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4/23/2009

集団即興の映画で “遊んで” みたい人募集@大阪

先日のエントリーより承前。

…というわけで中央駅前に真っ赤な観覧車がある都市、大阪(^^;)で「みんなで作る」集団即興のフィクション映画を作りたい、と考えているわけで、俳優さんでもまったく演技未経験でも、いろいろな人に自薦・他薦を問わず、もちろん僕にとって初対面の人も含めてぜひぜひ参加して頂きたいので、もう少しいろいろと説明を試みてみます。

まずはシネドライヴ2009@プラネット+1での二度の上映を見逃した方のために、『ぼくらはもう帰れない』の冒頭シーンです(いずれ今年中にはやっと劇場公開する予定ですが…)。



 註)QuickTimeを入れている人はこちらのリンクの方が奇麗です。

こちらが2005年ごろに東京で撮った集団即興実験で、2006年にはあちこちの国際映画祭でいろいろ評判になっちゃったわけですが、この延長上にできそうなことを、今度は大阪で実験してみたい、というわけです。

ちなみに『ぼくらはもう帰れない』は即興だけでなく、この抜粋にしても写ってる出演者はみんな演技初体験、いわば「素人」、英語でいえばNon-Actorであることもウリでした。なんで素人がこんなことできるんだ、いや逆に素人でないとできないなどなど、とにかく「驚くべき演技」というようにずいぶん話題にもなったのですが、今回は演技初体験の人もいれば俳優の卵はもちろん、ギャラの目処はまだないものの(あとはプロデューサーがちゃんとついてくれるかどうか次第)、可能なら経験豊富なプロの俳優の人と素人が混ざったらどうなるか、ということも実験してみたい。

参加する人にしてみれば演出(総合演出というかまとめ役、別名「交通整理のお巡りさん」)の側でどういう撮り方、映画の作り方をするつもりなのか…というところを説明されないことには、なかなか参加してみようかとは思ってもらえないのだろうが、しかしさて、どうやって説明すればいいのやら…。「即興」と言うとカッコよく響くのだけど、平たく言うと要はすべて「なりゆき」、怠け者が映画を監督するのには最適な方法だったりするわけですが(汗)。

即興ということはつまり、事前には具体的にはなにも決めない、台詞もなにも、撮影現場で作り上げて行くことです。といって本当になにも決めないと本当になにも撮るものがなくなっちゃうので、どこで撮るどの場面にどの人物とどの人物とどの人物が登場するかまではさすがに決めてますが、もっとも予定してなかった人物を演じる人が現場に一応来ていたらその場の思いつきで出演することになる、というのはあったか…。なんだかはっきりしないですみません。出演者のあいだでだいたいどんな流れかは話していても、相手をダマして裏をかいて突然違うことをやっちゃう、というのはアリ。

というか、その方がおもしろい展開になったりするので、後はキャメラがちゃんとついていけるかどうかですが(汗)。映画はあくまで画でみせるものですから、そりゃちゃんと撮れていないとお話にならないので。

さすがにすべてキャメラの前で起ったことをぶっつけ本番一回きり、ではなくうまく行くまで何度も繰り返すことはあります。一発目でうまく行ったらそれに越したことはないわけですが、一応別のパターンもやっておこう、みたいなことも…出る人次第ですね。基本的にキャメラの反対側、演出の側から「言う通りにやれ」ということは…どこに立ってどこからどこまで動くかくらいは、指示しないと撮れない場合もありますしどうせならカッコよく撮らなければ意味がないので臨機応変に調整はしますが、キャメラが廻ったら出演者が好き勝手やっていいことになります。

んでもって上の冒頭シーン抜粋見れば分かるように、廻り始めたらこの場合3分間はずっと廻ってるので、そのあいだはどうぞご自由に、そうやって好き勝手やったら上の抜粋みたいなシーンが簡単に撮れてしまうんです、どうです楽でしょう?(…ということにしておきます、今のところ。絶対に『ぼくらはもう〜』出演者からは「嘘だ」と言われるんだろうけど…)。

