『旅芸人の記録』1976年、監督・脚本テオ・アンゲロプロス |
ギリシャの財政と経済の今後を巡って世界が大揺れに揺れているかのような騒ぎになっている。あまり影響がないとされる日本の株価ですら、ギリシャ政府が円建て債権(いわゆるサムライ債)の利子は滞りなく支払っても下落し、ギリシャ国民がEUの提示する緊縮策を受け入れなかったことに日本でも(いや、後述するようにむしろ日本でこそ)非難が集中した。
現代の金融・証券マーケットというのは、どんな些細な動きでもそれによって変動がなければ儲からない投機筋が優遇されるシステムになっているから、なんにでも反応して株価が動いてしまうわけでもある。
いわば過剰反応であることを、そう世界経済の明日が危ないとか深刻に考えるまでもなさそうに思える。だいたい、人口たった1千500万、東京都により少し多い程度の小国で、主な産業は観光、農業、漁業だ。
しかし一方で、このギリシャを巡る事態の混乱には、この世界の将来の方向性にとって真剣に考えなければならない問題がいくつも含まれている。
現代のニュースの特性で、昨日起こったことすら新しいニュースでつい忘れがちになるが、ギリシャが急に危機になったわけではないことは、まず抑えておくべきだ。ギリシャの財政赤字の実態が表面化したのは確か5年だか6年前(と、こんな調子で記憶がうろ覚えになってしまうのが現代)だったと思うが、以来ずっと緊縮策が続いていることすら、部外者でしかない我々はついつい忘れがちだ。だが緊縮がもう5年も続いている大不況を思うだけでも、ギリシャの国民投票が緊縮策に「OXI ノー」となるのは、そう責められる話ではない。失業率が25%前後、若年失業率が49%超はEUに強要された緊縮財政の必然的な結果であり、ただ「もうウンザリだ」というだけでなく、このままギリシャの景気減退が続けば永久に負債の返済は不可能になるのではないか、とも誰だって思いつく。
我々日本人にとっては「借金は返さなければならない」が常識にみえ、ギリシャを寓話「蟻とキリギリス」に喩えて怠け者だとなじり「借りている方がなんと厚かましい」と思うのも健全な庶民感覚だと思いがちだが、この日本ですら過去には「徳政令」つまり借金棒引き命令が善政として行われた歴史だってある。
『20世紀の資本』が大ベストセラーになった気鋭の経済学者トマ・ピケティらがEU側の緊縮策強行を批判する公開書簡を出したように、経済学の視点からすれば「借りた金は我慢して返せ」は倫理的には正しくとも、現実的に正しいとは限らないのだ。
http://www.thenation.com/article/austerity-has-failed-an-open-letter-from-thomas-piketty-to-angela-merkel/
「借金はしないように」や「無駄遣いはやめましょう」、「倹約」は個人のモラルや人生訓、個々人の付き合いレベルの社会的な倫理としては正しいが、しかし経済政策としては可処分所得が満遍なくあらゆる階層で増えることこそが景気の維持と成長には有効なのだ。
極論すれば近代資本主義の成立以前の世界で、徳政令は庶民優遇の善政である以上に、即効性の高い景気浮揚にもなっていた。
資本主義の現代でも、実を言えばギリシャを「厚かましい」と言っている日本にしても、金融緩和つまり低金利政策は平たく言えば借金をし易くして利子の支払いを減らしている借り手優遇だし、インフレ・ターゲットとは、貨幣の価値を下げる借金の実質目減り策である。
それにこの危機の原因は、なにもギリシャの政治がばら撒き政治で国民が怠け者で、勤勉なドイツ人が不公平さにうんざりだしているとか、そう単純な問題でもない。
