最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

4/11/2009

大阪に行って来ました(実はもう4週間前ですが)

北朝鮮の「飛翔体」についての国連における動きは、アメリカと中国は最初から騒ぎを大きくしないで、半ば無視、形だけで納めるよう結託してたことが、やっぱり明らかになって来た。そりゃそうだ、騒いだって意味がないんだから。アメリカが狙ってたのが「議長声明」を落としどころに妥協を演ずることだったのが木曜辺りから我がニッポン外務省にもわかって来て一部の幹部が怒ってたそうだが、でもやっぱり先日このブログが指摘・予測した通りの流れだったわけですな。

ここは「有名になれない映画監督が勝手に愚痴を書き込む日記」なのでカテゴリーは “映画関係” のはずなのだが、開始早々、大連立騒動・小沢一郎ヘソ曲げ辞表提出事件について「辞めるわけないでしょ」と断言してその通りになって以来、フツーの報道を常識で解釈するだけの当てずっぽうに書いている政治関連の観測や予測が、マスコミ全般で報道する予測よりもずっと正確ぢゃんか(苦笑)。この調子だと政治ウォッチ・ブログに看板を架け替えて、政治コラムニストでも始めた方がいいような気がして来る。というか、なんでプロの政治記者さんたちに、このブロク筆者でも分かるほど常識レベルのことが分からないのかが、いちばん不思議なわけですが。いやそれ以上に、なんで外務省も官邸も、外交が得意と思い込んでる総理大臣もそのくらいのことが読めないわけ?

毎日新聞の本日朝刊によれば、外務省の一部でも今回のミサイル騒動について、当初から当ブログと同じような見方をしていたらしい。それが後付けの言い訳だとしたらちょっと情けないけど、本当だったらもっと困った話で、しかもこのブログで先読みできる程度の分かり切った話なのだから、たぶん彼らだって最初から分かっていたのだ。なのにその観測からすれば悪い方へ悪い方へ、日本の立場が悪くなるようなことしかやらない現在のニッポン政府っていったい…。まあ外務省では、日本が北方領土問題でロシアに妥協することを首相が気づきもしないまま賛成しちゃった日露首脳会談、引き続き「言いたいことは全部向こうが言ってくれた」と麻生が喜んだらしい日米首脳会談のあたりから、「首相機関説」という冗談にもならない冗談をボヤいているらしいけど…。

ロシアのメドヴェージェフさんが「過去に囚われずに創造的アプローチ」って言ったんだったら、そう簡単に賛成しちゃだめでしょうが。どういう「過去」でどういう「創造」か押さえておかない限り、それって「ロシアにとって創造的なアプローチのためには、日本の過去に囚われないで下さい」という意味にしか、向こうが言っている以上ならないんだけど…。しかも日本がまだ公式に領有を承認してない南樺太にノコノコと渡航して、そこで首脳会談って…。それならその前に、「我が国は領有権は放棄してますが、ここで改めて貴国の領土と認めてあげましょう」くらい釘をささないでどうするんだ、この人は?

まあ「麻生はバカ」なんていまさら分かりきった当然のことは、いまさらどうでもいいから閑話休題。

大阪で『ぼくらはもう帰れない』がアンコール上映されることだけは先日ここで通知しておきながら、そもそもの本上映についてなにも書いていませんで、分かりにくくてすみません。まず3月13日に本上映があって、それに合わせて(つまり4週間前の金曜日から)大阪に行って舞台挨拶などを済ませ、そのままなんとなく4日ほど滞在して来ました。

というわけでこちらの写真は通天閣のそばの「いかにも大阪」な風景。あまりに「大阪」っぽくてビリケンさんまでおるし、わざわざ大阪・新世界と言う必要すらないか。いやさすがに、これは観光的に極端化された光景なのだろうと言いたいところが、必ずしもそういうわけでもないから凄い…。

シネドライブという自主映画上映イヴェントの一貫だったのだが、シネドライヴ自体が「大阪アジアン映画祭」の一貫・協賛企画で、この映画祭のディレクターで大阪のミニシアター系映画館の名館シネヌーヴォなどを仕切る親分の景山理さんに、「せっかく来たんだから映画祭も見て行ってよ」と言うわけで(ついでにイザと言う時助っ人通訳してよ、ってこと?)、事務所やらご自宅やらに連泊・居候させて頂いた次第。鬱的傾向がかなり進んでたところだったところで景山さんだけでなくご家族一同に歓待して頂き、大阪も見て回り、なかなかいいヴァケーションの気分転換でした。この場を借りてお礼m(_ _)m。

