最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/31/2010

2010年-この国はいったいなにを恐れてるんだろう?

今年一年間のこのブログを見直すだけでも、いささかうんざりするのだが、もっとうんざりするのはそれ以前のブログを読み返すことである。

なんともう2年も3年も前から言ってることが、そのまま今年の現状に当てはまってしまうのだ。いったいこれはどうしたことか?昨年にこの国は政権交代をして、変わろうとしたはずではなかったのか?

2009年6月に撮り始めた『ほんの少しだけでも愛を』は、この年には政権交代があるであろうことを予想して撮り始めた企画だった。

必ずなにかが変わる、その変化の瞬間が即興劇映画のなかに刻印されるのはおもしろいだろうと思ったのだ。

映画というのは常に、なにかしら「予想外」なものでなくてはいけないのだと思う。

ある意味で僕の仕事とは、その予想外の驚きの瞬間瞬間を捉えられれば、その辻褄を合わせて作品としてのフォルムになんとかこぎ付けられれば、記録であってもフィクションであっても、その時代の空気を捉えていることの意味くらいは最低でも確保できるはずだ。

いや、まあ、そうでなくては退屈だ、自分が退屈してしまうからでもあるのだけど。

撮影現場における僕の仕事とは、その空気の変化を時には予測して、時には待ち続け、時にはそれが露になるようにプッシュして抽き出し、そこになんらかの本質が見えた時にその瞬間を逃さないことだけしかないのだと思う。

つまりは、監督とかいいながら、たいしたことをやってるわけではない。なにもやってないからこそ、逆に気苦労だけは大変だったりもするわけだけど。

ロバート・アルトマンは「わたしがわたしの映画の一番最初の観客で、たぶんいちばんおもしろがってるんだ」と言っていた。

2009年に政権交代があることの予測は当たった(まあ普通は当たるでしょう、誰だって)。

だが予想外だったのは、そのことが今では『ほんの少しだけでも愛を』という題名になった映画に、ほとんどなんの影響も与えなかったことだ。

僕がキャメラを向けていた大阪の町並みも人々も、なにも変わらなかったのである。自民党のポスターがちょっと減ったくらい。

いやたぶん、そこで起こってたことの意味を、僕があまりに楽天的だったあまり、見逃していただけなのだろう。

今年になって、その意味がやっと見えて来たとも言える。それはまったく予想だにしていなかった裏切りと苦痛と、逆にいえば自分の甘さや楽観主義を突きつけられることとして--映画のことと、この日本社会の現状、とくに政治がパラレルになって。

今さら個別の例は言うまい。このブログの各項目を読んで頂ければ、読めば分かるでしょう。普天間の幻滅と怒りに、北朝鮮パラノイア引きこもり児童虐待にいじめ自殺(ってもう何十年やってるんだ?)、挙げ句に国がまるごと引きこもりだと暴露した尖閣騒動相変わらずの小沢バッシングで、仕上げは法人税減税と、個人増税は今や既定路線になってしまった。

自民党政権ですらそこに抵抗していた、財務省主導の、財務省が望んでいた通りの「財政再建」が始まってしまった。

「国民の生活が第一」じゃなかったんだっけ? 無駄削減、ひいては予算の組み方そのものを変えるというのはまったく実行されず、官僚の作った予算に民主党のマニフェストにかかる経費では、税金がいくらあっても足りるわけもない。

平気で嘘をつく人々と、その嘘に平気で騙される人々。

もはやなにも筋が通らない、筋を通すことを誰も気にもせず、閉塞感を皆が愚痴りながら、自分の現状をなにも変えようとは決してしないニッポン人。

失敗も冷静に受け止められず反省もできない国。

自分からはなにもしない人々の国。

結果論からすれば、日本が少しはいい方向に変わる瞬間を撮ってるはずだったのが、なにも変えようとしない国であることを証明するような映画が撮れてしまったのである。

鳩山由紀夫の「友愛の国」の始まりが撮れればいいな、と思っていたら、菅直人の時代を政権交代の前からすでに予言しているようなフッテージの積み重ね。

いったい何を恐れているのだろう?

20年前からもう無理があるのは分かってる自分たちのやり方を、それが有効かどうかを考えもせずに、ただ自分たちのやり方だからというだけで変えようとしない

アモス・ギタイが11〜12月に来日してたことはこのブログでは触れ損なってしまったが、彼がこう言っていた。「そんなことやってるから、日本は中国に抜かれるのだ」。

残念ながらその通りなのである。

12/18/2010

私的・江戸時代論

Twitterで連続ツイートした江戸時代の歴史についての僕なりの見方、考え方をまとめてみた>

歌舞伎や相撲などが最近スキャンダルで叩かれることについて、「河原ものがやってたもののくせに伝統などと権威ぶるのは生意気だ」などといわんばかりのマスコミのバッシングは、露骨な差別であることの無自覚ぶりに唖然とする以上に、そうした伝統芸能がなぜ日本にあるのかについて無知過ぎる。

日本の伝統芸能とは、世俗権威の秩序外にあったことが重要なのだ

都市と結界と境界、墓地、河原

大阪や京都、東京だと旧江戸城から下町までの都市構造には、「世俗権威の秩序の外にある世界」への感性が未だに残っている。両国国技館は「川向こう」にあり、寛永寺と浅草寺と吉原と旧骨ケ原は江戸城の鬼門封じ、その延長上には日光東照宮。世俗権威の幕府ですらその権威秩序の外へ意識は持っていた

京都が何重にも渡る結界構造によって構成されている都市であることは比較的知られているが、大阪もかつて7つの巨大墓地という分かり易い結界に囲まれていた都市であった。その結界構造は今では天王寺辺りにしかはっきりとは残っていない。今日、中央駅前の中心街である梅田も難波も、かつては結界/境界領域だった。

梅田は中央駅周辺なのになんでああも風俗店が並んでいたりで「いかがわしい」のか?かつて巨大墓地と沼地(「埋田」)だったから。なぜ天満駅前はラブホテルだらけなのか?そのすぐ北に葦原墓地があったから。

難波には千日墓地があり、そのすぐ側の難波の廓が明治の末にかつて鳶田墓地だった飛田に移転。聖と俗の混合で結界を張った記憶は、都市の無意識に今でも刻印されている。

古い地方都市に行けば、たとえば金沢でも鎌倉でも、山に囲まれたその山の中腹に墓地があるのも、かつての日本人が「人間の世俗権威の秩序外」への感性を持っていた民族であることを今でも示している。死者の世界は人間の世俗秩序とその外の世界との境界に置かれ、外からのみだりな侵入を防ぐ結界の役割を持っていた。

江戸の「川向こう」の現国技館辺りに芝居小屋が立ち並び、京都では刑場もあった四条河原周辺、大阪では巨大墓地と隣接する地域で歌舞伎や浄瑠璃が発展した、そのすべてが「河原もの」の担う世俗権威の秩序外にこそ娯楽芸能があり、それが「世俗秩序外の世界」を意識する祭礼でもあったことを示している。

 溝口健二『雨月物語』より、船幽霊

「河原もの」の担う芸能が世俗権威の秩序外にあることは、その多くが死者の霊や自然霊の「魂鎮め」の物語構造を持っていることにも明らかだ。

能楽はシテの語る死者の悔恨にその声を聴く力があるワキが耳を傾けることで成立し、浄瑠璃は死者たちが歴史やスキャンダルの真相を語ることがクライマックスだ。


能、そしてとくに人形浄瑠璃は矛盾の演劇である。能のシテ/死者の恨みや後悔は語ること、ワキが聞くことで解消され成仏はするが、その原因の解決が示されるわけではない。人形浄瑠璃の人物達は社会規範や倫理の矛盾の狭間で破滅したり死を選ぶのだが、太夫はその解決策を語りはしない。

歌舞伎のなかでも市川宗家の得意とする荒事は厄払いの神事でもあり、団十郎・海老蔵は相撲の横綱と同様にカミつまり自然霊の宿る肉体と化す(だから横綱の腹には、そこに宿る荒ぶる神を抑える綱が巻かれる)。自然霊が関わる以上、そこに賭博が携わるのは理の当然である。賭博とは、自然霊の意思をうかがう占いなのだから。


人間の世界の内側と外側、人間の秩序以外のものへの意識

  溝口健二『近松物語』

歌舞伎の多くは浄瑠璃の翻案だが、独自の発達を遂げたドラマの代表例が怪談もの。その舞台に見せられるのは世俗権威の秩序の矛盾に殺され恨みを残して死んだ、たとえば四谷怪談・お岩の嘆きであり怒り。いわば御霊信仰の変化形であるからこそ、担う「河原者」は世俗権威の外にあらねばならなかった。

南北朝〜室町時代には「阿弥」号を名乗ったいわゆる「河原もの」(京都では鴨川の河畔を中心に多くいたのでこの俗称)の職は、猿楽師から転じて観阿弥・世阿弥が能を確立、人形遣いの傀儡、他にも陰陽師、葬祭の世話、それに庭や建築の設計。土地の声を聴く特殊能力があるとされたので。

浄瑠璃節の物語は、歴史ものなら忠義の論理と政治の矛盾のなかで死や殺人を選び、偽りの英雄や悪役を演じることになった武士達の苦悩の真相。世話物ならば世間体やしきたり、金に追われて愛をまっとう出来ない男女の悲劇。つまり世俗権威の秩序外にある河原ものに託された、その権威への批判の芸能。

徳川幕府による風俗統制などにしばしば遭い、検閲の抜け道を探る歴史もありながら、江戸時代の大衆文化が今から見て驚くほど自由なのは、創造の主体を世俗権力が最下層身分と定めても、社会構造的にはむしろその外にあった「河原もの」が担っていたから。自然界や死者たち、「外」の世界との媒介者。

  溝口健二『歌麿をめぐる五人の女』

歌舞伎/浄瑠璃の最高峰のひとつである『義経千本桜』は英雄義経の伝説を、義経とその部下たちを英雄とみなす価値観そのもの換骨奪胎に読み替える。忠義のため悪役を演じた鮨屋の権太の悲劇、武士の死に様をまっとうできなかった知盛の孤独な死というカタルシス、そして聖なる踊り子で娼婦である静御前

『義経千本桜』のクライマックス、聖なる踊り子/娼婦/英雄の恋人である静を護る忠信が実は狐の化身であり、彼が静に寄り添うのは忠義ではなく、彼女の鼓の革が自分の両親だから。日本の物語芸能を担う語り部が、なぜ世俗の権力秩序の外にある「河原もの」であったのか、その真髄が凝縮されている。

『義経千本桜』。白拍子の静は聖なる娼婦/河原もの。忠臣に見える忠信は、実は人間の秩序外の世界に属する狐の化身。静は自分の鼓が忠信の両親の革であることを知らずに鼓を叩き、その一拍一拍ごとに人間の忠臣を演じていた忠信は、親の愛に飢えた狐である本性を露にしていく。人間の権威秩序の崩壊。

江戸時代に頂点を極めた日本の文化は、一方に徳川幕藩体制という世俗権威のヒエラルキー支配を仮構しながら、人間外の世界への感性を保つによってその支配権威を相対化し、そこから見える権力権威の矛盾を意識する多重的な視点を持ち合わせた成熟したものだった。明治以降その成熟は否定される。


忠臣蔵とはなにか? 〜単一の中心のない、多層的な物語

江戸庶民が持てはやした赤穂事件の真相は、浅野長矩が吉良上野介に斬りつける理由が不明なこと。それでも庶民が浅野公への忠義を貫いたことで復讐を遂げた浪士達を愛したと考えるのは、説得力のある話ではない。忠臣蔵とは実はなんだったのか?なぜ日本人は明治大正昭和と、この物語を愛し続けたのか?

江戸庶民が赤穂事件に喝采を叫んだのは、なによりも幕府権威の裁定に対する、その法秩序の非論理的な運用に対する異議申し立てであったことが最大の理由だろう。儒教を国家倫理として喧嘩両成敗を唱えるのなら、幕府の裁定は筋が通らず、それを幕藩体制を追われた浪士が証明するという、この痛快。

『仮名手本忠臣蔵』では吉良に当たる高師直が色狂いで浅野公に当たる塩谷半官の美人妻に懸想し、賄賂など無理難題を要求するという設定を導入する。権力が腐敗し自身の権威化に標榜する倫理すら守れなくなっていることへの、風刺と批判が明確にそこにはある。河原ものが担う物語は権力を批判し否定する

だが『仮名手本忠臣蔵』は、「忠臣蔵」という題名にも関わらず、本質的には忠義の遂行を賞讃する物語ではない。むしろ忠義の遂行のための犠牲者たちにこそ、お軽勘平などの傍筋によって注視していく。もっとも象徴的なのは、そこで忠義の遂行のクライマックスである討ち入りの場面が皆無であること。

『仮名手本忠臣蔵』は完全上演すれば9時間かかる大作であり、決して浪士達の復讐遂行という単一の物語的な筋を追うものではない。むしろ複数の主人公を持つ集団劇であり、その場その場で舞台の中心を担う者たちがそれぞれの倫理を主張し、それが衝突。単一の世俗権威に根ざした「正義」はない。

人形浄瑠璃歴史ものの完全上演や歌舞伎の通し狂言、江戸時代の戯作を現代人が見るときに驚かされるのは、その中心の不在っぷりである。主人公と言える人物があまりいない以上に、物語を支配する単一の倫理価値観がない。天皇や義経への忠義奉仕が動機の場合も、その肝心の権威の中心は限りなく不在だ。

北斎や広重の独創的な遠近法に西洋の、たとえば印象派や後期印象派が驚愕した理由のひとつは、西洋的な遠近法の絵画的語彙では消点との関連で示される絵画の主題的な中心が、彼らの風景画にはないこと。後景の富士だったり前景の波や船だったりが、あくまで画面上の等価の表象対象としてそこにある。

松の廊下事件の本来の本質は、勅使供応という世俗権威の最高の発散の場で、まったく理由不明のまま(あるいは浄瑠璃/歌舞伎では色恋沙汰)、人間の「狂気」の暴力沙汰によってその権力・権威性が揺さぶられた、そのこと自体にあった。権力が理由も問わずに喧嘩両成敗原則をねじ曲げたことも含め。

江戸時代には世俗権力による厳しい身分制度はあったが、実態は明治以降流布された歴史観とかなり異なっていた。武家がある種の絶対権力を持っていたのはかなりの部分、単に建前上に過ぎない。芸能出版が時に弾圧されたのは、それが実に自由奔放だったことと表裏の関係にあるとみる方が妥当だろう。

明治以降の国家主義醸成の中、忠臣蔵神話は変質する。浅野と吉良の確執は「仮名手本〜」の色恋沙汰でなく吉良の賄賂要求という「悪」になり、多様であった浪士たちのドラマは「忠義」というひとつの目標に収斂する均質的な集団になり、忠義のクライマックスのために講談から討ち入りの描写が追加された


鎖国という名の外交

江戸時代の鎖国体制の評価も、昨今の日本史学の研究では明治以降の否定的論調とは異なり、ひとつの外交政策として評価する流れが定着している。実のところ江戸時代の日本は、文化的に「閉ざされていた」わけではない。中国大陸との交流は非公式ではあっても活発だったし、韓国とは正式国交もあったし。