6月30日の欧州中央銀行への返済期限が過ぎ、全土で銀行が閉鎖されたのを受けて公共交通機関が原則無料、携帯電話も無料化されたと聞いて「非常識だ」と怒るコメンテーターがテレビに出ているが、ここで怒っているのが「識者」の立場なら、経済学の観点からみても、現実的にも、実のところよほど非常識でもある。
一日の引き出し限度が60ユーロと、使える現金が限られている時に、社会的混乱を避け少しでも経済活動への悪影響を減らそうと思うなら、チプラス政権のこの処置はむしろ賢明で合理的だ。考えても見て欲しい、手持ちの現金に余裕がなくなりそうだから節約してみんなが外出を控えてしまったり、時間がかかってもひたすら歩くようになってしまっては、効率が悪過ぎて経済活動はいっそう停滞する。
もちろん電車に乗るよりも時間に余裕をもって一駅歩く節約の精神は決して間違ってないし、健康にもいい。だがそれでも、物事には限度がある。
確かに、これまでのギリシャの政策はあまりに放漫ばら撒きに思えるかも知れないが、この危機を誘発した真の問題は、まずなによりも構造的なものだ。
ギリシャが実のところいわば発展途上国なのに、ドイツやフランスや北欧諸国のような最先端の先進国と同じ通貨ユーロを使いながら、財政は国ごとに別個独立という、ヨーロッパ共同体の構造そのものに矛盾があり、リーマンショックまでそれは隠蔽されていたが、そのリーマンショック以降は、もはやそれが可能な時代ではなくなってしまっているのだ。
ギリシャの財政収支それ自体が粉飾決算であったと分かったのは、リーマンショックを受けた翌年のことである。
リーマンショックの原因自体が、これは個人レベルで不良債権となる可能性が高い債権が金融商品化されていた、いわば粉飾決済の商業利用であったことと、ギリシャの財政がいわば借金を返すために借金を返す状態になって借金がねずみ講的に増えていたことは、ある意味で同様の現象とも言えるかも知れない。どちらも市場にマネーがあふれているあいだは回転し続けていて、そもそもの問題が発覚しなかった。
最初から実は早晩破綻するのは当たり前だったこの構造は、しかし一方ではドイツであるとか北欧諸国のような輸出型産業の先進国にとって一方的に有利にもなっていた。
変動通貨制の「信用」の機能と、通貨防衛政策のメカニズムについては、経済学の入門書でも読んだ方が筆者が書くよりもはるかに分かり易いはずなので、ここでは簡単にいかにこれがその実無茶な話なのか、実感し易い簡単な喩えを言っておく。
島根県が税収の不足を、中央政府からの地方交付金で補うのではなく、足りない分を日銀から借りなければならなくなったら、島根県の財政や公共サービスはどうなるか?
ギリシャの場合さらに大変なのは、日本なら国がやる行政サービスも全部その大きな産業基盤がなく税収不足の地方自治体がやる、となったら、県なら県の財政が破綻するのは当たり前だ。
日本でならば国税の納付額がいちばん大きいのは恐らく東京都だろうが、東京都民の利害を代表して都知事がいきなり島根県に「これまでの地方交付金を返還すべきだ、国民は平等なのだから」と言い出しているような話が、今のドイツとギリシャの関係でもある。
「ちょっと待て、ギリシャとドイツなら別の国ではないか?」と訝しがらないで欲しい。それ以上の格差がある先進国ドイツとギリシャのような実態は発展途上国が、同じユーロという通貨を使っているのだ。
その意味ではドイツとギリシャの関係は、「同じ国の先進地域と後進ないし衰退地域の関係」に等しい。ところが通貨は共通なので金融政策も同一にならざるを得ないのに、財政は国ごとに別建てになっていて、一体化されていない。
弱い側のギリシャには、自国の独自通貨の公定歩合を変えるなどの通貨防衛で自国経済の保護という手段が使えず、一方でそのギリシャのような国も含まれるが故にドイツの経済的実力からすれば遥かに価値が低いユーロが、ドイツの輸出産業にとっては有利になる。また同じ通貨である故にドイツの資本がギリシャに投資されるのも容易になり、そこで金を貸すことでドイツ等の製品がギリシャで買われ易く(単一通貨なので通貨の違う、たとえばアメリカや日本の製品よりも売り易い)、つまりドイツの銀行がギリシャ国債を買うことは、ドイツ産業のマーケットの拡充にもなって来た。
