか言いようがない。

日本人としての基本的な倫理に反することを延々とやり続けて「神社」を名乗ること自体がおこがましい。

靖国神社が外交的に問題なのは、A級戦犯が信仰対象になっている施設に国家の公人が訪問することだけだ。戦没者の慰霊や顕彰そのものについては、むろんやり方次第では諸外国の国民の反発を買い、その国々との関係を悪化させることにはなるにせよ、どんなカルト信仰でも政治家にすら信仰の自由はあり、靖国神社は一宗教法人でしかない。そんなカルト野郎は信用できないと思う国民が落選させるしかなく、まして他国政府が直接云々できることではない。

一方で、靖国神社が戦死者の慰霊施設である以上は一定の配慮が必要なのも現実だ。

そこに祀られた戦死者が「靖国で会おう」を信じて死んだことを、個人差はいくらでもありこそすれど、一般論として否定はできない以上、それが現代から見れば誤った思想であっても、遺族や戦場を共にした者達の、その死者を慰霊できる場所はここしかない、という信仰を踏みにじることまではできない。

だが現代の政治問題としての靖国神社の問題は、そもそも肝心の戦死者の慰霊が完全に蚊帳の外に置かれている時点で、国内的にも(とくに他ならぬ戦死者と遺族や兵隊仲間にとって)恐ろしく不誠実な状態が恒常化していることだ。

そもそも、A級戦犯には靖国神社に祀られる資格がない。国家のために戦死した人たちではないし、東京裁判の判決の遵守を誓約しているサンフランシスコ講和条約を遵守すr国家としての日本の公的な立場である以上は、「戦争でなくとも国にために死んだ」とすら国とその職務にある公人の立場にある限りは絶対に言えない。

それに、むしろ靖国神社に祀られた圧倒多数の戦死者たちにとってみれば、彼らがそこで自分たちと一緒に祀られていること自体がおかしい。

どんなに甘く見ても、A級戦犯は失敗する作戦を立ててその兵士達に死を覚悟した任務を命令した側であり、特攻や玉砕があった旧日本軍の場合は、はっきりと「死ね」と命じてすらいる。

しかも、こと対米開戦の経緯や、戦争が1945年8月まで長引いた理由を歴史的に検証するなら、ひたすら彼らの無能と保身と責任感のなさでなし崩し的に開戦になだれ込み、負けている戦争の責任を取りたくないばかりに無駄に戦死者を増やしたのも彼らなら、具体的な個々の作戦でも指揮官としての無能さばかりが際立つ。

そもそも、負けて自軍の兵士に膨大な犠牲を出すような作戦を強行しただけでも指揮官として無能なだけでなく、無責任極まりない。

遺族や生き残った元兵士、そして戦死した人々にしてみれば「誰のせいで死んだ(しかも犬死に)と思っているんだ?」と言うのが偽らざる本音だ。

解決策その3)「分祀できない」とする靖国神社や神社本庁の言い訳はまったくの虚偽なので撤回せよ

そもそも神道という宗教には、理論化され意識化できる教義がない。

日本に固有の民族宗教である以上、その教義は日本人という民族が伝統的・歴史的に積み重ねて来た倫理観の総体に勝るものはなにもないはずだ。なのになぜ靖国神社側が遺族の思いを踏みにじり、自分たちが祀っているはずの死者達に思いを馳せることなく、御都合主義のゴリ押しに終始できるのかは理解に苦しむ。

その御都合主義とは、いったん合祀されたものは分祀できない、という主張だが、まずそんな「教義」は神道にはない(というか神道には教義がないのだから、参照になるのは日本人の「常識」だけだ)。

靖国側は複数の火がひとつの火になったら、後から分けても同じ火だから、一部の神だけ取り除くことは出来ないと言い張るが、靖国にはちゃんと祭神名簿があり、その人数分がそのまま○○柱の祭神としてカウントされている。

つまり複数の祭神が個々の戦死者として特定されているのが靖国神社であって、神社の数の上でまったく「ひとつの火」になぞなっていないし、そんな風習は日本のカミ信仰にそもそもない。あくまで別々の神がひとつの神社に合祀されているのは日本の多くの神社がそうなっているし、その祭神のうち一柱なり二柱なりをその神社から取り除くことは神道ではまったく可能なはずだ。

現に歴史的にその先例は探せば全国津々浦々の社伝でいくらでも見つかるはずだが、有名どころにたとえば神田明神がある。

神田明神 楼門

ここの祭神は公式の社伝によれば出雲の大己貴命(オオナムチノミコト、大国主【オオクニヌシ】大神)と少彦名命(スクナビコナノミコト)を祀る神社として7世紀に遡る起源とされているるが、14世紀以降は平将門が合祀され、江戸時代にはこの三柱が「江戸総鎮守」として信仰を集めて来た。

大国主大神は神仏習合で仏教の大黒天と、少彦名命は同じく恵比寿天と同一視され、神田明神の祭神はながらく「だいこくさま」「えびすさま」、そして「まさかどさま」だった。

この「まさかどさま」が、明治維新で江戸が東京になり天皇中心主義国家の首都となると、えらく都合の悪いことになる。なにしろ平将門は平安時代に朝廷に叛旗を掲げ、関東に独立王国を打ち立てようとして滅ぼされた英雄であり謀反人だ。

その将門が怪談めいた伝説(「かんだ」の語源は一説には首を切られた将門の「からだ」で、首なしの遺体が歩いて力つきて倒れた場所が最初の境内だったとも言われ、また平安京に運ばれた首が飛んで戻って来た首塚が江戸城大手門そばにある)も含めて祭神だからこそ、江戸総鎮守となったのが神田明神だ。

平将門首塚 東京・大手町

大己貴命と少彦名命は元々出雲の神で、この二柱だけなら出雲大社の分社でしかなく、江戸の地元の神として総鎮守たりえるのは「まさかどさま」のはずだ。で、明治維新以降昭和のあいだまではずっと、「まさかどさま」は神田明神の祭神ではないことになった。

分祀どころか、神ではないとされて来た平将門は、平成に入ってやっと神田明神に戻っている。

東京(江戸)でいちばん有名な神社がそういう歴史を持っているのに、靖国神社や神社本庁はなにを偽りを主張しているのだろう?

どうしてもA級戦犯を崇拝したいのなら、はっきりそう言えば良い。

靖国神社や神社本庁の幹部たちや、自民党の右派の政治家達とその支持者にとって、肝心なのは戦死者ではなくA級戦犯であるのなら、戦死者やその遺族をダシに使うのは止めるべきだ。

こんな不誠実な二枚舌は、日本のあらゆる伝統的な価値観・倫理観に照らし合わせたところで不正直、「嘘つきは泥棒の始まり」にしかならない。

解決策その4)靖国神社をちゃんとした普通の日本の神社に戻す(慰霊なら仏教の役目)

予め言っておくと、これは精確に歴史を踏まえる限り自己矛盾だ。靖国神社はその成り立ちからして、最初からまったく日本のいわゆる神社信仰、カミ信仰の場ではない。

戦死者の慰霊鎮撫なら、伝統的にその役割は仏教の「菩提を弔う」であって、ただ戦死者を祀る役割を神社が担ったことは、たぶんに西洋かぶれな明治政府が西洋の無名戦死の墓もどきを、たぶんに西洋のキリスト教の王権神授説に倣った新興宗教でしかなかった「国家神道」の枠組みででっち上げようと考えて、東京招魂社を始めた以前には、まったく類例がない。

古来、神社に祀られるのはまず「やおよろず」の自然神だった。

大神神社 拝殿 寛文4年(1664)徳川四代将軍家綱寄進
拝殿だけがある神社でご神体は背後の三輪山
広島県 宮島 厳島神社 島自体が神格化されている

日本はアニミズムの大地だ。古代に統一王権が成立すると、教義の理論もない自然神崇拝だけでは中華帝国を中心とする東アジア文化圏のなかであまりに浮いた存在になってしまうので、仏教と儒教を導入した後も、今度はその仏教がアニミズム化して、仏教の教義化された理論に基づきカミ信仰も仏教の信仰に取り込まれて行った。

琵琶湖に浮かぶ神の島である竹生島 祀られているのは仏教の弁財天
弁財天坐像 鎌倉時代13世紀
弁財天はインド起源の仏教の神 頭上には日本古来の水の神である宇賀神
江戸時代の上野・不忍池弁財天には鳥居があったが
明治の神仏分離令をうけて撤去されている

たとえば出雲の地元神だった大己貴命ないし大国主大神が、元を辿ればインドのシヴァ神のひとつの化身である大黒天と、次第に同一視されるようになる、といった具合だ。

シヴァ神の化身である大黒は本来なら軍神で、それだけなら神田明神で江戸総鎮守にも十分になれそうだが、中世に大国主=大黒が完全に定着した時点で、日本における大黒信仰は豊穣と商売の神に変容している。

快兼 大黒天立像 南北朝時代 貞和3(1347)年
軍神だった大黒が豊穣の神に変容する時期の作例と考えられている

大国主は古事記の「国譲り」の神話にあるように、自らの国を大和朝廷の先祖である高天原の神々に明け渡した神であり、因幡の白うさぎの神話にあるようにむしろやさしい神様で、およそ総鎮守にはなりそうにない。少彦名命=恵比寿ないし夷、戎神も同様で、だから「まさかどさま」が排除された明治以降、神田明神は商売の神様になっていた。

あるいは、古来からの自然神や地元の土地の神以外で、人間が神社で信仰対象になった例も確かにある。キリスト教文化圏の西洋人には「ただの人間が日本ではカミになるのか」と驚かれたりもするが、これは大きな誤解だ。

日本で神社で信仰対象になった元は人間は、元々人間であった頃から「ただの人間」ではなかった。

神田明神の第三の祭神が平将門であるのは、将門が公然と朝廷に叛旗を翻し、関東に独立国を打ち立てて自らその天皇を名乗ろうとした途方もないスケールの大きさがあったからであり、また京都に運ばれたその首が大声を発して関東に飛んで行った(今も江戸城大手門のそばに首塚があり、心霊写真の有名スポット)という人間離れまでした伝説まである。