明治以降の鎖国政策否定の論調は、あくまで西洋列強との交流がオランダに限定されていたことの批判、つまりは西洋中心史観に基づく否定に過ぎない。その西洋文明でさえオランダ経由で多くの影響を与えていたという現実は否定しようがなく、医学でさえむしろ当時の日本は世界でも先端的な位置だった。

幕末の開国で海外に流出した浮世絵は西洋の絵画に衝撃を与えた。たとえばその大胆な遠近法の活用。

印象派の心酔した「日本的なオリジナリティ」はしかし、たとえばその独創的な遠近法などの多くの要素は、オランダ経由の技法を日本の絵師達が発展させたもの。北斎は化学染料さえ駆使し、つまり文化的には、西洋相手でさえ「鎖国」ではなかった。

江戸幕府は切支丹を禁止したが、宗門改メをその禁制に関わる政策だとみなす明治以降の歴史観は無理があり過ぎる。なぜ東北地方にまで徹底され、最も厳しかった地域のひとつがたとえば弘前藩で、農村の小さな寺や祠まで廃止されたのかなど、切支丹禁制だけではまるで説明がつかない。

江戸幕府の宗門改メが切支丹対策が目的であったとしたら、全国の仏教寺院をいくつかの中心寺院の傘下に体系づけて、その本山の支配下に末寺を置くと言った体制の構築も、農村から仏像を撤去して城下町に寺院を集中させたりしたことも、まるで説明がつかない。学校で教わった日本史はかなり間違っている

江戸幕府の宗門改メの目的は、切支丹禁制よりも、各地の土着の神仏への信仰を抑制し、信仰を権威化体系化され寺社奉行の支配下に出来る限り置き、それらを繋ぐ修験者や傀儡、河原もの等のネットワークを抑えることにあったのでは? それら裏の精神的な体系の頂点が、言うまでもなく「天皇」であろう。


自然=カミ/オニ、「人間外」の世界へ開かれた感受性

農耕コミュニティが原点の日本文化において、信仰の対象とはまず人間的秩序の「外」にある自然、そして死者。そこに彼らが見たのはカミであると同時にオニであり、信ずると同時に畏れる対象。農村や町等の人間界とより大きな外の世界を媒介する場が例えば墓地、河原、そこで行われる祭礼、芸能、性行為

外の世界のカミ/オニを畏れつつ農村や町を維持するとき、人間の世俗権威秩序の外と内をつなぐ場が山の中腹や河原にあった墓地等、その役を担い土着の神仏のネットワークをつなぐのがたとえば河原者と呼ばれる民であり、世俗権力は持たずとも時間を支配する天皇が、その頂点にあったのが江戸時代以前。

京都、大阪、東京の江戸城の東側、金沢等の日本の都市に見られる構造は、古来城壁に囲まれ、近代になって城壁の跡に環状道路を設けた西洋の都市とは異なった構造を持つ。物理的に都市を守る壁でなく、川や山の自然境界を生かしつつ寺院、墓地、祭礼と遊興娯楽、廓などを配し、開かれた境界を持つ都市。

17〜18世紀の江戸は世界の他の国ではおよそ考えられない人口を持った巨大都市だった。その大きな理由は江戸が「外に向かって閉ざされた都市」ではなかったから。町の外から上水道を引き、下水こそなかったが糞尿の処理等も外の農村と連携し堆肥として利用する合理的なシステムを日本人は持っていた

江戸は上水道の整備が進んでいただけでなく、大阪と同様、街中に張り巡らされた川や運河のネットワークが、衛生を守り巨大人口密集を可能にしただけでなく、交通網として人的にも開かれた都市を実現していた、その運河は東京でも大阪でも戦後高度成長でほとんどがなくなってしまった。

江戸では蕎麦が庶民の食べ物として普及したのに対し、大阪がうどん文化圏なのは、江戸では整備が進んだ上水道が大阪ではそれほどでもなかったから。蕎麦は水をふんだんに使い洗い流すことが出来ないと病気になる。水が豊富でなかった大阪では煮込んでものびず煮沸消毒ができるうどんの方が普及した。

19世紀になっても、江戸や大阪のような大都市は世界にはなかなか出現しなかった。最大の理由は、西洋などに見られる城壁で囲まれた閉ざされた都市は、衛生的に多くの人間を許容できず、人口が密集すると、すぐに疫病が流行してしまうから。水に囲まれたオランダや米大陸のNY等が僅かな例外だった。


江戸時代の農村〜忠義の論理は明治以降の神話である

江戸時代を武家中心のヒエラルキーとみなし、明治以降の忠孝の倫理をあてはめて見てしまうと、農民はそれぞれの藩の領主である大名と密接な支配関係を持っていたように思いがちだが、国替えが頻繁にあり、小藩といえども通信手段がせいぜい早馬の江戸時代で、そのような関係が成立したとは考えにくい。

江戸時代の農村社会は幕藩体制下にあったと言っても、藩主は参勤交代で半分は地元におらず、しかも嫡子が育つのは江戸で、しかも通信手段は限られ、しかも藩の人員の多くも江戸詰めであり、しかも国替えで領主自体が変わることも多かった。武家中心のヒエラルキー史観では江戸時代は理解できない。

江戸時代の社会を封建的な幕藩体制と忠義の倫理から解釈する武家中心史観は、より精確な歴史的理解の便利さや必要から採用されたものでも、歴史的経緯で自然にそうなったことでもなく、明治維新以降の政治的な必然からでっち上げられ、イデオロギー色の強いもので、実態をあまり反映してはいない。

江戸時代には将軍が君主で、庶民は天皇を意識していなかったというのも、特定イデオロギーによる偏見だろう。たとえば人形浄瑠璃や歌舞伎で天皇が無垢な倫理的権威としてしばしば登場する。天皇に実態権力はなく空間は支配せずとも、象徴権威として時間を支配していた。時間と暦は農耕民族には重要だ。

我々の習う日本史は、その実非常に偏ったものである。戦国時代以降は武家を支配者とみなし、そこを中心として来た歴史観では、実際の社会のありようを正確に把握できていない可能性が高い。たとえば戦国時代最大の武装勢力のひとつが、武家ではない石山本願寺であったことは、ほとんど無視されている。

いったん武家中心史観から離れて、たとえば戦国時代末期を見直すと、織田信長のやったことでいちばん重要なのは桶狭間でも安土城を造ったことでも、本能寺での非業の死でもない。石山本願寺との戦いに苦しめられた挙げ句に、少なくとも5千、恐らくは数万人の一般庶民を殺した大虐殺者の顔である。

江戸時代の建前の政治体制を起源に明治時代に確立した「武士道」「武家」中心の史観だと、戦国時代は大名たちの動で理解できそうに思える。だが実際には、武家による支配体制の基盤がなんとか確立したのは石山本願寺で信長が一般庶民を大量虐殺したこと、その後で秀吉が刀狩りと検地を行ってやっとだ。


ただ倫理的のみの権威であり、時間のみを支配する媒介者/象徴

浄瑠璃『妹背山女庭訓』で天智帝は盲目で純真な無垢そのものとして登場する。その帝の復権のため藤原鎌足は占星術を駆使し、相当に悪虐な陰謀をも繰り広げ、何組かの男女を破滅させることも厭わない。すべては鹿の化身である蘇我入鹿を滅ぼし秩序を回復するため。無論劇の共感は破滅する男女に向かう。

『妹背山女庭訓』の作者が天智帝を盲目で無力な存在と設定したのは、筋が通っている。倫理的な権威とは、実世界の利害に関わっては機能できないのだから。実際の天皇もまた、実態権力を持たず空間を直接支配することがないのが常態。つまり象徴であるが、但し明治以降のような権力の象徴ではなかった。

江戸時代の武家の行動規範は、明治以降に「武士道」と呼ばれたものと共通点もあるが相違点も無視できない。明治以降の天皇とは、江戸時代までの天皇、時間の象徴的な支配者で、年号を発布し暦を決め、つまり自然のサイクルを人間が利用可能なものに翻訳するカミ世界との媒介者であった天皇とは、別物。

近松門左衛門の『大経師昔暦』は京都の大経師の家の妻と手代の駆け落ちスキャンダルが題材。近松の劇的な構成にそれが直接関わっているわけではないが、「大経師」とは勅許により全国で使われる暦の生産流通を一手に引き受ける大商人だった。全国支配の影響力として、幕府権威よりこっちの方がよほど広がりが大きいし生活にも関わっている。

ただし暦は天皇が決めると言っても、天皇が勝手にやっては意味がない。あくまで天体の運行と四季の変遷を、人間の読み解ける言語体系に移し替えることなのだから。

江戸時代まで「天皇」とは、人間外の「カミ/オニ」世界との仲介者、人間界からみれば人間界の世俗権力秩序の外の世界の象徴だった。「河原もの」の役割も同様で、彼らの一部は「見えない天皇」よりも直接的にその世俗権力秩序「外」の代弁者として、芸能娯楽祭祀を司る。「太夫」とはそれを示す称号。

南北朝から室町時代には、江戸時代では「太夫」となった人々は「阿弥」をしばしばなのった。カミ信仰のアニミズム体系と仏教はなんの矛盾もなく一体化していたのは、それが日本の風土では自然だったからだ。

「河原もの」等を「えた・ひにん」と総称し最下級身分に貶めたのは江戸幕府であり、明治以降その身分制度は撤廃されたことになっている。だが江戸時代の生活感覚では、彼らはむしろそうした身分制度等の権力秩序の「外」に居たわけで、近代以降の出自を隠さねばならないような差蔑とは本質的に異なる。

江戸時代まで天皇は「見えざる存在」/「語らざる存在」、御簾の向こうにその「気配」を感じるような対象であり、それは人間の権力秩序外の世界である「カミ/オニ」=自然と死者たちが、凡俗の人間には理解不能であることを象徴しているようにも見える。明治以降、太陽暦の採用で天皇はその役割を失い、「見えざる御簾の向こう」ではなく、「ご真影」になった。

江戸時代まで日本人の生活感覚だった人間の権力秩序の外、つまりは自然や死者達との仲介を「見えざる天皇」と供に担っていたいわゆる「河原もの」は、その外の世界の価値観・秩序を代弁するからこそ、彼ら自身を定義づける名前のない、「呼ばれざる民」だった。今日でも歴史用語にさえその言葉はない。

江戸時代以前には権力権威の秩序が常に不完全で、「カミ/オニ」とみなす自然や生と死のサイクルがその外にあり、人間に理解しきれるものではないという感覚を持っていた。「天皇」が無言/不可視、いわゆる「河原もの」が自身の名を持たないその代弁者だった文化が、それを現しているように思える。


開かれた国、閉ざされた国

明治以降の歴史観では、江戸時代の朝廷は征夷大将軍の位を与える幕藩体制のその上の政治的権威として理解されるが、年号の制定と暦を作ることが最重要の役割だったことは無視されがちだ。暦と年号は全国共通であり、暦がなければ農業はできない。江戸時代の朝廷は政治支配とは別の次元で機能していた。

明治以降の日本は人間界の世俗権威の秩序の外に「カミ/オニ」の世界を想定するアニミズム的世界観を「迷信」として排除し、「カミ信仰」を天皇を頂点とする「国家信仰」に作り替え、西洋の王権神授説を模倣した論理を仮構した理屈で天皇を定義し直した。宮中祭祀でさえほとんどが明治以降の発明品だ。

今日の「象徴天皇制」は天皇を国家の象徴とみなす、征夷大将軍位を天皇が与えるという明治以降の歴史観の延長の考え方だ。だが江戸時代まで暦の制定に見られるように自然秩序の媒介者だった天皇が「象徴」していたのは、人間外の「カミ/オニ」の世界(例えば自然)の秩序と論理、あるいはその不在、ないし人間に理解する不可能性だ。

過去の日本人たちは、自分たちに理解しきれないかも知れない自然の存在や、自分たち自身の矛盾、性や愛の問題などの自分たちの中にある理解しきれないことがあることを、認識し尊重できる感性を持っていたのだ。それは「自分たちの外」に開かれた感性だと言えるだろう。

江戸時代を「鎖国」、つまり日本が外に対して、世界に向かって閉ざされていたとみなすのは、あくまで西洋中心史観の偏向に過ぎない。単に西洋諸国との直接交渉をオランダに限定しただけであり、西洋だけが「世界」でもあるまい。

国家神道への批判は、軍国主義の温床になったことが今日では中心になるが、僕が最大の問題だと思うのは、これが日本古来のカミ信仰を「迷信」として恥ずかしがってなんとか「西洋並み」にしようとした結果でっち上げられた宗教であるところだ。明治の日本とはまるで宗主国なき自発的植民地である


藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』2011年、編集中より
結論部分のナレーション

恐らく現代の日本人「マジョリティ」の最大の病は、自分たちの社会を支える秩序がどんどん崩壊して行っているのに、そのことは決して自覚したくないところにある。いやもっと始末の悪いことに、そのような単一の人間界のみの秩序と権威の構造なぞ、元々この列島にはなかったことすら忘れている。

江戸時代の日本人は決して地理的/物理的に広い世界観を持っていたわけではない。だが自分たちの生活圏とその延長の外側に、自分たちの理屈が通用するとは限らない外の世界があるという意識はあったし、自分たちの価値観の限界も意識できていた。今の日本はそれが欠けた引きこもり国家になっている。

11/24/2010

篠田健三さん(『フェンス』出演者)


告知が遅れてしまったのだが、本日23日16時から、愛知県芸術文化センターのアートフィルム・フェスティヴァル、日本ドキュメンタリー特選で、『フェンス 第一部 失楽園/第二部 断絶された地層』を上映しておりました。

第15回アートフィルム・フェスティバル
2010年11月19日〜24日まで

その『フェンス』に出演して頂いていた逗子市のラディカル郷土史家、篠田健三さんが亡くなられていたことを、ご息女から喪中のはがきを頂き初めて知る。メールの返事がないのは気にかかっていたのだが…。ご冥福をお祈りします。

非常に確固たる信念と歴史観の持ち主で、ユーモアのセンスも抜群の素晴らしい方で、円覚寺の境内にお住まいだったこともあり、映画が終ってからもなんどか遊びにうかがわせて頂いては、政治のことなどいろいろ話したのも楽しかった。元々共産党系でありながらも、小沢一郎を評価し、日本が東アジアの国として自らを再定義するべきであることを度々熱心に語られていたことが心に残る。

『フェンス』のなかで、普通ならぎょっとするような話を平然としているのも、いかにも篠田さんらしい。「(日本は)独立国じゃありませんから」とか。

あるいは「横須賀は戦争になればまっさきに地下まで徹底して破壊する核攻撃を受けるから、池子にそのサブの核シェルターがあるのは当たり前」とか。横須賀がそこまで核攻撃を受けるとは、つまり首都圏が壊滅するような話なのだが、それを分かっていながらこともなげにおっしゃる。

こういう日本人がいたことを映画に残せたというのは、この稼業をやって来た大きな喜びであり、幸運でもある。

11/17/2010

FILM/JLG/SOCIALISME

ジャン=リュック・ゴダール『ゴダール・ソシアリスム』2010年

映画の歴史は、社会のなかで生きながら、ある時期、自分を表現したり、その表現を感化したり、あるいはまた、自分が受けた感化をなんらかのやり方で表現したりする男たちや女たちによってつくられたのです。―ジャン=リュック・ゴダール

「分配する前に、まず生産しなければならない」(社会経済的な読み)/「配給する前に、まず映画を製作しなきゃダメじゃん」(映画業界的な読み)。

前者においては大衆と経済学者と政治家が、後者においては映画会社と特に劇場が真逆の勘違いの倒錯をしているんだから、うまくいくわけがない。


『ゴダール・ソシアリスム』は2010年にもなっているのに未だに21世紀に未だなっておらず、20世紀が破綻したまま継続している現代のなかで、あくまで20世紀のフィルムの映画作家を自覚するゴダールが、「わたしは未だに社会主義にしがみつくおじいちゃんなのさ」というポーズの元に、21世紀を始めさせるために20世紀を清算し、終らせようとするフィルムである。

だからこの映画を全編デジタルで撮りながら、ゴダールはこれをあえて「フィルム」と名付けたのだろう。

『ゴダール・ソシアリスム』、一応これで全部見たことになるはずの(?)予告編

それにしても、この全編デジタル撮影の最新作を、ゴダールがあくまで原題『“FILM” SOCIALISME』と名付けたこの痛烈!

