最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

7/24/2017

あまりに気の毒な印象操作、レッテル貼りで「岩盤規制」の巨悪な「抵抗勢力」にされてしまった獣医師会



日本全国で獣医師はだいたい3万人だそうだ。

そんな人数が全国に散らばっているのでは組織票としてたかが知れているし、人間相手の医師のような社会的ステータスや幅広い業界(たとえば製薬業界)への影響力があるとも言い難い獣医師業界が、政権が全力をあげて戦わなければならない「抵抗勢力」、総理自身が「ドリルの刃」になって打破しなければならないほど強固な「岩盤」の「既得権益」であるらしい。

国会の予算委員会閉会中審査に登場した和泉総理大臣補佐官に至っては、「獣医学部の新設は『岩盤規制』の象徴」とまで言い放った。

7月24日衆院予算委員会詳報はこちら

日本経済の足を引っ張り成長を阻害して来たのが、文科省が獣医学部の新設を52年間認めて来なかったことだったとは、国民にはまったく知らされていなかった。獣医師会はとんでもない既得権益の巨悪で、政治献金で政治を思いのままに操っているらしい。

産經新聞によれば石破前地方創生大臣も100万円の献金に毒され、獣医学部新設に関する4条件も獣医師会の「工作」に従って、新設を不可能にするために作った「岩盤規制」「既得権益」側の陰謀であるらしい。

100万円の献金ねえ…加計学園の方では二年に渡って200万のヤミ献金を下村文科大臣(当時)に行っていた。 
で、下村氏は一応“合法的“に隠蔽していたわけだが。

獣医師会は確かに、加計学園の獣医学部新設を強行しようとする安倍政権と内閣府に、学部新設自体に反対という立場だった。

だからといってその反対の理由も聞かずに「抵抗勢力」とレッテル貼り、そもそも農水省の管轄である獣医師は文科省とさして関係が深いわけでもないのに文科省と結託した「既得権益」があるかのような印象操作は、ずいぶん滑稽な話に思える。

なんでも新たな獣医師が増えると競争が激しくなり、今いる獣医師の立場が脅かされるんだか収入が減るんだか、ということが「既得権益」らしい。山本幸三・地方創生大臣に至っては、獣医師を増やして犬猫病院の価格破壊が起こることが国民の利益なので国家戦略なのだと言い張っている。

いや獣医学部を新設する理由は家畜医が不足気味で公務員獣医師のなり手が見つかりにくく、家畜伝染病のパンデミックや、それが人間に感染するかも知れない危険(人獣共通感染症)への対応が心もとないことが主たる理由ではなかったのか?


理由はコロコロ変わるのに「獣医学部を増やす」というのだけは変わらないというのは、政策としてどうにも奇妙に思えるというか、「獣医学部新設」が自己目的化しているようにしか見えない。

もっとも安倍自民党の場合、いわゆる「テロ等準備罪」もテロ防止が目的だと言ってみたり、今度はテロは対象としていないはずの国債組織犯罪防止条約締結のためだと言ってみたり、政策の理由がコロコロ変わるのはそう珍しいわけでもない。
悲願の「改憲」に至っては野党時代に自民党が憲法草案を作っていたはずだがそれもなおざりに、「改憲」ありきでどの条文をどう変えるのかはその後で決まるので第二次安倍政権発足以来、変えたい条文は緊急事態条項だったり改正要件の低減だったり、果ては教育無償化まで飛び出し、コロコロ変わり続けてきた。 
やっと出て来た論理破綻した自分の改憲案について首相は野党に向かって反対ならば代案を出せ、代わりにどの条文をどう変えるのかを言え、と言い張っている。 
だが憲法なんてものは普通なら、個別の条文で現実に合わなくなったり時代錯誤になった部分があって始めて改正するものだ。 
「世界中で憲法を改正していないのは日本だけ」と安倍首相がいかに息巻こうが、ドイツ基本法の改正なども(そもそも日本国憲法と異なり内容が細かく具体的なので)そうした大枠は不変不動の枠内での微調整に過ぎない。 
自民党改憲案のような「改憲」なら基本理念からして別物の新しい憲法で「改正」とは言わないし、ならば政体自体を変える無血クーデタか無血革命の意味になる。日本国憲法を「戦後レジューム(ママ)」として怨嗟する自分に正直に「現憲法を放棄して新たな憲法を制定したい」と言うべきなのだが、国民を欺くだけでなく自己欺瞞に熱中して収拾がつかなくなるのも、「改憲」から「獣医学部新設」に至るまで、安倍政権の毎度のパターンではある。


「腹心の友」の加計学園の獣医学部新設について、国会閉会中審査で自民党は、今度は私大の獣医学部を中心に定員オーバーの状態が恒常化していることをあげて、獣医学部全体の入試倍率も高いのだから、「やる気」がある学生のために増やすべきだとも言い出し始めた。

どうも「やる気」がキーワードらしい。

安倍首相本人も先の国会閉会直後の講演で「二校でも三校でもやる気があるところにチャンスを」と言っていた。

もちろん大学教育の実際を考えれば、この「やる気」論のセンチメンタリズムはただのナンセンスだとすぐ気付かねばおかしい。

だいたい大学には、なんのために入学試験があるのか?

「やる気」だけでは獣医学教育にはついていけず、獣医師になれるだけの知識能力にも到達はできないだろう。高校までの学力のしっかりした基礎は必要だし、向き不向きはやはり厳然としてある。

だから入学試験で、学力が足りない者は排除されるのだ。

私大獣医学部の水増し定員とは、本来なら学力が足りず入れなかったはずの学生が2割前後各学校に入り込んでいることでしかない。

そんなことは本来、大学側も避けたいところなのだが、獣医教育はカネがかかる。授業料も高い(私立ならだいたい6年で1000万〜1500万)が、それでも定員どうりなら経営は苦しい。経済的に獣医学部を成り立たせるには、2割なら2割の水増しぶんの授業料を確保して倒産を避ける苦肉の策だ。

7月10日の一回目の閉会中審査(内閣委員会・文科委員会合同)の参院の方では、青山繁晴がこうした水増し定員の現実を無視した暴論で前川喜平前文科次官に詰め寄って新学部設立を正当化しようとしたが、これはあまりに卑怯なエセ議論と言わねばなるまい。前川氏はこうした現状は実は知っていても、そうした苦しい立場の私大・学校法人をいきなり責めるわけには行かなかっただろう。

それにしても、このどこに「既得権益」があるのだろう?

新学部を設立したらそうした水増し定員ぶんの学生が加計学園の今治市の獣医学部に行き、既存の私大獣医学部の収入が減るとでも言うのだろうか?だが7月24日の衆院閉会中審査で最初に質問に立ち、水増し定員についての似非議論を繰り返した自民党の小野寺元防衛大臣は、一方で全国の獣医学部全体の倍率は7〜8倍だとも言っていた。ならば定員を水増しできるだけの志望者は相変わらず確保できることになる。

既に前回に前川氏は青山繁晴の質問に応えて、水増し定員の解決ならば既存の獣医学部の定員拡大で対応した方が合理的だと述べている。つまりいわゆる石破4条件の第3にある「既存の獣医学部では対応できない」という要件は満たさないので、新学部設立の正当性はない。

それに加計学園の獣医学部についていえば、地理的な条件だけを考えても、四国の学生だってわざわざ今治市の学校を好き好んで目指すとも思えない。

今治市の二つある農協を調べても畜産は主要産品に入っておらず、つまり同市に家畜医を志望する学生がそんなにいるとは考えにくし、四国内どころか同じ愛媛県内でも畜産が盛んな地域は通学圏ではない。つまり、どうせ下宿になるならば今治市よりは、とりあえず手近なところなら大阪市で、大阪府立大を目指すのが自然だし、優秀な学生ならむろん東大や北大などを目指すだろう。

こんな現状のなかでの、1学年160人規模の獣医学部新設は、ぶっちゃけこれまでなら学力が足りず入れなかった、こう言っては悪いが落ちこぼれが全国の獣医学部で勉強ができるように…なるわけですらない。単に授業について行けない学生がどうしたことか獣医学部に入り、それが全国の私大に分散し教育水準を押し下げるか、現状もっともありそうなのは、加計学園が今治市に作る新学部にそれが集中することだ。


自民党は7月10日の内閣・文科両委員会合同審査でも、24日の予算委員会でも、愛媛県側でこの獣医学部構想に加わって来た加戸前知事を引っ張り出し、加戸氏は四国に獣医学部がなく、鳥インフルエンザや口蹄疫、狂牛病(BSE)の流行とそれが人間に感染すること(人獣共通感染症)が不安なので、国際水準の獣医学部の開設を10年前から熱望して来たという「純粋な気持ち」を訴えた。

アメリカやイギリスの例を持ち出した、いささか時代錯誤に日本人の英米コンプレックスに訴える加戸氏の感傷論はしかし、はっきり言って虚偽答弁だ。

まず文科省が公表し存在を確認している平成28年10月21日付けのメモによれば、萩生田官房副長官と文科省の常磐専門教育局長が

「愛媛県は、ハイレベルな獣医師を養成されてもうれしくない、既存の獣医師も育成してほしい、と言っている」 
「『ハイレベルな教授陣』とはどういう人がいるのか、普通の獣医師しか育成できませんでした、となると問題。特区でやるべきと納得されるような光るものでないと。できなかったではすまない」

と話し合っている。つまり加戸氏と今治市、加計学園のあいだでは鳥インフルエンザ対策だの人獣共通感染症だのを前提とした「国際水準の」獣医学部なんて想定していなかったわけだし、アメリカやイギリス並みの最先端どころか、国際基準に満たない学部を作ろうとしているのはあまりにデタラメだと、他ならぬ同じ加計学園経営の千葉科学大学の客員教授からまで批判が出ているほどであり、また実際に「ハイレベル」がなにを意味するのかも加計学園も今治市も愛媛県もよく分かっていいなかったのだ。

さらに7月24日の審議で松野文科相が存在を遅ればせながら確認した文科省の内部文書では、文科省の担当部局が加計学園に向けて事細かに少しでも申請段階で話が通るようにできるような対策を、手取り足取り指導している。

「あまり背伸びはしないように」とまで注意しているのだからほとんど笑い話のレベルだが、要するに加戸氏と今治市長と加計学園(と安倍晋三)が作ろうとしている獣医学部は、安倍政権自身が閣議決定している石破4条件の「新たな需要」などまったく満たしていない低レベルの、普通の獣医学部にしても出来が悪い方でしかないし、また加戸氏と今治市長と加計学園にはその程度のお粗末な計画しか準備できなかったのが実態なのだ。

7月10日の審議では、青山繁晴議員はこの獣医学部新設があたかも日本の安全保障上の重大問題であるかのように、鳥インフルエンザやBSEの危険性をさんざん煽って主張しているが、これもまったくのナンセンスだ。そんなに家畜感染症の危機が日本を脅かしているのなら、それこそ加計学園の新学部になぞ任せられることではない。東大農学部獣医学部や北海道大学、私大なら北里大のように、人間向けの医学や生物学の最先端研究の知見を活かせるような連携が可能で、学生も教員・研究者もトップクラスの大学を選ぶのが自然だ。

加戸氏がどうしても愛媛県でと熱望するのなら、あるいは山本幸三大臣が獣医師会を訪れ説明したような「四国での水際対策が欠けているので」という理由なら、まず第一候補は国立愛媛大学だろう。ここなら医学部も農学部も理学部もある。もっとも、現代のウィルス性感染症対策なら地方に「水際対策」を云々する事自体がナンセンスで、ウィルスのDNA情報などは中央に集約されて解析されなければ意味がない。

青山繁晴氏がいかに半可通のにわか知識で語っているのかがわかる、あまりに皮肉な、そして自民党の現状の主張とはアベコベの現実がある。他ならぬ獣医師会が、なぜ獣医学部の新設に反対したのか、その真の理由だ。

いや獣医師会が「新設に反対」というのは正確ではない。獣医師会が求めて来たのは、私大を中心に獣医学部を減らすことなのだ。

いやまったく、どこに「既得権益」の死守があるんだか…

これから減らして欲しい、と望んで来たのに「増やす」とか言われては、獣医師会が態度を硬化させるのは当然だ。それも減らす、というか獣医学部の「集約化」を獣医師会が求めて来たのは、水増し定員などが横行している私大の獣医学部では教育水準が維持できないこと、なのに最先端の(医学などとも連携した)獣医学教育が国際的なニーズになっているからだ。

日本には現在、獣医学部で教鞭を取れるレベルの研究者は760人くらいしかいないのだそうだ。

それこそ青山繁晴が言うように、家畜伝染病パンデミックや人獣共通感染症への対応が「安全保障」にも関わる問題(ちなみに人獣共通感染症のパンデミックは確かに北朝鮮云々よりも切実な安全保障問題とは言える)だというのなら、とくに優れた研究者や優秀な学生を集約化して(つまり質の低い獣医学部はこの際廃止して)国際水準の最先端の獣医学の研究教育を目指すことは必要なはずであり、つまり獣医師会の主張こそが正しい。

しかし弱小な業界団体でしかない獣医師会では、いかに政治連盟を作って麻生副総理にその名誉職的な会長になってもらい、なけなしの政治献金で与党内に発言力を確保しようと頑張ろうが(ちなみに同政治連盟の委員長である北村氏が元自民党の衆院議員であることからも分かるように、獣医師会は自民党の支持団体だ)、まったくその意見が政策に反映されることもなかったのが、実態なのだ。

