最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

8/13/2008

鈴木英夫監督『その場所に女ありて』

アテネフランセ文化センターで開催中の鈴木英夫監督特集で、同監督の代表作とされる『その場所に女ありて』を見た。

とにかく呆気にとられるほど素晴らしい傑作であり、このアテネでの特集以前にこの監督のことをほとんど知らず、この映画を見ていなかったことが悔やまれてならない。もっとも、今回の上映プリントは新品らしく、フジカラー特有の寒色系に転んだシャープでクールな色彩美は、以前の上映ではここまで堪能できなかったらしいから、今回見られたのが本当にラッキーなのかも知れない。

土曜日の午後にもう一度上映があるそうだから、見ていない人は必見。その後で蓮實重彦、黒沢清、篠崎誠にわがアメリカの従兄弟(笑)クリス・フジワラ(従兄弟は冗談ですが、恐らく現代の世界でもっとも優れた映画批評家の一人)による鈴木英夫監督についてのシンポジウムもあるそうなので、このメンバーがこの特筆すべき隠れた日本映画作家について何を語るかも楽しみだ。

『その場所に女ありて』がとにかく素晴らしいのだが、それ以外にも秀作が多い。とくに『社員無頼』二部作、『非情都市』『危険な英雄』、それにこの『その場所に女ありて』は、日本人の多くにとって最も重要な現実でありながら日本映画がめったに取り上げて来なかった「仕事の現場」を明晰に演出し尽くした映画として傑出している。

労働者や農民、漁民などを描く映画ならまだたくさんある。だが戦後日本の主流であるホワイトカラー、つまりサラリーマンをここまできちんと描き、企業という社会の文化と行動原理をきっちり捉えた映画というのは、なぜ日本の映画では少ないのだろうとずっと疑問だった。いや日本だけでなく、世界を見回しても、エドワード・ヤンの『独立時代』『一、一』、それに『恐怖分子』の一部くらいしか、すぐには思い浮かばない。もちろんビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸します』くらい戯画化されたサラリーマン制度批判というかぼやきみたいなものなら、市川崑や岡本喜八の映画でなかなかの秀作はあるが、企業というシステムのなかでの人間関係のポリティックスや、仕事そのものが人間をどう変化させて行くかがちゃんと映画になっているかといえば、決してそうとは言えないだろう。ドキュメンタリーに目を向ければ、フレデリック・ワイズマンは一貫してその問題に取り組んできているとも言えるだろうが。

エドワード・ヤンの『独立時代』も、そういえば広告代理店が舞台

しばしば映画は「個人」やせいぜいが「家庭」という、宮崎駿的に言えば「半径3m以内」の私的な問題のなかに人生の真実を見いだそうとして来たのと引き換えに、「半径3m」よりも広い範囲になると突然、政治的な図式性に足下をさらわれてややもすれば安易な図式的批判(資本の巨悪を暴く、とか)に陥りがちであったり、あるいは特殊な仕事の世界の持つエキゾチズムと好奇心に頼ってしまいがちなところがある。

だが鈴木英夫の映画はまったく一線を画している。『彼奴を逃すな』『脱獄囚』などの人気があるサスペンスものでも、警察なら警察で刑事たちはまずなによりも「刑事というお仕事」をしている人であり、『悪の階段』の犯罪者集団ともなるとその集団のなかの力関係こそが演出のターゲットになる。情感や情念も、登場人物の「心理」も、鈴木の映画は潔く切り捨て、人間関係のパワーポリティクスにこそ向かう。彼の映画の主人公たちは,社会の制度的な構図のなかでよくも悪くもまず「普通の人」であり、だから現代日本でもっとも「普通」の環境である企業社会の分析的演出により彼が力を発するのも、当然なのかも知れない。

「企業」を描くことができた数少ない日本映画作家である鈴木のフィルモグラフィのなかでも,広告代理店で働く司葉子が主人公の『その場所に女ありて』は、日本映画のなかでもっとも重要な古典の一本に数えられてもちっともおかしくない高い完成度、映画的な美しさと厚みを発散している。

たとえば司葉子の衣装の選択ひとつをとっても、映画の衣装部は「その職業っぽい格好」の枠内で女優に似合っているか、おしゃれかどうか、せいぜいが役柄の「個性」で衣装を選んで、監督の承認で決めるというのが普通なのだが、この映画ではファッションがキャリアウーマン、とりわけ広告代理店の営業という仕事にとってひとつの道具で、自分がどう見られるのかが企業人にとってどれだけ重要なのかを、演出が理解し抜いている。だからシーンごとにTPOに合っているだけでなく、服装が映画が映し出す状況のポリティクスを明晰化してもいるし、その服選びがときには台詞よりもはるかに雄弁に人物を説明する。これもまた日本の社会ではリアルなことだ。だって我々の社会では、自分の考えをそうストレートに口にしてはいけないというのが暗黙の了解だし、だいたい世界中どこに行こうが、自分の置かれた状況や自分の感情を本当に適確かつ精確に言語化できる人間なんて、まずいないのだし。

それにしても司葉子という女優は素晴らしい。といってもその素晴らしさを本当に使いこなしているのは、この映画をはじめ『非情都市』『危険な英雄』などの鈴木作品と、あとは成瀬の僕にとっては最高傑作『乱れ雲』(ちなみに撮影はどちらも逢沢譲)だけなのだろうけれど。

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