我々に突きつけられるのは、デジタルを使ってる我々がいまだにフィルムのパラメーターの範疇でしか、映画を撮れていなかったことだ。今までのデジタル映画は新しくもなんともないのだ。

あらゆる芸術行為は、その表現のフォルムの原点となる媒体の探求を内包しなければならないことを、『ゴダール・ソシアリスム』は忠実に、かつクリティカルに実践する。ステレオ音声とはなにか、デジタル映像とはなにか、現代映画とはなんなのか?

またあらゆる芸術行為とはその表現手段への問いかけと自覚化であると同時に、レンブラントの言ったように「芸術家は結局、自画像しか描けない」、『ゴダール・ソシアリスム』はこの双方の極北を行く映画である故に、ゴダールのもっともゴダール的な映画なのである。


『ゴダール・ソシアリスム』でイスラエル/パレスチナが言及されるのもそうだが、マジョリティとマイノリティの敵対構造の中で、後者と「連帯」することで自身が前者に属する責任がチャラになるわけがない。むしろ自らの「属する側」の論理の問題点や病理をこそクリティカルに見抜くのが芸術家の仕事。つまり、自己批評/批判としての自画像。

「国家の求める幻想は単一であることであり、個人の夢とは二人であること」、この言葉は前作『アワー・ミュージック』から引き継がれ、『ゴダール・ソリアリスム』で繰り返されるモティーフのひとつだ。

だがデジタルには0と1しかない。だからデジタルの時代において個人が自己を表現することは、必然的に極めて困難になるだろうと『ゴダール・ソリアリスム』は指摘する。だからbe動詞は使ってはならないのだ、と。

『ゴダール・ソシアリスム』においてゴダールは前作『アワー・ミュージック』からイスラエル/パレスチナの問題意識を継承しつつ、そこにドイツ/ユダヤ人/ヨーロッパをぶつけて来る。20世紀を最終的に清算し、決着をつけるために。イスラエル/パレスチナ、光/闇、そしてフィルム/デジタル、幾何学/数字、原点への帰還。


『ゴダール・ソシアリスム』は20世紀がまったく終わっていないこと、その清算をする意思も持てないようでは新しい世紀なぞ始まるわけもないことを突きつける。

たとえば「ソシアリスム」、社会主義といえば、ナチズムが「国家社会主義」であり、シオニズムが社会主義思想であったことから、我々は逃げて来た。

デジタルの時代に我々が忘れてしまいがちなことを、ゴダールはこのデジタルによる「フィルム」で刺激的に喚起していく。

たとえば、イスラエルの領域とはパレスチナであり、つまり地理的にイスラエルとはパレスチナに他ならないこと。

ゴダールは『アワー・ミュージック』においてサラエヴォでイスラエル/パレスチナの問題を合わせ鏡として扱った。

イスラエルの若いジャーナリストに「まるでユダヤ人みたいなことを言ってるじゃないですか」と問われたマハムード・ダルウィッシュは「その通りだ。敵対するもの同志は似通うのだ」と答える。

   
ジャン=リュック・ゴダール『アワー・ミュージック』2003年 マハムード・ダルウィッシュ

「二つの音の流れによって不協和音を作り出そうと言うとき、それを示すのはまず二つの旋律にある共通の音である」。イスラエル/パレスチナ、民主主義/資本主義、民族/個人、光/闇、0/1、デジタル。

光/闇、白/黒、白人/黒人、昼/夜。「昼を決めるのはなにか?」この21世紀になれないままの20世紀の延長においては、DAY & NIGHTというアメリカのブランドの時計こそが決めてたりする?

『ゴダール・ソシアリスム』はイスラエル/パレスチナをホロコーストまで遡りながら(ナチスは「国家社会主義」)、フランスは絵画から新婚旅行までイタリアに憧れてばかりだが、ヨーロッパの国としては本当はドイツをこそ近代ヨーロッパの起源として考えるべきだとまで指摘する。過激な真実。

『ゴダール・ソシアリスム』はあえて言うなら決して「パレスチナ側」でなく、あくまで「イスラエル側」の映画である。

なぜならイスラエルの失敗を語ることはヨーロッパに属するゴダール自身の自己批判であり、インテリのディアスポラ民族の国民国家×脱宗教の世俗主義/社会主義であったシオニズムの破綻こそが、もっとも純粋に社会主義の失敗例として言及できる対象であることにおいて。


だから『ゴダール・ソシアリスム』でイスラエル/パレスチナが言及されるのが、いまさらパレスチナ側に連帯する意思であるわけがない。

マルクスがドイツのユダヤ人だったことは今さら言うまでもないが、シオニズムもまたドイツ系ユダヤ人ヘルツルが創始した理念であり、同じくドイツ系ユダヤ人のゲオシェム・ショーレムがその理念の潜在的危険性を指摘した。ヨーロッパの問題/自己批判。

「私のなかには他者がある/他者のなかにこそ私がいる」、これは非デジタル的思想のように見えて、デジタルが本来行き着くべきものでもあるのかも知れないと、『ゴダール・ソシアリスム』は指摘する。

イスラエル/パレスティナに言及する時の『ゴダール・ソシアリスム』があくまで「イスラエル側」であるから、ゴダールはそれ自体はたいした映画ではない2003年のウディ・アローニのドキュメンタリー『Local Angel - theological political fragments』までわざわざ引用する。

この映画の監督はイスラエルの極左政党メレーツの女性党首の息子。

イスラエルの極左政党メレーツは、未だにシオニズムを真面目に継承するほとんど唯一のイスラエル政党。その党首の息子の映画でほとんど初めて紹介されたゲオシェム・ショーレムの書簡を、『ゴダール・ソシアリスム』は改めて紹介する。それは理想主義の人工国家が自己撞着で破綻する可能性への警告だ。

『ゴダール・ソシアリスム』で再引用される書簡でショーレムが秘かに危惧していたのは、国家理念というものが休火山のようなもので、人間が見落としていたその理念の矛盾の部分が暴走する危険。ショーレムが具体的に危惧した部分は引用してない故に「分かりにくい」のはゴダール流意地悪であり賢明さ。

『ゴダール・ソシアリスム』、もう少し普通に見られる(?)予告編

その極秘の書簡の全体を紹介すると、純ユダヤ的問題になってしまうからゴダールは引用しなかったのだが、ショーレムが危惧したのはヘブライ語を民族の言語として復活させ、ヘブライ語の名を名乗るようになると、みんな預言者みたいな名前になっちゃう!ということだった。

シオニズムが民族の言語としてヘブライ語を復活させたこと(実は民族の土地としてのパレスチナ帰還と同じくらい両刃の剣)をショーレムが危惧したのは、言語自体の宗教性が、シオニズムがユダヤ人の人間としての解放のために排除すべきだと考えた「神」の、無自覚な復活を許すのではないか、と。


ここまで来ると唯一絶対神概念から逃れられないユダヤ人特殊の問題になりかねないことだとはいえ、こうした人工的な国家理念の無自覚な矛盾の暴走は、ナポレオンの作ったヨーロッパ国民国家理念についても言えることだろう。だからゴダールはあの未発表の書簡を引用した。

つまり『ゴダール・ソシアリスム』は初期のシオニスト達が秘かに気付いていた「近代国家」理念の矛盾と危険を、ヨーロッパ的国民国家理念それ自体(フランスの発明した理屈)のそれとして提示しているのである。現代の世界ではどの国も(無論日本も)この危険から自由ではない。

たとえば、「自由は高くつく。しかも支払う対価は金でも血でもなく、卑屈さと服従と売春」。1945年の米軍によるナポリ「解放」について『ゴダール・ソシアリスム』で発せられるこの言葉に、我々は今の日本の「自由」や「民主主義」の幻想と幻滅と崩壊を、考えずにはいられないはずだ

マノエル・デ・オリヴェイラ『永遠の語らい』2003年

だから『ゴダール・ソシアリスム』は現実のヨーロッパ国家からフランスがひねり出した理屈の矛盾を提示しつつ、アンチテーゼとしてヨーロッパの国家とはドイツ諸公が現実的な生存策から辿り着いたものだと言い切ることで、フランス的な人造物としての国民国家理念の呪縛を断ち切ろうとする。

イスラエル/パレスチナへの言及で『ゴダール・ソシアリスム』が「連帯」しているかどうかは不明だが、地中海を航行する豪華客船の上で明らかに意識しているのは、アモス・ギタイ『ケドマ』の冒頭で地中海を渡ってパレスチナに向かう移民船ケドマ号である。「ケドマ」は「起源に遡る」を意味する。

「私は社会主義にしがみつく20世紀のおじいちゃん、生きた化石なのさ」というポーズをとりながら、『ゴダール・ソシアリスム』は少なくとも二人の現代映画作家の今世紀の作品2本をものすごく意識している。一人はオリヴェイラ(『永遠の語らい』)、もう一人はアモス・ギタイ(『ケドマ』)。

アモス・ギタイ『ケドマ』2002年

起源に遡ることでその後の展開の誤りを意識するという戦略、ギタイが『ケドマ』で建国神話の起源にあった誤りに遡るなら、『ゴダール・ソシアリスム』はヨーロッパ文明の科学技術の起源が幾何学にあり、またゼロや負数の起源がヨーロッパではないことに遡る。ゴダールにおいて、数学もまた政治だ。

起源に遡ることでその後の展開の誤りを意識するという戦略、起源に純粋さを夢想して失敗したのがテオ・アンゲロプロス(『ユリシーズの瞳』『永遠と1日』)だったならば、『ゴダール・ソシアリスム』はオリヴェイラの『永遠の語らい』、ギタイ『ケドマ』と同様、そのセンチメンタルな幻想を拒否する。

『ゴダール・ソシアリスム』の起源に遡り誤りを指摘する戦略は、古代ギリシャにまでも遡る。「民主主義と悲劇はアテネにおいて結婚し、そこで生まれた唯一の子供は、内戦だ」。ギリシャ語での「ギリシャ」は、アルファベット表記すればHELLAS--HELL AS、「〜と同様の地獄」。


「民主主義と悲劇はアテネにおいて結婚し、そこで生まれた唯一の子供は、内戦だ」。『ゴダール・ソシアリスム』の観客の脳内ではここで、すでに『アワー・ミュージック』でもゴダール自身(の人物)が紹介していた写真が二重写しとなる。南北戦争で廃墟となったリッチモンドの写真。

「国家の幻想はひとつであること」が『ゴダール・ソシアリズム』が喝破するヨーロッパ的国民国家とその民主主義の危険性。国民、民族の名の元の同一化。だから選挙に立候補する子供達はbe動詞の使用をやめようとし、新たな他者との関係を模索するのだ。


「『汝の隣人を愛せ』とは傲慢だ。せめてまず自分を愛し、自分達で愛し合わなければ。そうすれば自分を大事にするから隣人に悪を働くなんてしなくなるさ」--『ゴダール・ソシアリスム』

藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』2011年、編集中。偶然にも(?)『ゴダール・ソシアリスム』と同じことを言っているラストシーン

『ゴダール・ソシアリスム』の父親は他者との関係性は自分を愛することからしか始まらないことまでは分かっているが、自分=私を家族=私たちに無自覚に横滑りさせてしまう時点で、「私たち」の同一化を押し付ける国民国家幻想から逃れられない。

一方で『ゴダール・ソシアリスム』の子供達は、国家étatの語源であるbe動詞(être)を使わないことで、他者と自分の新たな関係性に未だかつてない共同体としての国を模索し始める。社会主義にしがみつくおじいちゃんはその他者である子供達に未来を託す。

「私」のなかに「他者」がある/「他者」のなかにこそ「私」がいる。


その未来はフィルムの話法から抜け出せない今までのデジタル映画とは異なるべきであるはずの、真の創造的なデジタル映画のあり方にも見いだされるべきなのだと『ゴダール・ソシアリスム』、デジタル撮影でもあえて「フィルム」を名乗るこの映画は言う。

だから『ゴダール・ソシアリスム』の原点回帰の戦略は、だからデジタルを極めるのならば数学、数字のケタ(digit-al)に留まらず、ゼロや負数は非ヨーロッパの発見であることと、幾何学のフォルムという数学の原点を挑発的に提示するのだ。

幾何学のフォルム=数学の原点と、デジタル(digit-al)の数字のケタ、0と1しかないその単調性に見えることが、フォルムを前にした時に決してそうでないことを、『ゴダール・ソシアリスム』は恐ろしく多様なデジタル映像媒体の混合で示す。

我々は光が当たらない場所が闇なのだと思い込んで来た。だが『ゴダール・ソシアリスム』でこう言われる、「なぜ光があるのか?闇があるからだ」。ラディカルにしてシンプルな発想の革命的な転換こそが、20世紀をやっと終らせられるのか?