そのドイツの銀行にとってだって、そもそもユーロ体制が故の好景気で預金は増えても、好況の企業は資金を自力調達出来るので、貸し出し・投資先がない。ギリシャにお金を貸すことは、そのだぶついた預金のかっこうの受け皿にもなっていた。借金は、資本主義の世界では、利子が払われ続ける限りにおいては健全な資産として勘定される。
日本における島根県と東京都の格差のように、単一の国家の内部なら、国全体の均等な発展で社会の安定性と国力全体の底支えのために、地方への財政出動が行われるが、ユーロ圏は通貨と金融政策は共通なのに、財政は国ごとに別個になっている。財政出動の代わりにドイツを中心とした銀行の資金が貸し付け先を求めてギリシャ政府の供給され続けられた間は、借金が増えても利子さえ返済されていれば、銀行の経営は廻り続けて来た。
だがその際限なく膨らみ続ける雪だるま的な図式が成立しなくなったとたん、貸し手にとっては利子を生み続ける資産であり続けていたギリシャの借金は、不良債権となる。
いざそうなると、財政が別個であるために、今度はドイツ国民やフランス国民などにしてみれば自分達の税金を他国のギリシャの救済に使われるように見えるし、それは我慢ならないというのも一見自然な反応に思える、そのことがギリシャ危機に対して本来とられるべき方策が行えない事情を作り出している。
ドイツやフランスの政府だって実は緊縮策をこれ以上ギリシャにやらせることが決して現実的に有効な手段でない、むしろユーロ体制の存続にとって不必要な危機すら招きかねないことは分かっている。
だが国民の感情に分かり易く逆行する政策には踏み切れないのが、大衆民主主義の体制の弱みでもある。
ギリシャ国会議事堂 |
だからギリシャや、あるいはポルトガルのような「厄介もの」は排除したい、あるいは自らがEUから離脱したいという動きはイギリスでは既に起こっていることでもあり、それはそれらの国々の視点からすれば一見もっともらしく思える。
なにしろドイツ等の銀行からの潤沢な資金が供給され続けた(利子は返せたから借金がどんどん増えた)そのあいだ、ギリシャでは公務員が労働人口の1/4、つまり借りたお金はその給料となってギリシャ全土を言わば「食わせて」来てもいた。年金の平均額もかなり高く、これも国の借金で賄われていたことになる。
その一方で脱税が横行する社会であるのも有名で、実態経済の1/4から1/3が、徴税の対象にならない「闇経済」ではないかとも言われている。いくら根本にあるのはEUの構造的な問題だとはいえ、これはあんまりだと思うのも分からないではない、とそれだけ聞けば日本人は思ってしまうだろう。
どうもこういうブログ・エントリーを書いているとついつい「知らないのが問題だ、教えてやる」的な態度になってしまいがちなのはくれぐれも自制すべきであって、遠い西洋の、地中海の国の話だから知らないのは無理もない。しかしそれだけなら構わないとはいえ、知らないままに偏見で決めつけてしまう傾向がどんどん強まっているのは、現代日本社会の(とくに都市部の)明らかな問題に思える。
遠いギリシャのこと(あるいはアラブの春にせよ、イスラム国問題にせよ、イスラエル=パレスティナ紛争にせよ)で先進国目線の決め付けが多いどころか、日本国内の地域格差に関してでさえ、たとえば東京などの都市圏の日本人が十分に理解しているとは言い難く、その誤解と偏見故に補助金や地方交付税の問題は都市部の潜在的な不満の材料であり続けている。