 北村直人元衆院議員(獣医師会政治連盟)インタビュー

それにしても安倍政権というのはつくづく、なにかと言えば「敵」を作る印象操作アピールが好きな政権だ。

いやこの手の「劇場型」手法自体は小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」以来日本の政治風景の定番だし、最近では小池百合子東京都知事の「敵」演出の巧みさも話題だ。2009年の民主党政権交替も、官僚支配の刷新と対米従属の打破で期待を集めた結果だったし、歴史を遡ればたいがいの政治変動はこうした演出で力を得て来た。

ただし安倍首相の場合は、この手口が好きな割には(しかも小泉純一郎の官房副長官、官房長官を務めて多くを学んだはずが)、どうにも実際にはあまりにパッとしない。「こんな人達に負けるわけにはいかない」と絶叫してしまうほど、説得力もリアリティも感じさせないのが安倍流だ。

第二次政権で最初は「戦後レジューム(ママ)の打破」を掲げていたが、その「戦後レジューム」ではなく「レジーム Regime」が何のことなのかはどうにもピンと来なかった。結局、よく聞いているとどうも「日本国憲法」がそのレジーム(支配体制)であったらしいが、憲法はただの法であって疑似人格的なファンタジーでも設定しない限り「支配体制」とはとても思えないし、戦後日本のレジームなら、霞ヶ関官僚機構であり自民党がそれに当たるはずだ。

第一次政権で総理就任に至った異例の出世(その時点で安倍氏にはほとんど閣僚経験もなかった)も、北朝鮮による拉致問題で実際にはなにもやっていない安倍氏を英雄扱いしたマスコミに支えられた結果だったし、今の政権獲得に至った2012年総選挙も、野田民主党政権に対するマスコミのネガキャンの恩恵を受けた結果だし、政権に返り咲いたあとでもずいぶん報道に配慮されて失敗を隠してもらって高支持率を得て来た。

なのに、安倍政権とその周囲・支持層はマスコミが「反安倍」で安倍氏の政治を妨害しているのだと信じて疑っていないように見えるのも滑稽なら、人口比率でたった0.5%、それも本名を隠して通名で生活しなければならない人が今でも多い、弱小マイノリティでしかない在日コリアンがそうしたマスコミを支配しているのだと思い込めるのも珍妙だ。

折しも、安倍首相を熱烈に支持する層といえば、相模原市で障がい者施設が襲撃されたテロ事件(報道ではそうは言わないが、これが過激な政治的動機のテロでないのならいったいなにがテロになるのか?)からまもなく一周忌になる。この犯人の植松聖も安倍首相に共鳴していて、犯行前には大島衆院議長を通して安倍氏に自分の犯行計画を伝え賛同と支援を求める手紙まで書いていた。

以下、この事件を分析した拙文の一部を引用して、本エントリーの結論に替えようと思う。

父権制的な価値観を体現する、家父長的な意識の延長としての国家や社会的な権威権力のあり方自体は、現代の日本では欧米諸国等に較べて明らかに強力な支配原理として厳然として維持されているにも関わらず、家庭内では父親は「大人=権威」として振る舞うことがなくなった(理由はどうであれ、植松聖の両親は家を出てしまっている)。 
社会全体では、権力行使の主体であるはずの「安倍晋三様」が、あろうことか重度障害者であるとか在日コリアン、旧被差別部落出身者、性的マイノリティ、あるいは女性といった、現実の日本社会の構造のなかでは相変わらず社会的弱者の立場に置かれ、不当な差別に苦しみ続けている人々や、あるいは戦後70年間まともに尊重されたことがなく常になし崩し的に運用されて来た日本国憲法や、成熟した高度資本主義国家である日本に較べればまだまだ発展途上で日本に憧れてすらいる中国や韓国といった周辺諸国に脅かされる “弱い父” “自由を奪われた脆弱な父権” だと、植松聖であるとか自民党ネットサポーターズクラブの会員たちに思われ、だからこそ支持されている。 
彼らはその “弱い父” の「安倍晋三様」のため、“自由を奪われた父権” ができないことを彼らの代わりになったつもりで、植松聖なら大量殺人という直接の暴力を行使し、自民党ネットサポーターズクラブであればネット上ヴァーチャル空間での言葉の暴力と徒党のいじめで在日コリアンや障害者などなどをつるし上げることで、社会権威を覆す「革命」をやっているつもりになって、自己正当化できてしまえるのだ。

全文はこちら 

7/17/2017

「テロ等」と言いつつテロ防止にはまるで役に立たない「共謀罪」は、なんのために強行採決されたのか?



まず先の国会の初期の議論なので忘れている人も多いかもしれないが、テロ防止ならすでに「予備罪」で、テロ計画を事前に察知して計画段階で摘発・処罰する法整備は既にあったことを確認しておく。

政府と金田法務大臣が当初挙げたテロ事件のシミュレーション(地下鉄サリン事件や9.11テロに酷似)を事前に摘発するには現行の予備罪や銃刀法、爆発物の取り締まりで十分だし、逆に「テロ等準備罪」は使えないケースもあることが、民進党の指摘で明らかになっていた。

さてその政府の主張した通称「テロ等準備罪」、改正組織犯罪処罰法がこの7月11日をもって施行され、さっそく外務省は国連薬物犯罪事務所に対して国際組織犯罪防止条約の締結手続きを終えた


国連薬物犯罪事務所(UNDOC)が同条約を所管する事務方なのだから当然の、形式的な「歓迎」コミュニケを出したことを持って、安倍政権は「国連が『テロ等準備罪』を認めてくれた」的な虚偽プロパガンダに徹したいようだが、あくまで条約の締結を「歓迎」しただけで日本の国内法制にはなんの言及もないので騙されないように。 
だいたい国連の事務方には基本、加盟国の主権の範疇である国内法の評価なぞ権限がない。それが出来るのは人権理事会や安保理事会等だけだ。
人権理事会の特別報告者(プライバシー権担当)のジョセフ・カナタチ・マルタ大教授が指摘した懸念はまったくそのままで、政府は未だに返答していないが、このままでは当然、人権理事会の次回の日本への勧告で問題にされるだろう。 
人権理事会の決議は安倍が恐怖する「国連の総意」なので念のため。


「共謀罪は危険だと言うが、国際組織犯罪防止条約に加盟している国は既にみんな同じような法律があるから加盟しているのではないか?」という疑問が出て来るかも知れない。

確かにたとえば、アメリカには連邦法に「共謀」の概念が大昔からある。

だがこれはそもそもテロを対象にできる法概念ではないし、政府転覆を企むような思想犯・政治犯を「共謀」とみなすものでもない。

だいたい国際組織犯罪防止条約は、そんな国内法の整備はまったく求めていない。

「内面を裁く」とも言われる、政治・思想弾圧の危険性を含むような「共謀」を法体系に持ち込んだのは、日本だけなのだ。

そもそもこの条約では、対応した国内法の整備に当たってテロなどの政治的な動機を適用範囲に含めてはならないと定められている。当時はムバラク独裁下でイスラム原理主義のテロに悩まされていたエジプトがテロを含めるよう提案して激しい反対に遭っているが、その理由は明白だ。「非民主的な国では、政府に対する批判や抗議、反対運動を『犯罪』とみなす傾向がある」からだ。

ところが日本政府はまず「テロ防止のため」と言いつつ、民進党に「役に立たない、現行法で十分」と指摘されると、立法の目的を今度は国際組織犯罪防止条約の締結に変えてしまった。


テロなど政治・思想が動機の犯罪には適用してはならない、とされているのだから「テロ等準備」はおかしいはずだが、安倍首相はこの条約締結を持って「テロ対策の国際連携」と、相変わらず世界の非常識のトンデモ総理っぷりが凄い。


繰り返しになるが、国際組織犯罪防止条約ではテロを対象としてはならないのは「非民主的な国では政府に対する批判や抗議、反対運動を犯罪とみなす傾向がある」からなのだが、「こんな人達に負けるわけにはいかないんです」という安倍政権が共謀罪にこだわるのは、まさにそんな「非民主的な国」の動機にしか見えない。 
国会では野党議員に「共謀罪で逮捕してやるぞ」という野次も与党席から飛んだ。


同法の施行に合わせて、広域指定暴力団の山口組が内部向けに解説と警戒のポイントを示した文書を配布したのだそうだ。

曰く「トップを含め、根こそぎ摘発、有罪にしようというもの」、国際組織犯罪防止条約が求めているのはそこなので、山口組はまさに当事者だけに、この解説もしっかり正確なものだ。

山口組がさらに鋭いのが、銃刀法違反容疑で組員が逮捕され例を挙げて「警察に殺人目的とでっち上げられ、他の組員、幹部、さらには親分クラスが共謀罪に問われるケースも起こりえる」と指摘していることだ。そこで「冤罪に巻き込まれないよう、弁護士ノートを差し入れ、取り調べでのやり取りを細かくメモすることが肝要」と構成員に呼びかけている。

もちろんこんな違法捜査を、国際組織犯罪防止条約は求めていない。

しかし日本で制定された通称「テロ等準備罪」の改正組織犯罪処罰法、和製「共謀罪」の場合、法文はずいぶんと曖昧だし、その杜撰さに輪をかけるように政府が国会で言い続けて来た解釈では取り締まり側にとっての抜け道だらけなので、違法捜査を一見合法にみせることすら可能になってしまう。

逆に言えば、まずこの一点だけでもこの法はヤバ過ぎる法で、近代法治の原則に反している。



そもそもこの和製「共謀罪」は、条約の締結に必要だったり、たとえばアメリカの連邦法にあってFBIが組織犯罪捜査の重要な根拠にしてきた「共謀」とは、かなり似て非なるものだ。

国際組織犯罪防止条約が求めているのは、山口組が警戒している「トップを含め」というよりもそのトップ、つまり最大の受益者の犯罪性こそが標的で、その立証により幅を持たせるのがアメリカ連邦法などにある「共謀」だ。

日本の既存法ならば「共同正犯」が理論上は成立するかも知れないが立証が難しいことや、「共同正犯」の枠内では難しい追及でも、「共謀」では立証が可能になる。実行犯のトカゲの尻尾切りを許さないための法整備とも言えるはずだが、しかし日本では、たとえば既存の暴力団捜査では、その「トップ」よりもいわば「下っ端」に厳罰を求める傾向が強い。

「3月、組織犯罪処罰法違反(組織的な殺人未遂)などの罪に問われた指定暴力団工藤会(北九州市)の元組員に判決が出た。銃撃を実行した仲間をバイクで送迎したなどとして、懲役18年8カ月(控訴中)となった。元組員は「銃撃計画は知らなかった」と主張したが、裁判所は10年以上の組員歴などをもとに「認識していた」と認定した」 
溝口敦(ジャーナリスト)、朝日新聞2017年5月16日

そして「テロ等準備罪」の国会審議でも、法務省や法務大臣の答弁は、むしろこの「下っ端」だったり、いわゆる一般人と接点があったりする部分での処罰を匂わせる中身に、なぜか終始していた。

「一般人には適用しない」というのも、「一般人」が暴力団構成員であるとかカルト信仰集団であるとかと接点を持つはずがない、という強引な前提しか根拠がなく、一方では市民運動などが「犯罪者集団に一変する」場合もある、と言う。



こんな議論は国際組織犯罪防止条約(TOC条約、イタリアのシチリア島のパレルモで締結されたので「パレルモ条約」とも呼ばれる)で求められていることと、なんの関係もないどころか、真逆でさえある。

組織化された犯罪オペレーションが国境をまたいだ場合でも各国の相互連携で摘発を可能にするのが国際組織犯罪防止条約の主旨で、主な狙いはマネーロンダリングや人身売買、薬物売買や組織的横領、インサイダー取引などだ。高度かつ複雑に組織化されネットワーク化され、個別には表面上は犯罪に見えないものを中心に処罰取り締まりを可能にするのが、この条約のはずだ。

この条約が出来て日本で「共謀罪」が議論され始めた時から、警戒されて来たのは近代法治の大原則に反して「内面を裁く」法になりかねない、ということだった。

これでは自民党内部からも反対が多く、三度も廃案になって来たのも当然なのだが、しかし国際組織犯罪防止条約はもちろん、プライバシーまでをも捜査対象にして「内面を裁く」ことなど求めていない。「内面」が関わるのは「金儲け」であるとか「利益を得る」、「商売を廻す」といった、一目瞭然のレベル止まりの話であって、「治安維持法」のように思想信条を犯罪と強引に結びつけるようなことは慎重に忌避されている。


同条約も、たとえばアメリカ連邦法の「共謀」も、そんな曖昧な「内面」を共謀の根拠にはできないようになっている。極めて具体的に「誰が最大の利益を得ているのか」が共謀の構図のなかで想定され、立証され事実認定もされ得る動機だ。

たとえば国際的な組織売春ネットワークで、ロシアやエストニアのどこかで誘拐されたり騙された女性が、東京の六本木で働かされていたとする。

六本木の店は摘発されても、その女の子が実は詐欺や誘拐の被害者とは知らなかったと言い張り、また誘拐しろ、騙せと直接指示していた証拠なり証言がなければ、売春でもっとも利益を得ていて、またそうした女性を“発注”し続けていた側について、誘拐なり詐欺の共同正犯を立証するのは難しい。

だがこうした売春婦の供給が組織化されネットワーク化されて継続的にその店が利益を得ていれば、誘拐や詐欺についても「共謀」は立証でき、真の主犯が処罰できることになる。

いや今時、誘拐したり騙したりなんて組織売春では実際にはほとんどない、と言われればその通りだ。現実にこうした国際的な組織売春で犯罪的な人権侵害が問われるのは、麻薬づけにしたり、虐待することで従順になるように「仕込んで」から売春をやらせ、パスポートを「預かる」として逃げ出せないようにする手口が一般的だ。

