最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

8/03/2013

被災地で映画を撮るということ・その4


このお題は一昨年の5月以来、何度かこのブログに書いて来たことだ。





毎回毎回、書くべきことも、書くのには微妙なことも多く、どうにも考えの半分くらいしか書けて来ていない、奥歯にものが挟まった感じが否めないのだが、さて今回こそ、ちゃんと書けるだろうか?

一昨年の震災と原発事故の結果、神戸の震災やサリン事件とは比べ物にならないほど、膨大な量の映画が「被災地」「被災者」について作られた。誤解を恐れずに言えば、東日本大震災について、あっというまにこれだけの映画が作られたことは、ある意味で「安易」である。

自分だって『無人地帯』という警戒区域になる直前の20Km圏内、ようやく“兵糧攻め” が終わったばかりのいわき市、避難直前(のはずだった・実際にはちょっと違った)の飯舘村を撮った映画を作り、今もその続編をやっているのに、他の人が撮ったものに、僕自身は関心がほとんどないのが、正直なところだ。

別に「影響されたくない」とか「ライバル視してもしょうがない」というわけですらなく、単になんとなく、自分自身の気持ちとしては興味が湧かないだけです。むしろ「影響されたくない」を見ないことのいいわけにしたくらい、怠け者なんでしょう。

とはいえ映画祭だのシンポジウムなどの機会もあるので、こうなると義務としてなんだかんだ見てはいるが、よほどの理由がない限り、言及する気もしないし、シンポジウムで出される議題にも、いかにも「フクシマの人々のために映画を撮った」と語る同業者にも、困惑したりする。

「きれいに生きたい」のは分からないでもないが、そんなに人の上に立って正義の味方と認められたいのだろうか、とか思ってしまう

いや想像を絶する大津波に息を呑み、「安全神話の崩壊」なんて暢気な話ではなく、私たちの文明や科学が予想できていた範疇を越えた、文字通り想定外の事態で原発事故が起こり、原子力の宿命としてなにも見えない(原子炉の中なんて目視出来ないし、放射能も目に見えない)破壊に直面し、そのことに対して私たちの文明も知性も恐ろしく無力であることを目の当たりにすれば、この三重の大災害(天災二つと想定外の人災)を前に、「自分は正しい」と思える立場なんて、存在し得ないと思って来たのだが。

だからなんだろうか、震災直後にはタルコフスキーとかアレクセイ・ゲルマンとか、ロシア=ソ連映画を、なぜか見ていた。 20世紀にもっとも不条理に直面した文化が産んだ映画だからかも知れない。
『無人地帯』を撮ったのも、自己分析をあえてするのであれば、全体像なんて誰にも捉えられないであろうこの災厄の、しかしそれでもその総体が持ち得る意味をなんとか映画という手段で探るため、いわば最初から答えのないのが分かっている問いに、一本の映画という解答を提示するためだと言ってもいいのだろう。


だいたい直接に「被災者のため」を望むんでいるのなら、ボランティアをやるか、映画作りでなく報道に専念するか、それこそ政治家を目指す方が手っ取り早いんじゃないか?

でもボランティアだって報道だって、「自分がやりたいからやる」でないと続かないと思いますよ 。

それに「自分がやりたいからやっている」のだからこそ「迷惑はかけちゃいけない」わけで、然るべき配慮が出来るようになるのだし。


『無人地帯』は断じて「福島の人々のため」という恩着せがましいつもりで作った映画ではない


自分が原発事故について映画を撮るべきだと思ったから撮っただけだ。テーマの重要性も考えるにせよ、それ以上に「目に見える破壊(津波・地震)と目に見えない破壊(放射能と風評)を映画として誠実に表現することは可能なのか?」、そのチャレンジに惹かれたことの方が大きいとさえ言える。


続編『…そして、春』を撮っているのも、つき合い続けるのが義務だとか、責任感だとかでもなんでもなく、こういっては誤解されそうだが、主題そのものは辛いものなのに、撮りに行くのがおもしろい、楽しいとさえ言える。

『無人地帯』の出演者のなかには『…そして、春』に再登場する人もいるが、正直に言ってしまえば、再会するのが嬉しいのだ。


だいたい「3月10日に一時帰宅するんだけど、来ない?」という友達の誘いがあって、「わざわざありがとう、なら行くよ」で始まった企画だったりする。
しかも偶然なのかそう申請したのか、わざわざ震災の一周年の前日に一時帰宅するんだから…。そういう友達との付き合いが続く理由になるんだから、撮り続けちゃうのも当然でしょう? 



とはいえ震災や原発事故を撮ると「社会的関心の高い、真面目な人」と見られるのはしょうがないんだろうし、また実際に被災地の皆さんにお世話になって手間をかけているのだから、せっかくいろいろとキャメラの前で話して下さることは、少しでも世の中に伝えなければならない。

ただそれは当然ついてまわる話であって、ことさら吹聴したり、それが動機だと言い張るのも、はしたないような気がするし。

先週末には、一部の「帰宅困難地域」を除けば日中には出入りができる、双葉郡の「避難準備区域」になった場所や、南相馬市の相馬野馬追いを見て来た。続編『…そして、春』は震災後一周年から始まって丸一年の記録という構想だったはず、撮影は終わってるはずだと叱られそうだが、誘われたりするとつい行きたくなってしまう、行ってしまえば撮ってしまう。



まあ映画なんて、結局は「自分達が作りたいから作る」ものでしかない。そして僕たちは結局、「おもしろい映画を作りたい」だけなのだ。

それが結果として何か社会に貢献したり、ドキュメンタリーなら出てくれた人の現実や、その考え、その言葉を世間に伝えることになるとしても、「誰某のため」などと義務感、責任感を口にするのは、ずいぶん厚かましい大言壮語に思える。

とはいえ「震災・原発事故もの」には「被災地の現実を伝える」、被災地への支援や復興への理解に役立てる、という役割は本来なら当然引き受けてしまうわけで、広く見られなければ困るのはその通りなのだが、このドキュメンタリー映画のサブ・ジャンルと何本かの劇映画が直面した現実を言えば、ほとんど世の中に影響を与えることも、議論を喚起することもなく、ニッチ・マーケットに留まり、商売として成立することも難しいまま、すでに消えつつある。

『無人地帯』の日本での公開となると、被災地以外、とくに東京の人には刺激が強過ぎるから、緊急報告的な中身にはならなかったことだし、少し世の中が冷静になってちゃんと理解されそうになってからにしようという話だったので、今はちょっと困ってしまっているのが、正直なところである。 
少しでも多くの人が見て下さり、「原発事故とはどういうものなのか」をじっくり考えて頂けるタイミングを見計らっていたら、どうにもただ「忘れられた」「関心が薄れた」だけになっているようで…。
 ちなみにスイス版のDVDはこちらで購入できます。
 なお9月には、新潟県のながおか映画祭で上映。  
…というよりもっと怖いのは、つまり原発事故で避難した人たちについてただ「忘れられた」「関心が薄れた」となっているわけで、むしろこちらの不甲斐なさを心苦しく思うべき話でもある。

