最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

5/30/2013

橋下徹氏の問題発言をめぐって、大阪の飛田新地(遊郭)と性の文化への偏見について

先日の外国人記者クラブでの会見で、橋下徹氏に過去、飛田新地料理店組合の顧問弁護士をしていたのではないか、という質問が飛んだらしい。

「料理店」というのはあまりに分かり易い、兵士の性欲処理のために従軍させた女性たちを「慰安婦」という偽善的な言い換えでで誤摩化したのにも通じる、あまりにあからさまな言い換え語だ。

橋下さんは「違法ならば取り締まられているはずだ」と質問をかわした。

つまりは「取り締まられず現状ずっと営業しているのに、本当に違法と言えるのか」と詭弁で話をかわしたのだが、質問した側には、女性を食い物にする遊郭の弁護士をやるほど倫理観が低いから、例の問題発言をしたのだろう、と批判する意図があるのも分かりきったことであり、橋下さんが論点を逸らし誤摩化したと言えば、それはその通りだろう。

田中龍作ジャーナル「橋下氏会見 海外メディア不満「明確な回答なかった」、失笑もれる」
http://tanakaryusaku.jp/2013/05/0007176

だが一方で、質問した側の発想に見られるその意識も、いかがなものか、とも思ってしまうのである。

売買春の是非を巡る議論では、しばしば女性の人権の問題と、売買春を賎業とみなす父権性の通俗道徳的な倫理観が混同され、告発する側はたいがい、自分たちの差別偏見や蔑視に、無自覚なままで終わってしまう。

内田樹先生がその辺りの問題を分かり易く整理しておいでなので、こちらもぜひ参考にして頂きたい。

内田樹の研究室「セックスワークについて」
http://blog.tatsuru.com/2013/05/29_0836.php

飛田新地は、大阪の天王寺駅の向こう側、西成区にある。隣接する阿倍野地域は再開発が進んでいる(と同時に、こぎれいな第三セクター経営物件の商店街などで、ゴーストタウン化も進んでいる)が、崖を経てその下がかつての鳶田墓地、そこに明治の後半に、難波の大火のあと遊郭が移転して来た場所だ。住所表記の上では、西成区山王になる。


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「山王」という地名が、たとえば「太子町」、あるいは「橋下」などの人名と同様に、いわゆるかつての被差別部落地域を暗示するものであることすら、今では大阪の人でも多くが知らないだろう。しかし西成区が日本でも最大級のいわゆる部落であることを、関西の人間は「知らない」としても、やはりどこかで気づいている。

天王寺駅から行った方が、崖の上から見下ろす形で、階段を下りて行く方が近いことは後で知った。阿倍野側の崖の上には、背の高さほどの塀がある。こちら側から見たら向こうが見えるか見えないか程度の壁、だが反対側、飛田の遊郭街から見れば、とても威圧的だ。

最初は新今宮(線路の反対側は通天閣などがある新世界)から、延々と「動物園前商店街」を通り抜けて、いわば文字どおり、地理的に、「同じ高さ」でこの今も残る遊郭の町に入った。



決して飛田の遊郭を肯定するわけではないし、実際、最初に行ったときは「人間ディスプレイ」状態、文字どおり「商品」がライトアップされている状況なのが、凄まじいショックで、気分が悪くさえなった。

でも何度か行ってみて、今編集中の映画『ほんの少しだけでも愛を』のシーンも撮影した後では、そんな単純な話ではない、と言うところまでは分かる。



かれこれ一世紀近い歴史はある飛田の、建物の作りは様々だ。

明治末〜昭和初期と思われる、見事な木彫りの懸魚に眼を引かれるような、豪壮な木造建築もあれば、同じ時代でも簡素な庶民的な造りもあり、戦後のいわゆる「文化住宅」的なものなどなどが、整然と升目状態に区切られた町に混在している。

だが店先は全部同じ様式、看板は必ず正方形で、間口も正方形、その間口の中央に、ライトアップされたお姐さんが座わる。まるで「鎮座している」としか言い様がない、堂々とした笑顔で、昼間でも照らし出されている。
ちなみに飛田遊郭の営業時間は比較的早い。夜の10時ぐらいには閉店するよう、警察との了解があるそうだ。
間口の戸の陰にお客に声をかける「遣り手婆」がいて、反対側には逆側から来る客を見逃さないための鏡がある。