大阪アジアン映画祭がなかなか大変な映画祭で、たった4日の開催期間で上映作品のほとんどは日本初上映で、ここ一回限りの上映になるのだからちょっともったいないほどぜーたくで、字幕翻訳だけでもお金は大変だったはず。なかでも掘り出し物は、インドネシアの怪作『空を飛びたい盲目のブタ』。要するに人間は愚かな欲望に突き動かされる盲目のブタに過ぎないと言わんばかりの豪快さと、濃厚な翳りに満ちたスタイルが天晴れで、笑っていいのか頭を抱えるべきなのか? スティーヴィー・ワンダーの「心の愛」をしつこく繰り返して使ってギャグにしてしまい、あげくには劇中でカラオケ・ビデオまで作っちゃったり(その映像は96年のジャカルタ暴動鎮圧のニュース映像なんだから痛烈)、大胆不敵でかつ緻密・狡猾。

わざわざ極度に抽象化・断片化して普遍的レベルに昇華しているのに、インドネシアの政治状況とか同性愛とかのことが分からない理解できない、難解とか言い出しそうな人は多そうだけど…。根本的にはかなりストレートな映画だと思うんだけど…だって要するに、人間は愚かな欲望に突き動かされる盲目のブタに過ぎず、空を飛びたい(=自由になりたい)はずなのに俗世の地べたでのたうち廻ってるだけなんだから。それを「いやインドネシアの民族構成では中国系は少数で…」とか言ってたって、そんなんだから「空を飛びたくても飛べないでブタ」のまま、そこから逃れられないなんでしょう、たぶん。イスラム教に改宗したい、というエピソードなんてそんなに難しく考えることはない。イスラムは一夫多妻だから、もう一人結婚したい相手がいるから改宗するってだけの話なんだから。

あともう一本挙げるとしたら、ただ「かわいい」と言うだけでなんにも文句が言えなくなってしまうタイのゲイ青春映画『サイアム・スクエア』。いやまあ、お話はほとんど少女漫画だし、音楽の使い方はベタベタにメロドラマだし、無駄に長いし、やたらクレーンを使ってるのもちとウザいし、と文句のつけようはいくらでもあるはずなのに、そんなことどうでもいいくらいにあまりにかわいい映画なのでついニコニコして見てしまうし、普通ならこの年齢になれば失笑しちゃうようなメッセージ性たっぷりの主題歌ラヴソング(「愛があれば希望がある」だって・笑)にまでなんだかホロっと来てしまう(と思ったら景山サンが号泣してた模様)。普通ならバカバカしくなっちゃいそうなお話がなぜか見てられるのは、コテコテのカメラワークなのに演出がどこがみずみずしいのと、なによりもとにかく主役の男の子二人が「かわいい」からとしか言いようがないのだが、なんとまったくの素人の高校生だったんだそうな。素人…というかホンモノの人間を適確に使うことができればそれだけでも十分に映画になってしまう−−とそれならば、イーストウッドの『グラン・トリノ』なんてもっととんでもないわけだが。

こういうことが普通ならものすごく難しいのは言うまでもない。とりわけ『グラン・トリノ』の場合は本当にもう、イーストウッドでないと絶対にできないような使い方だし。ちなみにこの映画でイーストウッド演じる主人公の隣人となるモン族の姉弟(ビー・ヴァン、アーニー・ヘイ)も、とにかくかわいい。イーストウッド映画ならではのもの凄い顔をした老祈祷師なんかも出て来て、とにかくプロ俳優でない人々の顔が素晴らしい映画だ(もちろんそれだけじゃないけど)。

ちなみに『サイアム・スクエア』の二人の場合は、映画がタイで大ヒットして、今や東南アジアのジャニーズ系みたいな大スターになっちゃってるらしい。Youtubeに出ている映像を見ると、スターになったとたんにこの映画のなかでのなんとも愛くるしいみずみずしさが、なんだかなくなっちゃった気もするけど…。

註)ちなみに『グラン・トリノ』は4月25日から全国公開。『サイアム・スクエア』は『ミウの歌』の題名で7月にDVDが発売されるそうです。さらにちなみに、『ぼくらはもう帰れない』も実は出演者がみんな素人、かつ脚本はなしの即興というのも、ウリのひとつだったんでしたっけ(…としらばっくれて自己宣伝・笑)。


それにしても「アジア」っていう枠組みだけでまったく性質も観客層も異なる映画(メロドラマ青春映画と、大胆な政治的前衛コメディ?)が同居してお客様がおもしろがるのか戸惑うのか、続けるのは大変だろうが、このてんこ盛り濃厚プログラムも含めていかにも大阪っぽい映画祭である。景山さん、来年も頑張って下さい。