どうもニッチ産業の徒花になりそうな「震災・原発事故もの」映画のなかで、唯一の例外があるとしたら、こればかりは現実社会に作用しそこの人々の一生に影響を与えてしまったことを否定しようがないのが、『フタバから遠く離れて』だろう。

 映画『フタバから遠く離れて』予告編

この映画それ自体の批評というのではなく、それがどう現実に影響してしまったのかを、やはりそろそろ、ちゃんと言わなければならないように思う。

今さらこんなこと言い訳めいて書くのもどうかとは思うが、本当は最初から想定の範疇のことだし、それが現実になる前にはっきり警告しておくべきだったことは反省しなければなるまい。

本来なら芸術作品が現実を変えるのは、あくまで見て感動した人間の方を変えるのが役割であって、作った側の人生が変わるのは不可避な結果論でしかない(そしてたいがいの芸術家はそこで堕落する)。

撮られた側、モデルや題材になった側が振り回され損をするのに至っては、あってはならないことのはずなのだが、『フタバから遠く離れて』というの映画の場合、世の中が双葉町のことを考える、避難させられた町の人たちに気を遣う契機にはほとんどなかった代わりに(見た人とて、後述するように事前の期待を「再確認」することにしかならなかったわけで)、取材対象となった埼玉県に避難した双葉町が分断・分裂の危機に陥る契機のひとつに、この映画がなってしまったことは否定しようがない。



いや、そうなることは映画それ自体が持っていた構図からすぐに想定出来ることなのに、作り手や興行・配給が細心の注意を払うべきところ、むしろそれを怠り、映画が現実を左右し振り回し得ることを、むしろ確信犯的に(しかし恐らくは途方もない無自覚さで)、加速させてしまったようにも見える。

映画それ自体が持っていた構図に関して言えば、『フタバから遠く離れて』だけを批判するのはフェアではない。

むしろ「震災・原発事故もの」のドキュメンタリーの多くや、何本か作られた劇映画のほとんどすべてに共通する問題であって、『フタバから遠く離れて』の場合はたまたまその組み合わせから、現実の双葉町の人たちを振り回す結果になっただけで、こうなる危険を抱えた「震災・原発事故もの」は多い(というか、ほとんどがそう)のだし、それはTV報道も同様だ。

たとえば陸前高田の奇跡の一本松をはじめ、メディアの狂躁に振り回される被災地の例は枚挙に暇がない。
枯死してしまった幹に樹脂を注入し、強化プラスチックの枝つきで「永久保存」される、それだけ聞けばほとんどブラックユーモアのような結果になってしまったからといって、地元を冷笑できるものでは決してない。 
町がまるごと津波で消えてしまったまま、津波被害の跡地になにも建てられない陸前高田には、他に「売り物」になるもの、ここ以外の日本、とくに東京に注目してもらえるものが、文字通りなにも残されていない。 
そして東京に忘れられることは、支援が途絶えること、政治で無視されることに通じ、被災地の多くの自治体にとっては死活問題になる。 
だから東京のメディアが話題にすれば、それに追随しないことはもの凄く難しいのだ。どうしても報道に振り回されてしまうのだ。


では「震災・原発事故もの」の映画や報道の多くは、なにが最初から問題であり、危険だったのか?

『フタバから遠く離れて』について製作者側が無邪気に明言してしまっているのだが、「とにかく福島からいちばん遠くに避難したことがいちばん理解出来た、自分には分かり易かった」のだそうだ。


「自分達が即座に理解出来るもの」を撮ることから始まり、そこで「理解したつもり」の自己満足(その実、ただの「期待通り」でしかない)に、撮られる側の被災地を巻き込むことでしか、映画が成立していないのである。

そしてそうした映画は、作家が表明する関心(たとえば「反原発」や「政府批判」などの政治性の図式)に共鳴した観客(主に都市部の、「意識の高い」)を集めるように宣伝され、作家と観客の共通した期待通りの「自分達にいちばん理解できる被災地、ないしフクシマの人々」像を再確認することで、消費される。

そこに最初から「理解出来る」=「味方できる、自分達の側」の予定調和しかないのなら、なにかが根本的に間違っているとしか言いようがない。

他者が巨大な天変地異を前になにを思い、どう振る舞うのかを「自分が理解できる範囲」で済ませてしまうなら、そのことだけでも、えらく無邪気に傲慢だ。

この三重の大災害を前に、僕たちがとれる「正しい」立場なんて恐らくはないのだし、まして被災して避難させられた人たちのこれからの人生は、その人たちにしか選択できないものだ。その人たちの現実をまず理解しようと努めるわけでもないのに、僕らが大所高所から「いちばん理解できる」「これが正しい」なんて言えるわけがない。

まして原発事故の場合、なんといっても福島第一原発は東京電力の発電所、東京のための電気なのである。

今の事故が東京の電気の必要性から福島浜通りに原発が作られることがなければ起こりえなかった以上、消費地もまた責任の一端を免れ得ないことを私たちが未だに誤摩化している以上にスキャンダラスなのは、にも関わらずこの事故が起こるまで、東京の私たちはそこに私たちのための原発があったことすら、忘れていたことだ。

そこに原発があることすら忘れていた我々にとって「いちばん理解出来る」って…


…なぜそこに原発が出来たのかの、なぜ地元が受け入れざるを得なかったのかの経緯を考えもしなかったのが我々ではないのか?

同じ人間、それこそ同じ日本人なのに、なぜ潜在的に危険があるのは百も承知の原発を受け入れたのか、理解する気すらなかったのではないか?

なぜ福島浜通りに原発がふたつも建てられたのか?

「原発マネー」?交付金で潤う?それ以前に、東京が電気を必要としていると言われれば、彼らはおよそ断れる立場にはいなかったのだが。

「東京の電気は、日本全体の発展のため、日本中がみんなで豊かになるためなんだ」

高度経済成長の時代に、都会への出稼ぎなしには生活が成り立たず、進学率も低かった福島県の、それも東北本線などの主要な鉄道路や幹線道路から外れて県庁所在地からも離れた浜通りの、(こういう言い方もひどいとは思うが)いわば “後進地帯” がこのように言われたら、断りようがないなんて、分かり切ったことなのに。

成田空港だって、その計画が唐突に、晴天の霹靂のように決まったとき、三里塚の農民で反対できたのは実際にはごく一部だ。  
それも敷地の大半が天皇家の牧場だったから、三里塚が天皇と特別の関係にあった「明治大帝偉業発祥の地」だったからこそ、断ろうとも思えたのだ。  
多くの農民や住民は、反対したくなかったのではない、出来なかったのだ。 
一部の裕福な、大学に通うことが出来た若者なら、まだそういう「都会の、偉いお役人の論理」に対抗する理論武装も出来た者もいた。 
だが日々の農作業と生活に根ざした知性がどれだけあっても、三里塚の農村が「それはおかしいんじゃないか」と思ったところで、誰があの時代に聞く耳を持っただろうか?  
しかも三里塚闘争の結果は、あの手この手で農村コミュニティがずたずたにされただけではない。三里塚の農民=過激派という差別的なレッテルは当時蔓延したし、びっくりすることに今でも立派に有効なのだ。都会の決めたことに反対して「同じように思われること」は絶対に避けたい、という日本の戦後農村史のトラウマにさえなっている。 

