最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

4/18/2012

宮城県の震災一年後

こないだの週末、今度は福島浜通りだけでなく、足を延ばして宮城県の津波被災地も見て来ることが出来た。

(撮影:加藤孝信、演出:藤原敏史)

これは名取市・閖上地区の現状だ。

報道でもっぱら話題になるのは、仙台よりも北のリアス式海岸で、山と海に挟まれた小さな町が丸ごと流されたドラマチックな光景が中心だ。仙台より南の仙台平野では、なまじ平らな土地が広がっているだけに津波被害も広範に渡ったことも、つい忘れられがちだ。

海水に浸かって塩を含んでしまった水田は、塩を抜かないことには耕作も出来ない。その塩抜きすら始められないまま、荒れた田んぼが広がっているのを見ると、この地域の「復興」はいつ始まるのか、悲しくなる。

瓦礫が一応は片付けられた今(といって、仮置き場に集積され、分類も済んだまま、山積みにされているだけで行き場がない)、なにもなくなってしまい、津波で運ばれた海砂に覆われた風景は、日本ではなく中近東の砂漠に点在する古代遺跡かと見紛うほどだ。

だがそれは古代の生活の断片ではなく、わずか一年ちょっと前の生活の “遺跡” なのだ。この場が海岸まで住宅や商業施設が立ち並んだ場所だったとは、一見しただけでは信じられない。

墓地は辛うじて礎石が残って判別がつくものの、重い墓石ですらはぎ取られ、納められた骨壺すら流されてしまっていることに、津波の威力の大きさに慄然とさせられる。

残った建物で海岸にもっとも近いのが、様式からして江戸時代のものなのであろう観音寺の本堂であることにも驚かされる。ここから先、彼方の海まで、本当になにも残っていない。

海からもう少し離れた閖上中学校では、14名の死者が出た。高度成長時代に建てられたのであろう、頑丈なコンクリート製の校舎自体は、海からの距離もあって津波に堪えることが出来たが、一階部分は完全に浸水している。











本堂がなぜ残ったのか、よく観察すれば推測は簡単だ。

海から押し寄せる津波の強烈なエネルギーは、壁面ではなく頑丈な大木の柱によって支えられた部分を、戸だけを突き抜けて通り過ぎたのだ。

過去の大工達が作り出した(おそらく釘一本使ってはいない)木組みは、多少の揺れや衝撃にかえって締まって頑丈になったのだろう。とはいえ、そんな物理的・技術的な理由は容易に推測出来ても、この仕事と知恵の見事さには、やはり感嘆させられる。

 
閖上中学校の屋上から撮影された津波。これだけあった建物は、今ではほとんど跡形もない。


一方で、寺がその一年前の傷跡も生々しいままで立っているのを見るのは辛い。天災に耐え抜いたいにしえの人達の叡智を守るのも、これから失われて行くことを成す術もなく見ているだけ(いや、日本のほとんどの、被災地以外の人は、もはや無視するだけなのかも知れない)なのかは、我々の文明の問題なのだ。

ここより少し南下した岩沼市では、震災当日に、ヘリコプターで撮影された、仙台空港を襲う津波の映像が、大いに話題を呼んだ。

たった一年で空港は真新しく修復されたのだが、その近未来的な建造物の前に果てしなく砂丘だけが広がっているのは、ここが日本だとは思えない、まるで『スター・ウォーズ』のセットかと見紛うばかりだ。

しかしここでは、津波でやはり破壊されたはずの墓地だけは、たった一年ですっかり建て直されていた。

誰かが戻って来るのにも、家も建物もなにも残っていない(奇跡的に残っているのは丘の上の神社だけだ)のに、とりあえずお墓だけは(他に手をつけられるものがなかったにせよ)なんとか直そうとする。

恐らくここでも、骨壺すらほとんど流されて行方不明になってしまったのだろう。それでもここに生きて亡くなっていった先人達を祀るものだけでも、まず建て直そうとすること、そこに地元の人達の、この海岸で続いて来た生活の歴史への思いの強さを、感じずにはいられない。

