最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

7/26/2008

『ぼくらはもう帰れない we can't go home again』の東京圏初上映!


    「この映画は21世紀の『勝手にしやがれ』である」

なんちゃって。自画自賛のお気楽な暴発はともかく、とりあえず上映予定

   7月26日(土)12:30 *上映後、16:30〜シンポジウム
   7月28日(月)20:30 *上映後、質疑応答あり
   8月 1日(金)10:30

http://www.koganecho.com/program/main/bokurahamou/

会場は横浜のかつてのドヤ街、黄金町にある名画座「シネマ・ジャック&ベティ」で、そこで行われる『横浜黄金町映画祭』への参加です。


なんでも海外の映画祭で評価されながら日本では公開や上映がされていない映画ばかり集めた映画祭ということで、こうして見るとずいぶんと公開されていないおもしろそうな映画があるものだと改めて感心。いかに日本の映画配給・興行業界の能力が落ちていると言われる昨今でも、これではあまりにも寂し過ぎる。

海外の映画祭でちゃんとお客や審査員、批評家が褒めてるんだから、少なくともつまらない映画、見る価値のない映画であるはずはないんだろうし(と、とりあえずそう思うことにしておこう)、興行価値が云々と言うのは、結局は知名度、たとえば有名な俳優さんが出ていないとか、売り方に困るということなのだが、「それを宣伝するのが配給・宣伝の仕事におけるチャンレンジではないんですか?」とつい言いたくもなる。それはお金のリスクは無視できないにしても、そういう挑戦やクリエイティヴィティなしに、なにが楽しくて映画の仕事をするのだろう?

配給会社でもつかないかぎり、宣伝費に下手すれば劇場の保証興行の費用(要するに一回あたり幾ら幾らと、客の入りに関係なく映画館だけは確実にもうかるように、お金を払わなければならない)までかかる場合もあるとなれば、配給すること自体があまりにもハイリスクになってしまうし、それ以前に元手がなくて公開できなくなってしまう。

努力すればなんとかなる、と言われたって映画を作っている側は映画を作るのが仕事であって、配給宣伝にそんなにエネルギーは費やせないし、だいたい、じゃあ劇場は努力しないでいいということなのだろうか? 細かいことを言ってしまえば、10数年前までは宣伝費は劇場側も持ち、優秀な劇場、とくにミニシアターは自分たちの持っている宣伝能力でその評価と信頼を高めていたはずだ。それが今ではほぼ全面、配給会社負担になってしまった。不動産資本を持っている側が…って言うのでは、マルクス的に言えばあまりに分かり易い暴虐なる資本主義じゃないか? いや別に、それならそれでいいんだけど。しょせん資本主義の世の中なんだから。でも、そうであるのなら「映画への愛」とかの偽善は言うべきではないだろう。とくに映画館に若者や学生を呼びたいのなら、さすがに教育上よくありません。今時の経済人、たとえばキャノン御手洗氏がホリエモンを悪人呼ばわりするくらい気持ち悪い。

まあそんなことはともかく、自分の作った映画を自分で宣伝するというのは、どうもあまり健康な精神ではやってられない気がする。

たとえば「これは21世紀の『勝手にしやがれ』である」とえらく大仰にふりかざした大言壮語を宣伝コピーにしちゃおうか、って言うのとか、他人が言って下さるのなら(って現にそう言われたことすらあるし、実際問題として理屈としてはそうと言えなくもないんだろうが)ともかく、自分で宣伝をコントロールしてたらやはり言えないでしょう。そこまで言わなくたって、いくら客寄せとは言え自分で自分を褒めるみたいなのはどうも気が乗らない。謙虚とかそういうのではありませんよ。単に生理的に気持ち悪いのである。

だいたい、少なくとも僕の場合、観客が映画からなにを受け取るかは、「とりあえず見ていておもしろいはず」という最低限のレベル以上はまったく読めないし、読めるように作ってもいないし、そういう映画作りは退屈だとすら思ってしまう。『ぼくらはもう帰れない』をコメディとして受け取るか深刻なドラマとして見るか、笑うか泣くか、「ときどき『いいかげん目を覚ませ』とひっぱたきたくなるけど、なんともかわいい」(撮影監督・大津幸四郎・談)とニヤニヤ笑って見るのもとても正しいんだろうし(名キャメラマン大津がそう言うんだから正しいはず。そう言っとかないと大津さんは僕の最新作のキャメラ番なので…)、2006年のベルリン国際映画祭フォーラム部門で初上映したときにスタッフ・キャストで借りたアパートの大家さんは見ていて震えが止まらないほど感動して下さいました。