断れば「地元のエゴだ」「古くさい土地だから進歩を拒否している」「遅れている」「教育がない田舎者」等々、なにを言われるか分かったものではない。





福島以北の東北太平洋岸(下手すれば茨城以北?)が近現代の日本でいわば忘れられつつ搾取される地理であり続けて来たことも含めて反省するならば、「震災・原発事故もの」映画は、ほとんどが東京中心の映画業界の産物であるのだし、私たちが自分は知らなかった、忘れていたことの克服として、まずよく見て、観察し、考えることでその土地やその人たちを理解しようという態度から、始まるべきだった。


「東京の電気のためだった」 

事故発生直後のTVの取材でこの率直な言葉を言ってもらえたのは、テレビ朝日系の日曜朝の報道番組で行った、姜尚中さんだけだった。  
在日だろうが日本人だろうが同じ人間とはいえ、そこまで信頼されたのが在日の姜さんだけだったというのなら、「同じ日本人」のはずの我々はちょっと恥じたっていい。 
ところが、あくまで噂であって真偽のほどは定かではないが、「やっと本当のことが聴けた」と僕が見ていた姜尚中さんのレポートは、「反省してない、生意気だ」と視聴者からの苦情が相次いだとか、局内で不評だったとか 。

都会の、東京の人たちが「きれいに生きたい」のは分からないでもない。

だが、人の上に立ったつもりで正義の味方をやっているには、この原発事故はあまりに無理がある話なのだ

なにしろ僕たちは、40年間その電気を使いながら、そこに原発があることすら忘れていた。確か2004年、耐用年数延長の決定や、その際に福一の津波想定に瑕疵があったこと(貞観地震の歴史記録が発見された)が報道されていたことすら、東京ではほとんど誰も憶えていなかったのだ。

なのにその東京の人間が、無自覚に上に立った気分で、正義の味方のつもりで「自分達にいちばん理解出来るから」というのなら、「東京の人はここで電気を作ってるってことも知らないらしい。二、三日停めてやったら気がつくかな?」と冗談で言っていた双葉町の人たちからすれば、あまりに馬鹿にした話に聴こえたとしても、僕には当然に思える。

でもそれを言ったら僕たちが傷つくだろうと分かってるから、先方はめったに言いませんよ。 
そこまで気を遣ってくれている、ってことくらい想像しようよ。 

だが福島以北の東北太平洋岸を忘れられた地理として来れた人たちは、案の定、自分たちに対してその忘れられた人々が置かれた立場にも無頓着だった。


先方からみれば、逆らおうものなら「地元のエゴだ」「古くさい土地だから進歩を拒否している」「遅れている」「教育がない田舎者」等々、なにを言われるか分かったものではない。

それこそ三里塚ばりに「過激派」で「火炎瓶が」云々とすら言われかねない。


なのに僕たちは僕たちで、自分達が相手から見ればそういう存在であることにも無自覚なまま、「自分達にいちばん理解出来るフクシマの人々」を、無邪気に求めてしまう。その期待を裏切りそうな対象は撮らない、排除する(だから三里塚の農民は「過激派」でなくてはならない)だけではない。

露骨に敵意さえ向けてしまうのだ。

この構図は、今はいわゆる「反原発」陣営によって(無自覚に、そして傲慢に)繰り返されている。 
「放射能は安全だ」「身体にいい」なんてどこのトンデモが言ったのかも知らないが、山下俊一先生がそう言ったとかいうデマまで蔓延し(言うわけないだろ?)、まっとうな医学者の、筋の通っている説明だけに、素人とはいえ農家とか漁民なら自然や生活の現実に根ざしてるから納得できる見解を、ちゃんと勉強していたら、逆に「御用学者に騙される愚かな田舎者」「原発マネーに目がくらんだ」とレッテルを貼られる。   
言外の言に、福島県は高校・大学への進学率が低いなど、どうせ教育のない田舎者だから金につられるのだ、という差別偏見の悪意に満ちた誤解がこびりついていることに、言っている本人たちはまるで無自覚だ。   
いや中学レベルの理科や社会科すら踏まえてないのは誰なんだって?  
理科の話は一昨年にも書いたし、「御用」とか罵られながらも誠実に発言を続ける専門家の方もいるので繰り返さないが、社会科について言えば、「チェルノブイリでは避難する権利が認められた」もなにも、旧ソ連じゃあるまいし、日本国憲法があるんだからどこに住もうが自由なはず、避難することを誰も止めはしない。  
問題は失われた生活への賠償・補償であり、今後の生活をどう成り立たせるかであって、こんな勘違いをいちいち気にしてる余裕なんて本来ないのだが。

明治以来の日本社会の中央集権の構図からして、僕たち東京の側は、三里塚の農家の人たちにせよ、その同時代に「東北のチベット」とすら言われた福島県の浜通り・双葉郡相馬郡にせよ、彼らに対して政治的・社会的に圧倒的な優位に無自覚に胡座をかいて来たのが、近代日本のデフォルトの設定である可能性くらい、覚悟すべきだったのだ。

それは僕たちマジョリティの側から解体して行くしかない構造なのだし。

「自分に分かるかどうか」を基準にする前に、自分達が安易に「分かる」と言っていいのかどうか、自分を問い、「分からないから教えて下さい」ということでアプリオリに存在している、こちら(映画を撮る、東京の人間)が圧倒的に優位にある構造を、まずこちらの側が壊さなければならなかったはずなのに。


なのに自分達がその構造に胡座をかいて恩恵を受けて来た、今もそのデフォルト設定に乗っかったままで、その相手の立場から批判でもされようものなら、プライドを傷つけられヒステリックに怒り出し、攻撃まで始めてしまうのが、今の東京中心の、たとえば「反原発」の傾向だ。

一皮むけば、田舎差別と被曝差別の混合にすら見えて来る、差別する側である恩恵に胡座をかいた傲慢でしかない。

いわき市で続編に協力してくれた友人と、この2本の映画の撮影監督の加藤は、「しょせん植民地主義」と形容していた。

逆にいわゆる「田舎」の、被災地の人々は、私たちに誤解されないよう、嫌われないよう、差別されないように、常に配慮を怠ることが許されない。

私たちはそのことに完全に無頓着でも、なんの障害にぶちあたることもない−自分自身の無自覚な傲慢さゆえの盲目、という最大の障壁を除けば。

しかも自分の盲目さにも盲目であった方が、上に立った気分で正義の味方をやっているのは楽だ。はた目にはぜんぜん「きれいに生きてる」ことになっていないことに、無自覚でいられるのなら(いやだから、ますます必死に盲目に徹するのだろう)。

