最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/27/2017

極右「國體」カルト洗脳の貴乃花は、いったいなにを狙って奇行を繰り返しているのか?


日馬富士が引退して姿を消しても、大相撲の「暴行事件」騒動が連日報道を賑わしている。

いわば「第二幕」の焦点になったのは白鵬と貴乃花の確執(ただしその根底にある貴乃花の「モンゴル嫌い」は一部夕刊紙・スポーツ紙以外ではまったく触れられていない)で、「第三幕」で現在進行中の相撲協会VS貴乃花一派というか、貴乃花の気まぐれで理解不能な行動と、相撲協会がどう対応するのかに話題が移っている。

そして貴乃花はその相撲協会を挑発するように、次から次へと「奇行」を繰り返している。

親方となってからの貴乃花はメディアでは角界の「改革派」と持ち上げられながら、肝心の相撲と弟子の育成はそっちのけで相撲協会内の権力闘争にばかりご執心だったが、それでもついに貴乃花部屋で初めて、貴景勝が三役昇進・次回の正月場所で小結に決まり、それを祝う記者会見があった。


こうしたおめでたい席は普通ならその相撲部屋に設けられ、取材記者はいわばお祝いに駆けつけたお客さんのようなもの、もちろん親方が立ち会って温かい目で弟子を祝福したり、緊張しているのをうまくほぐして和やかな空気を作るのが相撲界の伝統のだったはずが、貴景勝はひとりぼっちで、それも国技館で会見をやらされた。

暴力事件の被害者・貴ノ岩の扱いにしてもそうだが、この親方、つくづく弟子をいったいなんだと思っているのだろう?

結局は、密かに東京に戻されて入院していたらしいが、だったら親方はなんで診断書を提出してやらなかったのか? 祖国モンゴルでの自分の評判をひどく気にしているそうだが、せめて入院していることと、怪我の状態が良くないことを親方がきちんと公表するだけでも、あらぬ誤解はかなり防げたはずだし、巡業を無断で休むこともなくて済んだはずだ。

「入院しているのだからそっとしておいて欲しい」というだけでも、マスコミだって多少は取材攻勢を控えていただろう。

だがマスコミに取材攻勢を控えられてしまうのは、逆に貴乃花の目論みに反することだったのではないか? むしろあまたの憶測を呼び起こす奇行を繰り返して延々とこの一件を話題にし続けることが、貴乃花の狙いなのではないか?

九州場所の間、貴乃花部屋の宿舎の前にマスコミが貼付き続けたのは結局的外れだったことにはなるが、そんな取材攻勢をかけられ見張られ続けているだけでも他の弟子たちにだって相当なストレスだろうに、そんなひどい環境に置かれた先場所で、貴景勝は横綱2人大関1人を倒す快挙を成し遂げた。

今の幕内では最年少でこの出世というのは、嬉しくてめでたくてしょうがないはずだ。しかし「喜びの会見」で貴景勝は緊張と不安で冷や汗をかくばかりで、笑顔ひとつも見せる余裕もなかった。

たった21歳の若者に、これはあまりにも酷ではないか? せっかくの晴れの席なのに、彼は記者が聞きたいのが自分のことではなく親方のことだとも百も承知だろう。なんとも幸先の悪い話でもあり、なによりもこの青年がかわいそうだ。

弟子そっちのけで貴乃花が引き延ばしに熱中して来たこのスキャンダルの、その貴乃花本人も含めて誰も得をしそうにない展開に、その動機に首を傾げる人も多い。

だがこの一件、得をしている人間が少なくとも1人は、確実にいる。

相撲界にだけ気を取られていると気付かないかもしれないが、ちょっと距離を置いて考えれば答えは簡単だ。犯罪捜査でも推理小説でも常道は、最大の受益者=最大の動機がある者をまず疑うことだが、もちろんこの大相撲騒動がトップニュースになることで政治報道がテレビからほとんど消えてしまって誰よりも助かったのは、言うまでなく安倍晋三総理大臣だ。

野党側の主張で12月8日まで審議が行われた国会の議論では、加計学園疑惑についても追及が続き、その獣医学部の新設が設置審を通った背景にも、また獣医学部新設について閣議決定された4要件に違反している可能性についても重大な疑義が提起されていたのだが、新聞以外ではほとんど報道されなかった。

森友学園疑惑では、籠池夫妻が公汎開始に至らないまま5ヶ月も拘束されて保釈が許可されない理由も見当たらないのに親族すら面会できなくなっている。日本の司法制度において前例のない異常事態というか、どうみても違法な取り扱いだが、まったく騒ぎになっていない。8億円超の国有地値引きの背景についても、財務省と学園側の交渉の録音記録がリークされ、驚愕の…というか呆れた実態が分かって来ている。なんと土中の多量のゴミをでっち上げて値引きの言い訳に使ったのは財務省の発案で、事実に反することは困ると及び腰の学園側を、法の抜け道が使える文言まで提案して財務省の側こそが押し通していたのだ。なんとも安倍コベ…ではなかったアベコベな話で、ワイドショーの格好のネタになりそうなものが、なぜかまったく取り上げられていない。

