国連事務総長の潘基文氏が韓国訪問中の記者会見で、
「正しい歴史(認識)が、良き国家関係を維持する。日本の政治指導者には深い省察と、国際的な未来を見通す展望が必要だ」と述べたことが波紋を呼んでいる。
…というか、日本のメディアはこれを日韓対立の問題であるかのように報じ、産経新聞などは「国家間で対立している問題について、国連事務総長が一方に否定的な見解を示すのは異例だ。韓国人の潘氏が韓国の立場に立ったことは、国連事務総長としての中立性を欠く行為で波紋を呼ぶことも予想される」とまで論評した。
産經新聞の記事
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130826/kor13082622460002-n1.htm
NHKなども同様に、中立であるはずの国連当局が一方の肩を持つのは異例、というような報じ方をしている。
クウェート訪問中の安倍晋三首相は「歴史の問題については専門家の議論に任せていくというのが安倍政権の基本的な方針だ」とだけ述べるに留まり、(この人にしては珍しく?)余計な発言で禍根を広げることはしなかったが(日経新聞の報)、首相がお留守の本国日本で留守番中の内閣は、とても冷静でいられないらしい興奮っぷりである。
新藤義孝総務相「国際社会の中で最も中立的なのが国連事務総長だ。立場が偏るような恣意的な発言はいかがなものか」
古屋圭司拉致問題担当相「国連憲章違反になるかもしれないとして外務省が精査している、との報道を承知している。外務省の言っていることが筋ではないか」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130827/plc13082713130008-n1.htm
とりわけ暴走がひどいのは菅義偉官房長官 、政府の定例記者会見である。
菅義偉官房長官は27日午前の記者会見で、国連の潘基文(パンギムン)・事務総長が歴史認識をめぐり「日本の政府や政治指導者は深い省察が必要だ」とした発言について、「我が国の立場を認識したうえで行われているのか、非常に疑問を感じる」と批判した。国連の中立性への懸念を示したとみられる。そのうえで「事務総長の真意を確認し、引き続き日本政府の立場を国連などで説明したい」と述べた。(朝日新聞 2013年8月27日12時30分)
http://www.asahi.com/politics/update/0827/TKY201308270083.html
韓国出身の潘基文国連事務総長が憲法改正論議などをめぐり安倍政権批判と受け取られる発言をしたことについて、菅官房長官は27日の記者会見で潘氏の真意をただす考えを明らかにした。
菅氏は「日本の政治指導者には、深い省察と、国際的な未来を見通す展望が必要」などとした潘氏の発言に対し、「わが国の立場を認識した上で行われているかどうか、非常に疑問」と述べ、不快感を表明した。
日本政府は潘氏が訪問先の韓国から米ニューヨークに戻るのを待ち、外交ルートを通じて発言の意図などを問い合わせる方針だ。国連事務総長は高い中立性が求められるだけに、今回の発言に対しては、外務省内からも「出身国にかかわりの深い問題を軽々に取り上げた」と疑問視する声が出ている。
(2013年8月27日23時55分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130827-OYT1T00939.htm
「国連などで説明したい」と官房長官が会見で、質問に答えて口走ってしまうとは、いったいどういうつもりなのか?立場が分かっているのだろうか?
NHKのニュースでは、菅氏が「国連総会」にまで言及した模様すら流れていた。さすがにこれはあとあと危険過ぎるので活字にはしなかったのかも知れないが、クウェートの安倍さんも困っていることだろう。
政府の公式会見でこう言ってしまえば、本当に国連総会で「日本の立場を説明する」演説でもやらなければ、立場がない。とは言えいったいどういう「日本の立場」を説明する気なのか?
たとえば従軍慰安婦問題について、国連で「日本の立場」と称するものが相手にされるはずがない。
「強制連行した証拠がない」と馬鹿げたへ理屈をこねたところで、植民地支配者の軍が、植民地の女性を売春婦として、戦地まで連れて行ったというその状況だけで、強制性があることなぞ自明の理だからである。
まして軍国主義時代の日本は、日本国民でさえ「お国のため」の強制性に逆らえず、私財の供出や、それこそ特攻で命まで捧げているのだ。いったいどういう「日本の立場」なのか?