高度成長期の後半に、日本では中央に遍在する経済産業の発展を少しでも万遍なく全土で享受出来るように、田中角栄が「日本列島改造論」をぶち上げて、公共事業による雇用で地方経済を支えて来た伝統が今でも様々な局面に残ってもいるし、そこへの不満がなにかある特定の地方で問題が起こるたびに噴出するのも、右派か左派かに限った話ではない。
福島第一原子力発電所の事故が起これば、地元は「原発マネーで汚染されている」という論が、放射能汚染への差別とともに、いわゆる「左側」から噴出した。はっきり言ってしまえば放射能に関する風評被害ですら、補助金つまり我々の税金で「潤って来た」原発地元への嫉妬心の暗喩的なカムフラージュとすら分析できる。
一方で、沖縄県が辺野古新基地の建設に明確に反対の意志を表明すると、今度は沖縄振興のための様々な補助金、交付金の類いがあたかも基地の存在を受け入れその被害を耐え忍ぶバーターであったと言わんばかりに、補助金返せ、沖縄は恩知らずだとの声が「右派」から噴出している。
このどちらでも、福島には原発が、沖縄県なら米軍基地があるから経済が成り立っているのだろうという思い上がった決め付けが前提になっているが、実際には福島県内で原発にある意味依存した経済構造があったのは浜通り・双葉郡限定で、確かに人口8万で東電の二つの原発と火力発電所ひとつ(広野火力発電所)の直接雇用が2万といえば、その経済は原発なしには成り立たなかったと言うことにはなるが、およそ福島県全体に敷衍できる話ではない。
沖縄の場合はさらに極端な誤解偏見であって、基地関連の雇用等の経済効果は今日ではせいぜい5%程度と計算されている。観光業の成長が著しく農業生産も伸びている同県では、基地はむしろ「邪魔」だから、地元の経済界など保守系こそが、反対派の翁長知事を強固に支持している現状がある。
だいたい翁長氏自身が、元は自民党沖縄県連の幹事長だ。今の沖縄の反基地闘争は、むしろ伝統的には保守派の流れの運動だし、辺野古新基地に反対する理由はただ「環境破壊」だけでなく、ここが返還されれば極めて有望な観光開発が期待されるからでもある。
ギリシャ問題についての比較なら、むしろ沖縄の方が島根県より適しているかも知れない。ギリシャも沖縄県も、主要産業は観光・農業・漁業で、ギリシャはヨーロッパ市民から見て、沖縄は日本本土の人間から見て、ともに憧れの南方の、リゾート地でもあるだけではなく、西欧にとってのギリシャも、日本本土にとっての琉球(沖縄)も外の世界との接点にあたる地政学上の要衝であり軍事的にも重要になる。沖縄なら日本にとって東シナ海、台湾や中国本土、さらに南シナ海に通じる交易路に位置し、ギリシャは西欧から見ればトルコなど中近東にも、ボスポラス海峡を通じて黒海、ロシアへと繋がっている。
ギリシャが西欧から見ればヨーロッパ文明の源流であるという歴史的な意味だけでなく、この地政学的な位置づけが、実のところギリシャの政治がなぜこうなってしまったのかの原因にあるのだが、日本のメディアに出て来る「識者」は、たとえば元駐ギリシャ大使でも、近代以前にオスマン・トルコ帝国に属していたことをなぜか「植民地」と誤った認識で語る割には、近代ギリシャの独立後のことはなぜか口をつぐんでいる。
だが現代ギリシャ人の国民性というか自国の政治との関わりや政治体制には、トルコ時代よりもその後の歴史の方が遥かに深刻な傷痕を残していることを理解しない限り、国民投票でギリシャがEU諸国に「OXI ノー」を突きつけた理由も、なかなか理解できない気がする。
端的に言ってしまえば、現代のギリシャ政治もギリシャ人の国民性も、1974年まではそうとうに激しい軍政だったこと、その軍事独裁政権がアメリカとNATOの支援で成り立っていたこと抜きには語れないし、第二次大戦中にはナチス・ドイツに占領されたこと、その占領から「解放」したはずのイギリスがちっとも「解放軍」などではなく脅迫と弾圧を繰り返して名ばかりの自由選挙を強要し、王制派と共和派の激しい内戦でギリシャ全土が引き裂かれたこともまた、忘れてはならない。