だからこそ、麻薬の依存症を「自己責任」扱いにしたりして被害者が逆に処罰されるのを防いだり、経営者が直接手を下していない虐待についてもちゃんと処罰するには、確かに「共謀」概念は有益になる。

システマティックにこういう経営・管理が常態化していれば「知らなかった」「現場が勝手にやった」「麻薬は本人が勝ってにやったこと」といった言い逃れは出来なくなるのが、本来の「共謀」のはずだった。


今ここで誘拐や詐欺をあえて例にしたのは、戦前戦時中の日本軍の慰安婦制度が、「共謀」が認められるかどうかの違いの、極めて具体的な喩えになるからだ。

日本政府は河野談話の時点での公文書調査で、暴力的な強制連行や武力の威圧、詐欺などを用いた意志に反する強制を命じた記録は発見できなかったとしていて(ちゃんと探せば証拠は出て来るに決まっているが、見つからないように調べてるんだからしょうがない)、これは第一次安倍政権で「閣議決定」されている。

直接の命令書がないからといって強制連行がなかったという証拠にはならない(というと安倍晋三は『悪魔の証明だ』と稚拙な詭弁を弄するのだろうが)のだが、「命令していないのに現場の勝手な判断で」とか、詐欺については「女衒業者が勝手に」と言い逃れが出来なくもないのが、「共同正犯」の限界になりがちだ。

もちろん政府や国家権力の行使、とくに軍組織の行動については、一般の「疑わしきは罰せず」よりも遥かに厳しい原則が適用される(証拠隠滅が自在になる権限があるのだから当然)し、行政組織・政府の責任は首謀者個々人が通常の刑法で処罰されるかどうかとは別次元の問題(軍事裁判なら処罰可能)だが、関わった軍人や政府関係者の個々人の犯罪としても、こんな現実離れした言い訳を許容して真の主犯・犯罪首謀者が見逃されてトカゲの尻尾切りになってしまうのは、法の運用としておかしい、とは確かに言える。

なにしろ強制連行、つまり武力・暴力の脅しで無理矢理慰安婦を募集したことに限っても、1937年以降終戦までの8年間は、軍・警察が慰安婦募集への「立ち会い」を命じられているし、東南アジアや中国大陸の最前線では兵士による「現地調達」も行われているのだ。そこには軍の組織的な意志があり、その組織が機能することで暴力の威嚇による強制があったのも、被害者証言から明らかだ。

そもそも「慰安婦になる女を連れて来い」とだけ命じられ手段の指示は出ていなくとも、武装した軍部隊なんだから当然威嚇・威圧・脅迫による強制には自動的になるし、暴力の直接行使も含めて、こうして8年も慰安婦の供給が維持されているのに、「現場が勝手に」「知らなかった」と、この制度の最大の受益者である軍組織が言い逃れを続け、だから日本国家に「罪はない」というのでは、明らかにおかしい。

そんなのは政治が法体系に対して責任を追う法治国家ではない。


たとえばこのような広告は、軍や政府、朝鮮総督府がそれぞれバラバラに動いていたとでも無理矢理に考えない限りは、「慰安婦は高給の売春婦で強制なんてなかった証拠だ」と言い張ることはできない。

この場合の最大の受益者は軍組織であり、兵士に命令も、業者に強制もできる権限があるのだから、「いや知らなかった、現場が勝手にやったこと」では済まさないのが本来の「共謀 conspiracy」の法的概念だ。

むろん政府組織ともなればさすがにそんな言い訳は通用しないが、組織構成自体が隠蔽されている組織的な犯罪行為の場合、「共謀」の概念を捜査と立証に導入できることには、確かに有効性はある。

アメリカの連邦法にある刑事罰の「共謀」は、このような人身売買や組織的詐欺横領、麻薬密売、組織的な横領や、最近ではインサイダー取引などの摘発で、とくに日本の刑法でいう「共同正犯」のような考え方では真の主犯つまり「いちばん利益を得る者」の立証が難しいケースの捜査や立件、処罰に使われている。

 映画『ゴッドファーザーPART II』
コルレオーネ・ファミリーの共謀の疑いが上院の聴聞会で審議される

逆に言えばそういう犯罪的手段を一部に含んで機能している金儲けのシステムでもない限り、「共謀」があったとする立証は難しい。逆に言えば日本版の共謀罪で主張された「テロを未然に防止したい」というような場合には、「共謀」の概念はまともな法治国家では、まず現実的に使えないはずだ。

ビッグデータを人工知能で活用してメールやSNS上の通信などを監視することはできなくはないが、ならば「一般人」も含めて監視対象にしなければ意味がなくなる。

ここでも、テロ事件に「共謀」を当てはめるには相当に無理があることが分かる。

テロ事件の政治的・社会的なインパクトは法的に特定できるほど明確なものではないし、なのに無理矢理に動機を決めつけることは戦略上・安全保障体制としておよそ有益なことではない。

なによりもテロは要するに「一発勝負」だ。一回限りの、一回しか使われないスキームについて組織化された構造を事前に特定・立証なんてまず限りなく不可能に近いし、もちろんアメリカ連邦法の「共謀」は「内面を裁く」法として、思想信条に関わるものとして使われてもいない(そもそも連邦憲法違反になる)。

国際組織犯罪防止条約で求められたものは、日本の国会でさんざん議論に時間が費やされた(浪費された)「犯罪者集団」と「一般人」を区別というか差別するものでもなく、ましてや「治安維持法」的なものでもまったくなかったはずだ。

アメリカ連邦法の「共謀」はこういうものではまったくない

では日本政府はなぜ、あたかもそういう誤解をわざと招くような議論を続け、「そういうものではないので安心して下さい」を具体例を挙げて説明することをまったく怠りというかむしろ意識的に避けて来たのだろうか?

なぜ法文も、共謀の定義と立証のハードルを明確にしていないのだろう?

このままではおよそ非現実的な犯罪計画の設定ですら、文字通り「話し合っただけで有罪」になりかねない。

かつては自民党の重鎮が「居酒屋で上司を殴ってやると言い合ってるくらいでは逮捕しないから安心して」とか言いながら、なぜ逮捕されないで済むのかの説明はまったくなかったし、今回は「準備行為」がなければと構成要件のハードルをあげたように見せかけながら、その「準備行為」の定義が曖昧過ぎてかえって危険視される(「ビールとお弁当を持って行けば花見で地図と双眼鏡を持っていればテロの下見で準備行為」なる珍答弁もあった)ようなやり方に終始している。なぜなのだろうか?

なぜ国連人権理事会の特別報告者から「プライバシー保護の規定と歯止めのシステムはどうなってるのか?」と訊かれただけで、妙にヒステリックな感情的反発で抗議なんてしながら、いつまで経っても回答も、公式の英訳も提出しないままなのだろうか?



政府が「テロ対策」だなんて噓をつかずに、たとえば女の子を暴力で誘拐して麻薬漬けにして心身を支配して売春をさせる組織があっても、売春をやらせていちばん金を儲けている首謀者が誘拐しろと命令していなければその罪は問われないで済んでしまうのが現行の「共同正犯」だから、というような、本来の国際組織犯罪防止条約で求められていることをちゃんと説明していれば、基本線では納得されただろうし、そこでプライバシー侵害などをどう防止するのかについても、まともな議論が出来たはずだ。

なお日本には既に暴力団対策法があり、組織的犯罪集団との経済取引を禁じる条項が、昨今ではどんな契約書でも(不動産売買でも、携帯電話でも)明記されている。国連TOC条約への加盟条件はこの暴対法があれば、ないし若干の改正で、十分に満たされるのではないか?

なのになぜ、近代法治主義ではそもそも無理な「内面を裁く」法律だと思わせようとしたり、法的になんの意味もない「一般人には適用されない」論を延々と繰り返したのか?

「共謀罪」が最初に議題になったときからこれは奇妙だったし、安倍政権の国会強行突破のやり方に至っては、まったく不可解な乱暴さとしか言いようがない。



この新法が施行された今、警察の幹部は「現場ではほとんど使えない」と取材に対して漏らしている

それはそうだろう。

共謀罪の概念がアメリカなどにあったり国際組織犯罪防止条約で求められたりするのは、日本政府が主張して来たような「犯罪を未然に共謀段階で取り締まるため」ではないし、そんなことは現実の警察捜査のシステムではまず無理だ。

まして一発勝負のテロの防止で「共謀」が立証できるレベルの情報収集を未遂の、事前の段階で達成するなんてのは現実には限りなく不可能に近い。

ただし実際の法文があらゆるポイントが曖昧なザル法なので、山口組が銃刀法違反を「警察に殺人目的とでっち上げられ、他の組員、幹部、さらには親分クラスが共謀罪に問われるケースも起こりえる」と危惧していることが、政治運動や社会運動、市民運動についても起こることは危惧される。 
それこそツイッターでの呼びかけに応じていわゆる「反韓デモ」に抗議したり、安保法制の強行採決に反対して国会前に行って知り合ったどうしが、その後お花見に言ったら、「ビールとお弁当を持っていたらお花見、地図と双眼鏡ならテロの下見」との言いがかりで逮捕され得ることすら、法務大臣が国会で明言してしまっている。

アメリカで連邦法に基づく捜査を行うFBIでも、立証し摘発して来たのはほとんどの場合、既遂の犯罪や犯罪性のある取引やオペレーションが継続的に行われているケースで、動機も要は「金儲け」などのはっきりした利害関係が立証可能だからだ。

『ウルフ・オブ・ウォールストリート』では「共謀」がFBIによる違法取引検挙の切り札に

国際組織犯罪防止条約がこの概念の導入を求めているのも、国境を越えたマネーロンダリングや薬物密輸、人身売買、組織的横領、インサイダー取引などなどへの対応だ。ならば日本でもカジノ法が出来たので、日本のIRでの賭博の上がりをシチリアとアメリカ本土に本拠があるマフィアがピンハネしているような状況を取り締まるためには、この条約の締結と「共謀」概念の慎重な適用は、確かに必要になるのかもしれない。

では安倍政権は、カジノ法の強行採決を受け、日本のカジノが犯罪の温床になることを抑止しようと、立法を急いだとでも言うのだろうか?それだったらまだ法の必要性にも一定の具体的な説得力が出ただろうし、法文にも犯罪性のない日常生活を除外し組織的犯罪行為のみを捜査対象にする線引きがしっかり書き込めたはずだ。

ところが和製「共謀罪」は、そういう抑制の効いた法論理になっていない。

だから逆に言うと動機の立証があやふや過ぎて、警察の現場ではどう使ったらいいのか分からなくなってしまう。

政府が説明しているようなことだと「動機の共有をする複数人による共謀」なので、「それぞれに、様々な段階で金儲け」になっている組織犯罪には使いにくかったり、どう立証できるかが分からず、ならば現行法では違法捜査になる(たとえばGPS捜査に関する最高裁判決の判例)手段を使わなければならなくなったりする。通信傍受法も大幅に改正して権限を拡大しなければ、政府・自民党が求めているような「共謀」の立証はできないだろう。

なぜ、日本政府は「犯罪防止のために内面を裁く法律」みたいな、思想犯の逮捕処罰を匂わせるような「誤解」をわざと放置したあげく、ついには「テロ防止」とまで言い出したのか?

単に世論を騙して通し易くするとか、熱烈支持層が「中核派はテロ組織の犯罪集団で、民進党の議員には中核派との付き合いが学生時代にあったヤツがいるから、これで民進党は全員逮捕だザマーミロ」とツイッターかなにかで言い合っているネトウヨ層を満足させるため、というだけでもないように思われる。



なぜ政府がわざと「誤解」を招くようなことを言い続けて来たのかと言えば、それが「誤解」ではなく自民党の一部が本音でそういう治安維持法的なものを求めているか、それが適わないなら、せめてそういう「誤解」を蔓延させて国民に圧力をかける意図があるのではないか?

つまり安倍政権は一連の強引な国会対応で、「国際的な組織犯罪ネットワーク(あくまでマフィア的なもので政治集団は除く)への対応」ではなく「第二の治安維持法」のように、わざと見せたがったのではないか?

金田法務大臣が固執した「一般人には適用しない」というナンセンス(そもそも「一般人」なんて法的に定義しようがない)も、国民を萎縮させつつ、その差別意識を煽動しようとしているのではないか?


安倍にしてみれば、いわば「こんな人達」に対する脅迫、威嚇として、あたかも政治弾圧も可能に見えそうな法として共謀罪を成立させたかったから、わざと「テロ対策」と噓も言ったのではないか?