天皇の退位についても、退位日程が決まった過程にいろいろ疑問があるし、天皇がわざわざ宮内庁を通して派手な式典は要らないと表明したことも、「内幕はどうなっているのか」をあれこれ憶測するのはワイドショー的におもしろいはずが、まったくスルーされている。

麻生太郎副首相と親しいと言われるスパコンのベンチャー企業ペジー・コンピューティング社長の補助金不正受給詐欺も、まったくテレビは取り上げない。この社長氏、安倍首相と極めて親しいジャーナリストでセクハラ・レイプ事件を起こし、警視庁高輪署の丹念な証拠固めで逮捕状も出たところで、なぜか警視庁上層部が強引に捜査を打ち切らせた山口敬之氏を、自分が借りている超高級マンション(週刊新潮が調べたところでは家賃200万だとか)に住まわせてもいる。確かに経産省を騙して補助金を「詐取」した事件にも見えるが、こんな手口で経産省のエリート官僚を騙せるものなのか、ずいぶん不自然ではある。なんらかの力が働いて強引に補助金が支出されたのではないか、とワイドショーが推理に熱中しても本来ならおかしくない。

JR東海のリニア新幹線をめぐる大手ゼネコンの談合不正受注に東京地検特捜部が切り込んだのも普通なら大ニュースになるはずだ。これがまた、昨年の参院選の直後に安倍首相が突然「成長戦略」と称して3兆円の財政投融資の投入を決めたいわく付きの事業でもある。JR東海は前会長が安倍首相と「日本会議」を通じてつながった極右カルト人脈で、リニア事業はこの前会長がご執心だったのが、現経営陣は採算性の見込みが立たず途方にくれていたもので、いきなり「国家戦略」としての国費の注入がたいした議論もなく決まっただけでも本当は大問題の、森友・加計どことではない巨額オトモダチ案件だった。しかも談合を主導した大林組には、なんと安倍さんと「メシ友」なお友達幹部がいるらしい。本来ならワイドショーが喜んで飛びつく大疑獄のはずだが、まったく無視されている。

テレビ的には「貴乃花をやれば視聴率が上がる」と言われているらしいが、貴乃花がダンマリを決め込んでいる以外に新しい話題も特にないのに、本当に喜ぶ視聴者がそんなにいるのだろうか? コメンテーターがああでもない、こうでもないと同じような憶測を繰り返すだけでまったく本質も見えて来ないのだし、いいかげん飽きて来てもおかしくない。

相撲協会の危機管理委員会の鏡山親方が貴乃花部屋を訪れては居留守を使われ帰って行く繰り返しだとかはまあ、おもしろおかしくはあったし(しかし鏡山もいささか間が抜けているとはいえ、同僚の親方にあんな恥をかかせてしまえる貴乃花というのもひどい)、「貴ノ岩はどこにいるのか」もミステリー仕立てのエンタテインメント性がなかったわけでもないが、なにしろひたすら思わせぶりなだけでたいした内容もないのに、スキャンダル報道だけが肥大・膨張・増幅していくのは奇妙だ。

だがよく考えれば、こうして報道ばかりが過熱して延々と引き延ばされたのは、ひたすら貴乃花の行動があまりに不可解で思わせぶりだからに他ならない。

そして一見不可解な自爆行為としか思えなさそうな貴乃花にも、実は狙いというか思惑があって、よく見ればそれが三つほど、かなりはっきり見えて来る。

第一に、事件を知った時点で警察に被害届は出しながら相撲協会には報告せず、場所が始まってからスポーツ紙にリークして不意打ちのように報道させたのは、日馬富士の暴行事件をここぞとばかり利用して、少しでも大きなスキャンダルにするためだ。「協会にもみ消されるのを防ぐためでは」と支離滅裂な貴乃花擁護を展開するコメンテーターも多いが、馬鹿も休み休み言って欲しい。もみ消しを防ぐのなら事件を知ってすぐに警察に被害届を出すと同時に協会に報告し、あわせて自分で記者会見でも開いた方がはるかに効果的だったし、貴ノ岩も少しでも苦しまずに済ませられたはずだ。貴乃花は弟子の被害に怒ったのではない。まず話を大きくして日馬富士を確実に潰そうとし、あわよくば白鵬まで狙っただけだ。自分が黙っていた方が、その意図をマスコミが勝手に忖度してくれて、話はどんどん大きくなる。

