最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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5/27/2010

偽善のにおい

伊藤大輔『忠治旅日記』

一人横綱になった白鵬が、朝青龍のいない二場所連続で全勝優勝で本場所がまああまりおもしろくもなくも無難に終わったと思ったら、また大相撲スキャンダルである。なんでも山口組系暴力団の幹部が、さる親方の手配により砂かぶりの席で観戦してたとかなんとか。

やれ暴力団と決別できない大相撲が、「国技なのに」とか「公益法人なのに」とか。

別に暴力団の味方をする気も、相撲協会を擁護する気もないが、なんだかスキャンダル騒ぎにするのにも違和感のある話ではある。だって相撲は興行だろう? 多少はその世界と切っても切れない縁が残るのは、ほんの少し前まで、良くも悪くも当たり前の話であった。

むろん今日の暴力団・闇社会は、過去にこの社会にあったある種の二重権力の構造の裏面を担って来たことは否定できないかつての「ヤクザ」とはずいぶん質の異なった組織になっている。

麻薬覚醒剤の密売や、それ以上に高金利の町金、ヤミ金など、市民の生活を脅かす反社会的な集団なのは確かだろう。

暴力団対策法は一定の効果を示して来ていると同時に、それが暴力団をより危険な反社会的犯罪集団としてしか存続できない立場に、追い込んでもいるなかで、今さら興行なんだからヤクザ屋さんとも多少の縁は、という時代ではない。

    マキノ雅弘『昭和残侠伝 死んで貰います』

だからといってそう暴力団イコール悪というレッテル貼りに終始し、だから暴力団と癒着する相撲協会はけしからんというのも、なんとも一方的な決めつけの議論だとは思う。

組織犯罪はなぜ生まれるのか? アメリカのマフィアは常に、少数民族のお仕事であり続けている。

かつてはアイルランド系、そしてイタリア系、今では黒人にヒスパニックのギャングと、新興勢力としてのし上がりの著しい中国系マフィアを中心とするアジア系。


マーティン・スコセッシの『ギャング・オブ・ニューヨーク』は南北戦争の時代のニューヨークのスラムで、アングロサクソン系のヤクザと新たな移民のアイルランド系のヤクザの抗争を見せる映画だ。

アイルランド系移民が暴力集団を組織するのは、まず自衛のためだ。




マーティン・スコセッシ『ギャング・オブ・ニューヨーク』

そのスコセッシの親の世代になると、彼自身の出自もそこであるイタリア系のマフィア全盛期になる。

『ゴッドファーザー』の世界だが、そこで出て来る悪徳警官のスターリング・ヘイドンはアイルランド系。半世紀くらいで、新移民のアイルランド系は非合法暴力組織から警察という合法的暴力組織にアップグレードしていたわけである。

    マーティン・スコセッシ『グッドフェローズ』

なぜ少数民族の新移民から組織犯罪が出て来るのか? 差別を受けて官憲の保護をまともにうけられないからだ。

時には非合法移民でもあったりして、「非合法移民だから犯罪者なんだ」と決めつければ、密入国であっても新天地で真面目に働いて新しい人生を切り開こうという意思があったところで、少なくとも自分達の身はまず自分で守らなければならなくなるのは必然だ。プリミティブな力の論理が支配する社会では、その自衛のための暴力がもっと複雑な犯罪組織になるのもある意味、必然であろう。

   フランシス・コッポラ『ゴッドファーザーPART II』

だって食ってかなきゃならないんだから。命がけなんだから。

いや、「食っていかなきゃ」だけの同情に留まっていては、まだまだ「差別する側」の多数派の論理にのっとった偽善、きれいごとにしかならない。

なぜマイノリティだからというだけで「食って行くため」の最低限で満足しなければいけないのか?