じゃあそこで撮る時に「どの人物とどの人物とどの人物」って、その「人物」ってどういうことよ、と必ず突っ込みが入るんでしょうね。ハイおっしゃる通りです。お話の順番が逆でした、すみません。

登場人物は、参加したい、出演したいという人が、持ち込んで来ます。キャメラのこちら側、演出、つまり僕の側からはなにも提示も要求も、押し付けません。アイディアくらいは出したり、提出されたストーリーについて相談には乗りますが、まず「自分はこういう人物を演じたい」あるいは「自分自身のこういう体験が」が映画の出発点、つまり普通の脚本があってそれに合わせてキャスティングして、という普通の(大なり小なり演劇的な)やり方とはまったく逆のプロセスをやるわけです。

参加したい、出てみたいという人には、というわけで「演じてみたいストーリー」をまず持ち込んで頂きます。

「ストーリー? 人物じゃないの?」と訊かれそうですが、その疑問はまったく正しい。

でも、じゃあ「人物」ってなによ? …となるとよくプロの俳優では自分の演ずる人物の履歴書を作る、というテクを使うのですが、履歴書読んで本当にその人の人となりなんて分かるんだろうかというと…。分からないでしょう。「長所」で「明るい性格、楽天的、協調性がある」と本人が書いても、人が見たらまったくそうは見えなかったりするし、実際に協調性が必要な場面で協調性ゼロで行動したりもするだろうし、「楽天的」なはずなのに壁にぶち当たって暗く落ち込んで鬱病になったりするかも知れない。実は鬱病になってみて初めて自分が真面目で誠実で一生懸命なぶん、鬱病になり易い、精神科医の言う親メランコリー的性向だったことに気づくなんてことも、実はよくあることのようです(だいたいなる人に限って、「まさか自分が」と思っている)。

今時の世の中に蔓延する「個性」をめぐる幻想だと、内面にある個性とそこから来る一貫した意思によってその人間の行動は規定されていて…ということになっていて、いわゆるメソッド演技ではそれを「貫通行動 Main Action」と呼び、その内面から出発して実際の行動が決まってくみたいな方法論なわけですが、たぶんそれは、我々が現実を生きている感覚とは実は異なっているはずだ。だいたい人間の「内面」なんて外からは見えない(まして機械であるキャメラには写るわけもない)わけで、我々は他人の外側に見える行動や表情、しゃべり方などなどによってその人がどういう人物なのかを推測するわけだし、では自分の気持ちはどうかと言えば、それだって本当にどこまで自覚できているのかは怪しいのが正直なところ。だいたい人間というヤツはどうしようもなく言葉で考えるように出来ている生きものだから、自分の気持ちだって頭のなかで言葉を使って自分に説明して納得させているものだ。

小難しく論理学の用語を使えば「帰納法」か「演繹法」の違い(…って中学の数学で習う話だった。えばることじゃない…)ということになるんでしょうが、たとえば自分がどういう人間かを知るときに、心理テストだとかだったら「こういう時にあなたならどうする?」という質問に具体的な行動を推定して答えるわけで、逆に言えばどういう行動をとるかによって初めて自分がどういう人間かが見えて来るというのが、現実だ。しかもそういう人格というもの自体が、周囲で起ったことに対するリアクションとしての行動から決まって来る。

それどころか、下手すると自分で信じ込もうとしていることも多々あるのが実際の人間だろう。たとえば「愛している」という感情なんて、その典型だったり、とくに夫婦の倦怠期だとか、新婚後の幻滅とか(…というときに思い込み、信じ込みに囚われると、鬱病ならまだいい方で、下手するとDVや殺人事件になるような話が、最近とても多い)。実は我々は、自分のことだって自分の行動から理解しているに過ぎないわけで、さらにはハタから見たら分かり切ってることが自分では分かってなかったなんてことすら、後で気づいて身に覚えがある人も多いのではないでしょうか?