第二に、今やかつての自分を遥かに超えた、押しも押されぬ平成の大横綱となった白鵬へのバッシングを仕掛けることだ。これはある程度は成功している。ここ数年の白鵬の取り口が勝つことだげが目的の荒っぽいものになっていたこともあって、その意味では自業自得的な面もあるが、モンゴル人という出自があるからこそ日本人よりも日本人らしい愛される優等生横綱になろうと徹して来た白鵬が、考えを改めてひたすら勝ち続けることだけに集中する大横綱になろうと決意したのは、優勝記録や連勝記録を更新し続けて名実共に貴乃花を超える平成の大横綱として認められた前後からだった。「横綱がはしたない」と批判されるような物言いをつけ始めたのはもっと分かり易く、貴乃花が審判部長だった頃だ。巡業部長になってからは、移動のバスが貴乃花の命令で白鵬を置いてきぼりにしたこともある。

そして第三に、今まさに進行中の、警察の捜査が終わったら協会の事情聴取に応じるはずが「検察の捜査が」と前言を翻してみたり、自分の主張を理事会で口答ではなくわざわざ文書にして他の理事に黙読させ、その文書はしかもわざわざ回収したり、鏡山に居留守を使い続けたりもした一見不可解な行動は、ひたすらこの事件をめぐる騒動とその報道を長引かせることが目的だと気付けば、すべて説明がつく。

本当に言いたいことがあるのなら同じ文書をマスコミに渡していれば主張はより強く伝わったはずだ。だがそうやった場合、この文書の件がワイドショーの放映時間を独占するのは、木曜日の理事会のあとの夕方と夜のニュースと、その翌日いっぱいで終わって、次の展開が必要になっていただろう。

だが最初は中身がさっぱり分からず、週が明けてから少しずつ「関係者の証言」として中身が小出しにされたことで、週末の情報番組も占有できたし、週明け後も年内いっぱいくらいはワイドショーの放送時間を押さえられる(つまり、他のたとえば政治ニュースは報道されないで済む)。

唐突に協会側に帝国ホテルに呼びつけて事情聴取に応じ、その文書と同じような内容をひたすら繰り返したらしいのも、協会側が木曜日の臨時理事会までその内容は公表できないのを見越していれば、情報が小出し・断片的にしかならないぶん憶測が憶測を呼び、ひたすらこの話題を引っ張れるという計算は当然成り立つ。

つまり貴乃花の目的が「ワイドショー独占」なら、一見不可解な行動にもすべて合理的な説明がつくし、そのワイドショー独占が成功すれば衆院選挙には勝ったが支持率は低迷したままの安倍政権が助かるのだ。

ずっと貴ノ岩の所在を隠し続けたのも、冬巡業に診断書を出さなかったのも、マスコミがああでもない、こうでもない、と憶測報道を続けることを狙った計算があったとすれば、事態は確かにその貴乃花の狙った通りに進行して来ている。

早々に「入院しているので今はそっとしておいて欲しい」とマスコミに告げ、ごく普通に貴ノ岩の診断書を協会に提出していれば、ワイドショーはそれ以上は報道できる内容がなくなり、「貴ノ岩はお気の毒」「早く恢復して正月場所での活躍が楽しみ」でこの話題は打ち切られてしまい、スパコン補助金不正やリニア談合、加計学園獣医学部があやふや・うやむやなまま認可された不透明さや、森友学園疑惑の新たに出て来た真相などなど、ワイドショーの関心は政治スキャンダルに向いて行っていただろう。

もちろんただスキャンダルを引き延ばしただけでは、貴乃花本人には結局メリットはなにもない。

メディアはなんだかんだ言ってもかつての「若貴フィーバー」のノスタルジアもあって貴乃花を応援してくれているが、付き合わされている相撲協会にしてみれば、あまりに非常識で人を馬鹿にした態度に、かつての人気横綱で「土俵の鬼」だったのだから、と貴乃花を支持して来た親方衆も、さすがに呆れて離れて行くだろうし、現に横綱審議委員会が親方の行動を批判するという異例の事態にもなった。

それに弟子にとっては親代わりなのが親方の責務なのに、貴乃花の弟子の扱いがあまりにひどい。

こうも人望を失い続けるままでは、貴乃花の「改革」の野望というか相撲協会の理事長となって角界のトップに、という野心の実現はどんどん遠のいて行くだけだ。

だが誰か大きな力を持った、いわば “黒幕” がいて、貴乃花をうまくそそのかしてとにかくこのスキャンダルを引き延ばすよう頼みでもしていれば、状況はまったく変わって来る。その “黒幕” の後ろ盾があれば相撲協会内の力関係をひっくり返せるのだ、と貴乃花に思わせることさえできれば、貴乃花は喜んでその話に乗るだろう。

どっちにしろ元横綱北勝海の八角ががっちり体制を固めて、一時の度重なるスキャンダルを乗り越えて相撲人気の回復を成功させた今の相撲協会のままでは、人付き合いが悪いことで悪名高い貴乃花がその北勝海を倒して角界に君臨するなんてことは、普通ならまずあり得ない。

