最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/22/2009

「皆さんは死刑廃止に賛成ですか、反対ですか?」


Watch Death by Hanging (1968, Nagisa Oshima) in 娯楽  |  View More Free Videos Online at Veoh.com
大島渚監督作品『絞死刑』

大島渚のいかにも大島渚らしい挑発的なブラックユーモアと問題意識を叩き付けるこの映画の冒頭で掲げられた、昭和42年の法務省世論調査によれば、死刑廃止に反対は71%。最近の世論調査では質問の仕方がやや異なるが、死刑制度の存続に賛成は8割を超えている。殺人のような重罪は「死をもってしか償えない」というのなら、国家つまりその主権者たる我々国民が、たとえ犯罪者だとしても人を殺すことがなぜ許されるのか、どうにも論理的・倫理的な整合性をどうとったらいいのか僕には分からないのだが。厳罰で犯罪を抑止するというのも、「殺されるのがいやだから犯罪をやらない」というのでは随分と倫理レベルの低い話、人間を信用してない話に思えるし、まして冤罪だったらどうするんだろう?

昨日のTBS系列『ニュース23』でやってたのだが、刑事裁判に参審制で市民参加しているフランスでは、判決に参加する市民はまず刑務所の見学などを含む研修を受けるらしい。研修を受ける人に日本人の記者が「こういうことは日本でもやった方がいいと思いますか?」と質問された見学者が「absolument! absolument! absolument!」、「絶対に」と三度も繰り返しているのを、「やった方がいい」程度の字幕にしてたのはなんだかなぁ、と思うけど。

死刑制度がある日本では、やはり裁判員候補者は少なくとも死刑場の見学くらいはすべきでしょう。いや死刑執行に立ち会うのを研修に含めるくらいやったっていい。


なお年明けには東京国立近代美術館フィルムセンターで大島渚監督の回顧上映が開催されます。『愛のコリーダ』の(ほぼ)無修整版を「これが僕の最新作だよ。そう思って見て欲しい」とおっしゃってたのが、初日舞台挨拶の直前に倒れられてもうそろそ10年…。当時すでに一度倒れられて多少は言語障害が残っていたのに、雄弁な大島節は健在で、ずいぶんからかわれ、いじめられながら(笑)いろんなお話を聞かせて頂いたものだが…。

映画監督 大島渚
Nagisa Oshima Retrospective

上映作品リスト
スケジュール

12/19/2009

慶應大学で講演と『フェンス』上映




慶應大学(日吉)で、横浜の寿町に拠点をもうけてドキュメンタリーを撮る実習をやるそうで、その準備のためのワークショップを、というわけで12月22日(火)に当方の最新作『フェンス 第一部 失楽園 第二部 断絶された地層』(2008)を特別に先行上映し、「ドキュメンタリーの作法」について学生さん向けの講演をやることになりました。

10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭での国内初上映以来、首都圏では初の上映になります。学内でのイベントですが、別に非公開でもなく、この機会によろしかったらご覧下さい。





日吉映像フォーラム
第一回ドキュメンタリー・ワークショップ
『フェンス』上映と藤原敏史監督に訊く


本ワークショップでは、ドキュメンタリー作品の製作を目標として、ドキュメンタリーというアクチュアルなメディアについて理論的および実践的に学習していきます。初回は、気鋭の若手監督藤原敏史氏の『フェンス』(2009年山形国際ドキュメンタリー映画祭出品作品)を上映し、藤原敏史監督と映画批評家の杉原賢彦氏をゲストに迎え、逗子市の池子米軍基地問題を扱った上映作品について徹底的に議論します。

上映作品
『フェンス 第一部 失楽園 第二部 断絶された地層』  
  製作 安岡フィルムズ 羅針盤映画 製作協力 逗子市
  プロデューサー 安岡卓治 藤原敏史
  撮影 大津幸四郎
  音響監督 久保田幸雄
  監督/編集 藤原敏史
2008年 日本 第一部83分、第二部84分 デジタル(HD) カラー (DVD上映)

米海軍池子家族住宅を取り囲むフェンスそのものを執拗に撮り続けていくことによって、その存在の物質性を強く印象づけると同時に、そこに生きる人々の記憶の諸相を丁寧に記録することによって、フェンスの横断する森の生命力に比するものを人々の語りのなかから紡ぎだしていく、詩的なドキュメンタリー作品。 
藤原監督はとても自然にインタビュアーとして画面に映っていますし、何より特徴的だと思ったのは、何の気負いもない少し不器用なくらいのナレーションが入っていることなんです。そうした作家の等身大の身体性みたいなものによって、世界と真摯に向き合っていく。それがおばあさんたちの本当に魅力的なインタビューを際立たせていているように感じました。3時間あるのに長さを感じさせない、というよりも、時間を追うごとに彼女たちの語りが、藤原さんとの関係性においてたしかに輝きを増していくんですね。不器用さとないまぜの作家の真摯さみたいなものを、大津幸四郎さんの構えた画面のそこかしこから感じられるんです。いくつもの質の異なる時間軸が交差する中で、ひとつの場所についての物語が思考され語られていく。硬派なテーマなのに、観客を選ばない作りの映画になっています。」  萩野亮、「ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo」2009.12.1号 




監督ステートメント
作った人間としては、これを在日米軍をめぐる政治的な映画としては見てもらいたくない。この二部作は失われてもはや見ることのできない“ニッポンのふるさと”をめぐる、記憶することと、見られないことについてのものであり、僕自身が池子と直接関係のない人間であるにも関わらず、自分の極めてパーソナルな思いが、我々が見せるものと見せないもののすべてに、滲み出ていればいいと思う。

藤原敏史、2009年8月


ゲスト
藤原敏史(映画作家)
杉原賢彦(映画批評家、本学講師)

司会
佐藤元状(法学部)

日時:12月22日(火) 16時30分開場/16時45分開演(終了は20時を予定しています。)
場所:慶應義塾大学日吉キャンパス 独立館D404教室
主催:慶應義塾大学教養研究センター

12/14/2009

さすがに腹が立って来た

9月の政権交代以来、マスコミの報道が次第におかしくなって来ている。最近となるともう、ある種の意向が働いての露骨な印象操作の偏向報道としか思えない。

まず「日米関係最大の懸案」ということに半ば捏造の偏向報道の連日連発で持ち上げられてしまった普天間問題。この騒ぎ自体がある意味マスコミ報道が作ったもの、それを報道させているのは日々リークに余念がない外務省と防衛省の官僚なのだろうという推測くらいはすぐ着くのだが、報道する側の態度がこれまたいくらなんでもひどすぎる。

アメリカと対立することはアメリカのご機嫌を損じることになるのでいけないから、日米合意通りに辺野古沖に基地を移転するよう鳩山政権が決断すべき、という主張だけでも、いったいどこの国のマスコミかと呆れてしまうわけだが、先日驚いたのは「鳩山政権は日米同盟と社民党との連立のどっちが大切なのか?」と“アメリカの高官”とやらが不快感を表明したという報道。

そもそも論として、アメリカ政府関係者がそんなことを言い出したらさすがに「露骨な内政干渉」「アメリカの単独覇権主義はオバマ政権になっても変わってない」という批判が噴出して当然だろうに、そんな論調はまるでなし。

それにしても冷戦が終わって20年、アメリカ以外の先進資本主義国では社会民主主義系の政権が出来るのもごく当たり前になった現代に、「社民党」つまりSocialismが党名に入ってる旧・社会党だからってアレルギー発揮してる“アメリカの高官”ってどこの馬鹿かよ、と呆れて聞いていたら、なんと出て来たのはアーミテージ国務省副長官と、グリーン大統領補佐官…?