20世紀は終わってないのである。その罪や過ちを我々が本気で清算しようとしない限りは、21世紀という新しい時代は本当には始まらない。だからまず『ゴダール・ソシアリスム』を、まずはとにかく見なければならない。



ジャン=リュック・ゴダール最新作『ゴダール・ソシアリスム FILM SOCIALISME』は、12月18日より日比谷のTOHOシネマズ・シャンテ2で公開。配給:フランス映画社

付記:20世紀に毛沢東主義者だったゴダールは「知ることの楽しさ」(日本題は「楽しい科学」)と題した映画を作った。21世紀にスイス人銀行家の息子のユダヤ人性をカミングアウトする『ゴダール・ソシアリスム』は「考える楽しさ」と呼んでもいいくらいの楽しい映画なのである。決してどこも、まったく「難解」ではない。

11/04/2010

『ほんの少しだけでも愛を』ラフカットをまたまた改訂


『ほんの少しだけでも愛を』11月初旬版ラフカット冒頭

ひと月前にもこのブログに掲載したのだが、先月には追加撮影も行い、ナレーションも録音が進行する等、かなり手直しが入ったので新しいラフカットを再掲。

ナレーションの録音をやり直すのがまだ何カ所かあるものの、これで全体像ははっきりしたと思う。

この映画が語ることが最後に到達するのは、過激といえば過激すぎる正論かも知れないが、この際いろいろ腹立つことも多いし、ナレーションによって最終的にはもっと過激になるかもしれない。

また4時間30分で一本の映画ではさすがに無理、かといってそう切れる部分も思い当たらず、では三部作構成にしてしまおうというわけで、上掲の冒頭部分にはすでにその第一部としてのタイトルが入っています。

今後もシーンの順番を変えたり、全体を引き締めたり、あと音の整理や音楽はまだまったく手つかずな状態ではあるが、なんとか年内に仕上げ段階に突入したいところ。

これは冒頭13分ですが、全編をご覧になってご意見いただける方はこのブログのコメント欄に書き込んで下さい(公開はしませんので連絡先があれば、残りのリンクを送ります)。ただし4時間半もあるので…。

10/31/2010

『ほんの少しだけでも愛を』と大阪の人たちの差別について

藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2011、編集中)

どうも今の日本の「差別」をめぐる悲劇の根幹は、出自や民族、生まれつきの“障害” などで「生まれながらに差別される人々」がいることではないらしい。

逆に「マジョリティ」の側に自分が「生まれながらに差別する側なのだ」と思い込んでいるビョーキな人が多いことに、本質的な問題があるらしい。

でも本当にそんなことがこの社会の「差別」の本質だとしたら、非常にアホらしいわけで、しかも救いがない。

被害者が生まれるのは一方的に加害者側の責任でしかないが、加害者の側はただ自分の考えを再検証して、差別なんてアホなことをやめればいいだけなのだ。

なんで自分でまずできる、遥かに楽なことをやらないで「俺たちは差別する側なんだと言われるのが怖い」とかの思い込みに、必死でしがみつなければならないのだろう?なぜそんな下らないことに必死でしがみつけるのだろう?

なんで「差別される側がいなければ、せめて目立たなければ、声が大きくなければ、自分たちは差別をしているなんて言われないで済むのに」などと、スーパー身勝手な甘えのまっただ中に自分を貶め続けることが出来るのだろう?

ガキじゃあるまいし、幼児退行か、などと言ったら子どもたちに失礼だろう。子どもの方がまだずっと賢い。

大阪で『ほんの少しだけでも愛を』を撮っていてショックだったのは、大阪におけるいわゆる同和であるとか、在日コリアンの問題を取り上げたとたんに、「東京の人間がそんなことに興味を持つのは、東京のエリートが大阪を差別してるんや」みたいに言われたこと。

しかも「東京のエリートが大阪を差別してるんや」みたいに中央集権コンプレックスを丸出しにした挙げ句、「同和地区なんかで撮影したら、大阪では上映させない」とか言い出したのが、50代のいい歳した大人なんだから、開いた口が塞がらないわけである。

なにそのまったく他人が見えてない超ワガママって?

さらにショックというよりも空いた口が塞がらないのが、「同和地区なんかで撮影したら、大阪では上映させない」と言い出した50代のいい歳した大人というのが、さる自称・「大阪の市民の映画館」の経営者だったこと。

アジア映画の映画祭とかやりながら、韓国本国で保守派が在日コリアンを蔑視しがちなことを、嬉しそうに “教えて” くれたりするんだからやってらんないのである。いやそれくらいのこと知ってるし、だいたい韓国のナショナリズムについて「欺瞞だ」と批判的な発言をソウルの映画祭などで堂々とやってるのが僕なんだが…?

それも小川紳介や土本典昭に心酔しているフリをして、自分の映画館でも良心派・社会派ぶって、自分たちとは無関係の差別をめぐる映画、たとえばイスラエル映画、僕が友達なので関わっているアモス・ギタイの映画を上映したいから協力してくれ、とか言って来る人だったりするのである。

 『ほんの少しだけでも愛を』抜粋

自分たちとは無関係の、たとえば外国の差別をめぐる映画は、上映したいと協力を求めてくるような映画館経営者が、その同じ相手について「同和地区なんかで撮影したら、大阪では上映させない」とか言い出すんだから、こりゃ完全にビョーキの世界なわけだ。

だって偽善なら偽善で、もっとうまくやるだろう、普通? こんなにバレバレなことやって怒られないと思うほどに、甘えてるんだろうか?

でもこういうビョーキな世界は恐らく、別にその映画館経営者個人や、大阪とか関西地区に限った話でもない。日本全国の問題であり、たまたま歴史的経緯で大阪で表出しているのに過ぎないのだろう。

というか、僕が今「ビョーキな世界」と言ったことについては、彼はすかさず「東京のエリートが大阪を差別してるんや」とか言い出すんだろうな。

だいたいそれってあまりに考えが甘い。「東京」?いえ私は半分ヨーロッパで育ち、「お前は日系ユダヤ人に違いない」とイスラエル人にからかわれ、「どこにも属さない」強いて言えばいわば世界市民でしかないし、映画という世界的/普遍的なものに属している人間なんですわ、お気の毒さま。そこまで自分たちのコンプレックスを無自覚にも分かり易くさらけ出して、どうするんだ?

さらに始末の悪いことに、まあ「関西の男性」にありがちな行動原理として、怖いからさすがに僕には面と向かっては言わない。ならせめてバレないところでの陰口で済ませりゃいいようなものを、わざわざ僕の耳に確実に入るところで言う。

気持ち悪いので本人に「そんなこと本当に言ったのか」とわざわざ問い合わせてあげたのだから、その時に「絶対にそんなことは言ってない」と言えば、まだチャラにできることなのに、逆ギレで激怒はしても絶対に否定はしないのだから、じゃあやっぱり本当に言ったんだね。

よくもまあこんなに無意味で、ただ卑劣で気持ち悪いだけのことを、いい歳した大人ができるもんである。

 『ほんの少しだけでも愛を』結論部分(ナレーションはこの内容を膨らませて再録音の予定)

昨晩、ツイッターで「差別する側はしばしば差別される側でもある」と書いたのだけれど、これには訂正が必要だろう。

差別云々でもなんでも、単に自分の限界がつきつけられたときに、相手に対して相対的に劣等な立場になったとコンプレックスに苛まれ「差別された」と思い込める輩が、その劣等感の解消を求め、優越感に浸りたいために、差別する相手を必要としているのだろう。

つまりは自分たちのマイノリティ性に絶対に気づきたくない、マジョリティでありたい人々が、幻想のマジョリティであることの担保として、差別なんてことをするのではないのだろうか?

いずれにせよ、えらく不自由な話である。

しかし自分で勝手に不自由になってるだけの連中の身勝手のせいで、いわゆる「同和」であるとか、あるいは在日韓国朝鮮人の人たち、障害者の皆さんが余計な苦労をさせられるのだから、まったくひどい話だ。

そんなに相対的な優越感が大事なんだろうか?

自分を愛するということが出来ない人々なのだろうね。

だから自信が持てず、他人に認められたいですらなく、ただひたすら批判されたりして「下位」に自分が置かれることが怖いだけなんだろう。

自分を愛するって、大切なことですよ。

それができなきゃ、自分の経営する映画館を大事に出来ないし、だからそんな自爆発言も、無自覚にしてしまうんだろうけど…。

自分を愛すること、愛せるだけの自分になれることを本気で目指していれば、差別だのいじめだの、やってるヒマもなくなるし、その必要も、動機もなくなるのだし。

逆にいえば、差別をし続けたり、いじめをやる人というのは要するに、本当はそういういやらしいことを、やりたくてしょうがない、そうやってくだらない優越感に浸りたいか、自分が「下」に見られるのを恐れているだけなのだろう。

10/21/2010

本日 19:00〜『フェンス』上映


【ドキュメンタリー・ドリームショー山形in東京 2010】
本日 19:00〜 ポレポレ東中野にて

『フェンス 第一部 失楽園/第二部 断絶された地層』
2008、監督:藤原敏史、撮影:大津幸四郎、製作:安岡卓治

http://www.cinematrix.jp/dds2010/diversity.html#bk479

上映後トークあり:藤原敏史(演出)、大津幸四郎(撮影監督)

10/18/2010

『ほんの少しだけでも愛を』追加撮影終了


土曜、日曜と、『ほんの少しだけでも愛を』の追加撮影で大阪に行ってました。

上の写真は、日没のタイミングにうまく撮れてしまったワンシーン。

このラフカットの一部で、9分10秒から…


ここ、吉本のお膝元の千日前は、かつての千日墓地の前だったから「千日前」なのだそうな。


偽りの、偽善の「差別対策」の風景… 日本の行政って本当に怖い。

10/13/2010

尖閣諸島騒動とはいったいなんだったのか?(2)

承前。

今回の騒動での日本側の致命的な失敗はしかし、中国がどう動き、そこにはどういう理由があるのかを、まったく理解していなかったことにある。

だから中国が「強硬だ!」とパニックに陥り、国内世論は見当違いなナショナリズムに盛り上がり、政権はといえば前項に書いた通り、アメリカに頼るしかなくなる。

無論これは、菅直人政権だけの責任ではない。

いやだからこそ菅直人は始末が悪いわけで、日本国内の実態は、完全に外務省(現在の主流は対米従属派)と防衛省ペースに、政治家たちが「粛々と」乗っかっただけだということ。国内法に粛々と、ではなく霞ヶ関に粛々と従っただけ。

挙げ句に検察に外交判断をさせてしまうという…

どこが「政治主導」?政権交代をした意味はどこにあったのか?

昨年には議員訪中団を率いたり、中国政府とパイプもあり、また外交において「筋を通すこと」の意味が分かっている小沢一郎が首相になっていれば、まだ異なった事態の進展になっていたのかも知れないが、後の祭りなのは言うまでもない。

小沢一郎だったらどうだったかはともかく(とはいえ結局、関係修復のために小沢の信頼の篤い細野議員が訪中したのを見れば、なにをかいわんやなのであるが)、日本側の根本的な誤解とは、中国がそもそも今回、まったく「強硬」などではないのを、まるで理解できなかったことだ。

いやそもそも、中国の根本的な形式上の立場すら、日本は理解していなかった。

驚くほど簡単な話だというのに!

中国は建前だけにせよ、尖閣諸島の領有権を主張している。

そうである以上、今回の一件は中国から見れば、自国領内で操業していた漁船を侵入してきた日本の官憲が拿捕し、拉致監禁したということになる。

もちろん日本は立場が異なるのだから、公式には日本の立場を繰り返せばいい。しかし外交とは相手の動きを計算しなければ成立しないことなのに、中国側の立場がどういうことなのか認識もせずに「粛々と」とは!

これでは引きこもりクンがネット上で匿名で、社会生活上ではあり得ないようなわがままな暴れ方をするのと大差ない幼稚さだ。

しかもほとぼりが醒めたところでやっとマスコミでも出て来るのもおかしいのだが、鄧小平の時代に日本、中国、台湾のあいだでは、尖閣諸島の領有問題は日本の実行支配のまま棚上げにすること、中国や台湾の漁船が操業するのも日本は追い返しはするが逮捕などはしないという暗黙の了解が、ずっと有効であったのだ。

たとえば小泉政権時代に台湾の活動家が上陸したときに、当時の福田康夫官房長官は即座に強制送還の決断をしている。

一方で日本のこれまでの方針はといえば、中台にほとんど不必要でやり過ぎな配慮として、土地は地主から借り上げて膨大な賃貸料を払って無人島にし、近隣の石垣島の漁民には尖閣諸島に近づかないようにという強制的な「指導」まで、やって来ている。これはこれで間の抜けたやり過ぎである。


中国側の立場からすれば「自国領内で操業していた漁船を侵入してきた日本の官憲が拿捕、拉致監禁」という事態になるにも関わらず、中国側の動きはむしろ驚くほど大人しかった。

逮捕された船長の日本の国内法の勾留期間が切れるまで、中国側は日本の大使と面会し懸念を伝えるなど以外の、通常の外交ルートの儀礼にのっとった形式上の手続き以外は、なにもしていない(もちろんさすがに、主権国家なんだから、なにもしないわけにはいかない)。

一部報道では丹波大使が深夜に呼び出されたという扇情的な報道があったが、これも嘘である。

大使のスケジュール調整上、合う時間が夜になっただけであり、中国が本気で強硬なら、そんな調整はせずに「即刻来い」とまず言って来る。深夜までズレ込ませたりしない。

最初の勾留期間まではそんな感じである。普通の形式上の手続きか、下手するとまことに抑制された動きしかない。

つまり中国は形式上の抗議と懸念以外はなにもするまでもなく、日本の国内法の相場で勾留終了とともに処分保留で釈放するだろうと予想していたのだろう。

言い換えれば、形式上の抗議程度で、実質的な対立はなにも望んでいないし、それが双方にとって最良の解決であることを、中国側は理解していたわけである。

というか、今日中関係を悪化させるのは双方にとってデメリットしかないことを日本政府が分かっていないとしたら、この国は大バカものである。

まず最初の逮捕の判断自体が、菅直人、前原国土交通大臣(当時)、岡田外務大臣(当時)による稚拙な「慣例、約束やぶり」だったにせよ、タテマエでは日本政府は「尖閣諸島に領有権問題はない」が公式見解なのだから、ごく普通に国内法の運用をして、公務執行妨害ならば相場どおりに勾留満期で釈放し、改めて「尖閣諸島は日本領である」と公式なステートメントでも出しておけばよかったのである。

中国側の態度が激変したのも、日本の側に原因がある。

勾留期間があたかも自動的に延長されたことである。

ちなみに被疑者の長期勾留が自動的に認められる日本の現状自体が、人権侵害と冤罪の温床として、国連人権委員会やアムネスティからさんざん批判されていることも、中国は知っている。

だから対外的な話題になりかねない今回の一件では、ますますもってそんなことはしないだろうと考えるのが、普通だ。

当然、中国側もそう考えていたし、日中関係を悪化させたくないから、法定の勾留期間のあいだは、なにもしていない。

日本じゅうが「強硬だ!」と驚き震え上がりパニックになった中国の動きはすべて、勾留期間が終わっても延長されてしまってから、その後で初めて、である。

しかもそのあいだ、日本の政権も報道も、やれ代表選挙だ、そして菅直人続投が決まればやれ内閣改造だ、そして菅直人自身の「国連デビュー」と、どうも船長の扱いについてなんの対処も判断もしていなかったとしか、思えないのである。

中国側からみれば、日本はなにを考えているのかさっぱり分からない。いや日本人である僕から見ても、菅政権がなにをやりたかったのかさっぱり分からないのである。

防衛省と外務省の狙いは分かる。財政再建圧力が大きい中で、思いやり予算という利権を確保すること。だからアメリカに頼るよう内閣を誘導するのも、彼らの利害からすれば理にかなっている(国民は大損だが)。

