最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

8/01/2014

パレスティナ人が支援されるためには、殺されなければならないのか?

 パヴェル・ウォルバーグ撮影、イスラエル軍から釈放され家に戻るパレスティナ人
ジェニン近郊、2002年
イスラエル国防軍(以下IDF)がガザ地区攻撃を始めてから、すでに三週間ほどになる。比較的久々の、何年かぶりの戦争は、当初はいつもどおりせいぜい一週間かもう少し程度で終わるかと思われたのが、これまでになく長期化する様相を見せている。

この件をきっかけに、歴史的な文脈をきちんと踏まえなければ抗議活動はむしろ戦争をより激化させるだけであることの警鐘を、日仏共同テレビ局フランス10のサイトに寄稿させて貰った。

ガザ殺戮を前に語られぬこと、語りえぬこと-パレスティナ=イスラエル原論

以下はその補足的な話である。

photo by Josef Koudelka
まず告知。原一男師匠がNew Cinema塾という、ドキュメンタリー映画の連続上映と作家を招いての討論の会を月イチのペース(第4土曜日午後)でやっているが、今月のゲストはいいタイミングなのか悪いタイミングなのかよく分からないが、イスラエルが誇る「お笑い系反体制映画作家」、アヴィ・モグラビである。

上映作品は第二次インティファーダ初期の時代のテルアヴィヴの、くそ暑い八月を描く『八月、爆発の前に August』。


ふと気づけば、もう10年前の話である。

アヴィ自身が欲求不満な映画作家、その妻、意地悪なプロデューサーの一人三役を演じたブラック・コメディのセルフ・ドキュメンタリーだが、笑いの狭間の亀裂から滲み出る不安と怒りは、衝撃的なラストのレバノン国境のシーンで爆発する。

その後アヴィ・モグラビは、彼の長編映画のなかで唯一まったくコメディ要素のない傑作『失われた両目の片方のために』(2005)を発表している。



当時ほとんど報道では全体像の分からなかったヨルダン川西岸自治区の、鉄条網と壁でどんどん分断され、パレスティナ人たちのプライドが踏みにじられて行く模様を記録するキャメラは、ついに検問の兵士たちに怒りをぶつけるに至る。

その一方で映画は、聖書に見られるユダヤ人の英雄譚(題名も、ペリシテ人に囚われたサムソンが神に祈る言葉から取られている。「くりぬかれた我が両目の、片方のぶんだけでいいから、復讐させて下さい」、そしてサムソンは数千人のペリシテ人を巻き添えに死ぬ)や、ローマ帝国時代のユダヤ反乱がマサダでの集団自決に至る神話的な出来事を、パレスティナ側の自爆攻撃とパラレルに探求していく。

「カミカゼ」をやるような狂信者のイスラム教徒と世界のメディアは言うが、本当にそんな一方的なレッテル貼りが出来るのか?

だがさすがはアヴィ・モグラビ、この映画は決して「(過去のユダヤ人のように)追いつめられたパレスティナ人がハマスを支持し自爆攻撃に」あるいは「イスラエルへの復讐」という、それはそれで極めて差別的になりかねない視点には収まらない。

 『失われた両目の片方のために』の電話シーンを別編集した短編
『ちょっと待って、兵隊がやって来たから電話を切るよ』

西岸と、イスラエルのいくつかの聖地を撮るドキュメンタリーの随所に、IDF占領下の西岸の町にいるパレスティナ人の友人と電話で話すアヴィ自身の姿が挿入される。友人は絶望して死すらほのめかすが、それは決して「カミカゼ」あるいはサムソンやマサダ集団自決に至る類いの絶望ではなく、まったく異なったものなのだ。

「我々は奴隷ではない、人間なのだ。お前達に従う存在だと思い込むのはもうやめるべきだ」

 同じく、『ディテール5-10』

モグラビは左派、反体制のイスラエル映画作家であり、パレスティナ支持であり、深く同情もしている。だがその彼に向かって電話の向こうの友人は「もう主人面して説教するのはやめたらどうか?我々は対等でなければならないはずだ」と問いつめるのだ。