この統一された様式は、無論もともと商売の合理性を考え抜き、「商品」をもっとも売れるように提示する冷酷なものではあるが、ここまで徹底されると、それはそれでひとつのスタイルになっている。


表向きは「新地料理店組合」が管理する町だが、その実態は恐らく、いわゆる「同和」系のやくざなのだろう。好奇心でカメラを向けようものなら、地廻りに止められる。あくまでお客を楽しませる場所で、決して暴力を振るうわけではないだろうが、迂闊にカメラを出してはいけない、という雰囲気は誰もが肌で感じるだろう。

だが飛田で映画や写真を撮る場合の不文律は、「店先を撮ってはいけない」ではない。

決してお姐さんたちを撮ってはいけない、ということだ。

ここでしか稼げない今はここで稼ぐ、彼女たちの将来のために、その記録は決して残してはいけない。

それが分かっているみたいだし、ならいいよ、と僕らは言われた。


その後は、何度撮影に行っても、絶対に店頭の彼女たちが入らないキャメラ位置に、どっしり三脚を構えていれば、一度くらいはなにを撮っているのかフレームをさりげなく確認するようにそばを通られるだけで、なにも言われない。

むろん僕たちが大規模な、商業的なスケールで映画を撮っていたら、話はまったく違っていただろう。こちらに余裕があるのなら、ショバ代を出すのは当たり前のルールだとも思う。ここは警察・官憲が治安を担う「普通の場所」ではない。 
警察・官憲もまた「差別する側」であるのに対し、差別される側の場所において、法律がどうなっていようが、その我々の側の論理でしかないことに、その人たちがただ従うべきだという「正義」は、成り立たない。彼らを差別するものでもある我々の論理は、彼らからみれば「正義」や「倫理」であるはずもないのだから。 
安易な正義感で、告発かなにかを気取ってキャメラを向けていい場所だとは、思えない。

山王の町に限ったことではないが、いわゆる「同和」地域で撮ったりするのはいろいろ面倒だ、と我々の業界ではよく言われる(あるいは言外の言で警告じみた圧力をかけられる)。だが実際には、礼儀さえ守り、なるべく迷惑をかけないように心がけ、声をかけられても最低限の礼儀を守ってさえいれば、まったく問題はなかった。

声をかけてくるにしても、先方も決して威圧的でもなんでもなく、きちっと礼儀を守っているし、そんじょそこらの警備員の慇懃無礼さや、警察官にありがちな、どこか上から目線の高飛車さも、微塵も感じさせない。

阿倍野と飛田を仕切る、崖の上の壁

正直、最初に行ったときは、飛田遊郭の「商品」としてお姐さんたちが完璧にライトアップされた様式美は、搾取のシステムにしか見えなかった。

でもだんだんどういう町か分かって行くと、その照らされたお姐さんたちが毅然としていることに気づく。


決して肯定はしないが、単純に否定は出来ない。



動物園前商店街は、大阪の、こうした地域の商店街の例にもれず、今ではもの凄く寂れているわけなのだが、そこで目立つのが単身者向けの家電の中古販売だ。

やむにやまれぬ事情で覚悟を決めてここで働く、過酷な仕事だけど、短期でカタをつけて、新しい人生を切り開く女性も多いのだろう。

いや、そうに決まっている。本当に喜んで、自ら進んで春をひさぐ女性がいるとは思えないし、そう言い張る女性がいるとしたら、それはそれで心の病などからの自己逃避の場合が多いだろう。



様々な事情があって、やむにやまれず、この仕事を選択している。そうやって貧乏人が一生懸命に生きていることに、余人に後ろ指を指されるいわれはないはずだ。

「恥ずかしい仕事」と見られることはわかっているし、将来の幸福を棒に振る覚悟も要る。そうした社会の差別偏見を抜きにして考えても、決して愉しい仕事ではないし、客のなかには身勝手な、それこそサディスティックな欲望を満たすためにやって来る者もいるし、その判別はほとんどの場合、二人だけの密室のなかで、手遅れになった時でしか、つかない。とても危険な仕事なのだ。