菅原道真が天神になったのはまず生前の道真が途方もない秀才で、しかも左遷されて憤死して化けて出る(御所に雷になって落ちて多数の宮廷人を殺した)ほどの気性の激しさがあったからだ。

北野天神縁起絵巻 鎌倉時代13世紀 雷になって藤原時平を殺す道真

有り体に言えばほっておくとたたりが怖いから神様として崇め奉っておとなしくしてもらうためだった。

大阪天満宮

安倍晴明が晴明神社で神格化されているのは、平安朝の大陰陽師は自然との交信能力がある今風にいえば超能力者だったからで、「葛の葉」伝説の伝承によれば、母は狐の化身である。

晴明神社 京都市一条戻橋

このように、神社で人間が神格化されると言っても、それは「ただの人間」ではなく、元々生前から「カミ」というか普通の人間からかけ離れた存在だったから神になるのが日本の伝統信仰だ。

豊臣秀吉や徳川家康が、豊国神社や東照宮で神格化されたのも、常人離れした偉業を成し遂げた天才とみなされるからだ。

上野東照宮 慶安4(1651)年
豊国神社唐門 旧 南禅寺金地院唐門 寛永4(1627)年

四谷のお岩稲荷は一応は稲荷神社で正式の祭神は稲荷の神だが、「四谷怪談」のお岩さんが恨みの強さで祟ったから神格化されている。

大阪の曾根崎天神(正式には露天神社)が通称「お初天神」なのは、近松門左衛門の「曾根崎心中」に劇化もされた、世間の常識を完全に打ち破って純愛に命を捧げた恋人どうしだから(つまり普通の人間にはあんな恋愛ができないから)神格化されている。

招魂社も靖国神社も、まったくこの歴史的・伝統的な神格化の条件には合わない。

というより、明治以降の徴兵制というシステムでは圧倒多数が一般兵卒の戦死者のはずだ。もともと「ただの人」が兵士になり戦死者になるのが徴兵制の肝心なところであり、ほとんどがただの一般兵卒として死んでいるのが近代の戦争で、その名もなき庶民の、普通の戦死者だからこそ、靖国であるとか無名戦死の墓で慰霊し顕彰する意味があるはずだ。

とはいえ、それでもあえて靖国神社は普通の神社になるべきだと言ってしまえるのは、日本のカミ信仰、神道の伝統が、そこまで過去の厳密な「伝統」にこだわるものでないことも、そもそもの本質の一部だからだ。

元はシヴァ神の大黒天がなぜか因幡の白うさぎと国譲りのやさしい大国主大神と同一視されると商売の神になり、その本体の大国主の出雲大社はいつのまにか「縁結びの神様」になっている(これは比較的新しい信仰で、江戸時代か明治以降だ)。

伊勢神宮は天皇家の祖先神のはずなのにその天皇制の絶頂期だった平安時代などは見向きもされず、それも当然で京都中心ならド田舎だった伊勢(平安朝で「伊勢」と言えば「伊勢物語」だが、要するにへんぴな田舎に追いやられた業平のことだ)が、江戸時代になると江戸と畿内のあいだになるので大人気の観光地になり、この人気があったからこそ明治以降は「国家神道」に取り込まれてその中心の神に祀り上げられているものだ。

キツネは元はネズミを食べるので稲の俵を守ると考えられ、それで農耕神である稲荷の眷属となったのが、いつのまにか「お稲荷様=キツネ」になっている。

だから元々は、およそ日本らしからぬ中国道徳の儒教コテコテで始まった靖国神社が、当の中国人もズッコケそうな「忠君愛国」を今もなお後生大事に奉じ続けるべき理由も、日本の本来のカミ信仰の伝統から言えば、まったくないのだ。

確かに儒教も古代に日本に輸入され、こと江戸時代には朱子学が幕府の公式学問になったとはいえ、いつのまにか日本化されていて、その日本的な儒教は中国的な「易姓革命」を理念・理想化するものでも、「忠君愛国」を理想として強いるものでもなくなっていた。

日本で重視された儒教の概念はむしろ「徳治」、下にあるものが上にあるものや国家に忠誠を尽くすヒエラルキーの正当化よりも、上にあるものが下にあるものに自然に尊敬されるだけの「徳」を持つことこそが肝要とされて来た。

天皇位にある者と言えどもその「徳」がなければ譲位すべき、と自らを厳しく律するのが日本的な儒教であり、将軍家や大名もより厳しくこの原理に従ったのが江戸時代だった。

元を辿れば、国家主義的な色彩で中国的な「忠君愛国」を強要しようとした「国家神道」ですら、そのなかで最も重視された天皇は、結局のところもっとも日本的解釈の儒教道徳を表す諡号を死後付与された「仁徳」帝、民が貧しいうちは自らも豊かさを拒んだことで「仁」と「徳」を実践したという伝説がある天皇だ。

大阪府堺市 百舌古墳群 大山古墳(伝 仁徳天皇陵)

靖国神社にA級戦犯が、その彼らによって玉砕や特攻や戦病死や餓死を強要された一般の戦死者とともに祀られているのは、明らかにこの「仁」と「徳」を重んずる国の歴史と伝統に反するし、現代の政治家たちが靖国参拝を自分の売名行為に利用しながら、大臣になったらあからさまな誤摩化しで批判を避けるために海外出張してしまうなんていう情けない姑息なあり様もまた、およそ「仁」も「徳」もかけらも感じさせないし、彼らが自分たちのエゴのために国の外交を停滞させ近隣諸国と対立を深めることも、およそ「徳」のない為政者のなせる業としか言いようがない。

こんな仁も徳もないあり様が「神道」などというのは、日本のカミガミとそれを信仰して来た日本人の歴史に対する冒涜であろう。

ではいかに、ここまで歪んだ靖国神社を、普通に日本的なカミ信仰、普通の神社に「戻せる」(ないし「変えられる」)のか?

解決策その5)靖国神社の実際の最大の役割は花見の名所、と正しく認識する

ひとつの契機はすでに靖国の境内そのものと、現代の日本人の生活に組み込まれている。

ほとんどの日本人とまでは言わずとも、東京の住人にとって靖国神社に生活上の意味があるのは、ソメイヨシノの東京での開花の基準木がここの境内にあるからだ。

神社は日本人にとって古代からのアニミズム信仰の継承の場であるからこそ、自然の声を聴き季節の移り変わりを意識する場であるのが本質である。

たとえば明治神宮は創建百年を経て、今やその見事な人工の自然林こそがその最大の神聖さとなっている。祭神が明治天皇とその皇后であることなど、もはや参拝する人は誰も意識しない。あの森こそが、神宮のカミなのだ。

明治神宮 北参道

そして靖国神社もまた、その思想的な役割とは別に、花見の名所としての神社本来の機能はたしかに立派に果たすようになった。

解決策その6)靖国に祀られた戦死者がどんな死に方をしたのかを忘れない

もうひとつの契機は、先の大戦の陰惨過ぎる結果であり、今の靖国神社の祭神の圧倒多数が、このどうしようもなく愚かしい負け戦の犠牲者であることだ。

戦後の靖国神社は、戦前までのようにただ「国のために命を捧げた普通の(徴兵された)人々」の場所では、もはやなくなっている。「こんなことやっていて、戦争に勝てるのか?」と多くの将兵が実は思いながらも、誰も不満を口に出せないまま死んで行ったのが、今そこに祀られている圧倒多数なのだ。

藤田嗣治 アッツ島玉砕 昭和18年

その無惨な死(ほとんどが犬死に)に至る過程では、良心を押し殺して朝鮮人の少女の慰安婦を、「かわいそうだ」と言うだけで周囲に袋だたきにされそうなのが怖いばかりに乱暴に犯し、自分たちの食べ物にすらロクに気を遣わない上層部の「自弁調達」なる理不尽な命令に逆らえないばかりに、自分が故郷に帰ればさして変わらぬ立場の中国や東南アジアの農民たちから食糧を奪い、その過程の興奮状態で強姦や虐殺まで繰り返させられ、その略奪もできなければ餓死や戦病死が待っていた。

藤田嗣治 決戦ガダルカナル 昭和18年

正気なら絶対にできない人肉食も、やらざるを得なかった。

特攻なんて命じられるようでは、こんな戦争は勝てないのではないか、という当たり前の疑問すら押し殺すしかなく、「志願」することを強要もされた。

サイパン島や沖縄戦ではついに、自分たちが守るはずだった同じ日本人の女子供まで手にかけさせられた。

藤田嗣治 サイパン島同胞臣節をまっとうす 昭和20年

硫黄島では地下壕に籠って最期まで抵抗しろなどと無茶な命令を受けて、「生きて虜囚の辱めを」と洗脳される一方で、降伏して捕虜になれば生命と身体の安全が保証されることも教わらないまま、その地下道の中で手榴弾で自爆して無惨なバラバラ遺体になって死んで行った。

藤田嗣治 アッツ島玉砕 昭和18年(部分)

こんな死に方を、それも「A級戦犯」の無能と無責任と保身のために強要され、化けて出て来るなという方に無理がある。雷にでも台風にでもゴジラにでもなって国会議事堂や首相官邸をぶっ壊したって足らないくらいだ。

解決策その7)当のA級戦犯の身になって考えてみれば、靖国にいること自体がいたたまれないはずだと気づくべき

日本で人間がカミになるのは、普通の人間、ただの人ではない、人間から逸脱し人間を超越するなにかに達してしまった存在だ。ならば先の大戦の死者達は、その戦場での人間離れした陰惨な体験と、およそ尋常な人間では考えられない無惨極まりない死によって、立派にカミになる資格があり、現代の日本人にはその荒らぶるカミを畏れる道徳的な義務がある。

およそ「英霊に哀悼の誠を」云々なんてきれいごとでは済まないし、そのおかげで今の平和があるなんて木で鼻をくくったような偽善を言っている場合ではない。

そしてもちろん、終戦時に自決する覚悟すらなく、あるいは自決し損ねるほどに間が抜けていて、ちゃんと裁判を受けて自分の言い分も言えて、そして己のあまりにもの罪深さ(国民の生命に責任を負う政治家や兵士の命に責任を負う上官にとっては、無能無責任であることそれ自体が、あまりにも大きな罪だ)の罰を受けて処刑されただけのA級戦犯に、そんなカミになる資格はない。過去の日本人が信じて来た仏教の六道輪廻に従えば、修羅道に生まれ変わることすら許されない。餓鬼道にでも落ちぶれたくなければ前非を悔いて無心に阿弥陀様にすがる他はない。

