最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

8/14/2008

鈴木英夫、東京を撮り尽くした映画作家

『社員無頼
・怒号編』
東京駅丸の内南口から新丸ビル、丸ビル、東京中央郵便局

鈴木英夫の映画のおもしろさのひとつとして,恐らく誰もが気がつくのはそのロケーション撮影の見事さだろう。なにしろ、今はDVDで見られるわりと初期の『殺人容疑者』はオールロケ撮影で、時には俳優を雑踏に放り込んで隠しキャメラで撮影したセミ・ドキュメンタリーの手法が売りだったくらいだし、有楽町駅前で撮られた、まさか映画の撮影とは思っていない通行人まで巻き込んだ逮捕シーンは本当に驚くし、『危険な英雄』の身代金受け渡し現場になる渋谷駅東口なども迫力満点だ。

『殺人容疑者』有楽町のガード下。撮影と知らない通行人が逮捕に協力?

あるいは『社員無頼』ではオープニング・クレジットの背景に東京駅ホームの出勤シーンが映し出され、本編のファーストカットは丸の内南口から左手に東京中央郵便局、右手奥には丸ビル、この構図の切り取り方は緩やかなカーブを描く郵便局と丸ビルの角の丸さを生かした非常に洗練したタッチで、丸の内という都市空間の均整のとれた空間設計を見事に捉えている(当時は丸ビルや郵便局をはじめ丸の内のビルはほぼすべて高さが統一されていた)。同様なショットは、国鉄本社勤務サラリーマンが主人公の『サラリーマン目白三平』シリーズでも見られる。こういうロケは、今の日本映画では、僕たちが『ぼくらはもう帰れない』でやったみたいな完全なゲリラを覚悟しないと、無理だよねぇ。東京のフリをして前橋で撮ったりするのが日常茶飯事なわけだし。

僕あたりが見ていて面白いのは、東京の町並みが40年50年と経ってまったく変わっているのに、都内のロケ地だとかなりの場合、どこで撮ったのかが分かってしまうことだ。渋谷駅や新宿駅は駅舎が建て替えられているのに駅名が出なくても判別がつくし、『その場所に女ありて』で一夜を共にした司葉子と宝田明が朝、別れるシーンも、よく見れば宝田明の側の背後画面右隅にニコライ堂が見えるとはいえ、そうでなくてもすぐにお茶の水駅の聖橋口付近だと分かって、逆についニコライ堂を探してしまうほどだ(だから気がついたのかも知れない)。

『殺人容疑者』最初の現場は、南側の桜丘辺りから遠景に渋谷駅と、白木屋(東急デパート東横店)



『脱獄囚』のフラッシュバックで、池辺良たち警視庁捜査一課が殺人犯を逮捕するのはたぶん鴬谷、『殺人容疑者』で最初に死体が見つかるのは移転前のユーロスペースがあった辺りだろうとか、シーンが始まったとたんにピンと来る。なぜ町並みがまったく変わっているのに分かるのかと言えば、鈴木英夫の撮り方が町並みをただ建物の表面的な特徴などのランドマークでなく、崖や丘、川などの地形と、道路や橋、とくに列車など、地理的条件を画面に取り込んでいるからだ。これほど東京を撮るのがうまい監督は正直、初めて見た。彼はたぶん東京を、その地形・地理から歴史まで、知り尽くしていたのだろう。

『脱獄囚』
山手線の北側、東京北部台地のへりと線路が接する位置にある駅


これほど東京を撮り尽くした映画作家もいないだろうと言いたくなるくらい、ロケがめちゃくちゃうまいのに、本領が発揮されるのはオールロケの『殺人容疑者』よりもむしろ屋内はすべてきちんとセットで撮っている東宝に移ってからの作品だというところに、鈴木英夫の「東京という都市を撮る映画作家」としての並々ならぬ才能が隠れているのだと思う。




エドワード・ヤン(楊徳昌)『一、一』
高速道路沿いのマンション



藤原敏史『ぼくらはもう帰れない』中央線と総武線、水道橋付近

まずセットが、脱獄囚』の警視庁なんて、窓からちゃんとれんが造りの法務省が見えたり、『社員無頼』の本社なら丸の内のはずれ、今だと再開発で国際フォーラムになってるあたり(それならば下車駅は東京駅でなく有楽町のはずではあるが)、『その場所に女ありて』ならば東銀座あたりという、その地理的な条件にちゃんとあわせて作られていることだ。その地区の建築的な特徴がセットに反映されているこの繊細さ、そしてセットに再現されたパワーポリティック的な空間としての職場におけるキャメラ位置の適確さ。

鈴木の映画では、ある場所をまず最初に紹介するためのフルショット、つまりエスタッブリッシング・ショットでほとんど必ず、パースを生かした画面構成を使う。パースなんて概念を頭に入れて映画を撮っている監督自体が希少例だろうが、ほとんど建築家並みの空間整理の感覚を、この映画作家は持っているのだ。優れた映画作家のなかに絵画的なまなざしを持っている人、あるいは写真家的な見通しのよさをが生きている監督は多いが、建築的な感性というのは明らかにこの人の強みである。パースをつい撮ってしまう全体の透視性の一方で、彼の演出は屋内も街角も、実用的な空間、人間がそこを使う場所として見て、演出している。

     『社員無頼・怒号編』権力的空間としての職場

だからこそ彼は職場をパワーポリティックスの渦巻く場として見るために必要な構図を次々と見つけて行けたのだろう。時にはずいぶんカット割が細かいのに、ひとつとしていい加減なショットがなく、考え抜かれた構図で、たとえば会話シーンでそれぞれの人物を同じフレーミングのままで撮って編集で切り返しにつなぐみたいなシーンは、たぶんまったく撮ったことすらないのではないか? 会社なんていう平凡きわまりないはずの空間がここまで映画的に充実してくるのは、その建築空間が持っている実用性や意味性を、演出の知性が見抜いて映画に取り込んでいるからであろう。







楊徳昌
『独立時代』









楊徳昌『一、一』






藤原敏史『ぼくらはもう帰れない』

こんな凄い人が生涯中堅どころ、自分の企画をこなす看板監督でなくスタジオのなかでお仕着せの企画を量産する立場であり続け、現役当時には批評的な評価もたいしてなかったというのは腑に落ちない。結果としてすべてが傑作とは言いがたい、まったく性にあってない映画もありそうだし、67年にはテレビに転向を余儀なくされたそうだが、当時のテレビだと台詞で聞かせたり説明するよりも、まずなによりも構図で見せるという演出家は辛かっただろう。傑作の部類に入る『黒い画集・寒流』でも「これが松本清張原作でなければもっとおもしろかったろうに」と思ってしまう(ちなみにこの映画も、銀行のシーンがとにかく際立っている。本店の窓口とか、たぶん本物だろうな)ところも確かにある。

『目白三平物語・うちの女房』東京駅丸の内南口から丸ビルを臨む

 同、現在の丸の内OAZO(旧国鉄本社跡地)前から行幸通り方向

とりあえず『その場所に女ありて』は紛れもない日本映画の最重要作の一本だ。いや今こそ、日本映画としてこういう映画をもっと撮らなければいけないのだという強烈な焦りと嫉妬すら感じてしまう。逆に言えば、すごく現代映画なんだろう、たぶん。

     『ぼくらはもう帰れない』丸の内OAZOの屋内

0 件のコメント:

コメントを投稿