最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

6/29/2017

稲田朋美防衛大臣「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党として」発言の本質的な危険性



「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と言ってしまった稲田朋美・防衛大臣は、この都議会選の選挙集会の終了後、すぐに記者に取り囲まれた時には、自分が大変な問題発言をしてしまったことにまったく無自覚だったらしい。

板橋選挙区の集会だったので、隣接する練馬区に陸上自衛隊の駐屯地があるので、その駐屯地への地元の協力への感謝の趣旨だったと、まず記者に言ったようだが、そこで具体的な発言内容を問われても自分ではよく覚えていない、と答えている。

よく覚えていないというのが本気なら、逆に言えば発言の時点で自分でもよく考えずに言っていたわけで、現に録音された音声でもうわずった声で興奮気味だったし、この失言に至る発言の流れをみても、いろいろ混乱していてなにが言いたいのかさっぱり分からない。



感情に任せてこんな風になってしまうこと自体が、自衛隊という実力行使部隊、事実上の軍隊を指揮統括し、国外から侵略・攻撃があった場合に国土と国民の安全を守ることを第一の任務とするはずの防衛大臣として、まずこうした不用意なことを感情に任せて口走って性格上の問題だけでも、およそ不適格であり失格だ。

なにしろこんなに精神的に脆くて不安定、感情に走り易い性格では、軍事力を指揮する上で絶対に必要な冷静な判断力など期待できるわけがないし、言葉がこうも不自由では、命令の内容を伝えることすら大いに不安が残る。


それでなくとも稲田氏といえば、防衛大臣に就任後まもなく、8月15日に国内にいることを避けるため(公約である靖国神社参拝をやらずに済ますため)に海外出張したことを国会で詰問され、戦没者追悼式典に出席しない初の防衛大臣となったことを批判されると答弁席でぼろぼろ泣き出し、涙ながらに非を認めた人だ。泣いて謝って「もう許して」って。子どもじゃあるまいし。 
森友学園スキャンダルでは興奮して籠池泰典氏の弁護士であったことはないと断言し、すぐに京都地裁の出廷記録を出されて虚偽答弁に問われた。感情に囚われて売り言葉に買い言葉、ですらなくパニック状態で噓を言ってしまうなんて、それでは国務大臣、それも防衛省、安全保障行政のトップは務まらない。 
南スーダンPKO部隊の日報が破棄されてしまっていた件でも不安定で感情的な、そして中身もあやふやな答弁を連発し、実際には戦闘があっても憲法九条に抵触しないため「武力衝突」と呼ぶべきだ、とまで言ってしまった。この時も、この人は自分でなにを言っているのかもよく把握できないまま言ってしまったのだろう、やはり声が不自然にうわずっていた。 
自分の身辺の危機管理すらできない人間に、国家の危機管理が信任されるわけもあるまい。しかも「噓つき」である。

もっとも、この時の囲み会見でも、最初は大勢の記者がいることに稲田氏は本気で驚いたようだったが、すぐに記者に「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党として◯◯候補をお願いしたい」という発言の趣旨はなんだったのか、と質問されている。

ほんとうに覚えていなかったとしても、記者に言われた時点で自分の発言内容は把握できたはずだ。そこで「地元の協力への感謝の趣旨」と言い出したのも慌てて取り繕うためだったたようにも見えるし、笑顔を見せたと言っても、パニック状態になっている心理を誤摩化すための作り笑いか、思考停止状態でとりあえず笑顔を見せているような一種の無表情に近かった。

この6時代か7時ごろの発言がまず8時ごろ共同通信で流れ、稲田氏は官邸に呼び出されたようだ。菅官房長官は定例会見で自分が会って「誤解を招く発言は注意するように」と指示したと言っているが、実際にはなるべく早く会見をして撤回するように、と命令されたのだろう。菅長官だけでなく安倍首相にも会っていて、そこで首相が撤回するよう指示したらしい、という情報もある。

そこで午後11時半頃に急遽会見を開き撤回を明らかにした稲田氏だが、ここでの発言も問題だ。感謝を意味する言葉など皆無なのに、相変わらず駐屯地地元への感謝が趣旨だったと繰り返し、「誤解を招きかねない発言」だから撤回するとしただけだった。

だが「誤解を招きかねない発言」とはどういうことだ?