…って、オバマ政権じゃなくて政権交代で失職してるブッシュ政権の高官じゃないか。せめて「高官」と言えよな。こりゃ悪質な虚偽報道に限りなく近いよ、こうなると。

さらに驚いたのが、その発言の場が見るからに日本で行われたシンポジウムだったのに、主催者が誰かもまるで報じられない。あからさまに日米安保関連の利権に関わってるような団体が開いた会なのだろうが、防衛省の次官がそういう利権にまつわる汚職で逮捕されたのも記憶に新しいというのに、いたいどういう報道だよ。だいたいアーミテージなんていわゆる「共和党系親日派」、俗にいう「日米安保で食ってる連中」の代表格なのは日米外交を報じるにあたっての常識だろうに。

ホワイトハウス報道官が、自らはあえてアメリカ側の立場を発言せず、記者からの質問でやっと「我々にも立場がありますよ。以前に決まった合意があるので、それが立場です」と単に事務的に応じたことも、英語で聞いてればことさら特筆すべき発言でないのに、字幕と解説であたかも重大発言のように歪められて報道される。

訊かれたから答えただけ、自分から言ったわけではないという単なる事実、さらにはオバマ政権にとって普天間問題なんて日米政権においてさして重要な問題とみなしてすらいない現実は、決して報道されない。COP15で米政権がその問題で日米首脳会談を希望されても困ると言ったのだって、地球温暖化対策にアメリカも参加させることが重要な政権課題なんだから、そこでそんな話を持ち出されるても困るというだけの話だ。

オバマ来日の少し前に、沖縄で米兵によるひき逃げ事件があった。大統領来日前に非常に微妙な立場の司令官がわざわざ謝罪と捜査への協力を表明に当該の市の市長を訪問したことすらちゃんと報道しないのは毎度おなじみの風景ながら、そんな態度だからオバマが日本に24時間弱だけ滞在して中国に行っちゃったとたんに、アメリカ側は捜査協力すら渋り出すのもある意味、当たり前である。日本国民の命が奪われてる事件なんだから、首脳会談でアメリカ側に詰め寄るよう求めるのは日本の論壇として当たり前のことだろうに。

いったいなんなんだよ、と思ったら、今度は中国副主席来日で天皇が会うことになったことについて、宮内庁長官の下らん発言、というか倒錯としか思えない越権発言を針小棒大にとりあげ、「一ヶ月前」とかいう誰も知らないルール…ですらない、宮内庁のごく最近できた内規に過ぎないことをめぐって大騒ぎするのがこれまたおかしい。

小沢が激怒したのは、悪いけど小沢サンが全面的に正しいです。そんな宮内庁の言い分を正しいかのように報道するのは、「統帥権の独立」をタテに出来た旧大日本帝国憲法の欠陥を、今度は成文法ですらない曖昧さで正当化するのに等しい暴論に過ぎない。こうなると「天皇は象徴」とだけで曖昧にあえてすませた日本国憲法がかえってヤバかったのかな、とすら思えて来る。

この一連の報道における言外の言は、小沢訪中団への批判も含めて、要するにアメリカとの関係を悪くして中国と仲良くやるのはけしからん、っていう奇妙な理屈なのだろう、典型的な霞ヶ関の発想として

当の政権内では防衛大臣が完全に防衛省の役人とそれを取り巻く利権グループに取り込まれ、岡田外務大臣も日米安保にからむ密約問題を調査させながら、それとこの問題をちゃんと連動させられないのだから情けない。

バカな宮内庁長官は「天皇陛下は中立でなければいけない」って、内規をいいわけにしてその実中国の要人だから天皇に会わせないって言うんじゃ、それこそ典型的な政治利用じゃないか。

そもそも天皇が外国要人に会う「皇室外交」自体が、天皇の政治利用に他ならない。だからこそ国際親善程度にその役割を限定すべきであり、国際親善なら隣国の要人に会うのがなにが悪いんだか。ただの表敬訪問にしかならんだろ、どうせ。断る方こそ日中関係を犠牲にして日本を米国の属国にしておきたい連中の政治的スタントじゃないか。

日本の国益を考えるなら、どちらも重要な外交パートナーであり、どちらの国にとっても日本との関係が重要なのだから、そのあいだで絶妙なバランスをとるのは当然の話。とくに鳩山政権は日米安保の見直し・再定義を重要な政策課題にしている以上、多少はアメリカを焦らせるのは当然やらなければいけないことだ。

オバマのアジア歴訪の際のアメリカの新聞報道でも見てみればいい。アメリカはアメリカで日本が中国との関係を密接にし、そこでアメリカが取り残されることを極度に警戒している論調が目白押しだった。だからこそアメリカが日本との良好の関係のために妥協するように導くのも、当然の外交戦略に決まってるだろうに。一方で中国は日本にとってもアメリカにとっても最大の貿易相手国なんだぜ? まったく利害というものが考えられないのかよ、日本の「政治」の専門家さんたちは。

アメリカ側が一応強気のポーズをとるのは、これまでの日米関係で自民党政権と霞ヶ関は常に外圧、というかアメリカの圧力に弱かったからなのと、外交交渉である以上最初は強気のポーズをとるのが常識だからに過ぎない。

また今回の場合は日米安保の見直し・再定義がその先にあるからこそ、強気にしないと足下を見られるネタ、つまり日米安保のなかで密約を日本に強制した過去や、辺野古沖への移転自体がアメリカの国内法にひっかかる可能性があるから。あとアメリカ側の一部勢力として、つまり例の日米安保で食ってる連中んとって、当然ながら安保の再定義をアメリカ有利にやりたいから。「おもいやり予算」ですら事業仕分けの対象になるのだから、その点ではアメリカ、というか「親日派」の利害は確かに脅かされているし、国防総省を中心にそういう勢力はまだ残ってるわけで、なにしろホストネーション・サポートがここまで手厚い同盟国/米軍駐留国は他にないんだし、自衛隊の装備でもアメリカ企業がボロもうけしている一方で、日本の先端技術の力が米軍の兵力維持にも重要な役割は果たしているわけで…というのが在日米軍を維持したいアメリカ側の最大の戦略的理由、「アメリカが日本を守ってくれる」って、いったいどこから守るの? ってのがアメリカ側の現実的な本音なんだが…。

そんな事情はマスコミだって「専門家」なんだし分かってるはず、それを相手の政治情勢を冷静に分析もせずに(できるはずなのに)、ただひたすらここまでびびっていて、いったいどうするだろう?

オバマ政権にしてみれば、アフガン問題や地球温暖化対策と、大統領本人の悲願である核軍縮での方が、よほど日本の協力を求めているのに、民主党政権だってもっとはっきりと「国際協調路線」を打ち出すべきなのだが、その辺りがかなり情けない。

鳩山さんもボンボンの強みで「そりゃ原案どおりなら誰も苦労する必要はないわけで」というわけで、これだけマスコミやらなにやらがわーわー騒ごうがどこ吹く風な態度を貫けるのはたいしたもんだが、自分の内閣をうまく制御できてないのはさすがに困る。

北沢防衛大臣がまったくのダメ大臣で、民主党次世代の期待の星だったはずの岡田さんも外務官僚相手に悪戦苦闘中だからって、肝心なのは彼らが鳩山さんの大臣なのだということ、外交である以上海外から見えるのは、日本で見るのと違って一人一人の大臣ではなく、あくまで鳩山政権、鳩山首相の判断に見えてしまうのだから。

オバマ政権もこの点についてはとくにイライラするし、それはある意味当たり前のことである。そんなところで弱みと取られることを見せてしまっては、外交はやってられない。

やっぱり小沢が首相になった方がよかったのかね。もっとも、だからこそ霞ヶ関官僚機構は、政権交代の前に小沢政権の芽だけは潰そうとしたわけなんだが。

11/17/2009

実は元特攻隊員、田英夫氏死去


前参議院議員で、その前にはベトナム戦争中に西側メディアで初めてハノイに入って取材(同時期に「メディア」ではなく政治映画でヨリス・イヴェンスと妻のマルセリーヌ・ロリダン、ロバート・クレイマーらのニューズリールや、後では女優のジェーン・フォンダなんかもハノイ入りしているが)、自民政権の圧力でキャスターを辞めさせられると今度は参議院議員選挙に立候補、社会党、社会民主連合、社民党で計6期を努めた田英夫さんがさる13日に亡くなっていたことが分かった。

「特攻隊」の生き残りについてのドキュメンタリー企画が数年前からあって、ぜひ一度お話を撮影させて頂きたかったのだが、こちらの出資がなかなか集まらず、田さんのご健康状態もあって実現せぬままでした。冥福をお祈りします。

11/16/2009

お天道さまありがとう



宗教とか神仏なんてまったく信じませんけど、ときどきこういうことが起るときは起るんだなぁ。

ただの自然現象の偶然に過ぎないんだけど。

ちなみに最後に右にパンするところで分かるように、人工照明は一切使ってません(見りゃわかるようにその場所がない)。もっとも、これだけの効果を人工的にやるならかなりの規模の照明部が必要だし、それだけカネかけても決してここまでキレイにはならないわけで。

11/10/2009

Robert Kramer (6/22/1939-11/10/1999)