7/09/2017

だから民進党はダメなんだ



あちこちで思わず、こう嘆息が漏れたことだろう。

都議選の大惨敗で少しは追いつめられたか、ちょっとだけ反省し始めたらしい自民党は、加計学園「総理オトモダチえこひいき」隠蔽問題でやっと態度を(少しだけ)変えて、国会の閉会中審査に応じるという。ただし7月10日月曜の1日だけ、衆参の内閣委員会と文科委員会のみで、参院と衆院がそれぞれ午前中と午後、数時間の審議に過ぎない。しかも疑惑の中心の安倍首相はG20で外遊中だ。

民進党は、一応いったんは拒否したものの、結局は飲んでしまった。

文科省の前事務次官・前川喜平氏が参考人招致されることになり、国家戦略特区諮問会議の民間議員も1人、自民が参考人に呼ぶという。だったら竹中平蔵・元行革大臣を問い詰めなければなにも進まないだろうに、その竹中は「日程が合わない」で逃げてしまった。

証人喚問ではないのだから偽証で逃げられるのに、竹中氏もまったくみっともない。 
「あなたは加計学園の加計孝太郎理事長が安倍総理の『腹心の友』だと知っていましたか?」と訊かれても答えられないのだろう、ということが逆にはっきりしてしまった。 
もちろん答えが「知っていた」であるだけで、安倍内閣は退陣に追いつめられかねないわけだが、知ってるか知らないかなんて「内面」の問題、噓でも逃げられるし「言った言わない」水掛け論の膠着にだって持ち込めるのに。

だいたい、民進党は自由党、社民党、日本共産党と共に、憲法に基づき臨時国会の開催要請も出しているはずだ。内閣はこれに応じる憲法上の義務を、2015年の安保法制強行採決後にも誤摩化したまま履行していない。だから「どうせ今回も応じまい」というのが野党の前提なのかも知れないが、逆に2度・3度と繰り返されれば憲法無視が定着し、議員の1/4の要請があれば内閣は国会を開会しなければならないという憲法上の義務が形骸化してしまう。

民進党が妥協したのは、自民の竹下国対委員長が必ずしもこれだけで終わりとはならない(かもしれない)、10日に出た内容いかんでは今後予算委員会の閉会中審査も検討する(検討はするがやるとは言ってない)、と言ったからだ。

ならば与野党ともにその約束は守ってくれ、民進党には10日で必ず次に続ける質疑をやってくれ、としか今のところは言いようがない(半ば呆れながら)。



もし前川喜平氏を国会に呼べば人気取りになるという程度の意識なら、民進党の心得違いも甚だしい。前川氏は官邸の、和泉総理補佐官の「首相は言えないから私が言う」といったような強引な関与までは証言できるだろうが、文科省内部でその後この事案がどう進行したかには、そこまで深く関わって来れたわけではないのだ。

2度目の記者会見で前川氏が明言はしたものの、強調はしなかったので聞き落とした人がほとんどのようだが、昨年10月21日付の文科省から出て来たメモに関する内容について、氏ははっきり「私は知りません。報告があがって来なかったので」と述べ、「大臣・副大臣と直接やりとりしていたよう」と続けている。

21日付メモそれ自体にしても、氏は「見ていない」とはっきり言っていた。「局長以下向けの説明のために作られたものではないか」と氏は推測するが、次官に説明がないのも不思議なことだと思えば、次官抜きで大臣・副大臣、となっていたというのなら説明はつく。

つまり前川氏は9月〜10月上旬にかけて、報道と民進党の質疑で最初に明らかになった文科省の内部文書(レク用のメモ)について自分も見ているから「あったものをなかったことにはできない」と証言したし、その時点では文科次官として「官邸の最高レベル」「総理の意向」に抗して文科行政の公平性の維持を保とうとしていたが、なぜか10月中旬か20日以降は、この事案から外されていた(担当部局が「大臣・副大臣と直接やりとりしていた」)のだ。

民進党が今、前川氏に尋ねるべきポイントがあるとしたら、まずここだ。


前川前文科次官の2回目の会見(日本記者クラブ)

次官スルーで懸案を、というのは省庁のガバナンスとしてあり得ない事態であり、松野文科大臣、義家副大臣にはそう判断した理由を問い質さなければならない。

今まで判明している流れから見れば、あまりに目障りになっていた前川次官を「外せ」という官邸の最高レベルの意志があったのか、大臣が安倍総理と官邸の不快感を忖度したことが強く疑われる。

閉会中審査が文科委員会と内閣委員会だけになるなら、こここそが文科委員会で追及すべき重要なポイントだ。

またこれは、前川氏の登場のインパクトをなんとか矮小化しようとして官邸や安倍支持勢力が前川氏に対して繰り返して来た誹謗中傷を、根底から覆す事実でもある。


「なぜ在任中に言わなかったのか」「退官してから言うのは、天下り問題で辞職させられた逆恨みに違いない」などと、こと安倍官邸はどの口でそんなことが言えるのか?

逆に文科省の天下り問題は、目障りな前川喜平次官を排除し辞任させるためにことさら取り上げられたものだったのではないか、という疑惑すら出て来る。 
前川氏自身は再就職等監視委員会は公正な第三者機関であり、文科省に問題があったのだから次官の引責辞任は当然だった、と述べてはいるが、疑念は残る。 
獣医学部の問題以外でも、加計学園は下村博文が文科大臣だった頃に「国際バカロレア」対応を謳った初等教育も推進しようとしていて、その応援で深く関わっていたのは下村氏の妻だ。この「国際バカロレア」について文科省は日本の小中学校の義務教育を歪めることになりかねないとして慎重姿勢で、その義務教育の公平性を維持することに腐心し続け、時には政府の方針にも明確に反対し、不登校の子どもたちの学習の場を公平に担保できるフリースクールの役割拡大の規制緩和や、夜間学校の充実を進めて来たのが前川喜平氏だ。

むしろ途中から次官が外されて、担当部局が大臣・副大臣と直接やりとりする状態になっていたのは、前川氏は次官としての職権の許す限りの範囲で加計学園の獣医学部新設がゴリ押しされていることに疑義を呈し、抵抗し続け、考えつく限りあらゆる動きをしたので官邸に疎まれ、口出しできない立場に置かれた、というのが真相ということになる。

そういう異常事態が起こっていたのなら、一連の加計学園の獣医学部新設の流れが、文字通り「官邸の最高レベル」というか「総理の意向」で通常の行政手続きを無視して強行されていたこともまた、誤摩化しようがなくなる。



10月21日付のメモがまずNHKで報道され、文科省が存在を確認した時点で、これが常磐専門教育局長(文科省)と萩生田官房副長官とのやりとりの記録で、萩生田氏が強い調子で文科省に迫っていたと伺われることから、民進党は「官邸の最高レベル」は具体的に、総理の側近で落選中には加計学園の客員教授だった萩生田氏を指すとみなしているようだ。

だが前川氏はこの見立てには否定的だ。

萩生田氏は総理に近いと同時に有力な文教族議員であり、むしろ文科省から相談やお願いをしたというのだ。

ここで「文科省が相談をお願いした」というのは、つまり当時次官だった前川氏本人のことのはずだ。

萩生田氏官房副長官は本来、国家戦略特区の担当ではない。なのに最初に明らかになった昨年9月〜10月上旬の一連の文科省内部文書(「総理のご意向」「官邸の最高レベル」)に萩生田氏も登場することを、菅官房長官は「怪文書」とみなす根拠のひとつとしていた。

逆に責める側である民進党からすれば、本来担当ではない萩生田氏が文科省に圧力にかけているのなら、つまりは萩生田氏が「黒幕」ないしフィクサーとして加計学園の獣医学部新設を推進していた、「官邸の最高レベル」とは萩生田官房副長官を指していたのであれば、氏は総理の最側近の1人であり、しかも落選中には加計学園の経営する千葉科学大の客員教授として給料をもらっていたなどの関係もあるので、安倍総理の汚職的な利益供与も含めて「総理の意向」を直接的かつ一網打尽に証明できる、と考えているようだ。


だがここにはたぶん、事実関係よりも期待を優先させる希望的観測が混じり込んでいる。民進党が10月21日付メモ以外に萩生田氏の関与をうかがわせる他のネタを持っているのなら話は別だが、そのネタの解釈も希望が入り交じって偏向していないのかも含めて、この方針は再検証して精査した方がいい。

「萩生田黒幕説」がいささか短絡的に過ぎるのに対し、前川氏が述べたことの方は現実的におおいにあり得るからだ。

内閣府とそのバックにいる官邸(和泉総理補佐官)からのゴリ押しで窮地に追い込まれる中、文科省としてこの学部新設を認めるかどうかを検討する上で絶対に必要な農水省の持つ獣医師の需給データもいっこうに出る気配がなく、内閣府が農水省からそもそも需給データを得ようとしていないか、持っていても隠させているのかも知れないという疑いも含めて、文教族であり、たまたま今は官邸の中枢にいる官房副長官に「なんとかならないか」と頼んだのであれば、これは自然な流れだ。

それにこう考えるなら、10月7日、つまり前川喜平次官がまだこの問題に関わっていたと思われる段階で書かれたレク用メモとも整合性がある。そこで萩生田氏は平成30年4月開校というスケジュールは無理ではないか(文教族なのだからそれくらい自分で判断できる)、と疑問を語った上で、加計学園がしっかりした内容の計画(「誰にも文句を言われない」)を出せば問題はないのだが、という常識的なことを言っている。

文科省が(言い方は悪いが)いわば萩生田副長官に「泣きつき」、部外者だったが自分でも疑問を持った萩生田氏がいろいろ情報を収集したり、安倍総理自身とも含めて関係者と話をしたり説得を試みた結果が、10月21日の常磐専門教育局長で文科省側に伝えられ、それが例のメモ文書に記録された、と考えた方が合理的に説明がつくのではないか?

萩生田氏が強権的に文科省に迫ったというより、「総理も『お尻』を決めているのだし、すまないが諦めてくれ。私にもなにも出来ない」と言ったのだと考えた方が、この文書の内容も自然に見えるし、愛媛県がトップレベルの獣医学部を求めていないという、文科省にとっては新学部設置に反対する理由になることがわざわざ入っているのも、萩生田氏が文科省の相談に乗っているのなら説明がつくのではないか?


いずれにせよ民進党は10日の審議の前に徹底した再検証の上で党内コンセンサスをしっかり検証してまとめておくべきだろう。

今の「萩生田=官邸の最高レベル」説は具体的な根拠が乏しい上にさすがに異例の、さすがにあり得ない動き方になっているし、なによりも萩生田氏がこれまで通りに「知らぬ存ぜぬ」で押し通せば、それで終わってしまう。

またこの「萩生田=官邸の最高レベル」説に疑問が拭えないのは、こんな複雑な芸当が萩生田氏には出来るとは思えない、ということもある。

文教族だから文科省には影響力はあり、その行政手続きにも詳しいだろうが、農水省と厚労省を巻き込みつつ内閣府を顎で使うというか、それぞれの省内の動き方も熟知して、裏で強引なゴリ押しをやりながら、表向きには一見合法的に見える体裁を繕える才覚が、この「黒幕」には絶対に必要なはずであり、それが出来るのは有能な官僚ではないのか?

同じことは森友学園「安倍晋三記念小学校」スキャンダルについても言える。 
国の側では国交省と財務省をまたぎ、さらに設計事務所や施工業者、森友学園の弁護士が一緒になって8億の値引きを画策しているのは、奈良県庁職員の出身で幼稚園と保育圏の経営しか敬虔のなかった籠池泰典氏には、およそ出来る芸当ではない。 
大阪府と国交省と財務省に、三通りのそれぞれ異なった契約金額を出していたことなぞは、縦割り行政を逆手にとってそれらの紺額が照合されることがない保証がないことには、絶対にやらないはずの手口だ。総理夫人の安倍昭恵氏の名前だけでは、ここまでの連携はちょっと想像がつかない。 
ちなみに設計事務所・弁護士・施工業者と文科省のやりとりのメールで、すでに8億円値引きの根拠となったゴミは実はなかった、「でっち上げ」であることはほぼ判明しているのに、こちらのスキャンダルの追及が事実上止まっているのも、メディアも野党もずいぶん甘い。

政府側では、この10月21日付けの萩生田=常磐面会のメモについて、一部に「誰が言ったのかが分からない」部分があることを理由に、というか安倍政権お得意の乱暴な印象操作で、あたかも文書全体が信用ならないかのように装っている。

これもよく考えるとずいぶん不自然な主張だが、前川氏の言っている通り萩生田氏が文科省から相談されて動いたのであれば、まさに政府側は「語るに落ちた」となる。萩生田氏が官邸の「誰か」に言われたことを文科省に伝えただけであることが、あたかも萩生田自身の発言であり意見であると誤解されているのであれば、確かに内実を知っている者なら「誰が言ったのかが分からない」ということにすぐに気づくだろう。


安倍首相は加計問題でも、森友学園「安倍晋三記念小学校」スキャンダルと同様に、自分が関与していたら総理も議員も辞職する、と大見得を切っている。

これが総理自身を追いつめる結果になった、というのが一般的な見方のようだが、「ならば総理の関与を証明すればクビが取れる」と野党側が息巻いてしまっているのは、実のところ安倍総理の姑息なゲームに乗せられているのではないか?

「総理の関与」の直接の立証であれば、結局は「言った言わない」の水掛け論に落とし込まれてしまう。仮に「総理から直接言われた」と萩生田氏なら萩生田氏が証言したとしても、安倍であれば最後にはその萩生田氏すらトカゲの尻尾きりで「噓だ」と言い張り、官邸が萩生田氏を人格攻撃する情報を御用コメンテーターにでも流せば、またもやうやむやなまま、逃げ続けることはできる。

検察が刑事罰を念頭に動くのならまた別で、捜査当局は身柄拘束の上で厳しい尋問で問いつめることもできる。
テレビを中心に総理の代弁を一生懸命にやって来た山口敬之・元TBSワシントン支局長のレイプ問題も同様で、所轄署が積み上げた証拠と、被害者が開示した山口氏からのメールや、その詩織さんが証言しているやり取りを突きつけて尋問するまでもなく、「合意」の有無は「お互い酔っぱらっていた(山口氏)」がゆえの山口氏の勘違いという脆弱な主張しか山口氏が「無罪」と言える根拠はないし、こんなものは身柄拘束の上での尋問ですぐ自白に至るレベルのものでしかない。 
だが国会答弁でそこまで追いつめるのは、せめて偽証罪が適用される証人喚問でなければ、相当に難しい。 

むしろ民進党は、このような「依怙贔屓」で行政が歪められたのは、どのような手段で可能になったのかを明らかにして行くことに集中した方がいいのではないか?