「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」には、誤解の余地なぞどこにもない。防衛省と自衛隊が組織をあげてこの自民党候補を応援しているのだ、と言っている意味にしかならない。

文字通りそのまま以外の解釈は無理だし、そこで文字通り受け取った側を「誤解」などとは、ふざけた話だというのに、撤回はしても「謝罪」も皆無だったのは、いかにも安倍政権の閣僚、それも安倍首相のお気に入りの元祖「安倍チルドレン」らしい(稲田氏は2005年の郵政総選挙の際、小泉政権の官房副長官だった安倍氏の強い勧めで、弁護士から政界に転身している)。


安倍首相も絶対に謝るのはイヤだという身勝手があからさまなのが常で、国会で追及されるとすぐに印象操作のあからさまな偏向やデマをうわずった声で強弁し、なにがなんでも言い返してやろうという欲望に支配され、時間稼ぎ目当てとしか思えないとりちらかった、やたら長い答弁ばかり続けることに、予算委員会では自民党出身の山本一太参院議員自らが「総理、簡潔にお願いします」と再三注意を繰り返している。



防衛大臣として前代未聞の大失言には、歴代の元防衛大臣や自衛隊からも「あり得ない」と言った苦言が相次いでいるなかでも都議会選挙の真っ最中で、自民と敵対する都民ファーストの会の党首、小池百合子東京都知事は辛辣な批判を街頭演説でも繰り広げ、野党は首相に罷免を要求している。

だがしかし、問題の大きさに比して、メディアの報道はまだまだずいぶんおとなしい。

公務員は一部でなく全体の奉仕者と位置づけた憲法、公務員が政治運動にその地位を利用することを禁じた国家公務員法(なお大臣は特別職国家公務員)、自衛隊員の政治的な絶対中立(投票以外の政治参加や政治的意思表明の禁止)を定めた自衛隊法に違反する「可能性」というか、論理的には完全に法令違反なのだが、それ以上に大きな問題がこの稲田発言にあることとなると、なかなか突っ込んだ論評はない。

違法性に関しては明白なのに「可能性」であるとか「受け取られかねない」という言い回しが必ずつくのも、随分と遠慮しているし、上記の法的な形式論理の問題しか言及しないのなら、問題発言は問題発言であってもその危険性は、多くの国民にはあまりピンと来ないだろう。また、もっとも繰り返されている「自衛官に特定候補への投票を命じているようにも受け取られかねない」という形容は、さすがに実際の文言からすると飛躍し過ぎだ。だいたい、直接には自衛官にしか関係しないことだ。

これは自衛官相手ではなく一般市民の支持者集会での演説だし、その内容を伝え聞いて自民候補に投票するよう命じられたと思う自衛官がいるとも思えない。

また仮に命じられたって従う自衛官もまずいないだろう。なにしろ投票以外の政治活動の禁止と政治的な中立性は、自衛官の服務宣誓にも入っている。それに反することを言い出す大臣がいれば、問題となるのは逆に自衛官が「そんなことも知らないのか?」と文民である大臣を軽蔑し始め、防衛省内の統制が取れず、無能ゆえに信頼されない大臣によってシビリアン・コントロールがなし崩しになる危険の方が、むしろ大きい。


終戦記念日前後の外遊を国会で問われて泣き出したり、自衛艦の視察で甲板上をハイヒールで歩いていたりで、この大臣に対する自衛隊内からの信頼はとっくに失墜している。 
秋田県の自衛官募集事務所が「大臣(女性)はちょっと頼りないですが」というキャッチコピーの新規採用募集ポスターを作って問題になったほどだ。表向きは「女性蔑視」だから、という批判はただの建前だし、実際の稲田氏を知っていればこれを女性蔑視と受け取る人はいないだろう。 
そして極めつけが南スーダンPKOの報告記録を、官邸が必死に隠蔽しようとしたことだ。激化する内戦で隊員の命も危惧される状況をいかに真剣に訴えてもその文書を握り潰すようでは、つまり稲田大臣は自衛隊員の命なぞなんとも思っていないと思われても当然だ。

つまりこのような発言をしてしまう稲田朋美が防衛大臣の資質に欠ける、というのは正しいが、それはあまりに無能で人格も疑わしく、およそ部下となる自衛官の信頼を得られない、能力的な問題として日本の安全保障に重大な瑕疵を生じさせる可能性が高いからだ。

行政が公平中立の公正性を担保しなければならない、法と国家権力は政治的な立場に関わらず、平等に施行されなけれない、という大原則を理解できていないのなら、国務大臣はおろか国会議員としての資質すら疑われる(のだが、この点が大いに疑わしいのは、安倍政権では稲田氏に限ったことではない)。

だが稲田氏のこの失言について、このような建前上の形式論だけで批判するのは、問題の本質を見過ごしているし、同時並行で起こっている(同じ細田派で、安倍チルドレンの)豊田真由子議員の暴言騒動に較べて、都議会選への影響は限定されるだろうし、野党の罷免要求や臨時国会開会の要求も、野党が狙っているほどの世論へのインパクトはないように思える。



既に述べたように、この部分も含めてこの時の稲田氏の演説は、ちょっとなにが言いたいのか分からないほど素っ頓狂な内容だ。だがこれは、あまりに素っ頓狂で常識のタガが外れ舌っ足らずだから分かりにくいだけで、冷静に聞けばその言わんとするところは実ははっきりしている。

ここに至る前に、稲田氏は航空自衛隊の曲芸飛行チーム「ブルーインパルス」が東京五輪の開会式に参加するだろうと、あたかも防衛大臣として自分が決めた功績のように吹聴している。