1975年にカンヌ国際映画祭を席巻したギリシャ映画『旅芸人の記録』は、この軍政の終焉直後に作られ、直接的には1939年から1952年、第二次大戦、ナチス占領、共和派の弾圧と軍政の成立までを描きつつ、ギリシャの古代史と地中海と太陽にのみ憧れて来た外部の人間の知らない歴史の継続的トラウマを凝縮した作品だ。ある意味、外国人にとって現代ギリシャを理解するのにもっとも手っ取り早いのは、このテオ・アンゲロプロス監督作品を見ることかも知れない。
『旅芸人の記録』予告編
撮影のヨルゴス・アルヴァニティスと録音のタナシス・アルヴァニティスの兄弟の父はドイツ占領下では対独レジスタンスで戦い、戦後は解放者ではなくすぐに弾圧者になった英国軍に抵抗するパルチザンとなり、留守宅の母が身代わりで逮捕されたという、そうした体験はこの一見様式性と神話性を極めたようにも見える作品に、生々しく反映されている。
軍政が終わったからこそこのような映画も作れたとはいえ、民主化でギリシャが本当に変わったわけではない。
軍政の下に出来上がった行政機構も、コネ社会も、闇経済もそのまま温存され、根本から国を民主的に改革しようとする左派に政権が決して渡らないように、圧制転じて今度はバラまきの懐柔政策を資金的に支えたのもまた、西欧と米国からの貸し付けだった。
先進諸国の連合体であるEUのなかでギリシャは単に発展途上国なのではない。その政治的な実態は半ば植民地であり続けて来たし、西欧先進国がそれを望んでも来た。
言い換えればチブラス政権以前のギリシャ政府は大なり小なり国民よりも実のところ西欧先進諸国、今のEUの主導的国家や、アメリカの側を実は向いた政権であり続けたのだし、しかもギリシャの最大の(外貨獲得につながる)産業が観光である以上、その西欧先進諸国やアメリカからやって来た観光客が大きな顔をして来た社会にもなってしまう。
しかもこうした社会の矛盾や『旅芸人の記録』に描かれたような暴虐な内政の問題は、観光イメージにはマイナスなので隠蔽されても来た。
ギリシャ人にとって、オスマン・トルコ帝国治世も決して楽ではなかったが、西欧先進国のやったことも負けず劣らずに酷かった。近代的な産業基盤を持たず、またそれを育成するチャンスもなかったギリシャは、その西欧や米国に翻弄され、半ば植民地とも言える実質は発展途上国の状態に、一応は民主政が回復した後も置かれ続けて来た。膨れ上がった負債はその西欧の都合の必然的な結果でもある。
ギリシャの年金制度がかなり高額であることにも批判が集まっているが、これだってどういう世代の人たちが受給しているのか、その人たちが生きて来た歴史を考えれば、それくらい当然じゃないかとすら思える。
イギリスが起こした内戦と弾圧、アメリカが支援した軍政、その苦難に人生を翻弄されて来た世代の老後くらい、少しは平和で安心できるものにしたってバチは当るまい。
なぜ米国や西欧、NATO諸国がここまでギリシャを実のところないがしろにしながら、自分達の支配権・覇権の下に置き続けようとして来たのかと言えば、冷戦の終結まではギリシャの「共産化」を恐れたからであり、冷戦の終結後は自分たちのマーケットとして確保し続ける同時に、中近東・イスラム圏に対抗するヨーロッパ側の最前線としてギリシャを自分達の側につなぎ止める必要を感じていたからだ。
だからこそ民主化後も、政治理念や社会的な目標よりもバラ撒きや公務員としての雇用の目先の金で民心を掌握するような腐敗した政府や、コネの恩恵に預かる富裕層とそうではない庶民の極度な格差がある不公平な社会を、ヨーロッパとアメリカこそが望み、温存して来たのでもある。