…というわけで人物を持ち込んで頂くにあたって、その人物の流れをストーリーとして持ち込んで欲しいわけです。なに、ストーリーといってもどういう形式でも構いません。小説みたいな形でもいいですし、原作権のことは追々考えるとすればもっとも共感した、もっとも自分に近い、「これは私そのものだ」と思った小説を持ち込んで下さっても構いません。もちろん映画や演劇の台本の形式でもいいし、ペラ一枚くらいのあらすじ、こっちの業界用語でいうシノプシスでも構いません。なにも起らない人生だから物語にならない、というのなら詩みたいな形式でも、そこに時間の流れがなんらかの形であればそれでも構いません。お話の展開がなくてもただ「こういうことをいつもやってる人間」でも、そこになにかのアクション(単なる身体の動きでもいい)があれば、それで構いません。

自分のこと、いわゆる自伝的ストーリー、あるいは自分にこんなことが起ったらどうするだろう、と考えて書くのがいちばん楽でしょうし、「実はこういう人間になりたい」あるいは「やってみたい」ということで自分からかけ離れた話でも構いません。心配しないでも「こういう人を演じたい/なりたい」と思っていることそのものにあなたという人格の一部が現れているのですから、出発点としてはそれで十分です。

なに、それがそのまま映画になるわけでなく、そうして持ち込まれた複数の人物が大阪という都市のなかで出会ったりすれ違ったり、並行して参加する人がみんなで話し合ったり相談したり議論したりして映画を作って行くのですから、だんだんいろんなことが見えて来て、人物像が絞り込まれて行くことになるはずですから。心配しないでも、実際にそれが出来て「立派な映画」(黒沢清監督のコメント)として出来上がることは『ぼくらはもう帰れない』で証明してますから(しかも国際的にはけっこう評判になったり…)。

…と、ここまでが『ぼくらはもう帰れない』を始めたときの「ゲームの規則」だったわけですが、今回は大阪でやるに当たってもう少し発展させたいと思ってます。

まず僕は大阪をよく知りませんから、「こういう話だったらここでやろう」というほど土地勘がないので、その人物がどこに住んでいるかどの辺りで仕事しているかして、だいたい大阪のどの辺りで主に出没するのかは、基本的に大阪の人、出演者に決めて頂かなくてはなりません。とはいえ自分で決めなくても、ストーリーが提出されたあと参加者全員が目を通してディスカッションやワークショップみたいなことをするので、そこで他の人から「ここがいいんじゃない?」みたいな話が出て来るのは大いにあり得ますが。

あくまで「みんなで作る」集団製作による即興の積み重ねですので。

大阪地元でキャメラのこちら側で協力してもらう予定の人もいますので僕だって多少は相談し教えてもらって意味がわかるように努力はしますが、一方でなんで今回大阪でやろうと思ったのかと言えば、「大阪という街をもっとよく知りたい」からというのが素朴な動機のひとつですから。

もう一点、これはちょっとハードル高くなるかも知れませんが、持ち込むストーリーにはどこかで「殺す」というアクションを入れて下さい。『ぼくらはもう〜』はコメディだったので今度はちょっとスリラーにしよう、といういい加減な思いつき? う〜む、確かに「思いつき」なのでなぜその要素が、というのは後付けの説明にしかならないのですが、このブログの昨年6月分のこの辺りからちょっと読んで頂いたり、このラベル検索タグでチェックして頂ければ、あとこのエントリーに引用している『ぼくらはもう帰れない』の監督ステートメントを読んで頂ければ、そんないい加減な思いつきだけではないと納得して頂けるんじゃないかと…。一応再引用しておきますか…。

 完成以来2年も経って、まだ日本でほとんど上映していないこの映画に、最近ある空恐ろしさを感じる。もちろん物騒な事件などなにも撮っていないし、どれだけみんなが笑ったかがNGかOKかの基準だったほどの、お気楽なコメディだったはずだ。