恐らく当のA級戦犯であった人たちほど、このことを自覚していた人たちはいまい。だから彼らを靖国神社に祀り続けることは、彼ら自身への冒涜でもある。


7/07/2016

バングラデシュの「外国人」人質立てこもりテロ事件はなぜ起きたのか


「なぜ日本人が襲われたのだ?」と憤りに震えて問うのは、容易い。だがその問いに答えるのはもっと簡単だ。

外国人と、ごくごく一部のもの凄い金持ちのバングラデシュ人しかいないダッカ市内最高級住宅地の、自国では普通の収入でもバングラデシュ人の圧倒多数と較べれば「もの凄い金持ち」になってしまう外国人が相手の、先進国なら普通やや高めの値段でも、バングラデシュ人にとってはべらぼうに高いレストランだ。


そのバングラデシュは近年経済成長が目覚ましいとされるが、裏を返せば貧しいから安価な労働力を狙って外資が入り込んで来ているからこその成長でもある。

なのにこのレストランでテロ事件に遭うことを「Why?」と問うのは、あえて冷酷な現実を言ってしまえば、むしろ「Why not?」じゃないか、と気づかない方がおかしい。

現代の日本人が全般的にもの凄く苦手なのは、多様な視点を持つこと、異なった立場から多角的に物事を考えることだ。 
多様性の尊重などは本来の意味を失ない、他者に「多様性を認めろ」と迫る、つまりは他者の立場や価値観を無視して自分の感情や見方が認めて欲しいという以上の意味を持ち得なくなっているのが、今の日本の根深い病理だとも言える。 
「みんなの意見」を聞くことは、「みんな」が自分と一緒であることを再確認する作業に過ぎず、こと相手が日本に対するバングラデシュがそうであるように、より弱い立場である時には無神経なまでの傲慢さで「自分」と一緒である「みんなの意見」を強引に当てはめるか、無自覚に賛同しろと押し付けてしまう。 
自分のたかが半径5m程度の「みんな」以上の客観性は持てない、その周囲の顔色や、そこから嫌われるかどうかの恐怖が、善悪の判断基準にすらなってしまう国で、国際的なテロリズムの潮流にどう向き合えるのか、あまりに心もとない。

7人の日本人が犠牲になったことを「バングラデシュに尽くそうとした志半ばで」と形容するメディアの姿勢には、被害者に安易に集団同化することで日本人全般の自己正当化を担保しようとする自己満足の欲望があまりに露骨だ。裏返せば自分たちが憎悪の暴力を向けられてもやむを得ない立場になってしまっている現実を、どうしても認めたくないだけなのかも知れない。

犠牲者・被害者となると途端にそこに同化することが「絶対正義」になり、「志半ばで」亡くなった「発展途上国に尽くす誠実な人たち」への同情を強いるように、その被害者がFacebookなどに、(はっきり言えば、誰に見られても当たり障りのないきれいごととして)書いていたであろうことや、知り合いの証言ばかりがメディアにあふれている。

そんな被害者の「志半ば」を讃えることが、しかも無節操かつほとんど自動的に「日本は最大の援助国だからバングラデシュは親日でなければならない」という集団性の自己満足に横滑りしてしまっている。「善意の被害者」への自己同化による自己正当化の裏では、自分たちはこの事件が起こるまでバングラデシュなんてどこにあるのかすら知らなかった、なんの関心もなかったことはきれいに忘れ去られているし、ついこないだまで自分たちが日本政府の発展途上国への援助を「日本人の税金なのに外国に使うのは許せない」とか批判したつもりになっていたことなど、一顧だにされない。

念のため確認しておくと、今回犠牲になった7人はいずれもJICAの事業の下請けとして現地に行っていた民間人で、こんな事件さえなければ「日本人の税金を外国で使っている」として無理解にさらされ怨嗟の的にされ、その「志」が右派勢力に揶揄されて来た人たちでもある。

日本政府の対応はさらにひどい。テロ事件を国内の参議院選挙向けのパフォーマンスに利用する、それに役立つテレビの画を撮らせることくらいしか、考えていない。

まず日本人が人質になった立てこもり事件が起こっている最中だというのに、首相も官房長官も参院選の遊説を最優先し、突入作戦が始まる連絡がバングラデシュ政府から入ったとき、官邸ではどちらもが留守だった。危機感や政府としての責任感がえらく欠如した話だが、それ以上に人質が殺されたと分かった後の動きがひどい。どうせなら人質事件が進行中ならまだ分かるが、後になって国家安全保障会議の閣僚会合を開いたところで、いったいなにを決めるのか? ところがここで決めたことと言ったら、普通ならわざわざ官邸が指示するまでもない当然の手続きとして、外務省が速やかかつ粛々と航空便を手配して遺族を現地に向かわせ、現地大使館に万全のケアを指示し、メディアにあまり注目されないようにするのが当然の手続きなのを、これ見よがしな大げささでわざわざ政府専用機を仕立て「被害者に寄り添う」パフォーマンスに熱中し、しかも事務方の仕事なのに外務副大臣にわざわざ遺族を先導させることになった。

昨年のイスラム国人質事件ならば、まだ現地で人質解放交渉の指揮を執らせる副大臣の派遣は分からないではない(もっとも、当時の中山副大臣は身代金交渉の絶対守秘すらロクに維持できず、日々大使館前で記者に囲まれてぶら下がり会見をやるのが主な任務で国内向けアピールで情報垂れ流しという、どうしようもない無能っぷりを晒しただけだった)。だが今回は副大臣を派遣する時点ですでに終わった事件であり、捜査はバングラデシュ政府の管轄だ。遺族への遺体の引き渡しをサポートしてバングラデシュ政府の説明を聞くだけの仕事に政治家が立ち会う必要もないし、そもそも外交プロトコルが不得手な政治家がやる仕事でもない。

だがなによりも酷かったのは、その外務副大臣との会談を、わざわざバングラデシュ首相にゴリ押ししたことだ。

たとえ最大の援助国で裏では日本の言いなりにならざるを得なくとも、バングラデシュは建前だけでも対等な独立国であり、外務大臣や全権大使ならともかく、たかが外務副大臣では外交プロトコル上あまりにも釣り合いがとれない。それでも日本がバングラデシュにとって最大の援助国で最大の投資国のひとつで、この事件を機に日本人や日本企業に引き上げられては困るバングラデシュ政府の足下を見た、あさましくも傲慢なやり方がひどい。

しかもその会談の目的といえば、日本国内で「政権はこんなに頑張っている」と報道させるためのパフォーマンス以上の意味はなく、しかも木原誠司副大臣はその会談で、わざわざ日本がバングラデシュにとって最大の援助国であることを念押ししたという。

あまりにもあさましい傲慢さだ。しかもなんの意味もない。

突入作戦の前なら、人命がかかっていることでもあり、非常時に治安維持と「敵」の掃討を最優先しがちな国軍の行動を抑制させる圧力をかけるのは分からないでもない(ただしあくまで極秘裏にやらねばならない)。だが安倍首相はバングラデシュ首相との電話会談で、就任直後のアルジェリアでの人質事件のときと同様にむしろ「テロと断固戦う」を主張することで、人質の犠牲を厭わない突入作戦にお墨付きを与えていた。その突入作戦による掃討鎮圧の事後で、すでに被害者の死亡も確認されている時にこんな態度に出るのは、ただ援助国が宗主国気取りで無理難題を押し付けて威張り散らしているだけだ。

政府専用機を飛ばすだけでも、相手国の弱みに付け込んで特別扱いを要求する圧力に見えかねないのだ。日本政府がこんな態度を続けてしまっていては、外国で日本人が憎悪と怨嗟に晒されるのは「Why not?」になってしまうのは時間の問題だ。

日本人が7人も犠牲になったのは我が国にとって痛ましい事態であるし、その犠牲者たち個々人の善意を疑うわけではないが、JICAの協力事業は別にただの人道援助ではない。援助計画で立案されたインフラの整備事業の受注を日本企業が独占する利権や、さらには日本企業の進出条件を有利にするなど、見返りも含めてやっていることだ。少なくともその二面性があることを、我々のはなぜこうも都合よく無視してしまいがちで、我々の政府の傲慢な振る舞いに無批判なままになれるのだろう?

「日本が最大の援助国」ということは、バングラデシュを食い物にして搾取している、いわば外国人支配層(バングラデシュ一般国民から見れば、政府は自分たち国民よりもその外国人の利害を代表している)のなかでも最大勢力であることも、意味しかねないのだ。

「バングラデシュは親日国」を喧伝するために、その国旗が日の丸に似ていることまでメディアで取り上げられた。確かに日本向けのリップサービスにせよ、そういう説はあるのだが、別に最大の援助国の日本に感謝するのだか、属国気取りではない。人口過多で大きな近代産業がなく、隣には核武装もしていて敵対関係にある大国のインドもあるバングラデシュで、日本の戦後平和主義と、資源もなく狭い国土でも工業国として大成したことに憧れ、日本をお手本にしようとした、という話なのだ。「最大の援助国だ」などという無神経な恩着せがましさの誤解は、いいかげんにするべきだ。

だいたい、亡くなった7人と重傷の1人の、この事件の被害者となった日本人の個々人はまじめで善良な人たちで、バングラデシュの発展に尽くそうともしていたことに間違いはないとしても、それでもあくまで、その個々の人たちの美徳でしかない。

日本政府の仕事はその人々や家族のサポートであって、彼らが援助事業に携わっていたのをいいわけにバングラデシュ相手に恩着せがましく威張ることではない。

それに実際にやったこととその結果の是非をとりあえず置いておき、動機と志だけを見るのならば、氏名や顔写真も含めて公表されて20代前後と分かっている5人の実行犯(ちなみに当局発表で当初7人とされた実行犯のうち1人は人質になっていたレストラン従業員が誤って軍に殺されたと判明し、もう1人は拘束されているが詳細は分からない)もまた、同じように純粋でまじめな若者たちだった。