それにはたった一日の閉会後審査で足りるわけがないし、仮に竹下自民党国対委員長が約束を守ったとしても、こうやって小出しにされるだけでは常に逃げ道が確保できてしまい、いつまで経ってもこの問題が継続することになるだけだ。

まあ問題が尾を引く間は、野党は安倍政権に対するネガティヴキャンペーンを継続でき、安倍政権がどんどん弱体化していくことにもなりはするが、そんなことを国民が期待しているわけではない。

民進党が政権と与党の煮え切らない態度、というか姑息な逃げに、みすみす乗ってしまったのではないかという危惧の一方で、こういう小出しのやり方で、確かに安倍政権は直近の総辞職は免れ続けられるかもしれないが、むしろ弱体化した政権が強行採決だけは任期切れまでは繰り返すことになるだけで、自民党にとってのダメージは際限なく肥大していく。

こんなのは竹下氏たちにとっても決して賢いやり方ではなく、安倍氏の傲慢だけでなく、安倍氏とその側近以外の、自民党全体の自浄能力のなさを、延々と国民に印象づけ続けるだけだ。


もちろん「安倍晋三記念種学校」にしても「腹心の友」の獣医学部にしても、誰もが安倍氏が優遇しろという意志を伝えているに違いない、と実は思っているし、総理の強気の姿勢は「口裏を合わせれば逃げれると思ってるんだろ?」としか受けとっていないだろう。

だいたい、安倍氏がそれを直接に指示したかどうかは、行政のあり方について些末な問題でしかない。

「私が直接関与していたなら」というのは、安倍氏の論点逸らしでしかないのだ。追及されるべき問題なのは、そのような歪んで不公正な体質を政権それ自体が持ってしまっていることであって、しかもこれはこの二つの学校法人と政権との関係にについてだけではない。

例えば、ドル箱路線の東海道新幹線を抑えて黒字安定経営のJR東海の中央リニア新幹線構想には、財政投融資による政府の出資をすでに安倍政権が決めてしまっている。 
建前上はリニア技術を輸出産業に育てる「国家戦略」という言い訳は成り立つが、JR東海ですらリニア新幹線が設備投資が回収しきれない赤字になるのでは、輸出産業という夢にも暗雲が立ちこめる。 
それでもリニア構想を政府が出資してまで支えるのは、今は退任していても大きな影響力は持ち続けているJR東海の元会長の葛西敬之が安倍のウヨ友達、日本会議人脈の重要人物だからだ。 
ちなみに森友学園の「安倍晋三記念小学校」が中高一貫校への推薦枠があると申告していたのは、JR東海が有力スポンサーのひとつである学校で、この元会長が籠池氏に推薦入学を口約束したからだ。確かに正式決定ではなかったのを書き込んだのは籠池氏に非はあるが、総理とも親しい有力者の約束なら書類よりも信用してしまうのが、普通の感覚だろう。籠池氏だけを責めるのは筋違いだ。




贈収賄などの刑事罰が安倍氏個人に課されるのであれば、そこまで確定的な証拠も必要かもしれない(とはいえ刑事裁判において必要な論証は、あくまで「合理的な疑念の余地なく」でしかなく、安倍氏やそのシンパのへ理屈はおよそ「合理的」とはみなせない)。だが今問われているのは、行政が歪められたことへの行政府の長としての政治的な責任だ。

仮に百歩譲って、安倍氏には自分の名前が冠されて自分が理想とする教育勅語の暗唱を基本に置いた愛国小学校や、「腹心の友」の獣医学部計画を、個人的なシンパシーだか麗しい友情だかで支援し政府に優遇させる意図がまったくなかったとしても、すべてが役人が勝手に忖度して行われたことでも、行政機関がそのような配慮を最高権力者に対してしてしまう体質を持ってしまっているだけで、安倍晋三は首相として明らかに行政を歪めているのだ。

逆に総理がわざわざなにも言わずとも周囲が勝手にその意向を実現してくれるのなら、これほど腐敗し堕落した行政もなく、それを許容してしまうのは行政府の長として最悪の資質の欠如、としかならない。

そんな政府では、もはや利益供与を求める側が賄賂を出す、ということですらなくなるし、権力者の側が賄賂を求める必要すらない。ほっといても総理とその周辺の利益になることしか認められない社会になってしまう。こうした政治の私物化が刑事罰の対象になってはいないのは、そんな人間が権力の座につくこと自体が、民主的なシステムでは従来の合理的な想定の範囲を超えていたからに過ぎない。

アドルフ・ヒトラーやサダム・フセインですらただの私的な身勝手を政治に持ち込みはしなかった。 
ヒトラーの前衛芸術嫌いですら「退廃芸術」という公的な理論化がなければ弾圧はできなかった。安倍氏の独裁体質には、独裁なら独裁でそれを自己正当化する論理を構築して国民をある程度は納得させる努力すら欠けている、独裁者としてですら甘えていて、怠惰で、能力に欠如している。 
世襲の封建君主だって、逆に幼少時からそんな歪んだ人間にならないように「帝王学」を徹底して仕込まれたし、よほど人格的に問題があれば継承順位が高くともなんらかの理由で廃嫡されたり、臣下の厳しい諫言を受けてそれでも改善がなければ、権力闘争で幽閉されたり暗殺されるのが、少なくとも日本では常識だった。 
安倍氏のように甘やかされた勘違いのまま権力を振るうというのは、人類の歴史上かなり例外的だ。


安倍総理にはいつまで経っても瑣末な揚げ足取り的な開き直りの印象操作に逃げていないで(「関与していたら辞任する」と言いつつ、「関与してない、と証明しろなんて『悪魔の証明』だ」って、なんなんだその幼稚な二枚舌?)、そろそろちゃんと答えて欲しいことがある。

獣医学部を増やすことが、どうやったら国家戦略になるのだろうか?

1)人獣共通感染症やライフサイエンスといった新しいニーズに対応した研究や教育に力を入れることが「国家戦略」だというのなら、それは獣医学部の新設を、それも岡山理科大のようなレベルの学校にやらせることでは、絶対に達成できない。どう考えたって東大農学部獣医学科などの最高レベルの国公立大学や、北里大などのやはり理系・生物学研究の最高レベルの私大でなければ、対応できる学生もいないし、教員も研究者もおらず、施設を作っても宝の持ち腐れだ。 
2)既存の獣医学部では対応できない、というのなら既存の獣医学部の改革改変の方が遥かに合理的だ。ちなみに獣医師会も求めているのは集約化であり、「既得権益」どころか一部の私大は獣医学部を閉鎖しなければならない、自分達にとっても直接には厳しい改革を、獣医師会は教育水準と獣医の医療の質を保つためには必要だと主張している。これにどう安倍政権や国家戦略特区諮問会議は反論できるのだろうか? 
3)そもそもなぜ農水省に現状の獣医師の需給状況の精査を出させないのか?おおまかな統計で見る限り、獣医師全体を増やす政策に合理性はない(むしろ余っている)。 
4)家畜医の不足は確かに指摘されるが、ならば規制緩和の対象となる新しい獣医学部は獣医師の養成に特化したカリキュラムを持っていなければ、特例を認めるべき合理性がない。10月21日の萩生田官房副長官と常磐専門教育局長の面会に関するメモでは、愛媛県はそうした特殊な獣医学部を求めていない、と書かれているが、安倍政権と諮問会議はどういう認識だったのか?また実際に加計学園が提案しているカリキュラムの中身は、そうした必要性を考慮したものなのか精査は行われたのか?精査の結果、どのような根拠と理由をもって加計学園が適当、とみなされたのかを、なぜ開示しないのか?

以上は安倍政権自身が閣議決定したはずの、獣医学部新設を認める際の4つの要件に基づく指摘だ。これに安倍総理自らが答えられない、反論ができないのなら、行政が歪められたこと、安倍政権が自ら決めたことすら守れない情けない無能無責任内閣であることが、疑問の余地なく論理的に明らかになってしまう。

むしろこの4点を説明すれば「公正であるべき行政が歪められた」と批判する前川喜平氏に対するもっとも有効な反論になる。安倍氏は「私たちは政策論争がしたいのだ」と秋葉原での演説で強弁したが、ならば上記の政策論争としての質問には答えてもらわなければ…あなたはただの噓つきだ。

また、そもそも「国家戦略特区」は、安倍首相が「アベノミクス三本の矢」の三本目、規制緩和による成長戦略として公約したもののはずだ。

その新しい特区制度を所轄する大臣として安倍氏自身が任命した山本幸三・地方創生大臣は、獣医師に競争原理を導入すれば、価格競争で犬猫病院の値段が下がって国民が得をする、と主張している(そもそも「家族の一員」としてペットを大事にする今の日本で、その健康維持を「安かろう悪かろう」に任せる飼い主がいるとも思えないが)。では、

5)動物病院の価格破壊が、いったいどうやったら成長戦略になるのか?

以上の疑問にしっかり答えられないのなら、その時点で安倍内閣は「政策論争」なぞまったく出来ていないし、行政府としてまったく無能となるだけでなく、加計学園が選ばれた理由は「総理のオトモダチだったから」以外に考えられなくなる。


あるいは、50年間獣医学部の新設が認められて来なかったことこそ「歪んだ行政だ」というのなら、必要なのは特定の学校に対する例外優遇措置である特区制度の適用ではなく、制度そのものの改正ないし規制の撤廃だ。

これでは「獣医学部を増やすための特区」という政策それ自体の動機が、「腹心の友」を優遇する以外には、なにもなかったことにしかならない。


問題の本質は安倍氏が直接に関与したかどうか(そもそも「直接に関与」とは具体的になにを意味するのかすら曖昧で、最初から論点を誤摩化す詭弁でしかない)ではない。安倍政権の政策決定に合理性が見られず、恣意的な依怙贔屓で行政判断が行われたとしかみなしようがない結果がすでに出ていて、しかも政府から一切有効な反論もないどころか、その決定プロセスすら隠蔽され続けていることが大問題なのだ。

贈収賄などの刑事犯が適用されないという「反論もどき」について言うならば、安倍氏が逮捕されて刑事罰の対象になるかどうかは、安倍氏個人と司法当局の問題に過ぎない。国会で追及されるのは、ここまでデタラメな政治をやっている安倍氏の総理としての責任であり、その疑念が合理的な疑念の余地なく払拭されない時点で、安倍内閣は総辞職しなければならないのが、法治国家の基本的な倫理だ。



民進党も本気で内閣打倒を目指すなら、行政のあり方を糾し筋を通すことに、もっと本気を見せなければいけない。これをただ総理を追いつめている印象を与える手段としか見ていないのなら、つまり印象操作で人気取りを狙っているだけなら、結局はそんな野党もまた国民の信頼は得られないだろう。


7/06/2017

都議選が終わったところで、「最大の争点」だったはずの築地=豊洲市場問題を考えてみる


築地市場の大冷凍庫 浜離宮より

2017年の都議選は、国政で与党自民党…というか安倍政権の体質そのものに関わるスキャンダルが次々と出て来て、すっかり安倍不信任投票の結果になった。

だがそういう流れというか「大逆風」以前には、豊洲新市場こそが争点だというのが主たるメディアの論調だったはずだ。

共産党や生活者ネットワークが移転反対と築地再整備を一貫した方針として提起して来たのに対し、豊洲への移転が決まったときの与党だった自民党・公明党は(後者が都政での連立を解消した後も)、どれだけ新市場について問題が明らかになろうとも、移転強行を崩さず、自民党に至っては早期移転のためなら問題の隠蔽すら辞さない態度を見せていた。

そのなかで小池百合子都知事が方針を明らかにしないことは、自民党からの格好の攻撃材料になっていた(というか、自民党はそのつもりだった)。

「決められない知事」という “レッテル貼り” に、ちょっと前までは豊洲新市場が抱える土壌汚染や工事の不備をさかんに取り上げていたはずのテレビを中心とするメディアも同調していたのは、国政の政権与党でもある自民党への忖度というか、その国政については加計学園スキャンダルでも、「共謀罪の構成要件を厳しくはちっともしていないテロ等準備罪(ただしテロと無関係な罪状ばかり300前後)」の審議でも、報道すれば批判的な論調にならざるを得なかったが故の、報道各社なりの「バランス感覚」のつもりだったのかも知れない。

国政の自民党への批判が殺到した結果の都民ファースト圧勝について、豊洲の「争点隠し」になって小池百合子と都民ファーストがうまく逃げた、という論もあるようだが、フタを開けてみればこんな批判はまったく当たらないことが明らかになった。

投票所の出口調査では、もっともサンプル数が多いので信頼性が高いと思われるNHKで、64%が小池知事の判断を「評価する」という結果だったのだ。


これがまたNHKの記者が開票中のインタビューで小池氏に「36%が『評価しない』と言っているがどう思うか?」と、露骨に変な質問を始めるのだから、与党への忖度の癖がぬけない政治記者は始末が悪い。 
小池氏はまったく動ぜずに「逆に『評価する』はどんな数字が出てますか?」と、NHKの詭弁を呆気なく覆してみせていた。


つまり仮に「豊洲移転が争点」だと自民党が都議選の争点を捏造しようとした企てが成功していたとしても、逆にその争点でも自民党は負けていたことになる。

豊洲=築地移転問題の真の核心は、豊洲に移転したところで中央卸売市場の機能と商売が本当に継続できるのか、だ。

移転の強行を主張した都議会自民党はそこにまったく気づかなかったようだし、メディアもまったく触れようとして来ていないが、豊洲市場に移転してしまうと、近い将来には最悪、商売がまったく立ち行かなくなる可能性すら否定はできない。

豊洲新市場の不安要素は、もっとも話題になった土壌汚染問題に限らず、建物は妙に建築費だけは高い(坪単価150万)わりに使い勝手に問題があったり、耐震強度不足の疑いまで出て来るなど、列挙にいとまがない。

しかも移転となれば、「築地」というこれまで培って来た伝統の信頼、小池百合子の言葉でいえばブランド力を放棄しなければならない。この立地だから都内から毎朝、中小の鮮魚店や料理店が買い付けに行けるのが、豊洲に移るだけでそうした上得意を失いリスクも現実的に大きい。

そもそもIT環境の革新的な進化で、中央卸売市場というビジネスモデル自体が急速に過去のものになりつつあることも忘れてはならない。

そんな環境が整うずっと前から、大手スーパーやフランチャイズの飲食店(たとえばモスバーガー)などは「産地直送」を食材の質の高さのセールスポイントとして確立して来て、中央卸売市場の商売は元から減って行く傾向があったのが、今や中小の飲食店や鮮魚店なども、ネット上のサービスを活用して「産地直送」が手軽にできるようになりつつある。

そんななかでも築地が機能して繁盛して来たのは、その「ブランド力」を支えて来た、仲卸しを中心とする「目利き」が信頼されて来た、日本ならではの文化の伝統だ。では豊洲移転を一方的に強行することで、せっかく今ある築地の付加価値を捨ててしまうのは、今の時代に賢明な選択だろうか?

