数日前にアノ『週刊新潮』の中吊りで「中国を批判できない朝日の『チベット報道』」、「なぜ『南京大虐殺』の熱意で『チベット大虐殺』を書かないのか」と出ていた。なら自分でも熱心に南京における日本軍の非人道的行為も糾弾して頂きたいものではあるが、朝日新聞とテレビ朝日がなさけないほどに、ことなかれが信条のNHK以上にチベット報道について及び腰なのは確かだ。テレ朝の報道番組で中国を真っ向から批判するのは、社員でないキャスターの『報道ステーション』古館伊知郎ぐらいなもので、それですらパートナーの朝日新聞の解説委員は、元北京支局出身だったりすることもあるのだろうが、非常に及び腰を通り越して故錦擣の立場を説明するのがほとんど擁護になっている。
まあしかし『週刊新潮』も『週刊新潮』。北京政府側はチベットにおける弾圧を否定し、民衆蜂起を「ダライ集団の陰謀に扇動されたごく一部」と言い続け、当初は当局側の発砲の事実さえ否定し続けていたが、『週刊新潮』などが「ねつ造」と主張する南京大虐殺は、日本陸軍の公式記録では「便衣隊を処刑」とある。「便衣隊」とは軍人が民間人に変装してスパイ/ゲリラ行為を行うことで、国際法上は民間人扱いには当然ならず、軍人であることを不当に隠しているため捕虜の保護の対象にもならず、処刑しても人道的・国際法的に問題にはならないとされている。
といって、これほど好都合のいい言いわけもなく、要するに平服の民間人を捕まえて「便衣隊」と決めつければ、いくら殺してもいいことになるわけで…。何万人も「便衣隊」がいること自体、不自然極まりないし、じゃあ便衣隊であることを証明する取り調べなどはあったのか、っちゅうわけで、「南京大虐殺」に多少の誇張や、不明の部分があるのは確かであるものの(だいたいそういう混乱状態のなかで「全容」が本当に把握できるわけもなく)、「ねつ造」を主張する人々の根拠はこの程度のものでしかない。「便衣隊を処刑」というのは、要するに「民間人を殺してしまいました」というときの体のいいいいわけに過ぎないことぐらい、誰にだってわかる。
同様に、民衆蜂起を「ダライ集団の陰謀」による「ごく一部の独立派」といくら主張したって信じるのは『週刊新潮』や稲田朋美レベルに自分たちの過ちについて盲目な自称 “愛国者” に過ぎないのだが、それだけでなくいわゆる中国側の主張が日本のいわゆる “右派” の皆さんの、たとえば「日本は朝鮮半島や満州にいいこともした」と言いたがるのとまったく同じ論理展開なので空恐ろしくなる。朝日と同様に「チャンネル桜」方面からは「反日メディア」と言われている毎日/TBS系だと、TBSのお昼のワイドショー「ピンポン」では、もう毎日チベット問題とオリンピック聖火騒動を取り上げ、2006年の来日時にダライ・ラマに取材して以来すっかり人間的に惚れ込んでしまった元NHK「週刊こどもニュース」池上サン(NHKなのにアメリカが強引にイラク侵攻しようとして国連でやったことについて、こどもたちに「ずるーい」と言わせてしまった人)がしばしばコメンテーターを務めたりしているのだが、今日はスタジオ生激論。チベット側は元ダライ・ラマ法王駐日代表部のペマ・ギャルホ氏、中国側が日中環境協会というNPO
しかしペマさんもその理由は分からなくもないながら、一時はウヨクな人々にあまりに近づき過ぎたり、ちょっとうさんくさいところがなきにしもあらず(モンブランのペンを持ってたりするせいで、偏見です、たぶん)、上品で知的な風情でいてその実政治的なウラの動きに長けた食えない人の匂いがプンプンする人ではあり、論敵としては相当に手強いのだろうが、それにしても中国側の代表でこうもうさんくさくて頭の悪い政府プロパガンダ垂れ流し女を連れてくるのも、こうなるとディレクター側の悪意かしらんと邪推したくなる。調べてみると島村宜伸元農林水産大臣(稲田朋美あたりを操ってるらしい楽しいタヌキ親父)が会長だったり、どうも日中両国の政権側の息がかかった「日中友好政策」の御用組織っぽいのだが、せめて多少は知性があり、政府の代弁でなく自分の意見(に聞こえること、というのでもとりあえずいいから)をきちんと言える人を出さないと、あかんでしょう。NPOつまり民間人が政府発表そのまんまのことを言っている時点で、中国においていかに政治的抑圧が強く自由がないかが印象づけられてしまっても文句は言えない。最低限、まともに日本語が出来ないと、日本語が極めて流暢なペマさんに太刀打ちできるわけがない。墓穴掘ってるようなもんじゃない。