ベルリンの壁崩壊二十周年の翌日は、ロバート・クレイマーの没後十周年だった。


http://www.windwalk.net/afterlife/sortie.htm

12年前にとったロング・インタビューがまだウェブ上で読めるようになっているので、今だからこそあらためて、ぜひ読んで頂きたい。


この惑星で、 生き延びるために トーキョー=ヤマガタ、ロバート・クレイマー インタビュー
Chapt.1, Chapt.2
Chapt.3, Chapt.4, Chapt.5




この20世紀の終わりに、本当に難しいことは、自分の考えで考えることだ。あらゆることが既存のチャンネルにあてはめれ、一般論で言えば、皆のために経済的な利益を生ずる方向へと収斂されてしまう。だからもしその外側にありたければ、極めて狡猾でなくてはならない。現在ある社会構造を避けて回り道を覚えなくてはならないし、誰が同盟者なのかを見極めなくてはいけない。

現代の映画作りで最重要な問題は、時間だ。なぜなら時間はそのまま金であり、だから自分のやりたい仕事をするのに必要な時間をどう確保するかが問題になるのだ。例えば『ディーゼル』のときの問題のひとつは、私がこのことにまったく気づいていなかったことだ。だから、撮影が終了したとき、題材の3分の1が未撮影だった。プロデューサーが残りも撮らせてくれると期待していたが、プロデューサーにしてみれば、そんなことは一瞬だって考えることがなく、結局映画はその部分が欠けたまま無理やりつなぎ合わせることになった。こんなことは二度と起こらない。自分をどう守ったらいいか、ずっとよく学んでいるからだ。一定額のお金があるとき、その二倍かかる映画を想像することは非常によくない考えで、始終時間との戦いに悩まされることになる。

例えば、今ではほとんど映画をうちのビデオで編集する、ビデオで編集を初めて、フィルムで完成させるのだ。理由のひとつは、私自身の給料は映画一本当たりのものだから、自宅でやっている限り、製作会社の出費になる編集者や編集設備を使わないので、好きなだけ時間をかけても構わないのだ。だから自分が映画をコントロールできていると感じてから初めて、実際の編集過程に入れるのだ。そう言うと、ビデオで編集なんて絶対にできないという人に遭遇する。それに対する私の答えは、確かにビデオで編集するのはフィルムで編集するのとは違う。だがビデオで編集することで、膨大なフィルムの中から何が必要で何が要らないかを見極め、必要なぶんだけラッシュをプリントすればいいのかを決めることができるのだ。これで金の節約になるだけでなく、製作会社から何週間遅れている、何カ月遅れていると催促される苦痛から解放されることができるのだ。例えば『ルート1』のような大きな映画の場合、私は3、4カ月はひとりでビデオで編集し、そのあいだに映画を理解することができたから、実際の編集に強い立場で入ることができた。

私にとって映画作りのイメージというのは、戦争なんだ。あるいはサムライのイメージ、軍隊の演習のイメージだ。自分を守らなくてはいけない。攻撃態勢でなくてはならず、さらに自分を守らなくてはいけない。一本の映画にどれだけ時間がかかるかを把握しなくてはいけない。今はよく、同じ連中と組むようになっているが、彼らは私のやり方を知っている。だから撮影スケジュールを見て、私がこれでいけるだろうと思っても、彼らが「いや無理だよ。君ならこの倍の時間が必要だ」と言ってくれる。私も「OK、君の言うとおりだ」というわけで、別のやり方を探すことになる。こうしたことすべてが、生き残りの戦略なのだ。




私は自分の傷つきやすさを感じて、生き延びるために立ち上がるような人間の方にずっと関心があるんだ。自分を守るために立ち上がる人。それは我々の大部分がこの世界でおかれている状況でもある--極端に、傷つけられる立場にあることだ。この世界は個人個人の欲求にいちいち心を配ってくれる場所ではなく、人間はただ定まった男である在り方、女である在り方にあてはまって生きるように求められているが、それは一人一人の本当の体験にとって正直なこととは言えない。たとえば父親の役割を要求されてるある人の、その内面が崩壊しつつあることだって少なくない。だから私の映画の人物たちが傷つきやすいというのは真実だ。彼らは「俺は知らない」と言ってしまう立場におかれているし、自分の置かれた状況のなかでどう行動したら分からないように準備されている。その代わりこの彼ら、いわばささやか人間たちは、ただその分だけより正直に生きようとしているのだ。

私は服従なんて信じない、子供の親の支配に対する服従とか。

これはときには、弱さに見えることもある。だが私の描く人物たちは傷つきやすいかもしれないが、弱者とは程遠い。そして自分たちの持つ力の多くを注いで、自分自身の尊厳を守ろうとしている。基本的にまったく尊厳とは無関係のこの世界のなかでね。

私は多くの映画に、本当の"人物"を見いだせない。見えるのは図式だ。ただ現在ある階級構造を甘受すること、性的役割分担をそのまま甘受すること。そうしたものを何か別のやり方で再定義しようという努力を映画のなかに見いだせないのだ。これは大ざっぱに言ってハリウッド映画と、我々の生きる世界との関係にも言えることだろう。炎の壁をくぐり、交通事故でも切り抜ける人々--さて現実には、私には交通事故や自然災害、暴力で傷つく人間しか見えない。これは実は、私がドキュメンタリーとフィクションの違いについて悩んでいることでもある。リアリティとフィクションの違いは、物語り形式を取るか取らないかに関わらず、現実の世界の在り方についてか、そうではないかだと思う。ドキュメンタリーでもまったく我々の生きる現実と無関係なものを作ることができるし、実際いつもテレビでやっているのがそれだ。

一方で、世界は大変急速に変化している。人々はいまや、伝統的な家族とは異なった様々な人間関係のなかに生きているのだ。たとえば日本では、テレビで見ていることと、実際の街で見ていることの違いは驚くほどだ。連続ドラマや、東京を映した映像にでさえ、実際に私が見ることとのあいだになんの関係を見いだせない。




シネマとは特別なものだ。ムーヴィーとは違う。我々の知っていた映画はまた、我々がどういう考え方をするか、世界をどう分析するかと関係があった。そしてあの手の大きな映画がまず絶対やらないのは、世界を分析することだ。世界について何か言ってはいるかもしれないが、基本的に最も強烈な印象だけを混ぜ合わせているだけだ。たとえば"愛"はこうした複雑な宇宙ではない、だれも愛のディテールにまで入って行く暇がないから、愛は"電撃"ということになる。暴力とはこういうものだ、権力とはああいうものだ、というように、単純なゲームのように将棋のコマを動かしていく----これは分析じゃない。そして人々は生活のなかで、分析をしようという忍耐をどんどん失って来ている。読書は減ってマンガを見るだけになり、テレビもまた分析とはなんの関係もない、 ただニュースや連続メロドラマ、ときたま映画を混ぜ合わせた自己満足的な映像の流れに過ぎない。その意味で、世界を理解することという映画本来の投企は、すでに死んでしまっている。

Q それでもあなたは、この世界をよりよく理解するために映画を作り続けている。

まだ作ろうとしているし、続けて行くつもりだ。自分はそのやり方を知っているし、自分の全能力を注ぎ込んでも、それをやり続ける立場を守って行くつもりだ。そして何が起こるかを見極める。それがこの人生をつかってなすべきことだからだ。まさにウォーク・ザ・ウォーク(笑)、人生の歩みを歩くことだ。

Q あなたの映画の一本一本が、映画の表現の上でも、世界に対する考え方の点でも、新しいこと、別のことへの挑戦になっているのではないでしょうか。それはあなたが常に今、現実の世界との関係のなかで映画を作っている以上、当然そうなるしかないことではあるのですが。

この世界で、誰であろうと人に、何か違うことをやって欲しいと思う人間はほとんどいない。"違うこと"とは普通--そして何よりも私の場合は絶対に--自分が何をするのか正確に、前もって言えないことだ。どのような物語になるか、どの程度の量のフィルムを使うかさえね。ああした映画は途方もないギャンブルなんだ。

ボブ・ディランの歌詞に「ハイウェイはギャンブラーのためだ、チャンスに賭ける者の」とかいうのがあった。後半は「偶然から手に入れられるものは全てを手に入れろ」だったかな。すべてがこの問題、どう歩いて行ったらいいかを模索すること、簡単ではない状況の中で生きるための別の道を探ることについて展開する。

人生は楽ではない。リスクはたくさんあり、まだ若くて、自分のキャリアが何であるか定まっていない者にとって、これは決して容易なことではない。若いということは、年上の人達のなかで自分のキャリアを切り開くことが深刻に限定されるということだ。だが君が自分のなりたいような人間になりたいと思ったら、そのリスクは受けて立たねばならない。
これが私が、本当に語りたかったことだ。