まさかサッカーの韓国応援団が無礼で反日的だとか、他国に言論弾圧を要求するような妄言を国連総会で言い出すわけでもあるまいが。
民間人が勝手にやっていることでその政府を非難するつもりだとか?それも日本人にとっては「(本当のことを言われたから)傷つく」としても、歴史的事実なのだし「ボクたち傷ついた!許せない!!」「悪意があるじゃないか!反日だ!!」なんて子供の感情論が、通用するはずもないのだが。
ところが、それどころか産經新聞の報道によれば、政府は藩氏の発言が「国連憲章違反」の可能性があるとして、調査を始めているのだそうだ。
国連憲章の第100条に「事務総長および職員は、この機構に対してのみ責任を負う国際的職員としての地位を損ずるいかなる行動も慎まなければならない」と明記されているのに、「強い口調で日本の非のみに言及しており、明らかに中韓寄りの発言だ」と言うのである。
いやちょっと待て。
まず潘氏の発言内容自体は、国連の立場としてまったく普通かつ公平なものである。日本の軍国主義やドイツのナチズムを美化することは、第二次大戦後の国際秩序のコンセンサスで決して許されないものなのだ。
小学校で先生が子供の喧嘩の仲裁をしているんじゃあるまいし、「日本だけ叱られるなんてひどい!」「国連先生は韓国ちゃんを依怙贔屓してるんだ!!」って、そんなの理解されるはずもないし、馬鹿にされ、呆れられるだけならまだいい方、「日本は狂ってるんじゃないか」と思われるだけですよ?
まず潘氏の発言内容自体は、国連の立場としてまったく普通かつ公平なものである。日本の軍国主義やドイツのナチズムを美化することは、第二次大戦後の国際秩序のコンセンサスで決して許されないものなのだ。
安倍政権になってからの日本の政治家の歴史認識をめぐる発言について批判がわき起こっているのは別に中国・韓国からだけではない。アメリカでは州議会レベルでの非難決議が相次いでいるし、フランス大統領のフランソワ・オランドは、国賓として来日した際の国会での演説で、さすがに喩え話でとはいえ、わざわざ日本の歴史認識と周辺諸国との対立の問題に言及している。招待国の政府を国賓が批判するというのは、外交上異例中の異例の事態だ。
潘基文氏自身、橋下大坂市長が慰安婦制度を肯定するかのような失言をした際にも「国際社会は納得しない」と明言し、併せて安倍内閣の閣僚による靖国神社参拝も牽制している。
別に藩基文氏が韓国出身だから批判的なのではない。日本が過去の軍国主義を美化したり正当化しようとしたりしたら批判するのは、国連として当然の役割なのだ。
そもそも国際連合は、第二次大戦の反省を受けて発足したものであり、国際連盟が大戦を防げなかったことの反省に立ったフランクリン・デラノ・ルーズベルト米大統領の構想に基づく。
「特に日本の指導者は、戦時中に苦しんだ人々の痛みに非常に繊細であるべきで、そうした痛みを負った人々には、思慮を重ねた思いやりのある支援をするべきだ」(朝日新聞2013年6月3日)
http://www.asahi.com/international/update/0603/TKY201306020254.html?ref=reca
別に藩基文氏が韓国出身だから批判的なのではない。日本が過去の軍国主義を美化したり正当化しようとしたりしたら批判するのは、国連として当然の役割なのだ。
そもそも国際連合は、第二次大戦の反省を受けて発足したものであり、国際連盟が大戦を防げなかったことの反省に立ったフランクリン・デラノ・ルーズベルト米大統領の構想に基づく。
その憲章では民族自決権とあらゆる民族・国家の平等が謳われ、反植民地主義、反侵略戦争を基本理念としている。
過去60余年の歴史のなかで、国連が反植民地主義を必ずしも貫けたわけではないにせよ(こと第二次大戦の戦勝国のそれは看過する場合が多かった、事実上加担すらしたことは否定できない)、理念は理念であって、国連事務総長が日本の侵略戦争や朝鮮半島と台湾の植民地支配について肯定的な立場をとるはずがない。
過去60余年の歴史のなかで、国連が反植民地主義を必ずしも貫けたわけではないにせよ(こと第二次大戦の戦勝国のそれは看過する場合が多かった、事実上加担すらしたことは否定できない)、理念は理念であって、国連事務総長が日本の侵略戦争や朝鮮半島と台湾の植民地支配について肯定的な立場をとるはずがない。