その上、内閣改造では「逮捕」という慣例破りな判断の首謀者である前原が、今度は外務大臣に任命され、得意満面に「国連デビュー」が楽しみでしょうがない顔をしている。

これでは最悪のサインを相手国に送ったことにしか、ならない。

しかも恐らくは、日本側としてはまったく無自覚に。

さらには蓮舫大臣がうっかり、政府の公式見解とは異なり「領土問題」と発言してしまったこともあった。

蓮舫さん自身の発言は、大臣としては確かに失言である。だがだからって外交を考えれば、いや外交を考えた時には、これは黙殺すべき類いのことだ。

ところが日本のマスコミも政治家も、この「失言」にのっかって蓮舫さんへのバッシングを始めたのである。

言うまでもなく蓮舫さんは父親が台湾人である。台湾もまた尖閣諸島の領有権を主張している。

だから彼女をこの問題でバッシングすることは、「お前はやっぱり中国人だろう」という濃厚な人種差別の色彩を帯びる。少なくとも中国人、台湾人はそう思う。

なにしろ某野党の大物が彼女を「日本人じゃない」と批判したのも、ついこないだのことなのである。

ここまで無意味に敵意をむき出しにした日本の外交力、しかもそれがすべて無自覚で、なんの戦略性もないことに、我々日本の市民は、もっと愕然とするべきなのだ。

そして挙げ句に、頼る相手はいつもアメリカなのである、嗚呼。

拙作『フェンス』(2008)のなかで、郷土史家の篠田健三氏と僕とのあいだで、こんな会話がある。

日米安保をめぐる一連の米軍特別法の話の文脈で出て来ることなのだが、

藤原「それってだって、日本が独立国じゃないということじゃないですか!?」
篠田(平然と)「独立国じゃないですよ、はい」


『フェンス 第一部 失楽園/第二部 断絶された地層』(2008、監督:藤原敏史、撮影:大津幸四郎)は、現在開催中のドキュメンタリー・ドリームショー山形in東京 2010上映されます
10月21日(木)午後7時から
会場:ポレポレ東中野

10/09/2010

尖閣諸島騒動とはいったいなんだったのか?(1)

このブログでは以前にも、日本がなぜ外交音痴なのかを考察したことがあるのだが、それを再確認させてくれる事態が、今回の尖閣諸島をめぐる騒動だったといえるだろう。

他者の都合を推測すらできない、だから相手の動きがなにを意味するかも分からず、過剰に恐怖したり過剰な期待をしたり。この問題の解決が実は日本と中国でなく、日本とアメリカのあいだで決したことなのは7日の本ブログで考察した通りだ。

これも他者の都合を推測すらできず、アメリカの国益からしてアメリカがどう動くかを考えもしないで、「日米安保」に過剰な期待をした、無惨な結果である。

いやもっと根本的な問題がある。

この程度の衝突で「日米安保」の適用範囲に尖閣諸島が含まれると確認したくなること自体が、アメリカにしてみれば呆れるような話でしかない。

安保条約はあくまで、武力の行使などの重大な安全保障上の危機に適用されるものだ。

そしてアメリカから見たら、いや誰から見たって、日中のあいだでこれが戦争などに至るような危機では、まったくなかった。また仮にそこまでエスカレートする危険があったとしても、日中で武力衝突が起こる事態の方を、アメリカは真っ先に阻止する。

米中関係もアメリカにとって極めて重要な外交関係なのだ。経済的な結びつきは言うに及ばず、中国はアメリカ国債の最大の保有国である。そんな関係をアメリカがみすみす危機にさらすはずがない−−それも自国の利益となんの関係もない話で。

日米安保の適用自体が絵空事なのに、そこで確認を求めてくる前原はなにを考えているのか、クリントン国務長官もさぞ呆れたことだろう。

平和ボケも甚だしい。戦争なんてそう簡単に起こるわけがない。出来る限り回避するのがあらゆる国の外交にとって至上命題であるはずが、わがニッポン国だけは違うらしい。

北朝鮮相手だってそうだ。「ミサイルだ、ミサイルだ!」って興奮してる場合じゃない。

すわ戦争だと言わんばかりの敵視と、ゴシップまがいの「金正日の息子」がどうこうだけで、本気で拉致被害者を取り返せるだとか、思っているのか?

平和ボケのあまり、「戦争」という言葉の英雄的な響きに、すっかり思考停止で興奮状態にでもなっているのか?

10/07/2010

菅直人首相の「高度な政治的手腕」?

来日したキャンベル国務次官補が、尖閣諸島をめぐる日中間の対立について、菅直人首相の高度な政治的手腕を評価したのだそうだ。

褒めてもらえるのはありがたいことながら、菅直人首相は例の船長の釈放は、あくまで「検察の判断」だと言っている。うーむ、キャンベル氏は、では一体なにを褒めてくれたのだろう?

まあこの褒め言葉がリップサービスに過ぎず、アメリカが日中間の対立を望まず、領土問題でどちらかに与する可能性はゼロであり、だから双方が「冷静な交渉を」というのが肝心のメッセージなのは、誰が見ても明かなのだが。

まだ国務省はマシ、まだ紳士的である。

国防総省の方は先週にやはり次官補を派遣し、「尖閣諸島は(前原外務大臣の言う通り)日米安保条約の適用範囲内です」という見え透いたリップサービスの裏の本音で、「守ってやるんだから思いやり予算は全額寄越せ。普天間問題もこっちの有利な条件を沖縄県民に納得させるように」という恫喝をやっているのだから。

一方、すっかり面目を潰したのが前原外務大臣。

先週の記者会見で、「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲内」というのは自分からクリントン国務長官に確認を迫ったものであること、その際には戦後沖縄が米国の施政下にあった際にそこに尖閣も含まれていたことも指摘し(これを言われればアメリカも形式上、反論はできない)、そこでクリントン氏が「領土問題にはコメントしない」と断った上で認めたという話だったことを、フリージャーナリストの岩上安身氏の質問への答えで、バラさざるを得なかった。

こうなると「中国の強硬姿勢」に屈する形で、裏で政治介入があったにせよなかったにせよ(ってなかったわけがない。検察が自ら泥を被るような越権判断をする動機がない)、例の船長の釈放が決まったのだという一般的なマスコミの分析は、だいぶ事実とは違うのだと分かって来る。

今朝の毎日新聞では、国連総会中のASEAN首脳との会合を控えて、オバマ大統領やクリントン氏にとって日本が中国を刺激したのは迷惑でしかなく、クリントン氏が「すみやかな soon」解決を求めると前原氏に言っていたことまで指摘されている。

民主党リベラルの現オバマ政権の基本的な姿勢と、米中間の経済関係を見ただけでも、少なくともアメリカの国益が、日本に与する「日米同盟の強化」で中国に対決姿勢を強めることではないくらいの予測は、もしかしたら前原氏や外務省は思ってなかったかも知れないけれど、ふつうに考えれば誰にでも分かることだ。

いや前原氏だって分かっているから、沖縄の日本復帰以前の状況まで持ち出してクリントン氏に確認を迫ったのだろう。

国連総会中の両者の会談のあとの会見で前原氏が語ったことが、本人の主張とはまったくニュアンスが違ったからこその必死の強弁であることも、最初からだいたい分かっていた。

クリントン氏はみごとに、前原氏の梯子を外したのだ。

それは引き続き行われた菅首相とオバマ大統領の会談で、オバマ氏がこの問題への言及を避けて「中国は大切な国だからアメリカも日本もお互いにちゃんと注視していきましょう」と言ったことを見ても、明らかだった。

日本の外務省がわざわざ、「observe」を「監視」と訳して、マスコミにブリーフィングしたことを見ても、

オバマ氏もオバマ氏で、日本側が期待した梯子をあっけなく外したのだ。

そしてその直後に、日本中が唖然とした船長の釈放決定である。

この騒動は日中間で決着したのではない。日本がアメリカの動きを見誤った結果として、ああいう決着になったことは、ちゃんと憶えておいた方がいい。。

…といって、この場では後付け話になって恐縮ながら、このブログの筆者子は、オバマ菅会談の直後にそれを予想して、Twitter上ではその旨を発言しておりますm(_ _)m。

こうなると映画作っているよりも政治評論家にでもなった方が商売になるんじゃないかまったく?

…というより、政治の専門家でもない映画作家が簡単に予測できることを、なぜ日本の大手マスコミの優秀な政治記者や解説委員の皆さんは気づきもせず報道もしなかったのか、その方が不思議だ。

僕程度の、普通の情報ソースしかなくても気付くのくらいだから、彼らが気付かなかったわけがない。

マスコミだけでなく、それこそプロ中のプロである外務省の皆さんも同様なはずだ。

つまりは国民は恒常的に騙されているのだ、そう考えた方が妥当だ。

あとで「騙されていたんだ!」とパニックにならないためにも。

10/06/2010

朝青龍の「断髪式」、小沢一郎が「強制起訴」

先週日曜日に、朝青龍がついに断髪式。

ところで朝青龍が引退させられた理由って、誰かちゃんと説明してくれる人はいるんだろうか?ニュース報道見ながら、さっぱりわけが分からなくなった。

ううむ、要するに「生意気」だったから?

それにしても、朝青龍って日本語うまいよね。同年代の日本人の男の子で、あれだけ巧みに言葉を選んで自分の気持ちを表現できる人は少ないと思うよ。ニュアンスだとかも適確で豊かだし、あれを「日本の心が分かってない」とか「品格」批判ってなんなのだろう?

そして翌日には、小沢一郎氏にまさかの検察審査会の「起訴相当」議決である。

被疑事実自体が、要は資金繰りで一時期個人資産を流用したことをわざわざ記載しなかった程度で、それで裁判やるんですか、という感じであるのだが(裏金疑惑が被疑事実になってるわけじゃない)、それにしてもマスコミの報道はメチャクチャである。

なんとも「事実」が軽んじられる世の中だ。それは例の尖閣諸島をめぐる騒動でも同様なのだが、事実をきちんと分析することもなく、ただ雰囲気に薄っぺらなレッテルを貼ってしまうだけで、世の中が動いている。

この二つの件についていろいろ思ったことを書こうかと思ったのだが、ほんの数ヶ月前の2月のブログで書いたことそのままだと思うので、そのリンクを貼っておくことにする。

2/4/2010 「日本という泥沼」
…こと21世紀に入ってから、「日本という泥沼」という言葉は実際の日本社会を見るとき、より痛切な言葉として響くし、その響きの恐ろしさは最近とりわけ際立って来ているように思えるし、とくにここ数ヶ月に至っては、日々激しくなって来ているのが正直な実感だ。… 【続きはこちら】



それにしても、このポスターにしても言葉はすべて本人のものらしいのだが、本当にうまい。「自業自得」というのは、痛烈な皮肉にしか読めないが。

そういえば民主党代表選では、小沢一郎の演説の説得力、言葉の重みと明解さが際立っていた。代表選当日の演説では、生中継のNHKのキャメラに、小沢の顔からキャメラが離れて議員席の切り返しを入れる余裕など、まったく与えていない迫力。それでも「最後の演説で決める」と言っていた議員が多かったわりには、落選なのである。

まさか菅直人の412人内閣という薄っぺらな甘言に、「だったらオレも活躍の場あるんじゃね?」と思った本気でのっかってしまった議員がいるとも思えないのだが。

なんとも言葉の重みを軽んじた話ではないだろうか?

それにしても、自分のあまり期待してない悲観的な予測が当たるというのは、まるでいい気のしないものである。そういえば小沢氏については、選挙の前日にこんなことも書いていた。

10/01/2010

『ほんの少しだけでも愛を for a little bit of love just for this little instance』荒編集

9月5日の本ブログでも紹介したのだが、けっこう手直しが入ったので新しいラフカットを再掲。一部のナレーションも仮吹き込みし、これで多少は論旨が明確になったと思うのだが、どうだろう…



『ほんの少しだけでも愛を』ラフカット冒頭

これは冒頭13分ですが、全編をご覧になってご意見いただける方はこのブログのコメント欄に書き込んで下さい(公開はしませんので連絡先があれば、残りのリンクを送ります)。ただし4時間半もあるので…。

昨日自分でも通しで見たのだが、中盤がまだまだ未整理な感じは…。

9/15/2010

内匠頭、内蔵助、お岩さん

日本の伝統が「仇討ち」であると思うのは、中国と朝鮮半島から入った儒教倫理に従っていることに過ぎない。なのに中国や朝鮮を嫌う昨今の右翼に限って、それが日本の伝統なのだと言いたがる。日本の伝統は「仇討ち」でなく、「祟り」を恐れること。

丸谷才一は「忠臣蔵」の分析で、内匠頭が吉良に賄賂を要求されたという話はフィクションだったことを指摘している。松の廊下事件の本当の動機は分からない。その分からない動機の荒ぶる神の発露だったからこそ、浪士たちはその荒ぶる神の祟りを鎮めるために、吉良を打たねばならなかった。

浄瑠璃/歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にも、真山青果の「元禄忠臣蔵」にも、溝口健二によるその映画化にも、復讐劇であるのならそのクライマックスであるはずの討ち入りの描写がないのは、このドラマの本質が仇討ちにはないからである。

溝口健二『元禄忠臣蔵』

討ち入りがない変わりに、正統的な赤穂事件の物語表象でクライマックスとなるのは、泉岳寺の内匠頭の墓前に吉良の生首を捧げる場面である。荒ぶる神を鎮める捧げものとして、吉良の首があり、そして浪士達もまた切腹によって自らを荒ぶる神を鎮める人身御供となるのである。

現代では歌舞伎の演目だが本来は浄瑠璃の演目である「仮名手本忠臣蔵」と表裏一体の関係にあるテクストとして、鶴屋南北が書いたのが怪談歌舞伎の「東海道四谷怪談」である。江戸時代の社会劇として、この二つは双璧をなす。演劇的な、ドラマチックな強度において後者が圧倒的なのは言うまでもない。

まただからこそ鶴屋南北は「忠臣蔵」と表裏一体のドラマとして「東海道四谷怪談」を書いたのであろう。ちなみに「東海道四谷怪談」こそは、北斎が19世紀絵画の世界最大の天才であったように、19世紀の世界の演劇で最高峰のドラマである。「日本に誇りを持つ」とは、そういうことである。

なぜなら「仮名手本忠臣蔵」は忠義と仇討ちのドラマに偽装した、壮大なる荒ぶる神を鎮める儀式でしかないからだ。だいたい仇討ちと忠義が重要なのであれば、浅野公に忠義を貫くためには赤穂藩士は篭城して討ち死にすればよかったのだし、復讐ならば切腹を命じた幕府相手であるべき。

しかしそれが「忠臣蔵」の本当のドラマではない。荻生徂徠らの儒学者たちが浪士達への処罰を主張したのは当然である。儒学に基づいた忠義の論理を幕府が中国/半島から持ち込んで日本で法制化して押し付けたのに対する、日本的なる「荒ぶる神」「祟り」信仰の反逆こそが、忠臣蔵事件だったのだから。

深作欣二『忠臣蔵外伝 四谷怪談』

9/13/2010

「グランドキャニオンには柵がない」ニッポン人は柵が欲しい

過去ログを見て頂ければ分かることだが、このブログでは今まで「小沢一郎」という人物の行動について、政治マスコミが「どうなるか?小沢はこうするに違いない」と騒いでいることについて、常に予測を当てて来ている(ホントですよ)。

今回の代表選挙の出馬するしないのときには忙しくてブログに投稿できなかったが、鳩山前首相が動き回って「出馬回避か」と政治マスコミの大方が予測していたときにも、「出るに決まってるじゃん」と僕は確信していたし、その通りになった。

だって「トロイカ+ワン」なんて話が報道されたら、絶対に出るしかないじゃん…というのは言うにおよばず、この3ヶ月の菅直人政権を見れば、小沢にとっては決していいタイミングでなくとも、出ざるを得ない。

それはもう、菅直人の首相になって以来の。あのツラを見てれば分かること。

首相の座にしがみつくためにどんどん官僚に妥協し、消費税増税と法人税減税なんて話までやり出したのを見れば、これなら政権交代した意味がなかったどころか、「自民党政権の方がまだマシだった」ということにしかならない。

政治マスコミは必死でなにが争点をぼやかそうとしているが、本当の争点は非常にシンプルである。

-官僚機構に真の権力と権限が集中して、横並び無責任体制のなかで個々の組織を維持することが最優先の自己目的化し、現状保守以上のことは誰も真剣に考えることなく、責任をとることもなく、なんとなくすべてが決まってなにか問題が起これば形式だけの「対処しています」といういいわけ作りだけが政策として実行され、そのカムフラージュないしエクスキューズとしてのみ「政治」が存在する国にするのか?