それが和平派であっても、しばしばイスラエル人のパレスティナ人に対する無自覚な態度であり続けて来た。モグラビはそれを突きつけられ言葉を失い戸惑う自分を、はっきり自分の映画に刻印している。

そのアヴィ自身、イスラエルのエリート階級であるヨーロッパ系(アシュケナージ)ではない。アヴィの家族は祖父の代に、ベイルートからテルアヴィブに移住して来た、元々はダマスカスにいた家系であり、本人の弁によれば「純粋に資本主義的な動機で移民して来たユダヤ人だ。つまり、テルアヴィブで商売をやれば儲かると思ったわけだ」。 
そのモグラビ家で過去使って来た言葉はアラビア語である。だがテルアヴィヴに移民してから三代目のアヴィの代では、もうアラビア語はしゃべれない(彼は今勉強中だそうだが)。

アヴィ・モグラビ監督作品
『私はいかに心配するのをやめてアリエル・シャロンを愛するに至ったか』

イスラエル建国に至ったシオニズムは、それ自体が矛盾を孕んだ理想主義だった。当時の最先端の民主主義的な論理で、宗教から切り離されたユダヤ人アイデンティティを希求したのがシオニズムであり、それは民族の言葉(ヘブライ語)の復活、民族の国土(エレーツ・イスラエル)の回復、そして民族の文化の復興と再創造の三本柱から成り立っている。

ヨーロッパを中心とした流浪の民の立場から新たな民族の文化の再創造する上でもっとも参照になるとみなされたのが、本来同系統の民族(セム系)であり言葉も近く(現代ヘブライ語の発音規則はアラビア語を参考にしている)、同じパレスティナを民族の故郷としているパレスティナのアラブ人の文化文明であり、初期の入植者は積極的にその風俗習慣を取り入れようとさえした。

今日でさえ「イスラエル料理」とされるもののほとんどはアラブ料理である。 
参考:江古田のイスラエル料理店「シャマイーム」のサイト  
十条のパレスティナ料理店「ビザン」のサイト

だがこの最先端の民族主義の理論は、当然ながらあらゆる民族の平等を謳っていると同時に、そうした近代的な平等主義を言うこと自体が、ヨーロッパのインテリの最先端でもあった。つまり一皮剥けば、ヨーロッパ中心の西洋文明優位の意識構造から、どうにも逃れようがない。

それはこと、イスラームがユダヤ教やキリスト教に較べて遥かにリーズナブルに現実的な政治宗教であり、よって宗教と科学や近代思想の決定的な対立と分離を経験することがなかったパレスティナのムスリムとの意識のズレにおいて決定的になる。無意識の植民地主義的差別どころか、この場合は本人たちの意志とすら関わりのない意識外において、構図としてどうしても、差別的かつ植民地主義の面を持ってしまうことになる。

この矛盾はイスラエル国家の70年近い歴史に常につきまとい、シオニズム運動は「アラブ労働者との連帯」などを標榜しながら、それが常に「アラブ人の近代化」に横滑りし、ついにはアラブ=イスラム圏の「野蛮」に対する「文明」の前哨基地としてのイスラエルの位置づけにまで至ってしまった。当初はパレスティナ人からこの地での農業のやり方を教わっていたユダヤ人入植者が、いつのまにか「現代文明」をパレスティナ人に教えてやると言う植民地主義的な態度のユダヤ人国家とその「文明的」な国民になってしまったのだ。

1970年代初頭、ヨム・キプール(第四次中東)戦争までは、イスラエル人がこのシオニズムの自己矛盾と崩壊を意識することはあまりなかったようだ。それまで闘った戦争の相手国はアラブ諸国というが、いずれも植民地支配者の出先機関的性質から抜け出せない独裁的な国家政府であり、イスラエルはその「民主主義の敵」を撃ち破っても来たのだ。