「いやだって戦勝国はお目こぼししてるじゃないか、不公平じゃないか、依怙贔屓だ」と小学生みたいな駄々をこねたところで、通用するはずもない。まして日本の戦争と植民地支配は、軍国主義による非人道的な戦争犯罪が断罪されている戦争だ。
この程度の常識も分からないのか、というだけでも呆れる話なのだが、しかも潘氏の発言が「韓国より」「中国より」だ、と決めつけること自体、なんとまったくの誤報であり、日本の政治家達の頭に血が昇った挙げ句の誤解なのだから、呆れてしまう。
たとえば、これが読売新聞の報道だ
そして東京新聞はもっと分かり易い
(前略)発言は、「日本の平和憲法修正の動きに関する国連の立場」について答えたもの。潘事務総長はまた、日本が中韓と歴史や領土を巡り対立している現状に関し、「歴史について正しい認識を持つことが必要だ。そうしてこそ、他の国々から尊敬と信頼を受けるのではないか」と語った。韓国メディアは一連の発言を、「日本の右傾化の兆しを遠回しに批判した」(聯合ニュース)と大きく伝えている。(2013年8月26日19時30分 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130826-OYT1T00909.htm
【ソウル=辻渕智之】韓国を訪問した潘基文(バンキムン)国連事務総長は二十六日、記者会見で「日本政府が平和憲法の改正に動き、周辺国が憂慮している状況に対する国連の立場」を質問され、「日本政府の政治指導者は深い省察と国際的に未来を見通すビジョンが必要だ」と、安倍政権に批判的な見解を示した。
潘氏の母国・韓国の政府の立場に寄った発言と取られかねず、波紋を広げる可能性もある。潘氏は、日本政府と、中国や韓国の政府との歴史認識や領土をめぐる対立についても見解を問われ、「政治指導者は正しい歴史認識を持ち、決断することが必要。それでこそ他の国々からも尊敬と信頼を受けられる」と、日本の政治家を念頭に置いた発言をした。
潘氏は韓国外交通商相を二〇〇四年一月~〇六年十一月に務めた。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013082702000116.html?ref=rank
潘氏の発言は「日本の平和憲法修正の動きに関する」「平和憲法の改正に動き、周辺国が憂慮している状況に対する」国連の立場を訊ねられて答えたものであって、あくまで日本の改憲に対する国連事務総長としての考えを述べたものでしかない。
日本の憲法改正は日本の問題であって、「日韓対立」でも「日中対立」の問題でもないはずだ。
潘氏はどうみても日本の改憲問題で日本を批判したのであって、中国や韓国よりなどという批判が成立するわけもない文脈だ。
当然ながら「国連の中立性」が問われる余地も皆無である。
同じ会見で潘氏は日本と中国の領土問題(尖閣諸島問題)についても質問されているが、その回答は、
「政治指導者は正しい歴史認識を持ち、決断することが必要。それでこそ他の国々からも尊敬と信頼を受けられる」
あくまで国を名指ししない、この種の領土問題に関する一般論を述べただけだ。
もしこの発言を日本政府が日本への批判だ、中国よりだ、韓国よりだ(竹島問題もある)と騒ぐのなら、それこそ語るに落ちた、としか言いようがない。
領土について「正しい歴史認識を持ち、決断することが必要」なのはどこの国でも当然であって、それが日本に対する批判として成立するのは、日本の領土主張が「正しい歴史認識」に基づかない場合に限られる。
国を名指しせず「正しい歴史認識」と言うのが「中国より」「韓国より」発言になるのなら、つまり中国と韓国が正しい歴史認識を持ち、日本の歴史認識が誤っている、と日本自身が自白していることになる。
国を名指しせず「正しい歴史認識」と言うのが「中国より」「韓国より」発言になるのなら、つまり中国と韓国が正しい歴史認識を持ち、日本の歴史認識が誤っている、と日本自身が自白していることになる。
潘氏のこの発言を「強い口調で日本の非のみに言及しており、明らかに中韓寄り」と言うのなら、それは日本が自国の尖閣諸島領有や、竹島の領土主張について、「歴史的な正当性はないが我が領土だ」と言っていることにしかならないではないか?