だが公益法人として政府の管轄下にあるのが相撲協会だ。政治権力が貴乃花を理事長に、と動き出せば状況はがらりと変わる。

幕内優勝40回に通算1000勝などなど、数々の大記録を打ち立てた白鵬も、通ぶった人々がいかに最近の荒っぽい取り口を「横綱相撲ではない」とイチャモンをつけようが、一般相撲ファンの人気は絶大だし、そのひたすら勝ちに行く攻撃的な相撲は、白鵬の柔軟で俊敏な動きの身体的な美しさもあって、確かにメチャクチャかっこいい。ファンが喜ぶのは当然だし、その白鵬を見たくて切符を買う人も増える。

11月・九州場所の優勝インタビューでなんのことかよく分からない万歳三唱を呼びかけたのも、満場の観客が喜んで応じたのを見れば分かるように、いかに「厳重注意」を食らおうが、横綱の風格というかカリスマ性の高さも、今の相撲興行からは絶対に外せないのだし、この厳重注意だって一方では、八角体制の執行部は白鵬の渾身の(掟破りの、普通ならあり得ない非礼の)訴えを聞き入れて貴乃花を冬巡業から外したわけで、むしろいかにも日本的バランス感覚の「喧嘩両成敗」の形を成立させるための方便だろう。

だが貴乃花のバックにもし例えば与党内の極右勢力とか、安倍官邸がいれば、自分たちの人種差別の排外主義をこの政権が正当化してくれることが嬉しくてしょうがない熱烈支持層も嬉々として白鵬&モンゴル勢バッシングを展開してくれるし、そうした世論も含めて貴乃花が切望する相撲界からのモンゴル勢排除の強力な後押しにもなるだろう。

今の相撲協会の主流派なら、白鵬と貴乃花のどちらを選ぶかと言えば確実に白鵬を選ぶに決まっている。まずなによりも、相撲の興行を支えられるのは白鵬であって、貴乃花を見に相撲に行く客はいないからだ。

一部の週刊誌がいかに差別排外主義的なナショナリズムで白鵬をこき下ろそうとして、ネット上でもそうした差別排外主義が露骨なバッシングに同調する者も増え、テレビのコメンテーターもかつての若貴フィーバーの延長で貴乃花を擁護しようが、白鵬を「日本をバカにしている」「反日だ」と叫ぶいわゆるネトウヨ層のツイートなんて、八角体制が開拓した「スー女」の女性ファンは見向きもしないし、週刊誌もコメンテーターも入場料を払って両国国技館や地方場所や巡業を見に来てくれるお客さんではない(テレビ中継すら見ているかどうか怪しい)。

それに確かに相撲界は保守的で、なにしろ伝統芸能の格闘技の継承者それも「国技」だからいわば「愛国的」で、政治的傾向では右翼的な人も多い方ではあるが、保守的で愛国的だからって即乱暴な排外主義の差別主義者になるとは限らない。

むしろ日本の伝統的な真性の「保守」だったら、まったく逆になる。

たとえば日馬富士の師匠・伊勢ケ濱を見ても分かることで、引退会見で親方の方が涙を流したかと思えば、気色ばんでマスコミのぶしつけな質問を封じ込めたのは、世間の評判は悪いだろうがそれでも、伊勢ケ濱がどれだけ日馬富士を愛していて、最後まで守りたかったのかは伝わった。

ほとんどの親方衆は白鵬や日馬富士や鶴竜が、モンゴル人の彼らにとっては苦労も多い外国となる日本で、人一倍努力して、日本語も学び稽古にも励んで今の地位に上り詰めた、その一生懸命な姿を見続けて来た。生身で見て、裸で接し、時には一緒に涙も流して来たであろうその彼らに、「日本人ではない」からといって排外主義的な差別の憎悪を向けるような真似ができる親方は、若い頃から相撲しか知らない人達だからこそ、まずほとんどいないだろう。

元力士の親方衆が仕切る相撲協会は、確かに現代の世間の価値観からはズレていたり、非常識だったりはする。勉強よりも相撲の稽古に青春時代を費やしただけに教養や常識がなかったりすることも確かにあろう。旧弊な上下関係の体質もあるし、しかも相撲の興行は巨額のカネが動くものでもあるだけに、そのカネをめぐる利権やら癒着やら腐敗やらもあるだろうし、繰り返しになるが伝統芸能の格闘技を継承しているのだがら保守的でしがらみも多く、一門制度であるとかの旧態依然の派閥体質も確かにある。だがよくも悪くもそうした昔ながらの価値観の、真性の日本的な「保守」で、小難しい理屈もよく分からない人達だけに、人情というものは人一倍厚い。

だがそんな中で明らかに浮いているのが、貴乃花なのだろう。

確かに現役当時には高い身体能力で天性の相撲の才能も明らかで、土俵入りの美しさなどは天下一品だった。目鼻立ちも身体の線も見栄えもするし、初代若乃花の甥で初代貴乃花の息子の血統の良さからしてもまさに生まれながらのスター力士、まるで「天皇」的な存在ですらあった。