アモス・ギタイ『キプールの記憶』より
奇襲で大混乱に陥るイスラエル

だが1967年の六日間(第三次中等)戦争で当時はヨルダン領だった西岸地域を占領してから、民主主義国家であることを誇りにして来たはずの近代国家イスラエルは明確な矛盾を内包することになる。当初の理想はパレスティナ・アラブ人との連邦・連合としてのユダヤ人国家を目指し、パレスティナ人にも市民権を与えようとして来たことが、西岸とガザを占領することで明らかに立ち行かなくなり、民主的に、パレスティナ人を同等の市民として扱うことが、占領地に関しては完全に出来なくなったのだ。

この時からイスラエル政府はイスラエル領内の完全な民主主義を目指す顔と、強圧的な圧制の占領者という、ジキルとハイドのような二面性を持つようになる。

アモス・ギタイ『殺人の闘技場』

そしてユダヤ教でもっとも重要な祭日であるヨム・キプール(贖罪の日)に奇襲を受け、勝ちはしたものの膨大な被害を出し、得るものはとくになにもなかった(67年の国境線と占領地が確定しただけ)ヨム・キプール戦争で、シオニズムは限界と崩壊へと向かう。当時の首相が労働党のリベラルな女性政治家であったゴルダ・メイヤーであり、その彼女がもっとも右派愛国的な戦争政策を取らざるを得なかったことも、初期のイスラエルの在り方がひとつの内部崩壊を迎えた事象としてみてもいいだろう。

シオニズムのもうひとつの特徴は、完全な男女平等の実践だった。キブーツにおいては浴室すら男女を分けない徹底ぶりであり、独立戦争民兵のパルマハには女性兵士も多く、戦死者の4割が女性だった。 
アモス・ギタイ監督『ベルリン・エルサレム』
初期のキブーツでの混浴
だが一方で常に戦争をやり続ける国では、女性は男並みに振る舞わなければ認められない、という面もある。ゴルダ・メイヤーはその典型例とも言える。

スティーブン・スピルバーグ監督『ミュンヘン』より、
ゴルダ・メイヤー(リン・コーエン)

一方でパレスティナ側はパレスティナ解放機構の闘争に、当時盛んだった先進国を中心とする極左武装集団が協力する形で、テロリズム闘争を激化させることにもなった。ミュンヘン・オリンピックでイスラエル選手団が惨殺された事件はとりわけ大きな衝撃であり、イスラエル情報部モサドはPLOの指導者クラスを報復と自衛の闘いとして次々と暗殺して行くことになる。

後から考えれば、これはもの凄く皮肉な結果を招くことになる。PLOの有能な指導者を次々と暗殺してしまった結果、残ったのがヤセル・アラファトである。

このアラファトがイスラエルをレバノン戦争へと駆り立てるきっかけを作り(それまでのPLOはやはりパレスティナ人を「守る」ことを優先させた。アラファトはむしろイスラエルに攻撃されることで国際世論の同情を買う戦略に踏み切ったのだ)、90年代に和平交渉が始まると、今度はあまりに頼りなく無責任で、自己アピールを無節操に最優先させる交渉相手になってしまった。

イスラエル側から見れば、国家と国民の安全の確保のためにやった暗殺が、長期的にみれば結果として逆に現状の苦境を作り出したことになる。

結果、将来の独立を前提としたパレスティナ自治区の政治は混乱し、和平が暗礁に乗り上げると、イスラエルはちょうど冷戦の崩壊で流入した100万の旧ソ連圏移民の受け皿の必要もあって、パレスティナ領土内のユダヤ入植地を温存、かつ拡大していくことになる。100万人の票数は民主主義の選挙では大きな力を発揮し、右派政党がそれを利用して勢力を伸ばして行く。

とはいえそれは、新移民に平等な生活権をイスラエル国内で保証することではなかった。入植地とはその実、西欧各地で見られる低所得者向け公共住宅(日本でいえば「同和対策住宅」)に、「国土を守る」という英雄的な役割をカッコつけで付与したような代物だ。