それにしても宋青宜女史の主張と来たら目もあてられない。チベットでは中国支配下に入ってから平均寿命が伸びたとかうんたらかんたら、あっけなく「それは世界じゅうで伸びているでしょう」でおしまい。極度な貧困国を除けば、医療の進歩で過去半世紀において人間の寿命そのものが伸びているのだから。「昔のチベットには農奴がいた」って、そりゃ中国だって革命前は同じどころかもっといっぱいいたし、今だって現状は、市場経済を導入した結果農村から流出した労働者の酷使のされ方と言ったら国際的な人権団体からずいぶん批判されているし、農村における環境破壊は深刻だし、地主から解放された代わりに共産党末端組織にがんじがらめにされるんじゃ大差ないわな。それにペマさん曰く「そもそもチベット人は大半が遊牧民ですから」。「解放」以前の教育水準を批判して識字率が2%って、そこまではさすがにペマさんたちは言わなかったが、それって「中国語ができる」パーセンテージじゃなかったっけ?(そういうデータしか中国政府は出してない!) チベット語が出来る識字率でしたら、一家で最低でも一人は僧侶にする習わしから、中国よりもずっと識字率そのものは高かったはずだ(約3割と推計され、当時のアジアでは江戸時代末期で8割を超え、終戦時には90%以上だった我が日本国を除けば、かなり高い水準)。お経も読めなきゃ坊さんはつとまりませんから。
…と言うか、その言ってること自体の事実性の問題以前に、根本的な疑問−−中国政府がそんなにすばらしい政治をチベットでやっているのなら、なぜチベットで民衆蜂起が起きるのだろう? なぜ今も多くのチベット人がわざわざヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命するのだろう? 現に不満があるときに、「寿命が延びた、教育も充実した、経済発展もした」といくら「中国はいいことをした」と言ったところで、なんの説得力もない。それは日本の右派の皆さんが朝鮮半島支配について「鉄道も造った」云々を言い張ったところで説得力ゼロなのと同様。バカな英国人あたりがしばしば口にして大顰蹙を買う類いの、植民地主義の論理でしかない。っていうか、今や北京政府の言うことって、毛沢東が徹底的にその非人間性を否定したはずの帝国主義の論理そのものだ。
だいたい「環境協会」理事長が、チベットの地下資源開発に伴う危険性が高い環境破壊の問題をスルーするんじゃどうしようもありません。もっともペマさんもかなり過激な発言がひとつあり、「漢民族が増えること自体がチベットにとっては環境破壊になる」…って、そりゃそうなんだけど(現在の漢民族の生活様式自体が環境破壊的)そこまで決めつけると誤解されかねません。もっとも、チベットの文化が単なる人権問題を超えて注目を集めているのは、まさにいわゆる「近代化」につきまとう環境破壊的な考え方のオルタネイティヴを提示しているからでもあり、その意味で漢民族を大々的に移民させての「経済発展」は、確かに環境破壊にほとんどダイレクトに結びつく。中国本土の環境破壊は、そりゃヒドいもんだし、二酸化炭素排出の割当にしても、そりゃ排出しまくって経済発展を遂げてしまった先進国が言うのも勝手とはいえ、中国政府もあまりにも自己中心的すぎる。いや地球全体のことを考えるべきだという以前に、この調子でやっていると中国自体の環境が破壊されかねない。あまりにも後先を考えなさ過ぎだ。いわゆる「先進国」がいろいろ犯した過ちを、そのまま踏襲する必要もないだろうに。
「もっと勉強して下さい」とばかり繰り返すのはいいけど、今さらそれ以前のチベットの政治体制の批判をしたところで、ダライ・ラマ14世本人の意向で祭政分離の方針が亡命政府で一貫して進められていること等々、「あなたこそもう少し勉強しなさい」と言われかねないていたらく。ペマさんにはあっさりと、亡命政府が選挙ベースの民主制で、チベット人なら誰でも投票権があること(ペマさん自身が投票していること)をアピールされてしまっていた。それにしてもなんでこんな人が中華民族代表で出て来たのだろう?