彼女の場合、離婚するかどうかで迷ってたところにちょうどすごいタイミングだったらしい。で、結局離婚はとりやめたそうです。キャストのなかには、「あなたの言葉で生きていく勇気が湧いた」と日本人の、どうもベルリンにバイヤーとして来ていた配給会社の新米社員であるらしい女性に、言われた奴までいるのだから、こうなって来ると作ってる方でもまったくの予想外。その「言葉」とはヤツが即興で思いついた言葉で、まさか当時まだ学生・20歳にもならないガキの言葉が、たとえ見事に真実をついていても、年上の社会人の女性にそんなふうに受け取ってもらえるのは、そりゃ驚くでしょう。

賛否両論にまっぷたつというのならまだ普通の話だが、「とてもチャーミング」(アトム・エゴヤン監督)など、コメディとして見る人から「現実の残酷さが画面から叫びをあげている」から、「この映画が見せる東京の人間関係は痛切で、時にゾッとさせられる」(脚本家のマリー=ジョゼ・サンセルム)まで、見方自体がまっぷたつというのは…たぶんとてもいいことなんだろうね。とくにくだんのベルリンの大家さんなど、繊細な賢い女性の評判がいいのは、自分でもちょっと自慢したくなる。

大津さんと同世代のベテラン録音マンの浅沼幸一氏には「これはみごとな超喜劇ですね」と言われましたが、僕が狙ってたのはだいたいそんなところと、あとヌーヴェルヴァーグ以来理論だけでは推奨されている演出手法を、では一回本当にやってみましょうというところ。そこで「21世紀の『勝手にしやがれ』」という話が、フランス人から出て来るんでしょう。

大津・浅沼両氏が組んでいた故・土本典昭は「さっぱり分からなかった」とお手上げで、土本の支持者のひとりであるさる社会派映画批評家の大家は、『映画は生きものの記録である』の後でこれをご覧頂いて、「フジワラ君はなにをふさけて遊んでいるんだ」と怒られたという噂も…。土本典昭が「さっぱり分からん」というのは、いかにも土本らしくてむしろ立派な反応だとすら思った。なにしろゴダールをどう思いますかと訊ねて、「真面目にやれ、と言いたい」と言った人ですから。

だから念のため確認−−−−『映画は生きものの記録である』も作ったからといって、僕は土本典昭の後継者ではまったくありません。誰よりも土本典昭自身が、最初からそんなことは明確に拒否して、「あなたの好きにやって下さい」と言っておいででした。そういうところが、土本典昭という人の凄いところだったのだが。

公開の順番を明らかに間違えましたね、これは…。『ぼくらはもう帰れない』を撮るような作家がどう『映画は生きものの記録である』で土本を見せているのか、という順番の方が絶対に自然だ。ここだけの話、こっちの映画の公開を投げてしまったのは、半分は『映画は生きものの記録である』を先に、それもまったく誤ったやり方で公開されるのを止めようがなかったからでもある。だって『映画は生きものの記録である』の公式サイトをご覧頂ければ分かるかと思いますが、こういう宣伝方針ではあの映画がヒットしたり注目されることはそもそもあり得ないのですから。これだと元から土本のファンしか見に来ないし、その大多数は彼らの期待する土本像と、映画のなかの実際の土本典昭のギャップを受け入れられず、後半に向けて漂うある種の悲壮感にもとれることを、「敗北感」だとか誤解するわけだし。

自分の映画をどうみようが基本的にはご覧になる観客の勝手とはいえ、しかも製作当時にはあの映画の真のテーマからは僕自身がちょっと逃げていたのも自覚せざるを得ないし、さすがに当時はそれを口にするのもはばかられたとは言え、「敗北感」ってのはあまりにも想像力がなさ過ぎる。76歳の老人が、時々足元もあやうい瞬間もかいま見せ、水俣の漁村の突堤で佇んでいる姿には、まともな感受性があれば「敗北」よりも真っ先に考えることがあってしかるべきだと思うし、それ以前になんで、とくに男性は、すぐに「勝ち」とか「負け」とかにこだわるのかが不思議でならない。僕が撮らせてもらった水俣の人々はそんなケチな考え方を超越しているし、我々のキャメラの前にいた土本典昭は、まさにそんな考えを超越しようとしている時の彼だった。