ここには大きな矛盾がある。私の映画は本当に若者達のためなのに、映画の形態は本当に若者達にとって分かりやすいものではない。この問題は私がずっと考えていることだが、その答えはまだ見つからない。私の映画はまだ若い世代、自分の人生について、自分の人生を変えること、自分の夢に生きることができるだろうか、など諸々の問題について真剣に考えている人々のためのものだ。だが一方で私は確実に年をとっていき、私の映画作りはある面で洗練されていっている。私の60年代70年代の映画は若者にとって取っ付きやすいものだったが、今ではその判断が見えない。

子供は親の世代が生きた経験を自分が生き直すべきなのか、すでに生きられた経験から何を学ぶことができるのか。普通、父と子の関係というのは、親父が「息子よ、俺の経験からいって、俺はこれこれこういうことを知っているから、お前はこうするべきだ」と始まる。だが私は、「我々がやってしまったことのこのひどい結末を見ろ」という立場にいる「お前は自分の道を自分で見つけなければならない」とね。同時に、私も私なりの経験があり、その知恵は伝えたい。だからこの関係にはまだ豊かな鉱脈があり、まだ私がその可能性を探り尽くしたとは思っていない。新しい映画でもまた始めようと思っている。

Q『マント』で息子的人物に当たる少年は、父親像にあたるあなたの人物よりも実は強いし、あなたたちが世界をめちゃくちゃにしたが、我々が戻ってくる、と言いますね。

まあね、それは・・・それは本当だと思う。これからがもう我々の世界ではなく、君たちの世界であることを期待している。ただしまだ確信は持てんがね(笑)




この10年、ないし12年で世界は大きく変わったはずだが、実はなにも変わっていないのか…。12年前の「説教親父」の言葉は今でも十二分に有効に思える。

説教親父…と未だについ冗談めかして言ってしまうのには、上に一部を引用した4時間に及ぶインタビューというか大説教(笑)以外にもわけがある。

このときの来日の後、クレイマーは二本の日本で撮る企画を考え始めた。その一本は戦後間もなく広島に軍医として駐留した父のことからインスパイアされた『Ground Zero』というかなりの大作。もう一本がとてもパーソナルな製作規模で日本の若者の現実をドキュメンタリーとジャン・ジュネにインスパイアされた象徴的なフィクションのあいだのスレスレの一線上で撮ろうとする野心作『Lust For Life』


実はこの企画のシノプシスで、初老の画家の「ユキオ」(もちろん三島を意識しての名前だと思うが)とはクレイマー自身のことであり、「The Boy」は僕がやることになっていて、二人がそれぞれにキャメラを持って二人の主観ショットだけの映画にする、という斬新というかめちゃくちゃなアイディアの映画だった(当時もスチル写真はやってたので、鍛えりゃムーヴィーも出来るだろうということらしい)。当時はまだ「自分は映画なんてまだまだ撮れるほど成長した人間ではない」と思っていて批評とインタビュー取材ばかりやっていたのが、まず「お前は映画批評なんて世界の動きから一歩引いた立場に居続けてはいけない」とかなんとかさんざん説教され…。って、でもすぐに「じゃあ頑張るわ」と言ってしまっていたわけなのだが。

1998年ごろにはずいぶんやりとりをして、時にはクレイマーから見て僕が言ったことの考えが足りないと思ったところを容赦なく、プリントアウトしたら5枚に及ぶ大長文で緻密に分析かつ指摘されたり。「説教親父」の面目躍如と言ったところだが、そんな体験が大変だけど面白過ぎて準備してたのが、ロバートがその遺作になった『平原の都市群』の編集中に突然倒れ、わずか一週間後に帰らぬ人になってしまったのが10年前の11月10日だった。

それから10年、世界は変わったのか? たぶん今みたいにSkypeとかあったら、長文の説教が届くよりももっと大変だったかも知れないけど…。でも『Lust For Life』が撮影にも入れなかったのは今もって心残りなことではある。

2001年の「ロバート・クレイマー特集」会場で、バール・フィリップスと筆者。バールはその後筆者のデビュー作『インディペンデンス』の音楽を担当。

11/08/2009

ジャン・ルノワール、自作を語る。

60年代初頭にルノワールが自作のテレビ放映のために撮影した一連のイントロダクションです。いろんな逸話や自身の映画への考え方を闊達に話してますが、ただし仏語版、字幕無し…(日本でDVD出すときにおまけにつけたりしてくんないもんかな…)。

retrouver ce média sur www.ina.fr
『ゲームの規則』

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『大いなる幻影』

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『フレンチ・カンカン』

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『素晴らしき放浪者』

retrouver ce média sur www.ina.fr
『ボヴァリー夫人』

retrouver ce média sur www.ina.fr
『黄金の馬車』

出所はフランスのINA。他の作品のイントロも含め:
http://www.ina.fr/recherche/recherche?search=jean+renoir&vue=Video

11/04/2009

山形国際ドキュメンタリー映画祭の20年

昨日はアテネ・フランセ文化センタークリス・フジワラによるアメリカ映画連続講義で、数年ぶりにロバート・クレイマーの『ルート・ワン/USA』を見ることができた。



恐ろしく美しい映画であるのはもちろん、僕にとって個人的にも親分(笑)であったことも含めてもっとも影響の大きかった映画作家の、恐らく最高傑作だというのに、4時間半におよぶこの大作が今回はとても疲れる映画であったことは正直に認めるしかない。5月から撮り続けて来た大阪での即興長編劇映画で身体的にも精神的にも疲労困憊で、撮影を一時休止するしかなくなったほど、疲れが溜っていることもある。山形映画祭に行ったら少し寒かったせいか風邪気味になったのがその後とんでもなく長引く風邪になって帰京後にぶっ倒れ、未だに咳き込んでは喘息みたいな呼吸困難になる症状がぜんぜん抜けないから体力的にキツかった、というのはもちろんある。

だが、それ以上に気がつけばまもなくロバート自身の十周忌(1999年11月10日没)、そしてこの『ルート・ワン/USA』がちょうど20年前の映画であること、そこに写っているアメリカという国の姿に、もはや耐えられないほどウンザリしてしまっていることが大きい。


二人の主人公のうち画面に見えている方のドク(ポール・マクアイザック、ちなみにもう一人の「見えない」主人公はキャメラを持っているロバート本人)が、10数年ぶりに戻って来たアメリカについて「なにも変わっていない。同じ内戦がいまだにずっと繰り返されている」と述懐するのだが、その20年後のアメリカは、オバマ大統領の出現でチェンジを始めたように見えて、やはりなにも変わっていないし、同じ内戦が未だに繰り返されているし、強いて言えば「テキ」側がもっと醜悪でもっと極端にそのぶざまさを曝け出していて、それが激化しているのかも知れないという程度だ。


言い換えれば、20年前の方がまだマシだったとすら思えてしまう。またインターネットなどのコミュニケーション技術だけは発達したおかげで、アメリカの本当にどうしようもない部分の意見とかが直に見えてしまうからますますそう思うのかも知れないが…。

自国の戦争や虐殺行為よりも「妊娠中絶」と「同性婚」は「神に反する」云々かんぬん、『ルート・ワン』の時代にはパット・ロバートソンを大統領候補として支持する教会のミーティングで南アフリカの反アパルトヘイト闘争を「黒人と黒人の争いが本当の問題だ」「共産主義の影響が」と笑っちゃうような議論が大真面目で論じられていたりするのだが、現代のアメリカでは「オバマはケニア人でアメリカ人ではない」「バラク・フセイン・オバマはイスラム教徒だ」「オバマはアメリカを社会主義国家にしようとしている」とか。


オバマ政権のどこが社会主義なのか、もう少し社会民主主義に舵を切らないとアメリカが崩壊するだろうとハタ目には心配になるほどだが、いやまったく、イラクとアフガンでベトナム戦争の過ちを繰り返していることにも端的に現れているように、あの国の愚かさの部分はまったく変わっていないか、ますます酷くなっている。もうその現実を見ること自体がウンザリして来てしまうのだ。