風景はまるで砂漠かと見紛うほどに変わってしまっても、ここはやはり長い歴史のなかで多くの人達の営みがあり続けて来た場所なのだ。懸命の努力で建て直されたお墓は、まるであらゆる運命に抗して、その重みを静かに宣言しているようにも見える。


「津波があったところにまた住むのか」「危険ではないか」とすぐに思ってしまう、被災地以外の、とくに都会の人間は、やはりなにも分かっていないのかもしれない。

海岸の防風林の手前では、郵便の倉庫で働いていて津波に呑まれた人の、一周忌の法要が営まれていた。


4/07/2012

『失われた風景を忘れないために』



撮影:加藤孝信
音響:ジーモン・シュトックハウゼン

 福島第一原発による無人地帯から〜福島県双葉郡浪江町・請戸漁港、2011年4月21日

マルチスクリーン・ビデオ・インスタレーションのメイン映像

3/12/2012

3.11から一年、富岡町の浄林寺さんによる慰霊の法話

こちらのリンクでお聞き頂けます。日本人はみんな聞いた方がいい

大震災の一周年の日は、いわき市にいました。

慰霊祭を撮影させて下さった、富岡町から避難されているいわき市泉玉露仮設住宅の皆さん、どうもありがとうございました。

しかし日本の仏教の坊さんは、いろんな意味で凄い。なにこの説得力ある語り(あえてマイクなし)。

一口に「被災地」と言っても、それぞれに様々な立場があるはずだが、それを総括して恐らくは誰もが納得するレベルで1年間の困難の「意味」を語ることが出来るのは、やはりまだお寺の機能がちゃんと果たされて来た経験を、ご自身が今の困難を「精進」と受け止めているからだろう。

無論、主な聞き手はお年寄りであり、だから「若い人達とひとつ屋根で暮すことの出来なくなった辛さ」という言及になるのだろうが、それは簡単に子どもたちの世代の側から読み替えることも出来よう。

とくに9分あたりからの、ご本人が「悪口雑言」とおっしゃる下り、まったく持ってその通り。野田総理にも絶対に聞かせたい。

「自分達が今をどう生きるのか、その生き様こそが最大の供養である」という、その言葉を胸に富岡町のみなさん、警戒区域から避難させられたままの人達が生き抜いていくことを、居合わせた部外者として願わずにはいられない。

1/28/2012

『無人地帯』ベルリン映画祭用の宣伝素材づくり…

…まで、なんで監督がやっているのかよく分からないのではあるが、公式のポスターはこのデザインになった。


ここ数日は、明日から始まる最終の音声ミックス(5.1チャンネル・サラウンドのかなり変わった、映画館でないと意味を持たない使い方を模索している)の準備もそっちのけで、こうした宣伝素材の準備に忙殺されているのである。

ほぼ同じデザインながら、少し目立とう精神の(そしてベルリンへの出品がいかにも嬉しそうな)ポスターはこちら。


赤は目を引く色なので、こっちの方が目立つだろうと言えば目立つはずだけど、国際配給の Doc&Film の意見では、どうせベルリンで貼ればそこらじゅうで同じマークが目立ってるではないか、と。それはそうですね。

まあしかし、ベルリンはとても大きな映画祭だ。映画を見てもらうためには、前評判をどう作るかにしてもなにしろほぼ世界初上映なのだし、ポスターで目を引くというのは重要な手段なのだ。

かとって映画のイメージとかけ離れた客引きをやってしまうと、それはそれでかえって誤解され、悪評が広まることにだってなりかねないのだから難しい。

なおベルリンでの上映日程に関しては、本ブログのこちらのエントリーをみて下さい→『No Man's Zone 無人地帯』ベルリン国際映画祭へ

しかしパリに本社がある国際配給とのやり取りも、時差はネックであるものの今ではSkypeで直にもやりとり出来るのだから、便利になったものである。


こちらはプレスキットの表紙にする横位置のデザイン。


映画上映のデジタル化が急速に進む今日この頃、今回の上映では最初は考えていた35mmフィルムを作ることにもはや経費に見合った実があるわけでもなく、じゃあHDCAMかと思えばテープですらなく、なんとデータで納品ということになった。