釜ヶ崎と飛田がご近所であることを意識すれば、すぐ分かることだ。男はいざとなれば釜ヶ崎に行けば生きていくことだけは出来る。女性にとってそういう場が、たとえば飛田遊郭なのだ。

その哀しみは、ただ「売春は最底辺女性の人権蹂躙」と言って済ませられることではないし、
だからこの場の存在を無碍に否定はできない。

この飛田の話をツイッターで書いたところ、このような返信をもらった


やりきれない話だ…。私たちの「社会正義」は、本当にそんなに自信を持って正義と言えるのか?「女性の人権の蹂躙を許さない」と言って売買春を杓子定規に否定することが、実はこのような不当な差別の隠れ蓑になってはいないか?

他に働ける場所がないだけではなく、他に行ける場所、存在できる場所がないから、この町が存続しているのだとしたら、橋下氏が「必要」と言ったことや、この町の顧問弁護士であったことを、ただ闇雲に否定はできないのかも知れない。

現代の非合法管理売春では、しばしば娼婦がいったんその仕事を始めたら、決して抜け出せないようにあの手この手を尽くして(もっともよく使われるのが精神・肉体双方の虐待と、麻薬づけにすること)、売春組織に依存する心理でがんじがらめにすることが、よく行われる。

アモス・ギタイ監督『プロミスト・ランド』より

外国人娼婦の場合、パスポートをとり上げることで身動きできなくするのなんて常套手段だ。

国際的な非合法売春組織は、米軍のブートキャンプのようなやり方で、女性たちの人格を破壊する方法論すら持っている。

現代の世界の売春取り締まりのやり方では、その虐待被害者である女性たちをさらに犯罪者扱いして、人格を徹底的に破壊してしまう場合が多い。

飛田では、決してこの場で行われている商売を美化するわけではないが、恐らくそういうことはまずやってないと思う(薬物中毒患者ではここのスタイル、店先に毅然と座ることが難しくなるし、また西成署との暗黙の了解で存続している遊郭で、看過出来ない犯罪行為をやらせるほど、ここの人たちは愚かではない)。


僕が聞いた限りでは、山王組はお姐さんたちがヤクを使わったらお店ごと営業禁止で閉店させて追い出すのがルールらしい。

動物園前商店街を釜ヶ崎方面に向かう


釜ヶ崎に行けば覚せい剤は簡単に手に入るのだが(「あそこの通りは危ないから行ったらあかんで」と釜ヶ崎のおじさんたちに言われた)、それは決してやらせないよう、手を出させないようにしているのだそうだ。

だから単身者向けの、安物の家電が、中古で並ぶのだろう。

むろん、すべての妓楼が良心的であるわけもないし、麻薬に手を出させないのは娼婦の“商品価値”を下げないためでもある。過去には親の借金のカタに「親孝行」となだめすかして娼妓にさせた冷酷も、日本の歴史の一部であったわけだし、逃げ出す者は「それでいい」ということではまったくない。年季奉公で縛り付けることが、日本の遊郭文化の供給源であった事実を、否定する気はない。

ただ杓子定規に私たちの論理、私たちの「正義」で決めつけていいことではない、というだけだ。江戸時代までは、遊郭を無事出ることが出来た女性が結婚することも普通だったのだし、だからこそこうした営業行為が文化として存続出来たのだろう。

必要なぶんを稼げるだけ稼げば、あとは出て行きなさい、出て行っていいよ、というスタンスなら、社会全体の現実が女性たちにとって厳しいなかで、決して単純に売買春の仕切りを「女性の人権を蹂躙した」と否定しておしまいに出来ることではない。

とはいえ、出て行けない人が多いのもまた現実なのだろう。


飛田遊郭の片隅には、ここで亡くなったまま、身寄りや引き受け手もなかった女たちの無縁仏を供養する慈母観音が、ひっそり立っている。



あどけない童子の額は、あまたの人の手がそれを慈しみ、撫で続けたのか、ピカピカに磨きあげられたかのようにみえる。

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