だが今では無条件の褒め言葉のように使われている「土俵の鬼」というのも、元々はそんな無邪気な文脈で出て来た言葉ではない。

たとえば女優・宮沢りえとの婚約の破棄だとか、なにがあったのか真相は分からないが(ざっくばらんで正直だが口は悪かった宮沢の母は「漢字もロクに読めないクセに」と怒っていた)彼女が深く傷つけられながらもあっぱれなまでに気丈に振る舞っていたことだけは確かで、それに対する貴乃花側の対応がこれまたなんとも奇妙というか冷淡というか、常識をわきまえないというか血も涙もないというか、そんなスター力士の態度をなんとか擁護するために持ち出されたのが相撲のことしか分からないという理屈で、元々は叔父の初代若乃花を指した「土俵の鬼」という形容がリサイクルされたのだ。

その後も貴乃花は、子供の頃からずっと支えてくれ、かばっても来てくれた兄の二代目若乃花ともなぜか絶縁状態になったり、父の藤島親方(初代貴乃花)が「光司は洗脳されている」と告白して大騒ぎになったこともある。

今でも貴乃花の名勝負といえばすぐ持ち出される2001年夏場所の、武蔵丸との優勝決定戦にしても、あれが「横綱相撲」で本物の「土俵の鬼」の取り組みだったとは、とても言えない。

満身創痍で膝を痛めている貴乃花を相手に、武蔵丸はとてもではないが本気で「ガチンコ相撲」は出来ず、戸惑い、遠慮して、ほとんどわざと負けたようなものだ。

これ以上怪我をひどくさせてはいけないと気を遣って手加減してくれている相手を倒して「鬼の形相」だの、当時の小泉首相が「痛みに耐えてよく頑張った、感動した」と誉め称えたのも自分の「改革」方針のキャッチフレーズをうまくアピールした機転にだけは感心するが、あれは明らかにおかしいと思ったら案の定、藤島親方は息子の頑固な熱意に千秋楽の取り組みまではしぶしぶ許したが、優勝決定戦になったら棄権しろと命じていたのに、無視したのが貴乃花だったらしい。

藤島親方はまともだったわけだ。単に息子で愛弟子の身体が心配だっただけではなく、あんな状態で土俵に上がられては、やさしい人柄で知られた武蔵丸があまりに気の毒だし、貴乃花がやったことは、普通ならあんな卑怯な勝ち方はない。

だが貴乃花の場合は卑怯というよりは単に、相手のことをなにも考えていなかっただけのように思える。

これは相撲と言う競技の特質からすればかなりおかしい。貴乃花は本当に、日本の相撲の精神的な特質・特徴を考えたことがあるのだろうか? 
日本の相撲はただの格闘技ではない。 
力士同士は真剣勝負で向き合っても、必ずしもただ「敵」であるだけではない。 
そうでなくてなぜ、双方の息が合わなければ試合が始まらない、なんてルールになるのだろう? 
取り組みの相手は真剣勝負の相手であると同時に、息を合わす相手でもあるのが日本の相撲なのだ。こうして対峙する相手に対してもただ勝つだけでなく同時に高度な共感能力を持つよう要求もされていることが、日本の相撲を日本ならではの独特の文化にしている。 
だからこそ相撲は神事になり土俵は祭礼のカミを喜ばせてヒトも楽しむ場と化し、そして最強の横綱は「カミ」になり得るのだ。


今回の騒動でも、自分のスキャンダルのせいでなんの関係も責任もない貴景勝のおめでたい昇進に水を差しているのだから、せめて自分のことで弟子が苦しまないようかばってやらなければ行けないはずだ。だいたい自分の責任なのだから自分が矢面に立つのが「親」だろうに、貴乃花は記者会見に「1人で行って来い」と言って送り出したのだそうだ。薄情を通り越して身勝手で無責任、そして弟子を人だとも思っていない。

貴ノ岩はもっとかわいそうだ。貴乃花は貴ノ岩が最初は「階段から落ちた」と言い訳したのを「『親』である師匠にも言えないことが起こったに違いない」「根が深い」などと言い訳しているが、根が深いのは暴行事件の方ではなく、モンゴル人の弟子が素直に話せないような圧力をかけ続けている貴乃花部屋の体質、貴乃花自身の性格と彼が染まっている歪んだ思想の方だ。

このモンゴル人の弟子がいながら、貴乃花はテレビのインタビューでも「自分の務めは日本人の強い力士を育てること」と公言したりして来ている。さらに内輪の集まりだとかでは相撲道の理想は「國體を守る」とか「國體を支える」などとまで言っているのだ。

これを誰も批判しない相撲マスコミというのは、貴乃花本人と同じくらいどうかしている。これではほとんど恒常的な精神的虐待も同然のレイシズムに日々晒されて来たのが貴ノ岩ではないか。かくも無自覚な差別意識丸出しに俺は「親」なのだとふんぞり返る親方にこそ、弟子が正直に話せるわけがない(というか、これではまるでパワハラ、虐待的依存関係の強要だ)。

そんな貴乃花が貴ノ岩に「馴れ合いになる」と言ってモンゴル人力士の先輩や同輩との付き合いを禁じていたことを美談のように伝えるワイドショーと、「それはおかしい」と決して言わないコメンテーターは、自分達もまた大日本帝国カルトの八紘一宇めいたレイシストになってしまっていると自覚できないのだろうか?