これはまだ、さまざまなデジタル映像形式が混在するなか、リスクがないわけではないやり方ではあり、だからいろいろ細かいコーデックのパラメーターを指定されてもいるのだが、とはいえテープで送ったって、実際には映画祭の巨大サーバーにコピーして、そこから上映するのだ。テープ代が無駄と言えば無駄だろう。

映画のデジタル化というのは、実のところ経済的な必然性から進行しているものでもある。

確かにフィルムを作れば、本作はデジタル撮影だからネガに出力してプリントを焼いて字幕を打って、というだけですでに300万とか500万円はかかってしまうところが、DCP(デジタル・シネマ・パッケージ。大手の映画館での劇場用映画のデジタル上映は最近はほとんどが2KのDCPで、はっきり言えばアメリカ映画の場合、フィルムが複製の複製になることが多く、この方が奇麗で忠実な画で見られたりする)を作るのでも50万もかからない。

ブルーレイディスクなどはパソコンで焼いてしまえばメディアの代金は一枚100円を切っている。とはいえさすがに、ブルーレイ上映で(実はすごく圧縮されたデータだ)映画館でお客さんから1300円とか1500円とか1800円とるというのは、いかがなものかと思う。それじゃ市販品をレンタル屋で借りて自宅で見たって、同じことになってしまうではないか。

お金がかからなくなってデジタル化というのは一面、我々作家には有利な話だが、一方でその経済原理の原則からして、映画という制度的枠組みそのものがなくなってしまう危機も抱え込むことになる。元をただせば大きな画面で、大勢の不特定多数の、赤の他人の観客が集団でひとつの映像を同時に体験するというそのことこそが、上映素材がフィルムだろうがデジタルだろうが、確かに映画が映画たる由縁なのだ。

こと僕自身の作っている映画は、『無人地帯』も例外ではなく…というよりむしろもっとも極端な例として、大画面で一気に(途中で一時停止して一休みなんてせずに)見ることを想定した、映画としてのあり方を追及している。必ずしも小さな画面でおもしろいものではなく、むしろ大きな画面で部分部分を凝視したときに見えて来る細部であるとかも、こと『無人地帯』の場合は重要になる。

今最終段階に入っている音の作業にしても、浜通りの20Km圏内や飯舘村の音、遠くからのうぐいすの声ですら鮮明に聴こえる自然の豊かさと空気の透明感のなかに観客もまた身を置いてもらうため、映画として見ないと得られない体験を狙って、サラウンド音響を新たに作り直そうとしているのだし。

暗い映画館のなかで見知らぬ他人とともに、唯一の光源であるスクリーンを凝視しながら、そのなかに別の世界を見て、その世界の時間を生きること。映画館自体がこういう別世界への架け橋になるのが、本来の映画体験のはずだ。

ことドキュメンタリー映画の場合、つまりなぜドキュメンタリー【映画】なのかと言えば、「テレビでは出来ないことをやる」なんて後ろ向きの態度ではなく、映画だからこそやるべき、出来る表現、情報を得たり分かり易い感情のセンチメンタルな自己同一化で涙するのでなく、別の世界、今自分がここにいるのとは別の現実を、その世界まるごと体験させるのが、やはり映画のはずなのだ。

で、予告編の最終決定版はこちら。



それにしても、本当は映画の宣伝にいちばん向いていないのは監督本人なのだろうが…。つまりたとえば予告編なら、監督自身のお気に入りのシーンをつなぎ合わせてみたところで、それが将来の観客の興味を喚起する映像の流れになるわけではない。

本編の効率よいダイジェスト版が予告編になるわけでもないのだが、監督はやはり自分が作った本編の構造にすっかり囚われているので、基本ダイジェスト版を作ってしまいがちだ。