小池百合子都知事が「アウフヘーヴェン」と称し、メディアが「玉虫色」「八方美人」とこき下ろしたプランは、単に築地の伝統を支えて来たプライドのある残留派への、ただ選挙目当てを考えた配慮ではない(というか選挙なら、そんなにたいした数の組織票でもあるまい)。

築地を売却せず都が再開発し、市場機能を復活させるオプションも残すというのは、現実的に豊洲市場が大失敗したとき(その不安は誰もおおっぴらには口にしないが、決して排除できない)の、安全装置でもあるのだ。

そして実際に、都民は自民党に同調したメディアの煽動には乗せられておらず、小池案が相当に地に足のついたものだったことも理解していた、ということなのだろう。結果を見れば(出口調査で64%が「評価する」)、小池百合子を「決められない知事」と責めれば都議選を闘えると思った自民党の思惑も、有権者にそっぽを向かれていたのだ。

築地市場に隣接する都立浜離宮庭園

あるいは「豊洲移転」は自民党が勝手に固執していたから争点に見えていただけなのかも知れず、マスコミがしきりに報じて来たので「争点もどき」に見えてはいたが、都民の大多数には関心が薄かったのでは、という指摘もあった。

まったく無関心でもあるまいが、都議選の主な争点だと言われれば、確かに大いに違和感はある。ほとんどの都民の生活には、直接の関係はないと言われればその通りなのだ。

それに豊洲への移転を迫って「決められない知事」と自民党が小池を批判したつもりでいたのは、昨年の11月の予定だった移転を小池知事が延期させるに至った経緯を忘れたのか、それとも無視したのか、小池都政がこの異常性に気づくまで放置して来た都議会与党としてあまりに無責任かつ手前味噌な話であり、どっちにしろ選挙の結果を左右する争点にはならなかったか、争点だというのであればむしろ小池百合子/都民ファーストの会に投票する追い風になったと考えた方が合理的だ。

だいたい、石原慎太郎都知事とその都議会与党の自民が公約した「無害化」の目処はまったく立っていない。

約束を守れないでおいて、「安全と安心を混同している」と、原発事故後の福島産の農作物への風評被害を批判するのと同じロジックを御都合主義で持ち出すのは、自民も晋太郎もあまりに無責任で言葉の重みの自覚がなさ過ぎる。

そもそも福島県の農業なら連綿とした歴史と農業を担って来た農家があり、そこへ原発事故の放射能被害があったのだから、その復興を応援するのとまったく意味が違う。汚染された農地を取り戻そうとする意志は尊いが、汚染が明らかな土地は市場の立地としてそもそも成立しない。

豊洲市場は「これから作る」計画だったのであり、好き好んで東京ガスの工場跡地に生鮮食料品の市場を作ろうなんていう根本の発想がまずおかしいのだ。

それに福島県の農業についての「絆」「食べて応援」などという政府系のプロパガンダはまったく効果がなかったし、むしろ最初から風評被害の被害当事者である農家の意識とも、まるでかけはなれていた。そして福島県で風評を多少は払拭できて来たのは、農家が放射性物質の特性を勉強し、高額な測定器まで購入して検出限界以下を目指して来た、ひたすらその意地と地道な努力の賜物だ。

現実に、今や福島県の農作物は全国でもっとも厳しく放射性物質がチェックされていて、出荷されるのはほとんどが基準値以下ではなく検出限界以下となっている(つまりデータで見る限り、むしろより安全なはずだ)。 
それでも福島の農業が商売として、産業として成立しているかと言えば、未だとても難しい状況にある。

それに対して豊洲新市場が汚染土壌に建てられているから危険というのが「風評」だとしても、その「風評」の払拭の手段は、ここに入る卸・仲卸業者にはない。払拭と信頼回復の手段を持っているのは東京都だけだ。

だから東京都がどれだけ責任を持ってやってくれるのかを見ていれば、都議会は石原慎太郎元都知事らを喚問しても、豊洲に決まった経緯も、なぜ当初方針にも設計にも反して地下空間があったのかの真相も解明できなかったし、専門家委員会も「無害化」の公約が達成できないいいわけもそこそこに、「科学的には安全」と繰り返しただけで、「風評」の払拭を放棄して「安心と安全を混同している」と世間一般に責任をなすりつけようとするだけで終わっている。

そもそも福島県の農業は元あったものを「復興」させる必要が農家にあるから頑張って来たのに対し、豊洲新市場に関してはそもそも都のずさんな行政の責任で、最初からここに移転なんてしなければなかった「風評」でしかない。

なにもハンディがあるところでわざわざ商売を新たに始めるというのは、経営判断としておかしい。

自民党は自由主義経済を支持する保守政党ではなかったのか? これではまるでスターリニズムではないか。

浜離宮は徳川将軍家の別邸で 明治以降皇室の離宮となり戦後東京都に移管された

なにかの計画を強引に進めるときに、その地元・当事者が分断するように仕向け、さらにその分断を煽ることで当事者(被害者)側コミュニティの力を奪ってゴリ押しを成功させるのは、自民党政権が使い続けて来た手口で、有名な例では成田空港がある。

昨今の沖縄の基地問題では、このやり口はさらに姑息さを高度化させている。当事者・地元・沖縄県民の分断の演出が無理ならば、ネット言論を利用して全国規模でそれを捏造する、ということまでやっている。

築地市場では、極めておおざっぱに言えば卸つまり大手は自民党側、中小の客商売の仲卸は築地の方がお客さんの信頼があるし立地的にも有利なので築地残留、という構図になっているようだが、都議会自民党はわざわざその築地市場の仲卸しの区画の視察にメディアを同行させ、「旧くて汚いじゃないか」とさんざんにその仲卸を侮辱する発言を繰り返した。

これが分断を煽る意図だったのか、単に呆れるほど傲慢で無神経で、本当にひたすら仲卸し業者を見くびって愚弄し差別しているからだけなのかは、よく分からないが、後者のように受け取られて当然である自覚が皆無だったのは、ちょっと呆れる。

豊洲移転を決めた時の石原慎太郎も、「汚い」「古い」を繰り返し、日本の科学技術を絶賛して清潔な最新鋭市場の意義を滔々と語っている。

こんな非礼な「不潔」扱いをされ続けては(築地残留派の仲卸がますます反感を強めるのは当然だ。それが分断を煽って移転を促進する狙いだったとしても、ここまでやれば空回りにしかならない。

最終的に発表された小池百合子都知事の方針が、そうした仲卸し業者が誇りとして来た築地の「伝統」に敬意を表し、築地を売却せず、市場の一部をそこに戻せるオプションを含んだものだったのは、まずこうして石原慎太郎以来、都の行政と都議会与党が作って来た分断を少しでも治めるために必要な政治判断だったし、その発表後すぐに都知事は築地に行き、土壌の「無害化」の公約を達成できていないこと(出来る見込みがないこと)について深々と頭を下げた。

築地市場の市場の仕組みの概略図

結果として基本方針が豊洲移転とならざるを得ないとなるにしても、だからこそその移転をスムーズに行うためだけでも、この判断は政治的に正しかった。現に自民党側が「玉虫色だ」「やはり決められない知事だ」「曖昧で無責任だ」とメディアも使って言い立てようが、結果から見れば64%の都民は騙されずに、地に足のついた評価をしたと言えるだろう。

というか、自民党が都政においても傲慢過ぎて、愚か過ぎたのだ。

今回の都知事選は最終的に「安倍不信任投票」となった、都政よりも国政の問題で自民党が惨敗した、という分析が主流で、落選・敗北した元議員のなかには党本部への恨みが募る者も少なくないかも知れないが、安倍が非難されたのと同じ傲慢さと手前勝手な体質、過ちを認められず謝ることを拒絶して突っ走る閉塞した自己中心主義は、都議会自民党も共有している。

浜離宮 六代将軍家宣お手植えと伝わる巨大なクロマツ

豊洲市場の問題は、メディアと世論の注目の中心になった汚染土壌対策だけではないことも、改めて確認しておこう。

都議会選が近づくに連れて「決められない都知事」大合唱に走ったあまり、メディアも忘れているのかもしれないが、豊洲新市場はやたらと金がかかって妙に最新鋭な割には、その最新鋭を注ぎ込んだら床の強度が耐震基準を満たしていないとか、仲卸セクションの区分けがターレットを使うには中途半端か狭過ぎるとか、果てはトラックの積み降ろしが最近の側面が開く荷台に対応していない、旧来の、後方の扉からの出し入れしかできず効率の悪いものでないと幅が足りない、などの様々な設計上のミスも、そのメディアが報じていたはずだ。

総事業費が7000億近く、建築費だけでも坪単価が150万という、同じレベルの高価な建築といえば黒川紀章設計の新国立美術館や、高級ホテルくらいしか思い浮かばない(と思ったら、今治市に建設中の加計学園の獣医学部が、やはり坪単価150万という凄い数字になっている)、公金を注ぎ込めるのをいいことにやたら高価格になっている。

なぜここまで高いのか?

かくも高価な「最新鋭」は運用・維持にも金がかかり、年間数十億レベルの赤字の試算が出ているのが豊洲新市場である。

建設開始と建設中に次から次へとその時点での「最新鋭」を盛り込んだプランとして肥大して来た結果、過重に無理が出るだけでなく建築費もそこまでかかってしまったのだろうか? アスベストの問題などは未解決にせよ、戦前の建築である築地で、同じ商売は十分に成り立っているのに、である。

元はガス工場という極端な汚染土壌の不適な立地だからこそ、そのデメリットを払拭するかのように「最新鋭で清潔」な超高級建造物にしようとする動機は分からないでもないが、だったら最初からそんなところに建てなければよかったのだし、しかも肝心の土壌汚染対策はまったく目標が達成できてない。

これで「早く決めろ」「決められない都知事だ」と都知事をなじって豊洲移転の早期決定を迫るというのは、あまりに一貫性がない。

築地場外市場は豊洲移転後も営業を続ける

はっきり言って、豊洲=築地問題は、進むも地獄、進まないも地獄の悪魔の選択でしかない。なのに拙速に「早く決めろ」と言うほどの無責任もない。小池百合子は「劇場型政治」と批判されて来たが、ここでは「劇場型」なら不利になる現実的で地道な判断を下しているし、結果からすれば都民有権者もそこは評価したことになる(出口調査で64%)。

そもそもガス工場、化学工場の跡地に生鮮食料品の中央市場を持って来るという判断が最初から分かり切った大間違いだった。

石原慎太郎が「日本の科学技術は素晴らしいから克服できる」とナショナリスティックな大見得を切ったたままその誤りを誤りと認められないまま(当初は東京ガス自身がこの土地の売却に反対していた)、あたかも見直し・後戻りの可能性が出てカリスマ都知事の判断の誤りが指摘されるリスクを封じ込めるかのように、都は建設費を肥大させ、当初の見積もりの甘さが祟って土壌汚染対策経費も膨れ上がり、それでも「誰かが決めたこと」の決めた誰かへの忖度で再検証もなにもできないまま、新市場の建物が出来上がってしまったところで後の祭り、となっているのが現状なのだ。

有権者の心を掴むキャッチフレーズ造りの巧い小池百合子流に言えば「昭和っぽい古い政治」が21世紀に入って、より巨大化してより派手にタガが外れて、制御不能なまま成し遂げられてしまった結果が、豊洲移転問題だとも言えるだろう。 
それが分かっていながら知事を責め立てたのなら、都議会自民党のタチの悪さも相当なものだ。

そうやって妙に「最新鋭」をてんこもりにした結果、今の築地と同規模の市場運用を想定した場合には年間数十億の赤字になるという試算が出ているのも、前述の通りだ。しかも築地と同じ規模の市場が存続できる見込みもない。

汚染土壌をめぐる風評(とも言えない。都が公約した「無害化」は現に失敗しているのだ)だけでなく、都心から遠ざかるだけでも、今まさに築地の商売を支えている顧客層(中小の料理店や小売り)にとっては移動距離が増えてしまう懸念もある。

端的に言ってしまうなら、豊洲に市場を移転したとたん、中央卸売市場の商売がみるみるうちに先細りになってしまうかも知れないことが、この移転問題の本質なのだ。

川瀬巴水 中央市場  昭和11(1936)年

市場の継続性だけを考えるなら、豊洲移転という石原時代の(結局は誰が決断したのかもよく分からない「なあなあ」でしかなかった)巨大な誤りだった判断はいったん白紙に戻し、築地再整備というのが、いちばんすっきりする解答だったのかも知れないし、筋は通るのだから、都民の信頼も回復できるだろう。