あげくの果てに「自分たちの代表を自分で選ぶのが現代の世界における自由」と指摘されても、「中国は13億人もいて、中国独自の進歩の仕方があるのだから、押し付けるな」だそうです。「つま中国13億人の民はバカだから自分たちの代表を責任もって選ぶ能力がないとお考えなのですか?」と突っ込まれても文句は言えないような情けない論法を、半分以上意味不明の日本語でダラダラと繰り返すのみ。いったいこの人、なにを考えてテレビに出たのだろう?
TBSが別個に取材していた、中華料理店の店員さんも、ほとんど自爆テロに近い論法。ネットで中国の報道をちゃんとチェックなさってるそうですが、中国の公的なメディアの報道はすべて政府の統制が入っているのは世界の常識。かなり改善はされて来ているものの、反政府活動家が外国メディアの取材を受けたら「国家の安全を脅かした罪」で有罪判決が出てしまうような法制度(で、その法律だって国民が選んだ議会で決めてるわけでなし。もっとも我がニッポン国だってこれまで官僚が作った法律をほぼ自動的に与党が通してしまうのが常ですが)が未だにある国で、ことチベット問題では先月の暴動だって報道官制の敷き方が猛批判をくらったばかりだ。当然中国メディアでは「チベットに自由はある」と報道されている−−漢民族で占められた共産党支部に従う自由は(名目上、自治政府職員にはチベット人が雇われるようになっているものの、共産党支部の「指導」には全面的に従うしかない)。宋青宜女史は自らも仏教徒だというが、憲法上は「信教の自由」は書かれているものの、中国政府がパンチェン・ラマを「指名」し、次のダライ・ラマの指名権まで政府にあると法律を作り、現ダライ・ラマの写真を寺院に置くことすら規制する「自由」というのも、たいした信教の「自由」です…って知らないのだろうが。
あげくの果てにこの中華料理店の店員さんは「チベットは中国の一部」で「チベット語は中国語の方言」って、あのぉ…。言語学的にまったく異なったルーツを持つ言語であり、交流は歴史的に密接なものの、異民族です。それにダラムサラの亡命政権とダライ・ラマの公式な立場は、あくまで中華人民共和国内でのちゃんとした自治というだけで、政治体制的、軍事的、外交的に中国の傘下に入ることをむしろ希望している。中国にいるのならともかく日本ならネットではフィルタリングのアクセス規制がかかっている中国国内と違って、どこの国のニュース・メディアでも読むことができる。それに外国に暮らしているのだし、自民族というアイデンティティと現政府を無思慮に同一化しないでもいいはずなのだが。4千年だか1万年だかの歴史のなかで、中華人民共和国は半世紀の歴史と伝統しかありません。
だいたい、現政権やその盲目的支援勢力が中華帝国に批判的(共産主義なんだから当然だが)なわりには、チベットが清朝の実質的保護国だった(…のは、皇帝がチベット仏教徒だったからであって、いわゆる属国とは扱いが違う)ことや、ダライ・ラマがチベットで政治的実権を握ったのはモンゴル皇帝の支援を受けて(こちらもチベット仏教徒…)という史実を持ち出すのも、いささか支離滅裂だ。あなたがた漢民族の「One China」に執着すればするほど、巨大国家としての中国は存続しようがなくなる。だいたい元朝はモンゴル人、清朝は満州人王朝、そうそう、あなたがた漢民族はねぇ、異民族の皇帝に占領されてたんですよん♪ お国の国父である孫文は、異民族支配を打破する漢民族の民族主義を三民主義のひとつに位置づけてたんでしょうに。