まず「卑劣なテロは許せない」とは、日本人から見ればそう断言するのは容易いように思えるが、そもそも命がけの(自殺覚悟の)武装闘争は「卑劣」ならできるはずがない自己犠牲だ。

安倍首相が絶叫して糾弾するように「テロリストを忖度」をするまでもなく、バングラデシュ人の立場からその本音の、決して口にはされない深層心理を「忖度」するだけでも、物事はまったく異なって見えてくる。

なるほど、日本の報道陣に応えるバングラデシュ人は「こんなことをするのはイスラム教徒ではない」「許せない」「日本には感謝しているのに」と口々に言っている。

だがそれは「最大の援助国」であり、もっと言えば最大の投資国つまりバングラデシュ経済の生殺与奪権を握る日本の、視聴者や読者を意識して言っていることだ。日本に嫌われて投資や援助(これも実態は投資の一種だ)を打ち切られでもすれば、世界でもっとも人口密度が高くしかも自立した産業を持たないバングラデシュの経済は、餓死にまで追いつめられかねない。

だからこそ外国人の振る舞いがいかに傲慢で無神経で、露骨に人種差別的でさえあっても怒りは口にできない、外国人に不満を言ってはならないのが、ほとんどのバングラデシュ人に刷り込まれた立場だ。

自分たちの政府が自分たち国民ではなく外国人の利害を代弁する組織として機能し、むしろ外国の利害のために自分たち国民を弾圧するのが分かっていても、そんな政府にこそ選挙では投票してしまうし、そうせざるを得ない。バングラデシュの現状はそんな国であり、単に貧困や格差だけでなく、その貧困や格差を生んでいる歴史や現代世界の構造が、この事件の背景動機としてある。

今回の実行犯の、主犯とみなされる5人の若者のうち3人は裕福な出身で、与党幹部の御曹司や、外資系通信会社幹部の息子もいたのだが、そうなると途端に「貧困が動機ではない」と安易な結論に飛びつくメディアが多いのはなぜなのだろう? まるで日本と較べるとバングラデシュがとんでもなく貧しい国であるという不公平に、なるべく触れまいとしているかのようだ。

イスラム国系の通信社が発表した実行犯5人

そんな報道番組やワイドショーに招かれたいわゆる専門家が、イスラミズム過激派運動の指導者はエリート層の出身が多いこと(まずオサマ・ビン・ラディンからしてサウジアラビア屈指の大富豪で巨大建設グループ創始者一族の出身)、過激主義に共感して運動に身を投じるのも、むしろ金持ちの子弟や海外で学んだり育った者が最初から多かったことまでは指摘するのだが、残念ながらそれ以上には踏み込まないので、むしろ貧困や格差、人種差別がこうした過激主義にまったく関係ないかのような誤解が広まってしまっている。

だが歴史的な社会構造を見れば、元々が英国植民地時代の恣意的な民族・宗教分断支配の政策に端を発し、その旧宗主国の都合による人心操作にインドの独立運動が抗しきれなかった結果産まれたのが、インドの東西にあるパキスタン、バングラデシュというイスラム教徒の国だ。

ことバングラデシュは狭い国土に今では1億6000万にまでなった膨大な人口が押し込められ、ながらく極度の貧困に苦しみ、貧しいからこその安価な労働力を狙った外資製造業が大きな力を持つ国になっている。そんな国のなかで特権的に裕福な階級に生まれ育った若者たちであれば、お坊ちゃん育ちで純粋でまじめであればあるほど、自分の恵まれた環境がいわば祖国の人たちを裏切り続ける不公正の上に成り立っていて、真の支配者である外国人(かつ異教徒)に寄生することで保証されている現実に、気づいてしまう可能性も高い。

たとえば、実行犯で最年少の18歳の少年はバングラデシュ人の平均収入ではとても授業料が払えないような英語教育のインターナショナル・スクールの中学高校に通っていた。

18歳だったミール・サメー・モバシール容疑者(ISに参加前)
歳上の実行犯にはバングラデシュと較べれば遥かに経済先進国になるマレーシアの大学に留学していた者もいるし、ダッカの大学でも教育のかなりの部分は英語だ。

バングラデシュに進出した日本企業の人たちは、テレビに識者として招かれるとこの国を褒めるつもりで英語ができて優秀な労働者が多い、と語る。そこに他意はないのだろうが、まったく無意識かつ無自覚な無神経さがあることは指摘せざるを得ない。この無邪気な褒め言葉のつもりは、バングラデシュ人から見れば自分の国で自分の言葉を使っていてはまともな仕事が得られない、社会の経済構造からこぼれ落ちて貧困層にとどまってしまう現実も、また意味している。

イスラミズム過激主義はなぜ生まれ、なぜこうも急成長を見せているのか?

たとえばイスラム国の場合なら、そのブレーンに入り込んでいるのは元は非宗教民族主義運動であった旧イラクのバース党の残党だ。つまりサダム・フセイン政権だろう、ならば暴虐な「悪」だろう、と断言するのもまたあさはかで、バース運動はもともと特に英国と戦後はアメリカ(と、その援助を受けたイスラエル)による中近東アラブ人への抑圧支配に対抗する、反植民地主義の革命思想だった。

バース党運動の系譜にあるからこそ、現代でもイスラム国のもっとも中核的な主張のひとつは、イラクをイギリス、シリアをフランスが勢力圏に置き続けるよう第一次大戦中に交わされた密約であるサイクス=ピコ秘密協約の打倒であり(つまりイラクとシリアの統一)、イスラミズム過激主義が急速に成長した背景には、アラブ諸国の政治体制が自国民よりも旧宗主国先進国の利害を代弁するような半植民地政権の独裁ばかりであり続けた現実がある。だからこそアラブの春のような民主化運動が起こり、それが結局は西洋先進諸国の利害から弾圧され潰された結果(たとえば今のエジプトの軍事政権はアメリカの援助を受けている)、さらに熱を帯びた過激主義の波がアラブ=イスラム諸国を中心に吹き荒れている。

同じような半植民地的な政治体制が、グローバリズム経済に急速に取り込まれつつあるバングラデシュや、あるいはマレーシアのような東南アジアのイスラム教国にもある。

つまりテロの背景は宗教的な理由よりも、根本にあるのは政治経済上の世界の構造的な問題だ。

現代の世界の覇権構造が19世紀の植民地主義の延長上にあり、(日本も含めて)旧植民地宗主国が相変わらず「先進国」であり続け、直接政治支配の植民地こそ独立運動で淘汰されたものの、経済的な植民地主義が旧来の格差を利用して支配する側であり続けている結果として、バングラデシュのような国がある。

バングラデシュのような極度な人口集中と貧しさまでは行かずとも、中近東アラブ諸国やアフガニスタンなども同じような中途半端な独立国の歴史を歩み、パレスティナなどは独立も許されないうちから自治政府は腐敗して住民の不信を買っている(ヤセル・アラファトは西洋で人気があったが、パレスティナ人には信用されていなかった)。

そんななかで起こったのが、例えばエジプトの無血革命だったものの、結局は欧米により都合のいい軍事政権が(欧米の意向で)返り咲いてしまった。しかもエジプトの場合、復活した軍事政権の下で一時は激減した主要産業である外国人観光客や、外国が主導する考古学調査は復調もしているのだから、国民にとっても「背に腹は代えられない」とならざるを得ない。

我々が「テロ」と呼び危険視・敵視する動きの根底には、こうした現代世界のあり方そのものへの不満や怒り、いや怒り始める以前に当然の素朴な疑問が出発点にあることは、いかに先進国の側がそのことを無視しようとしても…いや、無視しようとすればするほど、その素朴な疑問がやがて不満や怒りになり、こうした過激主義運動を存続させるエネルギーにもなり続けるだろう。

イスラミズム過激派の暴力に賛成する人は多くないし(そこはたとえばかつてのパレスティナ・ゲリラが集めた支持とはまったく違う)、イスラム法支配でさえ支持者は多くなく、それが暴力的に強制されるなんて冗談じゃないと思っている人が圧倒多数だが、それでも根底にある疑問、不満、そして怒りは、決して特別なものではないし、どんなにイスラム国を嫌う人でも、その支配地域に住む人たちがロシアやアメリカの空爆で焼き殺されることを喜ぶ者もいない。イスラム国やアルカイーダの暴力の犠牲になった外国人を心から悼むからといって、その先進国の「テロとの戦い」を支持するわけでは全くない。

自分たち自身が深刻な貧困層ならば、日々の暮らしにひたすら懸命にならざるを得ないから、直接のテロの温床にはなりにくい。不満や怒りは治安を悪化させ組織犯罪も横行につながるが、反政府的な運動にはあまり至らない。

むしろそうした過酷な貧困がすぐそばにあっても自身は恵まれた環境にあって考える時間もあり、考えるための情報も得られ、しかも自身の生存のためのやむを得ぬ身勝手さに徹する必要がないだけ特権的に裕福な若者の方が、いわば「純粋なお坊ちゃん」であればあるほど、たとえば「貧しい人、発展途上国のために尽くそう」と志を立てることにもなり得るし、同じような動機からたとえば世界を変える革命運動に熱中することにもなり易いのは、イスラム文化圏に限ったことではない。1960年代の欧米や、その前の中南米がそうだった。チェ・ゲバラは裕福な医者の息子だ。

その意味では今回の事件の直接被害者の日本人と直接の実行犯は、同じような純粋な動機で、どこかで道の選択が違ってしまっただけの違いしかないかも知れないのに、その一方を「志半ば」と美化し、一方を「卑劣なテロリストを許さない」と断罪することは、それ自体が差別構造の社会的な共有と、その社会構造に自己同化を強める差別意識の内面化にしかなってないし、そんな自己欺瞞の二重基準(ダブルスタンダード)を言い募ることこそが、発展途上国の側からみれば手のつけようがない、お話にならない傲慢にもなる。それがイスラミズム過激主義と先進国側の「テロとの戦争」に見られるような負の暴力の連鎖を加速することになる。