なにか世の中、ちょっと歪んでいる。優秀なはずの人でさえ、ものごとを見る目が曇ってしまっている。それも邪推するなら、どこかしら相当にエゴイスティックな理由で。だってあなたが「サヨク」で「敗北した」「なぜ負けたのか」と鬱鬱と悩むあまりにすっかり「他者」の存在すらお忘れなのかも知れないが、あの映画の監督が昭和45年生まれであることぐらいは、資料を見れば書いてあるはずだ。で、なぜあなた方の「敗北感」を我々が共有せにゃならんわけですか? だいたい我々から見ればあなた方の世代(いわゆる「全共闘」以降の人々)は「敗北」なんてしてません。うぬぼれるのもたいがいにして欲しい。あなた方は単に自滅して玉砕して失敗しただけです。その失敗のせいで我々やそれ以降の世代がどれだけ迷惑をこうむってるのか、少しは反省して欲しいし、あなたがたの自滅に土本の世代を巻き込むうぬぼれも、やめて頂きたい。で、『ぼくらはもう帰れない』もぜひ見て頂きたいものだが、「今時の若いモノ」はあなたがたの自滅と失敗の被害をさんざんこうむり続けながらも、なんとか頑張って生きてます。少なくともこの映画のなかでは、「敗北感」に酔いしれてるあなた方よりははるかにマトモだとすら思いますよ。

いくらまだ四十九日の前だからって、土本にこだわっていてもしょうがないので閑話休題。『ぼくらはもう帰れない』の話。とりあえず横浜での上映向けのステートメントには、こう書いてみました。


 完成以来2年も経って、まだ日本でほとんど上映していないこの映画に、最近ある空恐ろしさを感じる。もちろん物騒な事件などなにも撮っていないし、どれだけみんなが笑ったかがNGかOKかの基準だったほどの、お気楽なコメディだったはずだ。

 でもたぶんに無意識ながらも、ボクらの記憶に共通する事件があった——宅間守死刑囚だ。子どもを殺すのだけは絶対に許せないという一点を除けば、ボクらにとって、宅間は必ずしも理解不能な存在ではない。

 『ぼくらはもう帰れない』には「ゆとり教育」を信じる気にもなれず、小泉純一郎の狂騒にも付き合いきれなかった日本が写っている。そこには宅間守的な孤独と疎外感に通じるものも確かにある。

 その上で“ああいう風には絶対にならない”方向のギリギリのところを必死で探ったのが、ボクらの即興プロセスだったのかも知れない。

 一方で小泉後の日本はボクらのフィクションとは別方向に進んでしまい、加藤智大容疑者の秋葉原の事件が起こった。ついそう思ってしまう怖さも、このお気楽なコメディのはずの映画に、今は感じてしまう。

藤原敏史、2008年7月


いやホント、最初はコメディのはずだったんですが。

自画自賛はホントに生理的に嫌ながら、今日のこのブログは純粋に宣伝目的なので開き直り!


仏・カイエ・デュ・シネマ誌評
今年のベルリンで最も注目すべき発見。[中略]まるで奇跡のように、実験は作品になり、挑戦は感動になる。『ぼくらはもう帰れない』はそのフォルマリズム的なプログラムを超克し、俳優たちの身体と、大都市の喧噪、そして人物たちのフィクションがデリケートに絡まり合ってこの映画に固有の統一性、その呼吸、その力強さを生み出している。(ジャン=ミシェル・フロドン)


アトム・エゴヤン監督(カナダ)評
ストーリー展開のカジュアルなやり方とユーモアが大好きだ。すべての人物が適確に浮かび上がり、そのいずれもが心に響く。キャメラワークが素晴らしく、とくにある構図をドラマチックな状況の最後までじっと維持し続けるその姿勢は、人間観察というものの意味を即座に分からせてくれる。そして“リアルな演技”をめぐる会話や、自分の顔をポラロイド写真で撮り続ける青年、その彼をビデオカメラを持って追いかける少年を通じて、映画全体がそれ自体の合わせ鏡のようにそれ自身に折り重なっていく感覚、そのすべてがとても愛おしい。


ベルトラン・タヴェルニエ監督(フランス)評
独特のカメラワークは素晴らしく、演出はシャープで生気に満ちている。ところどころおもわず爆笑してしまう。ただリアルな若者の姿を描いているだけでなく、創造をめぐる寓話でもある。


