このブログでは以前にも、日本がなぜ外交音痴なのかを考察したことがあるのだが、それを再確認させてくれる事態が、今回の尖閣諸島をめぐる騒動だったといえるだろう。
他者の都合を推測すらできない、だから相手の動きがなにを意味するかも分からず、過剰に恐怖したり過剰な期待をしたり。この問題の解決が実は日本と中国でなく、日本とアメリカのあいだで決したことなのは7日の本ブログで考察した通りだ。
これも他者の都合を推測すらできず、アメリカの国益からしてアメリカがどう動くかを考えもしないで、「日米安保」に過剰な期待をした、無惨な結果である。
いやもっと根本的な問題がある。
この程度の衝突で「日米安保」の適用範囲に尖閣諸島が含まれると確認したくなること自体が、アメリカにしてみれば呆れるような話でしかない。
安保条約はあくまで、武力の行使などの重大な安全保障上の危機に適用されるものだ。
そしてアメリカから見たら、いや誰から見たって、日中のあいだでこれが戦争などに至るような危機では、まったくなかった。また仮にそこまでエスカレートする危険があったとしても、日中で武力衝突が起こる事態の方を、アメリカは真っ先に阻止する。
米中関係もアメリカにとって極めて重要な外交関係なのだ。経済的な結びつきは言うに及ばず、中国はアメリカ国債の最大の保有国である。そんな関係をアメリカがみすみす危機にさらすはずがない−−それも自国の利益となんの関係もない話で。
日米安保の適用自体が絵空事なのに、そこで確認を求めてくる前原はなにを考えているのか、クリントン国務長官もさぞ呆れたことだろう。
平和ボケも甚だしい。戦争なんてそう簡単に起こるわけがない。出来る限り回避するのがあらゆる国の外交にとって至上命題であるはずが、わがニッポン国だけは違うらしい。
北朝鮮相手だってそうだ。「ミサイルだ、ミサイルだ!」って興奮してる場合じゃない。
すわ戦争だと言わんばかりの敵視と、ゴシップまがいの「金正日の息子」がどうこうだけで、本気で拉致被害者を取り返せるだとか、思っているのか?
平和ボケのあまり、「戦争」という言葉の英雄的な響きに、すっかり思考停止で興奮状態にでもなっているのか?
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