実は大阪にちゃんと滞在するというのは下手すると今回が初めてかも知れないほどで、最後に来たのは原一男監督についてのTVドキュメンタリーの撮影で京都ロケのあと景山さんにインタビューしにいった時だったような気がするけど、この時は大阪について撮影して、すぐに帰京したような次第だったし。だが事実上初めてみたいなものなのに、大阪っぽい街の空気というのはすぐに感じるし、この景山さんの映画祭にも共通する感覚があるように思う−−無理やり言葉にするなら、「まったく性質の異なるものが濃密に隣接しててんこ盛り」とでも言うべきか。

ちなみに本日のトップ写真は天王寺駅前の閉鎖されている遊園地から通天閣方向、二枚目は大阪天神で、きれいな梅が咲いてました。あっというまにもう桜の季節だよ…。

ビリケン像を店先においた文字通り異質な要素が衝突しまくりの居酒屋の写真と、映画の紹介写真をはさんで、このすぐ上の写真と右の写真はアジアン映画祭の会場だったABCホール近辺の中之島あたりの、再開発まっただなかの風景です。

もっと言うならバラバラの要素がそれぞれに周囲を無視するどころか対抗するように自己主張し、調和とか遠慮を街並そのものが考えようとしていないような、潔いまでのバラバラ加減というか…。とくに建築的・都市設計(というか無設計)にはその大阪っぽさが顕著に思えるのだが、それはここに住んで働く人々の生活感や価値観と、共通するものなのだろうか?

再開発が進み高層ビルなどが増えている地域ではあるんですが、わざと隣のビルとは高さもデザインも絶対に揃えまい、うちのビルは隣より目立たせるんだ、と意識してやらないとこうは出来ないかも知れない統一感のなさ。なにせそのABCホールのすぐそばが、この大阪的路地裏的風景ですから。

そんなこんなで建物たちが自意識過剰だと、あげくにはこの右の写真のようなウルトラ成金趣味なラブホと見まがうような建築まで(笑)、意外と違和感なく見えて来たりして…。イヤ、別に廻りもハデだからとかそういうことでなく、ただ勝手にやってるように見えるんだからどうぞご勝手にということにおいて。

東京だって超近代的再開発地区のポストモダニズムな高層建築が意外と低層の商売や住宅の地域と近接している地域も多く、『ぼくらはもう帰れない』でもそういうシティースケープの突然の変化は意識して撮ったのだが、まだ低層は低層でほぼ統一した高さなのに較べて、大阪だと低層は低層で隣と高さを揃えるのは拒否するみたいな雰囲気だし、高層は高層で近いビルどうしがランドマークの地位をめぐって争奪戦をしているようにも見えて来る。スチル写真でこの特徴を生かしながらそれなりの調和ある構図で撮るのも大変なんだけど、じゃあ映画だったらどうやって撮ったらいいのだろう、とかつい考えてしまう。

確か阪急梅田駅の東側とかそのあたりだったと思いますが、こうなるるとさすがに凄くありません、この組み合わせ? (特に画面奥/中央に注目)。

歩いていると、ところどころで戦前・昭和初期のモダニズムというか、和製バウハウスやアールデコ影響下のけっこう立派な建物が突然目に入ったりするのも、それがまったく周囲と調和してないでどーんと現れるのも、このテの建築が決して嫌いではないこともあって、ふと目を引かれます。

この左の写真のアールデコな建物なんて、上に載せたスーパーデコラティフな(^^;)宗教団体の本部かなにかと、同じ並びだし…。

シンプルで洗練されたフォルム、窓の配列、ビルの名前のデザインも、なかなか。

ABCホールあたりより川のずっと東の方、中之島公園(写真手前)は現在再整備の工事中で入れませんでした。大阪証券取引所や御堂筋線・淀屋橋駅の近くから、対岸を臨む。工事現場がもの凄く多い、そこらじゅうで工事しているのも、決して嫌いではない。この不況の時代にいつ中止され更地で放置されるか分からないけど。

3 件のコメント:

  1. 映画侠区・戸田光啓4/16/2009

    今頃で何なのですが、いろいろとお世話になりまして
    ありがとうございます。

    『ぼくらはもう帰れない』は、
    観た者すべてが戦慄を覚えているようで、
    再上映が待たれます。

    その日が有らん事を願います。
    またお目にかかりましょう。

    何か面白い?DVDをお贈りします。

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  2. 戸田光啓様、

    いやどうも賞までいただきありがとうございます m(_ _)m。

    > 観た者すべてが戦慄を覚えているようで、

    戦慄、ですか…? 作ってる側はいいかげんなコメディのつもりだったんですけど。まあ映画というものは見る人次第で、作ってる側は無自覚なものですから。

    > 何か面白い?DVDをお贈りします。

    どうもです。

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