実はラフカット段階からご相談いただいたタヴェルニエさんには、一度僕の出演シーンをカットしたときに、大目玉をくらいました。あのシーンを切ったら映画の意味がなくなる!って。


ジャン=ピエール・リモザン監督(フランス)評
この映画の自由さを賞賛したい。俳優たちが 素晴らしく、人生の曲がり角にいながら、とても傷つきやすく、それでいてとても楽しげに、人間 的だ。音の構成は特筆すべきものであり、外の 騒々しさがアパートのなかにも容赦なく入り込 み、東京という都市の商売本位で暴力的な音響の特質をみごとに捉えている

ロバート・アルトマン監督(アメリカ)評
美しい。

遺作となった『今宵フィッツジェラルド劇場で A Parairie Home Companion』で来ていたベルリンで無理矢理ご覧頂きましたが、実はそうとうにニヤニヤされて「あのズームの使い方は、どっかで見たことがあるねぇ」って。ハイ、ズームどころか、多人数の主人公を並行させる構成から、女性のアイデンティティ危機という主題性と扱い方から、それこそベースになってる即興の方法論まで、巨匠からは映画からも、伺ったお話からも、相当に盗ませて頂きました(苦笑)。

ニコラ・ブラン、プロデューサー(フランス)評
大変な自由をもって作られたと感じさせるそのやり方が、登場人物に対する驚くべき接近感と、この映画独特の香気とも言うべきなにかを発散する。そのなにかが映画の立場、そして我々の観客としての立場を問い直し、そのことがこの映画の大変に緻密な構造を浮かび上がらせる。これは映画において大変に難しいことだ。ラーズ・フォン・トリアーも『イディオッツ』でこれに到達している。

これを見てもう一度東京に行きたくなった。この映画が日本の文化の長所も矛盾も、決してやり過ぎになることなしに映し出しているからだ。この登場人物たちとおしゃべりしてさらに彼らを知りたい、いっしょにもっと時を過ごしたいという気にさせられた


黒沢 清 監督(日本)評
立派な映画です。そしてかなりおかしい。

…には不条理コメディであることがちゃんとバレている…。いちばんおかしかったのは「藤原君」だそうですが。マジ?


アメリカ映画を撮ってたときには「バーベーット・シュレーダー」と呼ばれていたバルベ・シュロデール監督(フランス)も、ナゼか僕の “演技力” (そんなもんゼロだと思うが…)を高く評価して、日本で撮った映画『INJU 陰獣』でブノワ・マジメル、菅田俊さんと競演させられてしまったが、その評は…

この驚くべき演技と知性に溢れた、まったく独創的な映画で、ついに私が見て来たそのままの東京の街を発見することができた。

…「驚くべき演技」ってのはバルベの場合アテにしていいのかどうか知りませんが(だってこの僕が「素晴らしい」んだそうですから)、でも確かに、全員シロウトであるはずのこの映画のキャストはなかなか凄いもんです。

…ちょい役で出ている僕以外はね。ホント、今でもカットすりゃよかったと思ってしまう。


監督・撮影・編集 藤原敏史
音楽・音響構成ジーモン・シュトックハウゼン
音響監督 久保田幸雄
挿入歌 CRAFT
製作 姜裕文 平戸潤也 高沢裕正 アレクサンドル・ワドゥー 藤原敏史
出演 鳥居真央 霜田敦史 高澤くるみ 香取勇進 山田哲弥

ポスター・デザイン 深谷ベルタ

2006年/日本=ドイツ合作/111分/カラー/35mm 1:1.85

7/23/2008

お楽しみの時間 That's Entertainment

本阿弥光悦のセクシーな傑作
黒楽茶碗、銘『時雨』


学芸員のある種の「遊び」みたいな展覧会なんでしょう。東博がこういう「遊び」をやるのは文句がある人もいそうですが、難解高尚ぶった「日本美術」って、宗教画以外は元々は当時のエンタテインメントとして作られたものなんだし、美術館が遊んだっていいと思う。

     長次郎の超弩級名作
    黒楽茶碗、銘『俊寛』


いやあ遊びは遊びでも豪華な遊びです。この出品内容はただごとではありません。というわけで誕生日に、東京国立博物館で開催中の「対決! 巨匠たちの日本美術」に行ってきました。