入植地の安全を保つのは自衛だ、イスラエル領内での自爆攻撃の首謀者の逮捕は自衛だ、という名目で、IDFは自治区に深く介入し、入植地を守るためだったはずの鉄条網がいつのまにかパレスティナ人の村をとり囲み、パレスティナ人をそこに閉じ込める牢獄の柵と化して行った。

ミシェル・クレイフィ監督作品『ガリラヤの婚礼』

和平交渉の開始から10年を経て、パレスティナ人はいったんは与えられた自分たちの民主的な主権国家の夢をシステマティックに潰されて行ったことになる。

それも一方的なイスラエルの強圧だけでなく、自分達の政治家の無能さ無責任さにいつのまにか売り渡され、気まぐれな国際世論に振り回され続けた結果である。

そうした流れのなかで、本来なら開明的な国民性を持ち、ムスリムだけでなくキリスト教もいるパレスティナ人にとってはあまり肌が合わないはずのイスラミズム政党ハマスまでも、ムスリム世界におけるイスラミズムの勃興、とくにアルカイーダなどのイスラミズムの武装集団の世界的な伸張の一貫として、力を持って来た。

分離壁、俗称「シャロンの壁」撮影パヴェル・ウォルバーグ
それでも2006年、ヤセル・アラファトの死後の自治政府評議会選挙でハマスが主流派与党ファタハを破ったのは、決してパレスティナ人が絶望のあまり宗教にすがったからでも、イスラエルへの暴力的な復讐を望んだからでもまったくない。この選挙でハマスの政治部門はイスラム法の強要はしないと公約、普通の民主主義国家の保守政党に近い政策を打ち出し、こと支持を集めたのは腐敗の防止である。

いやもともと貧民救済で実績を挙げて来たのがハマス政治部門だ。むしろ普通の民主主義国家では左派的な政策とも言えるし、ただしそれはコーランの教えにも合致もしている。

ここでまた日本人が誤解しがちなのは、パレスティナ人がイスラエルの警備検問強化の結果経済的な苦境に陥り(自治区のパレスティナ人がイスラエル領内に通勤通学することすら、もの凄く難しくなった)、貧しいからハマスにすがったのだという見方だが、これは当のパレスティナ人からすれば「なにも分かってないで、私たちを未開人だと思って馬鹿にしているのだな」となる。

パレスティナ人は決して、自分達が貧しいから貧民救済政策を支持したのではない。それが道徳的にも政治的にも正しく、良心に照らし合わせて非の打ち所がないから支持されたのだ。

だがイスマイル・ハニーヤ率いるハマスの内閣は、対イスラエルでも67年の国境線を交渉の出発点とする(=イスラエル殲滅という軍事部門の主張は無視)という態度を明確にし、自爆攻撃を止めさせることも国際的に公約したにも関わらず、9.11のパラノイアからイスラム敵視に染まった欧米中心の国際メディアに潰されることになった。

その結果としてハマス内部で政治部門が力を失い、イスラム法の強要と対イスラエル攻撃を掲げる軍事部門が強硬的にガザ地区を占拠し、自治政府から事実上の分離独立状態になった(イスラエルは既に2005年から6年にかけてガザから撤退している)まま、現状に至っている。

ハニーヤは何度か、ガザのハマスとの訣別すら宣言して来た。

ちょっとした異変は、アラブの春に呼応してガザ市民もハマスに民主化を要求したことだ。結果一応は妥協のポーズを見せたガザのハマスは敵対していたハニーヤを首相に迎えていわゆる「ガザ政府」を樹立したが、中身はほとんど変わっていない、むしろハニーヤら政治部門が行き場を失い、軍事部門に飲み込まれてしまったような格好で、今回の戦争が始まっている。

IDFの空襲および地上戦部隊の投入で、ガザの死者はすでに1200人を超えており、そのほとんどが(誤爆であれやむを得ぬ巻き添えという体裁であれ)一般市民であり、いかにイスラエルが自衛の戦争を主張し、実際にガザのハマスが(過去のハマス政治部門と異なり)イスラエルに敵対し安全を脅かす勢力であっても、人道的に許されるものではないだろうし、これは長期的にますますパレスティナ人にイスラエルへの怒りと恨みを植え付けることにしかならない。