あるいは、宗教はもちろん無関係ではないが、それはイスラームが特殊な、危険で暴力的な宗教だという意味ではまったくない。

あらゆる普遍宗教、一時のカルトではなく時代を超えて存続するまっとうな宗教なら、必ずなんらかの平等主義、神や仏や世界の真理を前にあらゆる人間には生まれながらの分け隔てがなく、人の価値はその個々人の良心にのみかかっていることを説いている。イスラームもまたまったく、そうしたまっとうな宗教であり、むしろ聖典の文書レベルに明示された哲学と、その実践としての戒律で徹底されている点では、成立した当時としては驚くほど完成度が高い、洗練された宗教でさえある。

ちなみにイスラームの聖典はコーランだけでなく、ユダヤ教の聖書とキリスト教の福音書も含まれる。

またイスラームの教義上の平等主義が徹底しているからこそ、現代の世界の構造の根源的な不公平と衝突することにもなるのだ」

9.11を発端にアメリカを中心に先進国が始めた「テロとの戦争」は、いっこうに勝てそうな気配がないまま、イラク戦争が惨憺たる結果に終わり、アラブの春が先進国のヘゲモニーには不都合だったために結局は潰されてしまった今、どんなにアメリカやロシアがイスラム国支配地域に空爆を続けようが、イスラム国本体の支配地域が狭まった程度の成果しか挙げられず、テロの方は拡大の一途をたどっている。

今回の事件は直接に日本人を狙ったとは考えにくいが、日本人もまた(先進国の、金持ちの)外国人であるだけで狙われることは避けられない。火に油を注ぐように、こと昨年早々に安倍首相が(外務省の警告を無視して)カイロで「イスラム国と敵対する国々に」と演説してしまった結果、日本人を殺すことはイスラム国に限らずイスラミズム過激派の武装闘争にとって喧伝できる大手柄になってしまっていて、今回のダッカの事件でも「バングラデシュのイスラム国」の出した犯行声明ではその安倍のカイロ発言を明らかに念頭においた言及で、日本人を殺したことが「成果」として喧伝されている。

そんななか、「卑劣なテロを許さない」と叫べば国民に「頼もしい」とみなされると思い込んでいるらしい安倍首相は、参院選の遊説で「アメリカや、国際社会と手を携えてテロと戦う」と自慢げに吹聴してしまった。

わざわざ「アメリカ」を挙げたことで、ますますイスラミズム過激主義にとっては日本人を殺すべき敵とみなす口実が補完されることなぞ、この人には想像も及ばないらしく、むしろテロ事件を追い風にはしゃいでいるようにすら見える。

遺族の気持ちを尊重すればなるべく静かに済ますべきところで政府専用機を出して外務副大臣まで派遣する「やってます」アピールのパフォーマンスのもっともグロテスクなオチは、遺体を載せた専用機が羽田についたときだった。


貨物室から取り出された遺体を滑走路わきに並べ、しばらく野ざらしになった棺の前に外務大臣やJICA理事長らが到着する。もったいぶったセレモニーは、海外で戦死した米兵の遺体が本土に送還されたときの儀礼の珍妙な猿真似だった。「発展途上国の発展に尽くした志なかば」の人たちが、いつのまにかバタ臭い「愛国の英雄」扱いになってしまったこの悪趣味は、いったい誰のアイディアだったのだろう?

勘ぐるならば、イスラム圏の国で働いている人やその家族なら、誰もが安倍のカイロでの発言に危機感は抱いていた。それまで日本は援助の実績や戦後の平和主義があり、イスラム圏を侵略支配したことが第二次大戦中のインドネシア支配以外にはほとんどなく、ムスリムをことさら差別した歴史もなかったがゆえに、先進国のなかでは狙われる理由が比較的少ない立場だった。だがイラク戦争に小泉政権が参戦し、そしてとくに安倍の「イスラム国と敵対する国々」発言以降、日本人が狙われるのは「『外国人』全般の一部としてたまたま」ではなくなってしまった。

今回のダッカの事件でも、すでにイスラム国側はその安倍の発言へのあてつけを含めた犯行声明を出しているのは先述の通りだ。通常の、遺族の心情に最大限に配慮した対応だけでは、遺族から安倍政権への疑問が出てくる可能性は十分にある。それを恐れての政府専用機を使った囲い込みや、妙に大げさに「政府の哀悼の意」を見せつけるやり方だったのではないか?

しかし皮肉というかなんというべきか…日本人が犠牲になったテロ事件は、その報道に割かれる時間や話題性の大きさで参議院選挙の報道が減っただけでも、その原因の一端に責任がある安倍政権に有利な国内状況を作り出している。しかもその安倍政権の国内向けパフォーマンスしか考えていない対応が、「親日国」であるバングラデシュ政府や、同じような立場の発展途上国の神経を逆なでする無神経で傲慢なものであったことにも批判は出ず、犯行声明が明らかに安倍のカイロ発言を念頭に置いた内容であったことすら無視されている。

まさに先進国側の、自分たちそれぞれの国内しか見ておらず、「テロとの戦争」を人気取りのために言い続けてしまう無神経な態度こそが、ますます国際テロ事件の温床になっているのだが。

もう一点、ダッカの事件では日本人が7人、イタリア人が9人殺されたことで大きな話題になっているが、立て続きにバグダッドで起きた149人が殺される自爆事件はほとんど報道されない。その前に起きたイスタンブールのアタテュルク空港の襲撃・自爆事件も、外国人観光客が訪れたり、トランジットのハブ空港機能があるので外国人利用者が多いことから、死亡者数はバグダッドの3分の1でも、「外国人」がからむだけで扱いは大きかった。

イスラームもキリスト教も仏教も、日本の民族信仰の神道ですら、宗教は人の命が平等であることを説いている。だが現実の世界では、人の命はまったく平等でも等価でもなく、ムスリムの多い国々では、自分たちよりも「外国人」の命の方が “高価” であることを嫌というほど見せつけられて来た。そんな世界では、「イスラム国のようなテロリストはごく一部で、ほとんどのムスリムは穏健派」という説明すら、実のところ先進国の都合の欺瞞でしかない。テロリズムには共鳴せずとも、イスラミズムが戦っている(たとえそのやり方がどんなに残虐に見え、また実際に道徳的・宗教的にも誤っているとしても)ところの不平等に、素朴な疑問を持たざるを得ない人々は世界でどんどん増えている。

一方で、イスラミズム過激派の方でも、外国人を殺した方が「成果」をアピールできるならその殺し方をどんどん進めるだろうし、旧来の西洋キリスト教白人国家に新たに加わった「日本」という敵の国民の命は、より「殺す価値」が高いものにすらなっている。倒錯して狂った、悪魔的な発想だが、それを作り出してしまったのは先進国であり、その「テロとの戦争」なのだ。

ラマダン(断食月)の前夜に今度はサウジアラビアで起きた自爆テロ事件は象徴的だ。死亡者数は4名という点では大きな事件ではないが、場所がメディナだったことの意味は本来ならもの凄く大きく、今後のイスラーム諸国の動向を考える上でも注目されるべき事件だ。なのにダッカの事件の方ばかりが注目されてメディナの事件は無視されがちなことで、未だに世界の覇権を握る先進国の側がいかに無知というか、そもそも自国のこと以外に関心がないことが、分かりやすすぎるほどにあからさまになってしまった。

メディナはイスラームの三大聖地のひとつ(あとの二つはメッカのカーヴァ神殿と、エルサレムの岩のドーム)で、ムハンマドが布教の中心を置き、最初のイスラム帝国の首都だったところだ。

そのメディアでイスラム国がテロを起こすとは、なにを意味するのか?

だがメディナがそもそもイスラームの歴史のなかでどんな場所で、この街がなにを意味するのかを考えもしないし知ろうともしない欧米や日本の先進国では、たった4人の、それもムスリムの死者は、無視して平然としていられるものなのだろう。

そんな状態が続けば続くほど、イスラム国やアルカイーダなど、イスラミズム過激派組織は「外国人」を殺し続けることになる。かけ声だけの「テロと断固戦う」には、実際にはなんの防ぐ手段もない。

6/10/2016

浮世絵版画の最盛期から考える、日本文化とその特殊性


安藤広重 名所江戸百景 両国花火 安政5(1858)年


「広重ビビッド」展  6月12日(日)まで サントリー美術館
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_2/
ふくやま美術館(広島県)7月16日〜9月4日  
大阪高島屋 9月28日〜10月17日 
福島県立美術館10月29日〜12月11日 
新潟市美術館 2017年3月18日〜5月21日  
北九州市立美術館分館 2017年9月16日〜10月29日  

歌川広重 東海道五十三次と富士三十六景 展
太田記念美術館(原宿)にて6月26日まで


活版印刷が日本で普及したのは開国・明治維新以降なのでつい忘れられがちだが、江戸時代の日本は世界でも有数の印刷文化大国だった。木版印刷の瓦版、書籍、それに美術版画が、一般大衆向け娯楽として大量に流通普及していたのが、江戸だった。


金属製の活字印刷自体も以前から日本にはあり、現存する最古の金属製活字は徳川家康が慶長12(1607)年に林羅山と金地院崇伝に作らせた駿河阪銅製活字だろう。家康はこれで学問書を大量に印刷させて武士たちの教養を高めようとした。 
だが日本語は漢字が多く、また日常に使う仮名混じり文はつながった文字で書くのが普通だったので、木版印刷技術の方の進化方が手近になり、金属活字はあまり普及はしなかったのだろう。 
なお安土桃山時代でさえ、イエズス会宣教師の手記などを見ても当時の日本の識字率や文化的産物の普及はかなり驚異だった。室町時代には庶民レベルで文字コミュニケーションが普及していたと考えることもできる。 
そして開国と同時に、同じ驚きが日本を訪れた西洋人のあいだに広がる。一般庶民レベルの教育・教養水準の異例の高さだ。確かに当時には「南総里見八犬伝」のような複雑難解でかなりの教養が必要とされる長大な小説が、貸本屋などを通して大流行していたのだ。


その庶民文化の華々しさを今に伝える、江戸の印刷文化のなかで現代でもなじみ深いものといえば浮世絵版画、こと明和2年(1765)年に複雑な多色刷り技術が開発されて以降大流行した「錦絵」であるのは、言うまでもない。