高校生で日本に留学し、貴乃花を大横綱の「土俵の鬼」と信じて入門して一生懸命に頑張って来た貴乃岩であれば、モンゴル人だからこそ必死で日本人になりきろう、日本人の言うことに従おうとしか考えられない立場に置かれて来たはずだ。

それに相撲部屋という特殊環境では、彼がそんな貴乃花の極右排外主義に逆らいようもないのだ。洗脳されてしまうことは避けようがない(そうしなくては相撲部屋の中では生きていけない)。


これは第二次大戦中に、日本軍の、それも特攻隊にあえて志願した朝鮮人の青少年や、台湾の高砂族などの少数民族出身の日本兵や、沖縄出身の日本兵に起こったこととも通底している。

藤田嗣治『薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す』昭和20年(部分)
例えば彫刻家・金城実は父がそうした忠実なる日本兵として戦死したことを、自らあえて厳しく批判している。その金城は、亡父が前線から母に送った、そうした言葉が書かれた父の遺書となったハガキを、今でも大切に保存している。 
日本の当時の体制下で差別されていたからこそ、日本人以上に日本人らしくあろうとすることで日本人に認めてもらわなければならない、という強迫観念が産まれてしまっていたのだ。 
さらに沖縄戦では多くの民間人も「切り込み」などと称して米軍の陣地に地雷や手榴弾を抱えて自爆攻撃までやっているのだ。 
近現代の「日本」という社会には、こうした差別やいじめと表裏一体になった不気味な同調圧力があり続けていることに、我々自身もまたどこかで同化しながら、その自覚から逃げ続けている面は決して否定できまい。 
我々はまだ無自覚でいられるが、在日コリアンの人々にせよ、相撲界のモンゴル人力士にせよ、彼らにとっては常に迫られて意識され続けさせられる圧力になっているとしても、なんの不思議もない。


そしてここにこそ、日馬富士が我を忘れるほど怒ってカラオケのリモコンで殴りつけるような暴行に走ってしまった、真の原因があるのではないか?

同じ席で、日馬富士と照ノ富士のあいだにも緊迫したやりとりがあったそうだ。

照ノ富士は「自分たちには壁があって思った通りのことは言えない」と日馬富士に訴え、日馬富士は「そんな壁はお前たちが自分で作っているんだ」と言って顔を三、四度平手打ちをしたという。

マスコミでは懸命に、照ノ富士が言った「壁」というのは下位の自分たちは横綱には何も言えない、という意味で、相撲界の上下関係の体質の問題だと決めつけようとしているが、ちょっと考えればこれでは日馬富士の返事の意味がまったく分からなくなるし、だいたい照ノ富士だってその「壁」に向かって「壁」があると言ったのだとしたらずいぶん矛盾した話だ。

だが彼らモンゴル人力士にはまた別の、思った通りのことが言えない「壁」が確かにあるし、そこに気付けば、貴ノ岩が以前に白鵬相手に金星を上げて「これからは俺たちの時代だ」と吹聴して白鵬を怒らせたことがこの事件の遠因になっているらしいとか、断片的に報じられている当日の他のやりとりとも整合性がつくし、日馬富士が「その壁はお前たちが作ってるんだ」と言った意味もすんなり理解できる。

「壁」とは、自分たちがモンゴル人力士である以上は日本人が日本の伝統だというものに逆らうことはできないし、日本人相手に本当に思っていることは言えない、まして自分たちは差別されて悔しいなどとは絶対に言えない、という「壁」だ。

一応、照ノ富士の支援者が本人で電話に確認し、「壁」というのは横綱にはモノが言えないという意味だと言質を取ったという報道はあった。 
わざわざ電話した日本人支援者も、その情報を鬼の首を取ったように喜ぶメディアもまさに何をか言わんやの滑稽すぎる話で、「壁」本人に向かって「あなた(達)が壁です」なんて言えるわけがない。

白鵬や日馬富士本人だって、その壁に実は苦しんで来たし、自分なりに乗り越えようとして来たではないか。だったら「その『壁』はお前たちが作っているのではないか」と言うのも意味はよく分かる。

だから白鵬は、モンゴル人横綱が朝青龍の時から「横綱の品格」と言われ続けていることに「勝つことが横綱の品格だ」と最終的には開き直ったというか自分で合理的な解答に達し、土俵上では文字通り「勝負の鬼」になると決意したのだし、そうでもしなければ自分たちがいくら頑張っていい記録を残しても、最後の日本人横綱だった貴乃花を引き合いに出しては日本人横綱待望論を繰り返すマスコミ報道に、とっくの昔に耐えられなくなっていただろう。

その待望の日本人横綱に稀勢の里が特例で(二場所連続優勝ではなく一場所だけで)昇進した場所が尋常ではない稀勢の里フィーバーになり、そこで普段なら力よりもテクニックで勝つ相撲が魅力の日馬富士が(というかここ何年かは満身創痍で体力的に無理があるのを、テクニックで補って来た)、柄にもなく猪突猛進型のすさまじい取り組みで稀勢の里を土俵の外に突き飛ばし、勢い余って大怪我をさせてしまったこともあった。

貴ノ岩が単に生意気な態度で白鵬を怒らせ、白鵬の代わりに日馬富士がせっかんしてしまったということだけが、この事件ではないのではないか?