だがIDFはむしろ、彼らを絶望させる効果を狙っているのかも知れず、その意味ではある程度有効な作戦なのかも知れない。

そのIDFのやり口に非難が集まるのは当然としても、ではパレスティナ人が支援されるためには殺されることがいちばん有効なのか、というもっと絶望的な疑問にもかられる。

はっきりしているのは、オスロ合意をきっかけにアラブ諸国がパレスティナを支援する気をまったく失ったこと(もともとパレスティナを自国の勢力範囲に置きたい意図が明らかにあったのが、独立されてはそれはかなわない)、実はパレスティナ人にとってとんでもない食わせ物でしかなかったが国際的な大スターになったヤセル・アラファトの死後は、欧米中心の国際社会の「良識派」もまたパレスティナへの関心を失って来たのが、こういう戦争があって、パレスティナ人の死者数が報道でどんどん増えて行く時だけは、とたんに雰囲気が変わり日本でも「パレスティナの人々が」と言い出す者達が増殖して来ていることだ。

そうして支援してくれる人たちに「いやちょっとそれは違うんですけれど」と言える立場には、パレスティナ人はなかなかなれない。

これまでさんざん裏切られて見捨てられて来た以上は話を合わせるしかない一方で、「なぜ我々はこうも理解してもらえないのだろう?」と思わざるを得ないこともまた、想像に固くない。

もうひとつはっきりしているのは、パレスティナ人が殺されている時だけは支援の声を上げる人たちが、どうもパレスティナ人の国づくりにはなんの関心もないらしい、ということだ。

2006年の自治政府評議会選挙ではハマスを「テロリストだ」くらいにしか思っていなかった人たちが、今更になってガザ政府の首相が名前だけはイスマイル・ハニーヤであることを理由に、ハマスがガザ市民の支持を受けているのだと言い張り、その理由をパレスティナ人が絶望して宗教にすがっているからだと勝手に決めつけるに至っては、どうやったらそこまで手前勝手に話を継ぎ接ぎして人種差別的な決め付けが出来るのか、ほとんど理解に苦しむ。

パレスティナ問題とは、土地争いである。二つの民族がそれなりに正当な理由を持って、ここを民族の故郷、唯一安心して生活できる国土がここでなければならないと思っていることが、この紛争のそもそもの原因である。

だが現代の世界のなかで、今やこれが人種差別の問題になってしまっていることは、もはや否定のしようがあるまい。

イスラエルがアラブ人に対して差別的な社会であることは、もちろん否定のしようがない。公用語であるはずのアラビア語は、実際にはほとんど使えない。イスラエル人はヘブライ語しか出来ないが、パレスティナ人の多くはアラビア語とヘブライ語のバイリンガルだ。イスラエル人の多くがパレスティナのことをほとんど知らないが、パレスティナ人はイスラエルの政治からなにから、とてもよく知っている。

だが人種差別の不均衡があるのは、単にイスラエルとパレスティナの間だけではない。

一方で欧米や日本を中心とする先進国の国際社会とこのパレスティナという地域に住まう二つの民族のあいだにも、明らかな差別がある。差別意識がなければ、なにも知らない他国についてそう簡単に自衛権や国家民族の存在そのものを否定しかねない悪罵を投げかけながら正義面なんてすることは、まともな人間にはなかなか出来ないだろう。

photo by Josef Koudelka
こと我々日本人が心しなければならないことがある。

なるほどイスラエルはパレスティナ人を差別して来ているかも知れない。なるほど、今回ガザで1200人の死者を既に出していることを「虐殺」と批判したくなるかも知れない。だがこう言ってはなんだが、この3週間でIDFが殺したパレスティナ人の数は、関東大震災直後のほんの2,3日で東京の市民が虐殺した朝鮮人の数よりも少ないし、東京で起こったのははっきりと、意図的に(「敵の指導者を攻撃する巻き添え」でもなんでもなく)朝鮮人だから殺したことであり、その加害者は軍ではなくごく普通の日本人だ