    マーティン・スコセッシ『グッドフェローズ』

特定の社会の多数派の都合で不利に低い地位に置かれていたからといって、より上の地位を求めてはいけない、上昇志向を持ってはいけない、最下層でただ生存の必然の最低限だけに甘んじていなければいけない、野心を持ってはいけないのだと言うのなら…

…その発想自体が差別そのものだ。

彼らがのし上がる手段がいわゆる「合法」の範疇ではほとんどないとしたら、それは「合法」を決める多数派の都合であり、少数派、マイノリティにその「合法」に服従することを要求する前に、まず平等を保障しなければ筋が通らない。

  マーティン・スコセッシ『ギャング・オブ・ニューヨーク』

その「多数派の合法」が少数派にとっては圧倒的に不当なら、少数派にそこに従う義理なんてない。

多数派の決めた「合法」の範囲内ではのし上がる権利が与えられないのなら、しょせん自分たちを差別する連中が勝手に決めたこと、そこに従うべき倫理的な理由なんて、見いだせなくて当たり前だろう--そもそもそんなもの、ないんだから。

    マーティン・スコセッシ『グッドフェローズ』

日本の暴力団、というかヤクザさんたちの起源はもちろん、江戸時代の杓子定規な武家の官僚支配下に庶民たちのなかから生まれて来たものであり、こちらもやはり庶民の自衛・自治組織に、口入れ屋など人材派遣業みたいなものがくっ付いたもの。杓子定規な武家階級が見て見ぬ振りする問題をいろいろ処理するために、ある意味必要なものでもあったし、『国定忠次』や『清水の次郎長』などなどの例は枚挙に暇もなく、優れたヤクザの親分さんは庶民の英雄にもなった。

あまり大きな声でいうと誤解を招きかねずかえって差別を助長することにもなりかねないが、今日でも暴力団構成員になる者には、いわゆる「同和」出身や在日コリアンの比率がかなり高い。

別に荒くれ者の不良少年がヤクザに憧れて、なんてロマンチックな世界ではない。未だに就職差別が陰険に存続するなかで、非合法組織が多くの人にとって数少ない食って行ける道だったりするからだ。

   藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010、編集中)

ほとんど冗談みたいな本当の話なのだが、大阪・天王寺近くのさる同和対策地域のなかにある自衛官募集事務所は、大阪府内でダントツのトップ成績なのだと、当のその事務所の自衛官から聞いた。

関西の同和対策の市営住宅にはなぜか共通する建築様式(っていうほど美しいものでもないが)があって、細部に凝って無駄に建設費が高くなるような設計になっていたり、意味不明に装飾的だったりで、そういう裏読みを要求する記号を散りばめてなんとなくそこが「特殊な場所」だと分かるようにして、かつカネだけはかかっているので「これだけしっかりお恵みを与えてあげてるんだから、同和利権だ!」とかこれまた極めて陰湿で陰険ないいわけを行政が自らに与えているわけであるが…

   藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010、編集中)

  マーティン・スコセッシ『ギャング・オブ・ニューヨーク』

一応「地域振興」の体裁は整えるため、一階二階部分は一応第三セクター的なショッピングセンターを計画しておきながら、絶対にもうからないようにしておいて、案の定シャッター街。

そのシャッター街のなかにある自衛官募集事務所には、なぜかトロフィーがズラっと並んでいるのである。「あのトロフィーはなんですか?」と訊ねると「いやこの事務所が、大阪府内でいちばん成績がいいもので」と教わった次第なのであるが、埼玉県の朝霞通信基地からの出向だというその自衛官氏は、なぜそこが大阪府内でダントツに成績がいいのか、その理由にはあえて気付いていないフリをしていた。

   藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010、編集中)

未だに暗澹たる気持ちにさせられる現実は、この国にはあるのだ。

そんななかで「暴力団=危険な半社会集団」とレッテルを貼って、たとえば大相撲に「暴力団と縁を切れ」とうわべだけの合法性というきれいごとを要求したところで、なにか話が問題の本質からズレているような気がしてならない。

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