 でもたぶんに無意識ながらも、ボクらの記憶に共通する事件があった——宅間守死刑囚だ。子どもを殺すのだけは絶対に許せないという一点を除けば、ボクらにとって、宅間は必ずしも理解不能な存在ではない。

 『ぼくらはもう帰れない』には「ゆとり教育」を信じる気にもなれず、小泉純一郎の狂騒にも付き合いきれなかった日本が写っている。そこには宅間守的な孤独と疎外感に通じるものも確かにある。

 その上で“ああいう風には絶対にならない”方向のギリギリのところを必死で探ったのが、ボクらの即興プロセスだったのかも知れない。

 一方で小泉後の日本はボクらのフィクションとは別方向に進んでしまい、加藤智大容疑者の秋葉原の事件が起こった。ついそう思ってしまう怖さも、このお気楽なコメディのはずの映画に、今は感じてしまう。

藤原敏史、2008年7月

横浜黄金町映画祭のための監督ステートメント


…といっていかに “時代の気分” だからって別に「人殺しを演じろ」というわけではありません。ただ「殺す」だけで誰を殺すんでもなにを殺すんでも、どういうふうに殺すんでも、誰を殺すのかも動機もどうやっても、まったくの自由です。

だいたい、参加者全員が他殺とかテロとかやってたら、スリラーどころか黙示録的スプラッターになってしまいますなぁ…。あと世の中やっぱり、どうやっても殺しなんてやりそうにない人というのもいるんでしょうし、どう見ても「殺し」なんてやりそうにない人に「殺し」を演じさせても、しょせんまったくの作り事に見えて使えないでしょうから、実際に演じ始めちゃったら「思いつく」「ふとそう思う」だけで終わっちゃう人がほとんどになるはずなんでご心配なく。

…と思っていたら、ラストは大阪が大規模テロで壊滅とかになっちゃったりして(^^;)。

…というわけで参加者を募集しますので、なんとなく興味をお持ちの方はコメント欄に書き込んで下さると助かります。こちらで承認しないと公開はされませんので、メルアドなどを知らせて頂いても大丈夫です。その希望を明記して下されば、拝見したあとコメントの方は削除して、こちらから連絡しますのでよろしく。また企画書の方も近々にまとめて、こちらにリンクを貼ってダウロードできるようにする他、開店休業状態の当ページ別館を活用することにします。

演出は現住所東京の出身がどこかよく分からない人間ですが(笑)、こういう方法論でこういう実験をやるからには、大阪が地元の映画にならなければいけない。そもそも映画なんて監督一人の妄想で出来るものだとは当ウェブ日記執筆者はまったく思っていないのだが、この企画はこれまで以上に、「交通整理のお巡りさん」としての能力を発揮することに徹することになるんだろう。

さすがに有名俳優やスターは出てもらえんだろうが…。ときには現実の街の雑踏なかに放り込むという撮り方からして、無理か…。いや意外といけちゃったりもしたりするかも知れないし、今までと違った側面、その人のもっと突っ込んだ本質的な魅力やなんかを引き出す映画になることだけは、保証します。それが今後の商売につながるかどうかは、やってみないと分かりませんが(^^;

まったくの演技初体験の人でもプロの方でも、怖くなったり嫌になってドロップアウトすることがあったり、あるいは途中で自分には合わない、居場所がないと本人が思ったら、それでは演出のしようがないのでこちらとしては止めたくても引き止められませんので。

だって強引にいてもらっても、それで使い物にならない芝居をされたら,演じてもらって撮らせてもらっても意味ないですから。つまり自分に対してもキャメラに対しても、もっとも正直であってもらえればそれでいいし、その環境をつくるのがいわば「交通整理のお巡りさん」としての当方の演出の最大のお仕事ですから、なにかを引き出そうとする(本人が自分で気づいてないことを含めて)ためにいろんな手を使うことはあるかも知れませんが、なにかをこちらの思い通りにやらせようとするプレッシャーのかけかたは、やりません。やったら失敗しますので。

ギャラが払えるかどうかが微妙なところではあるけど、そうか、有名俳優が出たらそれだけ製作費は集めやすく、公開もしやすくなるのか?