なんだかんだ言っても、イスラエルは市民権をもつ国民として20%以上のパレスティナ人を抱え、彼らは選挙権ももちろん持ち、パレスティナ人の政党もイスラエル国会にちゃんと議席を占めている。いかに差別があるとはいえ、パレスティナ人がイスラエルによる仕打ちを非難することを、イスラエル社会のなかで止めることは出来ない。ちゃんと発言権だけは保障されている。

我が日本国はどうか?

これが在日コリアンに対する差別攻撃に対して日本人が反対する運動のリーダー格の発言で、その運動内部からまったく批判が出て来ないのだから恐れ入る。在日の味方をする条件が、「日本人がいやがる歴史は言うな、それは反日だ」なのだそうだ。 
なんなんだ、この人たちは?
ちょっとふざけるのもいい加減にして欲しい。およそイスラエルに文句を言えた義理ではなく、「まず隗から始めよ」で話は終わる。


もちろんパレスティナ人の発言権を担保することが、イスラエルが自らを「我が国は民主主義である」と胸を張るためのエクスキューズでもあることは否定しないし、いくら言ってもまるで無視される場合がほとんどであることも否定はしない。

だがそれでも、パレスレィナ人が「イスラエル人に気に触ることを言うな、黙れ」と言われたりしたら、それを言った側のユダヤ系のイスラエル人がむしろ社会的に抹殺されるだろう。

そもそも日本が朝鮮半島を植民地化したことには、そこを「民族の土地」とみなせる理由はなにもないし、自衛でもなんでもない。

そして今、日本国内にいる在日コリアンは人口のたった0.5%前後である。

そのたった0.5%の、しかもイスラエルに対するパレスティナ人のように、少なくともタテマエでは戦争をしている民族ではない、むしろ極めて友好的で日本社会に貢献してさえいる少数民族に対する日本社会の態度は、いったいなんなのか

もう一点。これはイスラエルとユダヤ人に対する態度として。ほとんどの差別されるマイノリティは、差別を無自覚にせよ、ちらつかされただけでも警戒し、自分が言いたいこと言うべきことを言っていいのかどうか躊躇する

みすみす差別の矢面に立ってしまうことは命の危険すら伴う、当たり前の生存本能だ。出来れば支配的マジョリティの側に同化したい、と思ってしまいがちなことすら、ある意味自然であろう。

だがユダヤ人にだけは、こうした差別をほのめかす圧力はもはや通用しない。

2000年間少数民族として生き残って来ただけではなく、最初に声を上げ損ねてつい差別する側に妥協してしまった結果が、あのホロコーストである。ちょっとでも差別の匂いを感じた瞬間、在日コリアンなら黙ってしまうかも知れないが、ユダヤ人は黙らない。むしろ差別から自分を守るために戦闘態勢を整える。

ガザへの攻撃を「実態は虐殺だ」までならいいが、安易な感情論で「ジェノサイド」とか言い出してしまってはあまりにも簡単に反論可能だし、そう言っている側が西岸自治区の存在すら知らず、イスラエル国民の2割以上がパレスティナ人であることも知らないような「抗議」では、ただ「自分達は理解されず差別されている」とイスラエル側はますます頑なに「自衛の戦争」を完遂するだけだ。

パレスティナ人はまた少し違う。もともと交易と文明文化の流通の要衝で生きて来た人たちである上に、アラブ文化では客人の歓待はもっとも重要な美徳である。つい「お客さん」である外国人に分かり易いように説明しようとするうちに、話を合わせてしまいがちだ。