-そんなことやっていては国が立ち行くわけもなく、どんどん不自由で生きづらい世の中になりそうだから、国民の意思で政治を動かし、必要があれば変えられる民主主義社会にするか(だいたいすべて官僚のお膳立てのなかでしかやっていいことがないなんて、不自由でやってられっかってんだよ、バッキャロー)

争点はまったく、このどちらを選ぶかでしかない。

「これなら自民党政権の方がまだよかった」とは、そういうことである。

菅直人が続投するということは、政権党が変わろうが首相が交代しようが、それは官僚が決めたことを公式発表して認可するための機関に過ぎず、「政治」そのものが天皇機関説における天皇と同じくらいの形式的権威でしかなくなり、日本の民主主義はフィクショナルな幻想でしかあり得ないままになる。

以前ならばまだ、「それが自民党の政治だから」というわけで、ならば政権党を国民の意思で変えればいい、と言えた。

しかし民主党になっても本当の意思決定が官僚に任されるのなら、その官僚のガバナンスが破綻したときのオルタネイティブがなくなる--すでに破綻していることは明白だというのに。

しかしここで小沢一郎が首相になることで昨年の政権交代した意味を復活させない限り「マジでニッポンってヤバイじゃん」なのに、現在の、高度成長時代モデルの統治機構がいまさら外需型経済成長なんてない時代の社会に適合するわけもないのに、その統治機構がそのまま維持されて絶対に破綻するのは目に見えているのに、にもかかわらず小沢が勝つということはまずあり得ない。

実はネット上では新聞テレビの報道とは逆に、小沢支持の方が優勢であるらしい。

街頭演説会でも、両候補に対する反応の差は歴然としている。そうした演説をネットではフルバージョンで見られる(映画作家としては、未加工未編集映像しか信頼されないというのは困ったことだけど、あそこまで不誠実で恣意的な編集が駆使されるのでは、やむをえない)

ニコニコ生放送で小沢生出演討論会をやったときも、最後のアンケートでは小沢が78%と圧勝し、コメント欄では小沢をなぜか「中国の手先」と見なすいわゆるネットウヨのワンパターン誹謗以外は、いちいち小沢の発言に納得するコメントばかりが流れる。

代表選の論点にはほとんどなっていないアフガニスタンについての小沢の見解が流れたときには、「正論だ」というコメントで画面が埋め尽くされたほどである(そして確かに、正論なのだ。実は小沢が数年前のまだ小泉の時代に岩波書店の『世界』に寄稿した論文の中身そのままだから、筆者は別に驚かなかったのだが)。

いやよく考えれば、菅有利報道をなりふりかまわずやっている新聞テレビですら、今回の代表選が小沢がスターの選挙であることは隠しようがない。

なにしろ彼らが報道することですら、話題は圧倒的に小沢が多い。どう編集しようが、演説や討論をさせれば小沢が中身でも圧勝し聴衆の反応も彼に集中していることはやはり隠し切れない、というかそれ以前に、菅直人の発言にあまりに中身がない。

Twitter上では(ちなみに当方のTwitter アカウントはこちら)脳科学者の茂木健一郎氏やその茂木氏に引き込まれた白州真也氏が、小沢の政策の革命性に今の閉塞した日本の状況打破の活路を指摘しているし、フリージャーナリストの上杉隆氏や、元東京高検特捜部の郷原信郎氏らが、少なくとも菅直人に政権を続投させることは危険で、公平で公正な社会を維持できなくなる可能性が高いことの警鐘を鳴らしている。

実際、Twitter上などの世論を見る限り、菅直人の圧倒的な優勢を報じる新聞世論調査はまったく信用できなくなるほどだ。

しかし、小沢は勝てないと思う。

別にこれまで小沢の行動の予測をだいたい百発百中当てて来たから、自信がある、というわけではない。

別に占いやヤマカンで当てたことではなく、単に小沢一郎という政治家の言動から本人の価値観や性格を推測すれば、政治マスコミが言っているような行動を彼がとることなんてまずあり得ないからだ。

その言動や行動を見る限り、小沢一郎は普通に真面目で、基本の立ち位置は保守と言っても、それは生活の保守であり、だから自由な発想力もあり、しかし恐ろしく頑固なまでに筋を通す一言居士の一方で、理想主義者でありながら現実に根ざした発想をする人物であることは分かる。

だからその行動は、彼の価値観を考えればかなり簡単に理解も想像も予測もできる。

つまり小沢氏の考えそうなことがだいたい分かるから、予測が当たってただけ(ちなみに、だからなんで政治記者があんなトンチンカンな予測ばかり立ててはいつも外れるのかが、僕には分からない。よほど頭が悪いか、性格がねじ曲がって邪推ばかりしているからああなるのではないか?)なのだ。

それに対して、あした小沢氏の去就を決めるのは、選挙で投票する人たちである。

だからこの予測が外れる可能性は高いことは断っておく。僕は小沢氏のことがだいたい理解できるほどに、あの人々を理解している自信がない。

それでも僕は、小沢一郎は今度の選挙には勝てないし、彼は首相になれないと思う。

なぜそう思うのか?

茂木さんや白州さんのような、自由な社会であれば自分の自由な発想でのびのびできる人たちは、やはり小沢に期待するだろう。

郷原さんのようにきちっと筋を通す人にとっても、小沢さんの方が菅さんのような軽薄なポピュリストよりも理解できるであろうことは、やはり自然なことだ。

それに司法や捜査当局がその本来の職務権限だけをきちんと責任を持って果たすべきであり、本来の役割を超えた権限をそこに与えるのは極めて危険なことだという危機感において、小沢さんと郷原さんの目指すところは一致するだろう。

上杉さんたちにとっては、記者クラブ制度において官僚と記者クラブ会員社つまり大手マスコミが癒着し、日本の言論が実はまったく自由でないことの危機感は大きい。その癒着の権力/利権構造に菅直人がいま支えられているのも、明白だ。

その点でも記者クラブの特権を廃止しオープンな記者会見を主張し実践し、自分の事務所などでは出来る限り情報公開もやってきている小沢さんに期待があるのも、ジャーナリストとしてちゃんと仕事をやる気があるならば、当然のことだ。

ニコニコ生放送では、もう十数年前に小沢が言っていた「グランドキャニオンには柵がない。危ないのは分かっているのだからそこで端まで行くか、危険だからやめるのかは個人の自由で自己責任」の話が久々に紹介された。

小沢さんはその考えはまったく変わっていないと言った上で、「ただしセーフティネットはきちんとしなければ、本当の意味で自由で公正な社会にはなりませんし、それは政治の責任です」と付け加えた。

僕なんかの気分だと、グランドキャニオンに柵がなくて当たり前でいいし、「危ないから」と柵に閉じ込められる社会ではやりにくくてしょうがない。

万が一食えなくなっても、セーフティネットがしっかりしてさえしてくれれば、自己責任で「落っこちた」ことにうじうじして落伍者として恨みつらみを愚痴り続けて他人のせいにする趣味はないし。

日本の映画業界の現在のあり方を批判するのは、単にそれがいい映画をちゃんと見せようとする努力のない怠惰な、ただでさえ狭いマーケットをどんどん狭めるようなやり方ばかりやっているし、作り手にとってあまりにも不公平な業界慣習がまかり通っているからで、「今のシステムがダメだから自分の映画が見てもらえない」という愚痴として言ってるつもりはない(まあ現実には、なかなか公開が困難であるし、別のやり方ならチャンスがあるのは分かっていてもやらしてくれないのはムカつくが)。


でもそれは、本当に自分の力でなにかが出来る自信だか自己過信だかなにかがあるか、それ以前に自分でやりたいことがあるし、そのやりたいことをちゃんと社会化して、社会の一部として社会全体に対する責任を自覚した人たちのことだ。

映画作りなら映画作りで、自分でおもしろいこと、意味があると思えること、やるべきことをやりたいし、それはあくまでこの世界のなかでおもしろいこと、意味があり、自分がやるべきことであり、その相手は観客であるという意識がある人間なら、小沢一郎が首相になって改革した結果に期待できる日本の統治機構は、国としてやるべきことだけはちゃんとやりますからあとは自由に、ということなんだから今よりはやり易いに決まっている。

文化政策だって今みたいに文化庁とその周辺の権限になんとなく有名評論家が名前だけハク付けで参加し、その評論家も文化庁や文科省などの意向を汲み取って審議に参加するみたいな無駄なことではなく、「本当に今の日本の文化の発展、新しい文化にはなにが必要か」を、少しは真剣の議論されることを期待するし、そんななかなら自分が作品を作り続ける自信も多少は持てるし、それでダメなら「自己責任」だからしょうがない。才能がないか努力不足だと納得もできよう。


でもそれが本当に、今の日本人の多数派が求めているような社会だとは、なかなか言えないのである。

我々が求めているような自由を皆が求めるよりは、ほとんどの人はむしろ自由から逃げたいのではないかと思う不安が、どうにも拭えない。

現代のニッポン人というやつは、自分の信じることをやってそこに責任を負うということを、いやなこと、怖いことだと思っている。なぜなんだろう?

明治時代にrespponsibilityを翻訳した際の、「責任」というたぶんにおかしな訳語、とくに「負う」という語彙のネガティブなイメージの奴隷になっってしまっているのか?

そこも含めて、我々は明治時代の権力者たちが奴隷のように従順な国民にしようとした陰謀に、未だに支配されているのだろうか?

小沢さんのなかで一貫してる責任の所在のはっきりした、そのぶん自分で決める自由のある社会なんて、今の日本人には無理なんじゃないかと、どうしても思えてしまうのだ。

現実にこの国では、責任の所在を曖昧にするか、よってたかって誰かになすり付けることばかりが横行する。

なだいなだ氏が指摘していたそうだが、大相撲と暴力団の癒着が問題なら、なぜ暴力団を誰も責めずに大相撲ばかりを責めるのか?暴力団の排除を求めるのなら、暴力団を攻撃するのが筋だろう?

普天間問題で鳩山内閣は確かに失敗した。だがなぜ皆が鳩山さんばかりを責めて、アメリカがそこにいることの是非を議論すらしないのか?

小沢さんは最低限のセーフティネットは国の責任、公平で公正な国に、と言っている。

しかしそうやって責任をなすりつけて批判したり、下に見たりする対象がないと不安なのが現代のニッポン人だ。かといって上に立ったときの責任なんてとんでもないと、絶対に負いたくない。

柵がないグランドキャニオンで崖のギリギリまで行く人を見たら、「僕はあの人ほど勇気がないよね」とは思わない。崖のギリギリまで行くヤツは「生意気だ!」となるのだ。だからそうした「生意気なヤツ」が出て、「和が乱れる」ことがないように、柵はそこになくてはいけない。

ならば本当に公正で公平な社会なんて、この国には必要がないと言うことになる。だから誰も本当は、そんなもの望んですらいないのだ。

望んでいるのは、柵があって誰もそれを超えない社会。「そんなの怖くないじゃん」と言って柵を超える人がいたら、その度胸への嫉妬を隠して「ルールを破ったあいつはけしからん」と言える社会。

だいたい本気で公平で公正で自由な社会を望んでいたのならば、新しい憲法の施行からもう60年以上、制度のベースはがっちり保障されているのだし、今さらになってやっと公正で公平で民主的な社会のために政権交代なんて、どう考えても真面目とは思えない。

夫婦別姓選択制にしても、反対派はなにを反対しているのか?

あなたたちが夫婦で同姓、家族みんなで同姓がいいなら、それを選択する自由は誰も侵害しない。

なんで他人の自由をこんなに嫌うのか?なんで他人が自由になることをここまで嫌がるのか?余計なお世話だろうが、という基本が、この国には通用しない。

自由を行使する人間が嫌いなのだ。同じ自由が与えられていてもそれが出来ない自分がいることを、直視できないから。

なぜ責任がそんなにいやなのだろう? 自分でやることに責任があってこそヤリガイがあって充実するはずだし、大切な人に責任を持つのは嬉しいことでもあるし、それこそが愛そのものであるはずなのだが?

でもこの国は国民も選挙結果にすら責任をとらず、実はお上に依存してお役人任せなのが分かってて安心できてこそ、はじめてそのお役人に格好だけ悪口いって自己満足出来ればそれでいい、そんな状態の方が本当は楽だと思っている人がほとんどなのだ。

だから、菅さんぐらいがちょうどいい。

しかしこの国自体が、希望を失ってぐちゃぐちゃなのに、それでもこのまんまでいいと、本当にみんなそう思ってるんだろうか?

本当にそれで納得できるのだとしたら、明日は菅直人首相の続投が決まる。

9/07/2010

9/03/2010

「ほんの少しだけでも愛を」ラフカット

撮影が5月に、ほぼ一年かかってやっと終わって、3ヶ月以上、ほとんど4ヶ月くらいかかってやっと、お話が頭から最後までいちおうつながる、という形ではまとまった。

ラフカットなんて本来うちわにしか見せないものなのだが、どうせそう読者が多いわけでもないこのブログなので、「公開」というほどのことにもならないだろうというわけで、こちらにアップしておこう。

『ほんの少しだけでも愛を』ラフカット冒頭

…と言っても出だしだけ。続きを見てご意見をくださる方はコメント欄へどうぞ。

今夏の明らかに異常気象の酷暑のなかで、なにせ昨年からこればかりやっていて稼ぐことはほとんどやって来なかったので電気代を気にしてあまりエアコンもつけずに…というか、もとから広くない場所での冷房が苦手なこともあり…Mac殿はフル稼働でかなりの熱を発するわけで、気づかぬうちに朦朧としながらやっている編集作業なので、究極に超私的・超主観なのだ。

映画は公共的なものでもなければならない、ということを主張し続けたのは60〜70年代の大島渚だが、自分で演出し自分で撮影し自分で編集していると、被写体は即興なのでこちらの思い通りに動くわけではぜんぜんないとはいえ、「撮ったもの」の中身に対する客観的な判断がなくどうしても自分に閉じこもったものには、なってしまう。

自画自賛とかそういう意味ではない。「ここにはこういうことが写っているはずだ」という自分のその実「撮ろうとした」思い込みから、逃れるのが難しい。

というわけで、この超主観のいわば「生」でパーソナルな状態を、どう「公共性」、パブリック、つまりは観客の見る「作品」としてのフォルムに到達させる作業が真の編集プロセスであるわけだが、そこにはベタに人に見てもらって反応や感想を、ということが必要なのだ。

もちろん理想は、別建てで信頼できるプロデューサーがいて、かつ編集者が編集してくれることなのではあるが。

ただし「長い」というのはご勘弁を。「ここは要らない」ならいいんですが、なにせラフカットなので4時間半もあり、この次のステップは具体的にはまず、短く整理することなので、長いのは当然ですから。

8/10/2010

65年前、62年前、原点に帰る

以下は先日、久々に上映して自分でも久々に見直した、デビュー作のいちばん問題のシーン。

藤原敏史『インデペンデンス アモス・ギタイの映画「ケドマ」をめぐって』(2002) 抜粋

アモス・ギタイの『ケドマ』は1948年の戦争(イスラエル独立戦争/第一次中東戦争)を描いた映画で、これはそのアモスに「新作を撮るからイスラエルに来ないか? カメラを持って来い」というほとんどものの弾みで撮ってしまった(撮らされてしまった)映画、いわゆるメイキングのはずがぜんぜんメイキングになってない作品なのだが、1948年の戦争はそのまま、1945年に終わった戦争、ヨーロッパから移民したユダヤ人にとってはホロコーストに引き続き起った戦争だったのは、言うまでもない。

Facebook 上で「友達」になった重信メイさんから紹介されて、イスラエルの最大の日刊紙「ハーレツ」に出ていたギデオン・レヴィの論説を読んだ。

"This illusory left wing never managed to ultimately understand the Palestinian problem - which was created in 1948, not 1967 - never understanding that it can’t be solved while ignoring the injustice caused from the beginning. A left wing unwilling to dare to deal with 1948 is not a genuine left wing."