広重 六十余州名所図会 山城 嵐山渡月橋

今日では高価で取引され、復刻版でも職人の手作業なので決して手軽に買えるものではないが、当時は俗に「そば一杯」の値段と言われたのは極端にしても、だいたい20文前後、絵師の人気や手間のかかり方によってかなり値段に幅があったものの、一部の例外を除いて高価ではない、薄利多売の大量生産品だった…はずである。

それこそ広重が花鳥画で多用した極端に縦長の版型は、柱に貼って楽しんで、飽きたらはがして捨てるようなものだった…はずだ。少なくともそう言われて来た。

広重 薔薇に小禽

同じ版型を横に用いた北斎のこの「草詰み」は、余白に料理屋などが文字を書き込むか印刷して宣伝に配布したり、なにかの招待状に用いるためだったのではないかと言われている。

北斎 草詰み

つまり錦絵、浮世絵版画は薄利多売の大量生産消耗品だった…はずである。実際、たとえば広重の「東海道五十三次」(保永堂版)や「名所江戸百景」の作品は、1万から1万5000部を刷った大ベストセラーだった。

広重 東海道五十三次(保永堂版)三島

北斎や広重の浮世絵版画がフランス印象派の画家達に衝撃を与えたのも、高価な陶磁器は開国以前から日本の主要輸出品として王侯貴族やブルジョワに珍重されて来ていたが、輸送中に割れないよう梱包材として浮世絵版画が用いられ、画家達がそれを目にしたのだというのがよく知られた俗説だ(実際には、こと開国後となると西洋人の浮世絵コレクターも出て来て、浮世絵自体が輸出品になっているし、開国前にオランダ経由で輸出された「北斎漫画」が図書館に納められている例もある)。

6月12日まで、サントリー美術館で「広重ビビッド」展が開催されている。

またどういう題名なんだと思ってしまいそうだが、展示作品を見ると確かにVividとはうまい形容だと納得させられる。単に鮮やかなだけではなく、木版とも思えない空気感の深みや木々や岩の質感など、文字通り Vivid、生き生きと19世紀半ばの日本の風景が浮かび上がる。

六十余州名所図会 阿波 鳴門の風波

「広重ビビッド」展は日本化薬株式会社の三代目社長・原安三郎のコレクションを紹介するもので、今後は広島県のふくやま美術館、大阪高島屋、福島県立美術館などに巡回が予定されているそうだが、こと広重晩年の揃いもの風景シリーズで今回の展覧会の目玉である「六十余州名所図会」70点と「名所江戸百景」119点全作は、保存状態が極端にいいだけでなく、刷り自体のクオリティが群を抜いている。

浮世絵は木版画である。考えてみれば一枚一枚で発色や色の濃淡が変わってしまうのは避けられない。たとえば冒頭の、広重の「両国花火」は、国立国会図書館所蔵の刷りだとこんなに違って見える。

(国立国会図書館蔵 詳細の拡大はこちら

太田記念浮世絵美術館でも「東海道五十三次(保永堂版)」と広重死後の出版になった遺作の揃えもの「富士三十六景」全作を中心とする広重展が開かれていて(26日まで)、「東海道五十三次」の屈指の傑作「庄野」などは異なった刷りを現物で比較できる。

広重 東海道五十三次(保永堂版) 庄野
雨と竹林に何重にも異なった濃淡の墨の版を重ねている
同作の初刷り 竹林の二枚の版木を
同じ濃さの墨でぼかしで重ねて刷っている

浮世絵はまず出版・発表当初の「初刷り」では、版元が評判をかけて優れた摺師に凝った技法を駆使させたものを数百枚刷らせ、それが評判になると同じ版木を用いながらもより簡略な工程のものを大量に売りさばくことになる。

美術館などで展示されたり高価に取引きされているものは基本「初刷り」だ。


ちなみに大量生産の「後刷り」は「名所江戸百景」の場合1万〜1万5000枚以上刷られたとされ、今でも比較的手の届く値段で売られている場合もある他(銀座の渡邉画廊などが有名)、現代に新たに刷られた(版木自体が摩耗するので、多くの場合は現存作のコピーを版下絵にして版木自体を作り直した)復刻版もある(アダチ浮世絵研究所など)。
東海道五十三次 庄野 復刻版(アダチ浮世絵研究所)


錦絵は和紙に植物染料や鉱物顔料、墨を複数の木版で刷ったもので、後期には一部で西洋産の化学染料も用いられた(たとえば「両国花火」の隅田川の青は当時の用語で「ベロ藍」、プロイセンで開発されオランダ経由で輸入された化学染料だ)が、保存の良し悪しによって紙の変色や色素の褪色で見え方が大きく変わってしまうだけでなく、印刷自体が手作業なので、よく考えれば最高品質を目指した初刷りでも、完成作に色のばらつきや、こと緻密な多色刷り作品では版木のズレなどがあってもおかしくない。

これは同じく国会図書館が所蔵する「六十余州名所図会」全69枚のうちの「江戸 浅草の市」だ。

六十余州名所図会 江戸 浅草の市(国会図書館蔵 詳細拡大はこちら

「広重ビビッド」展で展示されている同作品は、日本化薬株式会社の特設ページでスキャン画像を見ることができるのが、デジタル画像での比較だけでも、線や形は同じでも(それは同じ版木なのだから)、色などかなり異なることが分かる。たとえば浅草寺の二王門(楼門)と五重塔は、柱と壁がこの刷りでははっきり濃さの異なった赤になっているが、原安三郎コレクションの刷りでは微妙な違いしかない(逆によく見ないと異なった色版だと分からない)。夜空に三本の雲が暗い墨で表現されているのが、国会図書館版にはない。


なお日本化薬の特設ページの画像は転載不可なので、このブログで掲載する作品はいずれも原安三郎コレクションではない。特設サイトで見るのもいいが、ぜひ「広重ビビッド」展で本物に触れていただきたい。


さらにこの下の刷り(後刷り)だと、また印象はまるで異なる。

(出典はパブリックドメイン美術館

雲に施された上の紫と下の黄色などのぼかし効果の位置は、広重が厳密な指示をしていても、色を乗せた版木に水をふくませてから刷るという、偶然性に左右されがちな職人芸では、一枚一枚で異なってしまうのも、最終的な結果は摺師の勘で決まる手作業なのだからやむを得まい。

いや逆に、そういう危うさも内包する超絶技巧であることが、こうした凝った作業をおしげもなく注ぎ込んだ豪華な錦絵の醍醐味でもあるとも言える。

なおこうした技巧は、大量印刷大量流布の後刷りでは簡易化されるので、たいがい省かれてしまう。またもちろん、これらのデジタル画像の場合は、スキャンの品質や色調整によっても見え方は大きく異なってくるが、それにしてもこの二枚を比べただけでも大きな違いは一目瞭然だ。

浅草寺の楼門と五重塔の背後の木々と、左手前の木の色づけが、下の方の刷りではだいぶ薄い。あるいは、国会図書館と原安三郎コレクションの刷りでは複数の版木を使って刷りを重ねてもズレがまったくなくきれいに決まっているが、下の方の画像や、このさらに下の刷りでは、版木のズレで楼門の屋根などに余白が残ってしまっていて、画面上半分の夜空と伽藍の暗めの色調の美しさと画面下半分の雑踏の明るさ、賑やかさの対比の効果も、ほとんど感じられない。

(Wikipediaより)
もちろん、どんなに昨今のデジタル技術が進歩しても、やはり完全に再現はできないものだし、色味の忠実さとなるとこれはもうモニター次第だが、それにしてもこの「浅草の市」、原安三郎コレクションの実際の作品で見ると、夜空の空気感の深みなどは木版画とは思えない、まるで夢幻的な広がりを見せる。

同じく「六十余州名所図会」の「美作 山伏谷」は、このシリーズのなかでも大胆な風雨の表現から代表作のひとつとされるもので、この画像もやはり、墨の濃淡のぼかしの細かさなどから見ても、初刷りのはずだ。

六十余州名所図会 美作 山伏谷(出典はパブリックドメイン美術館

だがこれも、日本化薬のウェブサイト掲載の原安三郎コレクションの同作と比較してみると、線や形は同じでも、色や質感がまったく異なる。実物は「広重ビビッド」展で見られるが、もうまったく別の絵に見えてくるほどだ。

木版画なのだから色の部分は平面的に一色になるはずが、広重の計算通りに彫りや刷りがうまく行くと、立体や奥行きのグラデーションに見えて来てしまう。

あるいは、やはり広重晩年の揃いもので、その画業の集大成にして江戸時代錦絵の頂点とも言われる「名所江戸百景」のなかでも有名作のひとつに「深川木場」の雪景色がある。

名所江戸百景 深川木場(東京国立博物館蔵の初刷り)

以前に初刷りの現物を度々見て来てはいても、原安三郎コレクションの同作には驚かされた。保存状態が極度にいいことの強みだろうが、前景に降り積もった雪がキラキラ光っているのだ。

雪景色の手前にキラが散りばめられている、つまり雲母の粉末を混ぜた胡粉かなにかが刷られているのだ。

深川木場 異なった刷り(国立国会図書館蔵

雲母を散らしたり刷り込む効果は、他にも「六十余州名所図会」の「下総 銚子の濱 外浦」「石見 高津山 汐濱」や「播磨 舞子の濱」、「名所江戸百景」の「浅草田甫酉の町詣」「真間の紅葉手古那の社継はし」の山肌や地面、「赤坂桐畑」の地面、「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」の壁の部分、「五百羅漢さゞゐ堂」の一層目屋根の瓦、「王子不動の瀧」の水の撥ねの表現など、この二つのシリーズのかなりの作品で使われていたことは、原安三郎コレクションで見るまで正直、気づかなかった。

六十余州名所図会 石見 高津山 汐濱
初刷りでは浜辺一面にキラが蒔かれている
六十余州名所図会 播磨 舞子の濱 手前の砂浜にキラが蒔かれている


なお雲母粉末(キラ)を用いた浮世絵版画で有名なところでは、東洲斎写楽の第一期の大首絵の背景は、一面キラが刷られている。

写楽 三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛 寛政6(1794)年5月

喜多川歌麿の美人画でも同じ技術の背景になっているものが多いが、ちなみに版元はどちらも江戸時代後期の浮世絵黄金時代の礎を築いた蔦屋重三郎だ。この華麗で豪華な特別仕様はその蔦屋の判断だと言われる。