まただからこそ、ギリシャ人は政府を根本的には信用していないし、それが近代以降政府や権威・権力に極端に従順で所属意識の強い日本人には、えらく身勝手で奔放で公共への奉仕の精神が欠けているようにも見える。なぜギリシャ国民がEUの強制する緊縮策に「OXI ノー」を突きつけたのか、日本のメディアで語られる「理由」や「分析」はあまりに西欧寄りだし、西欧の都合もまた今のギリシャの危機の温床となったことを一生懸命無視しているようにすら見える。
言い換えれば「ギリシャ人の視点からはどう見えるか」の思考が欠如しているのだが、これは日本の例のアナロジーに話を戻せば、東京中心のメディアは原発事故以降の福島から見て現状はどう見えるのか、沖縄の視点からは辺野古新基地の強行がどう見えるのかも、あまりに無視しがちなことにも通じる。
一見同じ現状でも視点を変えれば別のものに見える、歴史に至っては視点を変えるだけで見えなかったものが浮かび上がって「同じ歴史」とすら言えなくなることでいえば、唐突に話を変えているようで申し訳ないが、ローマ帝国の滅亡はいつかと問われれば、我々日本人は476年のローマ陥落だと無邪気に思い込んでいる。
だがギリシャから見れば、これはまったく違う。
ローマ帝国の歴史という視点で考えるだけでも、476年のローマ陥落はおよそローマ帝国が滅亡したと言える事件ではない。
ローマ帝国が滅亡したのは1453年のコンスタンチノープル陥落だ。今の我々はアテネがギリシャ人の首都だと無邪気に思い込んでいるが、歴史的に言えばコンスタンチノープル、今のトルコのイスタンブールこそが、ギリシャ文明の歴史的な首都なのだ。
東ローマ帝国の建立した聖ソフィア大聖堂(イスタンブール) オスマン・トルコ時代にモスクに改修され、現在は博物館 |
この帝国の言葉はローマ人の言葉であるラテン語は一部の人間しか使わない公式言語に過ぎず、帝国全土に共通して使われていたのもギリシャ語だった。
この帝国の繁栄の中心自体が東地中海、例えば今ではトルコになっているアナトリアからシリア辺りまでで、今の西欧先進国はむしろ辺境でしかなかった。
ローマを継承したのがゲルマン人王朝で、フランク王国がフランスになり、神聖ローマ帝国がドイツへ、という西欧の歴史観はギリシャには当てはまらないだけでなく、ローマ帝国の歴史的な実態を正確に反映したものでもない(現代の価値観に偏った視点で過去の歴史を軽卒に判断すべきではない)。ゲルマン人王朝下にヨーロッパがいわゆる暗黒の中世であった時代に遥かに文化文明が発達していたのが東ローマ帝国で、ローマが継承したギリシャ文明の科学や哲学はむしろギリシャ人を通じてイスラム圏にこそ受け継がれた。
その意味では、西欧から見ればトルコ人に東ローマ帝国が滅ぼされたように見えることを、東ローマ帝国を継承したのがオスマン・トルコ帝国だったと見ることすら可能だ。
無論、実際にはトルコ人のイスラム教王朝であったオスマン帝国の下で正教徒のギリシャ人は抑圧される少数民族であった以上、オスマン・トルコが東ローマ帝国の継承者だとみなす歴史観もまた極論すぎて、およそ実際にギリシャ人に支持されるものではないだろうが、しかし西欧中心の歴史観からのみ、このEU内の対立の危機を見る偏向からいったん自由になる頭の体操としては、有効に思える。
つまりローマ帝国とは地中海帝国であって西欧の源流としてのみ見るのは間違っていて、その中心は東地中海だったことを思い起こせば、西欧やアメリカがギリシャを自分達の文明圏につなぎとめようとし、戦後は「共産化」を恐れるあまりギリシャを実質の半植民地扱いして来た近現代から解放され、異なった視点からこの危機を逆に新たなチャンスと見ることだって出来る、ということだ。
再び沖縄というアナロジーを持ち出せば、沖縄の観光産業の主な顧客が本土の日本人であった20世紀の後半とは、今の沖縄は明らかに別の様相を呈していることにも通じる。