『ルート1』の音楽を即興で創り出したミュージシャンたち、バール・フィリップス、ミシェル・ペトルチアーニ、ピエール・ファーヴル、ジョン・シャーマン

だが今日の久々のブログの本題はこの「アメリカにうんざり」話ではない。

『ルート・ワン』が20年後の今でも日本語字幕入りのプリントが日本にあって上映できる(ちなみに20年経ったとは思えないほど、保存状態はとてもいい)のは、これが1989年、20年前の第一回山形国際ドキュメンタリー映画祭のコンペ出品作品だったからだ。


それから20年の、今年の第11回の山形映画祭「ニュー・ドックス・ジャパン」部門『フェンス 第一部 失楽園/第二部 断絶された地層』を出品したのだが、いささか個人的な恨み節というか自慢話の自己満足になりかねない話ではあるけれど、台風一過で遅れに遅れた新幹線でなんとか山形に行ったその晩に、さる映画祭関係者に「本当は藤原さんの映画はコンペに入れるべきだったんですけどね」と言われた。その時にはあまり意味が分からずに、お世辞としてありがたく拝聴していたのだが、映画祭が本格的に始まってみてその人が言いたかったことがよく分かって来た気がする。

地元だけでなく日本各地からも集まった若いボランティア(久々に再会した畏友ハルトムート・ビトムスキーにアテンドしてたドイツ語ができる女の子が、日本語が関西弁なのにびっくりしたとか)が熱心に働いていたり、2003年まで映画祭のメイン・スタッフだった小野聖子・アーロン・ジェロー夫妻のご子息イアン君もボランティアで客の呼び込みをやっていたり、予算が制約されているのならそれで手作りで映画祭を盛り上げようと言う熱意が手書きの上映告知看板などでそこかしこに感じられるにも関わらず、なんだか盛り上がらずに中途半端で、あまり興奮しない映画祭になってしまっているのだ。

 2001年審査員作品、ハルトムート・ビトムスキー『B52』(抜粋)

いろんな意味でこの映画祭の役割は曲がり角に来ているのは確かだ。20年前にまだデジタルビデオなる便利な映画作りの道具が登場する前(山形のコンペで初のDV作品は、97年のジョン・ジョストの傑作『ロンドン・スケッチ』)、映画作りの手段がないアジアの映画作家を応援するというわけで始まったアジアの若手プログラム、「アジア千波万波」は、アジアの映画とくにドキュメンタリーが今では世界のドキュメンタリー映画の台風の目となり、山形でも中国の王兵(ワン・ビン)とかタイのアピチャッポン・ウィーラーセタクンらがコンペ部門で高く評価され続けている今、ほとんど役割を失っている。というか、必然的に「誰でも映画が撮れる時代にアジアでも映画を撮ってますけど、ビデオなのも含めて映画として中途半端」な感じの、そこまでの才能や情熱があるわけではないプログラムにしかなり得ないだろう。今や「アジア映画」を保護育成するのでなく、世界レベルで評価するのがほとんど当然の時代なのだから…と思ったら今年のコンペは、ものの見事にアジア映画がほとんど入ってない。

いやそれよりも問題なのは、コンペだけでなくアジア部門でも、かつて山形を世界でも有数のスリリングな映画祭にしていたような映画、ドキュメンタリーについての既成概念をゆさぶり、映画とはなにかという問いをぶつけて来る、たとえば『ルート・ワン』や『ロンドン・スケッチ』のような、「映画とはなにか」を豪速球で問うて来る野心作や、ドキュメンタリーにおけるインタビューの意味を再定義することで「事実」そのものの信憑性を覆し続けるエロール・モリス、いつも同じ方法論のようでいていつも驚愕する他はない映画的知性と完成度にみなぎっていて、だからいつも新鮮なフレデリック・ワイズマンの新作であるとかに匹敵するような映画が、まるで意図的に排除されているとしか思えないのだ。『パリ・オペラ座のすべて』の日本公開が決まってるからと言って、山形で先行上映したっていいじゃないか。いや、山形のプログラムが変に保守化して来たことに気付いているせいか、ワイズマンは『州議会』も山形に出品する前に日本で上映できるようにしてしまっていた。逆にかつて『コメディ・フランセーズ 演じられた愛』が山形への出品をきっかけに劇場公開になったのとはすっかり様相が変わり、もはや山形なんて関係なくワイズマンのこの新作はヒットしているようだが…。

 1999年コンペ出品のワイズマンの傑作『メイン州ベルファスト』

現代映画である以上、完成された方法論を見せつけるワイズマンの映画ですら(…というかワイズマンの場合その方法論それ自体が)、「映画とはなにか」という問いを必然的に浮上させることになる。とくに「現実にキャメラを向け、切り取る」というお約束があるドキュメンタリーにおいては、我々の世界におけるリアリティとはなにか、リアリティとは現代においてどのように認識され、それを映画という必然的にフィクショナルな再構成を含むメディアで表象するとはどういうことなのかを、映画を作ろうとする以上常に意識しなければならない−−90年代において山形映画祭はそうした現代映画の最前線の映画祭であり続けていた。

ところが今年の山形映画祭では、アジア部門では王兵やアピチャッポン・ウィーラーセタクン、あるいはジャ・ジャンクーがすでにやって来たような新たな映画のフォルムにおける挑戦の焼き直し(その模倣をやればヨーロッパの批評家中心にウケることを、中国や東南アジアの若手はしたたかに見抜いている)か、今さらなにをと言わんばかりに、手持ちのビデオキャメラでただ対象をおっかければいいみたいな安易な「情熱」だけの映画か、現代アートの駄目なビデオインスレーションめいた一発ネタ的で本質的な創造の意思が欠如したような作品がほとんどだし、コンペに至っては…。もしかして今年の山形に選考に関わった人々は、ヨーロッパや北米大陸が未だに世界の「最先端」であってアジアや日本が世界映画の発展途上国であるかのような植民地主義的幻想に,未だに足を引っ張られているのだろうか?

2001年コンペティション作品、アピチャッポン・ウィーラセタクン
『真昼の不思議な物体』


「世界のドキュメンタリーの最先端」ねぇ…。最近の傾向としてヨーロッパやカナダを中心にテレビ局がドキュメンタリー映画製作の重要なスポンサーになっているのだが、だからってこのコンペティションの選考はいったいなんなのか? どうせテレビのドキュメンタリーやるんだったら「NHKスペシャル」の方がまだ、ちゃんと丁寧にリサーチして真面目に作ってるじゃん(というかコンペ出品の一本はもともと、NHKにしては粗製濫造感の強かったハイビジョン特集の合作番組だし)、と言いたくなるような作品だらけではないか。

これでは山形国際ドキュメンタリー「映画」祭には見えない、「国際ドキュメンタリー番組祭」じゃないか、とあえて言ってしまいたくもなるほど、テレビ的なフォーマットの作品の数々は、うちでテレビで見る分にはうっとうしいほど下品な音楽の使い方でもそう気にならないだろうが映画館で2時間凝視するには退屈すぎる。

 99年コンペ出品、エロール・モリス『死神博士の栄光と没落』

どうしてこうなるのか、その内幕事情はさっぱり分からないが、いったいあの90年代のとんがった、コンペは世界映画の最先端を行き、アジア部門は未来を先取りしていたようなプログラミングは、いったいどうなってしまったのか? どんなに「熱意」で頑張っても、映画祭のクオリティは出品作品と、その選考の背後に映画祭側が匂わせる、その映画祭の個性、というかほとんどその映画祭の映画哲学と呼んでも差し支えないものによって決まる。それは表層的で杓子定規な「選考基準」などで言語化したりできるものではなく、ディレクターと選考委員の個性と感性と知性によってこそ、映画祭の価値は決まるのだ。その山形映画祭を山形映画祭たらしめていた価値を、今年の山形はほとんど見失ってしまっているように見える。なるほど確かに、こういう山形だったら、『フェンス』のような映画がコンペだとかに入ることはあり得ない。出来不出来はともかく、これが山形映画祭がもっとも輝いていた時代の精神を引き継ごうとし、実際に山形をエキサイティングにしたワイズマンとかクレイマー、ジョストであるとかソクーロフ、エロール・モリス、21世紀に入って王兵とかペドロ・コスタであるとかに刺激され、吸収されたものを相当に反映していることもかなりあからさまな映画で、なおかつ徹底して「アジア的」、というか東アジア的な映画であるからこそ、ああいうコンペだとかではおよそ場違いな映画にしかなり得ないだろう。

   2001年コンペ出品作 ペドロ・コスタ『ヴァンダの部屋』

実をいえば昨年の正月にすでに、飯塚俊男さんの『映画の都ふたたび』の東京上映にかこつけて、山形国際ドキュメンタリー映画祭の今後についていささかの危惧をこのブログで書いているのだが、その時に想定した以上にとんだ曲がり角での失速が起ってしまった気がどうしてもしてしまう。では20年間にわたって山形の文化政策としてドキュメンタリー映画祭をやって来た意味はいったいどこにあるのか? こういっては山形市民に失礼ながらあえて言おう、結局は保守的な田舎者が田舎者であることから一歩も出られず、「国際映画祭をやるということ」の意味を勘違いしたまま20年が経ってしまったのではないか? 