翻訳する気力がないのでざっとだけ概説すると、要するに1967年の戦争でイスラエルが現在の西岸とガザを併合したことを問題の原点とみなすかのようなイスラエル左派への痛烈な批判である。すべての原点は1948年にあり、そもそも最初からあった不当さを無視する限り、真の意味の左翼とは言えない(し、紛争を解決することなどできるはずもない)、という主旨。


アモス・ギタイ『ケドマ』(2002) ホロコーストを生き延びたメナヘムとハンカは、クリバノフの案内でパレスティナを旅する途中に、アラブ難民の一団と遭遇する。


今日は家人の健康上の問題の検査待ちだったりして、まとまった文章を書く気力もないので話は飛ぶが、NHKでいわゆる「シンドラーのリスト」の生き残りについてのドキュメンタリーをやっていた。

戦時中の話はスピルバーグの映画も引用しながらの普通の作りなのだが、終戦後の話になってからがぜん刺激的な番組になる。

今まで戦後史のタブーであった、収容所を出たユダヤ人たちがナチスから解放されたはずのヨーロッパで迫害を受け、クラクフではリンチや虐殺まであったことが詳言される。これはなんとなく知ってはいたものの、45年のドイツ敗戦から48年までのあいだになにがあったのか、ほとんど語られていないし知られてもいない。

戦後のシンドラーのイスラエル訪問時がちょうどアイヒマン裁判の直後で、イスラエル国内に「魔女狩り」的な雰囲気があったことも語られる。

裁判でアイヒマンと協力関係にあったシオニスト勢力があったことが暴露され、「対独協力者」のユダヤ人を糺弾しようという空気のなかで、生き残り達があえてシンドラーの功績をあえて、いささか美化しようとしてまで彼を護ろうとしたこと(ナチ党員であったシンドラーにとってユダヤ人の命を救ったのも元は金儲けだったことをじゅうじゅう承知の上で)。一方でドイツに帰国したシンドラー氏が、人種差別主義者に暴行されていたこと。

そんな一方でスピルバーグの映画で悪役だった、残虐な収容所所長の娘が、今ではイスラエルに住む生き残りの証言者と親交があることも紹介される。

NHKなんだからこうやって今や理解しあえる元は「敵」どうしを結びつけることで、希望を持たせて終わらせるのかと思ったら、違った。

番組の最後は、シンドラーのリストに載れたために生き延びれた現在84歳の老人の、告白だった。

番組の最初から登場していて、一緒に生き延びた妹や、妻との会話も紹介されている人物だ。シンドラーのことを語らなければならないと思って来たが、それがやはり辛過ぎる、この歳になって自分がなぜあの戦争を生き延びたのかが分からない、と告白もしていて、妻がその彼に「もう忘れて、生きなければいけない」と語りかけていた。

ガンが見つかって入院した老人が、恐らく家族にも誰にも今まで語っていなかったであろうことを、カメラに告白する。

収容所にユダヤ人のカポー(収容所で準看守の役割をしていた囚人)がいた。

そのカポーは、多くのユダヤ人を殺していた。

戦争が終わってソ連軍が来た時、そのカポーを捕えていた彼らユダヤ人は、どうしたらいいかをソ連兵に訊ねた。

兵士は「彼が他人にやったのと同じ目に遭わせるのがいい」と答えた。そして彼らは、そのカポーをリンチして、殺してしまった。


ベッドに横たわって点滴を受けながら、老人がそう涙ながらに告白する。

正直に言ってしまうなら、こればかりはほとんどNHKに嫉妬するしかない。「あー!ここでここまでズームアップしちゃだめだよ」とかつい思ってしまうのが、こういう稼業をやっている人間の性なのかも知れない。いやたぶん、スティーブン・スピルバーグ本人がこのシーンを見たら、もっと嫉妬すると思う。

しかしよく考えれば、この老人と同じような語れない体験を持った人は、まだまだたくさんいるはずだ。

それを聞き出してしまえたこの番組のスタッフは凄いと認めざるを得ない。ほとんどの人は、これだけは墓場に持って行くはずだし、そこまで語ってくれるほど信頼されることは、めったにない。


1948年が原点だとしてもそのさらに原点には1945年があり、それはイスラエルや中近東問題についてに限ったことではなく、今の世界がこうである原点の多くが、やはり1945年にあるのではないか。

大文字の歴史、政治であるとかについては、すでに多くが研究され語られているかもしれない。しかしそこしか語って来なかったことはせいぜいが今日菅直人が発表した談話の「痛切な反省とおわび」程度の薄っぺらな言葉に収斂され、政治の文脈ではそれはそのおわびや反省の「心」ではなく(その「心」が本当にあるのかどうかも疑わしいが)、それが民主党政権内の権力闘争や国際関係の文脈のみで消費されてしまう。

だがたとえば65年間、19歳のときに犯した殺人の記憶をずっと隠し持って来た老人のような、その一人一人の「心」に、語れることも語れないことも含めて耳を傾けて来たら、中東紛争はあそこまで泥沼にならなかったかも知れないし、たとえば被爆者の「心」に耳をもっと傾けていれば、ヒロシマ・ナガサキからオバマの核廃絶演説までもこんなにも歳月はかからなかったのかも知れない。

我々は外向けの自分達の側や自分達自身の自己正当化にかまけるあまり、本当はなにが起ったのかの人間的な真実から、65年間ずっと目を背けて来てしまっているのかも知れない。

だいたい、そうやって自分たちの側を正当化することで「敵」を排除する理由づけばかりを求める空気のなかでは、自分もまたカポーを殺してしまったことを、老人が65年間語れなかったのも、無理もない。

すでにシンドラーの工場で働いたおかげで助かったのだって、それは軍需工場であり、ドイツの戦争に協力していたことになる。だからイスラエルを訪問した際のシンドラー氏を賛美するために(賛美する空気を作らなければ彼も、自分たち自身も糺弾されてしまう)、彼らは自分たちが銅製品(つまり、兵器にはならない)を作っていたのだと、嘘まで言っていたのだ。

あの戦争から我々は何を学べるのか?

何も学べないまま時間だけが過ぎ去り、人々は鬼籍に入ってしまうのかも知れない。

だとしたらこの惑星が人間の生存に適した場所であり続けることについて、あまり希望はない。

「原点はなにか」。いろんな意味で現代の我々はそこを無視してばかりいるのかも知れない。

なにも政治とか国際紛争とか民族の問題だけでなく、一人一人の生き方の問題として。

8/01/2010

慶應大学教養学部での授業の総括・上映会

急なお知らせになってしまいますが、明日…いやもう今日なんですが、13時より、慶應大学日吉キャンパス『来往舎』シンポジウム・スペースで、4月から「アカデミック・スキルズ」という授業で教えて来た学生たちの作品上映と、授業の報告を行います。

15時からは「世界に目を向けるための映画上映会」というわけで、2002年の筆者のデビュー作『インディペンデンス アモス・ギタイの映画「ケドマ」をめぐって』を上映します。

ちなみにこの映画の本歌とりの本歌の方というか(元はメイキングとして依頼された企画)、アモス・ギタイ監督の2002年作品『ケドマ Kedma』は、この秋東京日仏学院と東京フィルメックス映画祭で開催される「アモス・ギタイ特集」で、日本国内では久々にフィルムで上映されます。


映画作りの教え方としてはかなり変則的なやり方を実験してみた授業ですが、慶應の学生たちは優秀でした。

優秀すぎて授業で作る本格企画ではあまりに野心的になり過ぎて、明日の上映にはなかなか間に合わない作品も多いのだけが残念(汗)。

しかし今年の前半はなんだか慶應づいてた半年だったなぁ。出身校で今でも近所に住んでいる早稲田とは、ほとんど関わりもないのに。

7/28/2010

子どもの虐待事件


ここのところ毎日のように、虐待死事件の報道を聞いている気がする。

先週末には昨年、大阪市西淀川区で9歳の娘をベランダに閉め出してまな板で殴る等の虐待を続けて死なせた男女の公判が報じられ、日曜には横浜市港北区で一歳の娘を木箱に閉じ込めて窒息死させた事件、今日は大阪府寝屋川市で、父親が中学生の息子にライターのオイルをかけて火をつけたという事件だ。

2009年度の全国の児童相談所に寄せられた虐待の通報や相談は4万4千210件、地域別には神奈川県が最も多く5676件、次いで大阪府の5436件だそうだ。市町村では大阪市1606件、京都市611件、神戸市381件。

児童相談所の立ち入りによる検査がわずか1件だと言うからにはたぶん氷山の一角に過ぎないのだろうし、だから地域別のデータでとやかく言うべきことでもないのだが、しかし人口が多いにも関わらず神奈川はともかく東京は少なく、人口比からすると関西の都市部が多い。

とくに虐待死など、報道されるような重大事件が、大阪府に多いのは、なんとなく分からないことでもない気がする。

大阪が残酷な町だからとか、そういう意味ではないので誤解のないように。むしろ逆だ。

家族というものの比重が個人の人生/生活のなかでより大きい、家族関係がより濃密で、親から引き継いだりしたものの意識がより大きい文化的風土があるから、そこでの関係の矛盾が暴発点に達する可能性もまた、大きくなってしまうのではないか?

逆にたとえば東京であれば、一人暮らし世帯が多いし、家族のなかでの暴力の暴発が起こる前に、離婚だとかでその関係を解消してしまえるオプションも、比較的選ぶことに躊躇が少ないこともある。

その意味で、関西の方が関東よりやさしい。

しかしその一方で、関西だとDV被害の話を、非常によく聞いたりもするのである。

もっともそれを言うなら、だいたい東京の人間は、家族の話をあまりしない。親がかわいい子どもの話を自慢げに語るのは多いが、子が親のこととか、ほとんど話さない。

関西では子供がけっこう親のことをいう。20代にもなる男の子が母親を他人に「かあさん」とか「おかん」とか平気で言う。普通は「母」か「おふくろ」だろうと思うんだが…

自由ということも、愛情も、複雑で矛盾に満ちたものだ。たぶん今の世界でいちばん問題なのは、そうした複雑さから目を背けて、すぐに善悪のレッテル貼りを即断して、表面的な解決ばかりを指向してしまうことなのだろう。

7/24/2010

『ひきこもり』70万人、予備軍155万人

  藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010)

今朝の新聞で内閣府の調査の “衝撃の” 結果が報じられている。

実を言えばそんなに「衝撃」だとは思わないし、とくに「予備軍」については定義にもよるが、もっと多いだろうと思っている。

むしろ驚くのは、いったい何年前から引きこもりが問題になっているのかを考えたとき、なんとこれが初の全国規模の統計的/網羅的調査だったということだ。

全国規模と言っても設問項目も大雑把だし、サンプル数も少な過ぎるし、大げさに発表して大きく報道させている割には、真剣さが見えない。

調査結果のなかで衝撃なのはむしろ、30代がいちばん多いということ。バブル後のロストジェネレーション、就職氷河期世代だ。

しかも引きこもりになったきっかけでいちばん多いのが、職場の人間関係の失敗、病気、それに就職難だという。

もちろん本人達の耐性の弱さの問題だってあるのは確かだろうが、こうなると個々人や家庭にのみ責任を押し付けるのは間違いだという論評だって、少しは出て来てもおかしくない。

ここでまたもや明らかになってしまったのは戦後日本社会の世代的構造の弱点であり、まずバブルを膨れあがらせて崩壊させた責任がある世代、さらにはその当時の企業文化、とくにその時代に採用担当だったり直接の上司だった世代の責任も、考えなければなるまい。

どういいわけしようが、後続世代を育てる責任や、時代に合わせて社会を変えて行く責任を負っていたはずの先行世代が、その責任を放棄して失敗したことは、間違いないのだから。

…と言ったところで、また溜息が出てしまうのは、このブログの過去ログをご覧の方にはお分かりだろう。

また、あいつらかよ…。

そうなんです、団塊の世代よ反省しろ、って話にどうしてもなってしまうんです。

データがそれを示しているんだからしょうがない。

病気で外に出られないのは別にして、なにしろ職場の人間関係(第一位)と就職難(第三位)とがきっかけで、社会参加ができない人間がこれだけの人数になれば、個々のひきこもりを抱える家庭だけに問題とその解決を押し付けるのには、無理があり過ぎる。

でも団塊の世代に反省させるなんてことは、引きこもりの人に社会復帰をさせることよりも、はるかに難しいんだよな。


精神分析的に言えば、引きこもり、社会との関連を遮断するということは、消極的な自殺の代償行為とみなすことができる。

しかもこの調査で出て来たデータで見る限り、「引きこもり」の動機は、これも大きな社会問題である自殺の動機とも、過労死の理由とも、非常に似通っていることにも、気付くべきだ。

どうも自殺率の高さと同様に、「引きこもり」もまた、本人たちやその家族だけのせいにして他人事を決め込むわけにはいかない問題のようだ。

  藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010)

やはりこの社会全体が病んでいることを、我々はもっと本気で考えなければいけない。我々自身が病んでいるのだということも含めて。

「引きこもり」だから「弱い」、「親が甘やかす」だけで済むことではないし、「親が甘やかさなければいい」のなら、今度は本気で「自殺」という選択肢しか、当事者には残らなくなる(「親が甘やかす」と言っている人たちには、そこが分かってない。分かった上であえて言っているのならまだいいのだが)。

しかも引きこもっている本人達の側の問題にしても、バブル後のロストジェネレーション世代とは、子どもの頃にはいじめ自殺に不登校が社会問題になった世代である、そして社会に出てからの社会不適合。

同じある特定世代の子どもたち以降に集中しているのだとすると(内閣府の調査は15歳から39歳までなのでそれより上のことは分からないが、統計的に自殺がとくに多いことは分かっている)、その世代が子ども時代に敬虔した子育てや学校教育におけるとかの価値観にも、問題があった可能性を考察するのが、合理的な論証というものだ。