同席していた日本人の、直接に相撲界の人間ではないどころか、貴ノ岩にとっては高校時代の恩師である人たちまでがこの事件について黙っていたのも、日馬富士が怒ったのにはよほどの理由があり、それが明らかになればむしろ貴ノ岩の将来が傷つくと思ったのだとすれば、説明はつく。

そしてそんな「よほどの理由」として今の日本で考えられるのは、「モンゴル人」が絡んでもいるのだし、人種差別の問題、差別発言が真っ先に思いつく。

だいたい、貴ノ岩についても真面目で実直な性格で、とてもではないが目上に対してそんな非礼で生意気な態度を取る人間ではない、というのがもっぱらの評判だ。

だが貴ノ岩が貴乃花の極右排外主義に洗脳され、その師匠を正しいと信じ込んでいたか、懸命に師匠に合わせようとしていて、師匠に忠実であろうとするあまりにモンゴル人である大横綱相手だからあえて大横綱と認めまいと反抗的に振る舞ったり、バカにした態度を取ったり、露骨に侮辱した(たとえば「モンゴル人くささが抜けていない白鵬は本物の横綱ではない」とか「日本人の貴乃花と違って横綱の品格がない」的なことを口にした)のであれば、日馬富士を知る人が誰もが首を傾げるような暴行も、引退会見でその日馬富士が憮然と「礼儀と冷静を教えた」と繰り返しただけだったことも、すべて説明はつく。

そもそも貴乃花の言う「國體」(要するに「日本は神の国」で云々)のロジックで言えば、日本人になっていない白鵬や日馬富士は(「本物の横綱」ではないので)貴ノ岩にとって「目上」ではなくなる。

ここに人種差別があるからこそ、「自分たちはモンゴル人だからと言うだけで差別されている」とは、朝青龍にも白鵬にも、そしてむろん日馬富士にも、絶対に言えない「壁」が確かにそこにあるのだ。

相撲協会の体面と相撲の伝統を守るためにも、そして自分たちモンゴル人力士が日本で相撲を取り続けるためにも、こればかりは絶対に言えない「壁」だ。

彼らがそこまでは口に出来ない立場を大半の親方衆も関取もなんとなくは分かっていて、貴乃花が異様な差別思想に取り憑かれて異様な「モンゴル嫌い」の態度を取り続けていることももちろん認識されているからこそ(たとえば、巡業中もモンゴル勢が土俵で稽古を始めると弟子を引き連れて席を外してしまうのだそうだ)、白鵬が「貴乃花親方が巡業部長では安心して相撲がとれない」と、現役力士として本来は絶対にやってはいけない親方批判をあえて言ったのも、執行部の親方衆もその場では言葉を濁しながらも、ちゃんと聞き入れたのだろう。

一部の週刊誌報道はここぞとばかりに、かつての朝青龍バッシングの再来のような白鵬バッシングにいそしみ、テレビ報道はかつてかっこいい名横綱として国民に愛された貴乃花を中途半端に持ち上げてその「真意」を忖度することを競い合っているのはいかにも気持ち悪いのだが、ちょっとネットで検索をかけて見たらなんのことはない、貴乃花は極右に染まっているどころか、極右系のエセ神道の新興宗教にゾッコンなのだそうだ。

さらにはツイッター上では、貴乃花部屋の力士が自分のアカウントで旭日旗をカバー写真にしたりして、すっかりネトウヨ化すらしているらしい。


貴乃花がこんな極右カルト人脈に洗脳され、どっぷりそこに浸かっているとなると、貴乃花の狙いがひたすら騒動を引き延ばして少しでも話を大きくしてワイドショーを電波ジャックするのが真の狙いだとしても、誰の差し金で貴乃花がそんなことをやっているのかについてまで、「いくらなんでもまさか」と思っていた極論の “黒幕” 仮説が、どうも本当に真相なのではないか、と思えてしまう。

つまり、冒頭の繰り返しだが、この事態の長期化で政治報道がほぼワイドショーから消えてしまい、重大な疑惑をニュースがまったく取り上げなくなったことで、いちばん得をしているのは(つまりこのスキャンダルの最大の受益者は)安倍首相だ。

貴乃花が極右カルトの新興宗教につながっているのなら(その新興宗教のホームページを見れば、貴乃花はこのカルトの広告塔にもなっている)、この仮説もまったく荒唐無稽とは言えなくなる。

