最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品
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7/22/2010

2010年7月22日

昭和45年7月23日が、自分の生年月日である。

今日が最後の一日となるわけだが、この39歳の一年間というのは、我ながら最悪の一年だった気がする。

10年前20年前には、40の一歩手前には(経済面のことは、わざわざ商業性を排除する映画作りをしてるんだから自業自得だが)もっと明るい将来を期待してた気がする。

先日、たまたま深大寺に行って気づいたのだが、昭和45年生まれは今年は前厄なのだそうだ。

別にそういうことを信じるつもりもないし、だいたい前厄に該当するのは数え年41歳つまり今年の正月以降のはずなのが、前厄に入る前から昨年11月には風邪をこじらして慢性の炎症が肺の隅に残ったままになっているし。

今年に入れば1月には足首を骨折の一歩手前。3月には帯状疱疹が、しかも連休中の発症だったせいで医者に行くのが手遅れの一歩寸前。その前には躁鬱病の症状は出るし、一昨日は手首に激痛が出て昨日医者に診てもらったら、打ち身の記憶などないのに手首の骨が一部欠けているようで、とたんに身体にガタが来ているのかも知れない。

いずれにしろ、もう若くはない、ということのようだ。

というより、この一年ちょっとは編集中の即興フィクション新作『ほんの少しだけでも愛を』に明け暮れたわけで、あまりに疲労が溜まって精神的な負担も大き過ぎ、ガタが来たということなんだろうか?

  藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2010)

思い出すにちょうど一年ほど前に、「これはいつまで経っても完成なんかできないからやめよう」と考えていた。なぜその時に、とっとと諦めておかなかったのだろう? 

「内輪ばかり見てその上下関係にしか興味が持てないのなら、こういうことは無理だよ」と一年前に言っていた。

20人近いキャストでは監督が全員に完全な目配りはできない。こちらは休止期間には東京にいるので、監督ヌキでも友達、仲間としての意識を持ってもらわないと出来ないし、そういう人間関係になった方が、かえって映画もうまく行くはずだ。

だいたい、20人全員が主役になれるはずがない。だから大変な競争にもなるはずだし。

競争とは言っても、あくまで友愛と信頼に満ちたそれだ。即興の個々のシーンは、相手役との共同作業なしには成立しないのだから。

そうやっておもしろい役といいシーンを創り出せれば主役級になるし、つまらなければ脇役か、消えるしかない。

「こういうことは主体性がなければ、自分にやりたいことがなければ出来ないから、それが見つからないならいつでもやめていいよ。そうでなくても向き不向きはあるんだし」と最初から言い続けていたはずなのだが。

「関西圏には、アプリオリの上限関係がなくてはなにも始まらない文化が、あるのだろうか?」とすら思ったこともあった。いや大阪に限らず、日本全体にそういう横並び的な傾向はあるのだから、地域的特性とは言い切れない。

上位の権威者に好かれてるか嫌われてるか、お互いの間でどっちが上位かみたいなことにはやたら気を使うときに、発言はそうしたゲームのためのジェスチャーに過ぎず、言葉そのものの意味は、ほとんど認識されないのか?

いずれにせよそんな心理的な前提に囚われていては、平等ということ、その平等なスタートラインだからこそ個性の差、個人の能力差で勝負することを、理解するのは限りなく難しいことになるのだろう。

逆に言えば、個性や個人の能力では勝負したくない(負けたら自分のダメさが突きつけられるのが怖い?)から、そこに依存出来る上下関係が欲しいのだろうとも、言うこともできる。


そんな心理的な条件付けのもとでは、作っている映画という目標ではなく、内輪のヒエラルキー体制を維持継続し、その頂点に「監督」を想定してその上下関係のなかに自分を位置づけることに、最大のエネルギーを費やしてしまうことになる。

それは今の日本社会の現状の見事な縮図でもある。目的を見失い、目的のための手段に過ぎないはずのものが、自己目的化する。たとえば硬直した官僚機構の組織防衛などは、まさにその状態にある。

大阪が商業の町だというのは、現代では大嘘だし、日本人がエコノミック・アニマル」だったのも、もはやはるかに遠い過去のことなのだろう。

だいたい、20年前から経済成長はほとんど止まっているのだし。

経済性のリアリティの合理性にもほとんど関心が向かず、かといって信念やプライドがあるわけでもない。大事なのは一銭の得にも、人間的な成長にも無縁で、社会的にはほとんど意味を持たないような、内輪のあいだでの「見栄」だけ。

