最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

1/01/2012

あけまして・おめでとう・ございます

(毎年恒例<ちなみに昨年はこちら>、年賀メールを掲載)
旧年中にお世話になりました皆様も、あいにくお会いする機会がなかった方々も、今年もよろしくお願いします。

「アラブの春」から始まった2011年でしたが、3月11日の大地震を経た今となってはずいぶん昔のことのようにすら思えます。あまりに多くのものが失われ、数えきれない悲しみと、今もまったく解消されない困難や問題があり、今年もどうなることか不安から逃れられないままの新年ですが、それでもまた、学ぶべきこと、得られたことも決して少なくなかった一年でもありました。

自分は10年前まで山形国際ドキュメンタリー映画祭で仕事をしていたこと以外には、東北地方にはまったくと言っていいほど縁がなかったのですが、津波の破壊力に息を呑むと同時に、巨大な災厄を前にも人間らしさや矜持を失うまいとする被災地の人々にまず深い敬意を抱く他なく、そうこうするうちに4月には、撮影の加藤孝信と共に新作のドキュメンタリーを撮影しに福島浜通りに向かい(福島第一原発の周囲へ行って来ました)、5月には避難期日直前の飯舘村(福島県・飯舘村)でも撮影することになりました。

その場所で我々を驚かせたのは、一ヶ月以上放置された地震と津波の被害の巨大さや、無人の町となってしまった光景以上に、ちょうど桜が満開の季節の自然の繊細さと豊かさであり、そこでお会いすることの出来た人々の、人としての豊かさ、魅力、まっとうさ、慎ましさのなかに秘めた悲しみと、決してその運命に負けず、かといってしゃにむにあがくのでもない、知性にあふれた強さでした(原子力発電所と共に生きるということ)。

「しょうがない」という言葉が、これほどの重みと強さをもって発せられることを、自分は学ぶことができたと思っています。

破壊の大きさを描くには、そこで本当に失われたものは何だったのかを見せていくしかないと同時に、だからこそ失われなかったものもまた見せなければ、映画にはならない。

日本で製作してはただ悲惨を悲惨として搾取するだけの作品しか出来ないと考え、この映画は日仏合作とし、編集は完全にフランスで、フランス人の編集者、フランス在住のアメリカ人の音楽を得て完成させることになりました。

そして浜通りと飯舘村で撮ることが出来た素材に内包された人間性の豊かさを、編集のイザベル・インゴルドドミニク・オーヴレイ、音楽のバール・フィリップスエミリー・レスブロス、ナレーションを引き受けてくれたアルシネ・カーンジャンらの信頼するスタッフ、そして編集段階の試写で見てくれた友人たちが、日本人以上の繊細な共感を持って見てくれたこともまた、とても嬉しい体験でした。

それはまた、福島県の人々と、彼らの風景から我々が得たものは、決して現代の日本固有の体験ではなく、普遍的な意味を持つものだからこそ、映画として世に問うべきなのだという考えを、確信に変えるものでもあったからです。また彼らの力で、少しでも自分の目標というか野心に近づくことが出来たのであれば、と思う次第です。

こうして完成した映画『無人地帯 No Man's Zone』は、11月の東京フィルメックス映画祭でのワールド・プレミア上映を無事済ますことができ、2月にはベルリン国際映画祭でインターナショナル・プレミアを予定しています。

今年中には、全国での劇場公開も考えております(ほぼ同時にフランスでも公開します)ので、その折にはご覧頂いて厳しいご意見などたまわれれば幸いです。

一方、我々が撮らせてもらった福島第一原発の周辺に住んで来た人々が一日も早く生活を取り戻されることを切に願いつつも、現実の大変さは、残念ながら今もほとんど改善していませんし、そのいちばん困っている人達がなぜか無視されてしまっている状況もそのまま続いているなか、春頃にはこの続編となる映画を撮り始めることも考えなくはありません。

先日いわき市で行った試写の上映後の質疑で、涙を流して喜んで下さった富岡町から避難された方に、つい「今年の花見は富岡町の夜の森だ。それを撮影する」と、つい言って来てしまいましたし。

いかに巨大な悲劇と破壊で、命や生活やあまりに多くのものが失われてしまったのが昨年であっても、そこからですら得られるもの、学べること、より人として成長できるものがあるのだと確信できる年になることを祈りつつ、新年の挨拶とさせて頂きます。

今年もよろしくお願い致します。

2012年 元旦

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