どうも「国際」とか「海外」に強烈なコンプレックスを持ち続けている日本国の、そのなかでの地方都市というか田舎となると、「国際映画祭」とは世界のいろんなことが日本の片田舎にいる自分達に紹介される場なのだと思い込んでいはしないか? 田舎田舎といい加減失礼ながら、それってすさまじい田舎者根性、「世界の素晴らしいものをフィリピンの貧しい民に紹介する」と外遊しまくったイメルダ・マルコスのお土産外交並にダサい話だ。

山形で国際ドキュメンタリー映画祭、それも90年代から21世紀の初頭にかけてやって来たこととは、「山形から世界に文化を発信する」行為であったはずだし、現にとてもスリリングにそうなっていた。山形映画祭は今後もそういう映画祭でなければならないはずだし、それが山形の人々の誇りにもなり、明治以降の中央集権のなかで単なる片田舎に貶められてしまって来たアイデンティティの回復の一翼を担うことにもなり得たはずだ。だが悲しいかな、肝心の山形の人々がそういう「田舎者からの脱却」の意思、日本文化の東京中心の権力構造をひっくり返すような意思なんてまるで持とうともしないまま、20年が過ぎてしまったのではないか?

     2003年のグランプリ作品、王兵『鉄西区』

一方で山形映画祭に行くことを「自分は映画通である」というステータスにして来た観客の側にも、問題は大きい。20年やっていて彼らが山形映画祭の観客の主流であり続けて来たのなら、別に山形が自民党の支持基盤の東北地方の農業地帯だから保守的なだけでこうなってしまうわけではあるまい。そこに通ってる観客もまた20年のあいだに山形詣でが惰性になり、感性が鈍化して保守化し、山形で「映画とはなにか」という先鋭的な問いにエキサイトしていた時代をすっかり忘れてしまってはいないか?

自作のことを持ち出すのは自己満足みたいで恐縮なのだが、『フェンス』はある一定世代以上の日本人にとって常識だとしてもたとえば僕の世代だって普通は知らないようなことを、あえて「当たり前の前提」として説明は一切しない映画にしてあるのだが(映画とは説明のためのメディアではないはずだと頑固かつ純粋主義で思い込んでいるもので…)、初の国内上映であった山形では、むしろ山形の一般市民であろうお客さんの方が適確に映画の構成とか仕掛けを見抜いていたし、とくに若いお客さんの反応が、映画をちゃんと見て自分なりの理解(見る人によっていろいろ考えられるようにあえてしている、こちらの「メッセージ」は表立っては主張しないのが僕の映画の常なので)をしてそれなりに評価してくれていた。

その一方で、20年間やってる惰性になるとわざわざ通ってる観客(というかセミプロ、プロ観客)まで感性が鈍化してくるのか、いわば「常連」さんたちからのまあいろいろ間の抜けた「批判」はけっこう聞かされたた。たとえば池子基地で戦後間もなくあった爆発事故について、「土本の弟子なんだから新聞記事を引用すべき」だとか、調べなかっただろうとか(唖然)。誰が土本の弟子なのか知りませんが、池子問題については逗子市が音頭をとってすでに分厚い網羅的な資料集を発行していて、そういう記事も簡単に見つかるのだが、この映画がそもそも大文字の歴史の政治性の偽善にむかって個人の記憶の人間性で立ち向かおうとしている映画だと気付いてもいないとか、お笑いにもならない。

    藤原敏史『フェンス 第二部 断絶された地層』

なんで僕が土本典昭の真似をしなきゃいけないんだか、意味が分からん。土本を尊敬するにせよ映画についての考え方において必ずしも影響を受けているわけではない、むしろ意見が違ったりするからこそ、あえて土本が自分のポートレイト・ドキュメンタリーの演出に僕を推薦したことも気がつかないんだろうか? そういえば死んだとたんに土本を神格化するかのような空気が蔓延するのも、ちょっと気持ち悪く、『フェンス』の撮影監督・大津幸四郎と「我々はお呼びじゃないみたいだね」と隠れてたりしてたわけだが。

あとこれも土本の真似をしろってことなんだろうけれど、地図を入れろとかって、米軍基地が柵の向こうに垣間見えるものでしかない、「見えない」ものなのがキモだというのに、地図でなんとなく分かったつもりにされてたまるもんか。それこそ個人の記憶、個人の体験なんだから地べたを動くだけの人間の視点だけで、フェンスの向こうに隠されて見えない風景をこそ、意図的に撮っているというのに。

というか、『フェンス』という映画自体を「見えない」こと(米軍基地が機密によって見えないだけでなく、だいたい過去についての映画であり、過去である以上現在においては見ることができないし、その過去の個人個人の体験については記憶しかない)と「語れないこと」(たとえば戦後間もなく、黒人の工兵部隊が配置された池子で、地元住民にどんな被害があったのかは、誰も直接には語らないし、語れることでもない)をこそ、そのフォルムと構造・構成の基本に置いているのは、あからさまなのに。そこで「映画で見せること、語ることとはどう言うことなのか?」という問いを必然的に内包した作りになっているのは、それこそ「見りゃ分かるだろう」レベルの話だと思うのだが…。

20年間やってるとわざわざ通ってる観客(というかセミプロ、プロ観客)まで感性が鈍化してるのだとしたらそれも危惧すべき問題だ。自分の映画のことだと自分の作り手の思い込みで話が歪んでしまうし自己満足になりかねないので、コンペ作品で「これなら山形でやって当然だ」と思わせてくれたたった二本の作品を例にあげてみよう。


         アヴィ・モグラビ『Z32』

まずアヴィ・モグラビ『Z32』で主人公とその婚約者の顔が常に凝ったデジタル処理で隠蔽されているのが、現代のメディアで多用されるモザイク匿名処理のパロディであることすら気付かないとか。

      ハルトムート・ビトムスキー『塵 - ダスト』

ビトムスキーの極めてパーソナルながら、それだけに突き詰められた傑作である『塵ーダスト』が、人間の営みとその文明の虚しさをこそつきつけている、その哲学的なレベルがあることにすら、まず考えが及ばないとか…。

どっちも皮肉と逆説たっぷりなことくらいは、好き嫌いに関わらず最低限気がつくべきだろうし、その皮肉がイヤだから嫌いだというのなら分かるのだが、笑いすら起らないんですからいったい映画の何を見てるんだか、というのが今年の山形映画祭の全体的雰囲気を象徴しているように思えたわけである。



それにしても「映画とはなにか」と同時に「アメリカとはなにか」を先鋭的に問い続けてその本質をみごとにえぐった『ルート・ワン』の20年後、山形国際ドキュメンタリー映画祭のグランプリが、チョムスキーなどのインテリが新自由主義を批判するインタビューをただ繋げただけ、現代の北米大陸を代表するインテリたちが書いている言葉ほどには人間的には魅力的でなないことを確認させて頂きながら「本にしてくれた方がよかった」程度の、さしたる知的・感性的な突き詰め方もなければ映画にした意味がよく分からない映画に与えられるとは…。

これだけ書いてしまったら当分出入り禁止かな、といってどうせ二年後の次回の映画祭までにドキュメンタリー新作を仕上げるなんてことはまずあり得ないので、あえて山形国際ドキュメンタリー映画祭の今後のためにも、厳しいことを書きまくった次第です。

10/05/2009

溝口健二『元禄忠臣蔵』より


内匠頭切腹の場面。圧倒的な美しさにして知的な残酷さに溢れたクレーンショット。源五右衛門の前で閉じる門、門が閉じて初めて感情を露にできる源五右衛門というのが、凄い。

(フランス版DVDの宣伝用抜粋。なかなかの画質)

今日の午後はこの溝口の呪われた大傑作についてfacebook上でシャルル・テッソン氏と論じあっていました。

10/02/2009

山形国際ドキュメンタリー映画祭2009

『フェンス 第一部 失楽園 第二部 断絶された地層』の山形映画祭(10月8日〜15日)での上映日程が決まりました。


10月11日(日)
午後5時45分より

会場:山形市民会館 大ホール
   (山形県山形市香澄町2丁目9−45)

会場地図はこちら


もちろん国内では初の公開上映、ジャパン・プレミアになります。舞台挨拶&質疑応答つきですので、僕も当然顔を出します。てなわけで山形でお会いしましょう。


当日は親友にして師匠?のハルトムート・ビトムスキー監督の最新作『ダスト ―塵― 』から駆け足の移動になりそうです…。

    『ダスト ―塵― 』ハルトムート・ビトムスキー

9/17/2009

イスラエルから、お笑い系政治闘争映画?