経営者のアイデンティティは経営能力やリーダーシップ、決断力ではない。ただ子分がいるかいないかだけ。だから親分の威光を発揮しながらも、「子分」を手離さないためには、結局は甘やかすしかない。

そんな大人が社会の主流を握っていれば、次を担う若者もまた内輪しか見えず、この世界が実は広くて多様で美しいことも、自分が本当は持っているであろう可能性も、見抜く力を育てられないようになる。

目を開かせ,解放の方向を指し示そうにも、認識する回路が、もはや最初からないのかも知れない。なにしろそういうロールモデルとしての大人がいないし、そういう見栄にばかりこだわる人の子分にならなければ生き延びられないのだから。

こういう60〜70年代的な発想がベースにある集団即興は、その日本の現代とは完全に矛盾する。

どれだけ自分の個性・持ち味を出せるかの競争こそが勝負なのに、ヒエラルキーの秩序が優先し、自分の意見すらなかなか出すのが遠慮されるのだから。

自分から先に行くことができないからなのか、お互いの足を引っ張ることにばかり興味が向くことになってしまう。

むしろ足をひっぱられないためには、先に行かないように注意しなければならない。

上下関係のなかの立ち位置に自分を当てはめようとしていれば、「なんだかんだ言っても同じ人間」としての関係は、なくなってしまうし、お互いのこともちゃんと見られなくなる。よく見て深く考える必要のないロール、“キャラ”が認識されれば済むのだし、それ以上は認識されないのだから。

これでは集団即興で芝居が成立し、ストーリーが発展するというのは、理屈からしてそもそもあり得ない。あるのはいつまで経っても発展も進歩もない「キャラ」の繰り返しだけ。


「もう少しねばってもいいんじゃないですか」「自分ももっと頑張るから映画を作ろうよ」と説得され、というか期待を抱いて続けるわけだが、そこから先が地獄になる。

そう言っている本人たちですら、もしかしたらいちばん重要なのは「続ける」という状態、つまりはその集団が保守されることに安心できるためだけのジェスチャーであって、言葉自体に意味を考えてはいけなかったのかも知れない。

「そんなに簡単に諦めるのもどうかと思いますよ」的なことを言って説得してくれたはずの人間も、「自分は他の連中と違ってちゃんと分かってるから」といわんばかりの顔をすることこそが、目的だったのかも。他のキャストが先に壁にぶち当たっているのを批判的に語っていたりしたのも上下関係、ヒエラルキー構造、つまり「自分の方が上」の状態を作るためのジェスチャーであって、言葉自体の意味は考えてはいけなかったのかも知れない。


まして「他人を批判するからには同じ過ちを自分がやってしまうわけにはいかない」という不文律なんて、想定して考えてはいけないのだろう。

だからなのか、自分が壁にぶつかったとたん、批判した相手以上にものの見事に、文字通り「切れて」しまう。

いわゆる「キレる若者」という意味ではない。精神の糸が文字通り、プッツリ切れて、いわばフリーズ状態になり、そして人間関係も文字通り「切って」しまうというような。

そうなると「やりたいこと」と言っていたのが口先だけだったと平然と暴露するかのように、「お手伝いしようと思ってたのだけど」「力になりたかったのに」と言う話になり、挙げ句に「誘導された」「言われた通りにやってたのに」という理屈になる。

自分の意思というものを、持つことがあらかじめ禁じられているような世界。


そうは言っても、一般論的な傾向がすべての人間に必ずあてはまるわけではないし、今年の5月までかかって、映画がそれなりの結論に到達できただけでも、この一年はそんなに「最低」ではなかったと、むしろものすごく幸運だったと、思うべきなのかもしれない。


後半から編集を始めて(というより、ラストになるものが撮れるまでは撮り続け、編集はまず終わりから始めるのが僕のやり方)、その後半部分はもう棒つなぎ的なものができているのだが、それだけ見れば確かに、これはいい映画になると思える。

問題は前半だ。

映画の前半なんだから人物を手際よく紹介して、ストーリーの流れに観客を招き入れなければいけないのが、思っていた以上にいいシーンがないし、うまくつながらない。

これが自分の4本目だか5本目の長編になるわけだから、さすがに自分の演出の手際、フレームのなかでどう人物の動きを振り付けし、という技術というか腕前は、より器用になっているのは自分でも分かる。

だがそれだけ「うまい」「器用」なぶん、自分の撮り方に、以前の作品にはあった乱暴で荒削りであるがゆえに「生き生きして見えるもの」が、なくなって来ているのも確かだ。無駄に端正過ぎるのだ。

平たく言えば「老けた」ということか?