ある種「邪道」と眉をしかめる真面目な人もいるでしょうが、たとえばこの長次郎と光悦それぞれの、茶器としてもっともシンプルでミニマルな「黒楽茶碗」をどう料理するかの違い、こうやって比較するとそれぞれの個性が際立つことは否定できませんし、「へえ、こんなに違うんだ」というのはやっぱりエンタテインメントです。つまり、楽しいじゃん。

「対決」のなかには雪舟VS雪村と言ういささか型通り、歌麿VS写楽なんて勝負になってないもの、あるいは永徳VS長谷川等伯みたいにいまひとつピンと来ないものもあって、このカードは東博の至宝・松林図屏風を持ち出すためのいいわけにも見えたが、光悦VS長次郎の楽茶碗対決は、大成功でしょうね。

尾形乾山・野々村仁清対決なんてのは日本の陶磁器技術の発展を見るのにも分かり易い例だろうし、なんといったって「対決」に興味がなくても、色絵吉野山図茶壺だとか、単品で見ていても楽しいんだから、いいじゃない。歌麿の最高傑作『婦人相学十體・浮気の相』についてはさらにそう言える。ちなみに勝負自体が成立していないとはいえ、写楽が隣にあると歌麿の方が遥かに美しく見えて魅力的になってしまうのは、写楽同様に奇想の画家である曽我蕭白なんかも損してますね。

東京国立博物館の至宝、長谷川等伯の松林図屏風は今週いっぱいの展示です。お見逃しなく。

7/07/2008

京都に行って来ました

        救王護国寺(東寺)金堂 【国宝】

 7月5日から11日まで、京都シネマで行われた『映画は生きものの記録である』ロードショー&土本典昭監督作品上映(『水俣 患者さんとその世界』『水俣一揆』と、最高傑作『不知火海』)の初日・二日目の舞台挨拶のため、京都に行って来ました。

 土本典昭の没後最初の公開上映、つまり追悼上映なのでちゃんとフォローするのも義務みたいなもんですが、新幹線代は京都シネマさんが出してくれたからいいものの、普通は製作・配給もちだろうと思う宿泊費は、プロデューサーがどケチなので自前(苦笑)。ケチというよりも人間としてのスケールが小さすぎてセコいだけ、典型的な腰巾着タイプであるだけなんでしょうが。とりあえず49日までは絶縁を宣言しておりますが。

 それ以上に、ご追悼モードなのは仕事だからしょうがないものの、なんだか亡くなった人をメシの種にしているようにも見えて(って実際には自腹を切ってるんですが)自己嫌悪。













 あまりに蒸し暑いので、救王護国寺(東寺)のお庭では、修学旅行の高校生がこの状態。


 その自己嫌悪は観客から「土本さんをどう引き継いでいくか」と問われて最高潮。反射的に「そもそも引き継ぐつもりが最初からない」と答えましたが、なぜ土本がこの映画の監督に僕を選んだのか、ほとんどの人が土本の凄さに気づかず、誤解している。はっきり映画に映ってると思うんですが、「土本=偉い人」という先入観を前にしては、なかなか気づかれないんですかね? だいたい方法論やアプローチがまったく異なっているでしょうに。大先生を撮りながらスタンスは極度に観察的で、模倣もオマージュもぜんぜんないし。

 晩年の土本が凄かったのは、僕は映画的な資質や志向が土本とはまるで異なり、およそ土本の後継者を目指すはずもないからこそ「あなたは自分の映画をちゃんと作ればいい」と言って、僕にこの映画をやらせたということ。そこが分からない人も多いようですが、戦前生まれの自分への厳しさ、謙虚さ、慎ましさ、威張ってはいけないという強烈な自制は、自己満足の中途半端な自己正当化ばかりが大手をふるってる全共闘以降の我がニッポン国(ミギもヒダリもその辺は同レベル)において、極めて貴重な存在でした。










 西本願寺の太鼓楼。時を告げる太鼓のための建物だけど、どう見ても戦闘モード?