筋を通すことについては頑固というか金科玉条の共産党だけでなく、小池百合子だって本音ではそうしたかったのかも知れず、現に市場問題プロジェクトチームに、豊洲を売却・築地再整備という極端なプランも出させていた。

だがそこで現実の問題になるのはまず、これまで悪評のついてしまった豊洲新市場を売却できるのかどうかだ。

プロジェクトチーム案は生鮮食料品ではなく普通の商業施設なら使い道はあるかのような楽天的な想定もし、また住宅開発も考慮に入れていたようだが、今の建物のまま再利用を考えるにせよ、更地に戻して、というにせよ、これだけの巨大プロジェクトで変にリスクもあるものをやる企業が出て来るのかどうかは、率直なところ疑問も残る。

さらに都政として問題になるのは、7000億円もかかり、建築費だけで坪単価150万という巨大なムダをどう清算できるのか、だ。逆に7000億円もかかっていることが(そのまま損金になってはもったいないではないか、という有権者の庶民感覚も含め)、最初から問題だらけだった豊洲移転が小池都知事の登場までは都庁・都議会内でなんの大きな異議申し立てもなく進んでしまった最大の理由だったが、同じ問題が再び立ちふさがるわけでもある。

これだけの無駄を産んでしまった側の責任をどこまで追及できるのか、その責任がクリアにならなければ、「これは無駄でした」と切り捨てる正当性が担保できず、石原慎太郎とその後の2人の知事と、都議会の決めたことに従って粛々と計画を進めて来た都職員の立場もない(これが安倍政権だったら、そのテクノクラートを平然とトカゲの尻尾切りの犠牲にするのかも知れないが)。



築地が維持して来た、伝統芸的な長年の経験で培われた目で、魚の鮮度や味の良し悪しを見た目だけで見分けられる力が、ある意味すでに時代遅れになっているはずのこうした商売のやり方を支え、今やそこに極めてスペシャルな付加価値さえ産まれている。

また、これは業者にとっては迷惑ではあるものの、早朝のマグロの競りはちょっとした観光名所として外国人観光客にも人気だ。

こうした現状の築地の価値を、豊洲移転後も限定的にせよ維持できる機能として、築地市場にはすでに築地魚河岸が開設されている。

小池案の5年後に戻れるオプションを残すというのは現実的ではない、という批判は単純計算ではその通りかもしれない。だが豊洲が思った以上に(思った通りに?)うまく廻らなかったときに、本当に築地に市場機能の一部を戻すことは、現実に必要になるかも知れないのだ。

たとえば卸は豊洲で、そこで仕入れた仲卸が築地で小売りや料理店に、というのは一見非現実的に見えるかもしれないが、築地魚河岸は元々、多くの仲卸の顧客にとって豊洲が遠過ぎることを考慮して、そういう使い方を想定して作られたものだ。 
実際に廻してみればそういう流通・移送ルートは案外と速やかに確立できるものだし、また仲卸がいったん豊洲に移ったあとも、顧客のニーズを考えれば築地魚河岸を通しての商売も継続することになるだろう。 
そして豊洲ではどうにも商売にならない、となったら、再整備された築地で本格的に、というのであれば、小池の提案は非現実的どころか、極めて現実的な解決策になるかも知れない。

そのオプションを残しておいた方が、築地を売却してしまったところで豊洲はどうにもうまく行かない、さてどうしようかと、ほんの数年後にまた都政の頭痛の種になり得ることを考えれば、スッキリはしないかも知れないが、現実的ではある。

一方、巨大なお荷物である豊洲新市場について、小池都知事は羽田・成田の両国際空港との近さを立地上のメリットとしてあげていた。国内でも飛行機で全国から集まる食材や、国際的な輸出入を視野にいれるなら、確かにこの巨大なお荷物も新しい使い道は十分にあり得るのかも知れない。

むろん、それは今の世界的な和食ブームが今後も維持され、かつ日本の農産物・海産物の食の安全がきっちり維持されるなら、の話だ。失敗したクールジャパンなんてとっとと店じまいして、こうした日本本来の強み、世界的に日本人気を支えているものを守り振興することに、これからは国政も力を注いだ方がいい。


7/03/2017

「高支持率」のカラクリを自ら壊してしまった安倍政権



第二次安倍政権で安倍首相が返り咲いたのは最初、単にそれが自民党の政権だったこと、そして安倍晋三がその自民党の御曹司(祖父は岸信介)だったからに過ぎなかった。

政治主導を掲げて政権交替した民主党が、鳩山内閣の退陣の後は菅・野田と、財務省主導で国民に分かり易い説明を欠いた政策を押し進めて期待を裏切った。ならば最初から官僚機構との対決姿勢なぞ示さない、むしろ官僚にしっかり支えられた自民党政権でもなにも変わらないし、むしろ安定感はあったわけだ。

特定秘密保護法安保法制を強行採決したのも、言論の自由が危うくなったり戦争に巻き込まれる不安の一方で、「でもアメリカの要請ならしょうがない」ともなるのだし、現に「アメリカに逆らって普天間基地を『最低でも県外』と言っていた民主党政権はどうなったか」という比較例もあると、こうした2法案でもそんなに危うい誤りだとも思えなくなるのだろう。

実際、安倍内閣が高支持率を維持して来れたのには、外交で失敗しか実はしていないこと、とりわけ対米関係がどんどん悪化して日米の信頼関係が最悪になっていることを、マスコミが安倍に配慮して(ないし官邸の圧力と外務省ブリーフィングの鵜呑みで)隠し続けて来たからが大きい。

だが今回の都議会選挙で、党内的には安倍が「選挙に強い」と思われて来たその神話が、小池百合子にぶち壊された。

まず小池は安倍と違って本当に選挙に強い(戦い方を心得ている)のと、それ以上に、安倍が選挙で連戦連勝して来たのは投票率自体が低かった、つまり政治的な無関心が日本に蔓延し、不満票の受け皿もなかったからに過ぎなかったことが、いかに小池の人気があるとはいえ新人・いわば無名の「素人」が多数の都民ファーストの会が、その「素人」でも圧勝したことで証明されたのだ。

話を遡れば、2012年暮れになぜ民主党に自民党が圧勝したのかといえば、民主党政権が国民が「裏切った」からというだけでなく、むしろより重要なのが、鳩山由紀夫が対米従属も変える、官僚支配も改める、と公約していたのにまったくそれが出来ないままに、国民には、アメリカと霞ヶ関に潰されたように見えたからだった。

対米従属と官僚主義(それが自民党政権を支えて来た)が政権交替してもどうせ変わらないのなら、政権交替も強い野党も、必要がない。

民主党政権では大きな失政は特になかったし、政権担当能力なら実は自民党と大差ないか、それぞれの野党になった時の国会質問の中身を見れば、むしろ民主党(現民進党)の方が政策にも法制度にも明るかったりする。

それでも日本の政治がアメリカの言いなりで、官僚の力で統治が維持されることが変わらないのなら、政権交替可能な野党は要らないし、「対米従属を変える」などと考えそうな者に政権を与えるのはもっての他と国民がいわば「学習」した、現状を変えたりアメリカのご機嫌を損ねそうな党が与党ではない方が安心だけはできるから、自民党が返り咲き、高支持率を得て来たのだろう。

もっとも、今もなお大きな誤解が蔓延しているが、鳩山の退陣でもっとも焦ったのはオバマ政権だったし、近年で日米の政権間でもっとも信頼関係があったのは鳩山由紀夫とバラク・オバマだった。そもそもオバマと鳩山の政治理念が近いのだから当然であろう。しかし日本のメディアは、そこを必死で誤摩化し隠して来た。 
鳩山の退陣は「アメリカに逆らったから」「アメリカ政府の圧力」ではなかったし、少なくともホワイトハウスや国務省はこの政権をパートナーとして(子分・隷属者としてではなく)歓迎していた。普天間基地の県外移設も反対していなかったどころか、オバマ以前のブッシュ政権で既に、東アジアの安全保障上もはや不要となった沖縄海兵隊の撤退すら考慮されていた。 
ことオバマ政権は、軍縮によって軍の使う予算を減らしての財政再建を当初狙っていた。「最低でも県外」は鳩山とオバマの交渉であれば、国外つまり沖縄海兵隊の撤退すら十分にあり得ただろう。
鳩山を潰したのは政権の思い通りに基地政策が動いては困る霞ヶ関と、アメリカのなかでは予算を減らされては困る軍・国防総省の、それも在日米軍基地を利権として来た極東担当部門だ。だが日本政府に最大の影響力がある「アメリカ」とは、ホワイトハウスでも国務省でも議会でもなく、この極めて限定的な一部門なのだ。 
日米連絡会議というものがあることは知られているが、鳩山は首相になって初めてその実態を知ったという。 
アメリカ側がすべて軍人だったことに鳩山は驚いた(というか、そう聞いてこちらも驚いた)。
鳩山由紀夫は元は自民党の代議士であり、民主党で首相になる以前にも官房副長官として官邸に居たこともあった。そこまでの要職にあってもこの実態を知らされていなかったというのも、驚きだ。 
普天間基地の移設問題で鳩山が本当に闘っていた相手は、この隠蔽された秘密のシステムに牛耳られた統治機構としての、日本の官僚組織だったのかも知れない。鳩山が叩かれた「トラスト・ミー」発言も、実際にはこの文脈で出て来たものだ。
オバマが心配し、鳩山が「トラスト・ミー」といったのがアメリカ相手の交渉についてのはずがない(相手はそのアメリカの大統領だ)。もちろん日本側をどう鳩山が説得できるかの話でしかあり得ず、オバマもこの官僚機構を鳩山が抑え切れるのかに不安があったのだろう。 
その不安もまた、自然な流れだ。バラク・オバマはこの頃相前後して、広島を訪問し原爆投下を謝罪したい意向を鳩山政権に伝えている。鳩山由紀夫自身は歓迎したが、猛反対した外務省が勝手に断ってしまっている。

国民の目には、鳩山由紀夫はアメリカに逆らって普天間基地移設を目論んだから退陣させられたように見えたはずであり、続けて菅・野田の両政権は政権交替時の国民の期待にことごとく反するかのように、霞ヶ関、とりわけ財務省のいわば「言いなり」の財政再建を目標に据え、「税と社会保障の一体改革」が、国民に分かりやすい説明もなく決められた。

元々政権交替の大きなきっかけだった年金の問題も、あやふやなまま終わってしまった。

民主党が2012年暮れの総選挙に惨敗したのは、国民が民主党に裏切られたから、というよりも「日本の政治家はアメリカと官僚には逆らえない」といわば「学習」したからだったと言った方が、正確だろう。

民主党が最初は約束していたような、独立した民主的な新しい日本という夢さえ放棄してしまえば、自民党の政権でいいし、右翼の安倍ならば対米関係でアメリカに逆らわないだろう。

実のところその程度のことで選ばれた第二次安倍政権だからこそ、ずっと高支持率を保ちながらも、支持の理由といえば「他にいない」が常にトップであり続けている。

たとえば就任時のバラク・オバマや、今のカナダのジャスティン・トゥルードーのように国民に希望を与えて人気と期待を集める政治指導者が高い支持率を集めたり、人気は今ひとつでも盤石の安定感と地道な政策で、なんだかんだ言っても国民の信頼感を得ているアンゲル・メルケルとは、まったく違った「高支持率の安定政権」なのだ。


第二次政権になって安倍は4度の国政選挙で勝利して来たが、いつも選挙の直前に突然新しい政策を公約と打ち出しながら、勝ったからといってそれを中心政策に据えるわけでもなく、公約にほとんど出ていなかったことばかりを強行して来た。

安倍がちゃんと守った公約といえば、2度目の消費増税の先送りだけかもしれない。

公約にほとんど示されなかった政策では、安保法制ではさすがに激しい反対の声もあがったものの、通ってしまえばなんとなく「のど元過ぎれば」なんとやら、で済んで来たのはなぜか? 根本的に、国民が政治に関心を失っていた、というかアメリカと官僚機構の言う通りにしてくれればいいのだ、と半ば諦めて来たからであろう。

安保法制でも、国民はなんとなくそれがアメリカの意向だと思い込んでいたのだから、「アメリカの言いなりに自衛隊が海外派兵される」という論戦を野党が張ることはある意味逆効果だった。

果敢に、整然たる論理で民主党(民進党)や共産党が反対論を展開しようが、保守系の憲法学者たちこそが先頭に立って違憲であると指摘すれすればするほど、国民が「日本はアメリカに従い、官僚に統治される国であり続けた方が安心」と思い込まされている以上は、野党は政権奪取からますます遠のくことになっていたのだろう。

そんな「諦め」の証拠に、安倍が勝って来た選挙はいずれも極めて投票率が低かった。昨年には「改憲勢力2/3をついに衆参両院で」と言っても、自民党は得票数だけで見れば2009年に惨敗して政権を失った総選挙以来、支持はほとんど増えていない。投票率が低いので組織票的な固定票だけで「圧勝」出来て来ただけだったし、メディア、とくにテレビも消極的にこうした政権のあり様を支持して来た。つまり、2009年政権交替以前なら各局が党首を並べたテレビ討論を企画し、それぞれの主張や争点を報道して来たのが、第二次安倍政権になってから極端に減っている。街頭演説の映像などで一応選挙報道らしきことはやるが、野党の政権批判の肝心の部分などはなるべく放送していない。


だが今回の都議会選では、投票率は55.1%を記録した。前回の都議会選に較べれば、7.1%の増だ。もちろん浮動票が動いただけでは自民が負けると言っても40議席前後だったろうが、23議席という惨敗(それもほとんどが党落選上ギリギリで、逆に自民が共産党に競り負けた選挙区が8つもあった)は、出口調査によれば旧来の自民支持層が都民ファーストや、共産党にさえ投票していたことが大きな原因だ。