だいたい、地元の意向や理解以前に、福一の敷地の大部分は元は陸軍の飛行場で、戦後は払い下げられてずっとコクド開発の所有だった。  
衆院議長まで努めた堤さんと正力さんがすでに握手している、勝負は最初からついている、なにしろ土地がほぼ決まっているのでは 、用地買収を断って対抗するにも歩が悪い。   
ちなみに富岡町と楢葉町にまたがる毛萱の福島第二発電所は、王子製紙の土地だった。福一がもう決まっていては、ますます地元が反対しようにも反対出来るわけがない。   
なぜ危険だと分かっている原発を受け入れたのか? 
「安全神話に騙された」とかのえらく暢気な話なんぞ、250Km離れた東京でもなければ無理な幻想でしかなく、目の前に原発が建つ人間にはまずあり得ないとすら、気づけなかったのだろうか?  
「神話」?いや自分達がそこで働き、自分達がしっかり安全を守るしかない立場なんだよ? そう納得することで、受け入れるしかなかったのだ。 
「自分達にいちばん理解できる」なんて言う前に、ちょっと歴史を勉強すれば、先入観なしに話を聞けば、ちょっと相手の立場を想像すれば、すぐに分かることなのに、なぜその手間を惜しむのか?  
それも勉強する気がないのなら、せめて黙っていればいいじゃないか。



これは再三言って来たことだが、僕は双葉町の前町長の井戸川さんの昨今の行動について、ほとんど評価も賛同も出来ない。埼玉の加須市の避難所は、震災後一年くらいを目処に閉鎖すべきだったと思っているが、そんな昨年来の井戸川さんの言動それ自体については、僕は「間違っているのではないか」とまでは言えても、責めることはできない。

そもそも僕自身が東京の人間だ。双葉郡のことは双葉郡の人たちが決めるべきで、外野が口出しするのもおかしい。
それに、井戸川さんの立場から見てみよう。

今は上辺だけは気の毒ぶっている人たちは、自分たちを東電や政府の「推進派」の側だと実は最初から決めつけているのだ。下手すりゃ「反省しろ」とまで言い出しそうだ。

…というより、「推進派だったのが反省して反原発」というレッテル貼りで東京圏の反原発運動に受け入れられたのが井戸川さんなわけでもあり(双葉町の人からみれば「そんな単純な話じゃ済まないないってことすら、東京の人には分からないのか?」というレベルの話)、それが『フタバから遠く離れて』の宣伝文句にもなっていたわけである。


映画の作り手側は、井戸川さんが批判されたときに「いや、彼はよく勉強だってしている」と擁護し、その根拠として加須の井戸川さんの部屋に、作り手側も読んでいるような本が並んでいたことを(これまたなんとも無邪気に、他意もなく)根拠に出す。
いやちょっと待って欲しい。現に40年も原発があり続けた地元では反対か賛成かの区分けもデリケートで難しいだけではない。

双葉郡のふたつの原発の直接雇用だけで2万くらいあり、つまり身近に原発で働いて来た人も多い、その彼らの方がよほど、原発がどんなものかも、放射能についても、僕たちなんぞよりずっと詳しい。
しかもその多くが兼業農家でもあり、自然現象や生命も直接体験で学んでいる。学歴とは無関係に、僕たちにはもの凄く抽象的で分かりにくく思える放射能の健康影響などの話でも、筋の通った説明なら具体的な感覚としてはるかに理解が深くても当然なのだ。
だが井戸川さんがそんな自信を持つことも出来ず、「推進派だったのが反省して反原発」という宣伝文句を忠実に演じることしか出来なくなってしまったとしても、埼玉に避難して彼が身を置いてしまった立場(つまり「東京の近くの、いちばん報道や、記録映画の撮影や、反原発の運動が接触し易い場所」にいること)からすれば、理解できる。
それに井戸川さんのこれ以前の町政を見ても、東電の放射能もれ隠しに以前の町政が態度を硬化させていた福一の原子炉増設にOKを出したりなど、よくも悪くも「物わかりのいい、話の分かる、いい人」でもあるのだろう。 
逆に言えば頑固でない、意志が強靭とはいえない、流され易い。 
なおこの件で彼を「推進派だった」と言い出す人は、本当に地方政治ってものが分かってないのだなあ、と嘆息する他はない。中央集権の、権限や予算が東京支配の国で、小さな町がいずれ断れなくなるのは時間の問題だってば。それこそ「東京の電気が足りなくなる、日本全体に響く」と言われてしまう話なのだ。

その彼が、今は応援してくれている人たちに、いつ「やっぱり推進派だ、原発マネーで汚れた原子力ムラの田舎者」と叩かれても不思議ではないのだ。なにしろ東京の意識が高い、一流大学出な皆さんはたいがい、地方の行政の実情、自治省(今は総務省)や霞ヶ関との力関係のことなんて、想像もしてない、出来ないのだし。

その上、道路が大地震であちこちでガタガタになった双葉郡から出るだけでも大渋滞、停電で情報がほとんど入らなかったのに、3月11日の夜にはインターネット上で「なぜ避難しないのか?命が大事だろう? 国に騙されているのだ、原発ムラなんだ」の大合唱が既に始まっていた。   
2、3週間もすれば牛が走り回る無法地帯だの、大量の鼻血や脱毛だの、牛の畸形だののデマがおもしろおかしく飛び回っていたことを、井戸川さんたちが知らなかったわけもない。

だから自分についての映画が作られ、そのことも理由のひとつになって東京の「良心的」で「意識が高い」と自称する人たちに持ち上げられてしまえば、井戸川さんがああなってしまうのは、ある意味では無理からぬことではある。

もっと浜通りの地に足のついた意識で、双葉郡に誇りを持つべきだったなんて、それこそ東京の僕が言える筋合いでもないし。



逆に言えば、「福島からいちばん遠くに逃げようとしたことがいちばん理解できた」、それが「理解し易かった」のだとしたら、一見無邪気に聴こえるが(そして言ってる本人たちも悪意や差別意識の自覚なぞ皆無なのだろうが)、客観的に見れば差別する側である中央集権の構造に安住して来た者の、恐るべき無神経さの表明に他ならない。

井戸川さんから見れば、なにしろ、自分を今は応援してくれてる「良心的」で「意識が高い」と自称する人たちが、自分達のことを「原発マネーで汚れている」とか、安直に終末論的匂いを漂わせて「放射能で畸形」とおもしろおかしく言っていたのと同じ人たちなのだ。

反原発のヒーローに祭り上げられた京大原子炉研の万年助手、原子炉についての科学的・技術的な知識ではいささか劣ることが否めない小出章さんが、つい間違ったことを言ってしまっても、なかなか誤りの訂正や、自分の能力不足を認められないのも、井戸川さんの迷走と似たような理由だろう。 
これが事故発生の一ヶ月足らずのうちにすでにあからさまになっていたのは、一昨年の4月にこのブログで当時触れた通りである。 
この原発事故に対する日本社会全体の反応の在り方は、それまでも延々と続いて来た差別の構造の延長で、簡単に分析出来てしまうものだった−−呆気なく、そして空恐ろしいことに。 

