『シェルブールの雨傘』ばかりが有名なジャック・ドゥミーの、これこそその本性を露にしたもっとも狂った傑作の冒頭シーン。
ドゥミー自身の故郷ナントで、彼が青春時代に目撃した港湾デモと暴動を背景に、フランス史の階級闘争、その階級を越えるには死に至るか、実ることなく悲劇となるしかない愛…ドゥミー映画の多くを秘かに貫いているテーマが、ここでは前面に押し出されヴァグナーのオペラばりの大悲劇として展開する。
ジャック・ドゥミーは実は、彼独特のやり方で政治的な映画作家であった。たとえば『シェルブールの雨傘』はアルジェリア戦争を意識した反戦映画であり、デビュー作の『ローラ』は実質敗戦国、名目上戦勝国のフランスの精神的喪失をめぐる物語であり、政治と社会の歴史はその作品のすべてに反映され、彼はそれを常に普通の人々の物語として読み替える映画を作っていた。
まったくの注文仕事で、フランス語の映画にすることも出来なかった『ハメルンの笛吹き』や『ベルサイユのばら』ですら。
『ベルサイユのばら Lady Oscar』1979より、革命勃発
階級闘争映画としての『ハメルンの笛吹き』
普通の人々の普通でなさを音楽と色彩の力で神話的領域に到達させて来たジャック・ドゥミーの、これこそが最も凝縮された映画であると同時に、その狂気のほとばしり故に理解されず、呪われた映画であり続けているのがこの『都会のひと部屋』だ。
冒頭のデモを堂々たるオペラとして演出したシークエンスにいきなり度肝を抜かれるが、ダニエル・ダリュー演ずる元男爵夫人のアパートのシーン、色彩と情念と階級闘争の見事な演出にも息を呑む。
鏡。開かれた間口の向こうにドアを配するパース(時には鏡のなかにドアを映すことで枠のなかに枠を配してパースを強調する)を意識する、建築的/舞台的な空間感覚。
居間の赤。廊下と、その間借り人である労働者リシャール・ベリの部屋の深い青。台所のくすんだ青…。意味性に満ちながらそれを超越する原色の空間。
セットと衣装の色彩の荒々しくも洗練されたフォーヴィズム的な配色…。
そして男爵位に生まれながら、大佐と結婚して貴族の地位を失い、夫も息子も亡くしたダニエル・ダリューの圧倒的な、誘惑的な演技。
ダニエル・ダリュー演ずる男爵夫人の、深紅の居間。「あなたたち労働者は、ブルジョワよりずっとマシ。何かのために闘っているから。ブルジョワは腐って朽ちればいい」
リシャール・ベリはそうとは知らぬまま、ダリューの娘であるドミニク・サンダと運命の恋に落ちる。
だがドミニク・サンダは、テレビ店を営む成金ブルジョワの夫ミシェル・ピコリの狂おしいまでの嫉妬に苦しめられている。街中を揺るがす階級闘争のなかで、運命の歯車が悲劇へと転がり落ちる壮絶な映画オペラ。
ドゥミー映画には欠かせない協力者、幼なじみであり美術監督のベルナール・エヴァン氏も、ドゥミーとの仕事で頂点を極めた、二人がもっともやりたいことをやり遂げた映画は、『都会のひと部屋』だと言っていた。
まさに「狂気」のクライマックス、ミシェル・ピコリの夫とドミニク・サンダの妻、嫉妬の色である緑に塗られたテレビ店、そこに飛び散る血の赤。
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