しかも撮っている対象が、なにしろほとんどが「人物」でなく「キャラ」に過ぎず、人間としての自分探しよりもヒエラルキー組織のなかの快適な立場の確保に、オフスクリーンでもオンスクリーンでもキャストの動機が向かって行ってしまってる以上、ますますもってそこには「生き生きしたもの」は、なかなか写っていない。


いったいこの一年はなんだったんだろう? 編集が進行中のコンピューターのディスプレイを見ながら、どうしてもそう思ってしまう30代最後の一日なのだった。


そんな個人的な苦悶と並行して、一年前には、政権交代に向けた総選挙が秒読み段階だった。今ではまるで大昔のようにも、思えるのだが。

9月には、鳩山「友愛」政権、あるいは小沢一郎が「これは革命なんです」と言っていた新しい政治の流れが、始まったはずだった。

10月に『フェンス』を山形で上映したとき、舞台挨拶で撮影の大津幸四郎が、「この映画は新しく出来た鳩山政権にプレゼントしたい」と言った。

日米関係の見直し−−『フェンス』で映し出した安保条約体制の根源的な不条理が、いろいろな困難は予想していても、それでも変えよう,変えられる、変えなければ行けないという期待は、確かにあったはずだ。

いくらなんでも、5月になって鳩山が「やはり抑止力というものが」と言い出して、普天間問題は自民党案に限りなく近いものに収まるとは、まさか思っていなかったはずだ。

鳩山の辞任から菅直人への政権移行、そのあいだに岡田、前原、北澤などの閣僚たちの変遷で証明されたのは、与党がどの政党だろうが、官僚の作ったレールに乗らない限り、この国では政権を維持することなど出来ないということ。そして国民もたぶん、官僚の悪口で鬱憤を晴らすことには惹かれているとしても、本質的な改革や変化は、求めていないのではないか?

よく考えれば、もう20年くらいのあいだ、「改革」は日本の最大の政治的テーマとして掲げられ続けていたのだ。それが看板倒れでなく本気だったのなら、とっくに変わっているはずだ。


しかし国民が菅直人を「現実主義」と評価するのだとしたら、つまりは官僚が出してくるデータに示された「現実」しか、国民もまた認めようとはしていないのではないか?

政権交代がまだ「夢」であったときには、選挙で今までとは違った将来を、我々は期待することがまだ出来ていたのかも知れない。

だがこの一年で証明されたのは、そんな違った将来なんて、未知であるから怖いだけだということ。

実は、誰もそんな違った、自分たちが主役になる将来なんて、求めていなかったということではないか?

しょせんはエリートであるはずの官僚の言う通りにした方が、「国民の力」で政権交代するよりも、よほど安心できるのが我々日本人なのではないか?


これを書いていて気づくのは、今日のエントリーの前半の私的な映画作りの話と、後半の日本の総体の政治の話が、まったくパラレルであるということだ。

横並びの集団のなかのヒエラルキーに自分を位置づけることで、自分自身の意思でなにかをやることなんて考えないでいい状態、その逃げ道ばかりを探し続け、なんでも人のせいにしてしまうこと、責任は決してとらないことに、我々日本人は慣れきってしまっている。

これまでの人生で最悪かも知れない一年にも、そうした現代ニッポンの Status Quo が鮮明に見えて来たという意味だけは、見いだせるのかも知れない。

つまり、僕の映画作りのもっとも根源的な動機は、「日本人とは何者なのか?」という、まるごと日本で育ったわけではない人間ならではの疑問にあるのだと、自分では思っているのだが、その自覚が正しいのであれば、この最悪の一年は、「日本人」という民族の現状のある本質だけは、痛いほどよく分からせてくれるものではあった。

裏切られて幻滅したのだって、化けの皮が剥がれて現実が見えただけでも、良かったと思うことはできるのかな?

かなり難しいかな? やはり自分も、ただの弱い人間だからね。

どんなにやせ我慢しようが、精神的なダメージは大きいですよ。

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