井戸川さんたちはいわば、こんな都会の、自分達が原発の電気を使っていたことすら忘れていた人たちにだけ都合のいい「自主避難者」のチャンピオンにされてしまったのだ。

それにしても井戸川さん自身が、いわき市など故郷の近くに戻った町民や、福島県を離れる気のない県民を、あたかも「放射能の怖さを知らない無反省な推進派」とレッテル貼りするような動きに自ら加担してしまっているのは…。  
さすがに本人が言うわけもないことだが、「私も毛が抜けて、鼻血が止まらない」と言ったらしいとネット上で噂が駆け巡ったことくらい、怒って否定すべきところではないか。  
それが先の参院選では防護服を着て南相馬市の仮設住宅で演説したりに至っては、いくらなんでもそれはないだろう、とはさすがに言わざるを得ない。


そんな井戸川さんに双葉町の人たちが呆れ、人心が離れて行くのもまた当然だった。


最後まで避難所に残った理解ある人たちだって、「あの人もしょうがない」「今さら見捨てるわけにも」という人情だったり、ただもう、またもや移動することに疲れ、孫も住めない、遊びにも来れないような話になるのなら、ここで死ぬのも自分の運命だとあきらめてしまっているだけで、井戸川さんに賛同しているわけでもあるまい。

双葉町の人たちが分断したのではなく、東京の私たちが分断させてしまったのだ。

大熊町の梨農家、一時帰宅にて


所詮、すべてが東京中心で動いていると錯覚した井戸川さんは(錯覚と断言も出来ない、かなりの部分事実そうなのだが)、原発事故と震災を終末論的なエンタテインメントとして消費する“東京” ないし “被災地以外のニッポン” の側のプレイヤーにならざるを得なかった。

『フタバから遠く離れて』という映画の存在と、それを「自分達にいちばん理解出来るフクシマの人々」への期待通りに消費した作り手と観客双方によって、その立場に追いつめられてしまったのだ。


そんな引け目を感じることはなかった、自分は双葉町の代表なんだと、堂々としていられればよかったのだが。

井戸川さんが、たとえば南相馬市の市長の桜井さんのように…つまり桜井さんが孤立した南相馬市の悲惨をYoutubeで世界中に発信したことに始まり、地元とその人々のために頑固かつ狡猾に立ち回っているように、双葉の町とその人々を守るために首長としてやるべきことをやり抜く覚悟を決めた人だったら違っていただろう。  
あるいは浪江の町長の馬場さんも、地元の利害を守るためにはなんでも利用する大狸っぷりはなかなかだが、井戸川さんには(こう言っては悪いが)そのしたたかさは期待できないように思える。  
それだけ井戸川さんは「いい人」なのかも知れないのだが。と言って、しょせん都会人から見て「いい人」「理解出来る」に徹してしまったわけだが。 
財政難もあって(双葉町は一時、第二の夕張とまで言われていた)福一の原子炉増設を受け入れたことも、今は「反省した推進派で反原発のヒーロー」になったのも、井戸川さんの本質として、そんなに変わっていないのだ。

ただ、その井戸川さんを、それでもあまり責めるわけにもいかないのは、じゃあ他の町村の首長さんたちはどうかと言えば…


…井戸川さんのように注目されることもなかったし、結局のところ井戸川さんが失職した時点で、浜通り・双葉郡、相馬郡の、原発事故で避難させられている自治体は、すべて無視される結果になっているではないか。

井戸川さんを持ち上げておいて、梯子を外してつき落とす(つき落とされる原因が多々、井戸川さんにだってあったにせよ)のは井戸川さんだけでなく、双葉郡の町村全部ひっくるめてになる。結果、双葉町だけでなく双葉郡全体を、今後は無視出来てしまうのだから、東京の側の僕たちにとってだけ、一方的に、まことに好都合な話だ


こと直接に「フクシマの人々のため」と言って井戸川さんを担いだ人たちには、「そんな協力者の俺たちを無視し、井戸川さんを足蹴にした連中なんて」と自分達の薄情さを正当化する言い訳までおまけで着いて来そうだ。

こうなると一方的に、「いちばん理解出来る」というより「身勝手で都合がいい」話にしかならないだろう。 


だからこそ、双葉町を分断させてしまった−−井戸川さんが自分の町を分断させるように無自覚に追い込んでしまった−−ことの罪は、東京の僕たちが自分で気がついているよりも遥かに重い

昨年のお盆の前に楢葉町の警戒区域指定が解かれ、避難解除準備区域になってそろそろ一年になる。秋には環境庁の予算で大規模な除染事業が始まった-除染で出た廃棄物の置き場所が、まったく決まらないまま。



結果、一年近くたった楢葉町では、国道6号線沿いに除染の廃棄物を詰めた黒い袋が、広々とした大地に三段重ねに置かれる光景が広がっている。


除染の廃棄物だけではない。


いずれは福一の4つの原子炉から取り出された溶けた核燃料や、解体した圧力容器、格納容器、建屋などから出た、即死するような高濃度の放射能で汚染された廃材の置き場も必要になる。




その「処分場」というか要するに置き場所、核のゴミ捨て場はどこになるのか?

なにしろ放射性物質とはほとんど関係がない、他の被災地の瓦礫ですら、広域処分に「放射能をばらまくな」というヒステリックな猛反対が起こったのも現実だ。



その瓦礫だって、いつまでもいわき市なら薄磯の中学校の校庭とか、勿来の運動公園とか、小名浜の工業団地の一角に、積んでおくわけにはいかない。



石巻では、本来ならこの都市の生命線だった港湾部が、巨大瓦礫置き場になっている。



こうした処分場の最大の候補地がどこなのか、当事者がいちばん分かっている−双葉町と、大熊町しかあり得ないのだ。

警戒区域が再編されて「帰宅困難地域」になった双葉や大熊に、いわきから一時帰宅すれば、楢葉町の6号線脇の除染の廃棄物はいやでも目に入る。



いやもしかしたら、双葉や大熊の人たちへの無言の圧力として、わざわざ6号線から目につく場所に詰んであるのかも知れない。

その意図はなくても、効果があるのは明らかだ(というか、これが水俣病事件辺りからの、日本の行政の常套手段だ。誰かが意志を示したり、意図して決めたわけでもない、事務的に見えることが、結果として被害者とか弱者を泣き寝入りさせる圧力になるように巧妙に設計されてしまっているのが常なのだ)。

だが双葉や大熊の人がそれもみんなのため、やむを得ない、他に場所がないのだし、と思って受け入れるとしても、それは我慢であって尊い自己犠牲でこそあれ、ゴリ押ししていいことではない。

だからこそ新しい生活を始められるための十全の補償を、住人は交渉で勝ち取らなければならないし、彼らの尊厳のためには、そこ以外の全国民を代表して、政府が、首相が頭を下げ、土下座をしてでも、「本当に申し訳ないことですが」と頼み込まなければ筋が通らないはずだ。