それに「チベット語は中国語の方言」って、そりゃ無知を曝け出し過ぎ。だいたい文字ですらまったく共有していない。この調子だと文字まで共有している日本語や朝鮮語まで(言語学的にはやはりまったく別系統だが)「中国語の方言」にされそう…。「中国の一部」って、この際だから「中国はモンゴルの一部です」とか、「中国は満州の一部です」とでも言ってあげようか。彼らの理屈だと歴史的にはそういうことになるし、いっそ青海省と四川省も甘粛省もチベットです、となる(単なるいやがらせですが)。元朝や清朝を持ち出すのなら、ギリシャかマケドニア辺りがプトレマイオス朝を持ち出してエジプトの領有権を主張したりして(笑)。今さら「大中華帝国」の時代でもあるまい。チベットだけでなくモンゴル人もウスベク人等など、少数民族の権利を認めたゆるやかな連邦制に以降しなければ、もたなくなるだろうに。もう普遍的原理としての社会主義の理想もとっくの昔に破棄しているんだから、各民族の独自性を認めない正当性がない。
「中国とダライ・ラマの対話」はどちらの中国人も賛成だそうだが、条件は「ダライ・ラマが独立を取り下げれば」って…。もう30年以上「独立でなく高度な自治」をおおっぴらに主張していますし、日本でもさすがに大きく報道された先日の記者会見でも、繰り返し言っていました。中国外務省の報道官は「言っていることとやっていることが違うから信用できない」とか言うだけで、先月の民衆蜂起をダラムサラの亡命政府なりダライ・ラマなりが「扇動」した証拠などまるで出せていない。それは部外者から見れば、「無根拠な言いがかり」にしか見えません。それか単なるパラノイア。
単純にナショナリズムな人々ってのは、本当に困ったもんだ。チベット支援の抗議運動に対抗して海外でデモやっている中国系住民の大半は、要するにチベットが独立すれば中国の版図が狭まるから、中華民族が支配する地域が狭くなるから文句を言っているに過ぎない。それは民族アイデンティとかの意識においてバカ単純すぎて危険なほどだし、少数民族を支配する漢民族の一員であるということに誇りを感じる「愛国心」ってのに到っては、自分たちが海外に移民してマイノリティの立場にあるコンプレックスの裏返しにしてもあまりにも幼稚だ。チベットを離れることによってチベットの文化と民族的アイデンティティを維持しようとしたダライ・ラマの方がよほど知的に洗練されて教養と精神性を感じさせるし、「民族文化」と「民族的アイデンティティ」についてのより高度で普遍的なことを考えさせる。
中国ではネット上でフランスのスーパーのチェーン「カルフール」の不買運動の呼びかけが広がってるそうだ。こうなると彼らの無根拠な愛国的熱意にはバカバカしくてつき合ってらんないよ、というのが正直な感想。一方でパリの聖火リレーで「身を挺して聖火を守った」車椅子フェンシングの女性選手がメディアで英雄に祭り上げられてるんだそうだが、こうなると盲目さも極まれり。実際のその場面の映像では、特殊警察部隊である聖火警護隊がとっとと彼女を静止し、なにが起っているのか分からずあっけにとられた彼女の持つトーチをテキパキと消火し、バスに避難するように言い、状況が理解できない彼女を放置して自分たちは勝手にトーチを持ってバスに向かう。これじゃ彼女から聖火を「奪った」のは聖火警護隊ぢゃん。彼女は騒ぎが起った方向とは逆方向にとっさに聖火を動かしただけ(誰だってそうするでしょ、反射神経が機能していれば)で、あとはなにが起っているのかも分からないままに聖火警護隊のなすがままに…つまり中国当局が聖火を消しただけ(しかも彼女は放置)。新華社や中央電視台がまさに「ねつ造」したヒロインに過ぎないのだが、そのねつ造の根拠であるはずの映像がぜんぜんそんな英雄的行動なぞ伝えていないときに、なんで騙されるんだろう? 普通、あの映像を見たら聖火警護隊への批判が高まっておかしくないのだけれど…。