歌麿 婦人相学十躰(ポッピンを吹く女)
背景に刷られたキラ(雲母)がよく分かる
歌麿は蔦屋お抱えのうち随一の売れっ子、一方で写楽の作品でキラがふんだんに用いられた豪華版は第一期のみで、版元として蔦屋がいかにこの異形の奇才の売り込みに力を入れていたかが分かる。

婦人相学十體 浮気の相



名所江戸百景 真間の紅葉手古那の社継はし
手前左右の木の幹と、中景色の灰色の地面にキラが散らされている

やはり「名所江戸百景」の「浅草金龍山」は、前景に画面から半分はみ出して描かれた雷門の赤い大提灯の、いかにも広重らしい遠近法の使い方が有名だが、この画像ではまったく分からないが、中景の雪のつもった木々には、細かな立体感が表現されている。

名所江戸百景 浅草金龍山

浅草寺の二王門(楼門)もその前の並木も、積もった雪の白はなにも色を乗せないことで表されているが、この画像とは異なり、原安三郎コレクションの実作品では屋根と木々のあいだがくっきり分離して見える。

実は白の部分に、枝を表現する細かな凹凸がつけられているのだ。空摺り、ないしキメ出しと呼ばれる技法で、版木に細かな描線を彫り込んで、強い圧力をかけることでその凹凸を紙面に写し取る。ちなみに、このブログ三枚目の画像、北斎の「草詰み」にも、右側の海の遠景にキメ出しが用いられている。

なお国立国会図書館所蔵の刷りでは、提灯などの色が異なる。


言うまでもなく、浮世絵版画は木版画である。

様々なぼかしの手法、空摺りやキメ出し、キラを散らすことなどを絵師も細かく指示はしただろうが(広重の場合は、ぼかしの細かな指示も残っている)、どれだけ高度で高価な技術を使うかは版元の判断でもあり、我々が実際の作品で見ているのは直接には彫り師、摺師のやったことだ。

歌麿 普賢像 背景にキメ出しの雲

そうした職人の腕次第で、実際の作品の見た目は大きく左右される。

葛飾北斎 八重桜に流水 花と流水に細かなキメ出しが見られる
鈴木春信 見立て小野道風
着物の重なりにキメ出しで立体感が表現されている

複数の版木をまったくズレなく色を重ねていくだけでも大変に難しい。広重の風景版画はだいたい20版前後の摺りを重ねることになる。版木につけた「見当」という印を合わせていくのだが、この作業が「見当をつける」「見当違い」の語源だと言われている。

名所江戸百景 蓑輪金杉三河しま

「蓑輪金杉三河しま」も、画面上部を占める鶴の羽根は細かな黒の描線だけでなく、空摺り(キメ出し)による立体的な質感が表現されている。

ベロ藍の微妙なグラデーションを見せる水面や、濃淡二種のベロ藍の版に赤も用いた朝焼けの空、中景の湿地に薄墨をのせて遠近感を出すところで繊細なぼかしが多用されているのも、色を乗せた版木に水をつけて境界をぼかすさじ加減には、高度な職人芸が要求される(また一枚一枚、微妙に異なることは避けられない)。

ちなみにやはり初刷りではあろうが、このリンク先は別の刷り。中景から遠景に重ねられた薄墨の範囲が異なる。

この「深川洲崎十万坪」も、デジタル画像では分からないが、鷲の羽根の空摺り、左端の黒い部分にキラが蒔かれ、雪景色に細かなキメ出しが施され、一見荒涼とした無人の風景の寂寥感に、確かな存在感、充実感が、ある種の華やかささえ持って現前する。

名所江戸百景 深川州崎十万坪(国立国会図書館蔵 拡大詳細はこちら

あくまで版画である浮世絵では、絵師自身の手になる原画は、ときに同主題の肉筆画があったり、下絵が残されている場合もあるが、それでも浮世絵の完成作自体の基になる版下絵は、版木を彫る過程で失われる。

名所江戸百景 四ツ木通用水引ふね
同作の肉筆の下絵

つまり「オリジナル」は最初から存在せず、刷られた版画こそがすべてだ。

名所江戸百景 八つ見のはし

『東海道五十三次』(保永堂版)でこの20年ほど前に人気と地位を確立した広重は、江戸を代表する売れっ子の巨匠であり、こと晩年のこの時期には有能な版元(「六十余州」は越村屋平助、「江戸百景」は魚屋栄吉)がついて最高の技量の彫り師、摺師が作品化を担当していたことが、ふんだんに用いられた高度な技巧の数々を見てもよく分かる。

名所江戸百景 蒲田の梅園
名所江戸百景 市中繁栄七夕祭

さすがにここまで職人芸の限りを尽くした初刷りが、俗にいう「そば一杯」とか、平均的な20文前後で売られていたわけではないはずだ。

絵師の構想がもっとも忠実に表現された初刷りはいわばオリジナルであり、すでに述べたように美術館などで展示されるのも初刷りだが、よく考えてみれば当たり前のこととして、初刷りといえども高度な職人芸が要求される手作業では、一枚一枚が完璧に同じになるわけもない。

名所江戸百景 愛宕下薮小路

見た目が違う、ときには出来不出来さえあり得ることは「浅草の市」の異なった刷りの比較に見た通りだ。

いや正直、「浅草の市」が広重円熟・絶頂期のなかでも屈指の傑作のひとつで、広重がたびたび描いて来た浅草寺のなかでもとくに見事な作品のひとつだったとは、原安三郎コレクションを見る以前にはまったく知らなかった。

夕闇に浮かび上がる浅草寺、夜空の情感と朱塗りの伽藍のコントラストが画面上部を占め、対照的に微細に描き込まれた仲見世の活気が際立つ。


大きなおたふくの張り子が、あまりに多様で一歩間違えるとごちゃごちゃに見えかねない雑踏の表現のアクセントになって、画面に統一感を与えている。

これ以前の広重は浅草寺の大群衆を描くのに、たとえば雪景色で全員に傘をかぶらせることで画面上の混乱を回避していたのが、「浅草の市」では大きなおたふくの張り子という解決策で描き込めるようになった群衆の表現の多様で雑多な生活感の豊かさが、絵師の深い人間愛を感じさせる。

広重 東都名所 浅草金龍山年の市

だがここまで緻密な描写は、版木が少しズレるだけでも美しさが失われてしまう。画面上半分を暗く、雑多な人々を描き込んだ下半分を明るく描写する対比の計算も、楼門に版木のズレで白が見えるだけで効果がなくなってしまう。「浅草の市」は刷りの出来不出来で美しさが大きく左右されてしまう作品だったのだ。

名所江戸百景 日本ばし江戸ばし

浮世絵版画が庶民相手の安価な文化娯楽、大衆向けの複製芸術だったのは確かだが、それにしても江戸時代後期・浮世絵の最盛期の発展は、現代人の感覚からするとずいぶん不思議なものにも思える。

渓斎英泉 木曽街道 日本橋雪の曙

大量にまったく同じ製品を流布しようとするなら印刷だろうと現代人なら考えるし、個々に差異があったら不良品だと思うところだ。現に西洋では、まったく同じ複製の、規格化された印刷物の需要が高いからこそ、活版印刷や銅版画などの金属製原版の印刷術が発達した。

渓斎英泉 木曽路の駅 浦和(東京国立博物館蔵)

だが浮世絵版画は逆に、安価な大量生産・薄利多売は目的としながらも「同じものを大量に」とは異なった方向に発達することで、歌麿、写楽、北斎、さらには国芳、豊国、渓斎英泉、そして誰よりもその成熟の頂点を体現する安藤(歌川)広重の、傑作群を生み出したのだ。

広重 江戸名所 御殿山花見

大量生産を目的としながら「まったく同じ製品」や「忠実な再現性」に価値を置かず、職人芸に多くを依拠して一点一点が異なり、職人の個性に左右され、刷る度に変化することが避けられない状況が作品の一部になり、技巧の成功と失敗のスレスレに立ち現れる差異にこそ価値を置く表現が、成熟を極めていたのだ。

葛飾北斎 水中の亀 (東京国立博物館蔵)

別の言い方をするなら、浮世絵版画は印刷物であると同時に、工芸品的な価値があったのではないか。ちなみに江戸時代は木工、陶磁器、漆器、織物、染色など、工芸分野の職人芸が大きな発展を見せた時代でもあった。

名所江戸百景 神田紺屋町 (国立国会図書館蔵 拡大詳細はこちら)

ひとつには、通貨の価値が安定しないので、骨董・工芸品を財産として所有することが流行したことがある。また室町時代から続いた農業技術の革新に、さらに幕府が積極的に進め、諸大名にも奨励した開墾・新田開発もあって、17世紀に日本では農業生産高が飛躍的に増え経済的な余裕ができたこと、そんな経済状況のなかで諸藩が年貢米以外の現金収入源を求めて各地で工芸品を名産品として積極的に作らせ、販売したことも、江戸時代に日本が工芸大国として大成した(鎖国政策があっても、オランダ経由で輸出されてヨーロッパの王侯貴族が珍重した)背景になった。

六十余州名所図会 信濃 更科田毎月 鏡台山

神格化されるようなカリスマ名工が評判を呼び、職人階級が社会的な尊敬を集めるようになり、その職人達はさらなる名声を求めて腕を競い合ったような文化が成熟した19世紀の江戸時代後期に、大量生産のはずの浮世絵版画もまた、微妙な偶然性も取り込んだ職人芸の粋として大成したように思える。

六十余州名所図会 伊勢 朝熊山峠の茶屋(三重大学浮世絵コレクション)

広重の風景版画なら、まず庶民に伊勢参りなどの旅行ブームが起こった江戸時代に、各地の絶景を楽しみたい需要から評判を呼び、さらには一流人気絵師の優れた絵画的才能だけでなく、彫り師、摺師たちの最高レベルの職人的技術も楽しむものとして成熟した。

同 志摩 日和山 鳥羽湊 (三重大学浮世絵コレクション

こうした高度に洗練された作品がしかも、今で言えば写真週刊誌のグラビア的な位置づけで経済的に成立して、一般庶民の人気を博したこともまた、日本の江戸時代の特殊性だろう。浮世絵版画はいわば、庶民でももっとも手近に楽しめる高度な職人芸でもあったのではないか。