逆にあえて自分の映画の宣伝素材を自分で作ると、自分の映画を客観化して冷静に見なおす勉強にもなるわけでもあるのだけれど…。

とはいえ、少々疲れる話だ…。パソコンもパソコンでフル稼働だし。

1/26/2012

テオ・アンゲロプロス死去

テオ・アンゲロプロスが新作『もうひとつの海』の撮影現場に向かおうと道を渡っていたところ、バイクに跳ねられて急死したという。

テオ・アンゲロプロス『旅芸人の記録』


率直に言えば、アンゲロプロスが偉大な映画作家であったのは、間違いなく彼のもっとも美しく端正な映画であろう『霧の中の風景』と、失敗作かも知れないが偉大な映画である『こうのとり・たちずさんで』までだと思っている…と亡くなったその日にわざわざ言うことでもないのだが、しかし『ユリシーズの瞳』以降の彼は、「世界的な巨匠」であり「保守的な祖国では不遇な左派の映画作家」であることに溺れてしまっていた感がある。

『蜂の旅人』『こうのとり・たちずさんで』の主演がマルチェロ・マストロヤンニであることになんの問題もない。晩年のマストロヤンニは真に偉大な俳優であり、しかも発音だけでギリシャ語の台詞を憶えてしまい、『蜂の〜』ではまだ完成した映画では吹き替えだったが、『こうのとり〜』では本人の声で、ギリシャ人からみてもなんの違和感もないらしい。

テオ・アンゲロプロス『こうのとり・たちずさんで』より、結婚式

撮影風景を撮ったテレビ・ドキュメンタリーでは、マストロヤンニは主な撮影の地となったフロリナの市場で撮影隊の食事のために買い出しをしていて(みんなのために料理を作るのが趣味!)、普通に売り子に「今日はなにがうまいかね」と野菜や魚を物色したり世間話をしたり…あの年齢でギリシャ語をほとんどマスターしてしまっていたのだ。

『こうのとり〜』の謎めいた元政治家を演じられるだけの貫禄と深みとミステリーを持った俳優といえば、やはりマストロヤンニに並ぶ人は当時いなかったと思う。


だがそのマストロヤンニのために書かれた『永遠と一日』の詩人の役を、本人が亡くなってしまい演じられなくなってから、テオ・アンゲロプロスの映画は変わってしまった。ブルーノ・ガンツはいい俳優だ。だが詩人の役で、その文章が作品の重要な要素だと言うのに、そのボイスオーバーが他人の声では、それだけでも映画的な厚みは消え失せてしまう。

ところが、最新作の『もうひとつの海』の準備段階で、アンゲロプロスは経済危機に直面したギリシャについて、珍しく一方的な政権批判ではなく、「右派も左派も反省して考え直さなければならない」と語っている。この態度は、マストロヤンニという盟友/名優を失って以降「巨匠」であることに頑になってしまっていた彼とは、どこかが明らかに違うと思う。

アンゲロプロスは道路を渡っていてバイクに跳ねられたそうだ。運転していたのが非番とはいえ警官だったというのが、テオらしいといえばテオらしい。

いやそれ以上にテオらしいのは、どうも『こうのとり』や『霧の中』を撮っていた頃の彼のように、どうも早足で、考えことをしながら、脇目もふらずセットに向かって歩いて行く途中だったらしいことだ。映画についての考えごとに熱中するあまり、バイクが来ていることにも気づかなかったのかも知れない。死んだことにも気づいてなかったりして。

思えば『霧の中の風景』と『こうのとり・たちずさんで』は、後の『永遠と一日』と合わせて「国境/境界の三部作」として構想されていたわけだが、それは冷戦が終わり鉄のカーテンが崩れ、しかしその一瞬の希望がまたたくまに中央ヨーロッパの混沌になったその時代のアクチュアルを、見事なまでの詩的表現ながら、ひりひりするような現実への感性を秘めた映画だったわけだ。

その彼の国のギリシャが、今はさらなる大きな危機の前に途方に呉れている。一時期はギリシャをまったく好きではなくなったらしいという噂もあったアンゲロプロスが、再び祖国のアクチュアルな問題に本気で取り組んだのが『もうひとつの海』なのだとしたら、いかにもテオらしい亡くなり方(映画の撮影中に死ぬというのは、映画作家にとってはある意味本能の、うらやましい話だし)は、あまりに残念なことだ。

未完でもいいから、見てみたい。

『霧の中の風景』より


テオ・アンゲロプロス公式サイト:http://www.theoangelopoulos.com