アヴィ・モグラビ監督が映画作家本人とプロデューサー、さらに妻の三役を演ずる『8月 August』(2002)

アヴィ・モグラビ監督作品『Z32』山形国際ドキュメンタリー映画祭のコンペティション部門に出品される(傑作!)のに合わせて、東京日仏学院で同監督のこれまでの軌跡を追う特集上映が開催されます。

アヴィ・モグラヴィ特集

2009年10月02日(金) -2009年10月03日(土)
東京日仏学院エスパス・イマージュにて

上映作品:
『ディテール11、12、13』
『8月、爆発の前』
『待って、兵士たちが来た、もう電話を切らなきゃ』
『わたしはいかにして恐怖を乗り越えて、アリク・シャロンを愛することを学んだか』
『二つの目のうち片方のために』
『国外追放』
『ハッピー・バースデー、Mr.モグラビ』
『リリーフ』
『アット・ザ・バック』

後援・協力
Culturesfrance
アヴィ・モグラヴィ
ドック&フィルム インターナショナル
ロザンジュ・フィルム
在日フランス大使館
山形国際ドキュメンタリー映画祭


http://www.institut.jp/agenda/festival.php?fest_id=67

おもしろいですよ〜。

        アヴィ・モグラビ、NYにて。

9/15/2009

女が女であることの、人間性の揺らぎ、哀しさ、そして悶え〜ソクーロフ『ボヴァリー夫人』



「私は今も世界に数多くいるエマたちのためにこの映画を作った」
〜アレクサンドル・ソクーロフ




ソクーロフはめったに“女”を描いて来ていない映画作家だ。彼の映画はむしろ男性の“男らしさ”のゆらぎ、その弱さの瞬間にたち現れる人間としての繊細さをフィルムに焼き付けたいという、その欲望をこそすべての出発点にして来たように見える。我々が見て来た彼のフィルム群のなかで女性といえば、デビュー作『マリア』のロシアの大地を踏みしめる農婦を例外とすれば、『ドルチェ』、『チェチェンへ アレクサンドラの旅』、『エルミタージュ幻想』の女帝エカテリーナに代表される老女たちであり、その年輪を積んだ人間的な叡智を、彼は丹念に写し取って来た。

『モレク神 Moloch』1997

一方で、女性がもっとも“女”である年代と言えば、政治的怪物と化したヒトラーをそれでも人間の男として愛することをやめない『モレク神』のエヴァ・ブラウンくらいしか、これまで思い浮かばなかった。

「女が女である」、この優れて映画的な主題が、なぜこの映画こそが自分自身の生そのものであるかのような純粋映画作家のフィルモグラフィから欠落しているように見えて来たのか? その問いへの答えがついに明らかになる。旧ソ連の崩壊期、ソクーロフにとって30代後半の、若手の鬼才から成熟した真の芸術家へと脱皮しようとしていた時期に撮られながら、体制移行期の混乱の最中だったせいか、あるいは彼自身がそのバロックな凶暴性を封印して来たのか、“幻の映画”になっていた『ボヴァリー夫人』を、20年の老成を経たソクーロフが、再編集の手を加えて最新作として再び世に出ることを許したのだ。

「泰西文学」というような言い方が昔はよくされたわけで、フロベールの『ボヴァリー夫人』もそういった教養的なくくりで読まれて来たのだろうし、ニッポン人のヨーロッパ文明への憧れが、田舎医師に嫁いだエマ・ボヴァリーの上流階級への憧れと二重写しになって来たのだとしたら、ソクーロフのこの映画はそういった“文芸映画”として見てはいけない。エマを取り囲む環境、彼女の見る事物、彼女の体験のひとつひとつを克明かつ冷徹に記述していくフロベールの文体それ自体が極めて映画的であり、ジャン・ルノワール、ヴィンセント・ミネリ、クロード・シャブロルといった優れて知性と教養あふれるリアリストたちがその映画化に取り組んで来たわけだが、フロベールがフランス文学を革新した詳細なディテール描写は、忠実な映画化において克明に再現されたときに時代と階級社会の抑圧的な枠組という解釈に陥りがちであり続けて来た。わずかに監督自身の「人間好き・女好き」の本能が暴走したルノワール版の後半のみが、映画自体を破綻させることで、19世紀上流階級への憧れと階級闘争構造という図式性の呪縛から逃れ得ている。

ジャン・ルノワール作品『ボヴァリー夫人 Madame Bovary』1933

ソクーロフが集中するのはフロベールの写実主義でも、そこに浮かび上がる民主革命と王制の階級的伝統のあいだで揺れ動く19世紀後半のフランス社会でもない。凶暴なまでの大胆さで時代設定と写実主義をはぎとり、ソクーロフは時にロシアの山林地帯、時にコーカサスの半ば砂漠化した荒野の風景に、エマ・ボヴァリーの悶える身体を配置する。

「泰西文学の名作」といった教養主義や時代と場所の設定の表層をとっぱらったとき、なるほど、エマの物語はどこにでもある不貞の物語にもなりかねない。だがソクーロフはあえて、その平凡な女の平凡な悲劇を、荒涼たる風景のなかにむき出しに見せつける。ロシア人の男でありながら、エマの自殺のくだりを執筆中に口のなかにヒ素の味を感じたというフロベール自身と同じくらい、恐らく完全にエマという女を理解しているのだろう。女であることの衝動、とりわけその性に突き動かされ続けるエマの身悶えは、不惑を目前にしたサーシャ自身が感じていた悶えだったのかも知れない、とすら思わせられる。

     エマ役のセシル・ゼルヴダキ Cecile Zervudacki

だからこそ『救い護りたまえ』という祈りの言葉(原題の直訳)とともに、ソクーロフのキャメラは心理描写を説明して彼女を代弁するのでもまるでなく、ひたすらエマの性の悶えと金銭的に追いつめられていく狂気に、確信をもって寄り添い続け、“女が女である”ことの、なまめかしくもあまりに哀しい人間性の揺らぎ、女が女として生きようとするときの生きづらさに身悶えるエマにこそ、映画は脇目も振らずにひたすら集中していく。

なるほど、ソクーロフがこの映画のあとほとんど女を撮ろうとしなかったのもうなずける。自分という男がもっとも“男”であった30代の終わりに、彼はこの究極に女が女性である映画を撮っていたのだから。


「救い護りたまえ」という祈りの言葉を冠した映画から二十年近くを経た『チェチェンへ』で、ソクーロフは同じコーカサスの荒涼のなかに、ヒ素自殺を生き延びて年輪を重ねたエマのその後とも思える女を見いだす。生き延び成長した女は人間として完成し、老女であると同時に女として、人としての叡智を体現するかのように、不完全な人間たちの起こす戦争という過ちを見つめていた。その彼女はソクーロフのファーストネーム、アレクサンドルの女性形である、アレクサンドラという名前を持っていた。

       『精神の声 Духовные голоса』1995

なるほど、中央アジアの戦場に兵士達と共に生きた傑作ドキュメンタリー『精神の声』(1995)と、その同じ撮影素材から作られた短編『兵士の夢 Солдатский сон』1995を経て、ここにコーカサスの荒野のなかに女の姿を見いだすというそのフィルモグラフィの円環(サークル)が完結している。だからこそソクーロフは今になって、この『ボヴァリー夫人』に封印された自らの狂気にも似た身悶えと凶暴さが、解禁されることを許したのかも知れない。

『チェチェンへ アレクサンドラの旅 Александра』2007

アレクサンドル・ソクーロフ作品
『ボヴァリー夫人 Спаси и сохрани』

<2009年再編集版>

2009年10月3日(土)より 
シアター・イメージフォーラムにてロードショー
連日 10:40/13:15/15:50/18:25

大阪〜 シネ・ヌーヴォにて今秋ロードショー


*アレクサンドル・ソクーロフの公式サイト “ソクーロフの島”