また板橋の隣の練馬区の駐屯地について「地元の協力に感謝」などはまったくしていないが、代わりに地元が駐屯地に協力することは本来なら当然だ、と言わんばかりのことは口にし、それを自民党候補を板橋区民が支援すべき論拠として上げている。

また練馬の陸自駐屯地について都(都議会)と国(防衛省)の連携が欠かせないとも言った上で、自分が応援演説をしている候補が自衛隊と防衛省とのパイプもあると強調している。そしてそうした連携ができる自民党多数の都議会との連携がなければ、東京都民の安全を守ることはできない、とまで言っているのだ。

その上で、「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党として」同候補への支援をお願いしたい、という発言が出て来るのだ。こうして見ると口先だけは「お願い」とは言っているものの、稲田氏のロジックは実はかなり明晰に、野党や都民ファーストを支持する有権者への脅迫になっていることに気づく。

つまり自衛隊と防衛省とのパイプも強い同候補が当選し、自民党が都議会の与党になって国(自民党の安倍政権)としっかり連携しなければ(というか、要は都議会が国政の言いなりにならなければ)、防衛省と自衛隊は東京都を守らない、と稲田氏は言っているのだ。



この期に及んで稲田氏の発言に問題はないとし、安倍首相を熱烈に支持し続ける、いわば彼らの「賛同者」である人達の主張と併せて考えれば、これは恐ろしい話だ。

安倍の熱烈支持層は一貫して、共謀罪に反対し、加計学園問題で安倍氏を追及する野党や一部のマスコミや日教組のような組織を、「反日」だと断じている。安倍政権で「公正であるべき行政が歪められた」と批判した文科省の前次官・前川喜平氏に対しては、官僚が総理大臣の命令に従わないのは言語道断だ、というのが彼らの主張であり、そしてその全ての背景に、中国だかコミンテルンだか在日朝鮮韓国人だかの「反日勢力」がいて、党首の蓮舫氏が日台混血の出自であることを持って「二重国籍の中国のスパイ」だから「反日」だとも断言している。

そうした危険思想のレッテル貼り…というか荒唐無稽なファンタジーのなんちゃって陰謀史観としか言いようがないものではあるが、こうした考えを民主党議員を「日教組!日教組!」と野次った安倍晋三が実は共有していることに疑念の余地はまずないし、その安倍氏にひたすら忠実な稲田氏も実は共有していると考えることにも、異論の余地はほとんどあるまい。

つまり稲田氏は、板橋区民が野党や都民ファーストに投票して自民党を「裏切る」のなら、板橋区民や東京都民と自衛隊の信頼関係が崩れる、それは「反日」であって反日の非国民を自衛隊は守らない、と言うに等しい論理を、実はこの場で展開していたのだ。

もう一点、稲田氏の演説が根本的におかしいのは、自分が防衛大臣なのだから、自衛官はすべて自分の命令に従うはずだ、という前提でこの演説をやっていることだ。「防衛省、自衛隊、防衛大臣として」候補者の支援を応援するというのは、そういう意味にしかならない。また同じ勘違いは、安倍首相が自衛隊関係で訓示を垂れる際にいつも自分を「最高指揮官」と強調することにも見られる。

ぶっちゃけ、この人達は「自分は上司でいちばんえらいのだから部下は自分の命令に絶対服従すべき」と信じて疑っていないのだ。だが官僚は上司となる政治家の命令の以前にまず法令に従い憲法を遵守する義務を負っている。内閣や大臣の政策に従うのは、あくまでその憲法と法令に定められた枠内でしかないのが法治主義の大原則だ。


小池百合子は稲田発言を批判するなかで、「私が東京都知事だからって、都庁17万の職員を代表して支持をお願いしますなんて言っていいわけがない」とバッサリ切り捨てていた。都知事が上司だからといって、都庁の職員は都知事の奴隷ではない。

自衛官なら、服務の際の宣誓の枠内でしか行動が許されないし、大臣の命令であってもその宣誓に反するものなら、命令に従う義務はない…というか従ってはいけない。

また自衛官には投票の自由は認められている。つまりどの政党のどの候補を応援するのかは、職務を離れて自衛官個々人の自由であり、大臣といえどもそこには決して介入してはいけない。

…というかこんなものは民主主義の近代国家以前の問題だ。

前近代の、封建時代の日本でさえ、君主や領主や軍の総大将など「上に立つもの」は、下位の立場にある者を慮って広く意見も聞き、厳しい讒言にこそ耳を傾け、信頼を勝ち得なければならない、ということが伝統的な日本の価値観として確立している。自分はえらいのだから下々は自分に従うべき、とする暗愚の君を許容する価値観なぞ、有史以来この日本に存在した試しがない。その統治に関するもっとも基本的な倫理をこそぶちこわしにしているのが、稲田氏であり安倍政権である。

こんなもののどこが「美しい国」なのか?「自分たちの味方をしないなら自衛隊はお前たちを守らないぞ」という稲田ロジックは、まことにはしたないだけでなく、恐ろしく危険だ。

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