今や沖縄はアジア全体を商売相手にできる観光地であり、たとえば中国からの観光客も増えて来ている。
観光業の発展で「ライバルはハワイ」とも言っているという沖縄の、独立論は極論にしても、かつて東アジア、東南アジア貿易で栄えた琉球王国のアイデンティティを取り戻すことこそが、むしろ沖縄の未来につながる。翁長知事などはそのことにかなり意識的な発言も繰り返している。
ギリシャは西洋文明にとって自分達の源流であり、ながらくその観光産業の主な顧客層は西欧でありアメリカだった。
だが今やそのギリシャにも中国人観光客が押し寄せ、リゾート地を中心に中国富裕層による不動産の購入熱も始っているという。ギリシャが経済を建て直して負債をある程度は返済できるようになるためにも中国人なら中国人という新たな観光の顧客層も重要になるし、現状のデフォルト危機を抜け出すためには、中国マネーもまた有効だ。チプラス政権が既にその動きを始めていることを、日本のメディアは中国の世界制覇の野望であるかのように報じているが、ヨーロッパだけの経済力・資金力だけではこの危機が回避できるわけでもない。
いずれにせよ、現代の世界はもはやアメリカや西欧が覇権の中心であり続けられる時代にはない。ギリシャもまた、西欧文明圏の東の辺境という位置付けにあり続ける必然もない。覇権の中心が今後は中国に移るわけでもないし、中華人民共和国政府だってそんな大それて負担ばかりが大きい野心など持っているわけでもない。世界は多極化に向かい、複数の中心を持ったバランス関係にこそ、世界の秩序の維持と繁栄の未来がある。その未来像はまだおぼろげにしか見えていないが、現代の世界がその転換期にあることは間違いない。
今日本人として不安なのは、その世界の転換期に今の日本の政治やメディアの報道、つまりは私たち日本人の世界観が、完全に乗り遅れているのではないのか、ということだ。
例えば集団的自衛権の議論などはその時代錯誤の典型だろう。違憲であることが問題なのは言うまでもないが、日本の今後の安全の確保を考えるなら、議論すべきは日米同盟を前提にした集団的自衛権ではなく、集団安全保障への参加の充実だ。このまったく異なった議論が混同されていること自体、安倍政権の日本における議論があまりに稚拙であることもまた、言うまでもない。
国民投票の結果はEUの緊縮策に「OXI ノー」だったにも関わらず、チプラス政権がEUに自ら提案した改革案に、世界のメディアは驚いている。中身が実際には、EUの提示した条件とほとんど変わらないのだ。
ならばなぜギリシャ国民は「OXI ノー」を選択したのか?
この改革案はチプラス首相への反発を呼び、政権基盤を揺るがすのではないか?
そんな疑心暗鬼も飛び交っているが、恐らくそうはならないだろうし、彼らは結局、今回の危機の本質も分かっておらず、その解決の方向性も見えていないのだろう。
同じ内容でも、これまで半植民地扱いだったギリシャに掌を返したように宗主国ヅラを曝け出した西欧諸国が押し付けるのと、ギリシャ国民が支持する政権が自ら提示するのでは、まったく意味が違う。同じ結果なら国民投票は無駄な儀式だったのではないか、と思う人もいるだろうが、それも違う。これはギリシャ人達が今新たに、ギリシャ人としての自分達のアイデンティティを掴み直す第一歩として、必要な儀式だったのだ。
覇権主義や植民地主義、差別思想の優越感から切り離された、健全なアイデンティティ意識を取り戻す、世界との積極的な関わりのなかに自国の存在価値を意識する新たなナショナリズムもまた、必然的な相対化と多極化の進む世界のなかでは必要なものなのだ。
先進諸国民が過去の栄光に引きこもって優越感を担保する排外主義的なナショナリズムにしがみつく傾向が強まっている現代に、ギリシャ人たちは今、その新たなアイデンティティ意識の更新の試みの、まっただ中にいるのかも知れない。