 まあ織田信長の時代には日本最強の武装集団のひとつでもありましたからねぇ。



 もちろんあのプロデューサーが頼んでも断らない演出が他にいないという冷静な判断もあったんでしょうし、土本さんはあのプロデューサーを親友・小川紳介の「犠牲者」として見て責任を感じてたからこの企画をOKしたんじゃないかとも思わないではないんですが(それだけやさしい、心配りで責任感の固まりみたいな人でしたから)、それにしたって「賞賛モードの映画」はどうやったって作りそうにないし、弟子筋でもない僕に任せたのは、それは土本が自分に厳しい、徹底して真面目で誠実な人だったからでしょう。それだけ凄い人だったわけで、逆にいわゆる「戦後焼け跡派」の真面目な倫理的存在を地で行ってるのは現役当時のうちの親父も同様なので、理解できると同時にときどき生理的にうんざりすることもあったわけですが。

 副題を「土本典昭の “仕事”」としたのはその辺りの含みがあるんだけど、誰も気がついてくれないみたい…。土本とかうちの親父の世代の極度に倫理的な「焼け跡派」にとって、「仕事」は絶対神聖ですから。親父なんて自分の母つまりうちの祖母の葬式でも、海外出張中の僕が「帰ろうか」と言ったら「なにを言ってるんだ! お前は仕事で行ってるんだからそんな個人的な理由が許されると思うか!」と電話で怒鳴ってましたから。当時はやはり昭和ヒトケタの吉田喜重の助手として海外に行ってましたが、吉田さんにそう報告すると「藤原さんは立派な親御さんをもたれましたね」とおっしゃってました。





その西本願寺のご本堂では偶然、どちらかのお宅の法事に遭遇。


 その吉田さんも以前に奥さんの岡田茉莉子のご母堂が亡くなられたときに、どこかの映画祭の審査員をしておいでで、茉莉子さんは映画祭が終わるまで亡くなったこと自体を知らせなかったそうです。いやまったく、立派は立派なんですが、家族をやってると確実にムカつきますよ。『映画は生きものの〜』では土本典昭の家族や私生活にまったく触れませんでしたが(下手すると父への恨みの投影が炸裂しそうなので触れたくなかった)、父親・夫としての土本って、どうだったんでしょうね?

 「仕事=神聖」なあの世代って(んでもって、仕事というのはあくまで「世のため人のため」)、自分にとって仕事が神聖であると同時に、家族とくに妻も当然その神聖さを共有しているもんだと、勝手に思い込んでいるんで。そういう自分の倫理の貫き方に妻が反発しようものなら、「情けない奴だ」で一刀両断。それはそれであまりに勝手すぎるし、だいたいズルい。彼らの意識では妻を自分に奉仕させているのでなく、自分の神聖な仕事に奉仕する同志と決めつけて、それがまことに自分勝手であることにまったく気づいてもいないんですから。

 そんなこんなで多少うつモード、プラス夏の京都の蒸し暑さに死にかけてた行状の一部は、たまたま映画館の近所のカフェ&ギャラリー「おてらハウス」で写真展をやっていた写真家フォトフスキーさんのブログにも報告されてしまってます(汗)。こんなヤクザな口の利き方はしてないはずなんだが…。



四条大通りは、「京都」といってもどこの地方都市の大きな商店街と変わりないケバケバしさ…

シグロ/青林舍の佐々木正明さんに説得され、「お別れの会」の世話人にまでされてしまいましたが、お弔いモードはそろそろ打ち止めにしたい心境ではあります。自分の親族には「仕事」で葬式にも行かず、「仕事」がらみでお世話になった人だからちゃんとお弔いモードをやるというのも、考えてみたらかなり倒錯的…。

 ただ土本についての映画を作って個人的にひとつだけよかったのは、子どもの頃から極めて不仲でロクに話すらしなかった親父を少しは冷静に見られるようになったことなんでしょう、恐らく。なんだかんだ言ってもちゃんと仕事だからお弔いモードをやってる自分も、あれだけ嫌っていた父親と大差ないと言われればその通りだし。

      錦小路、深夜に仕込み中?の漬け物屋さん

      深夜の四条大通り、24時間営業のカフェ。

 
「一匹の蟻がこちらに走ってくるとき、もしそこに指を一本置いて行く先を塞いでも、すぐに違う方向に走り出します。そしてまたそちらを塞いでも、またすぐに違う方向に走り出します。蟻のような小さな生き物でさえ、こんなに強い意志を持って一生懸命生きているのです。ましてや私たちは人間です。人間の素晴らしい知性を持っているのです。

 ですから、たとえ一つのことで何か障害にぶつかり、挫折するようなことがあったとしても、あきらめずに違った角度から挑戦し直してみてください。そうすれば、将来はあなたがたの前にいつでも大きく開かれているのです。」