それにしても呆れ果てる学習能力のなさである。
昨年の国連総会で、当時の野田総理大臣がわざわざ尖閣諸島問題について国連演説で言及してしまった失敗をもう忘れたのだろうか?
野田氏は国際司法を得意げに持ち出したが、中国の外務省報道官のコメントであっさり反論できないまでに追いつめられたのだ。
「現代の国際司法の秩序は、第二次大戦の結果と反省に立ったものである」
中国側のこの(閣僚や大使クラスですらない、ただの報道官による)発言で、日本は昨年、外交的に惨敗しているのだ。
なのになにも学ばないまま、同じ愚を繰り返すつもりなのか?
菅官房長官は潘氏の「真意をただす」つもりなのだそうだ。
真意もなにもない。
潘氏が韓国人だからこそ、逆に露骨に韓国側に立って不公平だと突っ込まれる発言なんて容易にするはずがないし、現に実際の発言の事実関係では、藩氏があくまで日本の憲法改正の動きについて論評しただけであることは明白だ。
潘氏が韓国人だからこそ、逆に露骨に韓国側に立って不公平だと突っ込まれる発言なんて容易にするはずがないし、現に実際の発言の事実関係では、藩氏があくまで日本の憲法改正の動きについて論評しただけであることは明白だ。
それとも安倍政権は、自民党の憲法草案が中国と韓国への子供じみた当てつけで対立を煽るためだけの改正案なのだ、とでも認めるつもりなのだろうか? だとしたらまさに「語るに落ちた」である。
日本国の平和憲法は、その前文も、戦争放棄の第9条も、内容が国連憲章に極めて近い。
つまり国連の理想と理念、潘氏が職務上もっとも尊重すべきものに限りなく近いことを、今の日本政府が否定しようとする、しかもその動きがその地域の安全保障バランスを崩すものなのだから、国連が批判的にみなすのは当たり前のことだ。
しかも国連憲章も、日本の平和憲法も、第二次大戦の反省に立って書かれたものである。ならば
「正しい歴史(認識)が、良き国家関係を維持する」
…という、これほど正論で的を射た批判もないのである。
いったい日本政府は、いやこの国は、なにを興奮して血迷っているのか。
いずれにせよ潘基文氏の国籍をいいわけに、明らかに内容として正当な批判を誤摩化そうとしたところで馬鹿げて幼稚な言いがかりにしかならないし、日本国内では通用しても国際的に納得される客観性を備えた話ではおよそない(そもそも潘氏はあくまで日本の憲法改正に言及したのであって、日韓対立の話ではない)。なのに潘氏や韓国を責めるなんて愚行に走るとしたら、もはや目も当てられない。
いずれにせよ潘基文氏の国籍をいいわけに、明らかに内容として正当な批判を誤摩化そうとしたところで馬鹿げて幼稚な言いがかりにしかならないし、日本国内では通用しても国際的に納得される客観性を備えた話ではおよそない(そもそも潘氏はあくまで日本の憲法改正に言及したのであって、日韓対立の話ではない)。なのに潘氏や韓国を責めるなんて愚行に走るとしたら、もはや目も当てられない。
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