なんて夢みたいな冗談ホラ話はさておき…と言って、スターがおもしろがって参加して下さるぶんには本当に一向に構わないのではある。ただし扱いの上ではまったくの素人の出演者がいても分け隔てはいっさい、演出としてはいたしませんし(製作部的にはそれなりの環境はできるだけ提供しますが)、複数の主人公のなかでスターがスターだからより目立つことになるかどうかは、本人次第です。

プロの俳優さんでもその技術としての「演技力」にも、“スターや有名人” ということならそういううわべの、社会的地位のクオリティに頼るつもりはないし、頼れるような撮り方も演出も僕はできないので(ただ「巧く演じてる」だけだと、見ていてイライラしてNGになっちゃうので)、あくまで本人がキャメラの前でどれだけ頭と感性と身体を使いこなして役柄を通して自分のいちばんいいところ、おもしろいところをさらけだして下さるかどうかが勝負です。

映画というメディアは本来、人間としての魅力がすべてだし、作りもので「芝居」をしていると、本来映像に写っているのはその演技をしている人に過ぎないわけで、とくに即興の方法論ではその場で作り込める程度の技巧では、嘘が透けて見えてしまうことになる。もっとも、常に自分を演じている人間という登場人物としてはこういう映画のなかに存在できる可能性はあるのだが、よほどのことがないと必然的に脇役になっていくんだろうと思う。


最後に具体的なスケジュールなどを、今わかってる限りで説明しておきます(ってなんにも決まってないんですが)。

まずGW辺りに来阪(…って言うのか?)して1週間くらいで、この将来の長編のたぶんファーストシーン、とりあえず「こんなことやります」の名刺代わりというかプロトタイプで、10分間くらいのワンシーン・ワンカットを撮ります。ワンシーン・ワンカットだったら一日だろう、どうやって 1週間かけるんだ? いえいえ、5〜6日かけてこのシーンの登場人物の役柄を詰めて、1日で撮るんです。それに合わせて、すでに参加したいという人がいたらぜひお会いして、役柄を詰めるプロセスや撮影にも出来れば立ち会って下さい。

GWに撮るシーンはちょっとヒネって、出演者の実際とちょっと設定がかけはなれて、ファスビンダー『自由の代償』のワンシーンをベースにした即興となります。70年代のドイツと現代の大阪では当然ながらぜんぜん状況が違うわけで、その異質な設定をあえてぶつけたらどうなる、というのも興味の一部でして、ですから参加を考えて下さってる人も、必ずしも現代の大阪に限定して舞台を考えなくても構いません。かけ離れた設定のストーリーを大阪のどこにぶつけるかは、追々考えればいいんで。

だいたい、『ぼくらはもう帰れない』の発想自体が、ロバート・クレイマー『アイス』『マイルストーンズ』を21世紀初頭の東京でやったらどうなる? という出発点だったんだっけ。


  ロバート・クレイマー『ルート1/USA』(1989)

  Robert Kramer's official site http://www.windwalk.net/

*急な話ですが、『マイルストーンズ』は今度の週末に東京日仏学院で上映されます。
http://www.ifjtokyo.or.jp/agenda/evenement.php?evt_id=1437


さてその後はどうするかは…なりゆき…? 

いやまあ、そうとしか言いようがないんですが、これがうまく行けばちょこちょこと大阪と往復して、メーリングリストか掲示板を作るのでそこを使って遠距離でもいろいろ話をしながら、6月くらいから本格的に撮影に入りたいと思います。仕事がある人や学生さんも参加できるように、なるべく週末や夏休みを利用して撮影を進めることになると思いますので、撮り終わるのは秋くらいかな…。

とはいえ大阪と行き来するだけで交通費だけでも大変なので、今回はプロデューサーとか捜さないと…。というわけでGWで撮るものはそのためにも利用できればいいんですが…。

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