六十余州名所図会 伯耆 大野 大山遠望

ところで、浮世絵版画は基本、木目版画(ないし板目版画)である。

木版画には木を年輪に対して直角に切って年輪が見える面を版木にする木口版画と、年輪に沿って木を板に(つまり幹であれば縦方向に)切った木目(板目)版画がある。後者では板の表面に木目が出てしまい、広い着色部分にはそれが写り込む。たとえば『六十余州名所図会』の武蔵の国、「墨田川雪のあした」は、隅田川の流れの青の部分に、木目が見える。

六十余州名所図会 武蔵 隅田川雪の朝

木口の版木の方が木目に左右されずに、木目に沿って版木が裂けたり彫りの線が歪むことがなく細かく精緻な彫りが可能で、たとえばヨーロッパでは木口版画が主流というか正当的に見なされている。木材の特性に左右されない緻密な表現では分があるが、デメリットはよほどの大木からとった板でないと大きな画面が取れないことだ。

名所江戸百景 綾瀬川鐘が淵

「名所江戸百景」も「六十余州名所図会」も大判浮世絵で、これだけのサイズの版木を木口版画で確保するのはけっこう難しい。

かといって板目版画で木目が写り込んでしまうことを欠点というか、表現の邪魔になるとは、江戸時代の浮世絵関係者は思っていなかったようだ。「六十余州名所図会」の「美濃 養老の瀧」では、木目がぼかしとも組み合わされて瀧の水流の表現に組み込まれている。

六十余州名所図会 美濃 養老瀧
(原安三郎コレクション作品では瀧の明暗が反転している)
葛飾北斎 諸国瀧巡り 木曽路の奥阿弥陀の瀧

木目を邪魔とみなすのではなく、むしろ木の個性とみなしてそれを活かすことを考えるのは、現代でも宮大工なら「木の声を聞く」が基本の心がけであることにもつながる、日本的な職人芸のあり方だろう。

「名所江戸百景」の「浅草田甫酉の町詣」でも、障子の下の黒漆喰塗りの壁の表現に、版木の木目が活かされている。

名所江戸百景 浅草田圃の町詣で


ちなみにこの壁の黒にも、原安三郎コレクション(「広重ビビッド」展)の作品ではキラ(雲母)が刷り込まれ、白い猫はキメ出しで立体感が与えられている。なお広重がここで描いた町中には見えない風景は、吉原の妓楼二階からの眺めだ。吉原遊郭は幕末まで、江戸市中の町並みから少し離れたところに建てられて田園風景に囲まれていた。

名所江戸百景 よし原日本堤
堤側面上部の緑のぼかしが後刷りではなくなる
よし原日本堤 後刷り ぼかしを多用した緑が省かれている
よし原日本堤 異なった刷り
ぼかしを用いた緑の位置が違う(国会図書館蔵

広重が「名所江戸百景」や「六十余州名所図会」を発表したのは嘉永〜安政年間、政治的には開国期の激動の時代だったが、それは江戸時代の到達した「日本的なるもの」の文化の、終焉直前にして頂点の時代でもあった。

名所江戸百景 猿わか町よるの景

しかも「鎖国」からイメージされるような、世界に対して閉ざされた文化でもなかった。

北斎や広重が西洋絵画に衝撃を与え、印象派はそのインパクトから産まれたといっても過言ですらないのは、浮世絵の自由自在な遠近法の表現に寄るところが大きいだろう。

だがこの「六十余州名所図会」の「出雲 大社 ほとほとの図」や、「伯耆 大野 大山遠望」、「名所江戸百景」の「大川はしあたけの夕立」に見られるような、墨の濃淡を活かした空気遠近法は、鎌倉〜室町期に禅宗とともに日本に伝えられた宗の南画のテクニック雪舟が発展させ、狩野派に引き継がれ、長谷川等伯が「松林図屏風」に大成させた表現の応用だ。

六十余州名所図会 出雲 大社 ほとほとの図


この作品も本当なら原安三郎コレクションのものを「広重ビビッド」展か、せめて日本化薬の特設サイトで見て頂きたい。摺師の判断による濃淡の微妙さで、霧に浮かび上がる深い森は幽玄の深みを持って浮かび上がる。

名所江戸百景 大はしあたけの夕立

「大はしあたけの夕立」も、原安三郎コレクションでは、空と夕立を降らす雲の濃淡が幽玄たる空気感の厚みを持ち、雨と霧に浮かび上がる両国橋を幻想的に写し出している。

このブログ冒頭の、「名所江戸百景」の「両国花火」でも、夕闇のなかの両国橋が微妙に濃さの違う墨で塗り分けられて、橋の上の欄干と人陰がしっかり描き込まれていることも含め、こうした墨の濃淡の積み重ねでは摺師の腕が大きくものを言うことも、繰り返すまでもないだろう。

名所江戸百景 京橋竹がし

それにしても、「両国花火」にしても「浅草の市」や、この「京橋竹がし」でも、墨や色の濃淡の差を大きくした方がくっきりと、分かりやすい絵にはなるはずだが、広重の風景描写の神髄は、異なった版木を合わせる高度な技術を駆使しているのにそれを強調しない、異なった版木どうしなのに同じ色かと見間違うほど微妙な違いしかない時にこそ現れる。なんともぜいたくな話ではないか。

名所江戸百景 日本橋通一丁目略図

また空間遠近法を自在に使いこなしたことでも、北斎や広重は同時代の西洋の画家たちを驚愕させたが、これはオランダから出島経由で輸入された西洋の銅版画や油絵の数学的遠近法を、どん欲に取り入れたものだ。

豊春 浮絵阿蘭陀フランスカノ伽藍之図
(実際にはローマを描いた銅版画の写し)

まず歌川豊春や北斎らが「浮絵」と称し、その理論をどうも明らかにおもしろがって、珍奇な効果を狙ったものとして使い始めている。

豊春 浮絵和国景跡京都三十三間堂之図
豊春 浮絵歌舞伎芝居之図
豊春 浮絵和国景夕品川見通シ之図
歌川貞秀 いせおんど
歌麿 品川の月
勝川春朗(葛飾北斎) 浮絵浦島竜宮入之図
勝川春朗(葛飾北斎)新版浮絵化け物屋敷 百物語之図
勝川春朗(葛飾北斎)新版浮絵金龍山二王門之図

こうした数学的な空間遠近法をわざと理屈どうりにきっかり描くおもしろみの追求を経て、北斎と、そして広重は、さらに奔放な(しかし確かに理屈通りといえば理屈通りの)構図を用いた遠近法風景浮世絵を次々と産み出して行った。

北斎 富嶽三十六景 東都浅草本願寺
富嶽三十六景 神奈川沖浪裏

近くのものほど大きく、遠景は小さくというのは、確かに数学的空間遠近法の理屈通りではある。だがここでは、西欧ルネサンス期に遠近法が発明され、世界をより忠実に模倣再現するための「自然に」見せる技法として使われたのとは、発想がまったく異なっているように思える。

富嶽三十六景 尾州不二見原
広重 名所江戸百景 利根川ばらばらまつ

広重はとくに「名所江戸百景」で、前景にあるものが画面いっぱいに広がる構図を多用している。「水道橋駿河台」のこいのぼり、「堀切花菖蒲」の前景いっぱいに伸びる菖蒲、「深川萬年橋」の桶と亀、なかでも「亀戸梅屋舗」はゴッホが模写したことでも知られる。

名所江戸百景 亀戸梅屋舗
名所江戸百景 四ッ谷内藤新宿

こうした前景に大きく描かれた事物の描写を成立させるには、彫り師、摺師の腕に大きく左右される質感の表現が重要になるが、板目の版木の表面に現れた木目が、「亀戸梅屋舗」では梅の幹の表面に、「四ッ谷内藤新宿」では馬の毛並みに見立てられている。

名所江戸百景 堀切の花菖蒲
名所江戸百景 上野山内月のまつ

「六十余州名所図会」は嘉永6(1853)年から安政3(1856)年、「名所江戸百景」は同3年から5(1858)年にかけて描かれ、出版された。「江戸百景」が始まる前年には安政の大地震が起こり、広重は安政5年の9月6日、この渾身の集大成の完成を待たずして亡くなっている。

名所江戸百景 王子不動の滝
滝の両側の陰影と手前の地面にキラが蒔かれている
広重が版下絵を遺して死去 翌年出版された「富士三十六景」甲斐大月の原

「六十余州名所図会」の出版が始まった嘉永6年には、米海軍提督ペリーが浦賀に来航している。刊行二年目にあたる翌嘉永7(1854)年の旧暦1月14日、ペリーは7隻の軍艦を率い再び江戸湾に現れ、幕府は開国を決断、幕末への激動期が始まった。

六十余州名所図会 壱岐 志作

そうした時代に描かれていたことを念頭に、この広重晩年の二つの風景画シリーズを見ると、そこに凝縮された「日本的なるもの」への感慨はより深まるかも知れない。

なかでも印象深いのが、「名所江戸百景」の目録上の最後の一枚にして異色作、王子装束榎の狐火だ。

名所江戸百景 王子装束ゑの木大晦日の狐火

これも摺師の腕に多くを委ねた作品だ。

複数の版で濃淡のほんの微妙の差を、ぼかしを入れつつ何重にも重ねられた入魂の作業から幻想的に浮かび上がる狐火と、夜の闇に深く広がっていく江戸の北部郊外の地平線…

この近辺の農家では、狐火の多い翌年は豊作との言い伝えがあるという。今となっては「迷信」である伝承の狐火は、この後まもなく明治維新で失われることになる本来の「日本的なるもの」の幽霊の姿にも、見えて来はしないか?

原安三郎コレクションの刷りで驚かされるのは、もっとも手前の暗部に、一面キラが散らされているのだ。一定の角度からだけ浮かび上がるその華やかで幻想的なきらめきと遠景まで続く狐火の赤い微細な点に、この江戸郊外の夜の景色は、失われ行くものへの限りないノスタルジアと喪失感が渾然一体となった、夢幻と神秘の普遍的・神話的風景に変貌する。

「六十余州名所図会」最後の一枚 対馬 海岸 夕晴