----ダライ・ラマ14世

  救王護国寺、大師堂(国宝)前の、東南アジアからの巡礼さん。

7/03/2008

土本典昭を悼んで

昨日の西日本新聞に掲載された追悼文です。

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 ガンダーラの仏像の傑作に『釈迦苦行像』がある。悟りを開く前に七年間断食し、菩提樹の下で瞑想を続けた釈迦を現したもので、身体は痩せこけているが、明晰な目と穏やかな表情が、釈迦がこれから到達するであろう悟りを見つめている。

 土本典昭の死顔は、ガン闘病の壮絶さにやつれてはいたが、悲しいものではなかった。まるで土本の死という悲しみを、その顔が癒してくれる不思議さ。それは釈迦苦行像を連想させる。

 土本典昭の映画は60年代から70年代の政治運動の文脈で語られがちだ。土本自身が全学連活動家の過去も持っているのも事実なのだが、今となっては晩年の土本を撮った拙作『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』では、政治闘争にほとんど触れていない。製作当時からこれに苦情を言う人も少なくなかったのだが、そのなかで僕の判断を励ましてくれたのが、他ならぬ土本典昭本人だった。

 当時はこの若造でも対等な映画作家として接する土本の謙虚さと、彼の徹底した民主主義的倫理観なのだと考え、感服していたのだが、今となってはそれだけではないことに気づく。闘争の話を排除したのは、映画的に単純な理由がある。運動の過去を語る土本よりも、水俣の患者さんたちを初めとする他者の苦難と喜びに向けるまなざしと、それをどう映画的に実現して来たかを語る土本の顔の方が、はるかに輝いて魅力的だったからだ。今思えば、土本自身が、闘争をもはや超えていたから、映画にその要素が入ることを望んでいなかったのかも知れない。

 だからなのだろうか、ラストで『水俣 患者さんとその世界』のクライマックスを引用したことにだけは、土本は激しく反対した。もちろん「君の映画なのだから強制はしません」との矜持は常に自分に厳しく貫きつつも、それでもこの引用は要らないと何度も訴えられた。「漁に出て行く漁船と共に僕が消えて行くので、充分じゃないですか」。

 患者の浜元フミヨさんがチッソの株主総会で社長の江頭氏(昭和45年当時)に詰め寄る激しいシーンを最後に持って来たのは、恐ろしい不正義と悲しい闘争が過去にあったことも観客にとっては忘れてはならないからだ。だが他人にはそうは見えないはずだとしても、土本には、もはや自分も、そして水俣の患者さんたちも、水俣病の悲劇とともに何十年と生きて来たなかで超越したはずの過去に無理矢理引き戻す雑念にも見えてしまうのも確かだ。

 2004年に水俣を訪れた土本は、親友の緒方正人氏に「僕は思想的な激しさを失って来つつある」と打ち明け、そのまなざしから見える「人間ってのは相当なことができるものだなあ」という率直な驚きを露にした。だが実は、『水俣 患者さんとその世界』をきっかけに、土本はすでに「思想的な激しさ」を極力抑えた、他者へのやさしさに満ちたまなざしの映画にどんどんシフトし、「人間ってのは相当なことができる」ことこそを記録し続けてきた。水俣病の患者さんたちが患者である以前に漁師であり、豊かな人間であること。不正義は告発しつつも、生きるということがそれを遥かに超えた意味を持っていることを受けとめ、命そのものを賛美するまなざしだ。

 土本典昭も僕自身も、「宗教は阿片」というマルクスの言葉に納得する方だが、それでも『映画は生きものの記録である』には宗教的、とくに仏教的なモチーフや構成が繰り返し現れてしまっている。いや土本自身が、水俣の人々が仏教徒であり、『よみがえれカレーズ』のアフガンの人々がイスラム教徒であることをとても大切に撮っているし、アフガンの遺跡から発見された仏像などを丁寧に記録しようとするあまり『在りし日のカーブル博物館1988年』という別作品まで作っている。

 宗教嫌いなのになにか宗教的な映画を作ってしまった自分の無意識にいささか納得できないものを感じて来たのだが、そのもやもやは、釈迦苦行像を思い起こさせる土本の穏やかな死顔を見ていて、解消された。土本典昭という人はなによりもこういう崇高な生き方をした人であり、彼の映画は彼の生き方そのものだったと、今は確信できる。