その点では過去の日本人には分かり易い民族、共通点が大きい。今は日本人の方が変わってしまったが。

そしてそのパレスティナ人は1948年から、自らの物語を作り出せない民族になってしまった。イスラエル=パレスティナの歴史において、彼らは主体でなく客体であり、同時に世界中から同情を装って「見られる」存在である点でも客体に留まらざるを得ない。

photo by Josef Koudelka
3年前に暗殺されたパレスティナ人俳優ジュリアーノ・メール=カミス(ただし母がユダヤ人なので公式には完全にユダヤ人でもある)は、イスラエルの映画・演劇界でスターとして活躍したあと、IDFによる虐殺のあったジェニンで「自由劇場」という演劇ワークショップを始めていた。

ジュリアーノ・メール=カミス(1958〜2011)
ジュリアーノは「パレスティナ人はまずイスラエルによって被害者としてのアイデンティティを押し付けられ、21世紀に入って気がつけば世界のメデイアによって“狂信的なテロリスト”というアイデンティティを与えられていた」と指摘していた。

「天国で70人の処女が待っていると信じて自爆テロをやる民族だなんて、そんな馬鹿げた話はない。だが気がつけば、イスラエルは巧妙に自分達が被害者だと偽り、立場を逆転させてしまった」



「イスラエルだけの責任ではない。我々のリーダーたちは自己保身のために我々を売って来たし、アラブ人どうしのあいだでもなぜか隣人を売るという悪い習慣が幅を利かせている」

西岸がイスラエルの分離壁と鉄条網で分断され、自分の国の中を自由に行き来することもできず、生活に不便すら来す状況のなかで、「追いつめられて自爆テロに走る絶望に狂った民族」というアイデンティティを、口ではパレスティナ人を支持すると言っている人たちですら無邪気に信じ切って、それを実はまったく理解する気も、まして対等な人間とみなすつもりもないパレスティナ人に押し付けている。



実際のパレスティナ人がたとえば2006年にハマスを選挙で勝たせたのは、およそ宗教的熱狂とは無関係な現実主義の選択だったことを、そうした「支援者」たちですら認めようとはしない。

やはりこれはどこまでも、人種差別の問題なのである。

差別によって奪われたアイデンティティであっても、それを回復できるのは自分たちだけだ。イスラエルのユダヤ人がかつてそれをやり、今それをやらなけばならないのはパレスティナ人である。ジュールの『自由劇場』もまた、そのパレスティナ人一人一人のアイデンティティを演劇や映画を通して回復させようとしていた。



彼を暗殺したのは、イスラミズムの過激派勢力だ。ジュールのような自由な意識を持った現代のパレスティナ人のアイデンティティの回復は、宗教的権威や安易な全体主義的な民族主義によってパレスティナ人を押し込めようとするイスラミズムには都合が悪い存在だったのだろう。



ガザのハマスもまた、パレスティナ人をそういう立場に追い込もうとしている勢力である。ただ「イスラエルに攻撃されているから」というだけでハマスを支持するとまで言い出して正義を気取るのは、先進国の側のあまりに安易な人種差別である。

ハマスは実際にガザ市民を「人間の盾」として利用している。いやこれではまだ言い方が甘い。ハマスはIDFがガザ市民を殺すように、わざと仕向けてすらいる。

だがそのことでハマスを安易に否定も出来ないことも、我々は肝に銘じなければいけない。

世界中のテレビや、今日ではネットにつながったパソコンやスマホの前には、ハマスがその手段を使い、パレスティナ人が大勢殺されている時にだけ、パレスティナを「支持する」「支援する」「パレスティナの人々が」と言い出す私たちが座っているのだ。彼らが殺されない限りその存在すら平気で忘れておきながら、その忘れて来たことの自覚さえ拒絶して正義の座に安住したがっている我々の支援を得なければいけないのなら、IDFにパレスティナ人を殺されることがハマスにとってもっとも有効な戦略になるのは、理の当然だ。

我々が「正義」の顔をしたがることが、戦争を激化させ、その欲望に奉仕するために死者が産み出されている。そのことは深く考えなければならない。

 ジュリアーノ・メール=カミス監督作品『アルナの子どもたち』

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