本当に中国全体がそんなに愛国心で燃え上がっているとは、もちろん信じ難い。だいたいネット掲示板というのはたいがい、残念ながらそういうメディアに過ぎないわけで、それは日本の2ちゃん系右翼や、中国の「カルフール不買運動」に限った話ではない。英語の掲示板でブッシュの批判をすれば、アメリカのNERDSな「愛国者」が支離滅裂なことで「炎上」する。それはブッシュの不人気が明白になった現在ですらそうだ。
だがそれにしてもいわゆる「中国側」の動きは不可解だ。お国がかりで自国がファナティックなファシストの集団であるかのように喧伝するのが愚かなことだと、なぜ気がつかないのだろう? 他人から見て自分たちがどう見えるのか、ということにまったく考えが及ばないのだろうか? 日本ではまだ映画『靖国』を潰そうとしているのはごく少数の、はっきり言えば “おかしな” 人たちでしかない。政府高官だって少なくとも建前上は、実質上の事前検閲になった国会議員試写騒動などに批判的だ。もっとも、福田さんは自民党総裁なんだから、その愚かなことをやったのが自分の党の議員であることにもう少し責任を感じてもらいたいけれど…。まして映画祭とは比べ物にならないメジャーなイヴェントのオリンピックだ。もう少し世界の注目を浴びていることを考えて行動するのが、あれだけの大国を統治するのに必要な賢さだと思うが。
なんだかこうなると、中国全体が第二次大戦に向かう時代の日本にそっくりに思えて来る。そういえば1964年にやっと開催された東京オリンピックは、当初は1940年に行われるはずだったんだよね。ニッポン帝国主義を激しく批判するのなら、同じ過ちを自分たちで繰り返すのはやめて欲しい。
宋青宜女史のような人を見ていると、あれは日本のテレビで日本人に向けてアピールしているのではなく、「中国側の主張をアピールする私」を日本に住む中国人や、それこそ大使館とか北京の政府にアピールしているように見えて来る。というか、彼女の出演にはまったくもって、それ以上の効果はないだろう。オツムの程度の低さはまさに稲田朋美並みと言いたくなるが、ちょっと怖くなってくるのは、くだんの中華料理店の店員さんにしても、ああ言わなければ、自らの愚かさを曝け出さなければ、中国人社会のなかでの自分らの立場に危険が及ぶから、とも想像できてしまうことだ。大国のくせに世界のなかでの自分たちの見え方をまったく考えられないというのは、アメリカ並み?
(ちなみにタイトルをクリックすると、あまりにアホらしくて言葉を失うページにジャンプします。お楽しみ下さい。もっとも、「こうしなければいけない彼ら」を考えると、あまり笑っていられなくなるのだが。「進め一億火の玉だ」だけでも十分に物騒だが、「進め12億火の玉だ!」ってのは、そりゃもう…)
…しっかし、低レベルな話を延々と書き連ねてしまったが、さしあたりの結論は、島村元農水大臣(かつ島村元現陛下のご学友)は、宋青宜女史とか稲田朋美代議士とか、ホント女の趣味が悪過ぎませんか?
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