つまり、いじめ自殺に深刻な不登校、長じては引きこもり…世代論で言えば団塊ジュニア、ということでもある。

今度は団塊の子育ての失敗かよ…。


だが最も我々がまず深刻に考えなければいけないことは恐らく、「ひきこもり」が社会問題化してもう10数年、そろそろ20年になるのに、もう30年も日本の教育現場における最大の問題であり続けている「いじめ」同様、この社会がその問題に対してなにもしていないということだ。

今さら手遅れ、なのかも知れない。

たとえば「いじめ」については、今やその問題で加害者であり、あるいは被害者だった子が、それを解決されない問題として引きずったままに大人になって、親になって、その子が今では問題の渦中で加害者になり、あるいは被害者になっている。

日本社会は自分たちの問題を自分たちのこととして考え、解決する能力を失ってしまっている。機能しないことが分かってることですら、自分たちの価値観を問い直すのが怖いというただのそのことのためだけに、必死で保守するしかない社会。

  藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010)

いや問題を自分たちのものとして認識することが、そもそも出来ていない。

「すべてが人のせい」の前提では、現実に問題が表出している少数者の側の問題としてのみ考えるのが、いちばん安易だからだ。

「ひきこもり」であれば社会不適合なのは「ひきこもる」側の方だと思えば、多数派は楽になる。彼らの方からこそ今の社会を、自分の生存の場としては「不適合」だと実は認識しいるのだということは、絶対に考えようとしない。

それに気付いた瞬間に、多数派の側は自分たちの方にこそ問題があること、だから問題解決に努力する責任があることを認識しなければならなくなるからだろう。

新入社員が会社に来れなくなってしまうのは、新入社員の問題だとしておいた方が会社は楽だ。実は自分たちの組織が排他的で合理性に欠け、上司である自分たちが理不尽な理由で若い部下を怒ったり排除したりしてしまう傾向があるのかも知れないことだって、考えるべきかも知れないのに。

しかしそれは、絶対に出来ないのが今の日本社会の「大人たち」なのだ。

実はこれ、すでに心理構造として、完全に内向きの、自分たちの内輪しか見られず、その外の世界が認識できない、まさに「引きこもり」のそれなのである。

引きこもりどうしの強固なコミュニティが形成されているところに、その価値観を共有しない人間が自分の居場所を作り出すのは、なかなか難しい。

一皮むけば、マジョリティがマイノリティを排除することに懸命になって、社会の多様性をぶっ壊している構造なのかも知れない。

7/23/2010

本日の気分はこんな気分…


ミケランジェロ・アントニオーニ『砂丘』(1970) ラストシーン

いやホンネはこんな感じだったりして…


アントニオーニ『さすらいの二人』(1970) ラストシーン

…というわけで一日中、編集中。

7/22/2010

2010年7月22日

昭和45年7月23日が、自分の生年月日である。

今日が最後の一日となるわけだが、この39歳の一年間というのは、我ながら最悪の一年だった気がする。

10年前20年前には、40の一歩手前には(経済面のことは、わざわざ商業性を排除する映画作りをしてるんだから自業自得だが)もっと明るい将来を期待してた気がする。

先日、たまたま深大寺に行って気づいたのだが、昭和45年生まれは今年は前厄なのだそうだ。

別にそういうことを信じるつもりもないし、だいたい前厄に該当するのは数え年41歳つまり今年の正月以降のはずなのが、前厄に入る前から昨年11月には風邪をこじらして慢性の炎症が肺の隅に残ったままになっているし。

今年に入れば1月には足首を骨折の一歩手前。3月には帯状疱疹が、しかも連休中の発症だったせいで医者に行くのが手遅れの一歩寸前。その前には躁鬱病の症状は出るし、一昨日は手首に激痛が出て昨日医者に診てもらったら、打ち身の記憶などないのに手首の骨が一部欠けているようで、とたんに身体にガタが来ているのかも知れない。

いずれにしろ、もう若くはない、ということのようだ。

というより、この一年ちょっとは編集中の即興フィクション新作『ほんの少しだけでも愛を』に明け暮れたわけで、あまりに疲労が溜まって精神的な負担も大き過ぎ、ガタが来たということなんだろうか?

  藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010)

思い出すにちょうど一年ほど前に、「これはいつまで経っても完成なんかできないからやめよう」と考えていた。なぜその時に、とっとと諦めておかなかったのだろう? 

「内輪ばかり見てその上下関係にしか興味が持てないのなら、こういうことは無理だよ」と一年前に言っていた。

20人近いキャストでは監督が全員に完全な目配りはできない。こちらは休止期間には東京にいるので、監督ヌキでも友達、仲間としての意識を持ってもらわないと出来ないし、そういう人間関係になった方が、かえって映画もうまく行くはずだ。

だいたい、20人全員が主役になれるはずがない。だから大変な競争にもなるはずだし。

競争とは言っても、あくまで友愛と信頼に満ちたそれだ。即興の個々のシーンは、相手役との共同作業なしには成立しないのだから。

そうやっておもしろい役といいシーンを創り出せれば主役級になるし、つまらなければ脇役か、消えるしかない。

「こういうことは主体性がなければ、自分にやりたいことがなければ出来ないから、それが見つからないならいつでもやめていいよ。そうでなくても向き不向きはあるんだし」と最初から言い続けていたはずなのだが。

「関西圏には、アプリオリの上限関係がなくてはなにも始まらない文化が、あるのだろうか?」とすら思ったこともあった。いや大阪に限らず、日本全体にそういう横並び的な傾向はあるのだから、地域的特性とは言い切れない。

上位の権威者に好かれてるか嫌われてるか、お互いの間でどっちが上位かみたいなことにはやたら気を使うときに、発言はそうしたゲームのためのジェスチャーに過ぎず、言葉そのものの意味は、ほとんど認識されないのか?

いずれにせよそんな心理的な前提に囚われていては、平等ということ、その平等なスタートラインだからこそ個性の差、個人の能力差で勝負することを、理解するのは限りなく難しいことになるのだろう。

逆に言えば、個性や個人の能力では勝負したくない(負けたら自分のダメさが突きつけられるのが怖い?)から、そこに依存出来る上下関係が欲しいのだろうとも、言うこともできる。


そんな心理的な条件付けのもとでは、作っている映画という目標ではなく、内輪のヒエラルキー体制を維持継続し、その頂点に「監督」を想定してその上下関係のなかに自分を位置づけることに、最大のエネルギーを費やしてしまうことになる。

それは今の日本社会の現状の見事な縮図でもある。目的を見失い、目的のための手段に過ぎないはずのものが、自己目的化する。たとえば硬直した官僚機構の組織防衛などは、まさにその状態にある。

大阪が商業の町だというのは、現代では大嘘だし、日本人がエコノミック・アニマル」だったのも、もはやはるかに遠い過去のことなのだろう。

だいたい、20年前から経済成長はほとんど止まっているのだし。

経済性のリアリティの合理性にもほとんど関心が向かず、かといって信念やプライドがあるわけでもない。大事なのは一銭の得にも、人間的な成長にも無縁で、社会的にはほとんど意味を持たないような、内輪のあいだでの「見栄」だけ。

経営者のアイデンティティは経営能力やリーダーシップ、決断力ではない。ただ子分がいるかいないかだけ。だから親分の威光を発揮しながらも、「子分」を手離さないためには、結局は甘やかすしかない。

そんな大人が社会の主流を握っていれば、次を担う若者もまた内輪しか見えず、この世界が実は広くて多様で美しいことも、自分が本当は持っているであろう可能性も、見抜く力を育てられないようになる。

目を開かせ,解放の方向を指し示そうにも、認識する回路が、もはや最初からないのかも知れない。なにしろそういうロールモデルとしての大人がいないし、そういう見栄にばかりこだわる人の子分にならなければ生き延びられないのだから。

こういう60〜70年代的な発想がベースにある集団即興は、その日本の現代とは完全に矛盾する。

どれだけ自分の個性・持ち味を出せるかの競争こそが勝負なのに、ヒエラルキーの秩序が優先し、自分の意見すらなかなか出すのが遠慮されるのだから。

自分から先に行くことができないからなのか、お互いの足を引っ張ることにばかり興味が向くことになってしまう。

むしろ足をひっぱられないためには、先に行かないように注意しなければならない。

上下関係のなかの立ち位置に自分を当てはめようとしていれば、「なんだかんだ言っても同じ人間」としての関係は、なくなってしまうし、お互いのこともちゃんと見られなくなる。よく見て深く考える必要のないロール、“キャラ”が認識されれば済むのだし、それ以上は認識されないのだから。

これでは集団即興で芝居が成立し、ストーリーが発展するというのは、理屈からしてそもそもあり得ない。あるのはいつまで経っても発展も進歩もない「キャラ」の繰り返しだけ。


「もう少しねばってもいいんじゃないですか」「自分ももっと頑張るから映画を作ろうよ」と説得され、というか期待を抱いて続けるわけだが、そこから先が地獄になる。

そう言っている本人たちですら、もしかしたらいちばん重要なのは「続ける」という状態、つまりはその集団が保守されることに安心できるためだけのジェスチャーであって、言葉自体に意味を考えてはいけなかったのかも知れない。

「そんなに簡単に諦めるのもどうかと思いますよ」的なことを言って説得してくれたはずの人間も、「自分は他の連中と違ってちゃんと分かってるから」といわんばかりの顔をすることこそが、目的だったのかも。他のキャストが先に壁にぶち当たっているのを批判的に語っていたりしたのも上下関係、ヒエラルキー構造、つまり「自分の方が上」の状態を作るためのジェスチャーであって、言葉自体の意味は考えてはいけなかったのかも知れない。


まして「他人を批判するからには同じ過ちを自分がやってしまうわけにはいかない」という不文律なんて、想定して考えてはいけないのだろう。

だからなのか、自分が壁にぶつかったとたん、批判した相手以上にものの見事に、文字通り「切れて」しまう。

いわゆる「キレる若者」という意味ではない。精神の糸が文字通り、プッツリ切れて、いわばフリーズ状態になり、そして人間関係も文字通り「切って」しまうというような。

そうなると「やりたいこと」と言っていたのが口先だけだったと平然と暴露するかのように、「お手伝いしようと思ってたのだけど」「力になりたかったのに」と言う話になり、挙げ句に「誘導された」「言われた通りにやってたのに」という理屈になる。

自分の意思というものを、持つことがあらかじめ禁じられているような世界。


そうは言っても、一般論的な傾向がすべての人間に必ずあてはまるわけではないし、今年の5月までかかって、映画がそれなりの結論に到達できただけでも、この一年はそんなに「最低」ではなかったと、むしろものすごく幸運だったと、思うべきなのかもしれない。


後半から編集を始めて(というより、ラストになるものが撮れるまでは撮り続け、編集はまず終わりから始めるのが僕のやり方)、その後半部分はもう棒つなぎ的なものができているのだが、それだけ見れば確かに、これはいい映画になると思える。

問題は前半だ。

映画の前半なんだから人物を手際よく紹介して、ストーリーの流れに観客を招き入れなければいけないのが、思っていた以上にいいシーンがないし、うまくつながらない。

これが自分の4本目だか5本目の長編になるわけだから、さすがに自分の演出の手際、フレームのなかでどう人物の動きを振り付けし、という技術というか腕前は、より器用になっているのは自分でも分かる。

だがそれだけ「うまい」「器用」なぶん、自分の撮り方に、以前の作品にはあった乱暴で荒削りであるがゆえに「生き生きして見えるもの」が、なくなって来ているのも確かだ。無駄に端正過ぎるのだ。

平たく言えば「老けた」ということか?

しかも撮っている対象が、なにしろほとんどが「人物」でなく「キャラ」に過ぎず、人間としての自分探しよりもヒエラルキー組織のなかの快適な立場の確保に、オフスクリーンでもオンスクリーンでもキャストの動機が向かって行ってしまってる以上、ますますもってそこには「生き生きしたもの」は、なかなか写っていない。


いったいこの一年はなんだったんだろう? 編集が進行中のコンピューターのディスプレイを見ながら、どうしてもそう思ってしまう30代最後の一日なのだった。


そんな個人的な苦悶と並行して、一年前には、政権交代に向けた総選挙が秒読み段階だった。今ではまるで大昔のようにも、思えるのだが。

9月には、鳩山「友愛」政権、あるいは小沢一郎が「これは革命なんです」と言っていた新しい政治の流れが、始まったはずだった。

10月に『フェンス』を山形で上映したとき、舞台挨拶で撮影の大津幸四郎が、「この映画は新しく出来た鳩山政権にプレゼントしたい」と言った。

日米関係の見直し−−『フェンス』で映し出した安保条約体制の根源的な不条理が、いろいろな困難は予想していても、それでも変えよう,変えられる、変えなければ行けないという期待は、確かにあったはずだ。

いくらなんでも、5月になって鳩山が「やはり抑止力というものが」と言い出して、普天間問題は自民党案に限りなく近いものに収まるとは、まさか思っていなかったはずだ。

鳩山の辞任から菅直人への政権移行、そのあいだに岡田、前原、北澤などの閣僚たちの変遷で証明されたのは、与党がどの政党だろうが、官僚の作ったレールに乗らない限り、この国では政権を維持することなど出来ないということ。そして国民もたぶん、官僚の悪口で鬱憤を晴らすことには惹かれているとしても、本質的な改革や変化は、求めていないのではないか?

よく考えれば、もう20年くらいのあいだ、「改革」は日本の最大の政治的テーマとして掲げられ続けていたのだ。それが看板倒れでなく本気だったのなら、とっくに変わっているはずだ。


しかし国民が菅直人を「現実主義」と評価するのだとしたら、つまりは官僚が出してくるデータに示された「現実」しか、国民もまた認めようとはしていないのではないか?

政権交代がまだ「夢」であったときには、選挙で今までとは違った将来を、我々は期待することがまだ出来ていたのかも知れない。

だがこの一年で証明されたのは、そんな違った将来なんて、未知であるから怖いだけだということ。

実は、誰もそんな違った、自分たちが主役になる将来なんて、求めていなかったということではないか?

しょせんはエリートであるはずの官僚の言う通りにした方が、「国民の力」で政権交代するよりも、よほど安心できるのが我々日本人なのではないか?


これを書いていて気づくのは、今日のエントリーの前半の私的な映画作りの話と、後半の日本の総体の政治の話が、まったくパラレルであるということだ。

横並びの集団のなかのヒエラルキーに自分を位置づけることで、自分自身の意思でなにかをやることなんて考えないでいい状態、その逃げ道ばかりを探し続け、なんでも人のせいにしてしまうこと、責任は決してとらないことに、我々日本人は慣れきってしまっている。

これまでの人生で最悪かも知れない一年にも、そうした現代ニッポンの Status Quo が鮮明に見えて来たという意味だけは、見いだせるのかも知れない。

つまり、僕の映画作りのもっとも根源的な動機は、「日本人とは何者なのか?」という、まるごと日本で育ったわけではない人間ならではの疑問にあるのだと、自分では思っているのだが、その自覚が正しいのであれば、この最悪の一年は、「日本人」という民族の現状のある本質だけは、痛いほどよく分からせてくれるものではあった。

裏切られて幻滅したのだって、化けの皮が剥がれて現実が見えただけでも、良かったと思うことはできるのかな?

かなり難しいかな? やはり自分も、ただの弱い人間だからね。

どんなにやせ我慢しようが、精神的なダメージは大きいですよ。