当然ながら政治家や官僚や電力会社のエリート重役さんたちは、実は馬鹿にして来た、こっそり差別して来た「田舎者」にそんなことはしたくない。差別する側の本能として生理的に拒絶するし、補償だってなるべく減らしたい。 

双葉町の人たちの人間らしい生存のためには、都会人の終末論ごっこの勧善懲悪につき合ってる暇なんて最初からなかったし、まして分断なんてしている余裕なんてないのだから、一丸となって結束し、それを代表して町長や町役場が政府と対抗し、交渉出来るならまだ脈はある。

だからこそ政治家や官僚にとっては、双葉町がいまのように分断してしまったこと、他ならぬ「反原発」運動がそうやって自分たちの都合に大いに貢献してくれたことは願ってもない、まこと喜ばしい話でしかない

双葉郡の他の町村と井戸川さんの歩調が合わないだけでも、「補償は平等でなければ」をいいわけに、国や東電はずいぶんご都合主義の押しつけや引き延ばしをやって来ているではないか。

地元を分断させることは成田空港反対闘争で、当時の建設省がさんざんやった手口だ。 
だが土地を買い上げるにあたっての金銭を用いた懐柔や、日本全体の発展のためだという殺し文句以上に分断に有効だったのは、結局はセクトの内ゲバと、セクト自体が自分達の「正義」に農家を巻き込んだまま、その農民の文化には無頓着だったことだ。 
結果、セクトがむしろ反対運動をぶっ壊すことにすらなり、成田空港はめでたく建設されてしまった。  

逗子市の池子米軍住宅反対運動の時には、同じように地元分断の手法で反対を押し切るために、三里塚を研究した政府側のスパイが逗子市に送り込まれた、という説まである––他でもない、緑派の主婦層のリーダーとしてもてはやされ、リコール選挙で市長になった富野輝一郎氏がそのスパイだったと、今でも逗子市では囁かれている。 
「富野はCIA」説の真偽のほどはともかく、富野氏は確かに三里塚闘争を実地で見学して研究していたし、緑派の動きは結局のところ、旧池子村など地元の反対運動を乗っ取り、地元の人を追い出し、米軍基地反対を都会ウケする環境保護の運動にスリ替えることで(実際、緑派は市中心街の裕福な主婦層がメインだった)、米軍住宅受け入れの道を開いてしまったのである。 
環境に万全の配慮をした住宅建設なら構わない、という論理だ。  
 拙作『フェンス』の時には富野さんからは取材・撮影の打診のオファーの返事すらもらえず、映画でとり上げられなかった話だが、僕はそのCIA云々にしたって、案外デマの陰謀論と切って棄てるわけにもいかない話、防衛施設庁と富野さんの間で裏で話がついていたっておかしくないと、今でも思っている。 
だいたい富野さん自身が、池子の大地主の家系なんだし。

自分達が安易に「分かる」と言っていいのかどうか、自分を問い、他者の立場を想像することもなく無邪気に「自分に分かるかどうか」を基準にし、自分たちの期待する「フクシマの人々」のフレームの中だけでしか被災者を見ないようでは、結局は自分達が無意識に期待する終末論的な気分に無自覚に耽溺する、災害を搾取するディザスター・トゥーリズム(災害の観光化)の映画になってしまう

(震災後丸一年に、ディザスター・トゥーリズム批判の観点から「震災・原発事故もの」サブ・ジャンルを分析したNYタイムズのデニス・リムの記事はこちら

自分を問うことがなければ、避難所ならば 「被災者」と銘打った “珍獣” が集められた動物園として撮り、その記号でしかない「フクシマの人たち」を自分の期待する図式に当てはめて利用することしか、我々の(映画を撮る、東京の人間の)側には、そもそも出来なくなるだろう

「私たちに理解できる 『被災者(という珍獣)』」=「私たちの側の、味方である『被災者(という珍獣)』」、自分達が良心的だと主張できる免罪符になってくれる都合のいい “珍獣” としての「フクシマの人々」、あるいは「被災者」全般を自己正当化に利用して搾取する構図には、僕たち自身ががよほど自覚的に意識し、自制しなければ、僕たちの作る映画も簡単に飲み込まれてしまうだろう。

「きれいに生きたい」という願望を満たすのにはこの方が楽なだけではない。 
こうした方が映画だって売れるんだし。   
「人の上に立って正義の味方をやっていたい観客」には、その方が褒めてもらえるのだし。 
『フタバから遠く離れて』が海外映画祭で上映されるときには、しばしば双葉町が原発を受け入れたことや井戸川さんが「推進派」だったことを「ファウスト的選択」と形容しているのだが、まさにその悪魔的な契約を、映画それ自体が無自覚にやってしまってはいないだろうか?   
いやそれも、別にこの映画一本に限ったことでもない。その「意識の高い私たち」の内輪に引きこもった下衆っぷりを見透かされたからこそ、「震災・原発もの」映画には、作り手が「自分達にいちばん理解できる」ものしか写らなかったように、その「自分達にいちばん理解できるもの」しか写っていないことを再確認するための観客しか、集められなかったが故に、マーケットの広がりも持てなかったのではないか?  

「きれいに生きたい」のは分からないでもない。

だが、人の上に立ったつもりで、自分が正義の味方になれる構図に無自覚に耽溺していれば、無意識のうちにしょせん「珍獣」としか見ていない被災者の町を「理解出来る被災者=味方」「理解出来ない被災者=原発マネーで汚れている原子力ムラの側」に区分けして、分断させることしか出来なくなってしまう
もちろん『フタバから遠く離れて』を撮った側や配給・公開した側は僕も知っているし、そんな商売狙いの映画ではなかったはずだし、彼らが実は経産省や政府の意向を受けて双葉町を分断させる工作員だったなんてヨタ話は100%あり得ない。

むしろ、とても「良心的」な人たちだ。

こう言っては悪いがちょっと呆れるくらい無邪気に、良心的だ。素直だし、真面目だし、個々人として、決して悪い人たちではない。

だが結果としてはものの見事に、政府側に極めて都合がいいだけで、双葉の人たちが損をして、原発を止めて行くことも遠のくだけの現状を、この映画と、それをきっかけに井戸川さんを祭り上げた東京のいわゆる自称「反原発」の「意識が高い」、「きれいに生きたい」人たちが作り上げてしまったのだ。




福一が東京の電気のためにそこにあったこと、消費地として僕たちだって無罪・無責任ではいられないことを自覚していれば、そこで「きれいに生きたい」と安易に思わなければ、こうはならなかったのかも知れない

自分を「人の上に立てる正義の味方」と錯覚しなければ、こうはならなかったのかも知れない

この三重の大災害を前に、簡単に「自分は正しい」なんて言える立場が存在しないことに気づいてさえいれば、こうはならなかったのかも知れない

人の上に立った気分で正義の味方のつもりに安住したいのであれば、そもそも震災や原発事故の映画を撮るべきではない、と分かっていれば、こうはならなかったのかも知れない


僕たちはこの人たちの体験や生き様から学ばさせてもらう、そしてお世話になって映画を撮らせてもらっているだけなのだから。


昨年のお盆、楢葉町の墓地で会った中学校の元先生夫妻

いや、もっと言えば、「福島からいちばん遠くに逃げようとした人たちがいちばん理解出来た」、だから双葉町から埼玉に避難した井戸川さんたちを映画に撮ろうと思ったという、東京の側から見れば無邪気な作り手側の発言は、井戸川さんの側から見れば「この人たちに理解できない行動は自分達には許されないのだ」と思わせるに十分な、文字通りの脅迫にもなり得る。


