最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

1/15/2014

『無人地帯』日本で(やっと)劇場公開




新しい予告編です。

最新作『無人地帯』をやっと日本で劇場公開します。まずは東京、渋谷のユーロスペースで2月1日から。

上映時間は今のところ

  • 2/1〜2/7まで 11時〜
  • 2/8〜2/14まで 12時35分〜

詳しくはユーロスペースのホームページで http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=535

配給:シグロ www.cine.co.jp

公式サイト:www.mujin-mirai.com

インターナショナル・プレミアが2012年のベルリン映画祭、つまり2年近くかかってやっと日本公開になってしまいました。お待たせして申し訳ありません。

しかも撮影自体は震災直後の2011年4月5月そろそろ3年になってしまっています。

とくに出演して頂いた皆さんを始め、福島浜通りの住民、被災者の皆さんには、本当の現状を伝える映画のはずがこんなに遅くなってしまい、なんとも心苦しい限りです。


ただもっと心苦しいのは、2年も3年も経てばひとつの「歴史」の記録となり、ひとつの「作品」として見られる映画になるだろうと思って作ったものが、今でも十分に現状報告の役割をある意味果たしてしまうことです。

それだけ、政府がなにも決めないからなにも変わらない現状が続いているということ。「警戒区域」は名目上はなくなったものの、「ひたすら待たされる」現実はそのままですし、世間が未だに「同じ国の隣人」に起こったこととしてでなく、偏見と差別まで混じった好奇の目でしか見ていない状況も、まるで変わらないか、そのまま忘れ去られようとすらしています。

すったもんだが続く「除染」の問題にしても、2011年の5月に飯館村・長泥の農家の鴫原さんが「こうなる」と映画のなかで語っていた通りのことになってしまっている。


つまり最初からなにが問題で、なにが今後課題になるのかは、実は考えてみれば分かり切った話でもあったし、少なくとも巻き込まれた地元は真剣に考えても来たし、それだけ冷静で、頭も良かった。その意味では、「日本人は凄い」ということになる。

一方で東京でいろいろ物事を決めたり、報道したりしている、「エリート」であるはずの側は、なにも考えなかったのだろうか?

…とは、どうしても考えてしまう…


なお2/1からの劇場公開を前に、プレイベントとして東京大学大学院教養学部で、英語字幕版(英語のナレーション部分は字幕なし)の上映と、討論の会があります。

主催は「共存のための国際哲学研究センター」(UTCP)

日時:1月24日(金)午後6時〜 9時 
会場:東京大学駒場キャンパス 18号館4階コラボレーション・ルーム3
(地図はこちら
登壇者:マーク・ロバーツ(英・東京大学招聘研究員)、エリーズ・ドムナッシュ(仏・東京大学招聘研究員)、藤原敏史(日・映画監督) 
入場無料・予約不要(通訳なし、英語でのイヴェントになります) 

詳しいご案内 http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2014/01/film_screening_no_mans_zone/index_en.php

まあ場所が東大なんで、「日本を動かすエリート養成機関」であるこの大学が、いかに実際にはこの国をおかしな方向に導いてしまっているかの話も、してしまいそう…。

札幌のシアター・キノをはじめ、順次地方でも公開して行きます。自主上映などのご相談も含め、配給のシグロまでお気軽にお問い合わせ下さい。

公式サイトの上映情報もご参照下さい http://www.mujin-mirai.com/Theater.html


震災から2年目の四季・丸一年の記録となる続編『…そして、春』も撮影は既に終わっています。

人間の状況はまるでなにも変わらなかった一年間、自然だけは季節は巡り、変わり続け、時間は確実に流れて行く。

そのどうしようもなく宙づりな現状のなかで、それでも直接に困難に直面した人たちが「人間」であり続けること、真の「強さ」を決して失わないことの記録です。


もう2年前のベルリン映画祭で上映した際、イタリア共産党の機関誌として有名だった新聞『UNITA』が、この年の映画祭の総括であえて『無人地帯』を記事の題名にまで選び、映画祭全体の概観とも比較しつつ、こう書いていました。

桜の花が咲き誇り、小川のせせらぎが春の訪れを伝える。だがこの美しい春を目にする者はもういない、とナレーションが伝える。「無人地帯」であるのは、この福島の光景のことではない。このような事態を引き起こした我々の現代の世界にこそ「人間」がいないのだ、とこの映画は静かに訴える。

映画『無人地帯』はその実、決して「無人」の映画ではありません。双葉郡も飯館村も、人は住めなくなってしまっても、決して「無人」の地ではない。「無人」の地にしてはならない。

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