第二次安倍政権の「一強」は、そもそも国民の諦めの産物で、その国民の大多数が政治にまったく興味を失っていたのが、今年に入ってふと気がつけば、安倍というのは幼稚園児や小学生に教育勅語を暗唱させたがる虐待抑圧体質のとんでもない非常識なバカで、しかも汚らしい無責任な噓つきで、その閣僚や幹部はちょっとあり得ない非常識、さらにはかつての自民党ならあり得ない公私混同のえいこひいき野郎とバレちゃったのが、とくに先の国会の終盤からこの都議会選の直前に連発して起こったことだった。


加計学園と森友学園「えこひいき」スキャンダルでバレてしまったのは、「大きな間違いは犯さないだろう」となんとなく思われていたが故に支持率を維持して来た安倍政権(アメリカと官僚には逆らわないから、結果として日本の現状秩序は維持はされるはず)が、実はかつてなら絶対にあり得なかったレベルの「大間違い」というか、野方図かつ身勝手なデタラメをやらかし続けているらしいことだった。

森友学園問題で、超優秀なはずの財務官僚がなんとも不可思議で無理がある答弁を繰り返すのを見て、「なにか変だ」と思った国民も少しずつ増えて来たかも知れない。それが強権的になんとなくウヤムウヤに済まされそうになったところで出て来た加計学園スキャンダルで、安倍政権は致命的な誤りを犯す。

政権が文科省の内部文書を「確認できない」と言い張ったところで、「あったものはなかったことにするわけにはいかない」と出て来たのが、前川喜平・前文科次官だった。なんと安倍政権は、この超エリート官僚を人格攻撃で貶めることで事態を誤摩化そうとしたのだ。

これは二重の意味で重大なミスだった。

まず「出会い系バー通い」を騒ぎ立てて前川氏を中傷して信頼性を失墜させようとしたら、どんどん出て来たのが真逆の、ほとんど「いい人伝説」と言っていい証言の数々だった。「出会い系」もそこに出入りする若い女性の人生の悩みを親身に聞き、真剣に励まし、立ち直らせてさえいたというのだから、これでは菅官房長官の狙いは大外れである。

文書が報道機関(NHKと朝日新聞)や民進党に流れたこと自体を前川氏が漏洩元だと印象操作で決めつけて、以前に天下り問題で辞任させられたことの逆恨みしで出した「怪文書」として葬ろうとしたことが、ことごとく裏目に出てしまった。

前川氏の「いい人」っぷりにはとんだオマケがつく。 
これまで日本人の多くは、東大出のエリート官僚というのは冷酷で権力欲出世欲が強い、頭の固い権威主義者であって、しかしちゃんと仕事さえして行政を廻してくれてさえいればそれでいい、と思って来た。だが前川喜平氏は国家試験4位という超エリートでありながら、頭はいいが普通に誠実で真面目で普通かそれ以上に人情の分かる、ちょっとお人好しですらある「おじさん」だったのだ。

だが実はもっと大きな失策が、この隠蔽戦略にはある。

安倍政権が(実態はデタラメなのに)安定感がある、(実態は無能で無策なのに)実行力があると、なんとなく思われていたのは、安倍がというよりも、官僚機構が大きな間違いは犯さないだろうと思われて来たからだ。

なにがあっても(海外のテロ事件でも、大震災でも)安倍自身は「迅速な対応を指示した」と繰り返すだけだが、それでもあとは日本の優秀な官僚機構がちゃんとやってくれる、と日本人はなんとなく思って来た。

震災対応で陣頭に立とうとして、翌日にはヘリで被災地に飛んだ菅直人よりも、官邸で中身のない「迅速な指示」を出すだけの安倍の方が、「余計なこと」はやらないだろう、という消極的支持だ。

もっとも2015年1月のイスラム国人質事件では、すでに外務省を切り捨てようとしていた安倍は自分は動かずとも官邸主導でアンマンに派遣した中山外務副大臣を中心に強引に対応を進めようとして、惨憺たる結果に終わったが、この時は犠牲者への過剰なセンチメンタリズムをメディアが盛り上げてくれたおかげで、なんとか切り抜けることができた。

なにも民主党のように官僚機構と対立する必要もなかったのだ(どうせなにも変わらないのだ)と、安倍政権の4年くらいのあいだ、多くの国民が思い込んで来た。

ところが森友学園をめぐる質疑で出て来た財務官僚の顔を見ていてなんとなく分かって来て、そして前川氏の登場で明白になったのは、安倍政権が官僚機構に凄まじい強権を発揮して、横暴を繰り返して来たことだった。

これでは話が違う、というか、まったく安心できないではないか。


またもうひとつの安倍政権高支持率の「強み」というか、「他よりはマシ」と安心されて来た要素であった対米関係(とはいえオバマとの関係は最初から悪かった)も、昨年11月の米大統領選挙の意外な結果以来揺らいでいることは、メディアがいかに隠そうが(というかその切迫した努力が逆に作用して)、次第に普通の一般国民にも見えて来ているはずだ。

当選直後のトランプに慌てて会いに行ったのに、安倍政権が強力に押し進めたはずのTPPについて、トランプはそのほんの数日後に脱退を表明してしまった。

就任後の訪米・日米首脳会談も、フロリダのトランプの別荘に招かれた「特別扱い」のはずが、安倍がトランプと連携して対抗するはずだった習近平もそこに招かれ、トランプがしきりにこの中国主席との信頼関係をアピールしただけではない。

北朝鮮のミサイル危機が高まる中で、トランプはアメリカに代わって北と交渉してくれるであろう習に急接近し、思ったような成果が出なくとも(金正恩は中国の言うことを聞く気なぞ皆無であるか、少なくとも表面上は中国に従うように見えることは断固拒否し続けている)、「中国がベストを尽くしている」「習近平首席はいい人で、私は好きだ」とまでツイート等で連帯を表明する一方で、アメリカが北朝鮮とどう対峙するかについて日本が完全に蚊帳の外であることは、もはや隠しようもない。

トランプが安倍に「あらゆるカードがテーブル上にある」と言ったとき、日本のメディアは(安倍本人の期待に忖度して)米国が軍事行動すら辞さないかのように報じた。だが早々にマティス国防長官(これも日本メディアはなるべく隠そうとしたが、稲田防衛大臣との会談がアメリカに不信感しか与えなかったことは隠しようがなかった)が戦争なぞあり得ない、絶対に避けなければならないことを表明したところで、「あらゆるカード」が安倍の期待と真逆の意味だったことに感づいた人も少なくないだろう。

トランプはむしろ、自分が金正恩と直接対話することも、明らかに視野に入れている。というかトランプ本人はその気でいて、米国務省と国防総省がなんとか押しとどめようとしている一方で、交渉の出発点をどこに置き何を議論するのかのせめぎ合いが、米朝間で、そして米政府の内部でも続いているのが現状だ。

北朝鮮の危険性を煽るだけの日本の報道を見ているだけではそこまでは分からなくとも、都議会選とちょうど同時期になった韓国の新大統領・在文寅の訪米と米韓首脳会談の結果が安倍政権が国民に与えようと苦慮して来たイメージと真逆だったことは隠しようがない。安倍があれだけ親しさをアピールしようとして来たトランプは明らかに韓国の新大統領の方を信頼していて、米韓で合意に至らなかったこと(対北外交だけでなく、THAADの配備から経済関係に至るまで)をあえて共同声明に両論併記とし、米国が韓国の立場も尊重していることを表明したのだ。


そうでなくとも安倍があれだけ仲の良さをアピールしたトランプが、ロシアとのあやしげな関係を問われ政権危機にあることは、日本の新聞テレビも報じないわけにはいかない。ああも安倍が仲良くしようとし、そしてその仲の良さをアピールしたがり、メディアもその方針に忠実だった相手であるトランプは、どうも国際的にだけでなく、アメリカ国内的にもとんでもなく非常識で信頼できない、みだりに近づくべきでなかった大統領らしい。

いくら日本はアメリカの言いなりになっていればとりあえず安心、と思って来ていても、こんなトランプの言いなりになろうとする安倍の方針はさすがに危険なのではないか? しかも実際には安倍とトランプの「個人的信頼関係」どころか安倍が妙に下手に出て媚を売っただけ、トランプはひたすら下手に出るだけの安倍なぞどうせ言いなりになるのだから、わざわざ相手にする気もないと言わんばかりの態度だ。

アメリカの言うことを聞く政権なら日本はとりあえず安定し、安心できるから、「他に適当な人が見当たらない」ので安倍でいい、というもう一つの高支持率の理由も、あからさまにほころびを見せ始めている。

トランプに強引に解任されたジェームズ・コミー前FBI長官の議会証言が、日本国民にとって安倍政権が拒絶する前川喜平前文科次官の証人喚問とパラレルなものとして受け止められもした。安倍政権の下で、日本の政治はあまりに不公正になっていないか、という疑問がここでも広く一般国民に湧き上がっておかしくない。

安倍政権というのは、実は相当に危険に暴走した政権ではないのか、と遅ればせながら多くの国民も気づいてしまった結果が、「安倍辞めろ」「帰れ」コールであり、都議会選・自民23議席だったと言えるだろう。


さらに始末が悪いことに、こうしたスキャンダルが明らかになった時の安倍政権の対応が、日本人の道徳観では許容されないような、デタラメな汚らわしさまで暴露してしまった。

妻を通してあれだけ熱烈支援していた籠池泰典をいきなり裏切った上に(100万円の寄付を否定しようとムキになるのは、さすがにあまりに馬鹿馬鹿し過ぎた)、加計学園騒動となると今度はなんでもかんでも人のせい、それも文科省や内閣府の若手官僚に責任をなすりつけるのはあまりにひどかった。

そして「安倍の秘蔵っ子」はどうしようもなく幼稚な感情論に走るオコチャマなのに、自分の「秘蔵っ子だから」と無理矢理かばう安倍は、自民党内からも冷ややかな目で見られ始めている。

こんな身内だけが得する国の、いったいなにが「美しい国へ」だったのか?

極めつけは側近の都連会長は、ヤミ献金の誤摩化しの手口を堂々と記者会見で披瀝して「事実無根だ!選挙妨害だ!」って…バッカじゃなかろうか?

しかも、この下劣さはさすがに大手メディアはほとんど報じなかったが、下村博文都連会長はしかも、自分の元秘書の青年が都民ファーストから出馬したのを逆恨みして、その青年を泥棒でスパイ呼ばわりまでしてその「証拠」らしき「上申書」なるもののコピーを会見で配布していた。 
いったいどっちが選挙妨害なのだ? 
あまりに卑劣な上になにも学習していないらしい。内部文書の漏洩先を決めつけてその相手を人格攻撃したところで、文書自体の信頼性はなにも変わらないことは、前川喜平氏を貶めようとして失敗した一件で、嫌というほど学んだはずではないか?


不潔感しかなくなってしまった安倍政権と、昨年から勘違いした態度を続けてやはり不潔なおっさん集団っぷりを晒し続けて来た(思い返せば、以前にもセクハラ野次問題もあった)自民党都議団に対し、少なくとも小池と都民ファーストには、安倍とか下村とか萩生田官房副長官、山本幸三大臣みたいな汚らしいオッサンや、そのオッサンたち相手にプラトニック枕営業でえこひいきされているかわい子ぶりっこのオコチャマなおばさんは、ちょっと見当たらない。


小池百合子も本人は根本的に右翼的な思想の持ち主なのかも知れないが、それでも彼女には日の丸の小旗を振り回し、「あの人達に負けるわけにはいかない」なんて自国民に向かって叫ぶ総理に喝采する、アタマがおかしい敵意むき出しの変な支持層もいないか、少なくとも目立たない。

秋葉原の安倍演説では、「この人達に負けるわけには行かない」という安倍の暴言というか妄言以外にも、この政権の本質をいかにも象徴することがあった。選挙カーの上の演説席からよく見えるように広げられた「安倍辞めろ」の大きな幕の前に、つまり選挙カーからの視野を遮るように、「自民党青年団」ののぼりが並んだのだ。


選挙なのに、有権者にどう見えるのかは考えない。気にしていたのはこの「安倍辞めろ」が演説する安倍の目に入らないようにすることばかりだったのだ。

こうした政権の異様な体質は、自民党内の全体まですっかり毒してしまっているようだ。後藤田正純衆議院議員は「私自身が、自由民主党執行部はおかしくなってると感じたのは、私の安倍政権の反省についての街頭演説が、安倍批判をしたと、党幹部に伝わり私にクレームがきたこと」とブログに記している。

かつて日米開戦に至る歴史の流れのなかで、「これは勝てる戦争ではない」と客観的には誰の目にも明らかだったはずなのが、「そんな根性では勝てる戦も勝てぬ」と言わんばかりの雰囲気が政府や軍の内部で横行し、陸軍主戦派の主張が押し通される経緯があった。戦時中には日本軍が負け続けていることは「大本営発表」で国民に隠され、それでも「この戦争には勝てないのではないか」疑問を抱いただけで「スパイ」扱いされて「非国民」と誹られ、治安維持法で逮捕されることも少なくなかった。安倍政権は「戦前回帰」を目指しているとしばしば指摘されるが、こうなるとその戦前戦中の日本の出来の悪いパロディに近い。



都民ファーストの圧勝を「素人」とこき下ろしているヒマがあったら、自民党とその支持者は、反省すべきことがあるはずだ。そんな「素人」でも、安倍政権の4年半に毒されまくり、その異常性に無自覚なまま、なんでも他人のせいで愚にもつかない言い訳しか言えなくなっているあなた達よりは、はるかにマシなのだ。