つまり、井戸川さんは、自分を支援してくれている都会の人たちに、今まで僕が書いて来たようなことは、絶対に言えない。

「おかしなこと言ってるな、よく知らないんだな」と思っても、おくびにすら出せないかも知れない。 
口にした途端に自分が「推進派」「原発マネー」と叩かれるのだから、怖くて言えるわけもない。
実は福一と福二が浜通りに押し付けられたのと、同じ構図ですよ。やってる側が気づいていないとしても、同じ脅しでしかない。

そんな無自覚で無頓着な人たちが自分達に「いちばん理解出来る」と思っている、その意識の構造からは恐らく抜け落ちている残酷な現実に、当の被災者はしばしば直面しているのだが。

たとえば、実際に福島県外に「自主避難」した人の多くは、肩身の狭い思いのまま、福島から来たことすら黙っていたりする。小名浜から山形市に行ってタクシーの運転手で食べている人が、ネームプレートには「出身:岩手県」と書いているのにはさすがに驚いた。

しかし、放射能がついていると差別され、最悪「福島のお前らがしっかりしてないから原発事故が起きたんだ。日本中が迷惑しているんだぞ」とまで言われて来たのだ。更なる差別を恐れれば、何も言えなくなってしまうのはよく分かる。

その反動と考えれば分かり易いこともある−−放射能の危険を語ったら村八分にされただの、姑にいじめられただの、「因習に満ちた陰湿な田舎」のステレオタイプそのままを言いふらす人も一部には(ごく一部には)いるのだ。

するとそれを東京の「反原発」の人たちが喜んで「これがフクシマの人々のため」と称して言いふらす。

日本の農村の文化伝統の豊かさなどなにも知らず、自分たちと違う文化を持った他者への敬意のかけらもなく、無自覚な差別意識がこびりついた偏見に飛びつくのも、その方が自己正当化には楽だからだろう。

繰り返しになるが言っておく。「きれいに生きたい」のは分からないでもないのだが…そこまで人の上に立った気分で正義の味方をやっていたいのか?

しかもえらく便利な話ではある。「自主避難」したことで地元に対して後ろめたい思いがある人たちには、今度は「都会の、おえらい、正義の味方の『反原発』の人たち」が後ろ盾になってくれる構図になるわけだから飛びつくし。

…いや実際の福島県にでも行けば、いわき市だとかでは騒ぎ過ぎじゃないかと揶揄はちょっと入る程度で、「人それぞれだしね」としか言われないことなのだが…  
とはいえ、そのいわき市で「こんな危ない所に住んでいられない」と石垣島に自主避難して都会の人たちからネットとかで賞賛された人が、今度は「こんな危ない所に住んではいけない」と住民を “啓蒙”するために、わざわざいわき市に戻って来ているとか聴くと、これはさすがに「人それぞれだし」では済まない。  
「鼻血が」「脱毛した」、挙げ句に「福島県の女子高生に『私たちは安心して子供が産めますか?』と訊かれて答えられなかった、悲しい」とかの大合唱まで…こういうのだけはなかなか収まらない。  
いやどうぞ、心配せずに、ケチな差別で正義ごっこなんてしなさそうないい男をゲットして(変に「きれいに生きたい」だけの正義ごっこな自己正当化男だと、DVだって心配だし、そのパパの劣悪な性格が遺伝する方が怖いぜ)、ばんばん元気な赤ちゃんを産んで下さい。  
…というか、いわき市だと震災から10ヶ月くらい経ったあたりから、新生児がとても増えているのだとか。 10ヶ月後くらいから、ですか(その意味するところは想像にお任せします)。



ドキュメンタリー映画を撮られた側、実話に基づく映画のモデルや題材になった側が、その映画の存在に振り回され、不利益をこうむるのは、本来ならあってはならないはずのことだ。


だがあってはならないはずのことは、実際にはしばしば起こってしまう。

僕たちも、明らかに理不尽な「被曝差別」があって「畸形が産まれる」とか言われ続けていたなかでは、『無人地帯』では子供さんを直接撮るのは躊躇した。結局、直接には写さず、子供の遊んでいる声は入れている。 
土本典昭は、『水俣の子は生きている』の撮影中、誤って胎児性の患者さんが遊んでいる姿を風景ショットに入れてしまい、親御さんに罵倒されたという。 
「あんたらが撮ったってこの子の病気はちっともよくならん!」 
 「インタビューはもうたくさんだべ」「こんなところ撮られたって、そんな映画では俺たちに都合の悪いことしか伝わんねえべ」(そしてまったくその通りだ)と、僕らも言われた。それでも話は聴かせてくれたのだが。

だからこそ我々には細心の注意が職業的に義務づけられているはずだが、『フタバから遠く離れて』に関しては、作り手の側自身があまりに無邪気で、日本の政治の怖さ、自分の置かれた立場の微妙さ、自分もまた「差別する側」でしかないことにあまりに無神経であった結果、町の人々の命運を振り回すことになり、挙げ句に分断、そして癒しようもない亀裂になってしまった。

「きれいに生きたい」のは分からないでもない

だが、ここまで人の上に立った気分で正義の味方だと認められることを欲しているだけで、その行為が実際に産むかも知れない結果に無頓着ならば、話がひっくり返っている。

そもそも、『フタバから遠く離れて』は、なにを撮ろうとした映画だったのか?
廃校になった高校で雑魚寝生活が延々と続き、人として生きているのではなく家畜の餌のように三度の食事をお弁当で与えられ、「生かされている」だけの存在になるよう疲弊させられ、「皆さんのお世話になって」という後ろめたさを刷り込まれ、とっくに閉鎖されて自分達の生活を不自由な中でも始めるべきところが、延々とその避難所に置かれ続け、あきらめの日常に飼いならされ、飼い殺しにされ、そして町が分断されてしまった現状がある。

原点に帰って考えるなら、こういう現実を見せるためにこそ、この映画は作られたのではなかったのか?