8/31/2009

政権交代の夏…

…とはなんの関係もなく、10月8日〜15日の山形国際ドキュメンタリー映画祭のあと、23日から始まるサンパウロ国際映画祭でも、『フェンス 第一部 失楽園 第二部 断絶された地層』の上映が決まりました。


ソウルで上映中に、旧池子村の出身の相川キサさんが「今の福田さんがお父さんの頃」と米軍住宅反対運動の端緒の話を始めたとき、そういえばこの映画はまだ安倍さんが総理になった頃に撮り始めてあっというまに福田さん、麻生さんと代替わりしてその末期であることに思わず笑い出しそうになったのだが、国内初上映の山形ドキュメンタリー映画祭の時には鳩山さんが総理になっているわけなんだなぁ。

8/30/2009

ところでチョイ役で出演した映画…

…なのですが、バルベ・シュロデール監督、原作江戸川乱歩の『陰獣 INJU』が先週末から渋谷シアターN(昔のユーロスペースだった場所)で公開中です。


日本側のプロダクション、スタッフ、出演者にもまったく連絡がなかったので試写も見ておらず、レイトショーが始まってからは僕は東京にいないのでまだ見てませんが…。

8/10/2009

『フェンス』ソウルのデジタル映画祭で上映


『フェンス 第一部 失楽園/第二部 断絶された地層』が、シネマ・デジタル・ソウル映画祭2009コンペティション部門で上映されます。

撮影監督 大津幸四郎
 (撮影助手 辻井潔 色彩監修 加藤孝信)
音響監督 久保田幸雄
 (現場録音 安岡卓治 松林要樹 ダビングミキサー 山縣良一)
監督/編集 藤原敏史
 (演出部 松林要樹 香取勇進)
プロデューサー 安岡卓治 藤原敏史

製作 安岡フィルムズ、羅針盤映画 製作協力 逗子市


出演:旧・池子村より
    岸田恵治 相川キサ 林清明 林武子 生井志郎
  旧・柏原村より
   鈴木千枝 鈴木久彌

  米軍施設に隣接する逗子市立久木中学校より
   宮田位里 治田みずき 友井渚彩
  郷土史家 篠田健三
  三浦半島の自然の研究者 金田正人
  元・逗子市長 澤 光代
  大工 横尾直樹

  池子米海軍家族住宅の住人たち
  池子遺跡群資料館の職員の方々
  逗子市池子および久木町のみなさん

2008年/日本映画/デジタル(HDCAM、HDV i60)/カラー/ステレオ/第一部 83分、第二部 84分

日本映画の海外振興や合作を支援するJ-Pithのサイトの解説では…

<解説>総面積の15%が米海軍住宅、人口5万人のうち5,000人が米軍とその家族である逗子市。監督は、フェンスに囲まれたその池子の米軍住宅地を外から見つめる日本人を撮る。70年前に帝国海軍の命で古来の家と土地を明け渡した人たちである。逗子市企画の短篇を出発点に、先祖代々をこの地に刻んだ彼らの戦後と現在を通して、日本の現代史を考える。『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』(2007)の藤原敏史監督による野心作。

あと公式発表はまだのようですが、10月には山形国際ドキュメンタリー映画祭にも出品が決まったようです。



ところでこの映画のもともとの発注主(って逗子市の企画のPR映画から始まった映画なので)、当時の逗子市長・長島一由氏が、衆議院神奈川4区で民主党から出馬するそうです。ところが民主党参議院議員で「影の内閣」防衛大臣だった浅尾慶一郎氏が衆院での鞍替え出馬を表明して民主党を離党、民主党にとってはいわば分裂選挙で大変なことになっている模様。

逗子市立久木中学校運動場に隣接する米軍管理区域のフェンスの前で

波風を立てるのが特技の映画作家で、類は友を呼ぶというわけでこうなるのかどうか分かりませんが…。浅尾氏の専門がこれまた安全保障なので、池子米軍住宅についてどう考えているのか、対米関係、具体的には思いやり予算2700億円(平成19年度)についてどうするのか、一方でアメリカでの政権交代に伴う政策転換、核兵器廃絶に日本がどうイニシアティブをとるべきなのか、双方がどう考えてるのかをもっと具体的に知らなければいけないところですが、しかしなんだか複雑な気分では、ある。

     元・逗子市長 澤 光代

折しも、『フェンス』の製作中には逗子市が国と法廷闘争やってた米軍住宅の増設問題は、現市長が国との話し合いで増設に応ずることを表明。せめて政権交代まで待てなかったのだろうか? もっとも、民主党も小沢が党首でなくなると、日米関係の日本隷属体制を変えようという話にはなかなか行かないような気もして、あまり期待はできないのだろうけど…。

  久木中学校運動場に隣接するアメリカ海軍管理区域(旧・柏原村)

僕自身はあまりナショナリストではない方だが、しかしこの日米関係って、アメリカ様に「守って」もらうために日本人が日本人であることを売り渡しているような気分になってなんとも不快ではある。『フェンス』というのは一面、そういう映画でもあるのだが−−戦前の海軍弾薬庫、戦後の米軍弾薬庫、そして米軍住宅と、ニッポン国はアメリカにニッポンの、いったいなにを守ってもらっているつもりなんだろう?

北朝鮮があるから核の傘」という巷間いわれる理屈は、ちっとも本気には思えない。第二次大戦参戦直前の日本どころではない追い込まれようで自国民どころか軍人さえ食わせることもできない北朝鮮が、「いちかバチか」で戦争を始められるとでも、本気で思ってるのだろうか? 「北の核」なんて実態はどれだけ使い物になるのかも怪しいもんだし、テキは外交カードで使ってるだけだし、そこで「アメリカに守ってもらう」なんてまずあり得ないに決まってるじゃないか。そのアメリカだってこれからまた新たに戦争を始められる状態にはないんだし。

     旧・柏原村出身 鈴木千枝氏、鈴木久彌氏 親子

「万が一の備え」と言うのは一見もっともらしく響くし、火災保険くらいは入る人は多いし、誰でも入れる健康保険は安定した社会の基礎になるだろう(って、それもないのがアメリカ合衆国なのだが)。だがだからって、万が一の備えにしても額があまりに多過ぎるだけでなく(家計が火の車なのに火災保険で年額10万も払う人がいるかっつーの、みたいな話)、犠牲があまりに大き過ぎる一方で、天災や病気ならともかく北朝鮮の「万が一」って、人間のやることで政治的・外交的にいくらでも防ぎよう、というか交渉のしようがある。日本政府は結局なにもやらないけれど。

冷戦中は旧ソ連、その安全保障体制をほとんど変えないままに今度は北朝鮮を仮想敵にしながら、日本政府や日本の政治関係者がいちばん恐れているのは実はアメリカ合衆国で、アメリカが怖いから、たとえば池子のような日本のなかでも有数の恵まれた土地を、アメリカ様に献上してるだけなんじゃないか? 弥生時代から綿々と日本人の生活が刻印された場所、東日本で最大の弥生時代の遺跡が発見された場所が池子であり、山を背に南に面し、南の海からの穏やかな風に恵まれたこの場所のことを、旧柏原村で生まれた鈴木久彌氏(『フェンス』出演者の一人)は、「いいところでしたよ。桃源郷のような場所」と形容していた。

     旧・池子村出身 岸田恵治 氏、林清明

     旧・池子村出身 相川キサ

もっとも、『フェンス』それ自体はこのことにムカついているような映画ではない。旧池子村や旧柏原村の人々と、彼らがかつて生活していた風景の名残を前にして、映画としてやることとして、もっと大事なことがあるように思えてならなかったから、直接的な政治は必然的に後退していくことになった。

以下、監督ステートメント。

作った人間としては、これを在日米軍をめぐる政治的な映画としては見てもらいたくない。この二部作は失われてもはや見ることのできない“ニッポンのふるさと”をめぐる、記憶することと、見られないことについてのものであり、僕自身が池子と直接関係のない人間であるにも関わらず、自分の極めてパーソナルな思いが、我々が見せるものと見せないもののすべてに、滲み出ていればいいと思う。

藤原敏史、2009年8月




As the filmmaker, I personally don’t want this to be seen as a political film about the US military presence in Japan. This diptych is about the Japanese idea of home which can no longer be seen, about the inability of seeing, and about memories. And though I had no personal connection to Ikego before making this, I hope that my deep personal feelings can be somewhat felt in all of what we show and what we don't.

Toshi Fujiwara, Aug. 2009


        旧・池子村出身 岸田恵治