なにしろ、「國體」を崇拝する貴乃花は要するに、かつての森友学園と同様の、安倍の「日本会議」人脈、要は歴史修正主義で第二次大戦をなんとしても正当化して南京虐殺などはなかったと噓も百回言えば本当になると思い込んでいるような、「日本は神の国」的極右カルトのネオナチ人脈に属しているのだ。

だとしたら、貴乃花が日馬富士の事件の示談を拒否し裁判に持ち込みたがっているのも、協会の処分に対しても民事訴訟で争う気満々らしいことも、彼はそれで勝てるつもりだからなのだろう、と説明がつく。

裁判所が政治家の言いなりで、だから自民党極右の権力者に有利な判断を司法が忖度するなんてことはまともな国では絶対にあってはならないのだが、相手は貴乃花なのだから三権分立の原則も知らないだろうし(なにしろ「警察」と「検察」の違いがよく分かってなかったのだし)、また安倍政権ではそういう憲法上あってはならない判決も、現にしょっちゅう出ているではないか。政権におもねるために裁判所が司法判断から逃げることすら珍しくない。

いずれも苦し紛れのへ理屈で、違法性が訴えられたのを「違法と断定はできない」と誤摩化したレベルの逃げの判決でしかないのだが、まあ貴乃花であるとか極右カルトやネトウヨさんたちの頭のレベルでは、「勝った」か「負けた」かの区別しかつくまい。 
もちろん朝鮮学校への高校無償化適用が完全に合法であることは変わらず、これは外国籍への生活保護支給も同様で、「適用しないのも違法とまでは言えない」判決はただの誤摩化しのへ理屈だ。 
最高裁は総理大臣の靖国参拝の違法性の有無を判断せず、ただ訴えた原告がその参拝によって損害を受けていないと逃げただけだ。後者は合法という判断を下さなかったというのは要するに、最高裁だって実は違法(ないしその可能性は否定できない)と思っているからだ。 
しかしそれにしても安倍政権下では、こういう論理性をあいまいにした恥ずかしい判決が極端に増えている。

自民党の極右カルト分子というか、要するに安倍官邸か、党内の安倍の側近の誰かが貴乃花の奇行と引き延ばし作戦の “黒幕” なら、確かにその権力を傘に着て貴乃花が相撲協会を乗っ取ることも…これも普通の世の中なら絶対に無理なはずだ。だが相手は相当に世間知らずな貴乃花だ。総理大臣ならそれくらいできると(しかも自分は「國體」を守ろうとしているのだし)信じ込むだろう。しかも実際に、これだって安倍政権ならやりかねない。

それにしても「國體を守る」とか言っている貴乃花の途方もない勘違いは、いったいどこから始まったのかを考えると、やはり2001年5月場所の、対武蔵丸優勝決定戦が思い当たる。

貴乃花の認識ではミもフタもなく、自分が総理大臣に「感動した」と言わせたのはハワイ人の、つまり外国人横綱の武蔵丸を倒したからだと思い込んだのではないか?

逆に言えば、武蔵丸は貴乃花が膝に致命的な怪我を抱えていたからだけではなく、相手が日本人横綱で国民的ヒーロー、それも角界の「天皇家」みたいな血統の貴乃花だったからこそ、あそこで「土俵の鬼」になって「横綱相撲」の本気の取り組みで勝ってその貴乃花に大怪我をさせるなんてことは、絶対に出来なかっただろう。

藤島親方は武蔵丸の立場をそこまで考えていたのかも知れない(っていうか、観客ならともかく角界の当事者なら気付くでしょ)し、いずれにせよあの優勝決定戦はなんとか息子を止めようとしていた。しかし貴乃花はその師匠の(「相撲道」に乗っ取った、日本人なら当然の道徳観に根ざした)制止を聞かず、当然のこととして勝たせてもらえただけなのに、勝ってしまえば誰も批判せずに国民的ヒーローに持ち上げられてしまった。

だがこの際はっきり言っておこう。江戸時代やそれ以前に遡る日本の「大相撲」の歴史をちゃんと見る限り、また相手・敵と「息を合わせ」なければ立ち会いが成立しないといった相撲の格闘技としての特徴を見ても、「相撲道」というのはそんなものではないはずだ。

国宝 一遍聖絵 巻七 正安元(1299)年より 神社の境内
牛車に乗った貴族や高僧と ハンセン病患者たちや貧民

相撲が見せ物であるからこそ神事でありお祭りであるのも、土俵が神聖で塩で清められた場所でなければならないのも、そんな狭量で邪悪ですらあるケガレそのものみたいな考え方とは、まったく反する。

「國體」とか貴乃花たちが言うのであれば、日本がそんな国であったのは明治維新以降第二次大戦までのごく限られた時代の、それも最後の方だけだ。あれはどう考えても日本史のなかであまりに例外的な、異常な、日本人が日本人らしさ完全に失っていた時代だった。

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