ならばそれが政治的になにを意味するのかも、考えておかないようでは、あまりに観察が足りない、状況分析が出来ていない(つまりは、映画として演出がない)。


官僚や政治家にとっては、あとはタイミングを見計らって、中間処理施設どころか最終処分場を双葉町の人々にゴリ押しすることは、赤子の手をひねるように簡単なことだ。相手が疲弊し、諦めかけている、その背中を一押しすれば済むような話でしかない。
双葉町の人たちが分断したのではなく、東京の私たちが分断させてしまったのだ。

そしてそれは好むと好まざるに関わらず、私たちにとって好都合ではあるが双葉の人たちにはあまりに辛い、悲しい結果にしか結びつきそうにない。



題材が題材、社会的な枠組みや状況がこうであり、なによりも双葉町の人たちにとっては生活と将来がかかった厳し過ぎる現実がある時に、「気がつかなかった」で済むこととも思えない。

なにしろ実害が大きいだけでなく、気づかないこと自体、あまりに無神経で無頓着過ぎると言わざるを得ない。それでは「差別する側」に安住しているからこそ気にしないで済んで来た無神経さでしかない。


映画とは本来、「自分が理解できる」ではなく、「自分が愛することが出来る他者」を求め、それを撮ることから理解が始まり、撮る行為、その映像を再構成する行為によって、被写体という他者、そして観客という他者との境界を乗り越える(あるいは、越えられない壁を自覚する)表現だったはずだ。 
「震災・原発事故もの」こそ、この本当の意味で映画的な関わり方で、人間と向き合わなければならなかったはずだ。



いやなにも、「相手が疲弊し、諦めかけている」、もしかしたら政府がその背中に最後の一押しを狙っているかも知れないのは、双葉町に限った話ではないのだし。

「5年経ってから決めます」とか「あと3年」とか、決定を先送りにし、昨年3月のはずだった避難区域の再編が1年先延ばしになったり、その再編の議論を補償の問題をわざとリンクさせて「補償を減らすために帰れと言うのか!?」と激怒させてみては、その度に将来の話はごちゃごちゃになり、なにも先が見えないまま、気がつけば仮設住宅暮しは合計で4年を越えることが、すでにほぼ決まってしまっている。

仮の町構想もかけ声だけで、高台移転でも候補地があっても、その登記が明治からずっと放置されていて売買契約が出来ずに中断している例も多い。こんなのは震災直後に特例法を国会で通しておくべきだったのに、政治は「復興予算」の消化以外はなにもやっていない。

未曾有の災害のはずなのに、通常業務の体制の維持はお役人のレゾン・デートル、頑として変わらないのだなあ、とこうなると感心したくなるほどだ。

そんな全てが、この原発事故で避難させられた人たちが、自分たちが奪われたものへの補償や埋め合わせを、当然の権利として主張する体力を奪うための策略にすら見えて来る。

しかも故郷への帰還の希望を棄てず、だから避難先での新しい生活を本格的に作り直し始めてはいないのは、圧倒的に高齢者が多い。

若い人で子供がいたりすれば、仮に線量が低くて健康上の問題は考えないで済む土地でも、また転校させるのはどうなんだろう、とかの問題もある。避難先で新しい仕事を始めてしまえば、そう簡単には動けなくなる。


あるいは、都会の方が結局は便利だし、若ければ田舎で退屈していた人だっている。 
だいたい元から、昔は出稼ぎでなんとか生活を成り立たせ、日本が豊かになっても、若い人が都会に出て行きがちな土地だった。 
たとえば川内村は確かに線量はたいしたことがない数値でも、富岡に抜ける主要生活道路が警戒区域、帰宅困難地域では、あまりに不便になっていまっている。 


ならば帰れなくても諦める、補償も最悪、とりあえず新しい生活の基礎さえ築けるなら、で妥協するだろう。 いつまでも後ろ向きに生きてもいけないのだし。

これは恐ろしい想像だが、「どうせ残るのは高齢者。痛めつけて疲れさせて、亡くなるのを待てばいい」というくらいに、この国の偉い人たちは考えていそうだ。


不動産や財物の補償はともかく、精神的負担や健康被害への慰謝料は相続されないのだから、亡くなってしまえば賠償責任はなくなるのだし。 
いやほんと、「チェルノブイリでは避難する権利が認められた(…じゃなくて、政府決定で強制移住が出来たの、旧ソ連では)なんて勘違いをしている余裕はないのだが…

原発は怖い、原子力はたくさんだ、だから原発事故の映画をと言っても、それを利用して来た私たちの国家の、時に恐ろしく邪悪になり得る構造まで撮る覚悟くらいなくては、どんなにやりたいと思っても、手を出してはいけなかったのかも知れない

いやそれですら、最初から想定の範囲内でなければいけなかった。私たちの国ニッポンは、いつのまにかそんな国になってしまっていたのだから

なんだかんだでのどかな浜通りなら、直接気づかされる契機はあまりなかったかも知れない。 
だが東京で暮していたり、僕の場合は水俣にも行ったし、この前には大阪で完全即興演出の劇映画『ほんの少しだけでも愛を』を撮っていて、部落問題や在日差別の隠された現状や、そんな差別に対する普通の人たちの認識がどうなっているのかにもぶち当った。  
「どうせ残るのは高齢者。見捨てておいて、亡くなるのを待てばいい」政策ですら、僕には既知のものだった。いわゆる同和対策地域で実践されているやり口なのだ。  
なにせ共産党まで「同和利権を潰せ」と言っている都市で、土建屋だけは儲かる、建築費だけは増えるが住み心地はあまりよくなさそうな、予算規模だけは大きな公共住宅が建っていては、いつ行っても見学者よりも地元採用職員の方が数が多そうな大阪人権博物館が橋下市政に潰されないよう大人しくしていることくらいしか、なさそうだ。  
そして若い人は、出自がうまく隠せそうなところに出て行ってしまう。ひと際高い、外から見れば立派だが、どうもお風呂もないらしい高層の住宅からは、高齢者の飛び降りが後を絶たないという。  
この背後に映っている高層住宅から、飛び降り自殺する人が多いらしい。
 口の悪い親戚に言わせれば「あそこはヨツとチョンしかおらんから消防車が行かへんかったんや」という神戸の震災の最大の被災地、長田の「復興」が実際にはどうなっているかも、見ている。  
ここまで人は冷たくなれるのか、しかも他人ごとならただおもしろおかしい笑い話として披露されるのか、と驚かされることは多い。

こんな社会にいつのまにかなってしまっていたからこそ、こんな震災や原発事故があれば、反省して変わってもよかった、とも思うのだが…。

付記)実は大阪で撮っていたこの『ほんの少しだけでも愛を』は、3.11の時点で「これは完成させなくてもいい映画かも知れない」と思ったし、出演者の何人かも同じ意見だった。これほどの震災の後の日本なら、もうあの映画で問いつめようとした問題をとり上げることはなくなるだろうと、無邪気にも思っていたのだ。  
結局は現段階で3時間半あるこの映画をなんとか適当な長さに縮めて完成させることと、福島の原発事故についての映画の二本目『…そして、春』が並行して進んでいる。  
どちらも日本ではタブーに触れたことになって多くの観客には嫌がられる、嫌われることも覚悟した映画ではある。つまり、結局は「自分達が作りたいから作る」「これはおもしろい映画になる」のでないと、たぶん続かないでしょう。 
なお今回のブログで繰り返した、 
  • 「きれいに生きたい、という気持ちは分からなくもないけど」 
  • 「そうやって人の上に立ってずっと正義の味方をやってればいいやん」 
どちらもこの大阪で撮った即興劇映画で、出演者がその場で思いついてくれた名台詞である。

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